toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

ポスト「美しい国」に掛けられた「小泉の呪い」を解く鍵はサルコジ・フランスの政治動向にある

[副 題]ポスト・モダンの知を求め動揺する「フランス共和国の擬人化された女性像」


【画像の解説】



『“2000年の彫像・マリアンヌ”のモデルとなったレティシア・カスタ』 presented by http://www.laetitia-casta.net/castapedia/Marianne


・・・2000年度(〜)におけるフランス共和国の擬人化された女性像・マリアンヌ(Marianne)のモデルに、女優レティシア・カスタ(Letitia Casta)が選ばれています。これ以前のマリアンヌ(女性像、女神像)にはブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)、カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、ミレーユ・ダルク(Mireille Darc)が選ばれています。



ドラクロワ民衆を導く自由の女神』Eugine Delacroix(1798-1863)「La Libert・guidant le peuple」 1830 259×325cm  oil on Canvas Musee du Louvre Paris


・・・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』でもマリアンヌは描かれています。彼女はフランス革命の精神である「公共(共同の利益)・自由・平等」(=交換的正義と配分的正義のバランス/確率論的予測可能性と予測不可能性のバランス/正義(Justice)の二つの公正要素=公正(Fairness)と公平(Impartiality))の象徴です。


・・・・・


現代は、ますます「知」のあり方とその有効性の問題が突きつけられる時代となっています。言うまでもなく、およそ1930年代から2000年代までの間にフランスの知識人たち(例えば、アンドレ・ジッド、アンドレ・マルロー、ジャン・ポール・サルトル、ジャン・ヴィラール、レヴィ・ストロースミシェル・フーコージャック・デリダ、ピエ−ル・ブルデュージャン・ボードリヤールレジス・ドブレなど)が、絶えず、非常に大きな影響を世界へ与え続けてきました。


このため、ドイツのナチズムに対する深い反省と辛酸の歴史経験がもたらした「ゲルマン的知」を基盤とする「債権者(investor)の権利を守る立場の法制・簿記会計法等の上に構築されたEU欧州連合)型市場主義」が、そのEU欧州連合)の生みの親とされるフランスのエコノミストジャン・モネ(Jean Monnet/1888-1979/経済官僚で、戦時行政や第二次世界大戦後のフランスの近代化を推進し、EUの概念を創案したため“ヨーロッパ統合の父”と呼ばれる)らの努力によって、いわゆるマネーゲーム型の経済社会へ傾くアメリカ型市場原理主義へのアンチ・テーゼとして構築されてきたことは必然であったと看做すことができます。


ところで、2007.9.24付・共同通信(ウイーン、パリ、ワシントン発)の報道によると、「国連安全保障理事会五常任理事国+ドイツ」でイラン核問題を話し合う六カ国外相会議が今月の28日にニューヨークで開かれることになったようです。また、これに先立ち、9月21日にワシントンで行われた「ライス米国務長官=クシュネル仏外相」の会談では、これまでになく米・仏両国の足並みが揃ったとも報じられています。


この背景には、経済政策と外交政策の両面で対米接近中と看做されるサルコジ仏大統領の存在があることはいうまでもありません。しかしながら、そのフランス国内では、サルコジ新大統領の「大統領選挙」前後における言行の変化、米国型市場原理主義への急接近、あるいは与党の体制基盤を強化するための極右勢力への接近(選挙後の分析で、サルコジ勝利を支えた一角が特に富裕高齢者層であったことが明らかとなりつつある)などが波紋をもたらし、フランス社会に動揺の兆しが窺われるようです。


ところで、フランスには、フランス革命の精神である「公共(共同の利益)・自由・平等」を象徴する女性像・マリアンヌ(Marianne)を選ぶ慣わしがあり、2000年度(〜)におけるフランス共和国の擬人化された女性像・マリアンヌ(Marianne)のモデルには女優レティシア・カスタ(Letitia Casta)が選ばれました。これ以前のマリアンヌ(女性像、女神像)にはブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)、カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、ミレーユ・ダルク(Mireille Darc)が選ばれています。


そして、我われはこのフランスの擬人像のルーツが、あのドラクロワの名画『民衆を導く自由の女神』(=交換的正義と配分的正義のバランス/確率論的予測可能性と予測不可能性のバランス/正義(Justice)の二つの要素=公正(Fairness)と公平(Impartiality)/参照、下記記事▲1、▲2)であることを心に深く記銘し、注視し続けるべきだと思われます。果たして、この擬人像たるフランス美女たちの顔がどこまで歪むことになるのか・・・を。おそらく、このフランスの予期される動揺の波紋は、今後の日本の政治・経済・社会へも大きな影響を与えることになると考えられます。


▲1 2007-09-21付toxandoriaの日記/「ケインズ政策」へ救いを求める土壇場の「ブッシュ流・市場原理主義の没落、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070921


▲2 2007-09-15付toxandoriaの日記/映画『ブラック・ブック』に見る“美しい国”崩壊の危機の真相、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070915


この問題意識の具体的内容は、機会があれば別途に、より深めて書いてみたいと思っています。従って、当記事はその“予告編”の位置づけです。以下は、この<問題意識のヒント>を与えて頂いたsophiologistさまのTB内容と、それに対する筆者のコメントの載録です。


なお、当記事の<結論>に代えて、以下の載録の中から『toxandoriaが書いた最後のレス部分』だけを先に出しておきます。


<結論に代えて=「toxandoriaの最後のレス」部分より>


『 sophiologistさま、TBありがとうございます。


“ポスト・モダンは、脱近代主義の運動であるが、近代主義から脱却できずにいた”という問題提起は非常に重要だと思います。これは、おっしゃるとおり、kaisetsu氏がご指摘されていた大澤真幸氏の「アイロニカルな没入論」に重なると思います。


そして、「ブッシュの過剰な市場原理主義バカの壁)への没入→その“バカの壁”の“いかさま”小泉劇場への伝播→“いかさま”美しい安倍の国の崩壊」も、この視点にほぼ重なる問題だと理解しております。


そして、今や、この大いなる“ポスト・モダンの矛盾”がEU欧州連合)の中心の一つ、サルコジ政権下のフランスで顕在化しつつあるのではないかと思っています。


例 えば、それはベルナール・クシュネル外相(元・社会党左派)の「イラン問題に関する戦争必要論」でブッシュ政権へ接近した最近の発言であり、あるいはエ マニュエル・トッド(http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/todd.htm)の「戦争を不要にする武器として の核武装必要論」(2004年の来日時の発言=毎日新聞等に掲載)です。


このような観点から、この10月以降のフランスの政治動向は特に注視すべきと思っています。 (2007/09/24 11:48) 』


・・・・・


・・・・・以下は、[2007-09-21付toxandoriaの日記/「ケインズ政策」へ救いを求める土壇場の「ブッシュ流・市場原理主義の没落、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070921]のTB&レスの全載録・・・・・


[sophiologistさま]のTB(http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071012) → toxandoria

 内容の転載


■欧州経済はtoxandria氏が説くように、歴史により蓄積された知恵から


欧州経済はtoxandria氏が説くように、歴史により蓄積された知恵から、形成されていて、マネーゲームという癌細胞を抑えるように働いているというのは、重要な点だと思われる。


テーマ:金融・為替・株式・債券・通貨・税


以下は、慧眼なtoxandriaの日記の記事で、サブプライムローン問題について、実に明快に論述している。また、アメリカ型市場原理主義と欧州型債権者重視市場主義の違いが明瞭に叙述されている。


 思うに、ケインズ政策とは、紙一重の政策で、日本では、財政地獄化の原因になっている。欧州経済はtoxandria氏が説くように、歴史により蓄積された知恵から、形成されていて、マネーゲームという癌細胞を抑えるように働いているというのは、重要な点だと思われる。


  今、ここでは、詳論しないが、資本主義には、実に不思議な哲学的な力学(=魔力)がある。マルクスはそれを貨幣の形而上学と呼んでいたと思う。マルクスの 直観(もっとも、ゲゼル研究会の森野氏の見解では、プルードンからの剽窃ということであるが、議論の便宜上、マルクスのものとしておく。)は、鋭敏である と思う。


 結局、ポスト・モダン哲学は、貨幣哲学を問題にしていたと言っていいくらいだと思う。しかし、ポスト・モダン哲学は、連続性(正に、貨幣の本質)から脱出できなかったので、資本主義の問題を解くことができなかった。


  不連続的差異論を包摂したプラトニック・シナジー理論によって、この貨幣問題を解明する光が見えたと考えられる。toxandoria氏のいう欧州型市場 経済とは、債権者という差異を投資家の同一性から保護する意味合いがあるのだと思う。問題は、投資家も差異になりうるのであるが、貨幣・資本の量的増加 (魔女の予言/マクベスの「投機」)しか眼中にないので、バブル、バブル崩壊、そして、社会の解体へと向かうしかないのである。


 別稿で、プラトニック・シナジー理論による貨幣哲学を新たに試みたい。


toxandoria  → sophiologistさま


『sophiologistさま、TBありがとうございます。


>・・・ 欧州型市場経済とは、債権者という差異を投資家の同一性から保護する意味合いがあるのだと思う。問題は、投資家も差異になりうるのであるが、貨幣・資本の 量的増加(魔女の予言/マクベスの「投機」)しか眼中にないので、バブル、バブル崩壊、そして、社会の解体へと向かうしかないのである。・・・


欧州型市場経済アメリカ型市場原理主義とは違う意味で非常に厳しい側面(広い意味での正義を視野に入れた、より厳しい契約概念)があります。


例 えば、欧州委員会が、欧州および全世界におけるファスナーや関連機材の市場でカルテルを結んでいたとして日本のYKK、プリム、コーツその他4社・団体に 対し合計3億2,864万4,000ユーロの制裁金を科したというニュースが飛び込んできました。 → 参照、、http: //jpn.cec.eu.int/home/news_jp_newsobj2429.php


また、ポールソン米財務長官は9月21日 に訪問先のカナダで記者会見し“強いドルが米国の国益にかなうと確信している”と述べて外国為替市場ではサブプライムローン問題関連での米国の利下げを受 けてドル相場が下落している「過度のドル安傾向」へ警告を発したことが報じられています。


これは、ブッシュ大統領の対ケインズ政策回帰傾 向(記事で書いた、連邦住宅局(FHA)への過度の縋りつき)への牽制発言とも考えられます。 → 参照、、http: //www.nikkei.co.jp/news/main/20070922AT2M2200F22092007.html


ここで見られるのは、明らかに市場主義の原理的な部分での<欧州VSアメリカ>の鬩ぎ合いです。


自由市場におけるオープンな取引を活かすという点で両者の価値観は一致していますが、やはりここでは「アングロサクソン型金融ビジネスの手法」(投資者 (investor)の権利を重視する法制・簿記会計法等=米国型市場原理主義の土壌)と「ジャーマン・フランコ(ドイツ・ヨーロッパ大陸)型金融ビジネ スの手法=フランクフルトなどで培われたEU型市場主義」(債権者(creditor)の権利を重視する法制・簿記会計法等の土壌)の決定的な違いが浮き 彫りになっています。


これは未だ十分に理解していないのですが、喩えるなら、それは「商業銀行型金融仲介機能」と「投資銀行型金融仲介機能」のいずれを重視するかのスタンスの違いと看做すこともできそうです。


そして、その根本には重商主義奴隷貿易植民地主義・フロンティア開拓などにかかわる歴史的な資金調達経験の決定的相違があるような気がします。


いずれにしても、アメリカ型市場原理主義は、恰も西洋中世における十字軍(特にテンプル騎士団/彼らは王族や貴族らの財産を預かり独自の金融システムを発達 させた/彼らの組織は国際銀行の一つの流れの発祥地点と看做されている)を支えたカルト的熱狂のように“確率論的リスクと超越的実現不可能性”を混同して いるのではないかと思っています。』 (2007/09/22 14:17)


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[sophiologistさま]のTB(http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071013http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071014)→ toxandoria 内容の転載


■同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ(http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071013


テーマ:差異通貨・貨幣論


サブプライムローンという現代の金融工学を駆使して造られたローンであるが、実質は、貨幣の古典的形態の問題から出ていないと考えられるのである。つまり、 リスクを分散させて証券を多発したのであるが、結局、目指しているのは、交換価値=量的価値の増加・肥大化に過ぎないのである。古典的な貨幣の仕組みから 脱皮していないのである。小手先の技術が発達しただけなのである。


 さて、そこで、サブプライムローン問題に関係させて貨幣について、新たに、プラトニック・シナジー理論から考察してみよう。


  私は、サブプライムローンは、シェイクスピアの『マクベス』の魔女の予言とマクベスの関係と類似していると直感した。これは何を意味するのかと言えば、構 造として貨幣が喚起する、期待の地平(投機の地平)があるのであり、この期待の地平(魔女の予言の地平)において、同一性(連続的同一性)である貨幣(資 本)が拡大・成長・肥大化するのである。


 この拡大・成長・肥大化は、当然、量的増加であり、同一性構造における増大である。なぜ、この期待の地平において、増大化するのかと言えば、それは、同一性構造が自我の構造であり、端的に、自我欲望の構造であるからということになる。


 貨幣(資本)は、同一性構造=期待の地平において、自我欲望と結合・融合しているのである。ここでは、投機と妄想は区別がつかないだろう。だから、「魔女の予言」なのである。


 近代合理主義においては、合理的な投機と妄想的投機の区別がつかないのであり、バブルが必然的なのである。ここでは、合理性と妄想が同次元なのである。


  なぜ、合理性と妄想が同次元になるのかと言えば、端的に、同一性構造=期待の地平が基盤にあるからである。同一性構造とは、抽象・一般的構造、抽象的量的 構造であり、同一性(=貨幣)は無限に拡大しうるのである。つまり、抽象・一般・量的価値=近代合理性が無限に増加しうるという妄想を生むのである。


 このような近代合理主義的貨幣論に留まっているので、金融工学を駆使しても、サブプライムローン問題という古典的なバブルが発生するのである。


 この問題は、結局、貨幣における交換価値という同一性価値の増大に留まっていることから発しているのである。差異的価値へと転換しないために、同一性の量的価値の無限の拡大を志向して、バブル化して、崩壊するのである。


  金融資本の投資家が、量的価値しかもっていないから、このようなことが起きるのである。差異的価値へ盲目なのである。ここで、現代哲学を考えてみると、ポ スト・モダンは、脱同一性=差異を志向した。これは、単純に言えば、貨幣の同一性(近代合理主義)からの脱却を意味している。


 しかしな がら、これまで述べたように、ポスト・モダン哲学は、同一性を生み出す連続性から真に脱却できなかったのである。思うに、リスクを細分化して、拡散させる 金融工学は、ポスト・モダン哲学と同じではないかと思えるのである。リスクの細分・拡散化とは、同一性的差異(連続的差異)の形成を意味するのではないだ ろうか。連続的差異をたくさん作っても、結局は、微分に過ぎず、同一性自体は変わらないのである。元の木阿弥である。


 結局、純粋な、絶対的差異(超越的差異)へと転換できないことから、現代の資本主義の混沌が生まれていると考えられるのである。トランス・モダンへと転回できないでいるのである。


 絶対的差異への転換、これは、量的価値(交換価値)から質的価値への転換を意味する。そして、プラトニック・シナジー理論からは、差異は即非・共振性をもつので、差異共生主義へと転回することが考えられるのである。これは、新共同体(新共生体)を意味するのである。


 貨幣・資本は今や、新たな共同体・共生体形成へと振り向けられる必然性があるのである。成長という用語を使うならば、量的成長から質的成長へとパラダイム・シフトすべき時に至っているということである。比喩的に言えば、蛹から蝶へと成虫化すべき時に至っているのである。


  貨幣・資本は、同一性価値に基づく量的成長から差異的価値に基づく質的成長へ変換するために、投資される必要があるのである。この差異的価値への転換のた めに、差異的経済価値の法律が必要となると考えられるのである。差異共振性・差異共生性のために使用される投資は優遇されるように法律化すべきなのであ る。


 私は、単なる寄付ではいけないと考えられる。寄付=贈与は、実は一種の負債である。というか、根源的な負債であろう。寄付される方は、負い目があり、寄付する方は寄付される方に対して、権力をもつのである。あるいは、逆の関係となろう。どちらにしろ、主従関係である。


 ということで、近代合理主義/ポスト・モダン=魔女の予言(サブプライムローン)からのエクソダスとして、トランス・モダン=差異共振主義へとパラダイム・シフトする必然性があるということである。


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sophiologistさま → toxandriaの日記へのTB(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070921/p1
内容の転載


貨幣論:続き:同一性・自我・物質・交換価値・資本のハイパー・モダン(20071013、http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20071014


貨幣論:続き:同一性・自我・物質・交換価値・資本のハイパー・モダンと差異のトランス・モダン


テーマ:差異通貨・貨幣論


「同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10048167048.html


先に、上の論考を行なったが、今一つ整理がされていないので、ここで、丁寧に再考したい。


●私が問題にしたいのは、同一性ー自我における欲望の様態についてである。問題は、同一性ー自我という欲望において、貨幣の交換価値が深く結びついていることである。ここでは、差異ー自己は抑圧されて、隠蔽されている。


 私は、交換価値は抽象的一般的価値であり、無限的であると言った。つまり、同一性ー自我ー交換価値の欲望は無限増加を目指すと考えられるのである。そう、なぜ、無限増加を欲望するのか。資本主義は、この無限増加を駆動させるシステムであると考えられる。


 同一性ー自我ー交換価値(貨幣)ー資本の無限欲望システムということになる。そして、これに物質を加えることができる。


 同一性ー物質ー自我ー交換価値(貨幣)ー資本の無限欲望システムである。近代合理主義、自然科学・テクノロジーは、この経済システムと融合している。


 これは、ユダヤキリスト教西洋文明が生み出した恐るべきシステムである。もっとも、現代、その欠陥・破綻が明瞭になっているのである。


 問題は、差異のシステムの構築・創造にあると言える。言い換えると、トランス・モダン社会システムの構築・創造である。そして、プラトニック・シナジー理論は、その基本的概念を提示しうると考えられるのである。


  とまれ、差異を救うことが必要なのである。以上の同一性システムにおける抑圧・隠蔽された差異を先ず考えよう。これは既述であるが、再論すると、初めは、 同一性の発現が行なわれ、その後、差異が発動するが、同一性は差異の賦活を抑圧する。ここに、同一性と差異との闘争が生起するのである。近代合理主義は、 同一性(自我・物質)によって、賦活された差異(精神・想像力等)を否定し、抑圧する。しかし、差異の賦活は脱近代主義を志向する。


●ポスト・モダンは、脱近代主義の運動であるが、近代主義から脱却はできずにいた。


 問題は賦活された差異の抑圧としてのハイパー・モダン(過剰近代)の問題が、今日生じているのである。(思うに、これは、ポスト・モダンの問題と捉えてもいいのかもしれない。)


  つまり、差異は賦活されてエネルギーをもっているが、それに対して、同一性ー自我はそれを肯定できずに、強く否定して抑圧しようとする。しかしながら、賦 活された差異のエネルギーはなんらかの発現を求めている。ここで、病的な、狂気的な衝動が発動すると考えられるのである。先に、Kaisetsu氏は、大 澤真幸氏のアイロニカルな没入論を卓抜に捉えたが、このアイロニカルな没入という事象が、この病的な、狂気的な衝動と関係すると思われるのである。


 即ち、ハイパー・モダンとしてのポスト・モダン事象が現在、発現していると考えられるのである。そして、これが、現代資本主義、金融工学をもつグローバリゼーションと連関していると考えられるのである。


 つまり、賦活された差異のエネルギーの倒錯的な駆動が、現代資本主義のエネルギーになっていると考えられるのである。つまり、反動エネルギーが世界資本主義を駆動させていると考えられるのである。


 例えば、サブプライムローンにおける融資の異常性であるが、それは、同一性の反動として考えられるのである。魔女の予言を信じるマクベスのspeculation(思惑・憶測・投機)である。


 同一性(交換価値)に対する病的な思惑・欲望が支配していると考えられる。この病的な思惑・欲望は、抑圧された差異のエネルギーに駆り立てられているのではないかと考えられるのである。


 もし、なんらかの差異の意識・認識があれば、サブプライムローンの融資は、極めて危険であると判断できたはずである。しかし、ハイパー・モダン/ポスト・モダンにあっては、差異は反動化して、アイロニカルな没入を行い、同一性強化へと作用すると考えられるのである。


  何が言いたいのかと言えば、ハイバー・モダン/ポスト・モダンにあっては、アイロニカルな没入が諸事象に浸透するのであり、同一性(交換価値)は、同一性 自体で自己増殖するようになると考えられるのである。つまり、反動化した差異のエネルギーは、狂気(パラノイア)となり、同一性の意識(近代合理主義)を 麻痺させるのであり、同一性自体が目的化して、肥大化すると考えられるのである。これは、狂気(パラノイア)から発動しているので、超同一性の衝動が支配 して、バブルへと邁進すると考えられるのである。


 先の考察では、同一性ー自我の欲望によって、交換価値の無限化が追求されると言ったが、現代においては、単にそうではなくて、反動化した差異の倒錯したエネルギーが狂気(パラノイア)となり、同一性=交換価値の無限的追求が為されると考えるべきであろう。


 ということで、差異、不連続な差異、絶対的差異、超越的差異、そして、即非的差異を取り戻さないといけないのである。トランス・モダンへとパラダイム・シフトする必要があるのである。


 同一性資本主義から差異資本主義へと変容するのであるが、これは、人類世界の進化を意味するだろう。私は、ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明としての新世界文明を意味すると考えている。以上は、プラトニック・シナジー理論による解明である。


・・・・・


toxandoria → sophiologostさま


『sophiologistさま、TBありがとうございます。


“ポスト・モダンは、脱近代主義の運動であるが、近代主義から脱却できずにいた”という問題提起は非常に重要だと思います。これは、おっしゃるとおりkaisetsu氏がご指摘されていた大澤真幸氏の「アイロニカルな没入論」に重なると思います。


そして、「ブッシュの過剰な市場原理主義バカの壁)への没入→その“バカの壁”の“いかさま”小泉劇場への伝播→“いかさま”美しい安倍の国の崩壊」も、この視点にほぼ重なる問題だと理解しております。


そして、今や、この大いなる“ポスト・モダンの矛盾”がEU欧州連合)の中心の一つ、サルコジ政権下のフランスで顕在化しつつあるのではないかと思っています。


例 えば、それはベルナール・クシュネル外相(元・社会党左派)の「イラン問題に関する戦争必要論」でブッシュ政権へ接近した最近の発言であり、あるいはエ マニュエル・トッド(http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/todd.htm)の「戦争を不要にする武器として の核武装必要論」(2004年の来日時の発言=毎日新聞等に掲載)です。


このような観点から、この10月以降のフランスの政治動向は特に注視すべきと思っています。』 (2007/09/24 11:48)