toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

『人間と地球環境』への愛を歌うララ・ファビアン、『大衆の狂気』に媚びる日本政治とマスゴミ


[副題][「『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュール」の反照]への反照


【画像1】Lara Fabian - Pas Sans Toi(ライブ、バージョンです)


【画像2】Pas sans toi - Lara Fabian(背景の静止画は“沈み行くとされる都市”ヴェネチアのようです)


【画像3】Pas san toi - Lara Fabian(キャンドル・ライト、バージョンです)


【画像4】Lara Fabian - Adagio in Italian (LIVE)

・・・イオンさまの情報によると、ボスニア内戦中のサライェヴォで同地の歌劇場管弦楽団のあるチェリストが内戦で崩壊したマルチカルチュラル都市への葬送歌としてこの曲を毎週金曜日正午、広場で弾いていたそうです。


0 なお、『Pas san toi』の歌(ララ・ファビアンの友人、Rick Allison作詞・作曲/当記事の最後に掲載)からは、単なる愛の歌を超えた『人間と地球環境』への深い愛のような空気が感じられます。


1 この記事は、下記★&▲へ頂戴したコメント&レス、および生方 卓・先生が主催される「公開掲示板」(http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/ubukata/freebbs/patio/patio.cgi)への投稿に対して、先生から頂いた懇切なコメントへの反照として、toxandoriaが勝手に妄想した“自己流の到達点”のつもりです。勝手な内容の投稿にもかかわらず、ご教示に富む内容のレスを頂いた生方 卓・先生へ御礼申し上げます。


2 ともかくも、そのすべてはララ・ファビアンが『人間と世界』のために限りなく優しく歌う『Pas sans toi』への感動に尽きると思っています。★&▲へ熱意溢れるコメントを頂いたkaisestuさま、argonさま、イオンさまへ心より御礼を申し上げます。また、このような形で、ララ・ファビアンの熱いファンの輪が広がることを嬉しく思います。


3 表題の後半部分=“『大衆の狂気』に媚びる日本政治とマスゴミ”は、いつまで経っても『小泉的なるもの』の“根本に巣食う闇の部分”へ対峙できない政治と、真っ当にそれを批判しようとしないマスコミの現状へのもどかしさを表したつもりです。


2008-05-01付toxandoriaの日記/【復刻版】『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュールhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080501


▲2008-05-03付toxandoriaの日記/「タリバン大仏破壊、廃仏毀釈、小泉的なもの、ポスト福田」のデジャヴュ的妄想、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080503


4 『大衆の狂気』の出典は下記◆に拠ります。


◆“天体の運動を測定することはできるが、『大衆の狂気』は測定できない。”(Sir. Isaac Newton/1643-1727)・・・・http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080503の中で、あの《小泉劇場が仕掛けた郵政民営化のバカ騒ぎ》の教訓を含意するコトバとして引用したものです。


5 以下はhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080503へのコメント&レスの再録です。この後の部分に『Pas sans toi』の歌詞(仏語、英語)がありますので、これもご参照ください。


イオン 2008/05/05 21:57


ごぶさたしております。連休如何おすごしでしたか。いつも勉強させて頂いております。


さて ここでよく取り上げられるララ・ファビアンですが、以前の記事のYouTube再生してみたら、アルビノーニの「アダージョ」の編曲でしたね。これを聴き ながら思い出したのですが、1992年だったか滞在中のカナダのCBCニュースで聞いたのですが、ボスニア内戦中のサライェヴォで同地の歌劇場管弦楽団の あるチェリストが内戦で崩壊したマルチカルチュラル都市への葬送歌としてこの曲を毎週金曜日正午、広場で弾いていたとの事でした。


まさしく権力欲とナショナリズムの狂気の波で崩壊した都市への葬送曲でしょうか。その同じ曲をララ・ファビアンが(お話に従えば)ヨーロッパの政治から悪魔をはらうべく歌うとは 何やら因縁が、あるいは時間と場所は隔たっていても同じ精神の働きがあるように、勝手に読み込んでおります。


さてここ一、二年のヨーロッパや世界 の動きを見れば、新自由主義と市民的民主主義の戦いはまさに一進一退しているように見えます。英国ではブレアが退場してブラウンが登場、ややアメリカと距 離を置き、フランスではサルコジが大統領選と下院選で勝利したかと思えば、地方選で与党は敗退、イタリアではしかし嗚呼、ベルルスコーニ率いる右派連合が 総選挙となんとローマ市長選でも勝利しました。


しかしスペインでは昨年、サパテーロの与党(社会労働党)が勝利しました。アメリカでは一昨年の補選で共和 党は上下両院の支配を失い、オバマ旋風が吹き荒れこのまま大統領本選挙まで突っ走るかと思いきや民主党の予備選は泥仕合化し、その間に共和党のマケインは 無党派、中間層の取り込み策をじっくり練っている様子です。


この状況を新自由主義派と市民民主派(または社会民主派)との綱引きと見るか、またはそれでもそのような戦いのうちに最近出版されたアントニオ・ネグリ(シェルジ編)『未来派左翼』廣瀬純訳(NHK出版、2008)の言うように、新自由主義のサイ クルが政治・経済の領域を席巻した1980年代以来のサイクルは世界的には終わりつつある証左が見えるのか、しっかり進行中の事態を見据える必要があると 思います。


そこで質問なのですが、toxandria様は現在のヨーロッパでは新自由派と市民民主派の綱引きは続いているのか、あるいは既に潮目 は変わり、新自由主義の醸し出すプロパガンダは人々にはあまり効かなくなっているのでしょうか。まだプロパガンダはイタリア総選挙の結果を見るとまだ効い ているようにも見えますが、如何でしょうか?


またどうも世界の状況を見るに、まだまだ新自由主義プロパガンダの賞味期限引き延ばしがこれほどま でに効果を持っているのは、悲しいかな、我が日本のように思えます。しかし昨年の参院選や先週の山口補選の結果を見るに、新自由主義復古主義の野合的 (?)な暴政への殆ど身体的な危機意識を少なくとも選挙民の一部は持っているように見えますが、如何考えますか?


思いつくままに愚見と愚問を綴りました。また長くなり失礼しました。今後とも御健筆を振るわれ、私等の蒙を啓かれんことを願って止みません。初夏の日々、お元気に過ごされますよう。


toxandoria 2008/05/06 06:53


イオンさま、こちらこそです。


たしかに、欧米の政治動向は目まぐるしくブレ始めて いるようです。しかし、そこには日本では見られぬ欧米流の“大人のしたたかさ”のようなモノがあると思います(ジャック・ラカンの『鏡像段階』、つまり “巨乳願望”の3〜4歳児レベルで発達が止まったブッシュ一派を除き、小泉氏も同類でしたが・・・)。


国ごとの程度差はあるにせよ、特に EUを中心とする欧州諸国では新自由主義を操る意志と、それを具体化するガバナンスが機能していると思います。アメリカは、この部分について連邦と州政府 の間で綱引き状態のように見えます。が、これはアメリカなりの、したたかな伝統かも知れません。


例を挙げれば、ご承知のとおり、EU欧州連合)はフレキシキュリティOECD流に言えばゴールデン・トライアングル)を雇用政策の根幹に据えています。男女・年齢格差なしの柔軟な労働市場の 育成、手厚い失業保険制度による安心な雇用環境の充実、積極的労働市場政策(職業訓練の充実など)の3点がポイントで、これは、たしかデンマークが発祥で あったと思います。


しかも、その基盤には「持続的な基礎教育のレベルアップ問題」が明確に位置づけられています。いつまで経っても黴臭い 教科書問題(例えば、安部の美しい国のように過去の国家主義の臭気が芬々と漂う中で、極右国家を目指す“つくる会”が暗躍するような)を引きずる日本とは 大違いです。


また、債務問題にしても、日本が借り手(または連帯保証人)の無限責任原則であるのに対し、欧米は貸し手責任へ傾斜(法制度が確立)していますが、これは自然権人権の根本)に対する理解度の違いによるものだと思います。


このようにガバナンスの根本が固まっていることに加え、欧州には構成的権力(政府、行政)に対する、市民レベルの確固たる批判力が存在すると思います。その 意味では、日本と同様に政治の芸能化だと“面白おかしく”報じられたロンドン新市長(保守党ボリス・ジョンソン)の誕生も、我が日本の“東国春”や “橋下”の現象とは異質な点があると思います。


彼らは、政治家へ転身した今でも“現役芸能人そのままのスキャンダル”がメディアで報じられているようです。それらが本当なら、これを大目に見続ける市民感覚が理解できません。


やや経済的な駆け引きへ傾斜しているかに見える地球環境問題への対応にしても、欧米諸国には、京都橘女子大学碓井敏正教授の論文によれば、「ジュビリー 2000」(最貧国の債務帳消し)で見られた「正義論」(公正的正義、配分的正義のバランス)の視野を導入しようとする動きがあるようです。


後期高齢者医療制度」の問題にしても、この発想の根本がおかしい上に“後期高齢者”という命名がヘンです。この用語は“ご臨終”を連想させるのでマコトに不埒な役人コトバだと思います・・・そのためか、某自治体では“黒枠の封筒”で通知を発送してしまったようです。


これでは、まるで第二次大戦以前の日本の福祉制度の根本であった『劣等処遇の原則』(人それぞれに、それなりの福祉に甘んじるべき、という原則)そのままです。


せめて“高貴高齢者”ぐらいのダジャレで止めておけばよかったのです。自然権と社会契約論を自分の問題だと思っている政治家や役人が存在しないのではないかと思います。


その上、もっとも懸念されるのが、やはり「与党&闇世界の伝統的癒着」という黒い霧の問題です。先進諸国の中で、この手の問題が公然の秘密とされるのは恥ず かしながら、いまや日本だけではないでしょうか。ローカル問題ですが、かのシチリア島でも市民意識が変わりはじめ、マフィア組織の存続が次第に困難となり つつあるようです。


このように連想・妄想してくると“日本国民の身体的な危機意識”は“未だし”だと思われます。従って、今回の山口補選 の結果は、さすがの山口市民も“高貴”ならぬ“後期”高齢者にはビックリした!、ということではないでしょうか?しかも、その“犯人”が小泉・前首相とま では具体的にハッキリ認識されていないのではないか、と思われます。


止め処がなくなりましたが・・・、これからも、どうぞよろしくお願いします。


6 不思議な優しさに満ちたこのバラードは、ララ・ファビアンの友人リック・アリソン(Rick Allison/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080127)の作品(作詞・作曲)で、今は亡きビリー・プレストンBilly Preston/1946-2006/キーボード奏者としてビートルズローリング・ストーンズなど多くのミュージシャンたちと共演したアメリカのソウル・シンガー/惜しくも59歳で他界)が初めて歌っています。


『Pas sans toi』 Lara Fabian (http://freett.com/basiemusic/CD/pops/1504.html・・・(洋楽の歌詞検索Tube365、http://tube365.net/)より転載

・・・著作権の問題があるので/以下、歌詞は省略します・・・