toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

福田総理『あわわわわ〜!』のもう一つの真相

toxandoria2007-12-14



【画像0】平原綾香 アリエスの星



【画像1】Jupiter - 平原綾香


・・・やはり、平原綾香さんの「ジュピター」が京都には似合うと思います。


【画像2】京都、晩秋の風景2007/嵐山周辺



















【画像3】京都、晩秋の風景2007/常寂光寺



























【画像4】京都、晩秋の風景2007/天竜











【画像5】京都、晩秋の風景2007/野宮神社











【画像6】京都、晩秋の風景2007/金戒光明寺







・・・これらの画像は、当記事内容と直接の関係はありません。


・・・・・以下、本文・・・・・


●以下『〜〜〜〜〜』は、[2007-08-22付toxandoriaの日記/もう一つのイタリア美術都市、パルマから見えた「美しい国」の欺瞞性、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070822]の中から、その一部分を加筆しつつ抜粋したものです。京都の文化・自然・観光資源が現在も魅力的な光を放ち続ける根本には、ここで述べたヨーロッパ諸国の地方都市と同じような意味で過去における「強力な文化創造力」のオーラが残っているということです。いや、それは“名残”などではなく、今も活発に創生し生成し続ける個性的なローカル文化(地域のアイディンティティと誇りを守るという意味でnationに抗いつつcountryの魅力を堂々と謳い上げるエネルギー)が存在しているからです。


『 歴史の概観から分かるように、北イタリアの小都市パルマは、決して怒髪天を抜くような勢いの政治権力、経済力、軍事力などの中心地ではなく、それどころか、敢えて日本流の何でも人口規模の序列で比べる価値観に照らすならば、それは地方の二・三流都市であるに過ぎません。しかしながら、パルマのような“地方 の二・三流都市”ながらも、ヨーロッパのみならず世界中に大きな影響力を及ぼすような「強力な文化力の創造」を見せてくれる都市(厳密に言えばコムーネ/comune)は、現在のイタリアには数多く存在します。例えば、それはペルージャラヴェンナ、ピサ、シエーナ、マントヴァ、フェッラーラ、ボローニャなどです。


実は、このような事情はイタリアに限ることではなくヨーロッパ各国に共通することです。しかし、その中でも、特に近代国家(nation)としての統一が遅れたと見なされるイタリア・ドイツの両国には、実はそれ故にこそ珠玉のような地方の歴史的な魅力に包まれた中・小都市が今でも生きいきと存在しています。しかも、その「美の光源」は、絵画・造形美術・ 音楽だけに限らず、出版文化、食文化、服飾文化、教育活動など実に多様な伝統・生産活動・地域文化・観光資源などに及んでいます。


これらの煌くような文化の種、つまりそれぞれの個性的な都市の小さな交流拠点(countries)では個性的な各都市の歴史を生かした限りない創造的活動が行われています。そし て、これらイタリア、ドイツ、フランスあるいはイギリスなどに散らばる数多の大・中・小都市(伊comune、独Gemeinde、仏commune、英country)は、多様な人的・文化的・政治的・経済的ネットワークで結びつき多様なクラスターを生成して おり、あたかも、そのグローバルな交流全体の姿には、優美なタペスリーを織り上げるような、あるいは華麗なシンフォニーのような「美しく感動的なイメージ」があります。


このような観点から眺めると、アメリカ型グローバリズム市場原理主義による弊害が大きく立ちはだかる絶望的時代になったとはいいながらも、これらヨーロッパ諸国には未だまだ希望への手がかり(=地方中小都市の輝きと煌き)が健在であるようです。


翻って、わが国で今行われているのは、新自由主義思想(トリクルダウン思想)にかぶれて大都会への一極集中と大企業への分配傾斜を更に加速し、うわべだけの自己責任論で経済社会における過酷な弱肉強食と生存競争を煽り続け、個々の住民と地方自治体を全国家的な生産活動(=ネオ富国強兵政策)のための使い捨ての「序列的部品(パーツ)」と見なす、あまりにも古色蒼然たる“劣等処遇の原則”(弱者一般は、平均レベル以下の待遇で当然とする18〜19世紀の非人権的な社会福祉思想の原則)の観点から格差拡大を囃し立てることばかりです。


地方と地域の文化・経済の崩壊を敢えて促す一方で、世界でトップクラスの「軍需(事)大国」化(現在、日本の軍事予算規模は米国・中国・ロシアに次いで世界第四位)による“トリクルダウン幻想”をふりまく一方で「中間層の没落傾向」は放置されており、統計的には、今や四世帯の中で一世帯はゼロ貯蓄化してお り、アメリカ的なサブプライムローン型・消費社会(ローン購入物件の値上がり益で消費拡大を図る社会)の実現も指呼の間となっています。


そして、「防衛疑獄」(世界トップクラスの軍事予算の浪費・ネコババ&悪徳政治家らの暗躍)のみならず、「特別会計」、「独立行政法人」、「地域振興のための企業誘致名目での裏金づくり」、あるいは「“コソ泥のような賊議員(族議員ならぬ!)”の跋扈」による無駄遣いとネコババ金額が少なくとも10〜20兆円規模以上(これこそが本物の埋蔵金?/自己流の強引な推計によるが・・・)に及ぶという腐敗ぶりには目を覆いたくなります。このようにムカツクほどの暗黒政治を放置し傍観する福田政権には、社会福祉水準の切り下げや増税を語る資格はないはずです。


その上、ホンネであるアナクロでカルト的な「外見的立憲君主制と軍事国体論への回帰願望」を誤魔化すための姑息な「靖国神社参拝は適切に判断する」という発言、あるいは「戦後レジームからの脱却」という意味不明の看板を掲げて一般国民を誑(たぶら)かした<イカサマ師的な小泉劇場>から<安倍の美しい国>への一般国民を舐めきった馴れ合い政治の流れは、まさに浅薄な“偽装右翼的カルト思想”(科学的知見とドキュメントの実証的役割を拒絶するまでマニアック化した万世一系型・軍事国体原理主義 ← 中庸の価値観を重視する正統保守主義から遥かに程遠い狂信の精神環境)による国民への折伏行為であり、日本国民の子々孫々への弊害はあまりにも甚大です。 』


●再び視点を変えれば、1830年代に近代国家として独立したベルギー王国にはブルージュブリュージュ、ブルッヘ)という“フランドルの輝ける宝石”があります。また、その19世紀以来の「ベルギー言語問題」という極めて重い政治課題を未だに抱えながらも、一方でベルギーの首都ブラッセル(ブリュッセル)にはEU欧州連合)の本部が置かれており、それは統合ヨーロッパの多言語・多元文化的な政治統合の象徴的存在ともなっています(参照、下記★)。


2006-09-07付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編1、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060907
2006-09-09付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編2、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060909
2006-09-11付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編3、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060911


●今、バリ島で行われている「気候変動枠組み条約の第13回締約国会議」(COP13)に参加する欧州連合(EU)と米国(ブッシュ政権)の温室効果ガス等の具体的な削減目標値の設定をめぐり深刻な対立の構図が深まっていますが、それは、上で見てきたような過去から現在に至るまでの各地域における「強力な文化創造力」の問題を米国(ブッシュ政権)が意図的に無視しようとすることと繋がります。ズバリ言うならば、それは、ブッシュ政権の強力な経済的支持基盤である「産軍複合体と石油エネルギー関連産業」の利益のために、各地域における「強力な文化創造力」の問題を無視しようとする米国(ブッシュ政権)の姿勢と無縁ではありません。


●生々しい政治的リアリズムがCOP13の動向を支配しているという現実がある一方で、地球環境問題への対応スタンスの根本には、このような意味で、地球・自然環境をも含めて一体的な文化とみなすヨーロッパ流の謙虚でありながらも誇り高い精神と、ある意味で「神」(≒宇宙・自然環境そのもの)をも怖れぬ狂信的で傲慢・不遜な米国(ブッシュ政権)流のカルト化した「キリスト教原理主義」的発想との間には深刻な溝が存在します(参照/CNNニュース、『削減数値拒否すれば米主導の排出国会議を欠席と、EU』http://www.cnn.co.jp/business/CNN200712130023.html)。


●また、このほど福田政権の「新成長戦略」の旗印が、地球環境問題を軸とした『アジア共同体の実現』ということに決まったそうです(情報源:2007.12.14付・日本経済新聞)が、「防衛疑獄」、「特別会計」あるいは「独立行政法人」などによる“国家レベルのネコババ構造”と“100年以上前にできた古い民法上の観点から「個人の借金についての無限責任の原則」を徹底的に追及するという非人権的な“日本型民主主義の根本欠陥”を放置し続ける限り、福田首相経済財政諮問会議に命じて、どのような美辞麗句を並べ立てた作文を書かせようとも、それは“労多くして益少なし”の結果に終わることでしょう。


●ともかくも、京都のみならず、我が国でも未だまだ全国各地には世界に誇る「個性的な文化創造力」の伝統(世界中のコムーネの誰にとっても魅力的な歴史遺産)が存在するという好条件に恵まれながら、米国(ブッシュ政権)にへつらうばかりで『あわわわわ〜!』と訳が分からぬ珍妙なコトバ(福田語?)を発しつつ、しかも全く人間存在の根本にかかわる理解が異なる米国(ブッシュ政権)に唯々諾々とヘバリつくしか能がない<福田政権の醜悪な惨状>を見るにつけ、このような慙愧の思いは募るばかりです。