toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「市場原理に犯され続ける」日本政府の愚鈍と「アイルランドの“ノー”に目覚める」EUの知恵

toxandoria2008-06-18



La Boheme-Charles Aznavour


Lara Fabian - Tout


<注記>


●当記事は[2008-06-15付toxandoriaの日記/「自公政権の人権無視」&「傲慢・横暴化する福田政権」の深層、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080615]へのコメント&レスを再録したものです。


●たまたま、新たな基本条約(リスボン条約)がアイルランド国民投票で否決されるという出来事が起こりました。これでEU欧州連合)の構想自体がデッドロックへ乗り上げたという見方が大方のようです(リスボン条約の意義については下記記事★を参照乞う)。


2007-12-27付toxandoriaの日記/市民の厚生を見据えるEU、軍需利権へ媚びる日本/リスボン条約の核心は貧困の克服、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071227



●しかし、“無責任”な[机上の空論]的発想に従うならば、むしろ、今回の「リスボン条約に対するアイルランド国民の“ノー”」は、EU欧州連合)のユーロクラットらに対して、更なる『米国型市場原理主義の罠』への警戒と細心の手当ての再構築によって欧州市民の権利を守る必要性(欧州に根付く権利保護の伝統)を再認識させたという意味で、非常に有意義な出来事であったと見なすことができます。


●それに引き替え、わが日本政府(経済財政諮問会議、利権ヅラ議員、悪徳官僚&御用学者ら)は、米国流・市場原理主義がバラ撒く『幻想経済』を見境なく追い求め続けています。


●また、大方の日本のマスコミ(マスゴミ化した)は、過半の国民(市民層)の正義と倫理を求める声に耳を貸さず、只管(ひたすら)チョウチン記事の量産で傲慢・悪徳化した権力サイド(自公連立政権)を応援しつつ、国民主権の毀損に手を貸すばかりです。


・・・以下、表記のコメント&レスを再録・・・


イオン(2008/06/16 00:24


イオンです。先だっては小生の愚見を取り上げて下さったにもかかわらず、御無沙汰し失礼しております。


さて以下の部分についてのコメントです「また、ほぼ時を同じくして最高裁が「NHK番組改編問題」(政治家(安部元官房副長官(当時))の圧力と意図を受け てNHKが番組内容を改変したか否かが論点となった訴訟)で、政治権力の関与は不問に付す形での「表現の自由を建前とする形式的判断」でNHKの自立的な 編集権を認めるという判決を下したことが報じられています」


表現の自由についてですが、今夜(6月15日夜10時〜11時半)のNHKのETV 特集のポーランド映画監督アンジェイ・ワイダ氏の特集は興味深いものがありました。ワイダ監督とポーランド統一労働者党の文化関係の役人の検閲上の駆け引 きなど、その検閲試写会の議事録から面白い事実が浮かんできます。


それはおいおい機会があり次第お話しますが、その試写会で削除を命じたり、頓珍漢な評価 を下すポーランドの「党」の役人の姿が、映画「靖国」を特別試写会で観賞した自民「党」などの議員たちの姿に小生のイメージの中でダブった事です。右でも 左でも絶対権力は絶対腐敗し(誰かフランス啓蒙期の思想家の言葉と記憶しています)、やることは大同小異なのかなという感想を持ちました。


彼の国では芸術、文学、学問への政治的検閲は終わり、我が国ではだんだんとそれが強まって行くとは歴史の皮肉と言うか、酷い逆行現象ですね。森田実氏など一部の識者は民主党でも小沢代表がじわりと独裁者化しているといいますし、これ以上「党」はこの国には必要ないと思います。今後も勉強させて頂きます。御健筆を期待しています。


toxandoria(2008/06/16 11:02


イオンさま、こちらこそです。


たまたま数日前に、小山実稚恵ピアノ・リサイタル・ シリーズ《音の旅》第5回(http://www.geocities.jp/michiekoyama_fan/bbs/pf/20071110-11.html)で「プロコフィエフ…ピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ》」を聴く機会に恵まれました。


《戦争ソナタ》とは題されているものの、プロコフィエフが秘めた反権力的意志のようなものが感じられました。ショスタコヴィッチではないので気のせいかも知れませんが・・・。


あるいは小山実稚恵のエネルギッシュで何かへ抗うような力強い演奏がそれを連想させたのかもしれません。それに加え、最初に演奏されたロマン派の作曲家・ベ ルクの色彩感豊かなピアノ・ソナタからは“理由なく咲くA.ジレジウスの薔薇”が連想させられ、この偶然の観念的な邂逅には我ながら驚いたしだいです。


NHKアンジェイ・ワイダ特集は見逃してしまいました。再放送があると思うので必ずチェックするつもりです。アンジェイワイダといえば、『地下水道』や『灰とダイヤモンド』のメッセージが溢れた鮮烈な映像が想いだされます。


<検閲>の問題は、政権の左右の違いを問わず、必ず政治権力に伴うと見なすべきファスケス(政治権力中枢に潜む暴力性)の問題と関係すると思います。思い起こ せば、レンブラントの『夜警』にもファスケスとの闘いの秘密が隠されていたというのが、グリーナウエイの映画『レンブラントの夜警』のテーマでした (http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080320)。


おっしゃるとおり、仮に民主党へ政権が移る としても、この<検閲>への危機感の問題は、特に今の日本では希薄だと思われます。わずか六十数年前までは、そのように抑圧的な世界(常会手帳の時代、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060506)が現前していたにもかかわらず・・・。


“議事録から浮かんだ面白い事実”についての続報を期待しております。


toxandoria(2008/06/17 16:35


イオンさま、先のレスについて訂正を書かせていただきます。


“・・・小山実稚恵の エネルギッシュで何かへ抗うような力強い演奏がそれを連想させたのかもしれません。そ れに加え、最初に演奏されたロマン派の作曲家・ベ ルクの色彩感豊かなピアノ・ソナタからは“理由なく咲くA.ジレジウスの薔薇”が連想させられ、この偶然の観念的な邂逅には我ながら驚いたしだいです。” と書いた部分についてですが・・・


→ 厳密に言うとベ ルクはロマン派の作曲家ではなく、後期ロマン派〜現代音楽の端境=現代音楽の第一期]に属する作曲家でした。何も予備知識なしに聴いて、ベルク=ロマン派と決め付けていたようです。そこで、ベルクのアウトラインを調べたところ次のとおりです。


ベルク(Alban Berg/1885-1935)


・・・ 新(第二次)ウイーン楽派に属する作曲家で、ヴェーベルンとともにシェーンベルクの弟子の一人。ヴェーベルンが未来を志向したのに対し、ベルクは過去との 繋がりを重視して十二音技法(ドデカフォニー)の作品でさえも後期ロマン派的で濃密な気配(存在感=音楽と詩の融合?)を感じさせるのが魅力のポイント。 そもそもベルクは文学・演劇・歴史などに関心を持っていた。


ロマン派ならぬ、どちらかと言えば現代音楽の作曲家でしたが、その音にロマン派的な濃密な存在感を感じたことは、あながち外れではなかったようです。ともかくも、小山実稚恵の演奏会を介して、日本では余り知られていない作曲家ベルクの音楽と出会えた訳です。


国内版のベルク全集は存在しないようなので、早速、下記を取り寄せて聴くことにしました。


●ベルク室内楽曲全集(シェーンベルク四重奏団)/管弦楽四重奏曲・作品3、ベルク歌曲・作品4『ここに平和がある』、四つの小品・作品5、室内協奏曲(アダージョ)、抒情組曲[Brilliant Classics、Holland]


sophiologist(2008/06/17 01:29


toxandoria様


ご無沙汰しています。今回の記事、共感をもって読みました。様々な御指摘に関して、PS理論と合致するところがあると思いますが、それを説明しますと長くなりますので、ここで割愛させていただきます。


さて、現代日本の民主主義の危機はまったくご主張通りだと思います。私が問題と思うのは、政治家の倫理感の欠落だけでなく、なにか国民自体に倫理感が欠落しているように感じられることであります。物質主義、利己主義が蔓延して、社会・政治・経済のことに我関せずという態度が見られるように思います。その点が不気味に感じられます。


ところで、話が変わりますが、最近は、民主主義を実現する経済は、無利子ないしマイナス利子金融経済ではないだろうかと強く思っています。(勿論、精神 性・知性・感性の陶冶も重要ですが。)有利子金融経済であるために、利己主義が蔓延るのではないかと思います。地域通貨は、私見では、法定通貨ではないの で、微力だと思います。


今日、イスラム金融が台頭しているようですが、私は、イスラム教とは別に、無利子・マイナス利子金融が可能だと感じています。欧州では、イタリアのシエナ銀行でしたが、最初は、無利子ではなかったでしょうか。間違っているかもしれません。どうも、利子問題が、「自由原理主義」や新自由主義の問題に基盤にあるように感じています。


toxandoria(2008/06/17 07:17


sophiologist さま、こちらこそです。


少し話題が異なりますが、元 FRBの議長を務めた(1987-2006アラン・グリーンスパンハイエクミルトン・フリードマンの流れに共鳴する生粋のマネタリスト/1926-   )が、自由原理主義思想(徹底した利己主義)の教祖、アイン・ランド女史(1905-1982)の愛人であったという話があるようです。


偶々そのグリーンスパンFRB議長であった時代は「レーガン〜ブッシュ・パパ〜クリントン〜現ブッシュ」大統領の時代に重なり、この時期はアメリカが新自 由主義(湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争)を謳歌し、日本でも中曽根以降の自民党独裁政治のピークで、まさに“錯乱のアメリカ”の時代に重なることを 思うと、なぜか複雑な思いがします。


しかも、わが日本国は、未だにその“錯乱の幻影”を追いかけつつあり、相変わらず、その内燃機関の位置には小泉劇場時代に設営されたエリート部隊(アインランド時代のアメリカへ留学したエリートらが占有する)たる経済財政諮問会議骨太の方針大本営命令)を発し続ける事実上の日本政府の司令本部)が存在し、一方では“ますます錯誤的な意味で与野党を問わず国会議員らの多くが右傾化しつつある”と思うと何かゾッとするも のさえあります。


ただ、その経済財政諮問会議でも、サブプライム・ローン問題に端を発したアメリカでの問題意識と呼応する形で「簿価(原価)主義vs時価主義」の論争が再燃し始めたようです。例えば、日経新聞をウオッチすると、この問題がその記事の書き方へも些かの混乱を与えつつあるよう に感じられます。


ほぼ小泉劇場に重なる形で導入された「時価主義・経営」は、まさに市場原理主義経済のランチャー(次々と核弾頭を発射し 続ける狂気のマシン・システムのようなもの)であり、これがサブプライム・ローン問題や原油価格・商品価格・資源価格(先物相場)が異様なまでに暴騰し、 あるいは異常なM&Aが乱舞狂喜することへの契機を与えているように思われます。弱肉強食を当然視する、極端な格差拡大主義の根本もここにあると 思われます。


このためか、以前からこの根本問題に対する危機感を持っていたEU欧州連合/以前から各種のEU指令によって市場原理への 規制の網は投げ続けられてきた)が、愈々、格付け会社に対する本格的な新規制の導入を発表したようです(格付け会社に対する新規制を導入へ、http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK818160820080616)。


リスボン条約に対するアイルランド国民投票の結果が波紋を広げていますが、この問題の根本にはユーロクラットのエリート主義と素朴な市民(国民)感情との対立があるように思われ、それはEU拡大憲法がフランス、オランダ市民によって頓挫させられた時と同じ問題を引きずることだと理解できます。それにアイル ランド(&英国)に根付く大陸法と異なるコモンローの伝統の問題もあるような気がします。


しかし、より古層のヨーロッパには<権限権限問題>を解決してきた“しぶとい伝統”があるので、いずれこの問題は落ち着くのではないかと思っています。それよりも、ヨーロッパ発の市場原理主義を規制す る新たなEUの動向に注目すべきであり、その先にマイナス金利等の理論的な可能性も見えてくるのではないかと思っています。


思いつくままに一方的な愚見を述べてしまい失礼いたしました。今後とも、どうぞよろしくお願いします。


toxandoria(2008/06/18 15:23


sophiologist さま


リスボン条約に対するアイルランド国民投票の 結果が波紋を広げていますが、この問題の根本にはユーロクラットのエリート主義と素朴な市民(国民)感情との対立があるように思われ、それはEU拡大憲法 がフランス、オランダ市民によって頓挫させられた時と同じ問題を引きずることだと理解できます。それにアイル ランド(&英国)に根付く大陸法と異なるコモンローの伝統の問題もあるような気がします。」と書いたことについて補足します。


現実に、 ユーロクラットたちは、今回のアイルランド国民の“ノー”の背景が分からず困惑しているようです。このため、欧州委員会アイルランド有権者を対象とす る緊急意識調査を実施すると報じられています。たしかに、僅か80万人のアイルランド国民の“ノー”が約5億人のためのEU憲法リスボン条約)を脅かす とすれば、彼らにとって脅威となります。


ただ、一部の懐疑派の人々が指摘するように今回のアイルランド国民の“ノー”は「No Great Tragedy」(2008.6.16・独シュピーゲル誌)とする見方をも評価すべきようです。というのは、次のような事情があるからです。


実は、拡大するEU経済の恩恵を最も享受した国の一つとされるアイルランド経済は1993年〜2000年にかけてGDPが約80%も伸張するという驚異的な 成長を果たしており、その目ざましい活況に対して『ケルトの虎』という渾名が付けられています(http://www.eigotown.com/culture/special/backnumber01/special_2001031200_p2.shtml#04http://www.orix.co.jp/grp/ps_clm/part1/004.htm)。


ところが、その有頂天であった“ケルトの虎”は、ここ2、3年の間に急転直下で様変わり してしまい、御多聞にもれず<不動産バブルの崩壊と深刻な格差拡大>となってしまいました。これでは、アイルランド国民が“市場原理へ過剰に傾いたEUに コロリと騙された!”と思ったとしても不思議ではありません。


しかも、今回は「アイルランドの前科」(2001年のニース条約・批准への “ノー”を些細な条件付で翌年の再度の国民投票が覆して、今度は“OK”を出したこと)のように小細工的な条文の手直しでは済まないと思われます。なぜな ら、それは“市場原理へ過剰に傾いたEU”という印象が全ヨーロッパ中の市民意識の中へ拡大するリスクを甘く見ることはできないはずだからです。


しかし、それにしても、米国流・市場原理主義が狂ったようにバラ撒き続ける<幻想経済>を無反省に追い求める日本政府、および少数派の国民(市民層)の正論 に耳を貸さず、ひたすらチョウチン記事でその傲慢な権力サイドを応援する日本のマスゴミ事情などと比べれば、今回のアイルランド国民の“ノー”は、よほど マシな出来事であったと見なすことができそうです。