toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ/異臭漂う日本型軍事利権が助長する『民主主義の赤字』(2)

toxandoria2008-02-14



As Time Goes By(右の画像は“利権顔(ヅラ)”の象徴 → /http://hackhell.com/showthread.php?t=142214&page=15より)


[副題] 現代ドイツの「内なるヒトラーとの闘い」を傍観する日本の政治とメディアの貧困


(民主主義の寓意図=狼と子ヤギは同じ投票権・一票の持主/画像はhttp://www.yaf.or.jp/azamino/event/event0208.htmlより)


民主主義の根本は、<狼さん>と<子ヤギさん>が同じ投票権、つまり同じ効力がある一票の持主だということです。


だから、<狼さん>の票が1票でも多くなると、何匹かの<子ヤギさん>は今晩のおかずとして<狼さん>たちに食べられてしまうかも知れません。


また、<狼さん>の支持グループは無党派の<子ヤギさん>へお金をあげるから仲間に入らないかと誘ってくるかも知れません。<狼さん>は、そのようなやり方での「ネットワークづくり」や「グループづくり」がとても得意です。


時に、<狼サン>は仲間にならなければ“闇夜の晩があるぞ!”と<子ヤギさん>たちを脅かすかもしれません。


そして、そのようなネットワークやグループのメンバーの一人ひとりの身体に、納豆や、強力接着剤や、膠(にかわ)のように“とてもネバネバした変なモノ”を、<(狼さんたちが)信仰する神さま>の命令で、<狼さん>が一生懸命になって<子ヤギさん>たちへ“くっつけて回る”のがナチズムです。


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周知のとおり、ヒトラー政権は、現在のパキスタンムシャラフ政権のように、あからさまな軍事クーデタによって「ワイマール共和国」の政権を奪い取った訳ではなく、そのプロセスは十分に計算されつくした戦略に基づき、きわめて民主的な「ワイマール憲法」が定めるルールと選挙投票によって成立したものです(画像はhttp://sawasho.com/blog/archives/cat_movie.php?page=3より)。


そして、その大きな特徴は「軍事力の強化による生存権の拡大」ということであり、もう一つは「論理性」よりも人間の「センチメント(sentiment)の働き」を最大限に、しかも“あざとく利用”したということです。また、その補強材として重宝したのが「同質民族国家の強化」という“擬似イデオロギー”です。


この「センチメント(sentiment)の働き」について補足しておけば、日本の現代社会における“万般のお笑い化現象”は「日本社会におけるセンチメントの衰弱」とみなすことができます。つまり、正常なリアルさを伴う「喜怒哀楽のセンチメント」が“お笑い化現象”で煙に巻かれるという異様な現象が日本の政治・経済と市民生活の日常とビジネス界を覆っており、その“お笑いの煙”の中で「非情な国民生活の現実」がカムフラージュされるという訳です。


その典型が、“口から出まかせの「お笑い種(ぐさ)」と「軽薄なコトバ」(公約ならぬ口約(その場かぎりの口約束、橋下流に言えば“机上の空論”?))を吐きつつ大阪府民を煙に巻き、今やマスメディアから時代の寵児(視聴率稼ぎのドル箱)の如く持て囃されている「大阪の橋下・知事」(パラノイアナルシシズムの空気が漂うという目で見れば、小泉・前首相似のミニ・ヒトラー現象?)です。


閑話休題・・・、それはさておき下のデータをご覧ください。これは「テツの日記、http://blog.livedoor.jp/hikochan4556/archives/50834315.html」さんから、「SIPRI Yearbook 2007」(シプリ年鑑、http://yearbook2007.sipri.org/)に基づく加工データ『世界の軍事費トップ10』の一部を引用させていただいたものです。



「テツの日記」さまによると、このデータから“世界の軍事費(2006年)、1兆2040億ドル(約144兆円)は、先進国によるODA総額約1,000億ドルの約12倍に相当し、その金額は2005年比で3.5%増加し、しかも1997年からの10年間での伸びは37%増加となっている。これを人口一人当たり(当該国の)で見ると、それは2005年の173ドルから184ドルへ増加している。また、上位15カ国の軍事費が世界の総軍事費の83%を占める。”ことなど、恐るべき「世界の総軍事化=世界経済の総軍需化」の姿が浮かび上がります。


それに加え、遊び心半分で(“非常に乱暴なデータ操作であることは承知”の上で)、この1兆2040億ドル(約144兆円)の数字を、仮に想定した「世界のレオンチェフ(産業連関)表」に投入してみると(どんなに少なくとも3〜5倍程度の波及効果が見込まれるので)、その数字は少なくとも約400〜700兆円もの大規模なものとなります。更に軍需関連産業の裾野の広さ(現実的に、軍需企業と民需企業の線引きをすることは不可能となっている)を考慮すれば、この数字の広がりは想像もつかぬほど巨大なものとなり、我々を取り囲む『世界経済の実像(真相)は間違いなく軍需経済化している』ことが分かります(参考:国際産業連関表(世界に広がる産業の輪)、http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Theme/Eco/Io/)。


このようなグローバル市場経済の実態(=軍需経済化)をどう見るかで、ハードで多様な論点が生まれる訳ですが、ここでは『軍需利権の問題』を指摘しておきます。当然ながら、この問題は日本に限ることではなく、欧米でも、絶えず恰も“モグラ叩き”の如く浮沈する醜悪な姿を晒しています。ただ、少なくとも、例えばEU欧州連合)においては「ヒトラー総統下におけるドイツの戦争経験」(ヒトラーパラノイア的政策(ドイツ国民の軍事力による生存権の拡大)の根本は、まさに軍需経済であった/参照、後述の『The Fuehrer Myth / By Ian Kershaw』)から得た知見などをベースにしつつ、この『軍需利権の問題』へ何らかの抑制効果をもたらす政治的工夫と、その暴走を監視する厳しい市民の目の存在があります(この点の詳細にについては稿を改めます)。


一方、周知のとおり、我が日本での『軍需利権の問題』は惨憺たる有様です。もはや、あの『防衛省疑獄事件』の政界ルート摘発の大騒ぎも空の彼方へ雲散霧消してしまい、今や、目ざとい主要メディアも、デバカメ的で好奇心旺盛な一般市民の目も新たなスキャンダルへ移っています。これで、大方のメディアにとっては、当座の「ビジネス・チャンス」と大衆向け「パンとサーカス」としての『防衛省疑獄事件』はメデタク幕引きと相成ったようです。


ところで、この『防衛省疑獄事件』に限らず、『米軍再編絡みの沖縄基地問題』、『同じく米空母艦載機部隊の岩国基地移転問題』、『自衛隊海外派遣・恒久法の問題』などの根底にあるのが地元(地方政治・自治体関連)と中央(中央政治・中央省庁関連)に跨る『軍需利権の問題』です。従って、『軍需利権の問題』のみならず、連立与党の利権顔(ヅラ)が仕切るスパゲッティ状態で甚だ実態が見えにくくなっている「日本政治の闇」を根元から照らす努力を怠れば、未来永劫に日本の社会・経済の健全化は実現できません。


しかも、このような観点からすれば、この『軍需利権の問題』が根深いところで『地方自治体破綻の問題』、『道路特定財源(ガソリン税関連問題)』などにも繋がることが理解できるはずです。たしかに『地方自治体破綻の問題』は該当する自治体と地元住民の責任と見なすべき部分もあるかも知れませんが、一方で「ヒモ付・補助金助成金」などの札ビラで地元住民の頬(ホッペタ)を叩きつけるような、まるで江戸時代の悪代官さながらの傲慢(高慢ちき)な政治手法に甘んじてきた日本政府の責任は大きいものであり、言い換えれば、この問題は該当する地元のみならず全国民の問題、すなわち『民主主義国家・日本の理念部分の綻び』と見なすべきものです。


つまるところ、この『軍需利権の問題』、『地方自治体破綻の問題』、『道路特定財源(ガソリン税関連問題)』に共通するのは、我が国では“国がもっと汗をかくべき難問題を一方的に地方自治体と地方住民へ押し付けている”(=核心部分への真摯な取り組みを国が放棄している)という事実がある一方で、ハイエナのような“利権顔(ヅラ)”たちを野に放ったままにしてきたという、民主主義国らしからぬ不埒な現実があることです。この点がドイツなど欧州諸国と日本の決定的な違いです。しかも、メディアも巻き込む形で具体化への検討が開始された『自衛隊海外派遣・恒久法の問題』も、この観点からすれば『今、目前にある防衛利権構造の合法化・既得権化』へ傾く恐れがあると思 われます(参照:NHKクローズアップ現代『2月13日・放送/国vs自治体、基地と補助金をめぐる攻防』、http://www.nhk.or.jp/gendai/)。


参考まで、今も現代ドイツの「内なるヒトラーとの闘い」を続けるドイツのメディアの事例を紹介しておきます。たまたま、(独)シュピーゲル誌(Jan.30、2008号)が『ヒトラー神話の謎』(The Fuehrer Myth / How Won Over the German People)という回顧・分析記事を書いています。周知のとおり同誌は、発行部数が欧州で最も多いニュース週刊誌(毎週平均110万部)です。


戦後60年以上も経つというのに、絶えず、息長く「ドイツが起こした戦争の責任」の実像を探り続け、それを世界へ向けて発信しつつ自らの姿を凝視しようとする真摯なスタンスは日本のメディアでは、今や、殆ど見られなくなっています。つまるところ、現代日本の悲劇は、『民主主義の赤字』どころか日本政府も主要メディアも『民主主義国家としての根本理念の部分が綻びていること』を絶対に認めようとせず、ひたすら、その上に高慢な態度で弥縫策を積み上げようとするばかりであることです。


その綻びの隙間に、ソッと、ずる賢く『軍需利権の闇』が忍び込んでいるにもかかわらず、日本のメディアの多くは、それは見て見ぬふりと決めているようです。おそらく、『利権顔(ヅラ)の祟り』が、よほど恐ろしいに違いありません。また、このシュピーゲル誌の記事で驚かされるのは“ナチス現象”なるものが、実は、意外にも我々の日常生活やビジネス生活に絡む風景の延長だということです。それは、今の日本でも、毎日、この目で目撃し、身近に体験するようなことばかりです。そのような日常の中にこそ“ナチス現象”のタネ(内なるヒトラーパラノイア)が潜んでいることが分かるはずです(画像はhttp://hackhell.com/showthread.php?t=142214&page=15より)。


従って、冒頭で書いたとおりの「巨大な軍需経済」を仕込んだアメリカを妄信してきた「小泉政権→安部政権→福田政権」の周辺にナチズムの臭いが漂うのは当然だと思います。なぜなら、「巨大な軍需経済」をエンジンとしつつ市場原理主義の強持てのミッション役を誇る今のアメリカ政府の思考パターン(まさに、ヒトラーパラノイアであった“果てしなき生存権の拡大”に酷似している!)は、意外とナチズムに近いのではないかと思われるからです。ただ、大方の国民は、この事態の深刻さを未だ自覚できないだけだと思います。いや、日本政府もメディアも、そのことを一般国民に悟られぬように「無関係で畑違いのノイズだらけ」のプロパガンダを撒き散らしているのかも知れません。


下に、そのシュピーゲル誌(Jan.30、2008号)の回顧・分析記事の要点を拾った“意訳”(逐語訳ならぬ“直感訳”なので、恐らく“誤訳の山”であることをご承知おきください/原資料:同誌の英語版、http://www.spiegel.de/international/)をまとめておきますので、ご参照ください。


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【 The Fuehrer Myth 】 By Ian Kershaw


ナチスの劇的な台頭と総統神話の始まり=プロパガンダと軍事力プレゼンスの成功)


<注>


sentiment(独Gefuehl)は「理性ではなく感情に影響されつつ揺れ動く思考・判断、つまり苦悩や喜怒哀楽の中で堅実に生き抜く国民一般の日常生活における心情」の意味。なお、ドイツ語のfuehlenには「感じる、触れる、美化する」などの意味があり、同じくfuehrenには「連れてゆく、先頭に立つ」の意味がある。また、der Fuehrer(総統)はナチス指導者としてのヒトラーの称号。


ヒトラーは、自らがドイツ国民のアイドル(偶像)となるために“プロパガンダ(凡ゆるメディアを活用する組織的宣伝活動)”と“外部からの脅威を煽る軍事力プレゼンス(軍事力の存在感)”を巧みに利用した。その結果、多くのドイツ国民が偶像化したヒトラーに一斉に媚びへつらうようになった。そして、“Today、Hitler is All of Germany”(1934年4月4日の新聞ヘッドライン)という次第になる。


●その二日前にヒンデンブルク大統領が死ぬと、間髪を入れずヒトラードイツ帝国ドイツ国民の総統(der Fuehrer)たる自らへの忠誠を軍に誓わせた。この状況はヒトラードイツ国民が完璧に感覚的レベルで結合したことを意味する(toxandoria注記:これが、Sebastian Haffner著『ヒトラーとは何か』(草思社)による 、論理性よりもセンチメントを介した恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態)。


●1934年8月19日に行われたヒトラー総統を信任するための国民投票では、全体のおよそ2〜3割に相当する冷静な人々が存在したと推定できるにもかかわらず、実際の投票の現場では、彼等を含む殆どのドイツ国民が投票用紙に“Yes”(ヒトラー総統を信任する)と“走り書き”で(内心で動揺しつつ)書いてしまった。ただ、その後の異常に支持率が高かった選挙では効果的なプロパガンダとともに投票結果の改竄も行われたようだ。


●その後も、ヒトラーへの批判が皆無であった訳ではない。例えば、1936年4月にベルリンで出されたゲシュタポによる批判の記録がある。それは、当時まだ多くの国民が未だ極貧で苦しむ状態であったにもかかわらず、ヒトラーがナチ党のお偉方の汚職や贅沢三昧を見過ごしていることへの批判であった。


ヒトラーが、このような危機を乗り越えることができたのはなぜか?それは、いま進みつつある“ドイツ国家の危機(困難)に必死で耐えて“くださっている”ヒトラー総統”のパーソナリティと国民の意識(感覚)が全幅の信頼感(幸福な絶頂感)(Kollektiv- orgasmus)で結合していたからである。そして、ヒトラー麾下のドイツ軍はラインラント非武装地帯へ進撃することになった。 


●このような背景の下でヒトラーは1939年4月28日に次のような演説を行った。


『 私はドイツの混沌状態を克服し、秩序を回復し、国家の高い生産力を実現し、700万の失業者に新しい仕事を与えた。私は政治的にドイツ国民を一つにしたのみならず、ドイツの再軍備を実現した。更に、これから私は448条項からなるヴェルサイユ条約の廃棄に取り組む。この条約は、これまで世界中の国家と人類が経験したことがないほど酷い略奪的な内容である。私は、1919年以降に我々の手から奪い取られた領土をドイツ帝国へ取り戻した。私は底知れぬほどの不幸に見舞われた数百万のドイツ人を救済した。彼らは我々から略奪された存在だったが、私は彼等を父祖の地へ連れ戻した。私は、約千年の歴史的時間におよびドイツ人が生きてきた生活空間を復帰させたのだ。そして、私はそれを、戦争で血を流さず、国内外の誰にも損害を与えずに成し遂げた。21年前には名も知れぬ一人の労働者であり、一人の兵士であった私が、この私がたった一人で、私だけの力によって、これらのすべてを成し遂げた。 』


●しかし、ナチス党の指導者らにとって1939年の春にヒトラーが誇らしげに成し遂げたこと(ドイツ軍のボヘミアモラヴィア侵入、リトアニアの一部のドイツ編入ポーランドとの不可侵条約の破棄など)は、彼らが着々と準備していたドイツ「民族帝国主義」による征服戦争の入り口に過ぎなかったのである。ごく初めの頃から、このようなヒトラーの目覚しい業績の背後に何か企みがあることを見通す人々は少数ながらも間違いなく存在した。しかし、一方で、ある世論調査によれば、このようなヒトラーの目覚しい業績への共感を引きずる人々が、第二次世界大戦終了後も暫くの間はかなり確認されている。


●ともかくも、これら総統独裁下の平和な時代(ヒトラー時代の前半)における目覚しいヒトラーの業績の背後に何があったにせよ(多くの人々が、それを見誤っていたとしても)、ヒトラー総統に対する大衆の圧倒的な支持を確立するという戦略は確実に勝利を収め、その目的は達成されたのである( toxandoria注記→つまり、それが恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態の完成)。


(更に豊かな地域へ侵略するための道筋の準備=恍惚催眠効果の本格的な発揮)


●このヒトラー総統に対する大衆の圧倒的な支持は(それに対して賛同できぬ人々の存在という多少の例外はあったが・・・)、明らかに作為的なコンセンサスづくりの賜物であった。それは、恰もコインの裏側のごとく、もう一つの確かな現実が期待され得るという意味での「国家統一体」の宣言であり、それに反対する人々には「民族の敵」などのアウトサイダー宣言を課すという都合のよいプロパガンダであった。そして、その複雑な「国家統一体」の中心に「超人ヒトラーのイメージ」が鎮座するということになった。


●このプロパガンダは、ヒトラーが権力を奪取する前から用意周到に創りあげられてきたもので、それを準備したのはゲッペルスである。ゲッペルスは、最も現代的な意味で成功の可能性が高い“政治的マーケティング・リサーチ”を実行した。そして、1933年に、いったん国家統一のためのプロパガンダ手法がナチスの独占物となるや(ヒトラーが首相となり、ナチス党への全権賦与法が成立し、ユダヤ人弾圧が始まった)、マス・メディアを使ってヒトラーのカリスマ性を猛烈な速さで広めることに対する障害はまったく存在しなくなった。


●しかも、このようにしてヒトラーが権力を掌握するまでの間に約1300万人以上の人々が(それは未だ全国民の一部ではあったにせ)熱狂的な「ヒトラー個人崇拝」を鵜呑みにするように(toxandoria注記→恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態)なっていたのである。このため、ほどなくナチス党に所属する一般の人々と無数の追従者たちが「ヒトラー個人崇拝」の熱病に感染することにとなる。従って、何よりも、先ずこの「ナチスの組織的基盤」こそが、その後のより幅広い「ヒトラー個人崇拝」への道を準備することになったということに注目すべきである。


●「ヒトラー個人崇拝」が急速に広まったという“その事実”については、それが“ゲッペルスの独創的なプロパガンダ戦略”の賜物であることは間違いないが、同時に、このようなバックグラウンド(ナチス党の組織的基盤)の存在が大きく貢献したことを直視しておくべきだ。プラハへ亡命していた社会民主党『ソパード(Sopade)』までもが、1938年4月には“ヒトラーは、次の点で多数の国民の同意を得ることができる。つまり、それは「(1)ヒトラーが仕事を創造したこと、(2)ヒトラーがドイツを強いものにしたこと」の二点である”との理解を表明していたのだから・・・。


●このようにして、ゲッペルスの独創的なプロパガンダドイツ帝国の1930年代前半における急速な経済回復をヒトラー自身の業績と見せかけることに成功したが、実はヒトラーの経済知識は貧弱なものであり、実際のところ、その急速な経済回復は複雑な要因によるものであった。そして、もし貢献した人物の名を挙げるとするならば、それは経済大臣のヤルマール・シャハトである。従って、ヒトラーの貢献があったとしても、それは精々のところ“社会の空気を変えた”という程度のことであった。しかし、多くの人々(toxandoria注記→恍惚催眠状態の多くの人々)は“ヒトラーの業績”を当然のことと見なし、「ヒトラーを歓呼で迎える」ことになったのである。しかし、未だそれは始めから彼を支持してこなかった一部の人々をも徹底的に打ちのめすための最初の第一歩に過ぎなかった。


●1936年までにヒトラーのドイツは完全雇用を達成していたが、それには『ドイツの未来に重大な危機を仕込んだ再軍備(軍需経済)』が大きく貢献していた。しかし、もはや殆どのドイツ人は『この雇用機会が何処からやってくるのかということ、つまりヒトラー支配下での“完全雇用ミステリ”ーの根本』については気にかけなくなっていた(toxandoria注記→この現象は、現代のグローバル市場原理主義時代においてアメリカの産軍複合体が経済拡大を牽引する構図(グローバルな軍需経済化戦略=民需→軍需資本主義への傾斜)にオーバーラップする)。つまり、それは「ヒトラー信仰」が国民のリアリズム認識能力を狂わせていたことに他ならない。


●二つ目のソパード(Sopade)の指摘、つまり「ヒトラーがドイツを強いものにしたこと」も重要な「ヒトラー信仰」のファクターである。そこでヒトラーが取ったのは、「1918年にドイツが蒙った屈辱的な出来事」(toxandoria注記→1918年11月、キール軍港で起こった水兵の反乱/これがドイツ国内へ波及して革命暴動が続発)と、その翌年に調印された「ヴェルサイユ条約による屈辱の追い討ち」を決してドイツ国民へ忘れさせず、絶えず思い出させる戦術であった。このため、“不公正”なヴェルサイユ条約への憎悪はドイツ国内では“政治的怨念”のようなものとなった。また、ヒトラーはたった10万人まで削減されたドイツの軍備が国家ドイツの最大の弱点となっていることを国民へ繰り返して徹底的に認識させた。


(“ヒトラーの鉄拳”への限りなき賛同、ヒトラー支持の急上昇=更なる恍惚催眠効果の増大)


国際連盟脱退(1933)、住民投票(1935)の結果に従ったザール地方のドイツ復帰、徴兵制復帰に続き、同1935年には巨大な「新国防軍の創設」が宣言され、1936にはラインラントの再軍備が実現し、その2年後(1938)には「独墺合併(Anschluss)」が宣言された。ドイツ国民は、これらの出来事の全てを国家的大勝利とみなすとともに、それは敗戦(第一次世界大戦/1914-1918)いらいドイツを見下し続けてきた西側諸国の軍事力の弱体ぶりを暴露したものに見えた。わずか数年前には、これらの全てが想像もできなかったことであり、それは偏(ひとえ)に“政治の天才たるヒトラー個人の才能”によって成し遂げられたと見なされ、社会民主党(Sopade)員の中にすら、その功績に賛意を見せる者が現れた。


●1938年の「ズデーテン危機」(4月、ズデーテン・ドイツ党がズデーテン地方の分離・自治を要求→8月、英米による調停→9月、チェコが要求書に署名)は、世界におけるドイツの立場回復の無血要求に努めてきたドイツ国内右派へのヒトラーによる、本心を隠したままの第一撃であった。なぜなら、この戦略は、ヒトラーが早くから心の奥底で温めてきたものであり、1939年9月の「ミュンヘン会談」(西側諸国がドイツ軍のズデーテン進駐に同意)で内心に不満を覚えたヒトラーは、同年10月にドイツ軍をズデーテンへ進入させたのであるから。


●ドイツ軍のズデーテン進駐、それはヒトラーにとっては“熱狂”の結果というよりも、むしろ“放棄”であったのだ。なぜなら、それは最後に「1939年の出来事」(8月、独ソ不可侵条約締結→ドイツ軍がポーランド侵入=第二次世界大戦が勃発)に到達するための、事実上の「自覚的な戦争のプロセス」に過ぎなかったからだ。そして、そのためにこそ、ヒトラーは「第三ドイツ帝国・前半の平和な時代」に一般国民の熱烈な支持を獲得しておくため、彼らに対して『誤った見通しに基づく夢』を植えつける努力を惜しまなかったのである。つまり、多くのドイツ国民が平和を夢見る陰で、ヒトラーは意図的に戦争を目指していたということである。


ヒトラーは、このようなプロセスで一般国民を騙し、誑かすためには、彼らが絶大な信用をおくドイツのジャーナリズム(新聞・出版関係者)を通して「効果的な演説」による意志の表明が必要であることを明確に自覚していた。このようなヒトラーの意図の下で、1938年11月10日の『ジャーナリストと出版業者に対する談話の発表』が行なわれたが、既に、この時、ドイツのマスコミ人はドイツ社会に拡大した大政翼賛的な雰囲気の中でヒトラーに対する批判の言葉を失っていた。


『・・・(前、略)・・・私は、この数十年間、周囲の状況によって、やむなく殆ど平和のことばかりを口にしてきた。軍備をドイツ民族に取り戻すことができたのは、もっぱら私がドイツの平和への意志とその計画を何度も再確認してきたからに他ならない。この軍備は一歩一歩着実にドイツ国民のために自由を回復し、次の段階に進むための必要条件であることがますます明らかになってきた。・・・(途中、略)・・・私が、ここ数年いつも平和を守ると言い続けたのは、強いられて不承不承そう言っていたに過 ぎない。当時は未だドイツ国民の心理を段階的に変えていく必要があったのだ。また、平和的手段で獲得できない場合は力によって獲得すべきものがあることを ドイツ国民に徐々に理解させ(教育し)ていく必要があったのだ。』


●この段に至ると、多くのドイツ国民にとって「国家威信の回復」、「軍事力の強化」、「ヴェルサイユ条約の放棄」、「オーストリアからズデーテンに至る異郷にあるドイツ人との連帯」は、多くの一般国民にとっては疑いもなく彼ら自身の目標となっていた。そして、それが、実はヒトラーナチス党・指導者たちの「ジャーマン・コンクエスト」(ナチスによる際限なき侵略戦争)のプレリュードであることを疑う者は、もはや存在しなかった。


ヒトラーのドイツ外交における傲慢なやり口につけ加えて見逃せないのは、ヒトラーが間違いなく「国内秩序の回復」についても多くの国民の支持を得ていたということである。ナチス党のプロパガンダは、ワイマール共和国(Weimarer Republik/1919-1933)の最後の危機的な時代に間違いなく大きな影響を与えるようになっていた。それは、「犯罪と頽廃(デカダンス)」および「社会的混乱と暴力」(これらの多くはナチスが扇動したものであったが・・・)の多発という、多くの国民層の中で誇張して受け止められていたイメージの中に染み込んでいった。


●そして、いったんヒトラーが国家(ドイツ)の政治権力を握るや、彼こそが国民の「正義」と「健全な国民としてのセンシビリティ」を代表すると見なされるようになる。ヒトラーの公(おおやけ)の一般的イメージは、彼が遭遇することが何であれ、ヒトラーが取り締まり、対処する方法こそが道徳的規範に基づくのだと見なすべきと考えられるようになった。しかし、実際のところ、これらは全て「法と秩序」に根本的に違反する偽装的な脅しの類であった。


ヒトラーは、一般国民から“自らの権力が手を下した大量殺人”への非難の代わりに広範な賛同と支持を勝ち取ったが、それは、彼が“国家を危機に陥れた邪悪な行為と悪行の数々”を情け容赦なく根絶やしにしている姿を巧みに演じて見せたからである。それどころか、そのエネルギッシュで非情な行動を見せつけることによって、ヒトラー総統は、未だにナチス党の行動への賛同をためらっていた人々からまでも大きな支持を勝ち取ることになった。


●その時点で、もはやヒトラーは単なる尊敬の対象ではなく“偶像化されたもの”となっていた。これは下級官僚層に属する某官僚が書いた記録によって証明されており、その他の多くのレポート類も、この『独特のセンチメント』(ヒトラーを無条件に支持してしまう気分)について記録を残している(toxandoria注記→ナチスユダヤ人弾圧は1933年から始まっていたが、1938年11月に大弾圧(水晶の夜/Kristallnacht)が行われた)。そして、体制批判派であるはずの社会民主党の多くのレポート類までもが、この時に「ヒトラーへの支持」が大きく上昇したことを認めている。


ババリア地方に残るある記録は次のような証言を残している。・・・『 不幸なことにも、人々は、明らかに物事を政治的に考えなくなった。“ヒトラーは秩序を創っているのだ、そして物事は、今より、より良くなるだけのことなのだ、そのため、ヒトラーの仕事を妨げる破壊工作員たちは次々と打ちのめされてきたのだ”と、彼らは思っている。 』・・・また、あるベルリンでの記録は次のように証言する。・・・『ヒトラーの権威は、あらゆる組織・団体の中で強化されつつある。やがて、人々が“今、ヒトラー総統は悪を厳しく取り締まっているのだ!”と叫ぶ声を聞くようになった。』


(マイノリティに対する強力な憎悪の醸成)


●一般に国家全体の統一意識というものは、まさに、そこから締め出された人々の存在があるが故に自らの限定的な意味を獲得するものだ。従って、必然的に、そのような概念はナチ的解釈の一部にも存在しており、そこからナチの民族差別も生まれた。やがて、ヒトラー流の「民族の純潔」を創造する手段として「同質民族国家の強化」ということが目的になるが、その「民族の純潔」のために利用されたのが、例えば“同性愛者、ロマ(ジプシー)、極端な自己中心主義者(おたく)”など、既存の偏見対象となっている人たちであった。そして、彼らは、強く非難すべき国家の敵として「ヒトラー国家統一」のための補強材として利用された。


●それに加えて、ボルシェビキ派の労働者と富裕階層の人々、および最も目に付いたユダヤ人たち(彼らは両方の階層に跨る存在であった)も国家の敵として利用された。特に、彼らはドイツ国家の存続に害を及ぼす内外からの脅威に対するヒトラーの大仕事と、国家の擁護者としてのヒトラーの主張を強化するために利用された(toxandoria注記→ヒトラーは、「軍備増強(軍需経済)」と「ユダヤ人や富裕層から資産を収奪し再分配する」などの経済政策を行ったが行き詰まり、やがて侵略戦争生存権の拡大)へ突き進む)。


ヒトラー反ユダヤ主義パラノイアは大多数の一般国民のそれとは明らかに異なっていた。一方、過半の人々がヒトラーの長所の方を高く評価するあまり、そのことが当時のドイツ社会のマイナス面へどれほど大きな影響をもたらしたかについてはハッキリ意識されていなかった。しかも、ナチスの独占的プロパガンダが「一定の大きさを持つマイノリティ集団」に対する嫌悪感をあからさまに国民の中に叩き込み始める前から、一般国民の心にはユダヤ嫌いの感情が広く潜在していた。一方、多くの調査・研究は「ユダヤ人の迫害」に対する当時のドイツ国民には多様な心的態度が存在したことを明らかにしている。


●「ユダヤ人の迫害」に対する、その“多様なドイツ国民の反応”についての分かりやすい事例は、例えば「1935年、ニュルンベルク法」(ドイツ人の血と尊厳のための法律/“11分の8”までの混血がユダヤ人とされた)と「水晶の夜(Kristallnacht)」(1938年11月9日-10日、ゲッペルスの扇動でナチス党の突撃隊(SA)が全土のユダヤ人住宅、商店街、シナゴークなどを襲撃・放火した)に対するドイツ国民の反応の中に見られる。にもかかわらず、かくしてナチス党の支配体制が磐石の基盤を築きつつある中で、多くの人々は“外部から押し寄せてくる戦争の危機の中であるからこそ反ユダヤ感情を深め“ユダヤ人問題”を強く意識する”ことになった。


●一方、「水晶の夜(Kristallnacht)」への不評が国民一般の中に(ナチ党の中にすら)、いささかながら存在することを知ったヒトラーは、自分自身が命じたことであるにもかかわらず、その時点では、オフィシャルにその大虐殺(the pogrom)に距離を置く態度を取った。しかし、そのようなユダヤ人弾圧の手法への批判が広がる気配があるにもかかわらず、その頃のドイツ国内では殆どユダヤ人の居場所がなくなっていた。そして、危機的な国際情勢の高まりとともに、ヒトラーユダヤ人に対する関与は、ドイツの国益の熱狂的な擁護者としてのヒトラーのイメージを強めることがあっても、それを弱めることにはならなかった。


●実質的に、ドイツからのユダヤ人排斥、つまり「ユダヤ人からの財産収奪と彼らの国外追放」はドイツに経済的利益をもたらした。ヒトラー第三帝国とともにユダヤ人排斥運動は始まっていたが、このような流れの中で、その運動はユダヤ人をドイツ国内の金融・商業活動から効果的に追い払った。そして、ついには1938年の『アーリア人化プログラム』が、ユダヤ人から徹底的に財産を収奪することとなり、それは夥しい数のドイツ人へ利益をもたらした。ここに至って、再び多くのドイツ人がヒトラーへ感謝するようになった。一方、この“ドイツ国民に不人気なマイノリティ”(=ユダヤ人)にとっては、彼らが、マイノリティゆえ、このように大きな代償を支払わせられることは想定外の事態であった。


第三帝国の“平和な時代”(ヒトラー総統時代の前半)にヒトラー自らが主張した“見かけ上の成功の連続”は、更なる強い副作用を準備することになる。1933年以降、NSDAP国家社会主義労働者党=ナチス党)の連携ネットワークは、その触手をドイツ国内の殆どすべての社会組織の中に忍び込ませていた。そして、数多(あまた)のドイツ人たちが殆ど似たり寄ったりのナチス運動のやり方で強固に組織化されていたため、各連携組織の中においては『接着剤で塗り固めたような頑強な総統崇拝の囲い込み』から逃げ出すことが不可能であった。(toxandoria注記→まさにオウム真理教などカルト新興宗教集団の組織化そのものに見える!)


●軍部内では、取るに足りないような“マヤカシ組織(現代日本名ばかり管理職会社のような?)と出世の亡者ら”が、“ヒトラー総統”様が導いて下さる「有難い階級システム」の上で先陣争いをしていた。ヒトラー総統の「リーダーシップと成果主義」の重視は、彼らの中に過酷な競争状態をもたらし、日ごとに、彼らは“果てしない野望”と、とても“実現不能な可能性”を押し付けられた。このようにして、彼らは、ヒトラーの脳内にある「ドイツ国家の再生ヴィジョン」を広範な領域で実現するため莫大なエネルギーを出し尽くすことを要求された。


●やがて、このような「ヒトラー総統と社会の重要な(異様な?)結びつき」は、いつまでも長続きするほど強いものではなかったことが明らかになる。それは、ヒトラー総統のパーソナリティへの狂信と平行して、それに懐疑心を抱く人や批判的な人が見られるようになったからである。しかし、彼らは未だ何らかの意味ある形で自らを表現することができなかった。しかも、それにもかかわらず、ヒトラーへの支持を一定の支持の高さで維持することは未だ可能だったが、1936年の「ラインラント(進駐→)再軍備」辺りがヒトラーの勝利の絶頂期であることは間違いがない。そして、大方の国民の日常が暗い生活の連続状態へ戻ってしまうと、あの勝利の感動がほとばしるような絶頂感はスッカリ元に戻ってしまった。


●しかしながら、独裁政権初期の数年間でヒトラー総統への大きな支持を創り上げた“一般国民層の情緒的なもの(センチメント)の積み重ね”は、計り知れぬほど重要な意味を持っている。ヒトラー総統への“賛美”が純粋な気持ちからのものであったにせよ、あるいは個々人の打算的なものであったにせよ、いずれにしても、その“ヒトラー賛美”はドイツに対して同じ作用をもたらした。本来であれば批判的な立場であったかも知れぬ人々が、あるいは辛うじてナチス党の教義とヒトラー体制をギリギリのところで信用していた人々が、現実には、圧倒的なヒトラー支持へなびいたのである。残念なことではあるが、これが「ナチス党支配による政治権力」の恐るべき現実であった。


●更に、より重要なことは、ヒトラー総統に対する大衆の異常な人気(支持率の高さ)が、ドイツの保守・パワーエリート層(特に国防軍・指導部と外務省・部局)に属する様々な政策グループからヒトラーを引き離してしまい、彼らの手が届かぬ高みの座へヒトラーを祭り上げたことである。このため、本来であれば外務省内から聞こえて来るはずのヒトラーの危険な外交政策への批判の第一声(破滅的な未来の戦争を恐れる声)が、1938年になるまで出遅れてしまった。


●そして、もし西側諸国軍がヒトラーの支配領域へ進軍し、ヒトラーにもう一つの別の勝利、つまり“無血の勝利”を与えると申し入れたとしても、これらパワーエリートたち(1938年9月末になり初めて批判の声を出した人々)は、その段に至っては、もはや誰もヒトラーに翻意を迫ることができないことを、ハッキリと理解していた。それは、ヒトラーが、この戦争の初期段階で勝利することを確信しており、それによって、この保守パワーエリートらを確実に説得できると認識していることを知ったからである。


(宿命的なナルシシズムの果てに)


●大衆がヒトラーに示した「高い支持率」は、彼に限りないほどの尊大さを与えるとともに、ドイツ国内のあらゆる部門におよぶ独裁的な政治権力をも彼に与えてしまった。また、それは、政治家としての出発時点からヒトラーが妄想的に抱えてきたイデオロギーを完成する助けとなった。そのイデオロギーの内容とは「ユダヤ人の排除」と「生存圏の拡大」である。1930年代の終わり頃になると、もはや、このイデオロギーの内容は遥か遠くにある“夢想家の夢”などではなく“現実的な政策目標”となっていた。


●このイデオロギーの内容が具体的な政策目標となる過程では、“総統のための仕事に喜んで取り組む”という名目での仕事が、体制内のあらゆる次元で推進された。実のところ、この仕事はヒトラーが政治権力を引き継いでから迅速に確立してきた強い支配力の反映である。その支配力は更に強化され、いっそう拡張された訳であるが、それはまた、ヒトラーの大衆人気の延長ともいえる“住民投票の承認”がもたらした由々しき場面(衆愚的な政治レベル)への後退でもあった。


●遂には、“ヒトラー自身による総統信仰”(つまり、ナルシシズム)という衝撃的な事態となる。彼の身近にいた人が後になって明らかにしたことだが、このような傾向の何がしかの兆しは1935〜1936年頃のヒトラーの様子の変化の中に察知することができた。すなわち、ヒトラーは、以前よりも、他からのほんの小さな批判に対しても非常に独善的に(怒りっぽく)なり、自分自身の絶対性(無誤謬性)に対して、より大きな自信を持つようになった。そして、ヒトラーは、より断言的な演説をするようになり、彼は、まるで自分が救世主にでもなったかのように振る舞った。


●更に、ヒトラーは自分自身を「神の摂理によって選ばれた存在」だと見なすようになる。このような傾向は長い時間をかけて彼のパーソナリティの中に埋め込まれてきたものであるが、しかしながら、今や、その程度は大変なものとなってしまっていた。「ラインラントの大成功」の後に行われた、ある選挙の時の演説で、ヒトラーは次のように述べたことがある。・・・“私は、神の摂理が私に与えてくれた道を夢遊病者のように本能的な確実性に従いつつ歩いているのだ。”・・・これは、もはや選挙演説のレトリックの範囲を遥かに超えていた。ヒトラーは、まさに、そのことを“確実に”信じていたのだ。彼は、次第に「自らの絶対性(無誤謬性)」を信じるようになっていた。


●遅くとも1930年代の半ば頃までには、『ヒトラーの“ナルシシズム(パーソナリティの特徴)”、ヒトラーの取り巻きによる極端な“ご機嫌取り”と“ゴマ擂(す)り”、彼を繰り返し刺激し続ける一般大衆の膨大な“ヒトラー賛美”の声』などが合わさり、それは『ドイツの運命はヒトラー総統の両腕の中にあるという国民的妄想』を生み出した。別に言うなら、それは“永遠に来襲する大闘争の中で、ドイツに最終的な勝利を導くことができるのはヒトラー総統だけだ”という妄想であった。


●その開戦(1939年、ドイツ軍のポーランド侵入)の前夜、彼は将軍たちに次のように語った。


『 根本的に、私は、それ(戦争)を支配している。私という存在が、それを支配している。私の政治的な手腕が、それを支配している。』・・・更に、彼はこのことを強調するため次のように話した。・・・『過去から未来におよび、私ほど全てのドイツ人を信頼できる人物は存在しない。私より正統な権威を持つ人物は未来永劫とも現れないだろう。それ故に、私という存在は“価値ある要素の巨大な塊”なのだ。しかし、私の命がいつまで永らえるかは誰にも分からない。故に、今こそ困難な戦争に挑むべき好機なのだ! 』


●戦争の時代に入ると、見かけで飾られたドイツの栄光は“悲惨な苦難の山”に道を譲らざるを得なくなる。すなわち、敗北につぐ敗北によってヒトラー総統のカリスマの台座(カリスマ的なリーダーシップ)は必然的に腐食し始めた。そして“実はヒトラーがドイツを底なしの奈落へ向かって導いてきた”という現実が明らかになった。ドイツ国民は、それまでヒトラーの勝利を賛美し、賞賛し、高く支持してきたはずだった。しかし、今や、彼らは“ヒトラーが地獄の如きカタストロフへドイツ国民を導いてきたこと”を激しく非難するようになっていた。


・・・・・以下は[2008-02-09付toxandoriaの日記/日米の『軍事・利権顔(ヅラ)』周辺に漂う“ネオ・ナチズム”の臭い、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080209]のコメント&レスの転載です・・・・・


pfaelzerwein 2008/02/10 18:26


お蔭様で毎日新聞ISAFに関する解説も拝見しました。また朝日新聞の社説を他方で読みました が、酷いものですね。予てから私が批判する西欧社会主義的な国際平和貢献もジハドの前では意味をなさず、安全保障上の問題ですらありますが、それどころか 国連主導の派兵などという体制的で翼賛的なジャーナリズムがあること自体が不思議でなりません。


toxandoria 2008/02/11 04:16


pfaelzerweinさま、コメントありがとうございます。


その後、“ビリニュスで開かれたNATOの非公式国防相理事会が、8日にアフガニスタンの安定化へ向けて駐留部隊の増強を図る方針を確認し、閉幕した。これに対し、兵力 不足問題でNATOが二つに割れると警告していたゲーツ米国防長官が会議の成果に励まされたと述べ、加盟国批判の矛を収めた”と報じられています(情報 源:ネット・読売新聞、http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080209-OYT1T00700.htm)。


また、ほぼ時を同じくして、“実は日本政府が既にアフガン復興にあたる軍民一体型の「地域復興支援チーム/PRT」が進める枠組みでの学校建設などの資金を 途上国援助(ODA)で肩代わりし ていた”ということが明らかになりました。これらの情報に隠れてドイツの動向がよく見えていませんが、NATOの内部は、そう簡単にコトが進む状況になっ ていないのではないでしょうか?


ともかくも、これらの一連の動きは、明らかに日本における「米空母艦載機部隊の岩国基地移転」の問題と繋がる部分があります。そして、その根本にあるのは膨張・肥大化するばかりの地元と中央に跨る『防衛利権問題』です。


要するに、ドイツなど欧州諸国と日本の決定的な違いは、我が国には“国がもっと汗をかくべき難問題を一方的に地方自治体と地方住民へ押し付けている”(=核 心部分への真摯な取り組みを国が放棄している)という現実があることです。今、メディアも巻き込む形で具体化への検討が開始された「自衛隊海外派遣・恒久 法の問題」も、この観点からすれば『今、目前にある防衛利権構造の合法化・既得権化』へ傾く恐れがあると思われます。


しかしながら、この本質的な部分についてはメディアも絡めて巧妙にカムフラージュされているようです。一方、欧州では「軍事防衛産業システム」の一連の民営 化&市場重視への転換による『防衛利権の膨張』が由々しきこととして広く共有認識されているはずです。仏のサルコジ(支持率は大分低下中ながら)が突出し て元気なのも、この筋のエネルギー源の注入によるのではないでしょうか。


どうも、今の日本は“政治の<芯=現実認識>に相当する部分がもぬけの殻状態”のまま枝葉末節で右往左往するばかりのように見えます。


<参考>


アメリカ軍空母艦載機部隊の岩国基地への移転が大きな争点になった岩国市の市長選挙では、福田良彦氏(移転容認派が推す前の自民党衆議院議員)が 当選確実となった』(情報源:ネットNHKニュース、http: //www3.nhk.or.jp/news/2008/02/10/k20080210000159.html)