toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

フランドルの古都『ブルージュの風景』、ア・ラ・カルト30選

toxandoria2008-03-22


[副 題][暴 政]福田政権&石原都政の迷走に共通する『(R指定)闇の構図』の真相


Debussy - Arabesque #1


この画像は、フランドル伯の紋章です。


[ア・ラ・カルト30選]の中の一枚です。→


この記事は下(▲)のリメイク版です。シリーズ記事、『2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象』で使った写真の中から「ブルージュの風景、ア・ラ・カルト30選」を選んだものです。旧版のギャラリー(http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/etal.htm)は、事情により閉鎖しましたので下のPicasaギャラリー(★)で古都ブルージュの大きな画像をご覧ください


http://picasaweb.google.com/toxandoria/3020068


CNNなどが報じるところによると、2007年6月10日の総選挙後における北部(フランドル/オランダ語圏)と南部(フランス語圏)の対立で新内閣が発足出来なくなり異例の政治空白が続いていたベルギーでは、キリスト教民主フランドル党(第1党/北部フランドルの中道右派)ら5党が、漸く連立政権の樹立ということで合意したようです(参照、http://www.cnn.co.jp/world/CNN200803180033.html)。


困難な言語問題を抱えながらも、統一国家体制をぎりぎりのところで維持してきたベルギー国民の自国の「強欲な権力の牙」に対する警戒心は相当のものです。そのためにこそベルギーでは法整備の充実が執拗に図られてきた経緯があり、拡大EUの根本にもそのような精神が生かされているようです(→『EU(欧州連合)』における“権限権限問題”・・・この詳細は、別途に取り上げる予定)。


同じ政治の空白でも、日本の中枢権力は、口先で自由主義と民主主義を標榜しつつ、一方で国民を縛り上げるための法整備と「強欲な権力の牙」のカムフラージュと国民(and都民)騙しに血道を上げています(具体的には、下記記事(●)を参照乞う)。


●2008.3.21付toxandoriaの日記/[民主主義の危機]“仏革命前夜の王権”と化す福田アわわわわ〜政権と新東京(石原)銀行に潜む「漆黒の闇」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080321


<福田政権の混迷(道路特定財源日銀総裁空白など)>と<石原東京都政(新銀行東京問題など)の迷走>は、いずれも<連立与党の「(R指定)漆黒の闇=強欲な権力の牙がひた隠す底なしの公私混同と利権の構図」>を隠蔽しつつ、国民(and都民)へ押し付ける多大な負担を先送りし、自らの責任をも回避しようとする卑怯な動機によるとしか考えられません。情報源、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080322-00000007-yom-soci


しかも、いずれのケースでも与党と連立を組む公明党が国政(and都政)のキャスティングボートを握っており、今回決まったばかりの『新銀行東京へ400億出資の可決』も然りです。国民(and都民)の批判精神は何処へ蹴散らされてしまったのでしょうか?


ごく一握りの権力&利権亡者らが、過半以上の国民(都民・市民ら)を小ばかにし、彼らと弱者を易々と手玉に取るシナリオは17世紀オランダ市民社会レンブラントが抉ろうとした『(R指定)闇の構図』と瓜二つです(具体的には、下記記事(■)を参照乞う)。


■008-03-20付toxandoriaの日記/グリーナウエイの映画『レンブラントの夜警』(R指定)/「漆黒の闇」を凝視するレンブラントの眼、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080320


我が日本では、相も変もわらず明治維新いらいの「神聖国家のやんごとなき御意志を上意下達で知らしめるべし、只管、一般国民はそれを従順に受け入れるべし」の古色蒼然たる“不敬罪アナクロ意識”からビタ一文の進歩も見られません。しかも、このような意味での政治危機を真正面から批判するジャーナリズムも影が薄くなり、“御用(誤用?)提灯型”の乞食ジャーナリズム化しつつあります。


特に、“民放テレビは乞食ジャーナリズム化の傾向が酷い”ようですが、その背景には「在京キー局(5社)の2008年3月期・連結営業利益(予想/この引用記事が書かれた時点での)は"テレビ全盛期"(2001年3月期)に比べると、TBSの4割減以外は軒並み半分以下」という恐るべき現実があるようです(情報源:『「株価」で見るテレビ局衰退の序曲』、http://www.j-cast.com/tv/2008/01/10015434.html)。また、政治権力が国民支配の方法として「スペクタクル&パフォーマンス」(≒政治家の芸能人化 or 芸能人の政治家化)を活用してきたことはローマ帝国の「パンとサーカス」、絶対王政時代の「歌舞・音曲・絵画・建築・装飾・服飾等を伴う国家儀礼&儀式」いらいの常套手段です参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080321)。


また、政治権力が、「表象操作」(=テレビ・ミュージカル・映画・音響装置等のメディアを媒介させたメタファー操作による儀礼空間、セレブ空間、スペクタクル空間、ファッションなどの創作・演出)によって個人の脳内環境の奥深く(内心のレベル)へ手を差し入れ、巧妙に、それとなく国民一人ひとりを内側から支配し、コントロールしようとする、かつての「小泉偽装劇場」のようなゲテモノ政治が出現するのも当然のことと見なすべきでしょう(参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080321)。


従って、テレビのバラエティー・ショー受けする芸能人やお笑いタレントら(=古く奥ゆかしいコトバを使えば“川原乞食”ら)と政治権力者が癒着・談合・結合し易いことも当然と見なすべきです。ただ、近年の調査によると、バラエティー番組やワイドショー番組などに傾斜して高視聴率を稼ぐ在京キー局の営業利益が必ずしも他社に比べて芳しいとはいえないという現象が起きているようです。その背景についての詳しい分析は未だ行われていないようですが、メディア・リテラシーの観点からすると、このような傾向は注視すべきです情報源:同上、http://www.j-cast.com/tv/2008/01/10015434.html)。


▲[2006-10-17付toxandoriaの日記/ブルージュの風景、ア・ラ・カルト30選(グラフィティ版)]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061017


併せて、『toxandoriaの日記、ブルージュ編1〜3』(下記URL◆)もご覧ください。


ブルージュ編1、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060907


ブルージュ編2、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060909


ブルージュExtra、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060911


ブルージュ編3、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060911