toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

真夏の夜の夢『怪談、寄生虫が取り憑いた美しい国の呪縛』からの展望


スーヴェニール、ドイツの風景(ハイデルベルク


[神経衰弱の寄生虫が取り憑いた美しい国の現況]


朝青龍が神経衰弱になり、吉田拓郎男性更年期障害になったというホットな事例もあるので、ここでもう一度、我われ日本人は<参院選の歴史的大敗→内閣支持率10%台が目前>の事態に至っても『宰相の座にしがみつく安部なる人物が“本物の人間”であるというアナロジカルな意味での常識問題』を根本から疑っておいた方が良いと思われます。仮に、それが比喩的な意味でしかあり得ないとしても・・・、ひょっとすると、これは正真正銘の神経衰弱の『寄生虫』が取り憑いた美しい国の業病がますます重篤化する兆候であるのかも知れないからです。つまり、この奇異な兆候は、かの「昭和の妖怪」(参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B)が直系の安部へ照射し続けてきた「美しい国」という“カルトがかった危険な隠喩の呪縛”が一種の悪性腫瘍へ変性した可能性があるということです。


国政の根本で最も肝要なのは社会政策の方向性を決定する社会観ですが、それは一般に「観念的比喩」から出発するものです。人間の創造的な発想の根本には是非を問わずそのような特徴があるという現実は否定できないはずです。従って、安部が「美しい国」なる比喩、つまり特定の抽象的観念(←従って、これが科学合理性によって裏付けられる必要性はない)を自らの政策決定の根本に据えたことそれ自体は格別に奇異なことではありません。問題は、その比喩の内容です。問題なのは、それが“人間一般に対して慈愛に満ちたものか、戦争よりも平和を願うものか、人権を尊重するものか、主権在民の方向性を見ているものか”ということです。


例えば、カトリック教会には“蜜蜂とロウソク”の比喩によって神を讃える『エクスルテット(exultet)』(“いざ天上の天使たちよ、歓喜し飛翔せよ・・・”で始まる)と呼ばれる重要な典礼式文があります。これは、7世紀頃に確立した復活祭における『ロウソク奉納の讃歌』です。この讃歌が成立するまでには<古代ローマプリニウス)以前〜東方神学の教父たち(アレクサンドリアのクレメンスら)〜西方ラテン神学(アタナシウス、アンブロシウスら)〜初期中世典礼『蜜蜂とロウソクへ(その蜜蜂がつくる蜜ロウが原料)の讃歌』>という長い歴史があり、その後も、この比喩は12世紀の神学者サンヴィクトルのフーゴーらによって洗練されてゆきます。


実はこの“蜜蜂とロウソク”の比喩には、科学的な観点からすれば決定的な誤解があります。それは、“蜜蜂が処女生殖をする”ということを前提としているからです。つまり、古代いらい蜜蜂は処女生殖で子孫を殖やすと信じられ、それ故に蜜蜂と蜜蜂が作る蜜ロウ及びそれから作られるロウソクが貞淑の観念と結びつき、それがキリスト教的な敬虔さと結びついたのです。他方、女王蜂と雄蜂が空中の高い場所で交尾することが科学的観察で知られたのは近代になってからです。


しかしながら、だからといって『エクスルテット(exultet)』の典礼式文がカトリック教会での重要な意義を剥奪されることはあり得ません。なぜなら、“蜜蜂とロウソク”の比喩では天上の神への敬虔な思いと人間一般に対する深い慈愛の探求ということが前提されており、そのような前提の下で教父・神学者・修道僧らによる深遠な思索とカトリック教会による真摯な実践が積み重ねられてきたという重い歴史があるからです。


一方、安部の「美しい国」の比喩は「昭和の妖怪」の不吉な呪縛の影響(カルトの空気)を色濃く継授したことが疑われています。とても、これが“人間一般に対する深い慈愛と何よりも先ず国民一般の立場を考えることが前提された観念である”とは思えないだけの理由があるのです。それは、下記資料[傍証1、傍証2]をご参照ください。


(傍証1)


2007-06-09付toxandoriaの日記、<寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070609


(傍証2)


2007-07-10付toxandoriaの日記、赤城・安部らアホ寄生虫の大ウソで世界に150年遅れる「美しい日本」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070710


[展望]


ところで、「H19年経済財政白書が<格差是正へ支援、経済財政白書が「負の所得税」など提言>」というニュース(読売新聞、ネット・ニュース、http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070807it03.htm)があります。それによると、当白書は、経済学の一般学説(トリクルダウン仮説(参照、下記▲)など)に反して1980年代以降の日本は市場経済型の米国、英国、カ ナダと同様に経済成長と同時に格差が拡大しており、一方、フランス、ドイツ及び高福祉国家の北欧諸国では成長が進んでも格差はほとんど拡大しなかったと分析しています。


▲トリクルダウン仮説
・・・現在の「主流経済学派の教義」となっている“経済成長の果実は、必ず貧者にも滴り落ちる=市場原理主義による豊かさは貧困を解消する”という、あまりにもワン・サイドで素朴すぎる観念であり、これは経済学説というよりも、むしろカルト信仰に近い。これに基づく市場原理主義政策は、小泉劇場竹中平蔵らによって本格的に導入された。


<注>米国・ブッシュ政権一辺倒ぶりを国民から拒絶された英国のブレア政権は、市場経済主義ながらも格差是正に関しては様々な改善・工夫、「ニュー・レ−バー政策」を講じており、これはブラウン政権によって引き継がれている。この詳細は、下記資料●を参照。


山口二郎著『ブレア時代のイギリス』(岩波新書


また、同白書は、各国の統計を元に社会保障制度と税金によって高所得層から低所得層へ移転した所得の再分配効果を調べた(2002年統計による)ところ高福祉・高負担で知られるスウェーデン所得再分配効果が36.5%に対して日本は23.5%だったと分析し、欧米諸国が採用している次の二つの格差是正策への早急な対応が求められることを指摘しています。


(1)課税と社会保障制度の見直しによる所得再分配機能の向上


(2)社会保障給付と所得税制を組み合わせた新たな仕組みの導入


実は、このことは「toxandoriaの日記」が下記の記事で示した方向性と重なります。


2007-07-23付toxandoriaの日記、2007年春、ドイツ旅行の印象[ローテンブルク編](副題/『中間層の没落』に歯止をかけるため、参院選後に見据えるべき二つの視点)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070723


(1)維持可能な「年金財政」と「所得代替率」の具体的シナリオを早急に設計し、公表すること


(2)日本社会に適応した「積極的労働市場政策」(デンマーク・モデル=フレキシュキリティ等を範とする)を具体化すること


一方、2007.8.7付・日本経済新聞の分析報道によると、参院選の大敗にもかかわらず安部政権が居座ったことで「規制緩和と労働者保護の路線の隔たりが拡大して、日本の雇用ルールが迷走する可能性がある」ことを指摘しています。この悲劇的な矛盾を解決するには、いさぎよく「美しい国」の羊頭を引き下げて安部が退陣し、今の自民党の政策理念部分に修正を加えるか、あるいは民主党へ政権を引き渡すしかありません。そして、実は、今回の参院選で示された“民意”の大勢は、ほぼこの部分に重なっていると考えられます。


つまり、それにもかかわらず、この部分に関する“民意”が安部には全然理解できないか、まったく聞く意志も、それを聞き取る能力もないということです。一方で、安部の「美しい国」の比喩が「昭和の妖怪」の影響を色濃く継授したものであるとするならば、その理念の根本で不気味な“とぐろを巻く”のは、“人間一般に対する深い慈愛と何よりも先ず国民一般の立場を考えることが前提されるような観念”の正反対にある「劣等処遇の原則」(参照、下記▲)であり、「富国強兵」であると考えられます。


▲劣等処遇の原則
・・・1834年の英国「救貧法」(及び1848年の同「改正・救貧法」)で定められた“福祉サービス利用者の生活レベルは自活可能な勤労者の平均的生活水準よりも絶対的に低くなければはならない”という、18〜19世紀における救貧事業上の<驚くべきほど単純で明快な差別概念>による原則。このような誤謬への否定的理念(=基本的人権法の下の平等/日本国憲法では第11条、第14条)が、形だけにせよ漸く実現したのはワイマール憲法(参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%86%B2%E6%B3%95)においてである。


例えば、この「劣等処遇の原則」を前提としていた、わが国における第二次世界大戦前の高齢者福祉にかかわる概念では、65歳以上の高齢者はすべて『老衰者』であり、あるいは若者たちは何よりも先ず『美しい国を守るべき屈強な戦力(兵士たち)』であったのです。これは神を讃える『エクスルテット(exultet)』(“いざ天上の天使たちよ、歓喜し飛翔せよ・・・”で始まる)どころか、まるで魔界を讃える『エクスルテット(exultet)』(“いざ冥土の悪魔たちよ、歓喜し飛翔せよ・・・”で始まる)です。


ついでながら、<『格差拡大と中間層の没落』に歯止をかけるため、参院選後に見据えるべき二つの視点>を実現するための新しい社会政策で重要となるキーワードは、消費税問題、フレキシキュリティー(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070723)、給付付き税額控除(または勤労所得税額控除/米EITC(Earned Income Tax Credit)、英WFTC (Working Family Tax Credit))、ワークフェアー(Workfare)、新しい官僚(制)の役割(官僚バッシングではない)、環境リスク・コミュニケーション(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070801)などですが、これらについては稿を改めて考えるつもりです。


なお、当記事は、下記のブログ記事「newsmemo@sarutoru」★で「toxandoriaの日記」を取り上げて頂いたことが切欠となりできたものです。@sarutoruさまからは、給付付き税額控除とワークフェアーについて貴重な示唆を賜りました。@sarutoruさまへ御礼を申し上げます。


★newsmemo@sarutoru・[social policy]H19年経済財政白書/格差是正へ支援、経済財政白書が「負の所得税」など提言 :(読売新聞)、http://d.hatena.ne.jp/sarutoru/20070807