toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「福田自民党」と「小沢民主党」に共通する日本政治の老人性痴呆化の問題(補足・改題記事)


<注記>


当記事は[2007-10-06付toxandoriaの日記/立憲平和主義が一向に理解できない「福田ネコ被り政治」と「小沢民主党」の頑迷固陋、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071006]をリメイクしたものです。前の記事では論点が散漫となっていたので、所見を補足するとともに改題して再度UPしておきます。


映画『山猫』のワン・シーン
http://www.pwblog.com/user/inamiyaphotos/highwaydiary/category_3137.htmlより


・・・ルキノ・ヴィスコンティLuchino Visconti )監督の映画『山猫』(原作は、ヴィスコンティと同じ貴族の末裔であるジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ/主演はバート・ランカスタークラウディア・カルディナーレアラン・ドロン)は、1860年5月、イタリア統一と貴族支配からの脱却で共和主義国家の設立を目指すガリバルディの部隊がシチリア島に上陸した頃から始まります。


・・・山猫を紋章とするシチリアの名門・サリーナ公爵家の当主ドン・ファブリツィオ(バート・ランカスター)は、例年の行事に従い家族を率いて避暑地の別荘へ赴きますが、自らが体制側に属していた王制の終焉と貴族社会の没落を予見します。ドン・ファブリツィオの『私は昨日のように変わらなければならない』という言葉が印象深い余韻を残す名画です(参照、http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD6059/index.html)。


・・・・・


[所 見]


ホワイトカラーエグゼンプションを「家族団らん法」と言い換えさせようとしたことに「マスゾエ大臣」と「福田ネコ被り内閣」の本性が現れています。 これは、年間25億円(2006年度/対自民党の政治献金実績)の賂を差し出す日本経団連の意を受けた奴隷制合法化の象徴です。


ミャンマーの非人権的・軍事政権を300年以上も昔(重商主義時代)の大英帝国へ置き換えれば、マスゾエ大臣は植民地(≒地方)と国民一般を上から冷酷に見下す悪徳総督(the evil governor general)です。


●日本政府は、ミャンマーの現実を無視して経済支援に傾注してきました。このため、不遜な「マスゾエ大臣」の姿は恰も特許会社(東インド会社)と軍事政権が結託した戦争ビジネスを偽装する「福田ネコ被り内閣」の露払い役のように見えます。


●このような観点から見ると、むしろ、今や世界政治の現実(リアリズム)が日本の「平和憲法の理念」を再評価する方向へ向かわざるを得なくなりつつあることに気づかぬ「福田ネコ被り内閣」と「小沢民主党」( ⇒ 雑誌『世界』11月号・掲載の小沢論文=国連決議による国際治安支援部隊(ISAF)参加の問題)の頑迷固陋さ(=日本政治の老人性痴呆化現象?)が浮き彫りになります。


●つまり、さもしくも、奪い合いながら日本経団連が投げ与える餌(=政治資金/2006年度実績・自民党25億円、同実績・民主党1億円)に食らいつこうとする「福田ネコ被り内閣」と「小沢民主党」のオゾマしい実像です。そして、その陰で横車を押すのが軍需産業(産軍複合体)という訳です。


●以下に、直近記事へのコメント&レス(標題に関連する内容)を再録しておきます。


[ 2007-10-04付toxandoriaの日記/“円天”の核心と干渉・共鳴する<小泉・安倍・福田政治>を貫く極右パワーの怪しさ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071004 ]に対するコメント&レス


(kaisetsu to toxandoria)


『丁寧なフォローアップ、ありがとうございます。


政治における、「友と敵」の不透明さは、その本質的部分、つまり政治の虚構性に根差していると思われます。


安倍晋三氏が猛烈に総理を目指したのも、福田康夫氏の総理就任を阻む意図があったと推察しています。福田康夫氏は、総理就任後、アッサリと、表向きにしろ、安倍色をドンドン消しています。


もっと、赤裸々な「友と敵」の不透明さは、鳩山家でしょう。激しく対立する民主党自民党の、有力幹部が兄弟です。それも、仲の良い。


ほとんど、茶番といっても可笑しくないと思われます。』 (2007/10/04 11:54)


(pfaelzerwein to toxandoria)


『「ドイツ・フランスなどが日本のテロ特措法に基づく活動をリップサービス的に支持」― 具体的に両国政府を指すのか特定メディアを指すのか分かりません が、九条の拡大解釈と破棄には重大な関心を払っています。


問題は、そうした「普通の国」に充分な成熟した自由民主的な政治・社会状況にあるかどうかです。 稚拙な「美しい国」論や幼稚な政治家達では無理と言う結論は出ていますね。』 (2007/10/04 17:08)


(toxandoria to 「kaisetsuさま & pfaelzerweinさま」)


toxandoria


『kaisetsuさま、pfaelzerweinさま、コメントありがとうございます。


「ドイツ・フランスなどが日本のテロ特措法に基づく活動をリップサービス的に支持」―ここから“リップサービス”を取り除いた部分は、多くの与党政治家やメディア関係者が折に触れ日常的に話していることです。


pfaelzerweinさまがおっしゃるとおり、本来であれば「普通の国」という言葉には欧州諸国のように民主主義的な国家のイメージが伴うはずでした。しかし、安倍政権は、この「普通の国」という言葉の意義を決定的に失墜させてしまいました。


そこで、この途轍もない失敗(国家的ヘマ?)を誤魔化すため、福田政権(というよりは自民党そのもの)はボケ老人の振りをしているのではないかと疑っています。あるいは本当にボケている可能性もあります。


ともかくも、kaisetsuさまがおっしゃるとおり総理就任後の福田康夫氏は必死になって安倍政権が書きなぐった「美しい国」と「戦後レジームからの脱却」の板書内容を黒板消しで消しまくっています。


しかし、その背後には、一向に“ドグマへの執着が失敗の原因を作る”という世界のリアリズムに気付くことができないアナクロな極右勢力が潜んでいると見ています。』 (2007/10/04 22:41)


[ 2007-09-30付toxandoriaの日記/【『戦後ドイツの知』と『ルソーの共和主義』への期待】VS【仮面を被る福田政権の欺瞞】、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070930 ]に対するコメント&レス


(イオン to toxndoria)


『イオンです。今日は。いつも勉強させて頂いております。


さて戦後 ドイツの知とフランスの共和主義の伝統がこの記事のテーマでありますが、小生は前者については三島憲一氏の平易な語り口の好著『戦後ドイツ』と『現代ドイ ツ』(ともに岩波新書)を読み、如何にドイツ知識人が中道左派の政治家(故W.ブラント氏、またH.シュミット氏)とともに大戦後にハイデッガーに理論的 に依拠し政治的・社会的無自覚を正当化したドイツのロマン的草の根保守主義を克服していったかを学びました。言わば伝統講壇哲学ではヤスパースやフランク フルト学派のホルクハイマー、アドルノハーバーマスは鋭い理性による批判力をもって、汚れた過去と負の遺産をも美しい言葉で覆い隠す「本来性という隠 語」と戦い勝利を収めたと言えます。


同時進行的に(前にもコメント欄で書かせて頂きましたが)社民党など左派政党の現実主義路線もある意味で奏功 し、なんとか政権交代が可能と成る政治体制を作っていったと思います。一時、ドイツ再統一前後、ナショナリズムの昂揚も見られましたが、極右政党の勢力伸 長はオーストリア、イタリア、オランダなど周辺国の方が目立った程でした。しかしドイツ東部地域の地方自治体における極右の勢力は不気味なものがあります が。ともあれドイツでは「優秀な民族の美しい国ドイツ」や「神聖な国ドイツ」などの「本来性の隠語」は日本における右派的ロマン主義イディオムよりは公共 の場では目立たなくなってきているようですが、如何お考えになりますか?


なおアドルノは「本来性という隠語」を無批判的な伝統と過去の賛美に基づ く実質のない美しい言葉という意味で使っていますが、小生はこれを少し拡大してプロパガンダで作り出された実質のない、美しく響き、かつは幻影の如く作り 出された世界情勢や経済状況などを反映するとされる言葉を含めたいと思います。一種の名付けで批判の対象を明確化を狙うためです。すると我が日本の「本来 性という隠語」はあるわあるわ、「(構造)改革」、「国益」、「テロとの戦い」、「国際貢献」、「抵抗勢力」、「国家の品格」、「国家の/政治家の DNA」等々枚挙に暇が無い程です。そういう言葉を口にすれば議論が終わってしまう雰囲気は民族主義の嵐が吹き荒れた第一次世界大戦敗戦後から30年代に かけてのドイツを思わせるかもしれませんね。


さてイラク戦争開戦に際して(うろ覚えで確かでなく恐縮なのですが)、ハーバーマスと故ジャック・デ リダが連名で発表した、アメリカ的新自由主義市場経済原理主義を批判した論文を見ればわかるように、戦後ドイツ的知とフランス的共和主義の共闘態勢は進 んでいるように思いますがどうでしょうか。またサルコジ氏はド・ゴール主義的フランス国益主義をテコ入れしようとして所謂構造改革主義に接近し、結果的に アメリカ的新自由主義に取り込まれたようにも見えますが、如何でしょうか。さらに仰るところの「ひたすら頑迷に凝り固まったフランスの極左」とは左派勢力 の具体的にどの範囲までを指すのでしょうか。先の大統領選でS.ロワイヤル女史がやや古いポッピュリズム的政策を打ち出したと評されたことにも関係してき ますか。一つでも御教示頂ければ幸いです。これからも私たちを啓蒙する記事の執筆を期待しております。』(2007/10/06 00:16)


(toxandoria to イオン様)


イオン様


こちらこそです。コメントありがとうございます。


日本のゲルマニストは二派に分かれる、ということを何処かで聞いたことがあります。一つはイオンさまがおっしゃる「本来性という隠 語」を支持するロマン的保守主義で、もう一つは、それを克服したヤスパースやフランク フルト学派の影響を受けた「ドイツの知」だと思います。それに、社民党など左派政党の現実主義路線も重要な役割を担ったことが重要だと思っています。


翻るに、我が日本では未だに「本来性という隠 語」を支持するロマン的保守主義(もっと断言的に言えば極右)の殻に閉じこもったままのゲルマニストが、「美しい国」へも大きな影響を与え続けてきました。それは、例えば「つくる会」などの場においてです。また、日本のアカデミズムでは未だにフランク フルト学派と聞くだけで、それはサヨだと指弾する空気も根強いようです。


これに関し、ある講演の折に姜 尚中氏がヴィスコンティ監督の名画『山猫』(ランペドゥーサ原作)の中で主人公ドン・ファブリツィオ(山猫を紋章とするシチリアの名門・サリーナ公爵家の当主/バート・ランカスターが演じた)が語る印象的なセリフを紹介されていたことを思い出しました。それは・・・『私は昨日のように変わらなければならない』という短いセリフです。「つくる会」など、日本における極右勢力を支持する人々にこそ、このドン・ファブリツィオの言葉を理解してもらいたいと思っています。


更に、日本の大きな課題はドイツのような社民党など左派政党の現実主義路線が欠落していたことだと思います。これからは、日本の立憲平和主義(平和憲法主義)の理念(≒東西ドイツの統一を成し遂げたゲンシャーの多国間平和主義の精神/立憲愛国主義)とフランス流共和主義の理念を、国民一人一人が、それぞれ自分の問題として具体的に理解できるように、特に健全な国民層の中核部分(=これが、今没落しつつあると看做される「中間層」)へ訴えてゆく戦略が必要なのではないかと思います。ただ、この点については現在の民主党も自覚が不足している(⇒雑誌『世界・11月号』の小沢論文)と思われます。


ともかくも、この視点からすると、やはり小泉〜安倍政権の格差拡大主義(過剰な構造改革路線)が日本の民主主義の環境破壊工作であったように見えてきます。いまや、そのような国際環境ではないにもかかわらず・・・。従って、小泉〜安倍政権の政治理念は明らかに世界のリアリズムから乖離した虚構(あるいは殆ど狂気に近いリアリズム感)であったと思います。しかし、仮面を被った福田政権も油断はできません。例えば、渦中の「集団自決・軍関与の教科書記述問題」に関して、さっそく「つくる会」が文科相あてに“訂正に応じるな!”と強硬な申し入れ(圧力)の意見書をぶつけています。


戦後ドイツ的知とフランス的共和主義の共闘態勢は進 んでいると思いますが、やはりサルコジが問題だと思います。まだ、この“大いなる矛盾”の行方は分かりませんが、ヒントになるのは「2007年フランス大統領選挙」の結果(サルコジ53.06%、ロワイヤル46.94%)です。この二つの獲得率の差(6.12%)を大きく見るか、小さく見るかです。どこで見たか忘れてしまいましたが、この票についての両者の開きには、比較的豊かな高齢者層(フランスは超高齢化しつつある/参照、http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/Demographie.pdf)の存在が影響したと看做すことができるようです。20代〜60代の年齢層では、すべてロワイヤルの数字の方が大きかったようです。


「ひたすら頑迷に凝り固まったフランスの極左」はトロツキズムを掲げるフランスの極左政党「革命的共産主義者同盟」(LCR)をイメージしたものですが、在パリのジャーナリスト及川健二氏は、オリヴィエ・ブザンスノ党首が同党を発展的に解消して新党を結成する用意があると語ったことを報じています(参照、http://www.pot.co.jp/oikenparis/archives/2007/09/26/lcr-2)。これが、ドン・ファブリツィオのような『私は昨日のように変わらなければならない』であれば良いのですが・・・?