toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

タレント知事でヒトラー流“政治の恍惚化”の代用へ傾く連立与党の腎虚・老化的右傾化


<注記1>「腎虚」については下(URL)を参照 → http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/kenkou/kanpou_040902.html


<注記2>当時事は、下記★の一部に記述不備の個所があったため、修正・補筆して該当部分だけを独立させて記事にしたものです。なお、該当する「章立部分」の論旨に変更はありません。


★[2008-01-28付toxandoriaの日記/タレント型大阪知事選に潜む二つの疑問/無限責任原則の放置と主権者意識の崩壊、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080128]


【画像】ティントレット『ヴァルカヌスに見つかったマルスとビーナス』

Tintoretto(1518-1594)「Vulcanus Takes Mars and Venus Unawares」1550 Oil on canvas, 135 x 198 cm Alte Pinakothek 、 Munich


この絵画は、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク(http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/)にある、ヴェネチア派の巨匠ティントレット(Tintoretto/1518-1594)の名画です。この絵のテーマは、アポロ(光明・医術・音楽・予言を司る理知的な神)に情報を与えられたヴァルカヌス(大神ゼウスの子でローマ神話の“火の神”/噴火山、ヴァルカン半島の語源)が妻ビーナスの不倫(お相手はローマ神話の屈強な“軍神マルス”で、間抜けにも右奥のベットの下端から兜の頭が見えている)の現場に踏み込んだ瞬間の描写です(伝承ではヴァルカヌスが二人の不倫の現場に網を仕掛けたことになっている)。そして、この絵についてのアカデミックでオーソドックスな美術史上の解釈は「天網恢恢疎にして失わず」(天の網は広大で、その目は大まかなようだが、実際は何一つ取りこぼすことはない)、つまり妻たる女性たちの不貞への戒め(=貞節の愛がすべてに勝つ)ということになっているようです。


ところが、このようなアカデミズムの解釈に対し現代フランスの美術史家ダニエル・アラス(Daniel Arasse/1944-2003/ヨーロッパで著名なイタリア・ルネサンスを専門とする美術史家)は異を唱えます。著書『なにも見ていない』(宮下志朗・訳、白水社刊、原著:Daniel Arasse『On n'y voit rien、Descriptions』、Publisher Denoel、2000)の中で、彼は次のようなことを述べています。


・・・この絵のヴァルカヌスのしぐさと目つきは、道徳の勧めなどよりも、むしろアレティーノ(Pietro Aretino/1492-1556/イタリアの風刺文学者、劇作家、艶本作者)の卑猥さを連想させる。ヴァルカヌスは自分が何を探しにきたのかすっかり忘れている。ヴァルカヌスには、妻のソレしか見えなくなっている。このことは、ベルリンにあるティントレットの下絵で明々白々だ。だから、その次の瞬間に何が起こるかを知りたければ、ヴァルカヌスの背後にある大きな鏡を見れば済む。この絵は定説のような教訓の押し付けではなく、実は風刺的でコミカルな、或いはパラドキシカルな作品なのだ。つまり、その意は「貞節の愛がすべてに勝つ」ではなく、「“情念・妄想・欲望的”な愛は“省察・理知・静観的”な愛”に必ず勝つ」という「人間世界(≒政治的世界)のリアリズム」(=Political Correctness/政治権力が保証する正統性が全てに勝つ(喩え、それが欲望のもたらす卑猥な妄想であったとしても)という冷厳な現実)を描いているのだ。・・・


・・・・・・・・・ここから本論・・・・・・・・・・


[前書き/当記事を独立させることになった動機]


福田老人・首相は大阪でタレント知事が誕生したことについて“ダブルスコアの勝利だ、すばらしいパフォーマンスだった!”とほめ称え絶賛し、タレント知事も“(自民・公明連立与党さまの)おかげで勝てました!”と返したようです。


また、この大阪でのタレント知事の圧勝ぶりを見て、早くも政治の世界では“やはり選挙はテレビに出ている人だ!”との声が上がり、衆院選に向けてタレント候補の争奪戦が始まったとも報じられています。


かくして、国民生活の苦難など屁の河童で、いよいよ本格的な「お笑い民主主義」、つまり「政治のお笑い・バラエティショー化」と「政治の性事化」の時代が始まったようです。


・・・以下が該当の章立部分を修正・補筆した内容です。・・・


[大阪府民の“主権者意識の崩壊”を見過ごすマスメディアの無責任への疑問]


産経新聞朝日新聞等の報ずるところによると、今回の大阪知事選での投票関連のデータ(概数)は下記のとおりです。この数字を見て、なんら“大阪府の民主主義の異常性”を感じ取ることができないのは、そのこと自体がとても異常なことです。


(当)橋下 徹(1,832,759)熊谷 貞俊(999,054)梅田 章ニ(518,400)高橋 正明(21,955)杉浦 清一(20,030)合計(3,392,198)
投票率=48.95.%% 棄権率=51.0% 有権者数=6,929,924 棄権者数=3,537,726 当選者得票率=54.0% 


メディア一般の論調では、今回の大阪知事選は、過去の実績データと比べると、過去最低だった前回(2004年)の40.49%から8.46ポイントも投票率が上昇したとして大いに評価する分析が多いようであり、しかも、その原因が候補者のタレント性にあると見做しています。これは、驚くべきほどノーテンキで無責任なジャーナリズム感覚です。


一般に投票率60%未満の選挙が、その正当性を疑われるというのは統計学上の常識であり、本来であれば再投票の対象となるべき結果です。例えば今回の場合も、仮に棄権者総数の約1/3が熊谷 貞俊氏へ投票したとすれば当落は逆転してしまいます。


ついでながら、今回のようなタレント候補をめぐる異様な熱狂で無党派層の多くの有権者が、そのタレント候補へ一気に雪崩れ込むという現象は明らかに、あの「小泉劇場」の再現です。そして、「小泉劇場」が使った手法こそがヒトラー流の『政治の美学化戦略』(=弱者のルサンチマンを集団恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)的に利用する戦略)です。


それは、意図的に「改革派」と「抵抗勢力」の対立構図を創出し、タレント性のある候補者へ弱者層のルサンチマン(怨念の情)を糾合して(自らの方へ引き寄せて)異常なまでの高い支持を集めるという、あの手法です。しかも、そこで留意すべきは、この弱者層のルサンチマン意識が、実は、「親方日の丸意識」(利権構造の主である権力者側への隷属願望意識=常に“強く太いもの”に巻かれていたいと願う他律的な意志)と親和力が大きいという現実があることです。別に言うならば、それは、おおむね過半の庶民層は他力本願的で意志薄弱なものだということです。


従って、それは決して大阪府だけに限ったことではありませんが、「残酷なほどの劣化」を日本社会へもたらした根本は「IT革命による凡ゆる業務の平準化、グローバル市場経済化(=経済のマネーゲーム化)、誤った自己責任論(公正・公共意識の放棄=異常分配システムの放任)」であることは明らかです。そして、そこでは獰猛な<格差拡大の牙>が弱者層、若年層、そして高齢者層を狙い撃ちしています。しかも、問題はそれに留まらず民主主義の基盤たる中間層の破壊も着実に進んでいます(無貯蓄世帯の割合が1/4→1/3へ接近中)。


●日本の総雇用者数6,400万人の約34%(2,200万人)が年収200万円以下へ転落
・・・実に日本の総勤労者数の1/3強が「年収200万円以下」となっており、その殆どは20〜40代の非正規雇用者(パート、アルバイト、派遣社員など)と重なる。


●日本全体の107万に及ぶ生活保護世帯数で高齢者世帯が占める割合は約44%(しかも、これは拡大傾向!)


言うまでもなく、このような「日本の悲劇」の始まりは「大衆迎合的かつセックスアピール過剰で卑猥な小道具類を活用した小泉劇場」(“竹中チーム”に導かれた!/参照、http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-557.html)であり、その“乱痴気騒ぎの大混乱の結果としての国民への皺寄せ”が「小泉→安部→福田」と殆ど無反省に受け継がれてきたことは周知のとおりです。


このような観点からすれば、今回の大阪知事選の結果(事実上の“民度の劣化促進”→“大衆と弱者層をカモにした政治の美学化戦略”の大成功!!)は、再び日本の国政における「小泉劇場の再現」の可能性を予感させて不気味です。


例えば、目下、議論されつつある『ガソリン税道路特定財源)の矛盾の追求』(欧米諸国の自動車道路整備関連予算が日本の数分の1以下の規模であるという根拠などリアルな海外事情との比較データ等が明らかにされつつある → 参照、http://luxemburg.blog112.fc2.com/blog-entry-49.html)、『防衛疑獄政界ルートの追及』、あるいは『特別会計の闇の追求』などが本格化し、いよいよ数十兆円規模の国家的浪費(法外な猫糞&無駄遣い=国民を欺く裏金づくりシステム)に群がる政・官・財等の悪徳な腐敗利権構造(埋蔵金埋立・秘匿構造)が攻め立てられたとき、姑息な<国民一般への恫喝とヒトラー流・政治の美学化戦略(=弱者のルサンチマンを集団恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)的に利用する戦略)>が腎虚・老化した連立与党によって再演される恐れがあります。