toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

小泉→安倍へ継承された「見栄え政治(軽薄な美しい国)」の崩壊


<所見>


●当記事の内容は[2006-05-16付toxandoriaの日記/“見栄え政治”が破壊する日本人の“精神環境の自由”(愛国心政教分離など)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060516]で既に書いたものとほぼ同じです。


●予期したとおりとはいえ、今や「安倍の美しい国」が正に“見栄え政治”へ過剰に傾斜した故に自壊しつつあることは驚きです。そこで、これを機会に[2006-05-16]付の記事に新たな所見を付記し、内容の一部を加除・修正して再UPしておきます。


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●満を持して船出したばかりの改造・安倍内閣は、僅か1週間で、農林大臣(今回は遠藤氏)が連続して交代へ追い込まれる(それも、元・松岡農林大臣の自殺から始まった農林大臣の交代劇は約2ヶ月の間に三度目!)という前代未聞の展開となっています。しかも、その三度目の後任に指名されたばかりの新農林大臣(若林氏)にしても、またまた不祥事に繋がるような複数の危うい情報が早くもネット上を流れ始めています。これでは、もはや「美しい国」はワヤクチャ状態です。そして、このように「美しい国」がポシャって行く姿は正に旧約聖書で『バベルの塔』が崩壊するイメージを彷彿とさせます。


●その原因として安倍総理の大臣・任命権者としての希薄な責任感(世襲(寄生)政治家ゆえか?)や身体検査の不備(特に、与党の国会議員は犯罪者集団だったのか?)などが指摘されていますが、ここでは角度を変えて、小泉劇場から始まった“見栄え政治”への傾斜という問題を、もう一度レビューしておきます。


●“見栄え政治”への傾斜(別に言うなら過剰なパフォーマンス政治)ということについては、小泉・前首相が“そのユニークな天才ぶり”を遺憾なく発揮した訳ですが、持ち味は大分異なるとは言いながらも、「美しい国」というまるで西洋中世のディアボロス(Diabolos/悪魔)がほざくような“イメージ的でありながら意味不明な言葉”で日本国民を煙に巻いた手法は“小泉劇場”譲りの手法であったと看做すことができます。


●その極みが直近の『“美しい国”を支える“偽装右翼一派”による美容整形的“安倍<改竄>内閣”』(参照、下記記事▲)でした。しかしながら、お粗末にも、やはり“取って付けたような美容整形的<改竄>”で日本国民を騙し尽くすことは無理であったようです。
 ▲2007-08-28付toxandoriaの日記/美容整形的“安倍改竄内閣”の“偽装右翼一派”の真相、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070828


●ついでながら、この小泉劇場いらいの“見栄え政治”への傾斜という病理現象は、テレビのワイドショーや芸能・お笑い番組などを介して、批判的立場に立つ民主党へも確実に伝染しています。それが、まるで「美しい安倍政権」ソックリの“脇の甘さ”となってお姫様好きの“下劣で卑猥”な週刊誌や“おバカで軽佻浮薄”なテレビ・ワイドショーへ格好のビジネスチャンス(売上増進ホルモン剤としてのスキャンダル情報)を提供しつつあることは周知のとおりです。


●従って、この“見栄え政治”への傾斜という病理現象への対策は小沢民主党にとっても今後の重い課題となるはずです。


・・・・・以下の内容は再録(但し、加除・修正版)です・・・・・


[旧タイトル]“見栄え政治”が破壊する日本人の“精神環境の自由”(愛国心政教分離など)、


フランチェスコ・デル・コッサ『受胎告知』

Francesco del Cossa(ca1435-1477)「Annunciation and Nativity (Altarpiece of Observation)」 1470 Tempera on panel  137 x 113 cm Gemaeldegalerie 、 Dresden


ドレスデン国立絵画館(Gemaeldegalerie Alte Meister Dresden、撮影:2007年4月)


・・・フランチェスコ・デル・コッサの『受胎告知』は、ドレスデン国立絵画館が所蔵しています。なお、当絵画館及びドレスデンについては下記の旅行記(★/2007年4月に訪問)を参照してください。
★2007-05-01付toxandoriaの日記/2007年春、ドイツ旅行の印象[ドレスデン編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070501


初期キリスト教時代のおよそ5世紀初めごろ「ドナトウス論争」と呼ばれる異端論争がありました(参照、http://en.wikipedia.org/wiki/Donatismhttp://www32.ocn.ne.jp/~kitaakitsu/infantbaptism.htm)。ドナトウス(Donatus Magnus/315-355)はドナトウス派キリスト教創始者で、本拠地は北アフリカヌミディアです。ディオクレティアヌス帝(Diocletanus/位284-305)いらい、ドナトウス派はローマ皇帝から厳しい迫害を受けてきました。


彼らは、「迫害を受けた時にローマの官憲に聖書を引き渡して(つまり、官憲に信仰告白をせず本心を誤魔化して)生き延びた司教による聖礼典の執行は無効だ」と主張しました。これに対して、正統キリスト教カトリック)の教義を体系化した聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus/354-430)は、たとえ過去において信仰告白を偽ったとしても、それが「神の国」の正しい理念を掲げる教会(ヴァチカン総本山の権威が認めた司教がいる)の執行であれば、その「公認の聖礼典」は有効であると主張しました。


<注>興味深いことに、『ドナトウス論争』とほぼ同じころ“救いは神の恩恵だけではなく人間どおしのコミュニケーションの参与が作用を及ぼす”とし、また“原罪と幼児洗礼を否定して人間の自由意志を強調”した「ペラギウス派」も異端とされていた。それはブリタニア出身の修道士ペラギウス(Peragius/ca360〜ca420)が唱えた神学説を信奉する一派であり、その考え方は遥か後の時代の自由主義思想や啓蒙思想の原点とさえ言えるものである(参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9)。


ところで、キリスト教史的に見ると「中世」という時代区分はローマ教皇グレゴリウス1世(位590-604)の時から始まります。グレゴリウス1世は、東ローマ(ビザンツ)帝国のユスティニアヌス大帝(位527-565)の「皇帝教皇主義」(皇帝権が教皇権より上にある、つまり世俗的政治権力がキリスト教の最高権威より上位だとする考え方)と「東西ローマ統一」の野望が結局は失敗して、ビザンツ政権が衰退することを見越していました。


やがて、グレゴリウス1世はローマの地の利を活かしつつ、ゲルマン民族フランク王国 (メロビング朝)と手を結び「ローマ教皇権」(教皇皇帝主義)を確立します。このため、厳密な意味では、修道士出身のグレゴリウス1世こそが初めてのローマ教皇であったといえることになります。いずれにせよ、グレゴリウス1世は「ビザンツ(ギリシア)・ローマ的キリスト教」を「ローマ・ゲルマン的キリスト教」へ変質させた訳です。


そして、この時にローマの司教であると同時にペトロの後継者としてのローマ教皇の権威が確立し、教皇を頂点とする『ローマ・カトリック教会』が成立したのです。つまり、カトリック教会独特の“教皇を頂点として一般信徒を底辺とするヒエラルキア”が完成したのです。これは、後のプロテスタントの「万人祭司説」(特権階級としての聖職者の地位を認めない考え)とは対極にある性質のものです。


このカトリックのヒエラルキアは、人間社会の制度としては様々な矛盾も抱えていますが、そこでは『過剰に放任主義的な原理』を抑制したカトリック特有の『視覚型で静謐な信仰の形態』(荘厳な聖礼典、装飾的な教会建築物、造形美術、宗教音楽などを装備した/下記の<参考>を参照)が確立します。


やがて、イタリア半島ルネサンス文化が開花するころになると、特に建築・美術分野ではギリシア・ローマ古典の中から「科学合理主義的な線遠近法のパースペクティブ」を獲得することによって、分かり易く明快で、かつ非常に完成度が高い近代合理主義的(線遠近法的)なヴィジョン(一種の固定観念化した視覚イメージ)が準備されることになります。そして、その頂点に立つのがレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロらの芸術であり、フィレンツェなど北イタリア諸都市のソフィスティケイトされた視覚的に堅牢な都市計画と建造物です。


しかし、実はこのような近代合理主義を“過剰に先取り”した新しいヴィジョンに対して疑いの目を持ち続けた芸術家が存在しました。それはフラ・アンジェリコ(Fra Angelico/1387-1455)、フラ・フィリッピーノ・リッピ(Fra Filippino Lippi/1457-1504)、フランチェスコ・デル・コッサなどの芸術家たちです。


無論、彼らは現れたばかりの「近代合理主義志向のヴィジョン」を直接的に、かつあからさまに否定することはありませんでしたが、「批判の目」を確保するための巧妙な仕掛けを芸術作品の中に密かに埋め込んでいたのです。一例として、ここでは現代フランスの美術史家ダニエル・アラスの著書『なにも見ていない』(宮下志朗・訳、白水社刊、原著:Daniel Arasse『On n'y voit rien、Descriptions』、Publisher Denoel、2000)の中から、フランチェスコ・デル・コッサの『受胎告知』の例を拾ってみます。


<注>ダニエル・アラス(Daniel Arasse/1944-2003/参照、http://fr.wikipedia.org/wiki/Daniel_Arasse)・・・ヨーロッパで著名なイタリア・ルネサンスを専門とする美術史家。人文学的な知の先端を担うフランス社会科学高等研究所(EHESS/Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales/参照、http://www.t3.rim.or.jp/~sfjti/a&u/studying/ehess.html )の「芸術の歴史と理論」部門で活躍した。なお、EHESSは大学制度から距離を置いた自由な教育・研究環境に特色がある。


周知のとおり、この絵は初期ルネサンス期におけるフェラーラ派の画家フランチェスコ・デル・コッサの傑作であり、それは聖母マリアに突然訪れた“神聖なる瞬間”を描いた作品です。この著書の中でダニエル・アラスは、コッサらの絵を理解するためには、“過度にアカデミズム化したイコノロジー”(Iconology/図像解釈学/歴史的、社会的、文化史的な総合的観点から絵画の内面的な意味を研究する学問でパノフスキー創始者http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0928.html/キリスト教の寓意(アレゴリー)図像研究などで絵画の“イメージ構想の軌跡”を探るイコノグラフィー(Iconography)とは異なる)に頼り過ぎることは、それが我われ人間の「眼」(リアリズムを認識する総合的な感受性)を曇らせるので危険だと言い切っています。


ダニエル・アラスは、先ずこの絵がそれほど大きなものではないこと(137 x 113 cmの祭壇画であること/下の横長の小さな絵は下壇正面の独立した絵)を指摘します。次に、その絵の大きさに比べて右下の額縁の線に沿ってユックリ歩む(ように見える)、約8cm(ガブリエルの靴の約1/3程の長さ)という異常な大きさの“カタツムリの謎”に注目します。この“カタツムリ”については、聖母マリアの象徴としての解釈などイコノグラフィーによる研究が行われていますが未だに定説がありません。


一見したところ、この絵は同時代の他の作品と同じように厳格な線遠近法で描かれているように見えます。しかし、ダニエル・アラスの検証では消失点の設定に無理があるため、天使ガブリエル(左手前)とマリア(右中央)の位置関係やマリアの背後にある寝室などの配置に矛盾が生じています。結局、アラスは“コッサが描いた絵の世界は、完璧に合理的なパースペクティブは使わず、有限で閉じられた空間の中で、とにかく鑑賞者が理解できるように描いたもの”だというのです。


それはともかくとして、もともと「受胎告知」とは、マリアの神からの受託にともなう受肉の瞬間であり、それは人間の目には見えない無限なるものが尺度あるもの(現実世界)へ降臨した瞬間なのです。言い換えれば、それは形象不可能(不可視)なものの形象への降臨(可視化)ということです。従って、“一応、科学的な線遠近法に見える構図”の下の縁をゆっくり歩む“コッサのカタツムリ”は、この絵を見る者に対して「あなたがたは、そのまなざしで、実は、なにも真実は見てはいないのだよ」と語りかけ、そのように警告しているというのです。これは、まさに驚くべき発見です。


しかも、“カタツムリ”は視力(視覚能力)を殆んど持たないので、彼(彼女?)は“一応、科学的な遠近法に見える構図”の縁をゆっくり歩みながら、あとはひたすら「嗅覚」と「触覚」を働かせる他ないのです。これは、まことに驚くべき「視点の発見」ではないでしょうか? 因みに、マリアに受肉の瞬間を与えた当事者(聖なるDeflorater)である神はどこにいるのでしょうか? どうやら、その神は、この絵の消失点から外れた遥か左奥の青い天空に小さな雲のように浮かんでいらっしゃる存在であるようです。


ダニエル・アラスの見解によると、どうやらフランチェスコ・デル・コッサら初期ルネサンスの画家たちの一部は、余りにも分かり易く見えすぎる“近代合理主義的な意味で完璧な技法”(線遠近法)による見えない世界(無限なるもの、及びそれに感応する内面世界)の説明が危険であることを予感していたようです。つまり、彼らは、このような形で“世俗権力と宗教(聖権)の完璧な癒着”が高じると、人間救済のための神聖な宗教がいとも容易く「国民総家畜化を目論む政治権力の道具」と化す(すなわちカルト化する)ことを警告していたことになります。


小泉首相靖国参拝」、「美しい国への愛国心」、「共謀罪」などの問題、あるいは「2001.9.11N.Y.同時多発テロ事件」のトラウマを利用した「テロとの戦い一辺倒による戦争支援、または戦争への参加を正当化する論理」など、謂わば“国民の内面世界に対する、あからさまで、一見すると“見栄え”がよく分かりやすい政治権力の介入”によって悩まされ続ける今の日本は、改めてコッサらの警告を真剣に受け止めるべきかも知れません。


「2001.9.11N.Y.同時多発テロ事件」以降の世界は、“見えない敵の脅威”に怯えるアメリカ・ブッシュ政権に引きづられてきました。日本政府は、そのような流れの中で、ひたすら「ブッシュ流の見えやすさ」ばかりを模倣的に演出し続けてきており、大方のマスメディアも、これに迎合するばかりでした。そして、今や世界的に見ると少数派となりながらも、ブッシュ配下の優等生を自負する「小泉劇場→安倍の美しい国」が法制化への取り込みを急いできたのが「改憲」、「愛国心」、「共謀罪」などです。


また、このチャンスを利用しようとするウルトラ右派(国粋主義者ら)の支持に甘んじた小泉首相は「靖国参拝」(政教分離の原則の無視、軍事国体論への回帰)に頑強に拘り、結果的に日本の国益をひどく毀損してきました。このような意味で、「小泉劇場→安倍の美しい国」が“見栄え政治”を過剰に演出して国民を誑かそうとする現実の中で「テロ特措法の延長問題」も理解する必要があるようです。


独裁的な帝国主義国家であれ、絶対王制国家であれ、民主主義国家であれ、詰まるところは一般国民(その国を構成する一般市民の存在)が有ればこそ、その国家が存在し得るはずです。現代日本の政治権力者たち(特に小泉シンパ、安倍シンパら)は、このように単純な現実をスッカリ忘れ去っている(あるいは知らぬ振りをしている)ようです。


“神の代理を騙る、いかさま師的な政治権力の擬装リアリズムのために国民が存在するのではなく、この現実に生きる生身の人間である国民のためにこそ、神およびその神と対話する人間の内心の自由が必要である”ことを、我われ日本人は「美しい国」によって強引に忘れさせられようとしてきたのです。今の「安倍の美しい国」が酷い「暴政の時代」である所以です。


かつて、ローマ帝国の“皇(狂)帝ネロ”が嵌った陥穽も、これと同じです。フェラーラ派の画家フランチェスコ・デル・コッサの“カタツムリ”は、この“ノロマでゆったりとした嗅覚のリアリズム”こそが時代を超えて必要であることを“明示”していたように思われます。


また、このような観点から見ると、かつての“小泉・前首相の靖国参拝行動”などは、“軍事国体・日本というカルトに嵌ったライオン髪の重篤なナルシストが狂喜乱舞するオゾマシイ姿”に見えてきます。また、それを引き継いだ“美しい国安倍総理”は、カルト的な倒錯美に酔った巫女装束の疫病神が御神楽でも踊っているかのようで、底なしに不気味です。


今や、度重なる“取って付けたような美容整形的<改竄>”が祟り、まるで神々の黄昏でもあるかのように崩壊しつつある「安倍の美しい国」の目撃者となりつつある我われ国民が細心の注意を払うべきことは、“我われにとって最も見え易いものが「戦争」であり、最も見えにくいものは「平和への持続的な努力」だということです。


<参考>カトリックで利用されてきた『視聴覚型仕掛けによる神の権威の表現』の歴史


ビザンツ皇帝ユスティニアヌスからローマ教皇グレゴリウス1世の頃、つまり4世紀から6世紀頃に東西キリスト教世界で目につくエポックを概観すると次のようになります。つまり、“中世初期ごろから「キリスト像などの視覚的な方法による神の権威の表現」が重視されるようになった”ということです。


修道院の成立
・・・修道院成立の起源は4世紀のエジプト。ヨーロッパでは聖ベネディクトウス(Benedictus/ca480-543)が本格的な修道院を始めた。修道院の瞑想・読書・労働の生活が人々に大きな宗教的感化を与えて、多くの土地の寄進を受けた。やがて、修道院は大規模な土地経営者となり、民族移動期の混乱した社会で、精神的・経済的に安定した要因となった。グレゴリウス1世がビザンツの皇帝教皇主義に対抗できた後ろ盾として、修道院の存在意義は大きなものとなった。


●教会の儀式・典礼の整備


●讃美歌の発達


●大会堂の建立(キリスト教建築史上の大きな変化)
・・・バジリカ方式(古代ローマ時代の公共建築物(裁判所・市場等)を模した長方形の教会堂建築/身廊・側廊があり、東端が祭壇)やビザンツ方式(大ドーム、大理石・モザイク等による内部装飾が特色)が発達した。現存する、イスタンブール(旧コンスタンティノポリス)の『聖ソフィア大聖堂』が完成した(537)のは、ユスティニアヌス帝の時。


●キリストの図像にヒゲが生ずる(キリスト図像学上の大きな変化)
・・・古代のキリスト像にはヒゲがない。


●「クリスマス=12月25日」と定める。
・・・354年、ローマ司教リーベリウスの時、ミトラ神(元来はインド・イランの神/ローマでは、BC1〜5世紀頃、密儀宗教として流布)の冬至祭に合わせた。


●西暦年数のカウント開始(532〜)
・・・ローマの修道僧ディオニシウス・エクシグウスが「処女マリアへの受胎告知」は、ローマ暦の753年と計算したことによる。この計算には4年の誤差があることは周知のとおり。


また、ローマ教皇グレゴリウス1世の重要な事績をまとめておくと次のとおりです。


イングランドアイルランドへの修道士の派遣、伝導開始
・・・フランク王国がイギリスから“中世文化の開拓者”とされるアルクイン(Alcuin/735-804)を招き、その指導にあたらせた「カロリング・ルネサンス」(カール大帝の時/9世紀初頭)の布石となる。


典礼儀式(礼拝順序)の整備


グレゴリア聖歌(Cantus Gregorianus/ローマ教会が典礼文を朗誦する伝統旋律)の編集・整備


教皇(Papa)称号の創始(教皇皇帝主義の確立)
・・・ペテロに由来する使徒的伝承の保持を宣言した。