toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

“ジャーナリスト出身”のN.K.財務大臣は福田内閣に潜む“その筋”の闇を“どんだけぇ”隠すつもりっすか?


<注記>“どんだけぇ?”については、下記URLを参照してください。
▼時代を読む新語辞典、“どんだけぇ?”、
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/abc/newword/070516_1st/


<参考・関連情報>


■【防衛省・守谷前次官の詳細な業務関連“面談・面会”日記の存在】が報じられている(情報源:asahicom(http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY200711290210.html)


・・・それによると、前回の証人喚問で守屋前次官は、この記録に従って額賀財務相久間章生衆院議員が軍需専門商社・山田洋行宮崎元伸容疑者(元専務)らと宴席に同席していたこどを証言した可能性が出てきた。


・・・また、東京地検特捜部は守屋前次官への出張尋問に協力する方向なので、この<守屋氏の面談・面会日記>は、自民・民主両党の食い違いについての真偽のみならず防衛利権・政界ルートの真相解明につながる可能性も出てきた。


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【画像1】若き天才ヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドウロヴィッチをご存知ですか? 公式HPはコチラ → http://www.nemanja-radulovic.com/

 Nemanja Radulovic

http://www.jugokoncert.co.yu/srpski/sezona/arhiva/06/april.htmより



・・・11/26、偶然のチャンスを得てネマニャ・ラドウロヴィッチ(Nemanja Radulvic)の演奏会(ピアノ伴奏、菅野 潤)を聴くチャンスに恵まれました。演奏曲目は、ブラームス『スケルツオ』、チャイコフスキー『なつかしい土地の思い出』、サラサーテカルメン幻想曲』ほかです。一言でいって稲妻に打たれたような新鮮な感動でした。誌的なまでの音楽の完成度、繊細でありながらも力強い技術レベルの高さ、そして何よりも、その若さに裏づけられたエレガントで強烈な個性(N.Y.Timesの批評によると“19世紀的なルックス”で19〜21世紀の3世紀を表現する!/参照、http://www.nytimes.com/2007/05/22/arts/music/22radu.html?_r=1&oref=slogin)です。これでは、女性ファンが増えそうです。


・・・Nemanja Radulvicは1985年ユーゴスラビア生まれの、未だ若干22歳です。ベオグラード大学芸術音楽学部、パリ国立高等音楽院などを経て、各種の著名な国際賞を受けており、現在はパリ在住でフランスを中心に活躍していますが、アムステルダムのコンセルト・ヘボウ、パリのシテ・ド・ラ・ミュジク、N.Y.のカーネギーホールなど世界の第一級ホールでの演奏を続けています。因みに、彼の演奏楽器はJ.B.ヴィヨーム社製ヴァイオリン(1843)です。


・・・残念ながら、Nemanja Radulovicの演奏の“適切なYou Tubeの投稿”がありませんので、代わりにMarina Chicheの『カルメン幻想曲』の動画を貼っておきます。


Sarasate Carmen Fantasy, Marina Chiche


【画像2】仙台光のページェント、プロローグ






・・・以上、【画像1】、【画像2】は、当記事内容と直接の関係はありません。


・・・・・・・・・・・以下、本論・・・・・・・・・・


今、各メディアは<防衛疑獄>関連での「守屋・元防衛省次官夫妻の逮捕」と「香川・坂出/祖母・孫姉妹殺人事件関連の容疑者逮捕」のニュースで興奮状態となっていますが、偶然にも、この二つの事件は下記の記事★で書いたばかりの二つのテーマにそっくり重なります。それは<日本の不名誉な伝統>ともいえる『御上の踏み倒し』と『国民の無限責任』の二つですが、これらをより分かり易く言い換えるならば『政官財の癒着による国民の血税ネコババ』と『国民の人権を無視した、冷酷な日本民法上の無限責任の原則』ということです。


誤解のないように付け加えておきますが、toxandoriaは「香川・坂出/祖母・孫姉妹殺人事件」についての具体的な情報は何も知りません。ただ、各メディアが、この異様な殺人事件の背景には「連帯保証人」で追い詰められた悲惨な事情が浮上しつつあると報じていたため、やはり、この余りにも悲し過ぎる残酷な事件の根本には、特に小泉政権下で多発した<商工ローン関連の無惨な自殺事件>でも注目を集めた『国民の無限責任=連帯保証人』の問題があると理解した訳です。


★2007-11-26付toxandoriaの日記/サブプライム・ローン妄想/『御上の踏み倒し』と『国民の無限責任』に頼る日本型民主主義の貧困、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071126


周知のとおり、いったん連帯保証人の印鑑を押してしまうと、その印を押した人には民法上では「催告の抗弁権」と「検索の抗弁権」が存在しなくなります。極論すれば、連帯保証人には借金返済の最優先的な要求に対して一切の法的な対抗手段がなくなるのです。言い換えれば、私はいつ死んでも結構ですと法的に約束するようなものです。従って、日本で、これほど冷酷で非人権的な民法上の規定があることを何故に初等・中等の教育現場でリアルに教えようとしないか、ということを常々不思議に思っています。


他方、これは上の記事(★)でも書いたのですが、渦中の米国のサブプライムローンにしても、借り手にとっての元本割れに相当する損失部分(=購入価格より不動産価格が値下がりした時の転売で発生する損失部分)は、生存権上の観点から、各州法の規制によって貸し手側(金融機関または不動産販売会社)の責任、つまりノンリコース・ローンとなっているのです。また、欧米では連帯保証人(Joint Surety)についても、日本のように印鑑主義に基づく無限責任ではなく、やはり生存権に配慮した一定の制限条件が法的についています。


<注記>「催告の抗弁権」と「検索の抗弁権」については、下記記事◆を参照願います。


◆2006-02-21付toxandoriaの日記/「国民の人身御供」を容認する「残忍な金融資本主義国」、ニッポン、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060221


『政官財の癒着による国民の血税ネコババ』から連想されるのが江戸時代の札差(ふださし)のビジネスです。元々、札差は旗本や御家人らが幕府支給の切米(知行地に代わり現物支給される米)を売りさばく仲介人でしたが、やがて、それを担保にして高利で金を貸す高利貸し(マーチャント・バンカー的な存在)に変化してゆきます。特に名高いのは、江戸中期の田沼時代(老中・田沼意次/重商主義時代)のバブル景気で巨利を得た浅草蔵前(隅田川の西岸で米蔵がずらりと並んでいた場所)の札差たちで、羽振りの良い彼らが芝居小屋や吉原で豪遊を競ったことは有名です。


浅草蔵前の札差は、新旅籠町・御蔵前片町・旅籠町・森田町天王寺町などに住んでいて109軒あったことが知られており、彼らは仲間内の営業権を守るため「株仲間」を組織して部外者を排除し、独占権を謳歌していました。しかし、彼らのビジネスは武士相手であったため命がけのかなり厳しい商売でもあったようです。なぜなら、悪辣な旗本の中には高利に苦しんで蔵宿師(くらやどし)と呼ばれた“強請り・たかり専門”の浪人・ヤクザ・ゴロツキ(今で言えば暴力団員)を雇って札差を半ば脅してビジネス交渉をする輩が出てきたからです。一方、札差たちも、対談方(たいだんかた)と呼ばれた、これも浪人・ヤクザ・ゴロツキを雇って対抗しました。このため、次第に浪人・ヤクザ・ゴロツキらが街中でのショバの支配権を強めてゆきます。


ここで見えるのは、江戸時代に形成された『政・官・財プラス暴力団』の癒着構造ということです。もっとも、ヤクザ・暴力団の歴史を調べると旗本くずれから無頼漢たちの一部が誕生したことが理解できますので、札差のビジネスについても、この類の癒着構造のための環境条件が十分に揃っていたことになります。また、1874年(明治7)の民撰議員設立建白書が口火となって起こった、いわば藩閥政府に対抗する民主化運動と理解されている、いわゆる「自由民権運動」についても、その運動の嚆矢では浪人・ヤクザ・ゴロツキらの活動と渾然一体化した部分が観察されます。


<注記>「自由民権運動及び政党」と「任侠ヤクザ集団(浪人・ヤクザ・ゴロツキら)」のかかわりについての詳細は、下記記事●を参照願います。


●2005-04-05付toxandoriaの日記/シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(4/4)/政党と任侠集団の歴史、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405


ところで、渦中の<防衛疑獄>関連で既に検察の捜索が入ったと報道された「日米平和文交流協会」なる組織には、現総理大臣を始め歴代の防衛大臣や現財務大臣(N.K.氏)などの自民党国会議員(及び民主党国会議員の一部)の大物の方々が理事等の形でかかわっていたとも報じられています。


更に、この組織の代表格の人物(防衛利権フィクサーと報じられている)については、“その筋”とのかかわりの可能性について、あるいは、この人物について、著名な某ジャーナリズム関係(崩れ?)の人物との接点の噂などがネット世界を駆け巡り始めています。ここから想像されるのは、この日本国の最も枢要な基盤(中枢演算(CPU)装置)がヒョットすると『政・官・財プラス暴力団&ジャーナリズムの一部』の癒着構造によって仕切られているのではないかという深刻な疑念です。しかも、渦中のN.K.財務大臣が“ジャーナリスト出身”であることは周知のとおりです。


かくの如くして、『政・官・財プラス暴力団&ジャーナリズムの一部』から成る日本のトップ・エリート(暴力団がトップエリートであるかは???・・・尤も、東大・京大・早稲田・慶応卒などのエリート・ヤクザもいるらしいので不可思議ではないかも・・・)が日本の『グッド・シェパード/THE GOOD SHEPHERD』(参照、下記記事▲)』を自負しているのではないかと“妄想する”と暗澹たる気持ちにさせられます。


日本がこんな“自己中”のツマラヌ輩、言い換えれば『国民の血税ネコババ&ドロボー』集団に誑かされ、しかもアメリカ製の安物兵器を法外な高値で買わされている傍らで、すなわち、お隣の中国では11月26日に乗り込んできたフランスのサルコジ大統領が、中国の人権問題への非難はさておく形で、中国政府との間で「航空機・原子炉・仏製最新鋭兵器等、計3兆2千億円のトップセールス」を成功させています(情報源:2007.11.27付・読売新聞)。一方、同日付のシュピーゲル誌はドイツ政府が中国の人権軽視は無視できぬという態度を強めていると報じています(参照、http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,519976,00.html)。EUの盟主である独・仏二大国の今後の関係が気になるところです。


▲2007-10-31付toxandoriaの日記/(米)サブライム問題と(日)防衛・疑獄に通底する“賭博化&軍需化軍需化経済”の病巣(プロローグ)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071031


ともかくも、このように少しばかり直近の日本史の片鱗(=札差、政党誕生と任侠集団のかかわり)をお浚いしてみるだけでも、実は「特別会計」だけに限ったことではなく、現代日本の統治システム(=日本型民主主義)のいたる処にノーブレス・オブリージュ(Noblesse-oblige/社会的な指導階層に属する者としての義務感・責任感)からは程遠い、むしろ江戸時代からの“日本の伝統”である『政・官・財プラス暴力団&ジャーナリズムの癒着構造』(=仲間の利益を最優先して保守しようとする談合組織的な内向きの複合癒着構造)が根深く棲み付いていることが分かるはずです。


我々一般の日本国民が本気になって<正当で厳しい批判力>を身につけぬ限り、つまり<事態・病状が悪化し、国民の被害が甚大化してからの検察頼み>だけでは、いつまで経ってもこの問題の根本的解決はできません。また、これは決してウヨVSサヨのように偏狭なイデオロギー対立の類ではなく、現代民主主義国家としての当然のあり方についての根本問題です。


そして、まことに慙愧に絶えないことではありますが、今回の<防衛疑獄>の発覚は『政・官・財プラス暴力団&ジャーナリズムの癒着構造』という、醜悪でドス黒い日本政治の現実の姿( ←一般国民の事なかれ主義と利益誘導政治を是とする安易な姿勢がもたらした、自民党の長期一党独裁による腐敗現象)についての、いわば氷山の一角であることを肝に銘じるべきです。むしろ、防衛省の疑惑だけに限っても、その闇の裾野は沖縄米軍基地再編、イラク給油支援などのフィールドへ限りなく広がっているはずです。


一方、たとえば貸し手側に“自らの腎臓の一つを売ってでも借りたカネを返済しろ”とまで言わせて借り手の立場(及び、その連帯保証人)の無限責任を際限なく追及しても善しとする現在の日本金融のあり方は、つまり「国民の人身御供」を容認する現在の<民法上の原則>が過剰に借り手責任(及び、その連帯保証人)へ傾斜し過ぎているという意味で、それは日本国憲法の<生存権保証>の原則に違反していることも理解すべきだと思います。


これは、渦中のアメリカ発のサブプライム・ローン問題から我々が学ぶべき重要な視点の一つなのです。つまり、欧米に倣い日本金融でも、より<貸し手責任を重くすべき>だと思われます。なぜなら、より広く見れば、この問題も我が国の『政・官・財プラス暴力団&ジャーナリズムの一部』の癒着構造がもたらした現実だと見なせるからです。ついでに付け加えるならば、恰も“談合屋の親玉”か“札差仲間のボス”のように仲間内での儲け話にしか興味が湧かない視野狭窄でチンケな発想に取り憑かれている今の日本経団連の有様では、事の善し悪しを棚上げにして考えた場合のことですが、お隣の中国でのビッグ・ビジネスでフランスのサルコジに出し抜かれるのは当然のことだと思います。