toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ/異臭漂う日本型軍事利権が助長する『民主主義の赤字』(1)


【画像1】ララ・ファビアン(Lara Fabian) 最新プロフィール(公式HP、http://www.lara-fabian.com/photos/より)




Lara Fabian - Evergreen


<注記>


ネット検索のヒット件数で見る限り、日本でも漸くララ・ファビアン(仏語・英語・伊語・西語などを使い分け、今はカナダを本拠とするベルギー生まれのシンガーソングライター)の魅力的な歌が認識されつつあるようです。(昨年10月ころとは様変わりです)


しかし、フランス語をハートランドとするマルチ・リンガル歌手ララ・ファビアンは、残念ながら日本でブレークするまでにはなっていません。


一方、世界では文字通りのワールドミュージックとなっており、ファンの存在はカナダ・フランス・イタリア・ベルギー等欧米のみならず、トルコ・エジプトなどのイスラム圏、北アフリカ、ロシア、南米およびイスラエルシンガポールなどにまで広がりつつあるようです。


日本政府が“ブシャラフ政権(Busharraff=Bush + Musharraf)”とともに決定的な時代遅れとなりつつあることと、何か関係があるのかも? 


それとも、大方の日本人は未だに“本物の自律したリベラル( ≠ 自由原理主義 or Cult Religious Right or Cult Charismatic Movemennt)の空気”が怖いのでしょうか?


(参考資料)


2005年のユネスコ総会で「文化多様性条約」が国際的な規範として採択されている(賛成148ヵ国、反対2ヵ国(米国、イスラエル)、棄権4ヵ国)。これは2001年に満場一致で可決された「世界文化多様性宣言」で謳われた“市場原理のみでは人類の持続的発展のために要となる文化多様性の保護と促進を保証できないので民間部門と市民社会の協力関係によって新たに公共政策の優越性を再確立しなければならない” という方針を補強するものである(参照/Unesco Short-News、http://www.unesco.or.jp/meguro/shortnews/221/221-1.html)。


同条約は米国の映画や音楽が世界を席巻するのを警戒するフランスとカナダが中心となって強力に推進した。米国は「同条約は人権と基本的自由の否定、国際貿易の妨げに悪用される恐れがある」と批判し、賛成した日本は米国に配慮しつつ日本が中心となって纏めた付帯決議を同日に併せて採択した。この付帯決議では文化多様性条約は他の国際協定に抵触しないとしている。


【画像2】ブロンツィーノの『愛のアレゴリー



Angiolo Bronzino(1503-1572)「An Allegory - Venus, Cupid」Oil on Wood  Completed in
1545 116.0cm x 146.0cm   National Gallery London 、England


ブロンツィーノ は、ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari/1511-1574)らとともにメディチ家の分家筋にあたるトスカーナ大公国のコジモ1世(Cosimo I de' Medici/1519−1574/スペイン皇帝の妹エレアノーラ・デ・トレド を后として迎えハプスブルグ家の支援を受けながらトスカーナ大公国絶対君主制を確立した人物/現在のウフィッツィ美術館や、ヴァザーリの回廊などを建設した)の宮廷画家を務めた人物で、博学な知識人でもありました。


そのスケールは小ぶりながらもコジモ1世には、神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)のカール5世やフェリペ2世らと同様の精神的に偏ったパラノイア的な側面がありました。それは、マニエリスム時代(反宗教改革の時代)に特有の擬似宗教体験に呪縛されたアンバランスで異様な観念の存在であったということもできます。言い換えれば、それは「絶対王制時代の権力者」た ちに共通する傾向であり、社会の底辺層や弱者層の人々に対する冷酷な“錯誤のリアリズム感覚”と洗練された極上の美意識との共存が深い断絶の影を落として いるということです。もはや、これらの権力者たちは多層社会化しつつ近代への一歩を歩み始めた社会的な現実を見る能力を失っていたのかも知れません。


ブロンツィーノの『愛のアレゴリー』は、数多くの寓意的図像と洗練されたエロティシズムがモチーフですが、その解釈には様々なものがあります。その上これはやはりマニエリスム時代の絵画であり、一定の精神的な高みと理想を極めた盛期ルネサンス絵画などとは異質なものであることが分かります。そして、この頃から絵画を学術的に解釈する方法として、従来の宗教図像学的なイコノグラフィー (Iconography)に代わりイコノロジー(Iconology/絵画と社会背景や時代精神を結びつけて解釈する手法)が意識されるようになってき たのです。


個々の図像の象徴的な意味などの詳細は省きますが、現代におけるイコノロジー理論の大成者であるパノフスキー(Erwin  Panofsky/1892-1968)によれば、この絵画は「欺瞞・虚偽・嫉妬」などに囲まれ、「権力者が嵌った甘美な悦楽の世界」を「時間と真理」が罰するという倫理的な教訓を描いているということになっています。しかし、近年の様々な研究によって異なった解釈が行われるようになりました。


「真理」の象徴は左上端に描かれた仮面を被ったようなプロフィールで、「時間」の象徴は右上端の老人です。中央に書かれた様々な図像は「エロティシズム・ 不倫・近親相姦・嫉妬・倒錯・快楽・陶酔・欺瞞」などを現しており、「時間」がカーテンを引いてこれらの姿を白日の下に暴こうとしますが、なぜか左上端の 「真理」は、それを思い止まらせるような仕草をしているようです。


つまり、コジモの宮廷(絶対的政治権力)が示してみせる「真理」(または正義)自身が曖昧で両義的なエロティシズムの罠に嵌っていたというのです。従って、これは当時の第一級の知識人でもあった画家ブロンツィーノが、堕落的な宮廷生活への批 判を密かに仕込んだ絵であったという訳です。実は、ブロンツィーノとほぼ同時代人であったフランドルの画家、ピーテル・ブリューゲル(父/Pieter d. A. Brueghel/the Elder/ca1528-1569)が彼の傑作とされる『イカロスの墜落』に、このような意味で同様な“画家による巧妙な逆転の仕掛け”を仕込んでいます(この詳細は、下記記事★を参照乞う)。


★2008-01-02付toxandoriaの日記/2008年の緊急課題は「権力の可視化」の問題、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080102


・・・以上の画像は、当記事内容と直接の関係はありません・・・



・・・・・以下、本論・・・・・



■異臭・腐敗臭が漂う「日本型軍事利権」の特徴


アブダビ投資庁アラブ首長国連邦/UAE)から約8200億円(75億ドル)、テマセク(シンガポール)等から約6800億円(62億ドル)という具合に、サブプライムローン関連の損失拡大に苦しむ米大手金融機関(シティ銀行ほか)がイスラム政府系の投資機関から追加資本を受け入れることになったようですが、2010年におけるイスラム金融の資産規模が約110兆円を超える規模(1兆ドル/米マッキンゼー・アンド・カンパニーの推計による)となったことが報じられています(情報源:2008.1.14付・日本経済新聞)。


また、いま中東を歴訪中のブッシュ米大統領が、アラブ首長国連邦の首都アブダビで、“イランは世界一のテロ支援国家”だという言い方でイラン現政権を批判する演説を行い、即座にイラン側がこれに反論を加えています。更に、この動きに連動するかのように、このほどドイツ政府機関と英女王を狙ったアルカイダ系によるテロ計画が発覚したとのニュースが流れ始めています(情報源:2007.1.14付・朝日新聞)。


ブット元首相の暗殺で中断したパキスタンの総選挙は1月18日の日程に向かい再び動き始めています。対抗する野党勢力が与党・ムシャラフ政権を一気に追い込む構えですが、パキスタンの実情は余りにも混沌としています。その背景の一部として、シュピーゲル誌(2007.12.31付)のブット暗殺の背景についての分析記事は、次のような点を指摘しています。


◆暗殺された(その死を予感していた?)ベナジール・ブット(上流階級出身で欧米流高等教育を身につけた・・・ただ、彼女が米国のフロントであったという点には限りない疑問符が付く?)はともかくとしても、その夫アリ・アシフ・ザルダリ(賄賂を取り刑に服したこともあるのでMr.10パーセントの汚名を持つ企業家)を中核とするブット・ファミリーには限りなく悲劇的な部分と不可解な闇がある。


◆ブッシュの信頼を得ているという意味で“ブシャラフ(政権)”(Busharraf)と揶揄されることもあるムシャラフ大統領だが相変わらず彼の実像はつかみどころがなく、それどころかムシャラフが一貫して米国の同盟者であったかどうかにも、限りない疑問符が付く。米国(ブッシュ)もムシャラフ政権(情報機関/ISI、Inter-Services Intelligence of Pakistan)もタリバンとの関係を重宝したことがあり、過去も現在も彼らの関係の実像は掴み難い。


◆はっきり見えてきたのは(米国の情報機関によれば・・・)、多くのアルカイダ勢力がパキスタン国内の無法な地域(連邦直轄部族地域 /Federally Administered Tribal Areas、FATAなど)に潜入し終わっており、彼らは、以前よりも大きな攻撃力を身に帯びつつあるということ。


◆もうひとつ、はっきりしているのは「世界の最貧困に苦しむ多くの人々と高濃縮ウラン(核爆弾30〜50個分にあたる?/参照、http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20071229ddn003030020000c.html)の貯蔵」がパキスタンで共存しているということ。


ともかくも、明らかなのは「イラクアルカイダの拠点?)とアフガニスタンにおけるテロとの戦い」にもかかわらず、全世界における貧困と戦争抑止の問題には解決の目処が一向に立っていないということであり、否、それどころか、昨年の後半以降になると世界中で「2001.9.11」の直前の空気に似たような臭いがどことなく漂い始めたという雰囲気があります。そして、サブプライム・ローン問題の泥沼、石油等資源価格の高騰なども、この問題と無縁ではないようです。


ところで、わが日本では、自民・公明の連立与党が1/8の「日米平和・文化交流協会・秋山直紀専務理事の参考人質疑」について、なんら問題になる新事実が出なかったし、懸念された野党側からの追及も不発に終わったので、これで防衛疑獄は幕引きだと大いに安堵している様子です。しかし、これで安堵して幕引きを期待するのでは、余りにも一般国民をバカにし過ぎです。これは「お笑い番組のネタ」ではないのです。それどころか、これからジックリ見ていけば明らかになることですが、この問題も、上でみたとおりの「パキスタンの悲劇と混沌情勢」と無縁ではないのです。


そして、このような防衛疑獄(軍事利権)関連の闇は日本に限ったことではなく、特に米・英・仏ではまさに“持続的なモグラ叩き状態”です。しかし、少なくとも欧米には歴史から学ぶ知恵を生かすというような意味での様々な創意・工夫によって、この“モグラ状態の闇の存在を持続的に制御する”という「一般市民の強い意志」が存在します。そして、少なくとも“その筋に関わりのある疑いの濃い人物”が閣僚経験者、大物政治家および高級官僚らを露骨な態度で仕切るという如きの「余りにも見苦し過ぎる醜態と臭気紛々たる悪臭」を公然と一般国民の目前へ“ご開陳”するようなことはありません。これでは余りにも有権者たる一般市民・国民に対し無礼すぎます。


このような意味で臭気紛々たる「日本型軍事利権」は、別に言うならば「“ギャング(政・官・学・財・暴”融合)仕切り型・軍事利権への限りなき傾斜」ということです。しかも、この“ギャングが仕切る非民主主義型のシステム”に日本政府が無反省にドップリとのめり込んでいることが問題です。それは「(インド洋対米給油新法(新テロ特措法)・・・なぜ衆議院三分の二による再可決を問題にするのか」という問題意識にも繋がります(参照、→ 村野瀬玲奈の秘書課広報室/なぜ衆議院三分の二による再可決を問題にするのか、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-564.html)。つまり、連立与党・政府は、民主主義の根本に関わる議論から逃げ続け、日本の民主主義を偽装し、国民一般を欺き続けているということです。


一方、EU欧州連合)と米国では、この永遠の難題(慢性化した病巣)の悪化度についての診査方法が工夫されており、それが「民主主義の赤字」という政治体制ガバナンスの観点から民主主義のあり方をチェックするという考え方です。元々、「民主主義の赤字」とは、EUの加盟国が国家主権の一部をEUに委譲することになるため、国内議会の立法権の一部がEU立法によって毀損される部分が生まれるという認識に由来します。しかし、現在では、その概念が拡張しており、次のような内容(まことに逆説的で皮肉な結果ではありますが、自由と民主化の進捗に伴って一般市民サイドにもたらさせる過剰なマイナス現象の意味)で使われているようです。


(1)新自由主義思想による金融資本の暴走・凶暴化 → 戦争・テロリズムの危機拡大


(2)コナトウス(世襲)型・寄生政治家(小泉・安部・福田ら)の増大 → 政治の芸能・娯楽化、政治のお笑い劇場化


(3)政・官・学・財などパワーエリート層の倫理観の喪失


(4)国民一般における政治的無関心層や無党派層の拡大


(5)福祉・医療関連出費の拡大による恒常的な国家財政等の赤字拡大


(6)主権意識の喪失と選挙権を安易に放棄する傾向の拡大


(7)ジャーナリズムの批判力(ペンの力)弱体化傾向の亢進


(8)所得格差、非正規雇用数、自殺者数、青少年犯罪件数、ニート等の増加


(9)地球環境、地域環境、地域経済の崩壊傾向が拡大


(10)その他(隠れ肥満者数、薬物中毒者数、セクハラ事件発生数、暴力・苛めなど学校・職場環境の劣化傾向、凶悪犯罪の低年齢化傾向、離婚数の拡大、無闇な殺人の多発etc)


これらの中で(1)〜(4)が原義に近いという意味で政治体制ガバナンスにかかわる問題であり、これらの中でも、当シリーズ記事のテーマは専ら(1)と(3)の問題にスポットを当てることになります。


なお、軍事利権関連の情報を収集すると限りなく世界的な「超陰謀論」のシナリオが見えるような気がしてきます。しかし、ここでは、その領域へ深入りすることは意図的に避けます。これは、あくまでも一般市民・国民の素朴な目から見た、その範囲での素朴な視点に立脚するものです。敢えて補足的に言うならば、それは、でき得る限り“憶測の色”(ドグマ)を避けつつ、いま生きている人間の民主主義社会の連帯の輪の広がりに役立つ視点を確保するという意味での、フッサールの「現象学的還元」のような視点です。