toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

“会津の風景”と“愛蘭・リスボン条約、No!”の対比に滲む幻影国家・日本のアキレス腱

toxandoria2008-06-22



チャンスを得て、山形(置賜/南部地方)経由で、“日本の愛蘭”ならぬ福島県会津地方(会津若松の周辺)を訪ねることができましたが(6/6〜6/7)、その第一印象は“会津地方の美しい景観と歴史が醸す空気はなんと素晴らしい、まるで、ここは日本のアイルランドではないか!”ということです(スナップ写真の数枚を下に貼りますが、これ以外の画像は下記ギャラリ★ーでご覧ください)。


★山形・会津紀行/2008年6月6日−7日(総画像数、139枚)、http://picasaweb.google.com/toxandoria/2008667


【画像】会津、初夏の風景/ア・ラ・カルト


会津で江戸時代へタイムスリップ?/大内宿の風景


自然の巧まざる造形/「塔のへつり」辺りの景観


会津松平家「御薬園」の風景


福島県の山間部(福島県中通り浜通り会津の三地域からなる)である会津地方は、大和・奈良時代の丈部(はせつかべ/古代氏族、阿部氏の一族?)の荘地(丈部荘)に始まるとされる古い歴史が残る場所です。例えば、会津で最古の寺と推定される恵日寺は、平安時代の初め、大同2年(807)に法相宗の僧・徳一の開山によるとされている寺です(徳一は天台宗(当時としては新興仏教勢力)の最澄との間で闘わされた「三一権実(ごんじつ)論争」(精神的な意味で、現代の格差救済にも繋がる可能性がある思想?)で名高い/参照、http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/3hon31.html)。


中世以降の会津の支配者(葦名、伊達、蒲生、上杉、蒲生(後期)、加藤、保科、松平)を列記するだけでも、その歴史の重なりの奥深さと、この会津陸奥国明治以前の日本の地方区分)を支配するための枢要な場所であったことがわかります。また、同じく会津の古刹である興徳寺(鶴ケ城の北に位置する)は、開山が弘安10年(1287)で、ここには会津会津若松)の町割りを整備した蒲生氏郷の遺髪が祀られており、豊臣秀吉の奥州仕置きの御座所となった所です。秀吉はここで太閤検地令を発していますが、その配下の氏郷がキリシタン大名であったことも興味深いところです(参照、http://www.miyaizumi.co.jp/reo/nanban_index.html)。


福島県のHP『会津ものづくり』(http://www.aizu-mirai.com/monozukuri/aisatu/aisatu_1.html)によると、会津地方の概況は下記のとおりですが、御多分に漏れず、その自然環境の豊かさ、美しさと地域経済活性化の両立は、なかなか困難なようです。


会津地域は、奥羽山脈飯豊山地をはじめとする山々に四方を囲まれ、全国第4位の面積を持つ猪苗代湖桧原湖などがあり、地域内を阿賀川、只見川、 伊南川といった日本有数の一級河川が流れ、澄んだ空気・豊かな水・あふれる緑といった自然と人の暮らしが調和した地域であります。


産業面では、地域資源を活かした伝統的な産業が、数百年の歴史の中で地域振興策として長く奨励されてきたところであります。近年では、世界の先端産業を支える高度なものづくり産業及び高度情報サービス産業が集積してきております。今後は地域の強みをさらに強化していくために、産業間の連携が必要であると考えております。


こういった中、昨年に引き続き「会津産業おこしネットワーク」が継続的な企業間連携・地域間連携を目指され、会津地域の多様性と創造性にあふれた活力ある 企業を発掘・調査・分析するこの活動が、この会津地域の経済を今後益々、強堅にするものと大いに期待しております。 』


地域経済のデータ、産業集積の実情などは詳しく見ていないので無責任な論評はできませんが、会津若松市内およびその周辺地域を散策して目に焼きついたのは、やはり「シャッター通り化した市街地商店街」と「減反政策の犠牲となった休耕田(耕作放棄)」の悲惨な姿です。無論、これは会津地方だけの問題ではなく、もはや日本中で当然化してしまった“見慣れた光景”ですが、米国型市場経済へ過剰に傾斜したことによる一般市民の「日常生活主権」(最寄り生活主権)と「食料主権」(穀物自給率27%まで低下!)を放棄した政府の非情な姿勢が突きつける無残な光景には愕然とします。もはや日本では稀となった豊かで美しい自然に囲まれる会津地方の風景の中に、その“無残”が点在する姿は、まさに見るに忍びぬ思いをもたらします。


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ところで、聖パトリック伝説(参照、下記▼)と結びつくアイルランド和語表記=愛蘭/そこに棲む妖精たち(Irish Fairies)の姿は多種多様なので、その実態については下記▲を参照乞う)は先史時代の遺跡などが残る場所に好んで棲むといわれており、また、彼らは美しい自然が好きで緑に覆われた山、色とりどりの草花が咲き乱れる広い草原、海岸、湖沼や川辺、薄暗い洞窟などに現れます。今でも、アイルランドの田舎を旅する人々は、妖精たちが好む不思議な遺跡や自然が一杯の景観に出会うことができ、それがアイルランドのこの上ない魅力となっています。


▼St Patrick's Day、http://www4.airnet.ne.jp/mira/letter/diary/2003/20030317.html


▲Irish Fairies、http://www.irelandseye.com/animation/intro.html


アイルランドの妖精一覧、http://www.globe.co.jp/information/myth-fairy/fairy2.html


いま「リスボン条約に対するアイルランド国民投票の結果(=No、ノー!)が波紋を広げていますが、この問題の根本にはユーロクラットのエリート主義と素朴な市民感情との対立があるように思われ、それはEU拡大憲法がフランス、オランダ市民によって頓挫させられた時と同じ問題を未だに引きずっているということです。それにアイルランド(&英国)に根付く大陸法と異なるコモンローの伝統の問題もあると思われます。


現実に、 ユーロクラットたちは、今回のアイルランド国民の“ノー”の背景が分からず困惑しています。このため、欧州委員会アイルランド有権者を対象とする緊急意識調査を実施する模様です。たしかに、僅か80万人のアイルランド国民(有権者)の“ノー”が約5億人の厚生ためのEU憲法リスボン条約によるEU活動の合理化、効率化)を脅かすとすれば、彼らにとってそれは大きな脅威となります。


ただ、2008.6.16付の独シュピーゲル誌や一部の対「EU統合」懐疑派の人々が指摘するように、今回のアイルランド国民の“ノー”は、却って「No Great Tragedy」であったとする見方も評価すべきです。実は、拡大するEU経済の恩恵を最も享受した国の一つとされるアイルランド経済は1993年〜2000年にかけてGDPが約80%も伸張するという驚異的な 成長を果たしており、その目ざましい活況に対して『ケルトの虎』という渾名が付けられています(参照/http://www.eigotown.com/culture/special/backnumber01/special_2001031200_p2.shtml#04http://www.orix.co.jp/grp/ps_clm/part1/004.htmhttp://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~rvulp/eurBEire.html)。


ところが、その有頂天であった“ケルトの虎”は、ここ2、3年の間に急転直下で様変わり してしまい、御多聞にもれず<不動産バブルの崩壊、深刻な格差拡大、地場経済の弱体化>となってしまいました。これでは、アイルランド国民が“市場原理へ過剰に傾いたEUにコロリと騙された!”と怒り、大いなる危機感を感じたとしても不思議ではありません。


しかも、今回は「ニース条約についてのアイルランドの前科」(2001年のニース条約・批准への “ノー”を些細な条件付で翌年の再度の国民投票が覆して、今度は“OK”を出したこと)のように小細工的な条文の手直しでは済まないと思われます。なぜな ら、それは“やはり市場原理へ過剰に傾いていたEU”という印象(拡大EUへの不信感)が全ヨーロッパ中の市民意識の中へ拡大するリスクを甘く見ることはできないからです。


例えば、チェコでクラウス大統領がアイルランド国民投票後に「リスボン条約批准の道は途絶えた」と発言したことは、このように深刻な方向への展開を先取りしています。そのため、チェコ与党が憲法裁判所に同条約の合憲性を問う訴訟を起こしているのでEU加盟国首脳はチェコに対して早期批准は求めず、その裁判の結果を待つことに理解を示したとされています(参照、http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/29861)。


実は、EU欧州連合)統合の歴史は、その嚆矢とされる1955年の「メッシーナ決議」(欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の代表がイタリア・メッシーナで共同市場(Common Market)の創設に同意)いらい、市場原理主義新自由主義思想)へ過剰に傾くパワーと、それにブレーキをかけようとする勢力のせめぎあいの歴史とみなすことができます。そのように見れば、2005年の国民投票におけるフランス・オランダ両市民の「EU拡大憲法案」否決も、この流れの上のエポックであったと見なすことができます。


ヨーロッパ統合史の一部の専門家によれば、今回、アイルランド国民投票で否決された「リスボン条約」の内容も、未だまだ市場原理主義米国型新自由主義経済)へ過剰に傾斜するものであったと見なすことができそうです(この論点の詳細は下記◆を参照乞う)。また、EUが先導する形となっている二酸化炭素(CO2 )の排出権取引も、それについての客観的チェック機能とルール遵守が無視されれば、サブプライムローンの二の舞となり、同じく金融市場におけるマネーゲームのバブル化が起こり、温暖化防止に役立つどころか、むしろ逆効果をもたらす恐れさえあります。しかし、この問題についてはここで深入りする余裕はありません。


◆遠藤 乾編『ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会/The University of Nagoya Press、2008年4月・刊、374ページ、\3,200.-)
・・・地域統合の先進モデルとされるEU―本書はそれが、冷戦という状況下で起動し、政治・経済から軍事・安全保障、規範・社会イメージにまたがる複合的な国際体制のなかで実現していくダイナミックな過程を、近年公開の進んだ膨大な史料に基づいて内容豊かに描き出し、今日にいたるヨーロッパ統合の新たな全体像を提示した通史の決定版(http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0583-8.htmlより引用・転載)。


ともかくも、米国流・グローバル市場原理主義がバラ撒き続ける<幻影経済>(2008.6.19日本経済新聞・某記事の表現によれば、それは“恐竜化したマネー・キャピタリズム)のファントム(金融工学で厚化粧した先物相場)を全く無反省に追い求め続ける日本政府(経済財政諮問会議)のホンネは余りにも異常です。そして、少数派の国民(市民層)の正論には一切耳を貸さず、ひたすらチョウチン記事の大量生産で『火事場泥棒』と化した権力サイド(自公連立政権の悪徳・利権政治)を応援するマスゴミによって騙され続ける日本国民の悲惨な民主主義と比べれば、今回のアイルランド国民の“ノー”は、余程マシな出来事であったと見なせます。


米国とEUの関係には一筋縄では見えない駆け引き、覇権争いがありますが(下記情報●を参照乞う)、EU内部における、法制史や歴史的な背景の違いから生じる「独仏の枢軸」と「英国(&アイルランド)」の絡みのような問題もあります。それに、EU全体では「権限権限問題」(Kompetenz-Kompetenz)解決の難題があります。例えば、既述のチェコ与党が自国の憲法裁判所に同条約の合憲性を問う訴訟を起こしていること(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008062001000566.html、あるいは国会議決による批准手続きが済んだ英国で、条約批准に関する国民投票を求める市民の訴えを受けた高等法院が「高等法院の判決が出るまで政府は批准手続きを遅らせるべきだ」と政府に要請したこと(参照、http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/29861)などは、その典型事例です。


●EU、格付け会社に対する新規制を導入へ=域内市場担当委員、http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-32287020080616


●EU理事会が「派遣労働者も正社員と同じ待遇にする」で合意、http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-13/2008061301_03_0.html


いずれにせよ、欧州には“紙一重のところ”で民主主義の根本たる人権を死守する(権力側の大声に負けずに市民サイドから強く異議を申し立てる)というシブトさ、そして強固な市民意志のようなものが存在します。他方、我が国(その国民性?)の大欠陥は、このような意味での“紙一重”のシブトさも意志も存在せず、あるのは態勢に流れるオール・オア・ナッシング(All or Nothing)の硬直的発想のみで、直ぐに権力サイドが仕組んだ翼賛体制に飲み込まれるか、あるいは“お前は敵か味方か、右か左か、仲間か村八分か”という「直情径行型」の“素朴な話”となってしまいます。


最も怪しからぬのは自公連立政権の「利権ヅラ、あるいは世襲・寄生政治家」たちが、このような日本国民の民主主義意識についての弱点(アキレス腱)を十分に知り尽くしたうえ、それを操作的に悪用している節があることです。従って、御用学者、高級官僚あるいはマスゴミなどが、次々とバレながらも、そのオコボレ頂戴を企みつつ悪事の限りを尽くすのも無理からぬことに見えてしまいます。フジテレビ系の人気テレビドラマ『チェンジ』(キムタク主演)に小泉・元首相の主席・元秘書官氏の影がチラツクとの噂が週刊誌やネット上で流れる背景などにも、このような事情が絡むと思われます(情報源/参照、http://blog.livedoor.jp/kimukimutaku/archives/278180.html)。


本物の民主主義(人権保護の政治体制)は、常にライブ(on live/現在進行形で生きていなければならないもの)であり、そのプロセスでの“紙一重”のせめぎ合いが持続してこそ実現できるのが民主主義です。欧州の伝統(EU)にはこれがあるから、欧州市民たちは、まさに“紙一重”のところで米国一極主義(米国型の市場原理主義)に飲みこまれる危機を回避できる選択肢を保持しているのです。今回の“アイルランドリスボン条約、No!”の出来事は、我われ日本の市民たちへこのような意味で重要なメッセージを送りつけています。