toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

自民党元職員の政治献金着服に透ける「共和制ローマにも劣る日本・民主主義」の悲惨


【画像】ピーター・グリーナウエイ監督、映画『レンブラントの夜警』(http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2008/01/3144/より


ピーター・グリーナウエイ監督(英国の映像作家/現在はアムステルダム在住)の『レンブラントの夜警』(公式HP → http://eiga.com/official/nightwatching/story.html 、鑑賞=3/19)は、その映像美の斬新さに驚かされたというか、色々な意味で衝撃的な作品です。おそらく、この映画はストーリーを全く気にせず約2時間のあいだ、その独特の“演劇仕立ての深みがある映像の流れ”に身を任せるだけでも楽しめるはずです。


それは、終始一貫してレンブラント・ライト(被写体の斜め後ろから逆光線を人物に当てる手法/奥深い暗闇の中からリアルな人物の表情が浮かび上がり、その人物の実像(個性的な情動の傾向)と心理(精神環境の質的側面)を実感させる効果がある)を使ったレンブラント絵画そのものの映像が流れ続けるからです。とはいえ、R指定となっているだけあって“グリーナウエイらしい熱演(艶?)シーン”があるので普通の意味での“美しい泰西名画”を愛でるつもりでは期待を裏切られます。ともかくも、この個性的な映像美学のみならず、ピーター・グリーナウエイの斬新さは、そのレンブラントの傑作絵画、『夜警』の<謎>についての解釈にあります(更なるこの映画の詳細については、下記★を参照乞う)。


★2008-03-21付toxandoriaの日記/“仏革命前夜の王権”と化す福田アわわわわ〜政権と新東京(石原)銀行に潜む「漆黒の闇」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080321


・・・・・以下、本論・・・・・


自民党の農林部門担当・党政務調査会の職員が、企業献金を自分自身の個人口座に振り込ませるという不祥事があり、それを伊吹文明幹事長(旧・大蔵(現・財務)族)が記者会見で明らかにした」ことを5月27に産経新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080527-00000951-san-soci)などが報じています。それによると、該当する職員が某企業(関東地方)の社長に献金を依頼し約700万円を個人口座に入金させていたことが党側の調査で発覚したため、党はその企業へ献金を返還して、その職員は3月末に退職したそうです。そして、自民党は事実上の被害がないことから、その職員の告発は見送ったということになっているようです。


これ以上の詳しい事実関係は報じられていませんが、このニュースは軽く見過ごせないと思われます。なぜなら、これが一般企業での出来事であっても、社会的な責任の観点からすれば、このような<ウヤムヤの円満解決>(別に言うなら、事実解明の手抜きによる、その組織内の不祥事についてのいい加減な隠蔽処理)は許されないはずだからです。無論、この不祥事の顛末を詳細にたどれば、横領あるいは詐欺などの刑事事件に発展する可能性もあると思われるからでもあります。ましてや、この“事件”は政権を非常に長く担ってきた責任政党たる自民党の中枢組織を舞台に、しかも、『一般国民の政治参加の重要な手段と位置づけられている政治献金』をめぐる問題なのです。見方しだいでは、日本の民主主義の根幹を揺るがすことになる重大な事件です。


メディアも含めて、一般国民がこの問題を軽視しつつ等閑視することは、防衛疑獄など不祥事(身内に巣食う巨悪事件)の数々に蓋をし続けてきた政権党である自民党の驕りをますます増長させることになると思います。これでは、“暴政=いったん政権を握ってしまえば、あとは何でもアリの国民主権を踏みにじる横暴政治”が永遠に続くことになります。このザマでは、とても<民主主義国家・日本>の看板を掲げ続けることはできません。しかも、およそ半世紀以上の長きにわたり政権中枢に居座ってきた自民党の“この類のカネなどをめぐる薄汚く不衛生な態度”は、日本国内の凡ゆるエスタブリッシュメント層に対し『堕落の口実』を与えてきたことは間違いがありません。それは、判事・議員・医師・弁護士・社長・大学総長・学部長・教授・校長・副校長・教頭・教員らが連日のように引き起こしている、まるで“サメの脳みそ”レベルのガキのような破廉恥事件(ストーカー行為、破廉恥きわまりない強制わいせつ、詐欺、横領、収賄など)の多発が傍証しています。


『一事が万事』という“ことわざ”があるとおり、このような政権党たる自民党の<一般国民を舐めきった、自らの政治姿勢にかかわる薄汚く不衛生な態度=非倫理的な態度>は、かつて[2008-03-21付toxandoriaの日記/“仏革命前夜の王権”と化す福田アわわわわ〜政権と新東京(石原)銀行に潜む「漆黒の闇」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080321]で取り上げた、『道路特定財源』と『石原東京銀行』に潜む<漆黒の闇>の存在(下記/・・・〜〜〜・・・の部分)を想起させます。


・・・驚くべきことですが、今の我が日本の政治権力の中枢で幅を利かすのは、まさにこの「パラノイア型の王権による政治権力の亜流」ともいうべき旧態依然たる「寄生(=世襲/コナトウス)型政治権力」ばかりです。そのうえ、恐るべきことは財務省を始めとする中央官庁の中枢も、事実上、コナトウス化(世襲権力化)していることです。そして、その典型が中央政府における旧「清和会」→清和政策研究会のベクトルに大きく影響され続ける「森喜朗サメの脳みそだった?) → 小泉純一郎 → 安部晋三 → 福田康夫町村信孝)」という、別称「奥の院財務省特別会計&闇世界)癒着型パラノイア内閣」であり、もう一つが東京都政における“石原ファミリー(石原王朝)”に吸い付かれた「放漫&傲慢&怠慢パラノイア化した東京都政」です。・・・途中、省略・・・・更に、これら日本の二つの「漆黒の闇」の特徴と見なすべきことは、絶えず妖しげな新興宗教複数)の影がその周辺を彷徨っていることです。もっとも、こちらは「日本の政教分離についての懸念」というよりも、おそらく、選挙の票数と利権構造を補強する次元の問題かも知れません。が、いずれにせよ、彼らのホンネには「政教分離の原則」などクソ喰らえの不衛生な感覚があることは間違いなさそうです。因みに、絶対王政時代のヨーロッパの王権について振り返ると、その大きな特徴として「王権のフェティッシュ化」(フェティシズム/fetishism)=物神・呪物崇拝、衣装や身体の一部に対する異常なこだわり又は崇拝の感情)の問題が浮上します。それは、具体的に言えば、王権は自らの「暴力的な本性」(ファスケス)を隠しつつ国民一般を見かけ上は強制せずに従わせるため「表象操作とスペクタクル」(=“サメの脳みそオトコ”の落とし子たる小泉純一郎氏が得意とする下卑たパフォーマンス)の如き様々な工夫に取り組んだという現実があることです。・・・以下、省略・・・


国家体制(=法制)の歴史を翻ると、まだ「半貴族政的・半民主政的な国制」のレベルであった「共和制ローマ」(BC509の王制打倒から、BC27の帝政開始までの古代ローマ)においてですら、査定官(censor)による「倫理裁判制度」が機能し、共和制ローマで最も権勢を誇った元老院議員(senator)らの持続的な適正と適性および日常行為が厳しく査定(監視)されていたことを想えば、世界に向かって、今の日本がとても民主主義国家として胸が張れるような存在ではないことが分かり、愕然とするばかりです。