toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

道路特定財源で“ケ・セラ・セラ!”(Apres moi le deluge!)へ舵を切る“福田・恍惚内閣”亡国のエクスタシー

toxandoria2008-02-22



イージス艦(イメージ画像、当記事の内容とは無関係/右の画像はルイ15世の愛人、ポンパドウール夫人)

(この画像はhttp://biglizards.net/strawberryblog/archives/2007/06/post_479.htmlより拝借しました)


[MAD INTERMISSION] 亡国のスターウォーズ、パロディー


Lara Fabian - Je suis malade( I am sick )




<注記1>“Apres moi le deluge!”は、偉大な曽祖父であった太陽王ルイ14世と比べ“国家資産蕩尽”王と呼ばれたルイ15世の名言。その意味するところは「あとは野となれ山となれ!」、つまり「無責任なケ・セラ・セラ」のこと(画像はウイキメディアより/左ルイ14世、右ルイ15世)。具体的に言えば、ルイ15世は、ポンパドウール夫人を始め“多く”の愛人らとウツツをぬかす間に海外での英国との覇権闘争に敗れインド・カナダなど“多く”の植民地(国益)を失った。


<注記2>また、当記事の内容は下の記事★と関連がありますので、是非こちらもお読み願います。


★[8-02-21付toxandoriaの日記/タレント政治家、利権・寄生政治家、サルコジ、イザボー・ド・ヴァビエールらに漂う“妄想政治”の異臭]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080221


2月21日の衆議院予算委員会の「道路特定財源」に関する集中審議では、国土交通省の「中期計画・案」が古いデータでできていること、前提となる費用対効果の分析が甘いことなどが野党側から槍玉に上げられたため(民主党馬淵澄夫氏が、この「中期計画・案」が将来の道路交通量を多く見積もった古い需要推計を基に策定された点を改めて突いた)、福田首相は“予測は外れることもあるのが当たり前だ。だから、その時にどうするかは政策判断だ。・・・この道路計画・案の実行で人口が増えるようにするのも一つの政策判断だ! (“数十年先のことなんて、ホンネはケッ・セラ・セラだ!”とは言わなかったようですが・・・)”と開き直っていました。実は、この福田首相の『道路特定財源の闇』についての“この開き直りの姿勢”こそが、渦中の「イージス艦と漁船の衝突事故」の淵源に通底するのです。しかし、そのことは殆ど誰も気づいていないようです。


今日の各報道によると、今回の衝突事故を起こしたイージス艦「あたご」のレーダー記録が保存されていなかったことが明らかになっています。このため、第3管区海上保安本部は「あたご」が初めから記録していなかったのか、あるいは事故後に消えたのかという点について当直員らからの事情聴取を進めています。ごく常識的に考えれば、混雑海域での「自動操舵」が不適切であったことは無論のこと、肝心の「レーダー記録」が忽然と掻き消えていた(あるいは初めから記録していなかった)ことは、きわめて不可思議なことです。これは、まるで防衛省(←日本政府)が、一隻あたり1000〜2000億円という巨額の国家予算(現在、6隻目のイージス艦を建造中!)で“戦争ゴッコ”に興じているような戯けた姿ではありませんか。そして、この問題を考えるキーワードが「アーカイブ」(Archive/国民のために必要な凡ゆる行政関連記録を保管する場所)です。


言い換えれば、“政治権力者側、つまり政府・行政等の公務・言動の一切”についての客観的ドキュメント(公式記録)の保存・管理・公開に関わり重要な役目を果たす場所が「アーカイブ」です。洋の東西を問わず、歴史を紐解けばすぐ分かることですが、たとえ、それが専制国家であるとしても、オフィシャルには「アーカイブの役割」をまったく無視して政治を執ることは不可能でした。この意味を踏まえれば、特に「民主主義のあり方」を考える場合にこそ「アーカイブ」の問題は避けることができない筈です。しかし、残念ながら我が国ではアーカイブについての国民一般の認知度と関心が低く(特に、図書館の役割と混同する傾向が多く見られる)、「このような意味での重要性」が見過ごされています。


まことに驚くべきことですが、殆どの先進諸国でアーカイブの役割が重視されているにもかかわらず、我が日本ではこの問題が軽視されおり、「アーカイブ」の整備・運用の現状はきわめて遅れた状態にあります。本来であれば、民主主義国家であるからには「文書管理=非現用文書(過去の文書)の管理」というドグマ(固定観念)を先ず捨てるべきであり、その上で「日本政府ならびに行政官庁自身が自らの<現時点における政治・行政行為>について、それが正当であることを適切な根拠(証拠となる文書、関係資料、その他のドキュメント類)に基づいて、何時でも国民に対して説明できるようにする(アカウンタビリティの責任を果たす)」ための法的体制を「アーカイブ関連法整備」の観点で整えるべきなのです。因みに、現行の「公文書館法」(1988年、施行)は、その対象範囲が限定的で、情報公開法との整合性などの観点からも陳腐化した内容となっています。


つまり、このような我が国における“アーカイブに関するお寒い事情”を<当然の前提とする日本政府ならびに日本の行政官庁>には『自分たちが取り組んでいる仕事についての記録を確実に残し、必要な場合は、いつでも、それに基づき国民一般へ説明する』という心構えが基本的に欠落しているのです。それどころか、隙あらば何時でも“自らの仕事の記録は消去する”という姑息な意志が働いており、現実的に、自らに都合が悪い文書・記録の類は勝手気儘に廃棄処分されているのが現状です。なお、これらアーカイブ問題の詳細については下記の記事★で纏めたことがありますので(いささか内容が古くなっていますが・・・)、ご参照願います。


アーカイブの役割とは何か(1)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070209
アーカイブの役割とは何か(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070211
アーカイブの役割とは何か(3)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070217
アーカイブの役割とは何か(Extra1)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070214
アーカイブの役割とは何か(Extra2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070226


実は、このような日本における“特殊事情”(=諸外国では稀なアーカイブ観念の欠落)こそが、いまや次々と浮上して止まるところ知らずの感がある「政府および公官庁の不祥事&事件等」へ“根本的な意味での悪徳の病巣”を提供している疑いがあるのです。そして、それを具体的に指摘しておくならば、例えば「不平等な日米地位協定の陰の部分に関する記録の不在」、「社会保険庁年金記録の消滅」、「市町村合併時などにおける公文書ならびに地方史関連資料等の恣意的な廃棄処分(保管場所がないなどの適当な理由づけによる)」、「財務省等の中央省庁における公文書の恣意的な廃棄(中庭焼却炉での公文書焼却)処分(同前の理由づけ)」、「旧厚生省の薬害等・関連記録文書消滅」、「絶え間ない官製談合事件の多発」、「インド洋・自衛隊補給艦の航海日誌の廃棄」そして今回の「イージス艦『あたご』と漁船『清徳丸』の衝突事件(レーダー記録の不在or消滅、防衛省内部における隠蔽工作疑惑)」ということになります。


それどころか、「道路特定財源の流用事件」(職員人件費、体育大会開催費用等のレクリエーション費、福利厚生費、プロパガンダ・ミュージカル『みちぶしん』)から2月21日の衆議院予算委員会における野党の指摘で明るみに出た「古いデータで策定された国土交通省の中期計画の杜撰な内容」(この杜撰な根拠で59兆円の道路特定財源が実行される!)に至るまで、ありとあらゆる政府・公官庁関連の不祥事・事故・悪事の根本には、この「希薄なアーカイブ観念の欠落」が関わっていると考えられます。そして、このことを象徴するにふさわしいコトバは只一つ、<国会・政府・行政諸官庁・司法の無責任を日本国民及びメディアが何の証拠も取らずに許している>ということです。これは、<まことに貧困なリアリズム(現実認識)感覚>であり、換言すればそれは殆どビョーキとも言える<恐るべきほど恍惚化したリアリズム(現実認識)感覚>です。


従って、このような観点からすれば『偽装(ハリボテ擬装?)イージス艦の無責任艦長』である福田・恍惚(エクスタシー)首相が、“偉大な太陽王ルイ14世と比べ“国家資産蕩尽”王と揶揄されたルイ15世のごとく、“あとは野となれ山となれ!”(Apres moi le deluge!)の態度であるのは当然のことかも知れません。まさに“福田・恍惚内閣”亡国のエクスタシーです。


・・・・・以下は、各記事のコメント&レスの部分的な採録です(当記事と関連性があるものを選びました)。・・・・・



[2008-02-14付toxandoriaの日記/異臭漂う日本型軍事利権が助長する『民主主義の赤字』(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080214のコメント&レス]


三介(IVANAT) 


『こんばんは、おひさです。


>軍需関連産業の裾野の・・広がりは想像もつかぬほど巨大なもの


何かのエッセーで読んだことがありますが、世界の貿易トップ3はあいも変わらず、今でも軍需(兵器)と麻薬と『人身(臓器や血液も含め、或いは結婚の幾ばくかも)売買』なんでしょうね。


大 阪府知事選や京都市長選、解散総選挙後の政界再編の『隠れた』焦点の1つが、武器輸出での景気浮揚(防衛利権・秘密主義国家体制の拡大再生産』でしょう ね。ただ此処を突く側の『手法』がわんパタン過ぎて、ちっとも反転攻勢に持って行けないのが、もどかしいです。まじめで、色んな学習はされてますけど、ど うも大衆浸透力が弱すぎる。かつて『生活つづり方』運動が、体制翼賛に呑み込まれた『轍』を踏んで行きそうで、『やばい』ですね。


『パン&サあカス』の魅力を上回る『精神』性をどうやってマスメヂアに負けずに『伝染』させれるか。まあ、じたばた右往左往しないで『持ち場』を守るって事ぐらいしか、 僕には思い浮かびませんけど・・。えへh(岩井克人氏も言ってはった)『カンディード』の結論と同じってところが、可笑しい♪んですけど、まあ、そういう ところなんでしょう。』(2008/02/16 23:43)


toxandoria


『三介(IVANAT)さま、こちらこそです。


暖冬だ!との“山師の玄関”で脅かされて、実際は寒い寒い!なのでビックリですが、元気にやってます。


武器輸出では仏サルコジのパフォーマンスが目立ちましたが、どうして、どうして、インド市場では本命のアメリカがロシアと猛烈な鍔迫り合いを始めたようです。


たしかに“大衆浸透力”は「利権顔(ヅラ)」と「自称政治好きの“東西南北”や“上下左右”の芸能人」にはかないませんね、


次の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080217)で書きましたが、なにしろ「利権顔(ヅラ)」の得意技は “大衆センチメントのシンクロ化”、“寝技”(ゼニ・カネパワー)そして“ヒトラーまがいの恫喝(恐喝)のプレゼン”です。


彼らと同じことをマネる“パワー”もありませんので、少しづつ賢くなるよう“二宮金次郎する”しかありませんね。


それにしても、やはり欧米人のレベルは日本人の先を行ってるように見えます。例えば、カーラ・ブルーニらと好き勝手やってるように見える仏サルコジにして も、見方次第でしょうが、国民の方にしたたかなところがあり、サルコジが国民に体よくコキ使われているように見えてきました。


片や、善良でウブな日本国民は、いつまでたっても「ヒトラーまがいの利権顔(ヅラ)」にこき使われ“名ばかり管理職ゴッコ”で自己満足しています。』(2008/02/17 23:09)


argon


『toxandoriaさま。


今回のエント リーを通読させていただきまして、避けがたく印象として残ったのが、レニ・リーフェンシュタールアルベルト・シュペーアという二人の芸術家の存在でし た。美学生志望(たしか受験に失敗したはずです)でリヒアルト・ヴァークナーをこよなく愛していたヒトラーが、結果的に途方もないカリズマを獲得し得たの も、自らの政治的理念や方法論を、このような審美主義によって裏打ちさせていたからではないかと私は思います。そしてその審美主義に見事に応えたのがリー フェンシュタールとシュペーアでした。


二人の表現に共通しているのは、いわゆる崇高(sublime)――具体的にはシンメトリカルな形式美―― と呼ばれるべき質のものであり、それがヒトラーの狂気のカリズマと融合し、さらに、プロパガンダの天才、ゲッベルスによって爆発的な効果を与えられた、と いうのが彼らについて抱いていた私の印象でした。


建築家シュペーアの場合は、メガロマニアックに応用された古代ギリシャ様式によって、リーフェンシュタールの場合は均整のとれた肉体によるダイナミズムというものによって、ヒトラーの審美主義に応えようとしました。


シュペーアだけでなく、ドイツには、新古典主義の時代以降、カール・フリートリッヒ・シンケルやフリートリッヒ・ジリーといった、古代ギリシャ様式を好んで用 いる建築家が多く現れました。だが、あくまでもこれは私的な印象論の範囲を出るものではありませんが、ドイツの建築家たちの手にかかると、古代ギリシャの 建築にはあった健全な肉体性というものの内実がきれいさっぱり抜け落ちて、ともすれば寒々しい形式だけが残るというような表現になってしまうのです(ただ、特にシンケルの場合は、むしろそれが彼の意図の本質にあったのではないかとも私は思っています。


才能に溢れていたシンケルが、あんなにも古代ギリシャ の様式を多用したのは、それらから健全な肉体性というものをことさらに取り除くことによって、近代という新時代を逆照射しようとしていたのではないかと私 は考えています)。もちろん寒々しさという点ではシュペーアもその例外ではなく、だからといってシンケルのようなアイロニーヒトラーゲッベルスにとっては最も忌むべきものです)もなく。ですから、メガロマニアックに空疎化されたシュペーアの寒々しい形式美は、逆に、集団的恍惚催眠の状態にある人々に対 しては、想像を絶するほどの力を発揮していたのではないかと思われます。


一方、リーフェンシュタールの場合は、私にとってはシュペーアほど簡単には整理できない問題を孕んでいます。


彼女の描こうとした均整の取れた肉体美というものの本質は、西洋の絵画史に連なる無数の裸体画とは、およそ様相を異にしています。たとえばゴヤ、アングル、 ルノワールなどを思い浮かべるとそれは歴然とします。シュペーアの表現が、シュペーアのみに固有のものであったとは思われず(とはいえ彼が人並み外れた才 能の持ち主であったことを認めるにやぶさかではありませんが)、むしろヒトラーゲッベルスによって触発され、後押しされたところもあるのではないかとい う感がどうしても私には拭えないのです。ところがリーフェンシュタールは、ヒトラーゲッベルスの存在がなくても、稀有な表現者であり得た、これは間違い のないところだと思えるのです。


後年、アフリカのヌバ族の写真によって再登場したときも、その肉体表現の凄まじさに驚かされたのですが、百歳で自ら海中に 潜って映画を撮ったなど、まさに誰によっても、何によっても変節させ得ない何か異様に固い表現への意志のようなものを私は彼女に感じてなりません。むし ろ、彼女の最大の不幸は、ヒトラーゲッベルスと同時代、同国に存在したということにあったのではないかとさえ私には思われるのです(だからといって私が 彼女の表現を好んでいるわけでは決してありませんが)。同様に、ミケランジェロヒトラーと同時代人、同国人でなかったことは幸運なことでした。


幸か不幸か、現在の日本のプチ・ヒトラーやプチ・ゲッベルス(この国に二度目の夏期オリンピックを誘致しようとしているあの知事と有名建築家のコンビのことをいつかこう称したら、周囲から激しい喝采と同意が寄せられたことがありました。あの有名建築家はプチ・シュペーアと呼ぶよりも、自己プロパガンディストとしての能力の方が遙かに長けた、まさにプチ・ゲッベルスと呼ぶにふさわしい人物だと私には思えます。


そういえば、あのコンビに横槍を入れたはいいもの の、なぜかすぐに亡くなってしまったもう一人の有名建築家も、並外れた自己プロパガンディストではありましたが)、そしてこの国に蠢く有象無象の表現者た ちにも、上に述べた4人に共通するような透徹した審美主義というものなどありそうもなく、この国全体が混沌と拡散と混乱のなかで右往左往するばかりです。もちろん、そのことが、この国全体が一気に狂気に嵌り込んでいくことを防いでいる要因になっているのであれば、それを幸とするにしくはないのでしょうが。 ただ危惧すべきは、彼ら(私たち)には、透徹した審美主義だけでなく、何の倫理も理念もなくなってしまっているということで、しかも指針を失ったメディア が自己惑乱と錯乱と攪乱の挙げ句、暴発してしまわないかということだと思います。そしてその予兆はすでに現れているような気がします。』 (2008/02/21 02:25)


toxandoria  『argonさま、懇切なコメントありがとうございます。


レ ニ・リーフェンシュタールアルベルト・シュペーアという二人の芸術家のエピソードから、昨年4月に初めて見た、感動的なベルリンの光景を思い出しました (その時に撮った写真と印象を素材に二つの記事を書いております → ベルリン編(1)=http: //d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070418、ベルリン編(2)=http: //d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070423)。


そして、シンケルが設計した旧博物館(Altes  Museum)、同じくシンケルが改築したベルリン大聖堂(Berliner Dom)などの強烈なイメージがありありと甦ってきました。今、美術都市としての再生を目論むベルリンでは、市内に点在する14の美術館を統合・整理する プロジェクトへの取り組みが息長く進められているようでしたが、シュプレー川の中州にある博物館島の周辺を散策することができました。


だ いぶ昔のことになりますが、どこかで観たレニ・リーフェンシュタールの映像美に感動を覚えた記憶があります。たしかに、レニ・リーフェンシュタールとアル ベルト・シュペーアは、仮にヒトラーとの巡り合わせがなかったとしても、第一級の芸術家であったことは間違いないと思います。


ところで、 ナチスヒトラー)と芸術の関係の問題については謎が多いようです。啓蒙主義による理性への期待をもたせたフランス社会が、大革命後に過激な暴力装置と化 すプロセスを目の当たりにした、つまり人間が持つ底知れぬ矛盾、理性が犯す誤りを自分の目で観察することになったカントが、次のような言葉を残しているこ とが、一つのヒントを与えているような気がします(カントは、理性宗教(又は倫理重視)の立場から「神」との間に“一歩を置く”立場であったとされる)。


・・・「普段の行いの上から信頼できる正直で誠実な人」と「自分で神の恩寵を受けていると信じきっている人」を比べたとき、前者の方が格段に優れた人間であり、 そのような人間は他に対して害を与えない。また、「神の恩寵を受けることから徳(倫理)へ向かう」のが正しい道ではなく、「徳(倫理)から神の恩寵を受けることへ向かう」のが正しい道である。”・・・ 


それから、ヒトラーはラファエッロ、ボッテチェルリなどイタリア・ルネッサンス絵画とフェルメールを好む一方で、レンブラントを敬遠したということも何かの手掛りになるような気がしています。


一 般的な美学理論や様式美の範疇とは合い入れぬ考え方かも知れませんが、もともと美と醜の間には仕切りがなく、その有り様は喩えれば“流体化した成分の分布 のようなもの”ではないかと思われます。この観点からすれば、「我々の内なるヒトラー」の意味がリアルに分かるような気がします。


問題は、このことに全く気づかぬか、あるいは意図的に気づこうとしないプチ・ヒトラー的人間が、必ず何処にでも存在するということです。


例えば、米ブッシュ政権を強力に後押ししてきたネオコンらの根本には「米国が余りにも優秀過ぎたため嫉妬され、アルカイダの攻撃を受けた」という傲慢な考え方があるようです。


従って、これらの「勘違いの嫉妬勢力=悪」を抑える方法はただ一つあるのみ、それが「先制攻撃による懲罰で唯一の正義(善)の力を示してみせることだ」ということになります。


しかしながら、このような思考パターンこそが激しくナチズムと共鳴するように思われます。


そして、そのアメリカ(ブッシュ政権)に対し、その思考パターンを転換させるような出来事が今や起こりつつあります。それは、去る18日に投票が行われたばかりのパキスタン下院(定数342)総選挙で野党が圧勝したことです。


おそらく、この火薬庫のように「Busharaf化したパキスタン」でも、その“真の民意”は流石に無視することができず、これからアメリカは慎重に多チャネル型の対話路線へ舵を切るのではないかと思われます。


それに比べると、どれほどアメリカのために貢ぎ続けても、いつまで経っても、日本が「日米地位協定」なるものによって“終戦後の状態”に閉じ込められていることが解せません。


おそらく、これは日本の政治を牛耳ってきた「プチ・ヒトラーやプチ・ゲッベルス」らが日本国民の“真の民意”を遮っていることが本当の原因ではないかと思われます。


ドイツと日本の根本的差異(=民主主義の立ち位置の違い)が余りに目立つのも、この辺りが本当の理由ではないか、と思っています。』(2008/02/22 13:06)


ロキ 


『こんにちは。


TBの代わりに記事のアドレスを書いておきます。毎日気の滅入るような事件ばかり起きますね。


●ここが変だよ「地位協定」、http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080215.html


イージス艦衝突と「週刊文春」の気になる記事、http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080220.html』(2008/02/21 09:53)


toxandoria


『ロキ さま、 記事のご紹介ありがとうございます。


地位協定」を読んで思ったのは、日本が対米に関するかぎり“幕末状態ソノモノ”だということです。これでは「地位協定」を「対米隷属協定」へ改題すべきですね。


ドイツ、フィリピンなどの如く堂々と発言せず、なぜ国民に皺寄せを押し付けるという発想へ走ってしまうのか、・・・この点には敗戦国というだけでなく、もっと生々しい(国民に知られてはマズイ)etwasが隠れているような気がします。


イージス艦衝突と週刊文春の記事』も、ナゼか不気味な空気を感じさせます。おそらく防衛省(自衛隊)は見かけ上の立派な近代装備・組織と裏腹の重篤な問題を内向させているのではないか、と想像させられます。


共通するのは、やはり、政治の腐敗・劣化が原因だと思いますが、そのように低劣な政治家しか選ぶことができない市民意識の未成熟の問題ですね。歯がゆいところデス。


多少は、この論点にも関わるような記事を書いたばかりですので、下にURLを書いておきます。


『タレント政治家、利権・寄生政治家、サルコジ、イザボー・ド・ヴァビエールらに漂う“妄想政治”の異臭』 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080221』(2008/02/21 23:39)