toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画『ブラック・ブック』に見る“美しい国”崩壊の危機の真相


[副題]民主主義は“薄皮饅頭の皮”のごとくフラジャイル(脆弱な統治システム)であることが理解できない日本の危機



映画『ブラック・ブック』(Black Book)、公式HP → http://www.blackbook.jp/
・・・今年、3月〜7月ころに全国ロードショーが行われていましたが、今はツタヤ(下記■)などのレンタル店で新作洋画の取り扱いでリリースされています。
TSUTAYA ONLINE、http://www.tsutaya.co.jp/index.zhtml


(この映画について)


●この映画(記録ドキュメントをフィーチャーした作品)は、シャロン・ストーン(Sharon Stone)主演の『氷の微笑』、エリザベス・バークレイ(Elizabeth Berkley)主演の『ショーガール』などのヒットで名声を高めたポール・ヴァーホーヴェン監督(Paul Verhoeven/アムステルダム出身)が、久しぶりにハリウッドから祖国オランダへ帰りメガホンを取り「戦争の悲惨さと悲劇」、そして「人間の真実の愛」と「正義の意味」を抉った傑作です。ポール・ヴァーホーヴェン監督の映像は、些か過激かつリアルでセンシュアルな描写に特徴があり、時折、それはこの作品でも顔を覗かせます。しかし、何よりも驚かされるのはハリウッド型の大型娯楽作品には見られない、ヨーロッパ映画らしく地味ながらも“シッカリした歴史観と人間観”に基づく戦争(オランダ人によるナチスドイツへの抵抗活動)と人間関係の稠密な描写です。なお、この映画の粗筋については下記HP(★)を参照してください。
★Goo映画/作品解説・紹介-ブラック・ブック、http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10306/story.html


●ドイツ占領時代のオランダにおけるレジスタンス組織とナチス諜報部の暗闘が映画の舞台ですが、そこで繰り広げられる人間関係と戦争当事国間の政治的パワー・ダイナミクスの目くるめくように激しい展開のリアリズム描写にも驚かされます。そして、ポール・ヴァーホーヴェンが、この映画で最も主張したかったのは、常識的には一つしかあり得ないはずの『正義』(あるいは真理、愛)といえども、それは“当事者間での公正なコミュニケーションだけでは決して保証されない”ということだと思われます。


●つまり、前の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070914)で書いた「ジャーマン・フランコ(ドイツ・ヨーロッパ大陸)型金融ビジネスの手法=フランクフルトなどで培われたEU型市場主義」(債権者の権利を重視する法制・簿記会計法等の土壌)に通じるエピステーメ的(episteme)な考え方ですが、ここでも“<正義>(Justice)には<公正>(Fairness=関係者どおしでの正義)と<公平>(Impartiality=客観的・第三者的な立場での正義)の二つの成分がある”ということを想起する必要があるようです。ここでは、それに加えてドキュメント(記録文献・文書)の重要な役割が強調されています。なお、映画の題名となっているブラック・ブック(Black Book)は、レジスタンス組織とナチス・ドイツの接点になっていた法律家(最後には、立場が異なる双方からの誤解を受けたまま虐殺されてしまう公証人)が記録(ドキュメント)を書き残していた黒い表紙の手帳のことです。


●この映画のストーリーに準じて言えば、オランダにおけるレジスタンス組織の中枢で最も信頼されていたレジスタンス闘士、ハンス・アッカーマンスが実はナチスと通じていたことが後になって分かることとなり、主人公ラヘル(カリス・ファン・ハウテン/ Carice van Houten)の心身が決定的に深く傷つきます。そして、この他にも様々な裏切りや、いつの時代でも誰にでも起こり得るような生身の人間ゆえの脆弱性(フラジャイル/Fragile)がリアルに描かれています。


●もう一つ注目したのは、レジスタンス闘士、アッカーマンスの巧みなマッチポンプ的煽動によってラヘルをナチスのスパイと思わされてしまったオランダの<かなりの数のごく善良な一般民衆が凶暴な暴徒>と化して(彼らはナチスからの解放を渇望していたからこそ、そのように踊らされ易かった訳ですが)、しかもナチス以上の蛮行でラヘルを集団暴行・虐待するシーンです。これはポール・ヴァーホーヴェンお得意の“目を背けたくなるほどオゾマシイ場面”となっていますが、何よりも驚かされるのは、それが「小泉劇場」下で起こった、あの“自己責任論によるオゾマシイほどの弱者虐待の場面”を連想させたことです。


オランダの風景1、アムステルダム(2006年7月、撮影)


オランダの風景2、キンデルデイク(2006年7月、撮影)


(“安倍の美しい国”崩壊の政治的危機の真相)


●そして、今やふたたび、突然の「美しい国の崩壊」(=安倍総理の唐突で異常な辞任劇)という一種の異様な社会的ショック状況のなかで、民放テレビなど「大衆迎合を商売ネタとするマスメディア」の一部に<鎮護国家のための生け贄を捜し求める神憑り的お神楽を仕掛けるマッチポンプのような空気>が漂い始めたことが不気味です。その新たな生け贄、または人身御供にされる対象が最大野党の民主党になるのか、あるいは自民党内の誰になるのか、はたまた国民層のどのグループになるのかは未だ分かりませんが。


●因みに、共同通信が発表した「9/13-9/14、全国緊急電話世論調査」によると、「テロ対策特別措置法」によるインド洋上での海上自衛隊の給油活動を延長すべきだ=47.9%」、「同、延長すべきでない=42.5%」となっており、前回の調査(8/27-8/28)の結果と逆転しています。質問方法などの具体的な情報がないので一概には断定できないことですが、見方によっては「安倍総理の異様な辞任劇」(これに対する表層的な同情論?=可愛そうに、もっと周囲の人々が安倍首相を支えてあげればよかったのにという類の見当違いの同情論?)が微妙に影響したことが考えられます。


●つまり、海外のマスメディアからまで“お坊ちゃま”だ、“子ども政治家”だ、あるいは前代未聞の幼稚な政治スキャンダルだと揶揄された安倍総理に対する大衆的な浪花節的同情心のような空気が漂い始めた可能性があります。しかも、ここ数日のワイドショーなどで、キャスター、コメンテータらがかなり積極的に“テロ対策特別措置法・延長の問題の行方は、これからの国民の総意の変化次第だ”と発言するようになっています。


●そもそも、この問題は「集団的自衛権行使」という難題に重なっています。そして、「テロ対策特別措置法」は2001年11月2日に施行されましたが、その時には未だ基本計画が決まっていなかったため、「防衛庁設置法第5条の所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」をコジツケ的根拠として、先ず海上自衛隊護衛艦2隻と補給艦1隻からなる艦隊がインド洋に派遣され、その後、なし崩し的に続々と艦隊が拡大派遣されることになった訳です。つまり、これは明らかに憲法が禁じている集団的自衛権の行使に当て嵌まるという疑義があります(憲法九条への違反)。


●問題は、「イラク戦争」(2003.3.20〜 継続中)で中東情勢全般と自衛隊派遣の根拠となる部分に根本的変化(特に、イラク戦争開戦理由の国際法に関する違法性の問題)が生じたにもかかわらず、唯々諾々とアメリカの要請に従ってきたことです。仮に、今回(本年11月)、更なる「テロ対策特別措置法」の延長が必要だと主張するならば、小泉・元首相と安倍首相は、少なくとも、ブッシュのプードルとまで揶揄されたイギリスの“ブレア前首相の国民に対する反省”の事例を持ち出すまでもなく、もし「イラク戦争の開戦について米国・ブッシュ支持が誤りであった」とするならば、それは自らの退陣に直結する位の強い問題認識が必要であったはずです。


●かつて、筆者は下記記事(▲)で「安倍の美しい国」の極右化傾向を大いに危惧しましたが、安倍首相の退陣によってその懸念は払拭されたと看做してよいのでしょうか? いや、コトはそれほど簡単ではなさそうです。たまたま、安倍首相のプライベートな何らかの事情で「美しい国」はあっけなく崩壊したかに見えますが、それにもかかわらず、日本の政治・経済・文化・教育などの深層では極右化への流れが脈々と息づいており、別の形での極右化(戦後レジームからの脱却)の実現のチャンスを窺うパワーが存在しており、それは日本の平和主義を支える<正義>(Justice)についての定義を書き換えること(=平和憲法の破棄)を虎視眈々と狙っています。
2007-08-13付toxandoriaの日記/奇怪な権力魔へ変身した安倍が企む「魔女の饗宴」への誘惑、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070813


●むしろ、恐れるべきは「小泉劇場」のごときペテン劇でも、あるいは「安倍の美しい国」のような薄皮一枚の張りボテであっても、国民の多くがその実態(リアルな現実・事実)に気がつかなければ、そのままアッサリと日本社会は極右化あるいは戦前回帰(=戦後レジームからの脱却)へ向かって雪崩れ込んでいた可能性があるということです。まことに恐るべきことですが、このような意味では、「安倍の美しい国」によって現代日本は「戦前型ファシズム国家」の入り口に迷い込んでいた可能性があるのです。


●そして、このような民主主義の“僅か薄皮一枚”を引き剥がそうとするのが本来の使命を忘れたマスメディアの過剰な商業主義と善良な一般国民の“エキセントリックな感情の爆発”であることは言うまでもありません。そして、このことは洋の東西の違いを問うものではありません。このような意味で言えば、我われの民主主義は、常に「薄皮饅頭の皮」のごとくフラジャイル(脆弱/fragile)な存在であることを自覚すべきです。


●なによりも、既に「小泉劇場→安倍の美しい国」によって、ヤラセTMによる教育基本法改正、海外派兵が当然化した自衛隊の任務と防衛省・昇格、日米軍事一体化を前提とする米軍再編、3年後の改憲準備のための国民投票法、高齢者の高額医療費負担、国民皆保険原則と地域医療システムの放棄、チャランポランな年金行政と保険料の着服・横領、ネコババ前提の政治資金法改悪、中産層の崩壊の放置、深刻な格差拡大関連政策の促進・・・これらが連立与党による17回にも及ぶ強行採決で推進されてきた現実を忘れるべきではありません。そして、このように非民主主義的な政治的不条理がさりげなく進められてきた背景には、大衆的“美人(人気)投票”で広告塔的リーダーを選ぶ「大衆的人気取り政治」を政府、政権与党及びマスメディアが歓迎してきたという事実があります。


●このような意味で、政府、政権与党及びマスメディアには日本の民主主義のあり方を歪めたという重大な責任があるはずです。このため、例えば「テロ対策特別措置法・延長」の問題については、「防衛庁設置法第5条の所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」をコジツケ的根拠として、先ず海上自衛隊護衛艦2隻と補給艦1隻からなる艦隊がインド洋に派遣された時から以降の、艦隊派遣拡大の経緯を具体的に検証するとともに、民主党を始めとする野党は、国会における「国政調査権」に基づいて海上給油の記録を詳細に調査し、それにかかわる事実(ドキュメント)を具(つぶさ)に国民へ報告(イラク戦争への転用は本当にないのか?)すべきです。このプロセスが実行される前の段階で“まるで霞のような国民の総意なるもの”を作為的に煽り立てようとするテレビのキャスターやコメンテータらの不審な言動には限りなくイカガワシサが付き纏っています。


●直近の毎日新聞http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20070915k0000m030131000c.html)は、2003年3月のイラク戦争開戦いらい、既に、少なくとも15カ国が治安悪化や国内世論の反発などから部隊を引き揚げたため櫛の歯が欠けるように多国籍軍の構成がやせ細っていると報じています(当初は40カ国以上がイラク復興支援などの名目で軍部隊を派遣していた)。また、「イギリスのブレア前首相の反省の事例」を持ち出すまでもなく、「イラク戦争の開戦についての米国・ブッシュ支持が誤りであった」とするならば、小泉・前首相と安倍首相には自らの即刻の退陣に直結する問題だという位の強い自覚と、そのことについての国民に対する明快な意志表明があって然るべきであったと思われます。


●つまり、どうしても「テロ対策特別措置法」の再延長が必要だと主張するのであれば、今ふたたび、その合理的根拠を新たに国民の前で明快に示し、その上で十分な国会審議に臨むべきです。「イラク戦争の誤り」を厳しく批判され退陣したブレアを引き継いだ形のイギリスでは、前任者ブレアのニュー・レーバー政策(格差縮小へ焦点を当てた諸政策の遂行)とブラウン首相の就任直後に起きた連続テロや各地の洪水被害などへの着実な対応が評価され、与党・労働党の支持率が前月比2ポイントも上昇し42%に達したと報じられていました(保守党は同1ポイント減の32%/労働党が10ポイント以上リードしたのはイラク戦争前の2002年11月いらい/出典:毎日新聞ネット・ニュ-ス、2008.8.13、)。


●また、これは前の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070914)でも書いたことですが、このような意味で正統な民主主義の機能が作用したためか、米ブッシュ大統領の言いなりでイラク戦争へ参戦した誤りを徹底的に厳しく国民から批判されたブレア・前首相が、いさぎよく退陣した上でスムースに政権を後継者のブラウン氏へ譲ったイギリスは、今や、実質経済成長率が3%台の安定成長路線を歩みつつあり、失業率も大きく改善しています。これに比べると、日本政治の底なしの混迷と引き続く失政が国民の主権と国益を大きく損なっていること(=国民主権が危機に瀕することばかりをやってきた/つまり、米ブッシュ大統領のご機嫌取りばかりで、目前にある国民の隅々の現実への気配りが殆どなかったこと)が理解できるはずです。まことに、これは先進民主主義国家とは名ばかりで、あまりにも惨憺たる日本の有様です。今こそ、我われ日本国民は、このように厳しい現実を自覚することから出発すべきだと思います。


●米ブッシュ大統領は「テロとの戦い」の名分として<正義>(Justice)を掲げますが、どうやら彼の脳内では<正義>(Justice)の二つの成分である<公正>(Fairness=関係者どおしでの正義)と<公平>(Impartiality=客観的・第三者的な立場での正義)の区別ができていないようです。他方、歴史的な観点から見れば、ヨーロッパには16〜17世紀のオランダ(エラスムススピノザらの哲学)をルーツとする<寛容>(Tolerance)の精神が根付いており、特にEU欧州連合)が成立してから、この精神は明確に再確認されて欧州人権条約(http://tsnews.at.infoseek.co.jp/echr-j.htm)の形で具体的方向が表現されています。


●ここで言う<寛容>(Tolerance)とは決して軟弱なものではなく、それは<公正>(Fairness=関係者どおしでの正義)と<公平>(Impartiality=客観的・第三者的な立場での正義)の厳しくも絶妙なバランスの上で成立する<正義>によって守られます。そして、このような<正義>を明文化したものが<契約>(Contract)で、この<契約>を支えるのがドキュメント(Document)です。つまり、民主主義のシステムは“薄皮饅頭の皮”の如くフラジャイルかも知れませんが、その薄皮の如き民主主義を確実に保証するのが、このような意味での<正義>ということになります。結局、<正義>とはビジネスパートナー(当事者間)だけのものではなく、不特定多数の弱者なども含めた社会一般(Impartiality)を視野に入れたものでなければならないのです。


●ともかくも、ポール・ヴァーホーヴェンオランダ映画『ブラック・ブック』は、このような文脈で捉えるべき<寛容>と<正義>、そして<愛と真実>について再考するチャンスを与えてくれる秀作です。“美しい国”崩壊の危機の真相を考えるための教材としても、お勧めの映画です。なお、蛇足ながら主演のカリス・ファン・ハウテンはかなりセクシーな美貌の持ち主なので、そちらに目を奪われドラマの詳細でリアルな展開を見落とさぬよう十分に気をつけて鑑賞してください。また、劇中の会話はオランダ語、ドイツ語、英語が在りのままで使われており、これが映画のドキュメンタリー感を高めています。従って、日本語字幕版の方がお勧めです。