toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2007年春、ドイツ旅行の印象[フュッセン・シュバンガウ編]


[ 副 題 ] 『中間層の確保=民主主義の根本』を自覚できない日本政治と市民意識の貧困(ポスト参院選にも引き続く日本の危機)


・・・・・・この[ 副 題 ]の記述内容は(プロローグ)の部分に書いてあります。[ フュッセン・シュバンガウ編 ]を記述するうちに、必ずや「ポスト参院選」にも引き続くことになると思われる“日本の危機の根本についての妄想”が脳裏を過(よ)ぎったので(プロローグ)として纏めました。


ドイツの州区分(Portal fuer Deutechlernen der Weg、http://www.derweg.org/mwbuland/bulantoc.htm)より


ドイツの河川図(ウイキペディア)より


[南部ドイツの略地図](ウイキペディア)より


ロマンチック街道図(ドイツ政府観光局、http://www.tabifan.com/germany/)より


・・・最下端がフュッセン(Fussen)で、ロマンティック街道の終点です。なお、ロマンティック街道( Romantische Strasse)は、ヴュルツブルク(Wuerzburg)からフュッセンまでの366kmの街道ルートです。


(プロローグ) 「中間層の確保=民主主義の根本」を自覚できない日本政治と市民意識の貧困(ポスト参院選にも引き続く日本の危機)


時事通信社の「参院選に関する世論調査」(http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007071400219)によると、無党派層による政党別の支持では、民主党が15.3%(前月比4.3ポイント増)、自民党は9.8%(前月と同じ)であり、選挙結果を左右する無党派層民主党が支持を広げ、自民党を引き離している実態が鮮明になりました。また、これに先立つ同通信社の安部内閣の支持率調査では、ついに「支持する」が25.7%まで落ち込んだようです。


“これでもか、これでもか!”とばかりに様々なスキャンダル&疑惑隠しの闇(耐震偽装事件と安晋会、ヤラセTMとメディア操作、コムスン事件と医療福祉利権の増殖、松岡農相・自殺と政治中枢のマフィア化、久間防衛相・失言と極右政治化への流れ、議会軽視〜連続する強行採決〜外見的立憲君主制復活への流れ、など)を多発(表面化)させてきたことからすれば、今や再び赤城農相の政治資金規正法違反という政権与党の腐敗・金権にかかわる偽装事件の強引な幕引き劇で尻に火がついた安部内閣についての調査が、このような結果になるのは当然だと思われます。


また、韓国で覚醒剤密売の容疑で逮捕された北朝鮮の元工作員(真偽不詳?)安明進・容疑者、朝鮮総連幹部、元公安調査庁長官・緒方容疑者らをめぐる真に不可解な一連の同時多発事件の背後には、“美しい国”の土壌と“北による拉致事件”とに跨る深い漆黒の闇とグロテスクで両義的な点と線が広がっているようです。


従って、このように国民一般の“一応まともに見える”批判力が作用することそれ自体は同慶の至りと言いたいところです。しかしながら、むしろこれは“一過性のトレンド”と看做すべき危うい現象かも知れません。なぜならば、小泉劇場の「郵政解散総選挙」で過半を遥かに超える一般国民が見せた“あの小泉ブーム”の「負の統合」(注記/下記▲)による異常なフィーバーも“歴然たる日本民主主義の現実”であるからです。そして、言うまでもなく<小泉政権→安部政権の政治の流れ>は、明らかに極右勢力に担がれてきたと看做されるのです。これは“靖国問題”と“つくる会”などの実績と動向が傍証しています。


(注記)▲負の統合


・・・政府の政策に容易に同化しない政敵または国民の一部に派手な符丁で「国賊の烙印」を押し、メディアなどを総動員してそれに対する敵意を煽り、残余の多数の政治家や国民を自分の方へ誘導・統合する政治手法。ドイツ帝国ビスマルクあるいはナチスドイツのヒトラーが得意とした手法で、小泉劇場がこれを真似た。見方によって、これは現代日本の学校内で蔓延るイジメの手法そのままでもある。


ところで、読売新聞(2007.7.7、http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070707it11.htm)は、約1億2300万円(100万ドル)以上の金融資産を持つ日本国内の「富裕層」が昨年1年間で5.1%増加して147万人になったと報じています。しかも、日本の富裕層は、世界全体の富裕層の15.5%を占め、米国に次いで世界第2位となっています。他方、金融広報中央委員会http://www.shiruporuto.jp/)の「無貯蓄世帯」(平成16年)に関する報告によると、日本全国で4世帯のうち1世帯が貯金ゼロ(無貯蓄世帯化)となっており、この傾向は更に増加する勢いを見せています。


また、2007年7月2日付の読売新聞は、“厚生労働省が7月2日発表した「毎月勤労統計調査」(速報、http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/kouhyo/indexk-roudou.html)によると、今年5月の全国の勤労者の現金給与総額が前年同月比で0.6%減の27万4091円と6か月連続で減少した”ことを報じています。ここでは、景気の回復が喧伝される一方で、賃金にはその果実が反映されず、むしろ勤労者所得の減少傾向が続いている「日本経済の冷酷な実像」が浮上しています。


鈴木亘氏(東京学芸大学・准教授)の研究(http://www.shiruporuto.jp/finance/chosa/kohyo/doc009.html)によると、失業状態や若年齢などは無貯蓄世帯化とは直接関係がなく(相関度が低く)、むしろ就業世帯で低所得の世帯(広い意味で中間層の一部を構成)に関係が深い(相関度が高い)ことがわかっています。また、住宅ローンなどの借入返済の重いこと、および扶養人数が多いことなども、無貯蓄世帯化に関係していることが分かったようです。


また、内閣府経済社会総合研究所の太田清・特別研究員(日本総研主席研究員)が「日本では税や社会保障による所得再分配の恩恵が欧米と比べ低所得層に薄い」と指摘するレポートをまとめており、それは“日本は税金や社会保障負担を差し引く前の所得では欧米平均より格差が少ないが、所得再分配した後の可処分所得では格差があまり改善しない”と指摘しています。そこでは、日本の「税+社会保障」負担率が500万未満(平均)の低所得層では欧州並みであるが、世帯年収が500万円以上(平均)の層では欧州より低いことがその原因と考えられることも示唆されています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070128)。


つまり、このことは“失業者や若年層のみならず、特に日本の「広義の中間層」(=“低所得層世帯〜比較的高額な所得層世帯”に分布する広義の中間市民層=普通の健全な経済力・生活力と健全な常識を持つ普通の人々)の中で「無貯蓄世帯化の傾向」が確実に進むという社会病理の深刻化”を示しています。このような現代日本社会の病理現象を名づけるならば、それは「広義の中間層の没落」ということです。「トリクルダウン仮説」(注記/下記▲)を信奉し、ひたすら「規模の成長による解決」だけを訴えて再分配と負担の問題を先送りする乱暴で粗雑な政治手法の流れ(小泉政権〜安部政権)が、この現象を後押ししていることは疑う余地がありません。


(注記)▲トリクルダウン仮説


・・・現在の「主流経済学派の教義」となっている“経済成長の果実は、必ず貧者にも滴り落ちる=市場原理主義による豊かさは貧困を解消する”という、あまりにもワン・サイドで素朴すぎる観念であり、これは経済学説というよりも、むしろカルト信仰に近い。


経済学を正しく理解するには、それを「第一フェーズ(相/phase)」(特定の人々の所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)と「第ニフェーズ」(より多くの人々への平等な分配に軸足を置く民主的なフェーズ)の絡み合いで検証する必要があります。そして、米国流の新自由主義思想(新自由主義イデオロギー)に支配された全世界的な政治・経済環境の中で、現代経済学の主流は「第一フェーズ」に属するグローバル市場原理主義となっているため、地球規模で「貧富差の拡大」(≒広義の中間層の没落)が進行しているのが世界の現実となっています(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4650.html)。


今、世界的に好景気が続いている(連立与党による選挙対策リップサービスとは裏腹で、これは小泉政権〜安部政権の実績と無関係であることに注意すべき/一方で、日本の財政危機がむしろ深刻化していることも見逃すべきでない/参照、http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html)のは、循環的な要因によるものです。むしろ、我々は今の「第一フェーズ」に傾斜した主流経済学の主導によって「貧富差の拡大」が世界規模で進んでいるという現実から目を逸らすべきではないのです。それ故に「第ニフェーズ」の経済学の復権を絶えず視野に入れるべきであり、そこで重要なのが「公正価格」(justum pretium)という概念ですが、この論点については、下記記事(★)を参照してください。要は、現実的な経済の成果は、我々自身の政治的選択(主権の行使)とそれに大きな影響を及ぼす主流経済学の学説(仮説)に左右されるということです。


★2005-12-19・toxandoriaの日記[『小泉劇場』が培養する悪徳の栄え/耐震構造偽造問題の深層] 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051219


また、社会学的な「中間層」の定義はともかくとして、ごく常識的に考えるだけで「生活基盤がある程度まで安定していることを前提とする広義の中間層」(=普通の健全な経済力・生活力と健全な常識を持つ普通の人々)の役割が民主主義社会の安定のため非常に重要であることが理解できるはずです。つまり、そのような意味での「中間層」は優れた少数派でもなければ、愚昧な少数派でもあり得ないのです。その上、少数の優れた人格者や知識人あるいは大金持ちなどが存在したとしても、彼らの力だけで社会全体をより良い方向へ動かすことはできません。我々は、このような観点からマクス・ヴェーバーMax Weber/1864年-1920)の名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus)を読み直すべきかも知れません。


ともかくも、社会におけるこれらのメンバーの中で、最も重要な役割を果たすこと(異質な価値観を持つ人々の間で、あるいは貧富の格差の間でフリーランスの自由闊達なコミュニケーションと交流能力の発揮)ができるのは、ある程度まで「生活基盤が安定していることを前提とすることが可能な中間層」に属する人々です。言い換えれば、このような意味での「広義の中間層」こそが民主主義社会の基盤なのです。従って、「第一フェーズ」(既述)へ傾斜することをベストとして「市場原理主義」を制御せず野放しにしようとすることは窮めつきの愚考であることが分かります。つまり、「グローバル市場原理主義」を野放しにすることは「広義の中間層の没落」をもたらし、その結果としてヒトラー時代のドイツの典型に見られるような「右翼ポピュリズム」という最悪の民主主義の赤字を呼び込むことになります。


すでに“仏ニコラ・サルコジの実験”も“アンゲラ・メルケルのドイツ”も“ゴードン・ブラウンのイギリス”も“アンチ・ブッシュ勢力に反攻されつつあるアメリカ”も、今や、彼らが最も警戒するのはこのような《中間層の没落に伴う“衆愚国家主義”(=右翼ポピュリズム)の台頭》ということです。既に、このような意味での国家的危機を回避する方向(=自国の「広義の中間層の没落」を回避する方向)へ欧米諸国の政治は舵を切っています(参照/下記記事★)。一方、わが国では相変わらず「冷戦構造時代の政党間の古典的対立構図」を煽るしか能がない「時代錯誤の極右勢力」と「経済マフィア」(怪しげなアングラ勢力と結びついた悪徳・新興経営者など)を日本の未来のキーマンとして担いでいます。そして、このような世界の流れと逆行した傾向は、喩え「安部の美しい国」が退場したとしても終わらぬことを肝に銘じるべきです。


★2007-07-10、toxandoriaの日記[2007年春、ドイツ旅行の印象/ガルミッシュ・パルテンキルヒェン編]、[ 副 題 ] 赤城・安部らアホ寄生虫の大ウソで世界に150年遅れる「美しい日本」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070710


2007-07-11、toxandoriaの日記[2007年春、ドイツ旅行の印象[続、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン編(ヴィース編)、[ 副 題 ] 続、「赤城・安部らアホ寄生虫の大ウソで世界に150年遅れる『美しい日本』」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070711


従って、我々一般国民が“ポスト安部政治”に見据えるべきことは、「負の統合戦略」で誑(たぶら)かされた「広義の中間層」(=普通の健全な経済力・生活力と健全な常識を持つ普通の人々)の多くがトリクルダウン幻想(仮説)に踊り狂った小泉劇場の復活でもなく、ましてや日本社会の更なる右傾化を煽ること(注記/下記▲)でもありません。今こそ、我々は、これらの問題が愁眉の「年金保険の危機」(=消えた年金問題)という分かりやすい隠喩的意味(=国民自らが選択した政治の根本的誤りの実像)が見えている間に、つまり、「日本の中間層没落の危機」という深刻な問題が一般国民の目にリアルに見えている間に、「社会保障政策による再分配とグローバル市場原理主義のバランス回復への道を選ぶこと」(新しい政治の方向性の選択)の重要性を国民一人ひとりが自分自身の問題として真剣に自覚すべき時です。


(注記)▲2007-03-27・toxandoriaの日記/「日本改革の美」に酔う「擬装右翼」の妄執的感性の危険性、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070327


もし日本の政治状況の根本がこのままであり続け、上で見たような観点に立つ国民意識の変革(自覚)も生まれないとするならば、残念ながら今後の日本は、明治維新期〜太平洋戦争期の『外見的立憲君主制』の時代(=見せかけの立憲君主制で実質的に主権は国民のものでない国家体制)へジワジワと後戻りする羽目となり、再び我が国は欧米先進諸国に大きく遅れをとることになるでしょう。そして、これこそ安部政権が高らかに掲げる「戦後レジームからの脱却」を後押しする極右勢力(政治家・知識人・ジャーナリストら)の大いなる誤謬(=歴史についての不勉強、あるいはドグマ的な勘違いに起因する!)の結果に他ならないのです。


余談ながら、神聖ローマ帝国いらい多様な地域と様々な民族の共存の歴史を積み重ねてきた流石のドイツも、19世紀における国家統一のプロセスではプロイセン主導の権威主義的なドイツ帝国プロイセン帝国いらいの外見的立憲君主制)へ極端に傾き、次にその崩壊から生まれたワイマール共和国は先端的な民主主義の実験に失敗してナチスヒトラーという『右翼ポピュリズムの悪魔』を呼び出してしまいました。その苦い経験から、第二次世界大戦後のドイツ(西ドイツ)は、ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz fuer die Bundesrepublik Deutschland)に基づく徹底した議会中心の間接民主主義体制を採ってきましたが、同時に、ドイツでは1960年代の若者たちの反抗や緑の党などに代表されるような市民レベルから芽生えてくる様々な少数意見にも十分配慮するための工夫と努力が積み重ねられて現在に至っています。


このような前向きのプロセスで常に一定の重要な役割を果たしてきたのは、バイエルンを代表とする南ドイツとラインラントを中心とする西南ドイツであり、これらは、いずれもカトリック教徒が多い地域です。しかも、そのようなドイツ独特の政治(議会、政党、連邦政府)のあり方は、単に北と南が反目し合うという関係からドイツ各地の多様な意見を十分に汲み上げるという方向へ向かって、その民主主義のあり方を着実に成熟させてきており、その手法はEU統合へもプラスの影響を与えているように見えます。


このようなドイツ民主主義の戦後発達史は未だ十分に我が国では理解されていないようですが、ほぼ同様・同時期の敗戦国として第二次世界大戦後の歴史を歩みながら、何故これほどまでドイツと日本の「民主主義の内実の質的格差と民度の優劣」が生じたのかを十分に検証し、反省する必要があると思われます。このような観点から見ても、“美しい国”を実現するための「戦後レジームからの脱却」なるコトバはまことに白々しく、かつバカバカしく聞こえてしまいます。


(注記)『“小泉劇場美しい国”の右傾化ポピュリズムへの扇動と“ヒトラー現象”の類似点』については下記記事(★)を参照


★2007-04-25・toxandoriaの日記/妄想&迷想、ドイツ・ナショナリズムの反省、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070425


フュッセンの俯瞰図(Google Earth)より


フュッセン


フォルゲン湖(Forggensee)(ウイキペディア)より


・・・中央下に見える白い城がノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)です。画像からは隠れますが、フォルゲン湖の左端から更に南西方向へフュッセンの街区が広がります。フュッセンノイシュヴァンシュタイン城の直線距離は約4kmで、ノイシュヴァンシュタイン城が建つ場所がホーエンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)です。


フュッセンバイエルン州シュヴァーベン県)は海抜833mの標高がありドイツで一番の高地にある街です。その南東約4kmのホーエンシュヴァンガウにはノイシュヴァンシュタイン城があり、フォルゲン湖畔には「ルートヴィヒ2世・ミュージカル劇場」があります。フュッセンミュンヘンから南西へ約100km(直線距離)の位置にあり、ヴィース教会(シュタインガーデン)の西方約45km(直線距離)に当たります。その市街地はフォルゲン湖の南端あたりから南へ広がり、レッヒ川(Lech)を挟んでオーストリアのシュヴァルツェン山(Schwarzenberg)に接します。


古代ローマ時代に軍用道路の砦であったフュッセンは、中世にはイタリアのヴェニスアウグスブルクを結ぶ重要な街道上に位置することになります。8世紀には、聖マグヌス(St. Magnus/? -ca750)がフュッセンで布教を行っています。1313年、フュッセンアウクスブルク司教の町となり、15世紀には、既述のとおりイタリアとの通商で大いに繁栄します。


しかしながら、これらフュッセンの繁栄は三十年戦争(1618-48/ベーメンボヘミア)の新教徒の反乱を契機に勃発した新旧両教徒による宗教戦争/戦乱は国際的な動乱と化したが、近代国際会議の嚆矢とされるウエスファリア条約(Treaty of Westphalia、1648)で終結)で終止符が打たれます。現在のフュッセンはホーエンシュヴァンガウの「ノイシュヴァンシュタイン城」と「ホーエンシュヴァンガウ城」へのアクセス拠点として、またハイキング・サイクリング・スキー等のための観光基地として知られています。


フュッセン市博物館」の楽器コレクション、(http://www.stadt-fuessen.de/587.0.html)より


・・・中世のフュッセンリュートの製作でヨーロッパ中に名を知られていました。そのため、1562年にフュッセンリュート製造職人たちは「ヨーロッパで最古のギルド規定」を定め、フュッセンがヨーロッパのリュートとヴァイオリン製造の発祥地であることを宣言しています。このように歴史的に貴重な楽器コレクションは「フュッセン市博物館」に展示されています。


フュッセン近郊、朝の風景


フュッセンの風景、ア・ラ・カルト


レッヒ川の風景

・・・二枚目はレッヒ川を挟みオーストリア側のシュヴァルツェン山(Schwarzenberg)の方角を望んだ景観です。


聖マング市教区教会(Stadtpfarrkirche St.Mang)

・・・この教会の創建は9世紀まで遡りますが、今の建物は18世紀にバロック様式で改築されたものです。


聖霊シュピタール教会(Helling-Geist-Spitalkirche)


フュッセン郊外から「ノイシュヴァンシュタイン城」辺りを望む


ノイシュヴァンシュタイン城」周辺の光景


ノイシュヴァンシュタイン城からフォルゲン湖方面を望む


バイエルン国王ルードヴィヒ2世(Ludwig 2I/1845〜1886/バイエルン王国(Koenigreich Bayern/1756-1918)の4代目の国王)の即位から4年目の1868年に着工されたが未完に終わった城。ルートヴィヒ2世は、ミュンヘンの喧騒を逃れて、ここホーエンシュヴァンガウに中世風の居城の建設を計画しました。1986年に建設中の城に住み始めますが、その頃には王室の財政が巨額の赤字となっていました。


このため、側近と政府(議会)は、1886年6月10日にルードヴィヒ2世を精神病の名目で逮捕(禁治産宣告)しベルク城に幽閉します。しかし、6月13日に近くのシュタルン湖畔(Starnsee)で王と侍医(精神科医ミュンヘン大学教授)であるフォン・グッデン(B. A. von Gudden/1824‐86)の溺死体が発見されました(死の詳細は不明のまま)。城の建設工事は、ここで中止され、今は完成した部分だけが公開されている訳です。


ルードヴィヒ2世は、子供の時から孤独癖が強く、中世ドイツの伝説に親しみ幻想の世界に遊ぶ傾向がありました。1861年にはミュンヘンでリヒャルト・ヴァーグナー(Wilhelm Richard Wagner/1813年-1883)のオペラ『ローエングリン』(Lohengrin)に感激してから ワーグナーに心酔するようになります。父王マクシミリアン2世(Maximilian 2/1811-1864)の死により18歳で王位を継ぎますが政務にはほとんど関心を示さず,もっぱら芸術に親しむ日々を送りました。


やがて、ルードヴィヒ2世は近衛士官らと同性愛に陥り、1867年には王女ゾフィーとの婚約を解消してしまいます。1871年に宰相ビスマルクドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich/1871-1918)が成立してプロイセン王ヴィルヘルム1世(Wilhelm 1/1979-1888)が皇位につくと、ますます現実から逃避するようになり、自分の幻想を実現すべく莫大な費用を投じてバイエルン各地に城や離宮や劇場を次々に建造することになります。特に、ホーエンシュヴァンガウのノイシュヴァンシュタイン城バイエルン南西部の森にあるリンダーホーフ宮(Schloss Linderhof)、キームゼー湖(Chiemsee))に浮かぶヘレンキームゼー宮(Herrenchiemsee)の三つが名高いものです。


ホーエンシュヴァンガウ城


これは12世紀頃に建てられ廃墟になっていた古い城(シュヴァンシュタイン城/Schwanstein=白鳥の石)をルードヴィヒ2世の父マクシミリアン2世が買い取って改築したもので、ルードヴィヒ2世は幼少期のほとんどをこの城で過ごしました。この城の名も含めた、この地域一帯のシュヴァンガウ(Schwangau)という地名は「白鳥の里」の意味で、実は、この土地はリヒャルト・ワーグナーの歌劇『ローエングリン』で広く知られるようになった白鳥伝説のゆかりの場所でもあったのです。


アルプ湖(Alpsee)辺りの風景

・・・ノイシュヴァンシュタイン城の南側にある湖。