toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2007年春、ドイツ旅行の印象[ローテンブルク編]

[ 副 題 ] 「中間層の没落傾向」を抑止するため、参院選後に見据えるべき二つの視点


・・・・この[ 副 題 ]の内容は(プロローグ)の部分に書いてあります。


ドイツの州区分(Portal fuer Deutechlernen der Weg、http://www.derweg.org/mwbuland/bulantoc.htm)より


ドイツの河川図(ウイキペディア)より


[南部ドイツの略地図](ウイキペディア)より


ロマンチック街道図(ドイツ政府観光局、http://www.tabifan.com/germany/)より


ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの俯瞰図(Google Earth)より


ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの略図
http://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Germany/RomanticWay/rothenburg_new.htmlより


市庁舎・尖塔から俯瞰したローテンブルク・オプ・デア・タウバーの風景


マルクト広場の市庁舎・入り口から入り、約60mの螺旋階段を上ると尖塔の展望台に着きます。これらの画像は、そこから見た風景です。街全体が高台の上にあるので見事な俯瞰となります。



(プロローグ)『中間層の没落』に歯止をかけるため、参院選後に見据えるべき二つの視点


国会の議決を隠れ蓑として国民の貴重な年金積立金(支払年金の原資)の一部が合法的に(?)社会保険庁職員の人件費に化けたり、あるいはそれが不要な施設の建設や備品・消耗品購入代等として浪費されたり、挙句の果てには、その一部が与党有力政治家のために闇の政治資金と化したのではないかと噂される(参照、http://www.weeklypost.com/070720jp/index.html)始末で、与党政権と汚れたカネの関係、あるいは年金原資の不明朗な管理に対する国民の不信感は絶頂を極めつつあるようです。


<関連参照 1> → 「年金施設」へ投じた年金保険料1.4兆円が回収不能http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070724it01.htm(読売)


<関連参照 2> → 保険料約6兆9千億円を年金給付以外に流用、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070724-00000007-mai-pol(毎日)


とにかく、もはや底なしに泥沼化した感がある不明朗な政治資金問題の闇を追及し関連する諸制度の是正に取り組むことも大切ですが、特に、下記の二点には、日本の民主主義の基盤を根こそぎに破壊する恐れがある『格差拡大と中間層の没落』(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070720)への歯止の役割とともに、日本に充満するこのような政治不信の空気を一変させ、国民へ新たな希望を与える役割が期待できます。


責任ある政治家に求められる資質は、ヒトラーやかつての<小泉劇場>の主人公たちのような《負の統合》(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070720)や、あるいは<美しい安部の国>の悪代官らのように《騙し・脅かし・賺(すか)し・誤魔化し・詭弁・オレオレ詐欺的言説などの手練手管》で国民を不当(違法)に操る能力ではなく、人間の本性へ十分な思いを巡らせつつ《具体性がある近未来のシナリオを示して国民一般から信頼を勝ち取る能力》です。この観点からすると、近年の与党政治のあり方(小泉劇場〜安部・美しい国)が根本的な欠陥を抱えていた(誤りであった)ことが理解できるはずです。


(1)維持可能な「年金財政」と「所得代替率」の具体的シナリオを早急に設計し、公表すること


<注>


所得代替率は「現役時代の平均賃金に対する将来に受け取る年金額の水準」のこと。より具体的に言えば、厚生年金に加入していたモデル世帯の標準年金額が現役世代の平均的な手取り賃金の何%に当たるかを示す値で、今は約59%です(65歳〜、夫婦手取りのモデル年金額=23.3万円/参照、読売オンライン・年金改革Q&A、http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/nenkin/20050824ik07.htm)。しかし、2004年の年金改革「百年安心プラン」では、この所得代替率を今後少しずつ引き下げることが決まっており、厚生労働省は、所得代替率が2023年ごろまでに約50%となり、以後はその水準が維持されるとしている。


・・・・・・・・・・


ところが、現代の日本で『中間層の没落』の傾向が続いていることを的確に指摘し、その根拠を明快に示した(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070720)鈴木 亘氏(東京学芸大学・准教授)らの研究によると(情報源:2007.7.19付・日本経済新聞/年金財政シミュレーションモデル・OSU=2モデル)、2004年の年金改革「百年安心プラン」(表記)が想定した「2023年、所得代替率=約50%」の見通しがすでに破綻しているのです。


それは「安部政権の上げ潮路線が大成功する」という前提に基づく賃金上昇率・運用利回り・女性&高齢者等の就業割合増加など、この「上げ潮路線」の前提となる諸条件が既に破綻している(実現不可能となっている)からです。鈴木氏は、このように非現実的な設定条件の下で「百年安心プラン」を公表した安部政権の手法が国民一般に対して不誠実であると指弾しています。


なぜならば、仮に、このOSU=2モデルによる維持可能な年金財政の試算によって《2004年・百年安心プラン(既に実現が不可能な虚構と化した!)》と《年金財政が破綻するレベル(現行の安心プランでは2055年に年金財政が破綻する見通し)》の中間値を実現可能な数字として採ると仮定した場合でも、そのためには「現行18.3% → 22.2%(1922年まで)」へ負担保険料率を引き上げるとともに「所得代替率の引き下げ/現行59% → 41.1%(1941年まで)」を実行して、支給年金額を引き下げなければならないからです。


このような観点からすれば、参院選対策のリップサービス合戦の流れの中で、これまでの「国家管掌年金制度」で起こった<消えた年金問題>を徹底解決することは日本政府として至極あたりまえのことです。従って、その1年以内の解決を国民へ約束することが政権与党の手柄(あるいは大きな実績)であるかのように過剰にアピールすること自体が、日本国民に対する裏切り行為であり、我われを小バカにした話に見えてくるはずです。そして、なによりも国家の主権者たる国民に対して無礼な話です。


ともかくも、日本の未来を支える若い年代層の年金財政に対する信頼をシッカリと確実に回復するために、日本政府が真っ先に取り組むべき肝要な政策課題は、将来にわたり維持可能な「年金財政」と「所得代替率」の具体的シナリオをこのように冷静な観点から設計し直し、詭弁やウソやゴマカシを避け、誠実な態度で公表することです。今のままでは、「老後に没落するしかない日本の中間層」が着実に増え続けることとなります。


(2)日本社会に適応した「積極的労働市場政策」(デンマーク・モデル=フレキシキュリティ等を範とする)を具体化すること


フレキシキュリティ(Flexiculity)は「Flexibility」と「Security」から創られた新しいコトバです。今やEU欧州連合)における雇用問題に関する議論では無視できない重要な概念となっています。具体的には、1993年からデンマークで取り組みが行われた「労働市場改革=積極的労働市場政策」(デンマーク・モデル)に対する呼び名として使われています。それはグローバル原理主義のネガティヴな部分(副作用)を緩和・抑制する一方で、積極的にグローバリズムのアクティヴな部分(経済活性化への刺激となる点)を生かそうとする試みと見做すことができます。


2006年10月20日、非公式ながらEUの政労使各界の代表がフィンランドのラハティ(Lahti/南部に位置するフィンランド第4の都市)に集まり「フレキシキュリティと今後の欧州労働市場」をテーマとする「ソーシャル・サミット」が開かれました。集まったのはフィンランドのマッティ首相、同労働・社会保障担当大臣、EU委員会委員長、同社会問題・機会均等総局コミッショナー、欧州労連(ETUC)会長、同事務局長、欧州産業経営者連盟、ドイツ副首相・ポルトガル首相らで、そこでの共通認識は“今後のヨーロッパで良質の仕事を増やすにはフレキシキュリティデンマーク・モデル)で変化を起こす必要がある”ということです。


フランスのサルコジ新大統領は、大統領に就任する直前に労組代表と会談を行っており、就任早々にはドイツを訪ねてメルケル首相とEUにおけるドイツとの強い絆を確認しましたが、そこでは、当然のことのように「ヨーロッパにおける雇用喪失への懸念拡大の防止」と「拡大EU憲法(案) → 改憲条約への名称変更」のための下地が話し合われています。大統領選挙前の報道では「サルコジ=強者重視型のアメリカ型グローバル市場主義、ロワイヤル=弱者保護型の福祉重視」という分かりやすい構図をメディアが煽った節がありますが、サルコジの政治(=サルコジの実験)をそう単純なものと看做すことはできないようです。


ストレートな情報は未だ持っていませんが、2006年9月に政権交代した(社会民主党から)ばかりのスウェーデンの中道・右派政権が雇用・自立支援型へ傾斜しつつあることとサルコジ流の新雇用政策がフレキシキュリティを介して接点を持つ可能性があると思われます。さらに、地球環境問題なども視野に入れるとブッシュ政権アメリカが進めてきた攻撃的なグローバル市場原理主義もその内部から変質を迫られているようです。


例えば、その予兆はサルコジ社会党の大物であるベルナール・クシュネール(「国境なき医師団」の創設者)を外務相に推薦・起用したこと、同じくサルコジが新しいIMF理事長候補として社会党右派の大物ストロスカーン・元仏財務相を推薦したことなどに現れています。IMFの「総会会長はアメリカ、理事長は欧州」の構図は慣習として認められてきたことですが、その事務方のトップである理事長に仏社会党の大物が起用されたことは、IMFの仕事が従来の“カネ貸し型業務”から“サーベイランス型業務”(モラルハザード監視型業務)へ軸足を移しつつあることの現われと看做すことができます。


また、アメリカにおけるクライメット・アクション・パートナーシップ(United States Climate Action Partnership: USCAP)による地球環境問題への新しい取り組みなどへも、間接的ながらフレキシキュリティ(従来の市場原理主義が“意識的に排除してきた負の外部費用(Negative External Cost)”の問題に真正面から対峙する姿勢)は無視できぬ影響を与えつつあると看做すことができます(USCAPについては、7/8付NHK番組・BS1『地球特派員2007』、http://www.nhk.or.jp/bs/tokuhainを参照)。また、これはブッシュ勢力へ反攻するパワーの一つの核となっているようです。


ただし、フレキシキュリティの概念は未だ十分に確立したものではなく、一つの方向付けに関する共通理解のレベルである点にも十分に配慮する必要があります。ここでは、簡単にフレキシキュリティの最初の実践と看做される、1993年から行われてきたデンマークの「労働市場改革=積極的労働市場政策」(デンマーク・モデル)の概要を纏めておきます。


労働市場の特徴
・・・デンマーク労働市場の特徴は、フレキシビリティが高く(解雇しやすく、辞めやすい)解雇された労働者は失業者となるが、その失業者は手厚い福祉制度のフレームへ移り、その充実した失業給付を受けて所得を保障される。失業者は、十分な失業給付を受けながらの求職活動を通して新しい職を得て労働市場へ戻る。


●積極的労働市場政策
・・・その最も肝要なポイントは「単なる雇用創出の掛け声ではなく、政治・行政・アカデミズム及び企業が責任を持ち適切な政策を実施してこそ、新しい雇用が生まれる労働市場環境が確保できる」という認識である。この点にこそ「地球環境対策に通じる問題意識」が潜んでいる。分かりやすく言うなら、例えば安易で無責任な「社会的排除」(Social Excluion/英国ブレア政権は、このマイナス面が世代間に引き継がれると認識して「社会的包摂」(Social Inclusion)を対策として打ち出し、それはブラウン政権へ引き継がれている/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070228)は、却って遥かに高い費用となって社会システム全体と行政・企業側へ伸し掛かってくると理解すること。


●雇用を求めるための動機づけ
・・・失業者が積極的に雇用を求めるための動機づけが最も重要なので、必要な技能資格を持たせるための様々な工夫への取り組みが行われている。例えば、技能の修得にとどまらず、技能のメンテナンスも実施している。ここでは、例えば日本の「YESプログラム(若年者就職基礎能力支援事業)」(参照、http://www.mhlw.go.jp/general/seido/syokunou/yes/)のような、若年者たちへ提供する授業・講座内容など実際のサービスの質とレベルはともかくとして、リベート稼ぎの旨味だけを狙うコンサル機関や専門学校などへの<無責任な丸投げ>は行われておらず、遥かに緻密なフォロー体制によって政府自身が責任を持つ仕組みとなっている。


フレキシキュリティの概念が未成熟だということの他に更に留意すべき点があります。それは、「フレキシキュリティのあり方」にはそれぞれの国の事情に応じて様々な形があって然るべきだということです。人口、人口構成と産業構造の特徴、移民流入の現況、歴史・文化・宗教的な諸条件などの違いがあって当然なように、「フレキシキュリティのあり方」そのものが多様性を認められるべきだということです。例えば、ノルウェーの場合は「徹底した男女平等政策への挑戦」を掲げながらフレキシキュリティ的な雇用政策に取り組むとともに、多岐にわたる労働関係の法律を充実させて「世界一豊かな国」(国連開発計画における人間開発指数で、5年連続・世界ナンバーワン)を実現しています(情報源:Sustainable Scandinavia Vol.18、発行=スカンジナビア政府観光局、2007.3.20)。


(補足)


フレキシキュリティ概念の原点と見做せる「オランダ・モデル(ワッセナー合意、1982年)」のトピックス(概要)


《1982年11月、オランダでは「ワッセナー合意」(=オランダモデルの基となる労使間の合意)が結ばれた。ワッセナーはオランダ経団連会長の自宅がある場所の名称で(ハーグの北、約40km)、ここに首相、経営代表、労働団体らの幹部が集まりオランダ・モデルの基本となる三者合意を締結した》


労働団体は賃金抑制に協力する(それまでの不況下での過剰な賃上げを抑制)


●使用者団体は、雇用を拡大しつつ時短を実現する(ワークシェアリングの実行)


●「同一労働同一賃金」の原則で労働市場の柔軟化を図る(『差別禁止法』を制定して、正規労働者と非正規労働者の全ての壁を取り払う/賃金・労働時間・有給休暇・解雇条件・特別休暇・育児休暇・失業手当・年金・試用期間などの全てを平等に扱う/格差拡大への歯止)


社会保障制度の見直し(給付中心の社会保障から雇用中心の社会保障への見直し)


●IT革命による雇用拡大可能性(Employability)の具体的追求(業務のIT化による省力と併行して全く新しいビジネスの可能性を探り、IT革命と新たな雇用拡大を絶えずバランスさせて「IT革命→雇用喪失」のバカげた負の連鎖を断ち切る/IT(機械、メカ)が主役ではなく、生身の人間が主権者だという発想へ転換する)


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最後に余談を付け加えておきます。参院選の結果がどうなろうが、“美しい国”という美名の下で“汚い政治”をやるという根本的な部分で国民を欺くような「偽装政治」(ホンネでは国民主権を否定するという民主主義の根本にもとる偽装極右政治)が通用する時代ではないこと(これは、グローバリズムと情報公開を求めるパワーの効用)を日本の政治家は肝に銘じるべきです。また、本物の議会制民主主義が国民の中に定着するには、どこの国でも途方もない時間がかかることも再認識すべきです。そして、再度、それを19世紀以降のドイツの歴史から学ぶべきです。


19世紀における国家統一のプロセスではプロイセン主導の権威主義的なドイツ帝国プロイセン帝国いらいの外見的立憲君主制)へ極端に傾き、次にその崩壊から生まれたワイマール共和国(1919)は先端的な民主主義の実験(時代に先駆けた国民主権主義に沿った共和政憲法の定着)に失敗してナチスヒトラーという『右翼ポピュリズムの悪魔』(格差拡大と中間層の没落・破壊が大きな原因の一つ)を呼び出してしまいました。


その苦い経験から、第二次世界大戦後のドイツ(西ドイツ)は、ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz fuer die Bundesrepublik Deutschland、1939)に基づく徹底した議会中心の間接民主主義体制を採ってきましたが、同時に、ドイツでは1960年代の若者たちの反抗や緑の党などに代表されるような市民レベルから芽生えてくる様々な少数意見にも十分配慮するための工夫と努力(少数意見の尊重と中間層の育成努力)が積み重ねられて現在に至っています。


この流れから見えるのは、「ワイマール憲法」で書かれた先鋭的な民主主義の知恵が30年の時間と多くの悲惨な犠牲を費やして「ドイツ連邦共和国基本法」の中へ流れ込み、それから約70年を経て漸く「EU改憲条約」の形で、民主主義の根本である「中間層」の没落と格差拡大を防ぐべきだという意思(=グローバル市場原理主義の負の側面としての右翼ポピュリズム台頭を抑制する意思)がヨーロッパ全体で共有されつつあるということです。つまり、「ワイマールの理想」は、人命等の膨大な犠牲と100年の時間を費やして、漸く、世界の人々に認識されようとしている訳です。そして、これはテロリズム拡大の危機を抑制するためにも大切なことなのです。


(ローテンブルク・オプ・デア・タウバー史の概要)


ローテンブルク・オプ・デア・タウバー(Rothenburg ob der Tauber/タウバー川を望む丘の上にある“赤い城”の意味)は、ロマンチック街道の出発地・ビュルツブルク(Wuerzburg)から数えて8つ目に当たる街ですが、この街道沿いで最も人気があり、毎年、世界中から約400万人を超える観光客が訪れる美しい街です。


それは25の塔と城壁に守られた中世ドイツの城塞都市の景観が、ほとんど中世の佇まいのまま残されているからです。無論、ここローテンブルクも1945年3月の連合国軍の空爆でかなりの部分が破壊されましたが、今はほぼ全てが修復されています。現在のローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、バイエルン州ミッテルフランケン(Mittelfranken)に属しています。


ここローテンブルクの地名が歴史資料に初めて登場するのは、ザクセン朝(Sachsen)オットー1世(Otto 1/国王位912-973/中世ドイツ王国で最初の王朝の第二代の王/962年、神聖ローマ皇帝位を戴冠)の970年です。オットー1世の封臣であるラインガー(Reinger)と名乗る豪族がタウバー川に突き出した崖の上に城塞を築いたとされています。


この豪族の家系が11世紀に途絶えると、その城塞は国王の手に戻りますが、1116年にはザリエル朝の皇帝ハインリヒ5世(Heinrich 5/皇帝位1111-1125)が、自らの甥にあたるコンラート(Konrad 3/国王3世位1138-52/ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ帝国初代君主/正式なローマでの戴冠は受けていない)へ城塞を与えます。やがて、コンラートが国王(コンラート3世)になると、この城塞は政敵ヴェルフ家(Welfen)に対抗する重要拠点となります。


1172年、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサ(Friedrich 1 Barbarossa/位1152-1190)の保護下でローテンブルクの市街地(集落地=ローテンブルク)が発生しており、このローテンブルクは皇帝から都市の特権を認められ、やがて大空位時代(1254-1273)を経たあとの1274年にはハプスブルク朝の神聖ローマ皇帝ルドルフ1世(Rudolf 1/位1273-1291)から帝国都市の特権(帝国直属の自由特権)を与えられます。


14世紀末〜15世紀初め頃にローテンブルクは都市発展の最盛期を迎えますが、やがてニュルンベルクやビュルツブルクとの争いに敗れます。ドイツ農民戦争(Bauernkrieg/1524-25)の時には農民側に味方したため敗戦後にアンスバッハ辺境(F・stentum Ansbach)伯から厳しい仕置きを受けています。ローテンブルクが宗教改革を受け入れたのは1544年からですが、プロテスタント側に立った三十年戦争(1618-48)では、カトリックバイエルン軍のティリー将軍(Johann t'Serclaes Graf von Tilly/ 1559-1632)が指揮する皇帝軍に敗れています(参照 → 『市参事会宴会場(Ratstrinkstube)の仕掛時計』)。


その後のローテンブルクは殆ど忘れられた存在となり、1802年以降はバイエルン領へ編入されています。しかし、この近世における停滞期がローテンブルクの中世都市としての個性的な美しさを後世へ残すことになった訳です。そのため、城壁に囲まれた街並みは、今でもここを訪れる人々へ中世へのロマンをかきたてる絶好の舞台を提供してくれるのです。


市街地を囲む城壁付近の光景


市参事会宴会場(Ratstrinkstube)の仕掛時計


一枚目は尖塔が立つ市庁舎で、仕掛時計はその右手の市参事会宴会場の建物にあります。このゴシック様式の市庁舎と約60mの鐘塔は1250〜1400年に建てられたものです。


1631年(三十年戦争の時)、ローテンブルクへ進入した旧教側のティリー将軍が“約3リットルのワインを一気飲みできる人物がおれば、この街の破壊をやめる”という条件を出したため、市長ヌッシュがこれに応じて、見事にローテンブルクの破壊を免れたという史実を記念して、この仕掛時計は作られました。左がティリー将軍、右がヌッシュ市長で、午前11時〜午後3時まで一時間ごと人形が動きます。


ヤコブ教会(St.Jacobs Kirche


ローテンブルクの聖ヤコプ教会は、1311〜1485年に盛期ゴシック様式で建てられたプロテスタントの教会(1544年〜、それ以前はカトリック)で、その規模は中世におけるローテンブルクの繁栄を偲ばせるものとなっています。


この教会でもっとも有名なのは、後方の西内陣の上階にある聖血祭壇(Hl.Blut Altar/四枚目、五枚目)で、この祭壇は聖遺物を納めるためヴュルツブルクの大彫刻家リーメンシュナイダー(Tilman Riemenschneider/ca1460‐1531)によって作られたものです。


ヤコブ教会内にあるリーメンシュナイダーの彫刻「最後の晩餐」


リーメンシュナイダーは、ビュルツブルクでは市会議員や市長もつとめた人物ですが、ドイツ農民戦争(Bauerkrieg/1524-25)に加担したため名声と社会的地位を失墜し、以降は歴史から忘れ去られてきました。しかし、19世紀に墓碑が発見されて、再び歴史上に登場しました。


石彫も手がけましたたが、素材の柔らかさを生かした木彫の分野でドイツ彫刻を代表する存在です。その代表作はローテンブルクの聖ヤコプ教会の『最後の晩餐』を中心とする作品群(ca1505)とローテンブルク周辺のいくつかの教会にある祭壇彫刻です。


リーメンシュナイダーが活躍したのは、美術史的にはアルブレヒト・デューラー(Arbrecht Duerer/1471-1528)とほぼ同時期のドイツ・ルネサンス時代ですが、その内観的で敬虔な深みをたたえた宗教感情は、むしろ、それ以前のドイツ・ゴシック的な雰囲気を持っています。


マルクト広場(Marktplatz)の風景


ケーテ・ウォルファルト (Kaethe Wohlfahrt)


ドイツの人々にとってクリスマスは1年を締めくくる最も大切な行事です。そして、彼らが特に楽しみにしているのがクリスマスの日まで約4週間続くクリスマスマーケットです。ここは、市庁舎のすぐ前にある世界的に有名なクリスマス専門店、ケーテ・ウォルファルトですが、この店では一年中クリスマスの品物を販売しています。


ローテンブルクの風景、ア・ラ・カルト