toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

パワハラ同然の「対日規制改革要望」評価の“二重擬装呼ばわり”に肝を潰す福田政権


その大いなるもの−時の残照ー Something Great vol01(この記事の枕詞)



(プロローグ/パワーハラスメントの定義)


パワー・ハラスメントとは、『職務上の上位にある者が、本人が意識する、しないにかかわらず、その地位及び職務上の権限を背景に人権を侵害する発言・行動で相手(部下など)に精神的な苦痛を与えること』である。
 http://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.htm


この定義からすれば、現代の日本社会はグレゴリー・ベイトソンGregory Bateson/アメリカの文化人類学者/1906−1980)がいうところの「ダブル・バインド」(二重拘束の条件によって、より大きな自然の一部としての自分の存在が見えなくなるエコ・メンタルな意味での精神的不具合状態)によって、日本政府・行政官庁・企業等のみならず、社会の隅々までもが一種の擬装シンドローム化しつつあるといえる。


ただ、この擬装なるものには「悪しき因習的擬装」と対日規制改革要望書のような「外交的パワハラ条件により発生する新たな擬装」と二種類あることに注目しておくべきである。


USTR、Susan C. Schwab
・・・この画像はhttp://www.daylife.com/photo/05HAgXKfaGcZTより


肝を潰す、あわわわ〜
・・・この画像はhttp://hikaru.blogzine.jp/dress_you_up/2004050214.jpgより


(対日・規制改革要望書に対するシュワブ米国通商代表の評価報告書)


7年次目にあたる「対日・規制改革要望書」(参照、下記★)に対するシュワブ米国通商代表(USTR Schwab)による評価報告(2008.7.5)がUSTRのHPで公開されています。下記のとおり、(1)サマリーと(2)原文(FACT SHEET)がありますが、サマリーに基づいて、日本政府に対する評価のポイントを拾っておきます(ただし、“誤訳・珍訳・直感訳”の可能性があり、この点の責任を負うつもりはないので、ご心配の向きには原文の確認をお勧めします)。


★シュワブ米国通商代表、日本の改革路線の継続を要望 − 日本政府に規制改革要望書を提出(2007.10.18)http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20071022-50.html


(1)USTR Schwab Calls for Reinvigoration of Regulatory Reform in Japan(Summary)http://www.ustr.gov/Document_Library/Press_Releases/2008/July/USTR_Schwab_Calls_for_Reinvigoration_of_Regulatory_Reform_in_Japan.html


(2)同上(FACT SHEET/2008.7.5)http://www.ustr.gov/assets/Document_Library/Fact_Sheets/2008/asset_upload_file501_14993.pdf


(サマリーの要点)・・・“ ←  ”はtoxandoriaの“ひとりごと”


(1)アメリカ合衆国は、アメリカ側から日本に対する諸要求が科学的検証に基づく国際標準であるにもかかわらず、農産物輸入制限を含む複数の<農業関連分野の改革に日本政府(福田政権)が失敗したこと>に大いに落胆している。 ← “ボクちゃんはヤーメた!”の安部は論外として、あのブッシュのポチ、小泉の時代が懐かしい!(これはブッシュのホンネのつもり・・・)


(2)同じく、<米国産牛肉の輸入拡大が実現しなかったこと>にもブッシュ大統領は大きな落胆を覚えている。 ← シュワブ米国通商代表は、この点について“I look to Japan to take quick action to fully resolve this issue.”(いつまでもグズグズせずに早くやれ−ッ、このノロマな福田め、サッサとこの問題を片づけろ!)と、大声で怒鳴るがごとく強調している


(3)攻撃的で持続的な規制改革と日本市場の対米開放は、日本の非効率な経済と市場を活性化するとともに日本国民にも大きな利益をもたらすことになる。 ← ホンマかな〜 ? 極端な格差拡大と弱者の切捨てじゃあないの? それに詐欺的商法とサブプライム・ローンやポンジーネズミ講的な擬装)ビジネスの蔓延じゃないの? 病気・ケガ(人の命)や福祉・高齢者までもがビジネス・ネタになるし・・・そうそう、厚労省関係で××劇場・××首相の紙オムツ利権(高齢者福祉関連・改革派の利権?)なんてヒデ〜のもあったな〜・・・。


(4)それにもかかわらず、規制緩和と市場開放を妨げて旧弊を死守しようとする一派が増えつつあることは由々しきことだ。また、福田首相が、「ダボス会議で自身が意志表明した規制緩和と市場開放の改革方針」と「その改革を妨げる守旧派」の両方の上に乗って足場固めをするような対米&対日本国民の<二重擬装政策>を採ることは、日本の将来にとって危険なことである。 ← これは、ナンダカとことん脅かされているようでイヤーな気分がする・・・。


(5)ただ、以下のような諸点では改善が見られることと、最近、「経済財政諮問会議」が示した「M&A」(企業の合併・買収)に対する規制緩和政策などは評価できる。 ← 特に、「経済財政諮問会議」チャンはいい子だね〜!


●銀行での保険商品取り扱い  ●非効率な医療を改善するための医療機器・医薬品分野での技術革新を支援・強化する政策  ●流通分野のコスト削減  ●世界で承認済みの食品添加物類の使用拡大  ●日本郵政会社の競争への準備  ●通信分野のサービス競争の促進  ●公正取引のための談合の縮小  ●画像アーカイブ・システムなどIT活用による予防医学体制の充実


・・・・・日本の歴史・伝統・文化・慣習の影響下で国民がダラケて働き方の効率が悪く、それ故に米国の利益にとっても役立たずの「日本社会と日本国民の確実なリフォーム(改造)」を要求する。そして、その“米国向け擬装”はビタ一文許さぬが、辛うじて、これら諸点については日本政府の努力の痕跡が認められる、とシュワブ女史のお墨付きを賜ったということ。要するに、「第七次・対日規制改革要望書」が掲げる『現代版廃仏稀釈』(=日本文化・経済・社会・国民の解体・改造)の進捗率の評価項目という訳である。


(6)今回の報告は、「洞爺湖サミット」の機会に米ブッシュ大統領と日本の福田首相の会談が行われる直前に公表された。 ← さすがにドスが効いてるナ〜 !


(シュワブ米国通商代表の評価報告書に対する評価)


これは、事実上、日本がアメリカの植民地か支配地であることの証明のようなものです。また、この「評価報告書」に対する“評価らしい評価”が新聞記事またはテレビ報道などで殆ど見られないことも、そのことが現実であることを傍証しています。それは、恰も「厚生年金・国民年金積立金の運用損(2007年度)が過去最悪の5.8兆円だった」と報じられたことに対しても、その深刻な結果の責任を誰が取るのかが、一切、巷でもメディアでも話題にならないことに似ています(参照、http://www.asahi.com/business/update/0703/TKY200807030497.html)。


どうやら、米国とお上の都合が悪いことについては“沈黙がカネだ”ということのようです。しかしながら、現実には、この7年次に及ぶ「対日・規制改革要望書」が推し進めてきた「アンバンドリング」と「デュー・デリジェンス」の価値観の日本社会への浸透が、IT関連のビジネス界だけでなく国家行政府と地方自治体を も巻き込みつつ日本社会のあらゆる局面へ悪影響を与え続けてきました。かくして、日本という国家そのもののアンバンドリング、つまり日本国民の生存権ま でもが「自らの判断とリスク選好(より大きなリスクにチャンスを賭ける選択)の覚悟と自己責任原則(実は誰が責任を取るべきか特定しにくい無責任原則)」に任 されることになってしまったのです(この詳細は、下記▼を参照乞う)。


▼2008-07-09付toxandoriaの日記/『米国型デュー・デリジェンスの暴走』を擬装し続ける自公連立政権の底なしの罪の深さhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080709


シュワブ米国通商代表の評価報告書の前後に、「地球温暖化に絡んでドイツの脱原発政策をめぐる与野党対立が深まってきた」という“怪しげなニュース”が洞爺湖サミット関連の賑々しい報道に混じって飛び交ったこと(NHKニュースほか)も気になる出来事です。おそらく、これは地球温暖化を口実とする「原発」積極推進派の援護射撃の可能性があります。ただ、このドイツにおける「原発ルネサンス」(脱原発方針の放棄)の動向については、下のような現地情報もありましたので、▼から部分的に関連する箇所を転記しておきます(前後の経緯は、同じく、上の▼を参照乞う)。


・・・・・ここから転記のはじまり・・・・・・


<pfaelzerweinさまからドイツの現地情報が入りました>


pfaelzerwein 2008/07/09 14:32


「政治的バイアスを排除して科学的に対応」かどうかは兎も角、「化石燃料からの脱皮への過渡的なエ ネルギー源としての原発」であるとするEU内での多数意見には、「死の灰」の処置が出来ないことからCDU内でも異論は無く、増設の主張は皆無です。核融 合に関しては希望を持った可能性であることはなにも緑の党でも、日本の反対でも否定しないでしょう。寧ろSPD内では停止への稼動延長を「現実的政策」と して挙げる者もいます。


私も紹介するように、均衡停滞した連立状況を破る政治的潮流は、CSU緑の党に見られる協力関係であります。つ いでながら、誤りを指摘すれば、リンクと引用の「キリスト教民主社会同盟」とCDUとCSUを混ぜ合わせた新造語など取り上げるに足らない記事ですが、今 や環境国民政党要綱を出したバイエルン保守政党社会同盟の先の選挙前の動きが幾らか思い出されます。


pfaelzerwein 2008/07/09 14:43


地球温暖化に絡んでドイツの脱原発政策をめぐる与野党対立が深まってきたという“怪しげなニュー ス”」に関して一言言及すれば、そもそもメルケル首相の極端な個人的政治姿勢は選挙によって否定された訳で、連立政権では調整役としての首長を上手にこな しています。ですから、今回も党内で最も推進派である彼女の極論は、連立政権の首長としては緘口令が敷かれているのです。大連立とはそうした政治形態でし かないのですね。


toxandoria 2008/07/09 16:03


pfaelzerweinさま、ドイツの現地情報をありがとうございます。


ドイツでは原発増設の主張そのものが殆ど皆無に近いことを知り、些か安堵しました。ただ、これがEU内でフランス(サルコジ)の増設方針とどう影響し合うことになるのか、注視しております。


日本の場合は(1980年代の出来事ですが・・・)、例えばトリウム溶融・実験炉による基礎的な実証研究に基づき、古川和男・博士ら関係科学者と一部財界人 などから提出された検討要望書が、当時の政治的バイアスで殆ど一顧もされず、しかも一般国民にこの事実が殆ど知らされぬまま闇に葬られたという経緯がある ようです。


そのうえ、日本の場合は、現在も当時の実力者であった大勲位(中曽根)が健在であることに加え、その影響下にある森、中川、町 村、小泉、安部(清和会/タカ派の流れ/小泉劇場の時に中曽根と小泉が対立したことがあるが、おそらくアレはやらせの可能性が高いと思われる)ら、あるいは最大野党である民主党党首が小沢(旧経世会の流れ)であることなどから、どこを見回しても権力中枢の 構図は当時と少しも変わっていないと思われます。


このため、相変わらずの日米関係も考慮すると、純粋に客観的な判断ができるのかどうかが大いに懸念されます。


・・・・・ここで、▼からの転記おわり・・・・・


ともかくも、このシュワブ米国通商代表に福田首相がドヤされる有様は呆れるほど露骨な「日本コントロール&洗脳政策」の押し付けで、言葉を失います。ここに相応しいのは井上陽水の歌『夢の中へ』ぐらいのような気がしますので、気分転換を兼ねて、下に貼っておきます。


(LIVE) 井上陽水 忌野清志郎 高中正義 細野晴臣 - 夢の中へ (Acoustic Revolution 1991)


・・・・以下は、[2008-07-09付toxandoriaの日記/『米国型デュー・デリジェンスの暴走』を擬装し続ける自公連立政権の底なしの罪の深さ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080709]のコメント&レスの転記です(部分的に、当記事内容に関連すると思われるので)・・・・


argon 2008/07/11 03:04


ご無沙汰いたしております。


取り敢えず今回は気楽にコミットできることだけを書かせていただいて失礼いたします。


現代音楽の奔流を形成する一人にToxandoriaさんがフランク・ザッパを加えられていることがとても意外でした。ザッパの、というよりかつて彼が組ん でいたグループ、マザーズ・オブ・インヴェンションの『臭い足』が私のお気に入りの曲の一つです。それよりもToxandoriaさんお気に入りのピー ター・グリーナウェイの映画でいつも音楽を担当しているマイケル・ナイマンが入っていないのも意外なことでした。


カリアティド(女像柱)の対語がアトラス(男像柱)であることはよく知られていますが、女像柱は同じギリシャ語でコーライとも呼ばれ、男像柱もテラモンという呼び名も持っていたはずです。


共に高麗、寺門という言葉を連想させ、とくにテラモンは金剛力士像をたちまち想起させ、何となく私の中ではギリシャ文化の影響が唐招提寺法隆寺にまで到達 していたことの、極めて個人的な誤解、曲解の中での傍証のような役まではたしていしまっているのです。いかん、いかん。


ヤニス・クセナキスは、一時、建築家としても活動し、1958年のブリュッセル万博ではル・コルビュジェの設計したフィリップス館の担当をしたことでも知られています。


ピーテル・ブリューゲルバベルの塔、神に近づこうとして人間が築き始めた塔だったはずですが、それが神の怒りを買い、人間の話す言葉が様々に分裂させられた という逸話のもとになった塔で、地方、民族毎に言葉が異なっていることを神話的に説明する象徴のような存在になっていたはずです。


いまはもう市場 からは消えてしまいましたが、かつてマッキントシュよりも遙かに先進的なアーキテクチャを持っているとして一部マニアから熱狂的な支持者を得ていたアミー ガというコンピュータがありました。今でもそうしたマニアは沢山残っているはずです。当時圧倒的に普及していたDOSWindows、マッキントシュを 遙かに凌駕する性能を有していたこのコンピュータ、そのユーザーが必須にしていたのがデバベライザ(Debabeliser、つまりバベルを解体する者) というソフト、つまり様々に分化したそれぞれのシステムのファイルを再統一して読み込めるようにしたプログラムの名前でありました。いかに知的で遊び心に 富んだコンピュータであったか、このネーミングだけでおよその推測はつくというものです。


自慢話めいた話しで恐縮ですが、一時、NECの98シ リーズのMS・DOS、マッキントシュ、アミーガ、そしてこれも今はなきデジタル・イクイップメント社のWindowsNT3.0という4種類のシステム を、今から考えるとカタツムリのようなスピードのネットワークで繋いで仕事に使っていたことがあります。


Toxandoriaさんの話の本筋から外れた小ネタばかりで大変失礼いたしました。


toxandoria 2008/07/11 14:46


Argonさま、こちらこそです。


テラモン、コーライはホメロストロイア戦争 の登場人物の名にもあったような気がしますが、連想が拡がり興味津々です。実は、前衛音楽、現代音楽の類はまったくの門外漢だったのですが、たまたま小山 美知恵のコンサートで聴いたアルバン・ベルクのピアノ・ソナタに感動し、それで、なぜか分からないのですが自分の中にetwas Neuesを発見したような気がしています。


Debabeliser(バベルを解体する者)という命名はとても面白いですね。その意味合いが、現代のウェブ・アーキテクチャの宿命とすら見える米国型デュー・デリジェンスの方向性と正反対に見えるところが気に入りました。


ところで、現代音楽の流れをザッと追ううちにアメリカのミニマル・ミュージックにたどり着きました。ミニマル・アートは知っていましたが、ミニマル・ミュー ジックは耳新しいものでした。同じアメリカ生まれの「ミニマル」でもアートとミュージックでは概念が微妙に異なるようです。


しかも、ヨーロッパ型の現代(又は前衛)音楽に対し、ミニマル・ミュージックがまったく異なる性質のものであることも分かりかけてきました。つまり、ヨーロッパ型 があくまでも欧州の風土とそこで育まれた古典に根ざすのに対し、ミニマル・ミュージックはそのような欧州との繋がりを一切断ち切る世界を切り拓くというこ とにあるようです。


このような流れの代表者はスティーブ・ライヒ(Steve Reich/1936− )ですが、一方で、ミニマル・ミュージックそのものはポップス、ロック、ジャズ、ヒーリング・ミュージックなどとフュージョン (Fusion/融合・接近)しつつあるため(例えば、坂本龍一/1952− )、ヨーロッパ型の前衛と吹っ切れた先にあるものの模索が続いています。 が、その先行きは見えていないように思われます。この辺りは、サブプライム・ローン問題で苦しむ米国型金融あるいは米国型市場原理の暴走傾向を連想させて 興味深いものがあります。


一方、オーストラリアへ目を転じると原住民アボリジニの前衛(抽象)画家エミリー・カー メ・ウングワレー(Emily Kame Kngwarreye/(ca1910 - 1996))が注目されています。彼女はオーストラリアが誇る、そして20世紀が生んだもっとも偉大な抽象画家の一人であると評価されています(数週前の NHK新日曜美術館/参照、http://www.arts.australia.or.jp/events/0802/emily /)。


このような方向性は、アメリカのミニマル・ミュージックやミニマル・アートのブレーク・スルーのためにも参考になるような気がしま す。それに、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson/1904-1980)の「形と心の発生」と「ダブル・バインド」(二重拘束の条件によって、より大きな自然の一部としての自分の存在が見えなくなるエコ・メンタルな意味での精神的不具合状態のこと)についての考察(キーワードは関係性と感覚)も関係してくるような気がしています。