toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

サブプライム・ローン妄想/『御上の踏み倒し』と『国民の無限責任』に頼る日本型民主主義の貧困


【画像0】lara fabian comme ils disent


ベルギー人の父とイタリア人の母を持つララ・ファビアンは、性格的にはイタリア人気質で、情熱的なタイプだそうです。子供の頃から、人が“愛”というものを蔑ろにしていることに、ある種の怒りに似た感情を持っており、だからこそ人一倍に“愛”を大切にしたいと思うがゆえに、傷つき、悩み、葛藤することも多く、そういった経験から彼女の歌は生まれたようです。


フランスとカナダで、既に過去3枚のアルバムが600万枚を記録したララ・ファビアン(Lara Fabian)は、フランス語・英語・イタリア語などを使いわけカナダを本拠地とするベルギー生まれの実力派・歌手です。



【画像1】Non, je n'ai rien oublie- Charles Aznavour - Palais Congres



【画像2】仙台近郊、晩秋の風景4



青葉山周辺




紫山周辺
 



輪王寺  輪王寺のHPはコチラ → http://www.rinno-ji.or.jp/#






円通院(松島)のライトアップ  円通院のHPはコチラ → http://www.entuuin.or.jp/
















(プロローグ/近代的金融コンセプトの萌芽)


【画像3】マセイス『金貸しの夫婦』1514


Quentin Massys(ca1465-1530)The Moneylender(The Debt Collectors and his Wife)71 x 68 cm Panel Musee du Louvre 、 Paris


アントワープ(英Antwerp、蘭Antwerpen、仏Anvers)は、ブラッセル(英Brussels、仏Bruxells)の北方約50kmに位置する、人口が約50万人のベルギー第二の都市です。この都市の特徴は、先ず北海に注ぐスヘルデ川の東岸に発達した世界規模の貿易港(周辺に大工業地帯を形成)として発達してきたことであり、同時にアントワープは中世以降の繁栄に支えられた豊かな伝統文化都市でもあります。13世紀頃から始まる繁栄の頂点は、神聖ローマ皇帝カール5世(位1519-56/スペイン王カルロス1世/ハプスブルク家)が統治した16世紀です。その間、ブルゴーニュ公国(9世紀末〜1477)の支配下にあった15世紀にはブリュージュ(蘭Brugge、仏Bruges)やゲント(蘭Gent)との間で経済的な繁栄を競いました。


凡そこのブルゴーニュ公国の末期からドイツ・フッガー家(Fugger/参照、http://en.wikipedia.org/wiki/Fugger)の財政援助でライバルのフランス王・シャルル8世を破り神聖ローマ皇帝に選ばれたハプスブルク家カール5世(位1519-56)の支配に代わる頃が、初期・北方ルネッサンス絵画(初期ネーデルラント絵画、初期フランドル絵画)の時代であり、それはロベール・カンパン(Robert Campin /1378-1444)、ファン・アイク兄弟(H. van Eyck/ca1370-1426、J. van Eyck/ca1390-1441)、ペトラウス・クリストウス(Petrus Christus/ ? -ca1472)、、ロヒール・ヴァン・デン・ヴァイデン(Rogier van den Weyden/ca1400〜64)、ハンス・メムリンク(Hans Memling/ca1430-1494)、クエンティン・マセイス(Quentin Massys/ca1465-1530)らの画家たちが活躍しました。


クエンティン・マセイスの絵画『金貸しの夫婦』は、このような15世紀〜16世紀ヨーロッパの“時代の空気”を表現した傑作として知られています。なぜなら、マセイスが生きた頃(≒盛期ルネサンス美術の時代)は交易・金融都市アントワープなどで「投資」、「貸付」、「債権」、「複式簿記」など金融技術の役割が本格的に認識されるようになった時代であり、別に言うならば、それは「ヨーロッパ経済社会の大変革の時代」であったからです。なお、15世紀末は豪奢な美術・工芸作品が特に持て囃されるようになった一種のバブル現象期であり、このような時代の空気の中でハプスブルク帝国のパワー(=政治・経済力)が醸成されます。また、それは「17世紀レンブラントの時代」(=こちらは、プロテスタント・中産市民の経済力と都市アムステルダムが舞台となる17世紀オランダの黄金時代)へのプレリュードでもあります。


ルーヴェン(Leuven)生まれのクエンティン・マセイスは1491年にアントワープの画家組合に入会しており、それ以降は当地で活躍します。ファン・アイクなど15世紀ネーデルラント絵画の創始者たちの伝統を受け継ぎながらも、マセイスはイタリア・盛期ルネサンスの理想美を本格的にフランドルへ伝えたことでも知られています。このため、マセイスは人間味に溢れる優美な聖母子像を描くことを得意としましたが、一方では、その優れたデッサン力を駆使して社会風刺的な絵画や、この『金貸しの夫婦』のような市民層における日常生活の空気が伝わるリアルな絵画も描いています。


因みに、Lisa Jardine著『Worldly Goods』(W.W. Norton、p97-99)によると、ヨーロッパにおいて「約束手形、消費、外国為替」など近代的な意味での経済・金融コンセプトとビジネスモデルが芽生えたのも、ほぼこの時代(14世紀末-16世紀)であったようです。そして、この時代の経済・交易活動を牽引したのがアントワープフィレンツェの二大都市で、その中枢の役割を担ったのがフッガー家(南ドイツ・アウグスブルク)とメディチ家(北イタリア・フィレンツェ)であり、やがて、中世最後の騎士と呼ばれたオーストリア大公・マキシミリアン1世が、ハプスブルク出身の最初の神聖ローマ皇帝(位1493-1519)となり、それを引き継ぐのがカール5世です。なお、この時代のヨーロッパにおける国際政治の空気を概観するには下記の記事◆を参照してください。


2006-09-28付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/オランダ編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060928


ところで、この時代の最大の借金王(Debtors)はローマ教皇を始めとする王侯貴族たちです。彼らはフッガー家メディチ家などの才気煥発な金融業者たち(The Debt Collectors)から莫大なカネを借りまくり、それによって豪奢な財産(Belongings/建造物、金銀財宝、美術工芸品など)を競って形成しました。そして、彼らの莫大な借金返済のため過酷な税金が農民ら庶民層の人々へ課せられたのです。まさに、この時代はサブプライム・ローンが誕生した時代でもあったという訳です。なぜなら、米国のサブプライム・ローンは、B層国民に対して、恰も彼らが14世紀末-16世紀頃の王侯貴族にでもなったかのような“錯覚の気分”を仕掛ける金融技術と見なせるからです。ただ、残念ながら本物の王侯貴族と異なり、これらB層国民には「強力な政治権力」がありません。



サブプライム・ローン問題と日本の不良債権問題の根本的な相違点)


直近の報道によると、当初は世界で15兆円程度と見込まれていたサブプライム・ローン(格付けが低いB層米国民向けの住宅ローン/総残高約150兆円(1兆3千億ドル)の約1割が焦げ付いたと看做されていた)関連の回収不能額がOECDの推計では約33兆円まで膨らみ、日本の金融機関が抱える回収不能額も、現在まで表面化しただけで約1.3兆円になったようです。これは、予想したとおりですが、この問題は8月上旬の表面化から、いよいよ実体経済への波及が本格化する段階へ入ったようです。


サブプライムローン問題が8月上旬に表面化してから暫くの間は、この余りにも深刻な問題の二次・三次的な犯人探しの方へ疑心暗鬼になった市場関係者らの関心が傾き、RMBS住宅ローン担保証券)の劣後部分だけを取り出した不動産債権にかかわる複雑な証券化商品(例えばCDO(トリプルB格の証券だけを集めた債務担保証券)など)のファンド分野全体への浸透、空売りスワップ・オプション等のヘッジ技術、ディリバティブ等の高度な金融工学関連技術への過剰なのめりこみ、あるいは格付け会社そのものについての悪玉論が噴出するなど、金融技術フィールドでの犯人探しの動きが果てしなく広がり、市場全体の混迷の度合いが深まる一方となってきました。


いずれにしても、このサブプライムローン問題の本質は、本来であれば絶対に貸すべきでない“既に破綻した低格付け層の人々へ超高金利で住宅ローンを貸し付けた挙句に他方で不動産バブルを煽る(=地上げ行為の公認)”という、米国流市場原理主義の<余りにも特異でさもしい精神>の中にこそ見るべきだと思われます。喩えるなら、それには『人間の基礎体力を維持するのに必要な最低限度の水と食糧(栄養)が不足して衰弱し切った漕ぎ手の奴隷(決定的な弱者)たちを、更なる“ムチとアメ”で脅し、なだめ、すかし、誑かして漕ぎ続けさせるという非人道的な命令を下すガレー船(Galley)の冷血な船長』のようにオゾましいイメージが付き纏っています。ところが、驚くべきことですが、このように過酷なはずのアメリカの「サブプライムローン問題」には、「日本の銀行不良債権問題」(特に地方銀行では今も引き続いている・・・)とは全く異なる“基本的人権に配慮したファクター”があるのです。


それはアメリカにおける不動産貸付にかかわるノンリコース・ローン(Non Recourse Loans)の存在ということです。多民族国家ゆえの人種差別・出自差別・職歴差別などの問題を回避しつつ国民への融資にかかわる平等の原則を徹底するため、アメリカの不動産ローンには「返済履歴の厳格なチェック」と「ノンリコース」という二つの原則があるのです。前者について、アメリカ在住の作家・冷泉彰彦氏は“アメリカでは「大企業の管理職だから」とか「時給制の工場労働者だから」というような肩書きによる偏見も排除して「客観的な」支払い能力を点数化する、それも推測に基づく点数ではなく「過去にどれだけ借りて返したか」という過去の履歴を中心に判断するというシステムが作られたのです。”と述べています(出典:『サブプライム・ローン問題の表とウラ』、JMM [Japan Mail Media] No.449 )。


また、「ノンリコース」についても冷泉氏は“多くの州で州法で定めたルールを適用しているのですが、平均的なものは「月々の返済額が1ドルでも足りなければ債務不履行とみなす」そして「債務不履行が2ヶ月(または3ヶ月)続いた場合、即座に全額弁済かまたは不動産の差し押さえ措置となる」という条件です。その一方で、仮に不動産価格が下落していて差し押さえられた物件を競売にかけても、ローンの残高に満たない場合は差額は免除される(ノン・リコース)のが普通です。利用者の生存権を守るために、多くの州では州法で、住宅ローンはこの「ノン・リコース」でなくてはならない、という条件が定められています。”と述べています(出典:同上)。


つまり、この「ノン・リコース」の原則に従えば、貸し手責任(=ハイリスク・ハイリターンでローンを組んだ住宅販売会社または銀行側の責任)の重さが決定的に問われる訳です。従って、借り手からすれば不動産価格の値下がりでローン借り換えなどの目論見が外れ行き詰まった時には、むしろ「差し押さえ→自己破産」となった方が気が楽になり、持ち家は失うものの再び貸家に入れば今までどおりの生活が出来ることになる訳です。最近、我が国でもノンリコースローン(非遡及型融資)は注目されつつありますが、外資系が先行しており、邦銀は未だ優良大企業を対象にしたものしか開発していないようです。そして、ここで浮上するのが“100年以上前にできた古い民法上の観点から、個人に対して「借金に関する無限責任の原則」が徹底的に追及される”という日本の「非人権的」な現実です。


あの小泉政権下での「巨額の不良債権のハードランディング処理」や「商工ローンの連帯保証人問題」などで凄惨な自殺者が多発したことは周知のとおりであり、現在もこの種の悲劇は後を絶っていません。それどころか、これから地銀関係の「不良債権処理」が本格化すれば、再び悲惨な非人権的事件の多発が予想されます。一説によれば、<政財界と司法・法曹アカデミズムの利害の一致>から、このように非民主主義的、非人権的な民法上の原則が未だにまかり通っているということのようです。ここには、我が国の民主主義が未だに“未熟で貧困で野蛮なレベルに甘んじている”(=国民の生命・財産を二の次として、国家・大企業を優先している)ことがリアルに表れています。


これでは日本の民主主義が余りにもお粗末すぎます。一刻も早く、アメリカ及びEU諸国における「個人の無限責任の追及に対する一定の制限」などの実情を十分に調査したうえで、超党派の国会議員が本気になって協力して「このように非人権的な日本の民主主義の根本を改善する方法」を具体的に考えるべきではないかと思われます(このように原理原則的な部分で、まるで家畜でもあるかの如く一般国民を粗末に扱う有様を放置したままで、日本の国会議員らが海外の視察旅行の先々で我が国は先進民主主義国家の一員だなどと威張っているとすればお恥かしい限りではないか!平成16年6月14日付で超党派の国会議員有志・87人が衆議院議長宛に「金融機関等からの借入の連帯保証の実態に関する予備的調査要請書、http://homepage3.nifty.com/shiina-lawoffice/yobitekityousa_87giin.html」を提出したことになっているが、その後の進捗はどうなっているのか?)。そのうえ、懸念されるのは、何故か、この問題を取り上げることについて我が国のメディア一般の熱意が感じられないことです。



(『御上の借金踏み倒し』と『一般国民に負わせる無限責任』の伝統を踏襲する現代日本の財政政策)


経営悪化で喘ぐ「第三セクター」を破綻処理する際に、その損失補償などの必要経費を地方債の発行で賄うプランが総務省で検討されているようです(情報源:2007.11.24付・朝日新聞)が、そもそも我が国における「第三セクター」の理解が欧米のものと異なっていたこと(日本:第三セクター=民活を唄った“官+民”組織の乱造 → 無責任経営 → 経営破綻が多発 → 巨額負債の発生/ 欧米:第三セクターNPO、慈善団体等の公共サービス提供の民間団体 → 目的に沿った経営責任の遂行)が、この類の巨額負債をもたらした原因ですが、ここではこの問題には深入りしません。


ここで驚かされるのは、総務省が、特例として地方債の起債を自治体へ許可することで巨額の負債を後世世代(何ら責任がないはずの未来の子供たち)へ先送りするという相変わらずの無責任なドンブリ勘定の発想を臆面もなく振りかざしていることです。ごく最近のことですが、全国で15ヶ所の「独立行政法人」の繰越欠損金(→ その中身は無責任経営で生まれた巨額の債務と「渡り行為」を繰り返す天下り高級官僚らの高給と高額退職金)を処理するため約5兆円に上る政府出資金が使われていたことが明るみに出たばかりです(情報源:2007.11.10付・日本経済新聞)。


そのうえ、小泉政権下で独立行政法人化したばかりの「国立大学法人計87校」のうち約7割の60校で総計65人の文部科学省出身者が新設の役員ポストへ就いていることがバレたばかりでもあります。また、政府の「有識者懇談会」が国家公務員の再就職の斡旋を一元化する「官民人材交流センター新人材バンク、渡辺内閣府特命担当大臣の所管)」について纏めた報告書では、高級官僚が独立行政法人などに再々就職を繰り返して多額の退職金を受け取る、いわゆる「渡り行為」の早期禁止など、最も重要な改革案の中枢部分が官僚の指示によってホネ抜きにされていたことも判明しています(情報源:2007年10月22日付・産経新聞)。


明らかに、この類の巨額債務の発生についての大きな責任は、過去5年に及ぶ「インチキ小泉構造改革」が日本伝統の大福帳感覚(=ドンブリ勘定=債務の先送り勘定)的な財政政策を口先で誤魔化しつつ徹底的に偽装したことにあります。しかも、それを引き継いだ「安部〜福田」政権は、これらの問題点について何ら改善策を示しておらず、そのまま踏襲しています。結局、これらの巨額債務は膨大な国債発行となって未来の日本国民へ先送りされる訳です。因みに、地方債を含む日本全体の長期債務残高総額は、実に恐るべきことですが、約1,200兆円へ接近中です(参照/『リアルタイム財政赤字カウンタ』、http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html)。


また、ここで関連する議論をこれ以上深めるつもりはありませんが、外貨準備で保有することになった米国債(米国財務省証券)の利息収入が、不合理な財政法の規定によって、いったん政府短期証券(FB)を発行(事実上の国債を発行)し別枠(特別会計上)の円資金を調達してから、その利息収入相当のドルを円に換金しなければならないため、ここ3年の間に約10兆円も国債発行残高が増えてしまったという“不可思議な問題”もあります。弱者層に厳しい逆累進性がある消費税引き上げ論(たとえ、それが社会福祉目的税であるにせよ)を国民へ押し付ける前に、この種の財政政策上の不合理な問題点を「大企業に有利な法人税の厚遇問題」とも絡めて、先ず政府および財務省自身が自らの不合理な点を改善すべきではないかという指摘があります(参照、http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-501.html)。


ともかくも、このような形で「御上の不始末」と「財政管理上の不合理」の結果として積み上がった巨大債務の尻拭いを一方的に「国民と弱者一般および日本の未来の子供たち」へ押し付けようとする日本政府のホンネ部分には、特権的で不合理な『御上の不始末がもたらす巨額債務』は下々の国民へ負担させて当然とする江戸時代以降の『御上の踏み倒し』の悪しき伝統が巣食っていると思われます。



(『御上の借金踏み倒し』と『一般国民に負わせる無限責任』の伝統の奥にあるもの)


(1)現代日本の「特別会計」の異様な姿


これは前々回の記事にも書いたことですが、小泉政権→安倍政権→福田政権(=総選挙の洗礼を受けていない政権のたらい回し)では「ヤラセ&偽装的政治手法」で「国民一般からの搾取を合法化」しようとする意志が連綿と受け継がれています。その薄汚くも腹黒き輩の“ドス黒い特権意識の流れ”を一言に纏めるならば、それは『族議員・高級官僚らによる、自らの懐具合についてのネコババ的調整の伝統=税金ドロボーの合法化システム』という恐るべき手練手管ということであり、その非合法的な遣り繰りの究極の打ち止めが『御上の踏み倒し』ということです。そして、このような『ネコババ的調整のための腹黒い伝統=税金ドロボーの合法化システム』の偽装CPU(Central Processing Unit/中央演算処理装置)の役割を担うのが「特別会計」のシステムに他なりません。


しかも、この日本の「特別会計」が如何に異常な規模となっているかは下の大まかなフレーム・データ◆を見るだけで一目瞭然です。やはり、<国家規模のネコババ権益をめぐる暗闘>の奥深くには一般会計、独立行政法人、利権絡みの天下りなどを相互に遣り繰りするための偽装CPU装置に当たる「特別会計というサンクチュアリ(聖域 or やんごとなき御神体)」が鎮座しているのです。従って、このように異常な事態をもたらした背景として、近代世界に類例が見られぬほど特殊な<日本の特別会計の発展史>をシッカリと見据える必要があります。なお、ドイツなど欧米諸国には「特別会計の規模」を一定フレーム内に留まらせるための法的条件が整備されているようです。


◆先進国の名目GDPと国家予算の比率(http://www.tsuji-y.com/page057.htmlより)


          A名目GDP B政府支出額 C名目GDPに対する政府支出額の割合
アメリカ合衆国  1059兆円   194兆円     18.3%
ドイツ       240兆円   30兆円     12.5%
イギリス      164兆円   46兆円     28.0%
フランス      163兆円   31兆円     19.0%
日本        506兆円   234兆円     46.2% ← この対A比率の異常な大きさは国家的ネコババを傍証する数字!


D日本の一般会計予算:81・8兆円(2003年度、http://blog.digi-squad.com/archives/000603.html
E日本の特別会計予算:199・7兆円(2003年度、http://blog.digi-squad.com/archives/000603.html
F2003年度の政府支出額(単純合計):D+E=281.5兆円
G2003年度の政府支出額(Fから相互に重複する部分を除外):232・6兆円


これは先に見たことですが、現時点における日本の国債等公的債務残高(地方債・利払込)は約1,200兆円へ接近中です。この日本の財政事情は、鎖国の眠りから覚めて以降約140年以上に及ぶ近代日本史の中で俯瞰すると、第二次世界大戦後の戦後恐慌時代の大混乱を除けば明治維新直後の時代に匹敵するほどの大変な苦境に嵌っていることになります。


ところで、明治維新政府は旧幕府・政府から幕末時点での多額の債務(対外債務含み)をそっくり引き継ぐことになり、特に維新後の約10年間は、その天文学的な規模の公的債務処理に艱難辛苦の努力を強いられていました。この深刻な財政難を建て直すため維新政府が取った政策の主柱は①日本全体への徴税権の確立、②税収の(コメの年貢→)現金化(地租改正等)、③旧幕府から引き継いだ莫大な債務の処理、④旧士族等への秩禄処分、⑤殖産興業の五本です。この努力の甲斐があり明治7年〜8年(1874〜1875)頃の財政収支は一応プライマリーバランスの黒字(債務の元利償還部分を除外した黒字)を達成しました。


しかし、ここで我われは、この明治維新期という特別の歴史プロセスとそれに続く明治中〜後期の財政史の中で「軍国主義ファシズムへ向かう国家意識」と「特別会計」という“現代日本の財政に影響を及ぼすことになる相互補完的な二大病根が発症していた”ことに注目すべきです。特に、「特別会計」は、今や止めどなく増え続ける日本の国債等公的債務残高(利払込)の元凶(主な原因)となっており、将来への重圧となっています。そこで「明治維新政府が幕府から引き継いだ累積債務額とその処理方法」に焦点を定めて根本問題の在り処を検証してみることが重要になります。



(2)幕末における江戸幕府の財政規模と公的債務額の推定


2−1 財政規模


江戸幕府の財政運営の特徴はいわゆる“丼勘定”に近いものであったうえ、分かり易い記録が入手困難なので「幕末資料集」(http://page.freett.com/sukechika/siryou.html)のデータを手掛かりに、やや強引な推計を試みることにします。それによると、江戸時代後期の幕府の収入(歳入)額は、およそ400万両ほどの規模です。一方、明治4年(1871年廃藩置県が行われた年)の「新貨条例」でアメリカの1ドル金貨に匹敵する価値として1円金貨が定められているので、この400万両はこの当時の円価で400万円程度の価値であったと考えられます。(なお、江戸時代後期の1両の価値は米1石に換算されている)


徳川幕府の財政規模は全国諸大名のそれの約1/4と考えられるので、幕末期の日本全体の財政規模は約1,600万円(両、石)と推定されます。同じ「幕末資料集」の記述によると、勝海舟の著書『吹塵録』の中に天保13年(1842年、水野忠邦の「天保の改革」の開始は1841年から)における財政赤字額が約52万両(歳入が約92万両、歳出総額が約145万両)であったとの記録が残されているそうです。単純に計算すると実に歳出総額の約40%が赤字であったことが分かります。1716年からの「享保の改革」(享保元年〜延享2年)、1787年からの「寛政の改革」(天明7〜寛政5年)、1841年からの「天保の改革」(天保12〜14年)の改革努力にもかかわらず江戸幕府の財政は悪化を辿り幕末を迎えることになります。


幕府の財政は、元禄期頃(17世紀初頭)から貨幣経済武家・町人の生活に浸透するとともに人々が奢侈を好むようになり、またそのような傾向が農村経済(自給自足)を破壊し始めるとともに悪化の一途を辿り始めます。つまり、この頃から幕府及び諸藩ともに財政支出の超過が著しく目立つようになった訳です。また、幕府財政の歳入調整手段では「貨幣改鋳による臨時収入」という麻薬を打つような“悪習”に取り憑かれていたことが特に目立ちます。因みに、天保13年における歳入総額(400万両)の約21%(84万両)は「貨幣改鋳益金」が占めています。このような“悪習に嵌った”ような感覚麻痺の現象は、財務官僚や政治家たちが国債増発に“鈍している感覚”と似ているかも知れません。


2−2 公的債務額


維新元年における公的債務額の正確な数字は分かりませんが、「明治維新期の財政と国債」(http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf)によると、維新政府が引き継いだ旧藩の累積債務額は約1.1億円なので、維新政府が幕府本体から引き継いだ累積債務額は少なくとも0.3億円程度ではないかと思われます。(財政規模の割合から推計)結局、明治維新元年頃の日本の公的債務累計額の規模は、きわめて大雑把な話になりますが当時の時価で1.4億円程度であったと推計できます。


同資料「明治維新期の財政と国債」によると、明治元年頃の歳出合計は約0.31億円です。この歳出額を基準にすると、明治維新期の公的債務累計額の規模はその約4.5倍となります(1.4/0.31=4.5)。現在の日本における公的債務累計額と一般会計歳出額(公的債務累計額=約1,200兆円、一般会計歳出額=約85兆円)について同じ倍率を見ると14.12倍となり、いかに現代日本の財政規律がハチャメチャなものであるかが分かります。また、現代日本の財政事情は、驚くべきことに、野放図の極みにに嵌っていた幕末の大混乱を引き継いだ明治維新政府の時代よりも深刻な状態であることが理解できるはずです。このように見ると、特に小泉政権下の5年間で200兆円を超える公的債務(国債等)が増発されたことの責任(意味)は重大です。


2−3 幕末〜明治維新期に見える『御上の踏み倒し』(=一般国民に無限責任を負わせつつ国家的借金を踏み倒す手法)の原点


前に書いたことですが、「明治維新期の財政と国債」(http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf)によると、維新政府が引き継いだ旧藩の累積債務額は約1.1億円なので、維新政府が幕府本体から引き継いだ累積債務額は少なくとも0.3億円程度ではないかと思われます(財政規模の割合から推計)。結局、明治維新元年頃の日本の公的債務累計額の規模は、きわめて大雑把な話になりますが当時の時価で1.4億円程度であったと推計できます。しかし、この数字はあくまでも“表向きの公式の数字”に過ぎないようです。それは、幕府や諸藩が政治権力(武力、軍事的暴力)を笠に着て“(一方的なデフォルト宣言)を実行するのは当然のことであったからです。特に、倒幕から明治維新期の中央政治で中心的役割を担った薩摩藩長州藩の“借金の踏み倒し”のスケールには驚かされるはずです。


例えば、薩摩藩では、1830年(天保元年)に藩主・島津重豪(しげひで)から500万両の古借証文の回収を命ぜられた家老・調所広郷(ずしょひろさと)が大坂、江戸の大商人から古い借用証文を取り上げて、250年賦無利子払いに切り替える、事実上の“借金踏み倒し”を断行しました。敢えて500万両を現価換算すると少なくとも3,000億円程度になります(1両の現価については3〜10万円の諸説があり、ここでは1両=6万円と仮定した)。実に、これだけでも維新政府が諸藩から引き継いだと推定される全債務額に匹敵するのです。また、調所は偽金の密造や琉球国利用の中国密貿易にまで手を染めています。これが、世に名高い「島津藩の藩政改革」の実相の一端です。一方で、諸藩がそれぞれの歩に応じて“借金踏み倒し”を断行したことは想像に難くありません。このように見てくると、維新期の日本の債務額は、恐らく、少なくとも表向きの数字である1.4億円の10倍以上の規模であったと想像できます。このような事態(大デフォルト)の被害者は没落への泥沼に嵌った大坂、江戸等の大商人のみならず善良な一般の庶民階層へ様々な形での過酷な皺寄せが及んだと思われます。


幕末期における幕府自身の借金踏み倒しの実像は明確でありませんが、幕府には「幕府御用金」という特殊な“打ち出の小槌”(あるいは、これこそが日本独特の特別会計のルーツか?)が存在したのです。御用金とは、幕府や諸藩が財政上の不足を補うため、町人・農民らに対し臨時に上納を命じた金銀のことです。御用金は献金や税金(年貢)とは異なり、建前上は利子付きで年賦返済する借上金でした。その利子は年利2〜3%という超低利で、返済も長期の年賦返済でした。そして、現実的には幕末頃になると利子はもちろん元金もほとんど償還されなかったので、半強制的な献金(政治権力による国民からの強奪金?)の性格をもつに至ったのです。 幕府の御用金令は、1761年(宝暦11)が最初であり、主なものを拾ってみると1806年(文化3)、1809年(文化6)、1813年(文化10)、37年(天保8)、1839年(天保10)、43年(天保14)、1853年(嘉永6)、1854年(安政1)、1860年(万延1)、1864年(元治1)、1865年(慶応1)、1866年(慶応2)など、幕府財政が悪化する幕末に近づくほど頻繁に発令されました。発令の名目は、幕府財政融通をはじめ米価調節費、江戸城再建費、海防費、長州征伐軍費の調達など、実に様々です。この辺からも、御用金調達という財政的な悪弊が現代日本の「特別会計」のルーツとなったことを想像させます。


初めのころの御用金は、大坂や江戸の豪商に対して課せられたのですが、やがて堺、兵庫、西宮などの富裕町人や、大坂や江戸の一般町人、更には農村の富裕層にも命じられるようになっていました。たとえば米価調節のため1806年、1809年、1813年の3回にわたり徴収された御用金は、総額が約125万両に及び、その分担は江戸町人約36万両、大坂、兵庫、西宮、堺の町人約60万両、天領の富裕農民約29万両という具合でした。それでも、この文化年間の御用金の返済状況はマシな方であり、その後、約30年の間に元金の56%(約70万両)が返済され、1843年現在の未返済残高は約55万両となっていました。しかし、年利3%の利子分の未払高は37万両余にも達しており、利子が支払われたのは最初の数年間のみでした。町人や農民は命じられる御用金の負担をできるだけ軽くするため減額の嘆願を行い、このため幕府の指定高と町人・農民の出金請高との間には相当大きな差が発生することがありました。町人や農民は、それなりの抵抗をしていたようです。この点に鑑みると現代日本の一般国民が「特別会計や税金の無駄遣い」にやや無頓着であるのは頂けない気がします。もっと我々一般国民は怒るべきです。


また、天領に課せられた幕府の御用金は、御用金上納者の村が天領から私領に変わった場合は全額返済されていました。いくら幕府であっても、大名領や旗本領の領民に御用金を課すことは知行権を侵すことになるので不可能なことであったのです。なお、明治維新政府も、維新の初めころまでは財政窮乏に対処して京都、大阪、東京などの豪商から多額の御用金を徴収していました。しかし、流石に近代国家日本(明治維新政府)は、このような財政手段が一時凌ぎにすぎないことに漸く気がつき(しかも、このころまでの日本には国債という概念が存在しなかった)1869年(明治2)に「御用金の制度」を廃止して、1870年(明治3年)には“日本で初めての国債”が発行されました(ポンド建て、ロンドンで発行)。なお、「御用金の制度」が廃止された1869年(明治2年)は、奇しくも東京九段に「靖国神社」の前身である、戊辰戦争戦没者を軍神として奉る「招魂社」(1879年(明治12年)に靖国神社と改称)が創建されています。このような経緯を知ると、その後の「国債発行と特別会計」の歴史が「軍国主義」の発展と機軸を一にすることが予兆されていたようであり不気味です。未だに、現在の財務省や一部の与党政治家たちの政治感覚の深層には、このような明治2年の“軍神の宣告”が亡霊のように付き纏っているようです。



2−4 幕末〜明治維新期におけるもう一つの“踏み倒し”


約1年5ヶ月に及んだ「鳥羽伏見」から「五稜郭戦争」に至る内戦の戦費は、会計事務参与・由利公正(元福井藩士/藩札の貸付による福井藩内での殖産興業の実績があった人物)の建議による政府紙幣(不換紙幣であるが金札とも呼ばれており、貨幣との時価交換が約束されていた)の増刷によって賄われました。このため、明治元年期の歳入総額3、150.4万円(1円=現価6万円と仮定すると現価換算で約1兆8,900億円)の約90%が政府紙幣と借り入れ金(政府紙幣も一種の借り入れ金)が占めていました。このため、維新政府は三都(江戸、大坂、京都)の豪商たちに対し、彼らからの借金証書を抵当(かた)にして政府紙幣の強制貸付を行い、また各藩に対しても石高に応じて1万石につき1万両の割合で強制貸付を割り当てました。しかも、その貸付条件は元金の3割増しを13年で還付するという厳しいものでした。このようなムチャクチャな国家的高利貸しが国家権力(軍事力)を背景に強行されたのです。なお、政府紙幣は建て前上の金本位制(事実上は、1897年(明治30年)まで銀本位制)が開始された1871年明治4年)から民部省札(兌換紙幣)との交換が、そして1873年明治6年)からは公債(金札引換公債)との交換が開始されて、1879年(明治12年)にすべてが回収されています。


一方、維新政府は、旧幕府及び諸藩の累積債務処理の他に、同じく武士たちへ家禄(国家及び地方公務員のみなし生涯賃金に相当)を支給するという大きな財政支出要因を抱えていました。旧幕藩体制下で武士階級に支給されてきたのが家禄ですが、その幕末期の総額は約1,300万石(現価換算で約7,800億円/換算基準は同上と仮定)とされています。つまり、維新政府は廃藩置県とともに各藩の家禄(家禄+賞典禄)を引き継ぐことになった訳であり、維新政府は、これを秩禄(国家秩序維持のための禄)と名づけました。まず、維新政府は秩禄の支給を戸主のみに限定し、各藩ごとに異なっていた支給レベルを標準化します。やがて、1873年明治6年)に「徴兵令」が敷かれると兵役に就かぬ者たちへの支給の根拠が失なわれたとして秩禄の支給額を大幅に減額した上で、秩禄の権利と秩禄公債(米で支給することを約した債権)を交換する「秩禄処分」を断行します(1876年(明治9年)には、金札で支給することを約した金禄公債との交換へ変更)。結局、この処分で武士階級の秩禄は明治維新からの10年間で約6割相当額が踏み倒されました(明治維新期の財政と国債http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf)。


ところで、同上資料「明治維新期の財政と国債」及び「大森徹『明治初期の財政構造改革・累積債務処理とその影響』(ディスカッションペーパー・シリーズ」、日本銀行金融研究所(http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/fjdps2001_index.html))によると、遅くとも1875〜1877年(明治8〜10年)頃には、日本の財政はプライマリー・バランスの黒字を達成していたことになります。周知のとおり、プライマリー・バランスがゼロということは国家財政の赤字がゼロとなることではなく、債務の元利償還の要素を除外した歳入・歳出部分が黒字となることであり、あくまでも該当年度の歳入・歳出にかかわるバランスの概念です。従って、明治10年頃に国債残高がゼロとなった訳ではありませんが、明治維新政府が目指した国家財政健全化の政策目標は達成したことになります。
しかし、ここで忘れてならないのは、今まで見たとおりそれが幕末から維新期における天文学的数字に及ぶ巨大債務の国家的踏み倒しが断行された結果であったということです。踏み倒しの一次的被害者は負け組みの大商人や武士階級ですが、結果的にその皺寄せが下々の日本国民一般まで広く及んだことは言うまでもありません。一方で、勝者となった政商等を始祖とする大企業は「殖産興業」の掛け声の下で近代国家日本の資本主義発展の原動力となるのですが、負け組みのルサンチマンを煽る政治戦略が功を奏したこともあり、やがて藩閥政治の中心人物であった大久保利通が不平士族によって東京・紀尾井坂で暗殺された1878年明治11年)ころから国家主義ナショナリズム)と軍国主義を支持する意識が一般国民の中へ急速に浸透し始めるのです。


2−5 靖国神社創建、軍国主義の発展、特別会計制度誕生、ジャーナリズム精神退廃の奇しき関連性


ここで、我われ日本国民は「靖国神社の創建」、「軍国主義の発展」、「特別会計制度の誕生」が、奇しくも、ほぼ機を一にしていたことを銘記しておく必要があるようです。なぜなら、「御用金の制度」が廃止された1869年(明治2年)は東京九段に「靖国神社」の前身で戊辰戦争戦没者を軍神として奉る「招魂社」(1879年(明治12年)に靖国神社と改称)が創建された年ですが、この時、ジャーナリズムがその気にさえなれば、爾後の「国債発行と特別会計」膨張の歴史が「軍国主義」の発展と機を一にすることの予兆に気づいたはずだからです。


西南戦争が終わった直後の1878年明治11年)に大隅重信(大倉卿)は殖産興業と対・士華族失業対策を目的とする「起業公債募集」を建議します。これが「日本で最初の公募国債」であり、その発行額は1,250万円(現価換算で約7,500億円/1円=現価6万円と仮定)でした。戦後の好況(政府紙幣の増刷(インフレ)による一種のバブル景気)を背景に、この公募国債への応募は予定額の二倍(約2,500万円/原価換算で約1.5兆円)に達しました。そして、この公募公債による収入金1,000万円(現価換算で約6,000億円)は、「起業公債基金」として「一般会計とは別途に経理処理」(つまり特別会計)されることになったのです。


これこそが、我が国における「特別会計」の始まりです。それは、民主主義国家の財政ガバナンスの基本である「国会中心財政主義」を日本政府が無視した最初の出来事でもあります(もっとも、国会開設の詔が出されたのは1881年明治14年)で、国会開設は1890年(明治23年)のことではあるが・・・)。ともかくも無視できないのは、当時のジャーナリズムが、このような民主主義国家における根本的欠陥の萌芽を軽視し、その問題を追及するという本来の使命を忘れたという現実があったことです。この頃から、近代国家としての創生期を支援すべき日本のジャーナリズム(新聞等)は現実直視の精神と国民の目線に立つ姿勢を後退させます。それどころか、彼らは時の政治権力と癒着する方向へ急傾斜したのです。やがて、このような新聞等の政府広報機関化は、この後の時代の「膨大な規模の戦時特別会計」の発生などに目を閉じることに繋がりました。



(エピローグ)


このような観点からすると、現代日本のジャーナリズムの代表格の新聞社が『御上の借金踏み倒し』に甘く、民主主義の根本を侵す『一般国民に負わせる無限責任』の問題に無頓着であるばかりか、自らの批判力を封印しつつ大政翼賛型政治の実現を積極的に演出したという直近の出来事は、極めて危険な時代の到来を予兆させるものだと思われます。また、このように見れば渦中の「防衛疑獄」も日本現代史の必然の流れである闇の一部が、たまたま露見したにすぎないのかも知れません。直近の小泉ブームという幻想民主主義に陶酔することに飽き足らず、大方のマスメディア(新聞・テレビ等)は明治前〜中期に犯した愚かな大錯誤の轍を再び踏みつつあるようで不気味です。


また、経済の専門家に諭されるまでもなく「成長率、金利、税収の三つのバランスが国家の財政運営に大きな影響を与えること」は理解できます。が、だからといって『御上の借金踏み倒し』(=一般国民に無限責任を負わせつつ『特別会計システム』で国家の失政に伴う莫大な借金を偽装的に踏み倒し、止め処なく国民からカネを収奪する私的ネコババの手法)を詐欺的な政治手法で誤魔化す一方で、増税論(弱者に対し逆累進的な負荷を及ぼす目的税化した消費税等)を未来の日本のために前向きに受け止めろと要求するのでは余りにも虫がよすぎます。


それでは、まるで日本政府がポンジーゲーム(ネズミ講)を主催する詐欺師・ペテン師の集団の如くに見えてしまいます(ポンジーゲームについては、下記記事★を参照乞う)。今や総選挙を念頭に置く自民党税制調査会は、このポンジーゲーム・システムを更に巧緻化する(=擬似ネズミ講的な政治手法のソフィスティケイト化を図る)のに躍起となっています。しかしながら、いつまでも小手先の詭弁と詐欺的手法に騙される訳にはゆきません。それは、このようにホンの少しばかり概観しただけでさえ、少なくとも数兆円〜十数兆円の財政(歳出)の節約(=国家的な無駄遣いの是正)が可能であることが理解できるからです。


★2007-11-19付toxandoriaの日記/「環境税」をめぐる族議員と高級官僚の暗闘に透ける壮大な「国家的ネコババ・システム」の闇、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071119