toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「道路特定財源」流用のプロパガンダ・ミュージカルで「山師の玄関」化する日本

toxandoria2008-02-17



【画像】Lara Fabian - Evergreen(国土交通省プロパガンダ・ミュージカル「山師の玄関」の対極にあるセンチメント/右上の画像はhttp://limelight-545.static.dailymotion.com/dyn/preview/160x120/4096545.jpgより)



<注記/まえがき>


「山師の玄関」(≒利権顔(ヅラ))とは、“山師(詐欺師)は人の信用をつなぐために、特に玄関を立派につくる習性がある”ということから、理念も内容も本当は貧弱(実際はネコババすることが目的)なのに見かけだけ立派なもの(例えば高規格道路網のようなモノ)にすることの喩えです。同意語に「藪医者の玄関」もあります(画像はhttp://hackhell.com/showthread.php?t=142214&page=15より)。


当記事は、今も現代ドイツの「内なるヒトラーとの闘い」を続けるドイツのメディアの事例ともいえる、(独)シュピーゲル誌(Jan.30、2008号)が『ヒトラー神話の謎』(The Fuehrer Myth / How Won Over the German People)について書いた下記記事★の続編の位置づけです。


★『2008-02-14付toxandoriaの日記/シリーズ/異臭漂う日本型軍事利権が助長する『民主主義の赤字』(2)』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080214


これは、前回の記事でも書いたことですが、戦後60年以上も経つというのに、絶えず、息長く「ドイツが起こした戦争の責任」の実像を探り続け、それを世界へ向けて発信しつつ自らの姿(民主主義国家としての立ち位置)を凝視しようとするドイツ流の真摯なスタンスは日本のメディアでは、今や、殆ど見られなくなっています。


現代日本の悲劇は、『民主主義の赤字』どころか日本政府も主要メディアも『民主主義国家としての根本理念の部分が綻びていること』を絶対に認めようとせず、ひたすら、その上に高慢な態度で弥縫策を積み上げようとするばかりであることです。この事態は「国家財政破綻」ならぬ「国家理念破綻」であり、砂上の楼閣と化した「日本民主主義の崩壊」です。


その綻びの隙間に、ソッと、ずる賢く『道路利権と軍需利権の闇』が忍び込んでいるにもかかわらず、日本のメディアの多くは、それは見ぬふりを決め込んでいるようです。おそらく、『利権顔(ヅラ)の祟り』が、よほど恐ろしいに違いありません。


「巨大な軍需経済」をエンジンとしつつ過酷な市場原理主義のミッション役を誇る今のアメリカ政府の思考パターンは、ヒトラーパラノイアであった“果てしなき生存権の拡大”と酷似しています。ただ、大方の国民は、日本政府のプロパガンダが功を奏しているためか、この事態の深刻さを未だ自覚できないだけだと思います。


日本政府も大方のメディアも、そのことを一般国民に悟られぬように「無関係で畑違いのノイズだらけ」のプロパガンダを撒き散らしているのかも知れません。利権絡みの補助金行政で地方自治体を締め上げる日本政府の悪代官ぶりは、沖縄・岩国の米軍基地(移転関連)問題をめぐる地域住民のやり場のない苦悩を深めるばかりです。


・・・・・・・・・・以下、本文・・・・・・・・・・


利権顔(ヅラ)が日本国中で散布するファシズムのタネ、シンクロ化)


現代日本における軍事利権・道路利権などの本質的な特徴は、「利権顔(ヅラ)」と「特定地域の利害関係者らの部分集合的クラスター」が、ドイツのジャーナリストSebastian Haffnerが言うところの恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態で固く結びついていることです。


また、この「オラが地域やオラが会社の利害関係者らの部分集合的クラスター」に属する人々のもう一つの厄介な特徴は、“オラが尊敬し、心髄から心酔する利権顔(ヅラ)さまのパーソナリティ”と「恍惚催眠(集団オルガスムス)状態」で固くかたく結びついてしまうや、火を付けられようが、水をかけられようが強力接着剤でくっ付いたように絶対に離れようとしないことです。


この「恍惚催眠(集団オルガスムス)状態」の結びつきの厄介なところは、自分たち仲間内における利害関係の埒外の人々へは全く興味を失い、一切、無関心になってしまうことです。もはや、天下国家も国の未来もあったものではなく、無論、利害関係の埒外の人々の基本的人権もヘッタクレもありません。その組織単位と組織全体の命ずるがまま動くだけです。


また、この“超常現象”にも見紛うばかりの異常な現象の大きな特徴、それは「日本の社会に浸透する画一的なシンクロ化(粒子化)」ということです。それこそが、この「恍惚催眠(集団オルガスムス)状態」というツーバイ法建築(2X4工法)のモジュール(基本単位)です。別に言うなら、それは「作為的に画一化し狭小化・矮小化された、人のセンチメントの画一的な働き」を利用するということです(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070321)。


つまり、それは恰もヒトラー総統閣下とナチス党員および、彼らに洗脳された大衆との固い結びつきを彷彿とさせるゾッとするような「寄生虫利権顔)と蛆虫(利害関係者)が“爛れた背徳の愛の巣”を営むようなオゾマシくも醜悪な姿」であり、これこそがファシズムの本質とみなすべきイメージです(画像はhttp://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/heilhitler.htmより)。


ヒトラーのナチズム時代のドイツ」と「利権顔(ヅラ)に牛耳られた現代日本」が激しく共鳴するのは、このシュピーゲル誌の記事で言えば、下記の件(くだり)です。


ヒトラーが権力を掌握するまでの間に約1300万人以上の人々が(それは未だ全国民の一部ではあったにせよ)熱狂的な「ヒトラー個人崇拝」を鵜呑みにするように(つまり、恍惚催眠(集団オルガスムス状態)なっていたのである。このため、ほどなくナチス党に所属する一般の人々と無数の追従者たちが「ヒトラー個人崇拝」の熱病に感染することとなる。従って、何よりも、先ずこの先行的な「ナチスの組織的基盤」こそが、その後のより幅広い「ヒトラー個人崇拝」への道を準備することになったということに注目すべきである。』


このナチス党員の先行集団は、現代の日本で言えば与党政権で連立を組み、自民党の相方となっている某政党の背後霊たる「某宗教団体の規模(人数)」にほぼ匹敵します。シュピーゲル誌は、この「約1300万人の組織的なナチス党員」が、紛れもなく、その後のドイツ国民の悲劇と世界戦争の災禍の原因をつくったと指摘しています(なお、この詳細は、下記の訳文を参照願います)。


(あざとく悪意に満ちたプロパガンダ、そしてメディアのアウトソーシング化)


ここで、無視できないのはナチス・ドイツを演出した「プロパガンダの天才ゲッペルスの役割」と「ジャーナリズムの敗北」(ナチスの広報機関化)ということです。これらの点についても、詳細は下記の訳文を参照願うこととして、ここでは、現代の日本でもゲッペルスに肖(あやか)ろうとする動きが性懲りもなく繰り返されつつあることを指摘しておきます。


少々前の事例を挙げるならば、かの「小泉偽装劇場」には“巨漢の和製ゲッペルス”を自認する御仁が奥の院で“とぐろを巻いていた”ことは周知のとおりで、「安部の美しい国」でも“痩せた和製ゲッペルス”が活躍したことは記憶に新しいところです。


そして、「福田政権下」では、『ガソリン税道路特定財源)』を流用して『みちぶしん』(ふるさときゃらばん)というミュージカルが全国公演されてきたというから驚きです。『ガソリン税道路特定財源)』の流用(5億円強)も怪しからぬことながら、今度は“利権顔(ヅラ)の和製ゲッペルス”が所轄(国土交通省)の親玉(大臣)を兼務していたということには驚きです(詳しくは、下記ブログ記事★を参照乞う)。


★『保坂展人のどこどこ日記/道路特定財源が仕込んだミュージカルの秘密』、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/dd1f9a2f96e0de81dbc01fbe6ccfde4c


これに加え、近年はタレントやらお笑い芸人たちが連立与党に属する“和製ゲッペルス”の取り巻き(国会議員、地方自治体・首長)となって世間を賑わせており、彼らの暴走は留まるところを知らずである一方、「パンとサーカスに飢えた大衆」に媚を売りつつ「和製ゲッペルスアウトソーシング先」と貸したテレビ・新聞等のジャーナリズムは、これぞビッグ・ビジネスチャンス到来とばかりに“橋上(?)知事や西国春(?)知事”へ夜討ち朝駆けをかけています。


ここで我々が目撃するのは、次々と出現する“利権顔(ヅラ)の和製ゲッペルス”のご意向に沿いつつ「メディアのアウトソーシング化」に甘んずる日本ジャーナリズムの底なしの劣化現象です。今、仏ル・モンド紙は「株主の編集介入」と必死で闘っていますが、彼我のあまりの落差(レベルの違い)に気づき愕然とさせられます(なお、この闘争は編集権の勝利となったようです/情報源:2008.2.17付・産経新聞ネット・ニュース『ルモンド新社長にフォトリノ編集局長』、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000914-san-int)。


(“利権顔(ヅラ)の鉄拳”へ限りなき賛美・賛同と歓呼、かくして無駄な道路網が拡大する)


かと思えば、利権顔(ヅラ)Aが『道路建設(今後10年間で2900キロ、総額59兆円の)は絶対必要!』(参照、http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080210/stt0802101858003-n1.htm)と急にダミ声を絞り出したり、はたまた利権顔(ヅラ)Bが『衆院で305議席を持ってる間は好き勝手にさせてもらうゾ!』(参照、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080216-00000037-mai-pol)とドスが効く恐ろしげな声で国民を脅しにかかっています。この辺りは、下のようなヒトラーの演説を彷彿とさせます。ここで「平和」→「道路」へ置き換えてみると、これが殆どそのまま「利権顔(ヅラ)の演説」として理解できることに驚かされます。


『・・・(前、略)・・・私は、この数十年間、周囲の状況によって、やむなく殆ど平和のことばかりを口にしてきた。軍備をドイツ民族に取り戻すことができたのは、もっぱら私がドイツの平和への意志とその計画を何度も再確認してきたからに他ならない。この軍備は一歩一歩着実にドイツ国民のために自由を回復し、次の段階に進むための必要条件であることがますます明らかになってきた。・・・(途中、略)・・・私が、ここ数年いつも平和を守ると言い続けたのは、強いられて不承不承そう言っていたに過ぎない。当時は未だドイツ国民の心理を段階的に変えていく必要があったのだ。また、平和的手段で獲得できない場合は力によって獲得すべきものがあることを ドイツ国民に徐々に理解させ(教育し)ていく必要があったのだ。』


このようにして、日本国中にはヒトラーアウトバーンならぬ『久間道路(and基地?)』、『額賀道路(and基地?)』、『青木道路』、『安部道路』、『二階道路』、『福田道路(andダム?)』、『古賀道路(and橋?)』・・・、と“利権顔(ヅラ)”が垂れ流した“猫糞(ネコババ)の跡”が延々と未来永劫にわたり造られてゆくという次第になる訳です。


(センチメントの操作と“名ばかり管理職組織(会社)”が意味するもの)


また、ヒトラー・ナチズムの大きな特徴は“論理性での説明よりも、国民のセンチメントを操ること”を意図的に重視したということです。ここで言うsentiment(独Gefuehl)は「理性ではなく感情に影響されつつ揺れ動く思考・判断、つまり苦悩や喜怒哀楽の中で堅実に生き抜く国民一般の日常生活における心情」の意味です。なお、ドイツ語のfuehlenには「感じる、触れる、美化する」などの意味があり、またfuehrenには「連れてゆく、先頭に立つ」の意味があります。そして、der Fuehrer(総統)はナチス指導者としてのヒトラーの称号です。


そして、ヒトラーが大衆のセンチメントを操ったおそるべき事実についてシュピーゲル誌は次のように書いています。


第三帝国の“平和な時代”(ヒトラー総統時代の前半)にヒトラー自らが主張した“見かけ上の成功の連続”は、更なる強い副作用を準備することになる。1933年以降、NSDAP国家社会主義労働者党=ナチス党)の連携ネットワークは、その触手をドイツ国内の殆どすべての社会組織の中に忍び込ませていた。そして、数多(あまた)のドイツ人たちが殆ど似たり寄ったりのナチス運動のやり方で強固に組織化されていたため、各連携組織の中においては『接着剤で塗り固めたような頑強な総統崇拝の囲い込み』から逃げ出すことが不可能であった。(まさに、これはオウム真理教などカルト新興宗教集団の組織化そのものに見える!)


独裁政権初期の数年間でヒトラー総統への大きな支持を創り上げた“一般国民層の情緒的なもの(センチメント)の積み重ね”は、計り知れぬほど重要な意味を持っている。ヒトラー総統への“賛美”が純粋な気持ちからのものであったにせよ、あるいは個々人の打算的なものであったにせよ、いずれにしても、その“ヒトラー賛美”はドイツに対して同じ作用をもたらした。本来であれば批判的な立場であったかも知れぬ人々が、あるいは辛うじてナチス党の教義とヒトラー体制をギリギリのところで信用していた人々が、現実には、圧倒的なヒトラー支持へなびいたのである。残念なことではあるが、これが「ナチス党支配による政治権力」の恐るべき現実であった。』


『重要なことは、ヒトラー総統に対する大衆の異常な人気(支持率の高さ)が、ドイツの保守・パワーエリート層(特に国防軍・指導部と外務省・部局)に属する様々な政策グループからヒトラーを引き離してしまい、彼らの手が届かぬ高みの座へヒトラーを祭り上げたことである。このため、本来であれば外務省内から聞こえて来るはずのヒトラーの危険な外交政策への批判の第一声(破滅的な未来の戦争を恐れる声)が、1938年になるまで出遅れてしまった。』


このセンチメントを操るという意味では、かの「小泉偽装劇場」へいささかのノスタルジーを覚える人々と、次の“総統閣下”(新たな飼い主様 or 元請 or 親会社?)への気遣いを見せ始めた一部の“アウトソーシング化したメディア”の動向に注意すべきだと思います。


更に、このシュピーゲル誌の記事で驚かされるのは、現代の我が国で騒ぎとなっているような“名ばかり管理職”のような現象ががヒトラーナチス政権下の社会でも起こっていたという事実です。例えば、シュピーゲル誌の特集記事には、次のような件(くだり)があります。


『軍部内では、取るに足りないような“マヤカシ組織(現代日本名ばかり管理職会社のような?)と出世の亡者ら”が、“ヒトラー総統”様が導いて下さる「有難い階級システム」の上で先陣争いをしていた。ヒトラー総統の「リーダーシップと成果主義」の重視は、彼らの中に過酷な競争状態をもたらし、日ごとに、彼らは“果てしない野望”(toxandoria注記→騙されているのに!)と、とても“実現不能な可能性”を押し付けられた。このようにして、彼らは、ヒトラーの脳内にある「ドイツ国家のパラノイア的な再生ヴィジョン」を広範な領域で実現するため莫大なエネルギーを出し尽くすことを要求された。


・・・・・・・・・・


ともかくも、このようにシュピーゲル誌の『ヒトラー回顧・分析記事』と日本の現状をザッと照らし合わせただけでも、現代の日本に、つまり日常・社会・ビジネス生活のなかに、“妙にネバッこく薄気味悪い空気のようなモノ”が、まるで納豆の糸の如く我々に纏わりながら着実に浸透しつつあることが分かります。


今や、我々は、日本全国の何処へ行っても同じようにリッパな「山師の玄関」、つまり夥しい数の「道の駅」と「道路沿いの景観」が現れ、その陰で哀れにも財政破綻を宣告され意気消沈した自治体住民らが七転八倒する姿を目撃する羽目となっています。


これこそ「利権顔(ヅラ)が差配する連立与党」のナチズム的な本性が日本にもたらしてきた現実であり、「山師の玄関」のような、かつての「小泉偽装劇場」のような見栄えの陰に潜む、「利権顔(ヅラ)」(=猫糞顔(ヅラ))の「醜悪で怪奇な実像」(=“国勝ちて山河なし”の現実)です。


・・・・・・・・・・


以下は、前の当ブログに掲載したシュピーゲル誌・記事(ナチス・ドイツに関する回顧・分析/Jan.30、2008号/原資料:同誌の英語版、http://www.spiegel.de/international/)の“意訳”(逐語訳ならぬ“直感訳”なので、恐らく“誤訳の山”であることをご承知おきください)ですが、再度、その内容を転載しておきます。


ただ、今回の記述内容に合わせてカットした部分があるため、前回の掲載内容より長さは短くしてあります。


・・・・・・・・・・


【 The Fuehrer Myth 】 By Ian Kershaw


ナチスの劇的な台頭と総統神話の始まり=プロパガンダと軍事力プレゼンスの成功)


ヒトラーは、自らがドイツ国民のアイドル(偶像)となるために“プロパガンダ(凡ゆるメディアを活用する組織的宣伝活動)”と“外部からの脅威を煽る軍事力プレゼンス(軍事力の存在感)”を巧みに利用した。その結果、多くのドイツ国民が偶像化したヒトラーに一斉に媚びへつらい、ついには“Today、Hitler is All of Germany”(1934年4月4日の新聞ヘッドライン)という具合になった。


●その二日前にヒンデンブルク大統領が死ぬと、間髪を入れずヒトラードイツ帝国ドイツ国民の総統(der Fuehrer)たる自らへの忠誠を軍に誓わせた。この状況はヒトラードイツ国民が完璧に感覚的レベルで結合したことを意味する(toxandoria注記:これが、Sebastian Haffner著『ヒトラーとは何か』(草思社)による 恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態)


●総統独裁下の平和な時代(ヒトラー時代の前半)における目覚しいヒトラーの業績の背後に何があったにせよ(多くの人々が、それを見誤っていたとしても)、ヒトラー総統に対する大衆の圧倒的な支持を確立するという戦略は確実に勝利を収め、その目的は達成されたのである( toxandoria注記→つまり、それが恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態の完成)



(更に豊かな地域へ侵略するための道筋の準備=恍惚催眠効果の本格的な発揮)


●このヒトラー総統に対する大衆の圧倒的な支持は(それに対して賛同できぬ人々の存在という多少の例外はあったが・・・)、明らかに作為的なコンセンサスづくりの賜物であった。それは、恰もコインの裏側のごとく、もう一つの確かな現実が期待され得るという意味での「国家統一体」の宣言であり、それに反対する人々には「民族の敵」などのアウトサイダー宣言を課すという都合のよいプロパガンダであった。そして、その複雑な「国家統一体」の中心に「超人ヒトラーのイメージ」が鎮座するということになった。


●このプロパガンダは、ヒトラーが権力を奪取する前から用意周到に創りあげられてきたもので、それを準備したのはゲッペルスである。ゲッペルスは、最も現代的な意味で成功の可能性が高い“政治的マーケティング・リサーチ”を実行した。そして、1933年に、いったん国家統一のためのプロパガンダ手法がナチスの独占物となるや(ヒトラーが首相となり、ナチス党への全権賦与法が成立し、ユダヤ人弾圧が始まった)、マス・メディアを使ってヒトラーのカリスマ性を猛烈な速さで広めることに対する障害はまったく存在しなくなった。


●このようにしてヒトラーが権力を掌握するまでの間に約1300万人以上の人々が(それは未だ全国民の一部ではあったにせ)熱狂的な「ヒトラー個人崇拝」を鵜呑みにするように(toxandoria注記→恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)状態)なっていたのである。このため、ほどなくナチス党に所属する一般の人々と無数の追従者たちが「ヒトラー個人崇拝」の熱病に感染することにとなる。従って、何よりも、先ずこの先行的な「ナチスの組織的基盤」こそが、その後のより幅広い「ヒトラー個人崇拝」への道を準備することになったことに注目すべきである。


●「ヒトラー個人崇拝」が急速に広まったという“その事実”については、それが“ゲッペルスの独創的なプロパガンダ戦略”の賜物であることは間違いないが、同時に、このようなバックグラウンド(ナチス党の組織的基盤)の存在が大きく貢献したことを直視しておくべきだ。プラハへ亡命していた社会民主党『ソパード(Sopade)』までもが、1938年4月には“ヒトラーは、次の点で多数の国民の同意を得ることができる。つまり、それは「(1)ヒトラーが仕事を創造したこと、(2)ヒトラーがドイツを強いものにしたこと」の二点である”との理解を表明していたのだから・・・。


●このようにして、ゲッペルスの独創的なプロパガンダドイツ帝国の1930年代前半における急速な経済回復をヒトラー自身の業績と見せかけることに成功したが、実はヒトラーの経済知識は貧弱なものであり、実際のところ、その急速な経済回復は複雑な要因によるものであった。そして、もし貢献した人物の名を挙げるとするならば、それは経済大臣のヤルマール・シャハトである。従って、ヒトラーの貢献があったとしても、それは精々のところ“社会の空気を変えた”という程度のことであった。しかし、多くの人々(toxandoria注記→恍惚催眠状態の多くの人々)は“ヒトラーの業績”を当然のことと見なし、「ヒトラーを歓呼で迎える」ことになったのである。しかし、未だそれは始めから彼を支持してこなかった一部の人々をも徹底的に打ちのめすための最初の第一歩に過ぎなかった。


●1936年までにヒトラーのドイツは完全雇用を達成していたが、それには『ドイツの未来に重大な危機を仕込んだ再軍備(軍需経済)』が大きく貢献していた。しかし、もはや殆どのドイツ人は『この雇用機会が何処からやってくるのかということ、つまりヒトラー支配下での“完全雇用ミステリ”ーの根本』については気にかけなくなっていた(toxandoria注記→この現象は、現代のグローバル市場原理主義時代においてアメリカの産軍複合体が経済拡大を牽引する構図(グローバルな軍需経済化戦略=民需→軍需資本主義への傾斜)にオーバーラップする)。つまり、それは「ヒトラー信仰」が国民のリアリズム認識能力を狂わせていたことに他ならない。


●二つ目のソパード(Sopade)の指摘、つまり「ヒトラーがドイツを強いものにしたこと」も重要な「ヒトラー信仰」のファクターである。そこでヒトラーが取ったのは、「1918年にドイツが蒙った屈辱的な出来事」(toxandoria注記→1918年11月、キール軍港で起こった水兵の反乱/これがドイツ国内へ波及して革命暴動が続発)と、その翌年に調印された「ヴェルサイユ条約による屈辱の追い討ち」を決してドイツ国民へ忘れさせず、絶えず思い出させる戦術であった。このため、“不公正”なヴェルサイユ条約への憎悪はドイツ国内では“政治的怨念”のようなものとなった。また、ヒトラーはたった10万人まで削減されたドイツの軍備が国家ドイツの最大の弱点となっていることを国民へ繰り返して徹底的に認識させた。


(“ヒトラーの鉄拳”への限りなき賛同、ヒトラー支持の急上昇=更なる恍惚催眠効果の増大)


●ドイツ軍のズデーテン進駐、それはヒトラーにとっては“熱狂”の結果というよりも、むしろ“放棄”であったのだ。なぜなら、それは最後に「1939年の出来事」(8月、独ソ不可侵条約締結→ドイツ軍がポーランド侵入=第二次世界大戦が勃発)に到達するための、事実上の「自覚的な戦争のプロセス」に過ぎなかったからだ。そして、そのためにこそ、ヒトラーは「第三ドイツ帝国・前半の平和な時代」に一般国民の熱烈な支持を獲得しておくため、彼らに対して『誤った見通しに基づく夢』を植えつける努力を惜しまなかったのである。つまり、多くのドイツ国民が平和を夢見る陰で、ヒトラーは意図的に戦争を目指していたということである。


ヒトラーは、このようなプロセスで一般国民を騙し、誑かすためには、彼らが絶大な信用をおくドイツのジャーナリズム(新聞・出版関係者)を通して「効果的な演説」による意志の表明が必要であることを明確に自覚していた。このようなヒトラーの意図の下で、1938年11月10日の『ジャーナリストと出版業者に対する談話の発表』が行なわれたが、既に、この時、ドイツのマスコミ人はドイツ社会に拡大した大政翼賛的な雰囲気の中でヒトラーに対する批判の言葉を失っていた。


『・・・(前、略)・・・私は、この数十年間、周囲の状況によって、やむなく殆ど平和のことばかりを口にしてきた。軍備をドイツ民族に取り戻すことができたのは、もっぱら私がドイツの平和への意志とその計画を何度も再確認してきたからに他ならない。この軍備は一歩一歩着実にドイツ国民のために自由を回復し、次の段階に進むための必要条件であることがますます明らかになってきた。・・・(途中、略)・・・私が、ここ数年いつも平和を守ると言い続けたのは、強いられて不承不承そう言っていたに過ぎない。当時は未だドイツ国民の心理を段階的に変えていく必要があったのだ。また、平和的手段で獲得できない場合は力によって獲得すべきものがあることを ドイツ国民に徐々に理解させ(教育し)ていく必要があったのだ。』


ヒトラーは、一般国民から“自らの権力が手を下した大量殺人”への非難の代わりに広範な賛同と支持を勝ち取ったが、それは、彼が“国家を危機に陥れた邪悪な行為と悪行の数々”を情け容赦なく根絶やしにしている姿を巧みに演じて見せたからである。それどころか、そのエネルギッシュで非情な行動を見せつけることによって、ヒトラー総統は、未だにナチス党の行動への賛同をためらっていた人々からまでも大きな支持を勝ち取ることになった。


●その時点で、もはやヒトラーは単なる尊敬の対象ではなく“偶像化されたもの”となっていた。これは下級官僚層に属する某官僚が書いた記録によって証明されており、その他の多くのレポート類も、この『独特のセンチメント』(ヒトラーを無条件に支持してしまう気分)について記録を残している(toxandoria注記→ナチスユダヤ人弾圧は1933年から始まっていたが、1938年11月に大弾圧(水晶の夜/Kristallnacht)が行われた)。そして、体制批判派であるはずの社会民主党の多くのレポート類までもが、この時に「ヒトラーへの支持」が大きく上昇したことを認めている。


(マイノリティに対する強力な憎悪の醸成)


●一般に国家全体の統一意識というものは、まさに、そこから締め出された人々の存在があるが故に自らの限定的な意味を獲得するものだ。従って、必然的に、そのような概念はナチ的解釈の一部にも存在しており、そこからナチの民族差別も生まれた。やがて、ヒトラー流の「民族の純潔」を創造する手段として「同質民族国家の強化」ということが目的になるが、その「民族の純潔」のために利用されたのが、例えば“同性愛者、ロマ(ジプシー)、極端な自己中心主義者(おたく)”など、既存の偏見対象となっている人たちであった。そして、彼らは、強く非難すべき国家の敵として「ヒトラー国家統一」のための補強材として利用された。


●それに加えて、ボルシェビキ派の労働者と富裕階層の人々、および最も目に付いたユダヤ人たち(彼らは両方の階層に跨る存在であった)も国家の敵として利用された。特に、彼らはドイツ国家の存続に害を及ぼす内外からの脅威に対するヒトラーの大仕事と、国家の擁護者としてのヒトラーの主張を強化するために利用された(toxandoria注記→ヒトラーは、「軍備増強(軍需経済)」と「ユダヤ人や富裕層から資産を収奪し再分配する」などの経済政策を行ったが行き詰まり、やがて侵略戦争生存権の拡大)へ突き進む)。


●「水晶の夜(Kristallnacht)」への不評が国民一般の中に(ナチ党の中にすら)、いささかながら存在することを知ったヒトラーは、自分自身が命じたことであるにもかかわらず、その時点では、オフィシャルにその大虐殺(the pogrom)に距離を置く態度を取った。しかし、そのようなユダヤ人弾圧の手法への批判が広がる気配があるにもかかわらず、その頃のドイツ国内では殆どユダヤ人の居場所がなくなっていた。そして、危機的な国際情勢の高まりとともに、ヒトラーユダヤ人に対する関与は、ドイツの国益の熱狂的な擁護者としてのヒトラーのイメージを強めることがあっても、それを弱めることにはならなかった。


●実質的に、ドイツからのユダヤ人排斥、つまり「ユダヤ人からの財産収奪と彼らの国外追放」はドイツに経済的利益をもたらした。ヒトラー第三帝国とともにユダヤ人排斥運動は始まっていたが、このような流れの中で、その運動はユダヤ人をドイツ国内の金融・商業活動から効果的に追い払った。そして、ついには1938年の『アーリア人化プログラム』が、ユダヤ人から徹底的に財産を収奪することとなり、それは夥しい数のドイツ人へ利益をもたらした。ここに至って、再び多くのドイツ人がヒトラーへ感謝するようになった。一方、この“ドイツ国民に不人気なマイノリティ”(=ユダヤ人)にとっては、彼らが、マイノリティゆえ、このように大きな代償を支払わせられることは想定外の事態であった。


第三帝国の“平和な時代”(ヒトラー総統時代の前半)にヒトラー自らが主張した“見かけ上の成功の連続”は、更なる強い副作用を準備することになる。1933年以降、NSDAP国家社会主義労働者党=ナチス党)の連携ネットワークは、その触手をドイツ国内の殆どすべての社会組織の中に忍び込ませていた。そして、数多(あまた)のドイツ人たちが殆ど似たり寄ったりのナチス運動のやり方で強固に組織化されていたため、各連携組織の中においては『接着剤で塗り固めたような頑強な総統崇拝の囲い込み』から逃げ出すことが不可能であった(toxandoria注記→まさにオウム真理教などカルト新興宗教集団の組織化そのものに見える!)


●軍部内では、取るに足りないような“マヤカシ組織(現代日本名ばかり管理職会社のような?)と出世の亡者ら”が、“ヒトラー総統”様が導いて下さる「有難い階級システム」の上で先陣争いをしていた。ヒトラー総統の「リーダーシップと成果主義」の重視は、彼らの中に過酷な競争状態をもたらし、日ごとに、彼らは“果てしない野望”と、とても“実現不能な可能性”を押し付けられた。このようにして、彼らは、ヒトラーの脳内にある「パラノイア的なドイツ国家の再生ヴィジョン」を広範な領域で実現するため莫大なエネルギーを出し尽くすことを要求された。


独裁政権初期の数年間でヒトラー総統への大きな支持を創り上げた“一般国民層の情緒的なもの(センチメント)の積み重ね”は、計り知れぬほど重要な意味を持っている。ヒトラー総統への“賛美”が純粋な気持ちからのものであったにせよ、あるいは個々人の打算的なものであったにせよ、いずれにしても、その“ヒトラー賛美”はドイツに対して同じ作用をもたらした。本来であれば批判的な立場であったかも知れぬ人々が、あるいは辛うじてナチス党の教義とヒトラー体制をギリギリのところで信用していた人々が、現実には、圧倒的なヒトラー支持へなびいたのである。残念なことではあるが、これが「ナチス党支配による政治権力」の恐るべき現実であった。


●重要なことは、ヒトラー総統に対する大衆の異常な人気(支持率の高さ)が、ドイツの保守・パワーエリート層(特に国防軍・指導部と外務省・部局)に属する様々な政策グループからヒトラーを引き離してしまい、彼らの手が届かぬ高みの座へヒトラーを祭り上げたことである。このため、本来であれば外務省内から聞こえて来るはずのヒトラーの危険な外交政策への批判の第一声(破滅的な未来の戦争を恐れる声)が、1938年になるまで出遅れてしまった。


(宿命的なナルシシズムの果てに)


●大衆がヒトラーに示した「高い支持率」は、彼に限りないほどの尊大さを与えるとともに、ドイツ国内のあらゆる部門におよぶ独裁的な政治権力をも彼に与えてしまった。また、それは、政治家としての出発時点からヒトラーが妄想的に抱えてきたイデオロギーを完成する助けとなった。そのイデオロギーの内容とは「ユダヤ人の排除」と「生存圏の拡大」である。1930年代の終わり頃になると、もはや、このイデオロギーの内容は遥か遠くにある“夢想家の夢”などではなく“現実的な政策目標”となっていた。


●このイデオロギーの内容が具体的な政策目標となる過程では、“総統のための仕事に喜んで取り組む”という名目での仕事が、体制内のあらゆる次元で推進された。実のところ、この仕事はヒトラーが政治権力を引き継いでから迅速に確立してきた強い支配力の反映である。その支配力は更に強化され、いっそう拡張された訳であるが、それはまた、ヒトラーの大衆人気の延長ともいえる“住民投票の承認”がもたらした由々しき場面(衆愚的な政治レベル)への後退でもあった。


●遂には、“ヒトラー自身による総統信仰”(つまり、ナルシシズム)という衝撃的な事態となる。彼の身近にいた人が後になって明らかにしたことだが、このような傾向の何がしかの兆しは1935〜1936年頃のヒトラーの様子の変化の中に察知することができた。すなわち、ヒトラーは、以前よりも、他からのほんの小さな批判に対しても非常に独善的に(怒りっぽく)なり、自分自身の絶対性(無誤謬性)に対して、より大きな自信を持つようになった。そして、ヒトラーは、より断言的な演説をするようになり、彼は、まるで自分が救世主にでもなったかのように振る舞った。


●更に、ヒトラーは自分自身を「神の摂理によって選ばれた存在」だと見なすようになる。このような傾向は長い時間をかけて彼のパーソナリティの中に埋め込まれてきたものであるが、しかしながら、今や、その程度は大変なものとなってしまっていた。「ラインラントの大成功」の後に行われた、ある選挙の時の演説で、ヒトラーは次のように述べたことがある。・・・“私は、神の摂理が私に与えてくれた道を夢遊病者のように本能的な確実性に従いつつ歩いているのだ。”・・・これは、もはや選挙演説のレトリックの範囲を遥かに超えていた。ヒトラーは、まさに、そのことを“確実に”信じていたのだ。彼は、次第に「自らの絶対性(無誤謬性)」を信じるようになっていた。


●戦争の時代に入ると、見かけで飾られたドイツの栄光は“悲惨な苦難の山”に道を譲らざるを得なくなる。すなわち、敗北につぐ敗北によってヒトラー総統のカリスマの台座(カリスマ的なリーダーシップ)は必然的に腐食し始めた。そして“実はヒトラーがドイツを底なしの奈落へ向かって導いてきた”という現実が明らかになった。ドイツ国民は、それまでヒトラーの勝利を賛美し、賞賛し、高く支持してきたはずだった。しかし、今や、彼らは“ヒトラーが地獄の如きカタストロフへドイツ国民を導いてきたこと”を激しく非難していた。