toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

美しい国が煽る「死のバブルの増殖」と国民主権の後退


[注記] 


●当記事の主な部分は、一旦、[toxandoriaの日記/2007年春、ドイツ旅行の印象・最終回/フランクフルト・アム・マイン編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070817]の「絵画解説」と「プロローグ」の部分で書いたものとほぼ重なります。


●しかし、先の記事では「フランクフルト旅行の印象」という標題の制約からその焦点がボケてしまったので、若干の修正と新しい関連情報を補足し関連部分のみを抽出し、改題した上でUPしておきます。


●8/17のNHKニュース(参照、http://www3.nhk.or.jp/news/2007/08/18/d20070817000002.html)によると、安倍総理が掲げる「美しい国」が分かりにくいので、「美しい国」を、「文化や伝統を大切にする国」「自由と規律の国」「技術革新で新たな成長と繁栄を歩む国」「世界に信頼され、リーダーシップのある国」の4つに位置づけた上、国家戦略本部にテーマごとの小委員会を設けて、実現に向けた中・長期的な取り組みを議論することにしたそうです。


●それは、それで結構なことかも知れませんが、今回の参院選で「美しい国」が国民の総意によって否定されたことを思い起こせば、これは可笑しなことです。しかも、一方では安倍総理自身による具体的な反省のコトバは放置されたままです。


●その上、冷静に想起してみれば、「美しい国」を巡るドタバタ劇場の中で最も長引き多発し、これからも長く継続しそうな問題は、けったいなスポットを浴びた“マダム・スシなる小池防衛相”が奇しくも象徴するように、その多くが何故か防衛省をめぐるものであることが分かります。そこで妖しく蠢くのが「美しい国」の美名に透けて見える「死のバブルの増殖」(=「防衛省利権」/日本は、米・中国・ロシアに次ぐ、世界で第4位の軍事(軍需)大国/参照、http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070814_military_spending/)ということです。


●それでも飽き足らず、安倍首相は、8/19からのインド等への外遊で“かつての日本軍国主義の名誉回復と正当化”のために故パル判事(東京裁判で、ただ一人だけ、東条英機元首相ら被告25人の全てについて“無罪”の意見を書いた判事)の遺族に会って“美しい国”の実現のために駄目押しをするつもりのようですが、このパフォーマンスにも「死のバブル」を増殖させようとする意図が漂っています。


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【“資本主義の暴走”を制御する視点の再発見の必要性(フランクフルトの近代史に学ぶ)】


ヨハネス・フェルメール『地理学者』

Johannes Vermeer(1632-1675)「The Geographer」 1669 Oil on canvas 52 x 45.5 cm Staedelsches Kunstinnstitut 、Frankfurt


このフェルメールの絵『地理学者』は、フランクフルト市民が誇りにしているシュテーデル美術館(Das Staedel/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070817)に所蔵されているもので、その奥の壁にあるフェルメールの署名の下に書かれたローマ数字(壁の右上の部分)から、その製作年(1669)が分かります。この絵のテーマはレンブラントなども描いているヨーロッパ伝統の「書斎の学者」です。そして、これはフェルメールにしては珍しく男性一人を描いた絵としても有名です。知られている限りでのフェルメール全作品、37点の内で男性一人のテーマで描かれたものは、『天文学者』(1668、ルーヴル美術館・所蔵)と、この絵の二枚だけのはずです。


この絵の空気にはフェルメール特有の静謐さとともに“不思議な活気”が満ちています。それは、科学的な眼差しと鋭敏な感受性を持つ冷静な地理学者が手にコンパス(合理性を測るツール)を持ち、ジッと窓から入ってくる光の方を見据えているからでしょうか。また、その奥の棚の上には地球儀(客観的に観察するツール)が置かれ、壁には海図(正確に進路を決めるツール)が掛けられ、見事な図柄のカーペット(美的感性の象徴)が掛けられた机の上には大きな地図(自らの立ち位置とバランス感覚を維持するツール)が広げられているからでしょうか。このカメラ・オブスキュラを覗いたような小さな画面(52 x 45.5 cm)の内側には、フェルメールの卓越した描画法がとらえた“地理学者の生きいきした精神”が満ちています。


それはともかく、このフェルメールにしては珍しく“不思議な活力に満ちた地理学者の絵”がフランクフルトのシュテーデル美術館が所蔵することは、あることを象徴するかのようで不思議な感じがします。その“あること”とは、後で詳述するように(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070817)、フランクフルトは現代資本主義の出発点の一つと看做すことが可能な、近代グローバリズム金融・経済の出発地であるということです。そして、これは一般にあまり意識されていないことですが、近代におけるフランクフルトのグローバリズム金融・経済が揺籃期を迎えたのは、丁度、ここで生まれたゲーテが27歳に至るまでの青春時代を送った時期に重なるのです。


ゲーテが生きた18世紀半ばから19世紀前半にさしかかる時代は、ドイツが、三十年戦争(1618-1648)以後に起こったフランス革命の余波(影響)を受けて、中世以来の領邦小国家体制と神聖ローマ帝国の支配に終わりを告げる時であり、それは国民意識に目覚めたドイツの市民ブルジョアたちが民主国家を目指して本格的に歩みだした変革と激動の時代でもありました。また、このような時代のフランクフルトで多感な青春時代を送ったゲーテが、後に国際条約による世界平和の実現を夢見るようになったこと、そして、やがてそれがワイマール憲法国際連盟国際連合の実現に繋がったことも思い出すべきでしょう。


そもそも、地理学(≒地政学)は水分布、大気空間、対流圏、森林分布などの自然環境という物理的存在とともに人口・産業分布などの人文・社会的なものも対象の中に含むことから人文・社会科学と自然科学という両面の性格を有しています。そして、科学的な地理学の源流が19世紀初頭のドイツで起こり、アレキサンダー・フォン・フンボルト(Friedrich Heinrich Alexander, Baron Von Humboldt/1769-1859)とカール・リッター(Karl Ritter/1779-1859))の二人がその代表者であること、そして彼ら二人が“近代地理学の父”と称えられていることも想起すべきです。


その上、地理学の特徴は、それが、どんなチッポケな島や地域にも我われと同じような人間が住み生活していることをリアルに実感(理解)させること、そして、そのような認識は少数意見や、どんな小さな声にも耳を傾けるべきことの自覚に繋がるということも押さえておくべきです。恰も、これはフェルメールの点綴法(てんてい法/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050322)などの、科学的であると同時に精緻で繊細な感性をも大切にする絵画技法に繋がるものがあります。


また、結局は失敗に帰したとはいえ、1848年の3月革命(フランスの二月革命(1848)の影響で、ドイツ連邦各地で起こった自由主義民族主義的な革命運動)のあと、ドイツ史上で初めての選挙に基づく代表者によって、国民の基本権と民族の統一が論じられた「第1回ドイツ国民議会」(フランクフルト国民議会、Frankfurter Nationalversammlung/憲法制定、自由主義ドイツ統一などを討議したが、結局、オーストリアプロイセン両有力君主国の支持を得られず頓挫)が、ここフランクフルトで開催されたことも重要な出来事です。


このように見ると、実は「第1期グローバル市場経済の時代」(18・19世紀〜第一次世界大戦までの間に進んだグローバル経済の時代/この間、軍事費拡大の国際的な制御の失敗が第一次世界大戦に帰着した/資本主義を冷静に見ていたケインズは、このような着眼を示している)の嚆矢の頃は、まさにドイツにおける先進的な民主主義思想の発達期と重なっており、そこで意識されていたのは「市場経済主義による平和の実現」と「適切な資本主義の管理・コントロール」ということであり、その根本で意識されていたのは「適切な地政学的視点≒冷静な地理学者の眼」ということでした。そして、翻るに今や我われは、まるでリバイアサンのように暴走する、グローバル市場経済へ傾斜した資本主義の前で立ち往生し途方に暮れています。


例えば、アメリカのサブプライムローン問題(同ローン残高=約150兆円/出典:2007.8.16付・日本経済新聞)から始まった世界の金融・証券市場の動揺(同時連鎖的な暴落)は、現時点では容易に収まる気配がありません。言ってしまえば、これは複雑な証券化の手法(違法性スレスレの)によって必然的に生じた巨額の不良債権のツケ回し(一般の投資家を操る人為的な金融バブル演出)の問題です。そのため、何処で、誰が、どんなババを掴まされるかという疑心暗鬼の空気が膨れ上がり、それが金融商品の垣根を超えて連鎖的に広がってしまったものです。同じようなことが、実体経済の分野でも深く潜行し、臨界点で間歇的に(見かけ上は突発的に)顕在化しながらも、結局、その本質的な傾向は拡大するという現象が生じており、これも一種の市場原理主義のバブル的暴走がもたらすモラルハザード現象と看做すことができます。


日本で言えば、それは、かつてのライブドア事件村上ファンド事件であり、比較的新しいケースでは耐震偽装事件、コムスン事件に見られるような偽装製品・偽装サービス等の販売・提供という非常に悪質な事例があります。あるいはミートホープ(偽装食肉)事件、中国発・有害食品等の意図的混入など、一般の善良な消費者を根底から欺く、この類のモラルハザードの事例は枚挙の暇がないほどです。そして、その中で最も深刻なものが、アメリカを筆頭とする世界的な「軍事費の拡大競争が戦争を誘う」という意味での“死のバブルの増殖”です。


この“死のバブルの増殖”はグローバリズム経済と連動した<戦争の民営化の深化>という形で一般の経済活動の中へ浸透し我われの身近な所へ迫りつつあります。そして、わが国における直近の防衛省を巡る一連の不自然な動き(=テロ特措法延長への強引なバイアス、防衛庁防衛省昇格、久間・防衛相の“しょうがない発言”、与党政治家の日本核武装論、小池・防衛相の異様に高揚したマダム・スシ発言、次官人事を巡る同・防衛相周辺のドタバタ劇、あるいは元・ヒゲ隊長の「駆けつけ警護」発言、云々・・・)の背後には、この“死のバブルの増殖”がもたらす「防衛省利権」(日本は、米・中国・ロシアに次ぐ、世界で第4位の軍事(軍需)大国/参照、http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070814_military_spending/)を巡る苛烈なパイの奪い合いの存在を窺い知ることができます。


つまり、このような一連の“不可思議(不自然?)な動き”の陰では「防衛省利権」(武器等軍需品、石油・核エネルギー資源、医薬品・食料品などに関わる)の熾烈な争奪戦が、言い換えれば「わが国における“戦争の民営化”の深化と経済市場における防衛関連産業の裾野の広がり」に伴う“防衛省利権”をめぐるドス黒い闘争と談合などの主導権争いが繰り広げられているということであり、そこからは不穏で不気味な黒煙が立ち昇っています。しかも、憲法9条を巡る改憲論議(←「戦後レジームからの脱却」と「美しい国の実現」への必須ステップ)に関連するかのように、メジャーな財界人の一角からは、まるで18〜19世紀の砲艦外交の時代へ先祖返りしたような「経済戦線を勝ち抜くための自衛隊による護衛活動を視野に入れた9条放棄論」が出てくるという始末です。


恐らく、このままでは再び「第1期グローバル市場経済の時代」の帰結として第一次世界大戦へ向かった悲劇的な大戦争勃発への流れの繰り返しとなる可能性があります。ひたすら「理念的平和論」を説いても一般国民の耳になかなか入りにくいという厳しい現実がある以上は、些かでも平和の実現について理想を持ち、かつ冷静で理性的な精神環境と『フェルメールの地理学者』のようなバランス感覚を持ち前とする経済学者が、もし存在するならば、これまで述べたような意味で「資本主義による平和の実現」(平和経済論)を可能とする理論を、一般国民に対して、もっと熱心に分かりやすく説明すべきだと思います。そこで、押さえるべきキーワードは、人口爆発問題、格差問題(富の偏在)、食糧問題、資源問題、投機バブル、モラルハザード、地球環境、民営化の限界、政府の役割、官僚の役割、経済制度論(環境リスクコミュニケーション論からの再検討)等々です。


むしろ、このような意味では、今や中国で活発化しつつある、急速なグローバル市場経済化の落とし子と看做すべき<二極化=貧富格差の拡大>を巡る「新由主義派」VS「修正・新自由主義派」の新たな対立論争(参照、http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/051024gakusya.htm)こそ注目すべきかも知れません。もはや、中華人民共和国の「共産主義」は外見的な“羊頭の看板”に過ぎず、かの国のアカデミズムは、帝国主義ならぬ、アメリカ発の新自由主義から飛び出てきた、新たな<恐るべきリバイアサン>と格闘せざるを得なくなっています。つまり、過剰な市場原理主義へ傾斜し暴走し始めた資本主義のコントロールに必死で取り組まざるを得なくなっているのです。


このような観点からすれば、わが国における「右派VS左派」の対立ドグマを煽るだけのマンネリ化した政治意識が、いかに不毛であるかが分かります。そして、「美しい国」という不毛な飾り言葉の陰で密かに嘲笑うのは、ひたすら増殖するばかりの“死のバブル”(過剰な新自由主義思想への傾斜により、市場経済の中へ深く浸透し巨大化しつつある軍需(防衛省)利権周辺の闇の広がり)です。そして、これを後押しするのが「寄生政治家の蔓延り」という日本独特の政治現象であり、一方で、反比例的に、日本国民の主権は「美しい国」の美名でカムフラージュされつつ後退するばかりとなっています。


しかし、今こそ、我われは資本主義を冷静に見ていたケインズに倣って、このような資本主義の暴走(市場原理主義への過剰な傾斜)による弊害発生(経済主体のモラルハザードと死のバブルの増殖)に対する厳しい眼差しが、現代におけるグローバル市場経済原理主義の故地の一つである18〜19世紀のフランクフルトに存在したことを再発見すべきかも知れません(この詳細については、、[toxandoriaの日記/2007年春、ドイツ旅行の印象・最終回/フランクフルト・アム・マイン編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070817]・・・「フランクフルトの歴史」、「金融・経済都市フランクフルトの特徴」・・・を参照乞う)。


【右派VS左派」の対立ドグマと「寄生政治家」の蔓延(はびこり)がもたらす国民主権の後退】


1 日本における「右派VS左派」の対立ドグマと「寄生政治家」の蔓延(はびこ)り


1−1 「右派VS左派」対立ドグマがもたらす不毛な政治状況


朝日新聞が行った全国世論調査『政党と政治』(期間:平成19年4〜5月、対象:3千人、郵送方式、回答率72%/2007.6.18付・同紙朝刊で発表)によると、次のような結果が出ています。この調査は、郵送方式で行われもので回答率(72%)が高いこと、および松岡大臣の自殺・消えた年金コムスンなど安倍政権の致命的欠陥(異常な問題)が発覚する直前に行われたものという点で信頼性が高いと思われます。


●今の日本の政党が期待される<役割を果たしていない>と見る人 → 83%


●政治は<仕事や生活と切り離せないもの>と見る人 → 62%


●政治に<興味がある>人 → 82%


●今の政治は<ワイドショー(タレント型)政治だ>と見る人  → 54%


●今の政治家は<言葉を大切にしていない>とみる人 → 80%


●今の政治家は<パフオーマンスに力を入れる傾向(タレント的傾向)がある>と見る人 → 56%


●政治的な立場を説明する言葉として・・・・・<(右派VS左派)、(ハト派VSタカ派)、(抵抗勢力VS改革派)は、いずれも適切でない>と見る人 → 6〜7割


ここで最も目を引くのが『今の政党が期待される<役割を果たしていない>と見る人 → 83%』、『今の政治家は<パフオーマンスに力を入れる傾向がある>と見る人 → 56%』、『<(右派VS左派)、(ハト派VSタカ派)、(抵抗勢力VS改革派)は、いずれも適切でない>と見る人 → 6〜7割』の部分です。つまり、日本国民は政党(≒国会議員)の質的な低下と彼らの軽薄な行動、および倫理的な欠陥に飽きあきしていることが分かります。しかも彼らが相変わらず軽挙妄動的にパフオーマンスを繰り返すことに怒っているようです。


特に、日本の政党政治が相変わらず(右派VS左派)のアナクロな対立図式のドグマに囚われているのはナンセンスです。それは、例えば、現在の中国における主流派経済学の立場がアメリカ発の「新自由主義経済学」であること、そして、これは前にも述べたことですが、その中国経済学会では、まるで日本の遥か先を突き進むかのように<二極化=貧富格差の拡大>を巡る新自由主義派」VS「修正新自由主義派」の新たな対立論争が起きているのです。つまり、もはや中華人民共和国共産主義は単なる“飾りコトバ”に過ぎず、かの国の一般国民は、帝国主義ならぬ、新自由主義から飛び出した新たなリバイアサンと格闘せざるを得なくなっているのです。


また、もはや小泉劇場のような<オレオレ詐欺・美人局・ヤラセ・大道芸人・ヤクザ・ゴロツキ的な三文政治ショー>に対しては流石に日本国民の多くが胡散臭さを感じ始めたようです。つまり、松岡大臣の自殺・消えた年金コムスンなど政権崩壊に直結する異常な問題が立て続けに起こる前から、既に、国民は日本の『政党、政治、政治家』が信用できなくなっていたという訳です。しかし、問題は国民一般の思いが未だにそのレベルに止まり、そこから先へ一歩も進めないことです。しかしながら、そこでセッセと国民の足止めを促し、堂々巡りのマンネリ思考のお手伝いをして稼いでいるのがテレビの「ワイドショーと政治&芸能の融合番組」です。これでは、余りにも日本国民が不幸です。


そこで、ここでは主に<日本政治の寄生化の問題>に焦点を当ててみます。<日本政治の寄生化の問題>とは、より具体的に言えば<日本では今や特権層に担がれた寄生的政治家が増大しつつあることにより国民の権利が減少する一方で、見かけ上・名目上の小さな政府への改革とは裏腹に、かつ否応なしに裏帳簿的な意味合いでバブル化した暴政的国家権力が増大しつつある>ということです。そして、このような傾向は、少なくとも先進民主主義国家の中では異常な流れであり、大変恥ずべきであることを自覚しなければなりません。なぜならば、それは日本国民の多くが自らの「民度の低さ」に甘んじていることに他ならないからです。


1−2 日本における「寄生政治家」の現状(世襲議員の実態)


●<日本の世襲議員>の実態は<英国の世襲貴議員>の問題より遥かに深刻であると見做すことができる。なぜなら、英国と異なり、<日本の世襲議員>には莫大な金額の歳費が伴っており、しかも彼らの<世襲>による弊害は政・官・財の閨閥・縁故・利害関係などを介したネットワークによって日本中の至るところに、まるで黴(カビ)の如く蔓延るばかりとなっているからである。その上、そればかりか、彼らは自らが支える政権与党の暴政化へ手を貸している。


●この流れからすれば、あの『コムスン問題(福祉・医療分野の劣化の象徴)、消えた年金、政治資金規制法改正、官製談合と公務員制度改革天下り規制≒官邸へ権力を一極集中させることによる天下りの公認・合法化?)』などの裏側には、この<世襲議員>の問題が深く根を張っていることが理解できる。従って、見かけばかりの上っ面な法整備を行っても、この<日本の世襲議員>による甚大な被害(=一般の日本国民・市民にとっての実質的な損失と不利益の発生)の元を断つことはできない。因みに、英・独・仏など欧州諸国ではタレント(テレビ・ワイドショー)型の寄生議員の存在は殆ど皆無に近い。


●直近の<日本の世襲議員数>についての手持ちのデータがないので、いささか古くなるが、小河達之氏(兵庫教育大学大学院・修士論文)による平成9年度のデータ(1997)および上田 哲氏のHPのデータ(2003)がネット上で公開されているので、その内容を以下に採録しておく(参照、http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/sesyuukenkyuu.htmhttp://www.notnet.jp/data01index.htm)。


世襲議員の割合)


◆小河達之氏のデータ(全議員に占める割合/1999)


自民(41.8%)、新進(20.4%)、民主(25.0%)、共産(3.8%)、社民(0.0%)、太陽(30.0%)、その他(37.5%)


◆上田 哲氏のデータ(衆議院議員に占める割合/2003)


自民(51.6%)、民主(27.3%)、公明(8.8%)、共産(22.2%)、社民(0.0%)、無所属(55.6%)


●この数字を前提とするならば、そして政権与党について見るならば、少なくとも<世襲議員の割合>は今や過半を遥かに超えていると思われる。なお、小河論文によると、「世襲・非世襲議員の平均年齢」については有意な差が見られないようである。


<注記1>


・・・ここで言う<寄生政治家>とは、具体的に言えば小泉・安倍・麻生・中川・赤城らの世襲政治家のことですが、小泉劇場だけでなく直近の参院選でも目立ったテレビ・ワイドショー型のタレント国会議員(実際の政治の中身が疑わしい丸川珠代神取忍丸山和也ら)も、知名度とテレビ露出度および浮ついた人気だけで国会議員になったという意味で立派な<寄生政治家>の仲間です。


・・・ところで、第二次世界大戦後の日本のみならず欧米諸国から政治の枠組(憲法と主権のかかわり方=議会制民主主義)の手本と見做されてきた英国では、1990年代のメージャー政権(John Roy Major)頃から、「憲法改革プログラムの一環として」いわゆる「上院(貴族院)改革」が本格化してきました。ただ、下院で僅かに多数を取る立場であったたメージャー政権では本格的な改革が進まず、この動きが本格化し始めたのはブレア政権が選挙で圧勝した1997年の以降のことです。


・・・そのブレアも、「ブッシュのイラク戦争への加担の誤り」が国民一般から批判される形で退陣し、その政権をブラウンへ禅譲しました。しかしながら、もはや、この「上院(貴族院)改革」の流れが後戻りすることはなさそうです。なぜならば、英国民の権利をより増大させるためには<世界中から民主主義の手本とされてきた英国に中世いらい巣食ってきた政治の伝統であるとともに国民主権のグレードアップに関して非効率な部分と看做すことができる上院(貴族院)の改革>が必要であることは、これまでの国民を巻き込んだ膨大な議論を通して全ての英国民に共有されているからです。そのため、既に上院の世襲貴族の数が大幅に減らされるとともに、2009年には「連合王国最高裁判所」(Supreme Court of the United Kingdom)が新設され、上院の法官貴族(Law Lords)の内いくつかの機能が、ここへ引き渡される予定です。


・・・『憲法ユニット』(The Constitutional Unit/ロンドン大学教授ロバート・ハーゼル氏(Robert Hazell)が代表を務める評価機関)によれば、特に注目すべきは、この英国の「上院(貴族院)改革」の理想が<ドイツの第二院>であるということです。つまり、英国でも、自国の伝統だけに拘ることなく、少なくとも上院議員の一部は直接選挙で選ばれるべきで、同時に彼らは地方を代表すべきであるというのです。しかも、その上院に残される最も重要な役割は、<ドイツの第二院>と同様に「授権規範的な観点」から英国の憲法(コモンロー(common law)=、慣習・判例など統一的な意味での不文憲法が事実上の英国憲法)を守らせるため政府と第一院(下院)を監視することだというのです。


<注記2>


・・・現代ドイツ憲法基本法)と議会制の先進的意味については、今までも記事に書いてきましたが、直近のものは下記(★)を参照してください。


★妄想&迷想、ドイツの青(Azur)と日本の青(青藍=Blue)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503


★“現実のドイツ”が見えない“美しい日本”の悲惨、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070614


<注記3>『憲法ユニット』(The Constitutional Unit)


・・・憲法改革と比較憲法研究を行う独立した中立的団体(NGO)で、ロンドン大学公共政策大学院が中核となって国内外の研究者が幅広いネットワークを構成しており、最近の憲法改革(上院改革)についての提案分析などの活動に取り組んでいる。


1−3 今後予想される「日本の世襲議院」による弊害の拡大(=国民主権の制限、平和主義の危機)


英国の「上院(貴族院)改革」が12名の法服貴族を除けば歳費を伴わぬ名目的・形式的な制度であることに比べると、<日本の世襲議員>の実態が、先ず国家予算の使い方の観点から見たときに如何に非効率であるかが想像できるはずです。しかし、問題はそれだけでなく『世襲=寄生化』による特異な弊害がありますが、この論点の詳細は下記の記事(★)を参照してください。


★<寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070609


歳費を伴う国会議員を中核として形成される政・官・財の閨閥・縁故・利害関係などを介した、時代錯誤的な<現代日本の寄生ネットワーク>が日本社会の至るところに、まるで黴(カビ)の如く蔓延り広がることの最も恐るべき弊害は、彼らの徒党集団的・仲間内的(=お友達的)な利害関係意識の構築が肥大化してゆくことです。


恐らく、そこから芽生えるのは古代・中世の遺物のような、あるいは原始社会における血族単位の報復のように非現代的な“自力救済の方法”であるフェーデ(Fehde/殺人や経済・財産・利権的な損害に対する血讐に近い報復/参照、http://www.weblio.jp/content/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87)のように“古びた特異な感覚”です。例えば、松岡農水相の自殺事件の前後において、その身近な関係者の不可解な自殺が連続して発生していたという事実からは、恰も伏流水の如く潜伏し流れている、このような意味でのおどろおどろしい暗黒のダイナミズムが想像されて身の毛が弥立ちます。


西洋史の流れの中では、裁判権を伴う王権または皇帝権が確立すると「神の名における平和」(=各種の平和令)の公布によって「フェーデによる復讐やリンチ」が禁止されるようになり、究極的には、このような流れの先に「三権分立、法の支配の原則、司法権の独立、憲法の授権規範性」などの民主主義の大原則が次第に成立してくる訳です。例えば、神聖ローマ帝国では1495年8月7日に皇帝マクシミリアン1世(Maximilian 1/位1493-1519)が公布した「永久ラント平和令」(Landfriedensbewegung)によって、自力救済権としてのフェーデは完全に禁止されています。


日本では、その政治権力の中枢がいつまで経っても「世界標準の(先進諸国では市民的な常識となっている)平和の意味」が理解できず、安倍政権による“戦後レジームからの脱却”のような不可解で捩れた、そして“アナクロで病的な平和意識”が梅雨時の毒キノコのように次々と不気味に生えてくるのは、恐らくこのように<世襲・寄生化>した国会議員を中核とする極めてプライベート化した利害関係の隠れたネットワーク(&クラスター)の蔓延りが影響しているのではないかと思われます。


因みに、「日本平和学会/The Peace Studies Association of Japan」(設立、1973年/参照、http://www.psaj.org/)によると、『これまで人類が考え出した平和の実現策』として、下記のとおり、10の累型が示されています。


(1)民主国家統一の強化 (2)集団安全保障 (3)世界政府論 (4)武力均衡論 (5)道義的アピール (6)平和教育 (7)心理的アプローチ (8)分配の平等 (9)官僚の監視 (10)軍縮


どれか一つによる、平和の実現は困難であるので、これらの努力目標を組み合わせることで世界平和の実現を目指すべきだというのが「世界標準の平和についての考え方」であり、この観点から見ても、徹底平和主義を根本に掲げる日本の「平和憲法」(≒一般国民が徹底平和主義の国家理念を第一位の重要な価値観として共有するという平和実現のあり方)が図抜けて高く評価されていることは周知のとおりです。一方で、その日本の為政者たちが“戦後レジームからの脱却”というアナクロニズムを理念として標榜し、それを多くの日本国民が支持してきたことは驚くべき矛盾です(今回の参院選の直前までの状況を見る限り)。


先に述べたとおり「名誉革命の国」であり、そのうえ歴史的な意味で世界の民主主義の模範国でもある英国において、形骸化した「上院(貴族院)」を改革するための真摯な努力が積み重ねられているときに、世界に冠たる「平和憲法」を掲げる日本(美しい国?)の現政権が、まるでフェーデの時代へ先祖がえりでもするような“戦後レジームからの脱却”(=第二次世界大戦前の戦前・戦中型レジームへの復帰=王制復古型の外見的立憲君主制への復帰)に拘るのは余りにも異様でグロテスクで“美しさ”からは程遠い姿です。


そして、我われは、実はその根源にある病巣が増殖中の<世襲議員数の大きさ>の中に巣食っていることに注目すべきです。この<世襲議員>に<ワイドショー型>または<芸能人型>の軽薄な国会議員(ニュータイプの寄生型国会議員)が加わり、それらが相親和し増殖するばかりというのでは世界中のお笑い種です。それは、“美しい国”どころか『日本が民主主義をネタにした自虐的で軽佻浮薄なお笑いタレント国家となる』ことを意味しており、天国のプラトンもビックリ!です。


ともかくも、今の傾向がこのまま続くならば、我が国では歳費(税金)の無駄遣いを伴う「世襲・寄生政治家」と「お笑い&タレント・スポーツ政治家」(ニュータイプの寄生型国会議員)がますます蔓延る一方で、我われ「一般国民の権利」は甚だしく縮小し、我われ一般国民の人権と民主主義の根本が著しく蔑(ないがし)ろにされるばかりです。


しかしながら、冒頭に掲げた、朝日新聞が行った全国世論調査『政党と政治』では『政治に<興味がある>人 → 82%』となっており、この辺には救いがありそうです。従って、民主主義と平和についてのマトモな考え方をどのように拡げてゆくべきか、どのように分かりやすく多くの人々へアピールできるかという点に日本の民主主義の質的改善への希望が残されており、それが日本の指導層・知識層およびメディアの重要な役割であると思われます。


(参考)英国における「上院(貴族院/House of Lords)改革」について


(1)「上院(貴族院/House of Lords)改革」の現況


●1999年のブレア政権下での「上院(貴族院)改革」によって、従来の1,330人から709人へ上院の議員数は約半減している(出典:英国・上院の改革/英国大使館資料、
http://www.uknow.or.jp/be/s_topics/political/political03.htm)・・・一代貴族(592人)、世襲貴族(91人)、聖職貴族(主教)(26人)


●一代貴族は、上院の任命委員会または政党党首の推薦で決まるが最終的な決定権は首相にある。聖職貴族はカンタベリーとヨークの大主教ならびに、その他の主教のことである。


●この上院の中には、12名の法官貴族(=法服貴族/常任上訴貴族/非世襲・勅任)が存在し、英国の司法権の頂点に立つ最高裁判所の機能を持っている。法官貴族のほかに大法官も審理に加わる資格があるが、大法官は首相の下に立つ閣僚であるため党派的偏向を避ける意味もあって審理参加を放棄する旨を表明することになっている。


●この12名の法官貴族(上院議員)を除き、その他の上院(貴族院)議員は“無給”であり、歳費の支出は伴わない。


●2007年3月7日、ブレア政権下で貴族院に選挙制導入を求める決議案が下院(庶民院)で可決され、数年のうちに全議員もしくは大半の議員が選挙で選ばれた者によって構成される見通しが出てきている。


●(既述のとおり)2009年には「連合王国最高裁判所」(Supreme Court of the United Kingdom)が設立され、上院の法官貴族(Law Lords)のいくつかの機能が、ここへ引き継がれる。


(2) 英国における“コモンローの意義”と“貴族院改革の意義”・・・出典:表記のロンドン大学教授ロバート・ハーゼル氏(Robert Hazell)による、http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/gse/gse_chosa14.htm


2−1 コモンローの意義(英国が成文憲法を持たない理由)


●英国は、イスラエルニュージーランドとともに世界で三つしかない「成文憲法を持たない国」である。その理由は英国が文字通りの「名誉革命」の国だから。→ その意味は、民主主義の実現のため王室と国民の“双方の名誉”が守られているという点にある(関連参照、下記(2)-2)。


●英国で成文憲法が作られず、「コモンロー(慣習法)および判例等=不文の英国憲法」となっているのは、英国が1066年の「ノルマン・コンクエスト/Norman Conquest」以降の長きにわたり王国を廃止した歴史を持たないことによる。


2−2 名誉革命が意味すること


●一般的な常識では、市民革命の歴史は17世紀のイギリスに始まると理解されているが、英国と仏・米の市民革命は根本的な性質が異なる。つまり、英国は形式的にせよ革命によっても王国(United Kingdom)を放棄していない、そこでは国王と主権者たる国民(市民)の双方の名誉が保全されている。


2-3 成文憲法のパターン


成文憲法は次の四つの場合に制定される。→ 四つのパターン


(1)革命による王制の打倒・廃棄・・・米・仏


(2)戦争における敗北・・・ドイツ・日本


(3)植民地支配からの独立・・・アフリカ・アジア・中南米諸国など


(4)前政権(政治体制)の崩壊・・・旧ソ連諸国、南ア共和国


●ただ、英国の憲法は「不文憲法」と呼ばれながらも、現実的にはその殆どが文書になっており、「憲法」として一つの文書になっていないだけである。例えば、それは「イングランドスコットランド連合法」、「議会法」、「人権法」などの形で実質的に文章化されている。


2−4 英国「貴族院改革」の意義


●12名の法官貴族(上院議員)を除き、その他の上院(貴族院)議員は“無給”であり、歳費の支出は伴わないことから明らかなように、政治にかかわる冗費の節約が貴族院改革の目的ではない。


●「名誉革命」の伝統を尊ぶ英国は、これからも「国民(市民)主権のUnited Kingdom」であり続けるが、貴族院改革の目的は、名目だけでその殆どが形骸化していた“中世の残滓”(=無用な形式部分)を一掃して英国の民主主義政治が、より一層、国民一般の内実の役に立つものとなる(国民主権が深化する)ようにすることにある。


●この観点からすれば、日本の安倍政権が掲げる“戦後レジーからの脱却”(→目指すは第二次世界大戦前の戦前・戦中型レジーム=王制復古型の外見的立憲君主制:「価値観外交を推進する議員の会」(古屋会長、中山顧問、http://www.asahi.com/politics/update/0518/TKY200705170380.htmlhttp://d.hatena.ne.jp/kechack/20070520/p1らの支援による)という摩訶不思議な考え方は、英国民にとっては、とても理解し難いはず。


2−5 今後の英国「上院(貴族院)改革」が目指す方向


●先ず英国が学んだのは、カナダ・ニュージーランド・香港などの伝統のコモンロー体系の下で「人権憲章」を導入した「人権法」についての考え方である。


地方分権については、オーストラリア・カナダ・スペイン・ドイツなどから多くを学んでおり、特にドイツの第二院(連邦参議院)を擁するドイツ連邦議会のあり方が重要と考えられている(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503)。


●これらを参考としつつ、新しい「英国の第二院」は、一部が政党の指名者、一部が選挙で選ばれた議員から構成され、その第二院の全体は英国の各地域を代表すべきだと考えられている。そして、この第二院の最も重要な役割は<その暴走を防ぐための政権への監視と憲法を守る機能>である。