toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2)

toxandoria2008-12-07



【画像1】晩秋の風景(スーベニール)、京都・真如堂(2007年12月)/右上の画像は、同じく東福寺


【画像2】Lara Fabian Quedate

・・・<注記>quedate=とどまる、居残る(再帰動詞 quedarse )の2人称・単数、肯定命令≒行かないで!


【画像3】仙台光のページェント(詳細は右を参照 → http://www.sendaihikape.jp/01about01.html)・・・この画像は当URLより転載


(プロローグ/法科大学員、9割が定員削減検討)


2010年度から、法科大学院の教育の質を上げるために全国で74校の法科大学員のうち19校が入学定員を削減することになったことが、12月5日の中央教育審議会の「法科大学院特別委員会」で報告されたようです。更に、これから削減を検討するという大学院が49校もあるため、総定員約5,800人が大幅に減ることになりそうです。文部科学省は、新司法試験の受験者数を絞って合格率を高めるという考えのため、今後とも定員削減と大学院の統合を促す計画であるようです。そもそも、法科大学院は予想を上回る数が開校されたため質の低下が当初から懸念されていました(情報源:2008.12.6付・朝日新聞)。


専門性の水準が高度な法曹分野の方々の質が低いとは一体どういうことなのか? 門外漢にとっては恐れ多くて口を開くことも躊躇されるような気がしますが、強いて、何故にかくの如く“愚かしい出来事”が昨今の法曹界の入口で起こっているのかを推理してみます。一般に学力水準が低下する原因といえば、学生自身の勉強不足か教える側に立つ教師のレベルの問題が考えられます。また、次元を変えれば教育環境そのもの、あるいは家計に関わる経済問題などが想像されますが、法科大学院の場合はこれらのどれもがピタリと当て嵌まりそうもありません。


ただ、気になることは最高裁判所が2008年7月15日に法務省司法制度等を所管する行政官庁)、文部科学省法科大学院の管掌行政官庁)、日弁連及び法科大学院協会あてに『新第60期司法修習生考試における不可答案の概要』という表題の分析報告書を送り、司法修習生卒業試験について「20人に1人を超えてしまった不合格者の実態について“実務法曹として求められている最低限の能力を習得しているとの評価を到底することができなかった”》と厳しい危機感を感じさせる表現で総括している」という情報が存在することです(参照 → http://www.election.ne.jp/10868/61029.html)。


これは、見方によることではありますが、最高裁判所が日本の司法そのものに対する予期せぬ(予想外の?)危機が迫りつつあることを暗に示したかったのではないかと思われます。法曹の仕事の基本は言うまでもなく「論理」を駆使することですが、そもそも「法曹の論理」は一般の「行政またはビジネスの論理」とは異なるものであると思われます。


つまり、法的思考が規範的・個別的・回顧的・固着的な論理であるのに対し、一般の行政またはビジネスにおける思考は、ある一定の目標・目的を達成するために最も効率的な手段を探求するという未来展望的(一種のシミュレーション的)な論理を駆使します。そして、シミュレーション型思考の特徴はといえば、結果又は目的への到達に役立たぬデータ(事実を支える断片としてのドキュメント・証拠)を取捨選択するという価値観が優先されることです。このような、いわばマキャべりスティックとも言える思考が法曹の思考(論理)と根本的に乖離することは論を待たないのではないかと思われます。


ところが、「司法制度改革審議会」(第二次小泉内閣下における司法制度改革推進計画(平成14年3月19日付・閣議決定)に基づく)/同審議会の詳細は下記▲を参照乞う)が内閣に設置された時から、法曹界においても、目的(又は結果/例えば国民への適切な<司法サービス>の提供など)へ効率的に辿りつくためにはビジネス型の論理が必要だというような考え方(アメリカのロー・スクールをモデルとする規制緩和型司法改革論)が濃厚な空気となった節があります。そして、そのことが日本の法曹界へ様々な悪影響を与えつつあるのではないかと思われます。従って、この動きの中には、非常に巧妙な形での<行政権(政治権力)の司法への介入の問題>が潜伏している可能性があると思われます。


▲司法制度改革審議会、http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html


(『米国型新自由主義』と『現代日本の司法改革』の妖しい関係)


『 裁判過程が阻害されるところでは、国家は長く自由かつ幸福に存在し得ない。生命と財産の大いなる保塁である陪審による裁判が、破壊されるか弱められるときは、人々は直ちに専制的権力の下に屈してしまう 』


これは、「アメリカ独立戦争」(1775-1781)の開始に先立ち1774年にコンコード(Concord/ニューハンプシャーの州都)のタウンミーティングTown meeting/参照、下の<注記>)で行われたとされる、ある演説の転載です(出典:http://www.ls.kagoshima-u.ac.jp/staff/h-nakaji/r00/ron/ron_rock.pdf、丸山隆『アメリ陪審制度研究−ジュリー・ナリフィケーションを中心に−』42 頁/法律文化社、1988)。


<注記>タウンミーティング(Town Meeting)
・・・小泉政権下で行われていた「やらせタウンミーティング」のことではなく、主にアメリカのニューイングランド地方で伝統的に行われている、住民が直接参加する地方自治体の意思決定方式。


このコンコード演説に先立つ時代、つまり17〜18世紀は、いわゆる植民地時代のアメリカですが、北アメリカとインドでの英国の覇権が確立(英国務相・大ピット(William Pitt/1708-1778)の戦略による)した「フレンチ=インディアン戦争」(1755-1763)を境に、植民地への英国の支配が過酷なものとなります。例えば、1773年に英国議会は、破産に瀕した東インド会社を救うため同社に植民地における茶の独占販売権を認める「茶法」を定めるなどの強引な植民地政策が行われることになります。また、英国人の権利にかかわる事件については「植民地の人々から陪審の審理を受ける権利を奪う」ようなことが行われます。因みに、植民地時代のアメリカでは、英国で17世紀に確立した陪審制が既に移入されていました。


このため起こった名高い事件が「ボストン茶会事件」(1773年12月16日)です。つまり、この「茶法」という巧妙な手口が植民地貿易のすべての分野に及ぶことを怖れたボストン周辺の住民らが植民地総督へ英国「茶船」の入港拒否を求めたが聞き入れらなかったので停泊中の英国船から相当量の茶を奪い海中へ投げ入れました。しかし、そのことは植民地自治権の剥奪など更なる英国による過酷な植民地政策を呼ぶこととなり、英国vs植民地の対立は決定的なものとなったのです。このコンコードの演説は、その当時の植民地の人々の宗主国・英国に対する憤懣やるかたない気持ちを代弁するものです。


ところで、これから佳境(本番)に入りつつあるブッシュの『イラク戦争・失敗』と米国発『金融恐慌・勃発』による甚大な人的・経済的被害の拡大についての余りにも悲惨な現実を見せつけられると、冒頭のコンコード演説の内容は、そっくりそのまま現代の日本国民からアメリカ・ブッシュ政権連座する人々(ブッシュ大統領、チェイニー副大統領及び彼らを巧みに誘導したネオコン一派・一門)へ向けて発せられてもおかしくはないと思われます。おかしいどころか、それは彼らに向けるに相応しいメッセージです。なぜなら、このコンコード演説には宗主国・英国からアメリカが独立する決意を込めた「自由主義」の宣言であったからです。しかし、それは決して「自由原理主義」ではなかったはずです。ところが、現代アメリカのブッシュ大統領は、これら両者の違いが分からないようです。


ブッシュ米大統領は12月1日に放映された「ABCニュースのインタビュー」(来年1月で8年間に及ぶ自らの在任期間を振り返るという名目のインタビュー番組)で『次のようなこと』を述べたと報じられています(情報源、下記★ほか)。これは“麻生首相も顔負けのマンガチック”という“ファンタスティック”というか、なんと言うべきか・・・、その余りにも無責任でお気軽な発言には仰天させられます。アメリカは“自己責任の原則”を前提とする「自由原理主義」の国であることを自負するブッシュとしては自己矛盾もよいところです。


『 私が大統領の職にあった中で、最大の痛恨事はイラク情報の誤りだった。イラク戦争開戦の大義とされた大量破壊兵器が見つからなかったが、その前提となった出来事、つまりCIAらの情報が誤っていたことは今さらながら残念だ。 』


ブッシュ大統領「戦争の心構えなかった」誤情報が痛恨、http://www.asahi.com/international/update/1202/TKY200812020318.html


ブッシュ大統領/イラク戦争誤情報が「最大の痛恨事」、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000023-mai-int


まるで、自らはこの“自己責任の原則”から除外されて当然と言わんばかりの態度であり、失敗はすべて部下に押し付けて知らぬふりを決め込む、そこいらのゴロツキ会社のワンマン社長のようです。このイラク戦争の結果、どれだけ多くの人々の命が犠牲になり、無数の悲惨な負傷者が地獄の苦しみを体験し、家族・親戚などを殺された人々が嘆き悲しんでいるかなどということは、まるで眼中にないようです。失敗したのは、他でもない、イラク戦争の責任者である貴方ブッシュさんなんですよ!


(『米国型新自由主義』と『現代日本の司法改革』の妖しい関係を傍証するドキュメント)


下に部分引用・転載(1)するのは【2001年10月14日付、対日規制改革要望書/(概要)法制度および法律サービスのインフラ改革】の一部分です(参照 → http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0025.html)。


(1)『 日本の経済回復と経済構造の再編を促進するには、日本が、国際ビジネスと国際投資に資する、また規制改革や構造改革を支援する法的環境を整備するこ とが極めて重要である。日本の法制度は、商取引を促進し紛争を迅速に解決し、日本における国際的法律サービスの需要に応えられるものでなければならない。 こうした課題に対処するため、日本は、法制度が容易に利用でき、また迅速かつ効率的に機能するよう、抜本的な改革を行う必要がある。


 米国政府は、日本がすでに多くの重要な法制度の改革に着手していることを認識している。司法制度改革審議会は、「司法制度改革審議会意見書‐21 世紀の日本を支える司法制度」と題する意見書の中で、司法制度の改善に向けて多くの重要な提言を行っている。日本政府にとって重要なことは、効果的な法律案を迅速に準備し成立させることで、こうした提言内容を実行するための断固たる措置を取ることである。米国政府は、日本政府が、この目的のために「司法制度改革本部」を設置し、司法制度の見直しを規制改革の優先課題の1つとして取り上げることで、そうしたプロセスを開始したことを認識する。 』


次に、下に部分引用・転載(2)するのは【2001年10月14日付、米国の規制改革及び競争政策に関する日本国政府の要望事項(冒頭)】の一部分です(参照 → http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/pdfs/youbou2001j.pdf)。これは、日本からアメリカへの要望という形になっており、外形的には日米相互の要望が対等でパラレルな補完関係にあるように見えます。しかし、各項目を具に読めば分かることですが、明らかに宗主国アメリカから属国・日本への国家改造計画の押し付けに偏っていることが分かります。


(2)『 小泉総理とブッシュ大統領は、2001年6月30日のキャンプデービッドにおける日米首脳会談において、両国及び世界の持続可能な成長を促進することを目的として、「成長に関する日米経済パートナーシップ」の設立を発表し、その中で、「規制改革及び競争政策イニシアティブ」(「改革イニシアティブ」)の立ち上げに合意した。この改革イニシアティブは、97年以降4年間にわたり行われてきた「規制緩和及び競争政策に関する強化されたイニシアティブ」(「強化されたイニシアティブ」)の成功裡の終了を受け、重要な改革が行われつつある主要な分野及び分野横断的な問題に引き続き焦点をあてることを狙いとして新たに設置されたものである。 』


なお、このアメリカから日本への改革要望書は年次でその成果・進捗状況が厳しくチェック・評価されており、例えば【2007年度の要望書】についての評価(=7年次目にあたる「対日・規制改革要望書」に対するシュワブ米国通商代表(USTR-Schwab)による評価報告(2008.7.5)は、ちょうど「洞爺湖サミット」で来日した米ブッシュ大統領と日本の福田首相の会談が行われる直前にタイミングを合わせて公表されており、その余りの評価内容の厳しさに福田首相が、内心で狼狽していたことが想像されます(詳細は、下記◆を参照乞う)。ともかくも、これら二つのドキュメントから見えてくるのは、小泉政権下において、急にバタバタと司法改革およびその一環としての裁判員制度などが具体化へ走り出した背景に窺われる“妖しい動機”の存在ということです。


◆2008-07-11付toxandoriaの日記/パワハラ同然の「対日規制改革要望」評価の“二重擬装呼ばわり”に肝を潰す福田政権、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080711


(1)の中の<司法制度の見直しを規制改革の優先課題の1つとして取り上げる>という文言が明確に示すとおり、その後、この「司法制度改革本部」は、当時の小泉首相がリーダーシップを発揮した「経済財政諮問会議」などの影響を受けることとなります。つまり、“諸外国と比べて、現在の日本の裁判は余りに時間がかかりすぎ、ビジネス界では殆んど意味をなさないので、財界にとって利用しやすい司法が必要だ”という経済同友会らの財界首脳、あるいは米国型市場原理主義を信奉する「経済財政諮問会議」メンバーの経済学者(竹中平蔵本間正明八代尚宏)らから影響を受けることになりました。


(“妖しい動機による司法改革”と“歴史の必然としての司法改革”の峻別こそが肝要)


冒頭で引用したとおり、タウンミーティングにおけるコンコード演説がアメリカ合衆国・独立への契機となったと考えられるように、欧米には歴史と共に進化してきた「市民(公共)意識の成熟」という伝統が根付いています。そして、その根本にあるのは「ローマ法の継受」(Reception of Roman law/der Rezeptionszeit des roemischen Gesetzes)ということです。


「ローマ法の継受」という現象は、12世紀のボローニャ大学イタリア)で再興されたローマ法(「ローマ法大全」(=『市民法大全』/Corpus Juris Civilis/東ローマ皇帝ユスティニアヌス(Justinianus1/483-565)の勅命によって編纂されたローマ法の集大成))の研究を学んで「万国教授資格」を得た留学生たちが、それぞれの母国に戻りローマ法の伝統を講じたり、判決人(Schoeffe)など法実務家の仕事に加わることから始まっています。そして、これら法曹家(Jurist)たちは、その高い学識故に身分制社会で特有の“血統の誓約”(閨房・閨閥世襲関係の確認を前提とするアイデンティティの確認作業)から解放される立場を与えられていました。まさに、そのような意味で、「ローマ法の継受」を受け入れた法曹の原点は“人間の平等”に接近していたと言えそうです。


ローマ法が広くヨーロッパ(イングランドを除く)で受け入れられるようになった理由の一つが、財産権・権利主体権の身分や財産についての「格差の別」を問わぬ「契約・権利の対等性」ということにあります。つまり、大企業・富裕層・権力者という強者と、それ以外の弱者層に属する人々との間で結ばれる契約については、原則的に強者の意志が弱者に優越することにはなっていなかったということです。また、「ローマ法の継受」を受け入れたヨーロッパには絶対に見逃すべきでない一つの条件があります。それは、細かな事情は国・地域ごとに異なりますが、中世以降のヨーロッパには、イタリアに始まる村落共同体ないしは自治都市の名による市民自治コムーネ/comune)の伝統が根付いていたということです。


このため、6世紀に東ローマ皇帝ユスティニアヌスが編纂させた『ローマ法大全』は、各地の市民自治集団に受け入れられつつ「ユス・コムーネ」(Jus Commune/市民法としての一般法)として定着してきたのです。近代市民社会における「公共」の概念が理解され、次第に定着するようになるのはフランス革命1789)以降の時代を待たなければなりませんが、広い意味での「ローマ法の継受」の流れを概観すると、欧米にはこのような意味での「市民社会成熟のプロセス」が見られる訳です。そして、無論のことですが、アメリカ合衆国「独立」への一つの契機になったと見なすことも可能な1774年のコンコード演説(冒頭で既述)が、その延長線上にあることは間違いがなさそうです。


(関連参考資料)


屋敷二郎:ヨーロッパの共通法(ユス・コムーネ)経験と東アジア 、http://www.law.hit-u.ac.jp/asia/pdf/pdf-07-japanese.pdf


そして、草の根型の市民(選挙)運動から船出したオバマ新大統領の「CHANGE」には、ネオコン共和党右派らによって酷く汚染されてしまったアメリカ政治の蘇生のため、そのような意味で「アメリカ型民主主義の原点」(タウンミーティング型・直接民主主義の理念)を復活(ルネサンス)するという意志が存在したはずです。この点をまったく理解していないのが(あるいは、それは承知で無視している?のが)日本の自民党の先生方です。マンガ脳の麻生がダメなら今度は「マダム回転寿司のチェンジ」(=目指すは、小泉構造改革の“やらせタウンミーティング型・民主主義”への回帰?)だ、などと急に色めき立つ様を垣間見せられると、日本の民主主義は、サメの脳みそなどを後生大事に崇め続ける低劣な政治家レベルの意識構造改革が先決であることが分かります。


因みに、堕ちたりとは言いながらも、現在のブッシュ政権下のアメリカでも日本が遥かに及ばぬ「健全性へ回帰するバランサー(平衡装置)」が機能しています。例えば、オバマ新大統領が公正な選挙で選ばれたこともそうですが、ブッシュ政権で“陰の大統領”と呼ばれてきたチェイニー副大統領の不正追求の動きがこれから本格化しそうであるという現実があります。少し古いことですが、去る9月20日にワシントンの連邦地裁がチェイニー副大統領に対して過去8年間の<副大統 領在職中に作成されたすべての公文書>の保全を命じる仮処分を出しています。周知のとおり、チェイニー副大統領(史上最強の副大統領?/元・ 石油関連企業ハリバートンCEO)はブッシュ政権の黒幕的存在ですが、これは、以前からチェイニー副大統領の挙動に不信感を持って追跡してきた権力監視団体「ワシントンの責任と倫理のための市民(CREW、http://www.citizensforethics.org/)」の主張を認めた結果のようです(参照、下記◆)。


◆チェーニー副大統領に公文書保全命令=市民の訴え認め隠滅防止−米地裁、http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008092100099


これは、「踏みとどまれるか? アメリカの民主主義」のアポリア二律背反の難題)がギリギリのところで解決への可能性を見せてくれたようで非常に興味深いものがあります。それも、結局はアメリカの一般国民の意志(=行政トップの地位よりも公共を重視する意志)まで動かすことになるかどうかという問題に繋がりますが、<国・自治体の別を問わず、その公文書の99%が廃棄処分され、政治・行政の実態が殆ど闇に葬られ、その常態化が当然視される日本のアーカイブ事情>では、到底考えられないことです。ここには、アメリカ(先進民主主義国家としてのプライドが存在する国)と日本(名ばかり民主主義で実態は世襲・封建国家)の「民主主義の質的な違い」が現れているように思われます。


然るに、小泉構造改革で行われてきた諸改革(裁判員制度導入、教育改革など)の実態は「やらせタウンミーティング」(=仕込み(サクラ/偽装)のタウンミーティング)が発覚したことからも明らかなように、日本における「市民社会の熟成」などの光景からは程遠いものでした。それどころか、小泉政権・安部政権・福田政権から現在の麻生政権に至るまで、日本の市民社会は「時代錯誤とでもしか言いようがない“血統の誓約”(閨房・閨閥世襲関係を前提とするアイデンティティ確認作業)型の、先進民主主義国家としては真に恥ずべき<異様な政治状況>による支配体制が続いています。


明治期から漸く近代国家へ歩み出した日本の歴史を視野に入れるならば、ファシズム体制を終戦(敗戦)で終わらせた時期以降の「日本国憲法の制定」、「裁判所法あるいは検察庁法の制定」、「大審院廃止による違憲立法審査権を持つ最高裁判所の設置」、「軍法会議など特別裁判所の廃止」、「簡易裁判所家庭裁判所の新設」、そして「司法権独立の確定」という具合に近代民主主義国家・日本に相応しい司法制度改革が行われてきたことは評価すべきです。そして、これからも、そのような流れと共に「市民社会の成熟」(=市民レベルでの公共と自治についての正しい意識の醸成)を図るという意味での司法改革への取り組みが必要であることは当然のことです。


裁判員制度の根本問題)


しかしながら、例えば、いよいよ新年度・開始へ向けての準備が着手された「裁判員制度」にしても、何故にそれほど国は急がなければならいのかという理由が一向に判然としません。「市民社会の成熟」が当然視され、そのことが前提となる欧米諸国では、例えば「陪審制」(イギリス、アメリカ、カナダ)、「参審制」(フランス、イタリア、ドイツ)など市民参加型の司法が定着していることは確かです。しかし、その前提には、やはり既述の「ユス・コムーネ」の伝統、市民社会と公共意識の成熟ということがあります。しかし、残念ながら、我が日本にはこの「ユス・コムーネ」の伝統は存在せず、目に付くものは、戦時中の“トントン隣り組”の残滓の如き「町内会」と政治権力に“只管ひれ伏す”大方のマスメディア(マスゴミ)だけです。


<参考>陪審制と参審制(裁判員制度)について
・・・英米法系の「陪審制」(ジュリー/Jury=陪審団、Juror=そのメンバー)と、ドイツなどヨーロッパ系の「参審制」(Schoeffengericht)の違いは、前者が陪審団だけで事実認定するのに対し、後者は職業裁判官と裁判員が合議して量刑判断することにある。参審制と裁判員制度は、ほぼ同義であるが、前者は一定の任期で後者は各事件ごとの任期という違いがある。


(関連参考資料)


世界各国の市民参加制度、http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/about/column1_ge.html
各国の司法制度、http://study.web5.jp/060823.htm


回答者の68%が裁判員制度反対 弁護士有志の全国調査、http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008122201000658.html


ともかくも、我われが今求められるのは、以上の概観から見えてきたことですが、『政治権力者側の妖しい動機による司法改革』と『歴史の必然としての市民社会の成熟に応える司法改革』との違いを意識的に峻別することです。そもそも、人間社会における「紛争解決方法」には四つのプロセスがあると見なすことができます。それは、(1)「力によってねじ伏せる弾圧・強制・脅迫」、(2)「紛争そのものの回避」(紛争が無かったことにしてしまう方法)、(3)「話し合いなど互譲による妥協」(感情が絡む人格紛争は互譲が不可能となる)、(4)「第三者の裁定」の四つです。


(1)で解決を図ることは戦争や暴力沙汰を呼ぶので常識的には論外であり、普通は紳士的な態度で(2)か(3)を選ぶことになります。しかし、(4)の場合(人格紛争に嵌った場合の(3)を含む)は第三者の存在に頼ることが前提となります。当事者の意志次第では第三者の「仲裁」でことは済みますが、当事者間での合意が不可能の時は「裁判」(法に照らした解決)と言うことになります。


問題は、この「裁判」における究極の拠り所は法なのですが、場合によっては、究極の拠り所として国家権力による一定の強制力(≒暴力)の執行(=国家権力の行使)について判断を求められることになります。つまり、量刑判断も求められる裁判員制度において、この国家権力を背景とする強制力(=国家権力)の執行に一般市民の意志がどのように関わるべきかという悩ましい問題があります。もし、この点について細心の配慮が行き届かぬ最悪の時には、裁判が裁判員個人の鬱憤晴らし・報復・意趣返しなど「恩讐による葛藤」の捌け口と化すこともあり得ると思われます。


また、既述のことですが、日常生活で裁判とは殆んど縁がない一般市民・ビジネスマンらの「シミュレーション型思考」をどのようにすればスムースに「規範的・個別的・回顧的・固着的な法曹論理の思考回路」へ馴染ませることができるかという困難な問題もあります。穿った見方をするならば、政府に司法改革を急ぐよう迫った財界・経済界の重鎮たち、あるいは米国型新自由主義思想に傾倒する諸先生方の本心には、敢えて、この厳正・中立であるべき「法曹の論理」と異質な「シミュレーション型思考」を裁判の現場へ取り込むよう仕向けることで、司法の効率化とビジネス・経済界にとって使い勝手がよい司法(裁判)を実現したい、そして市場原理主義思想に合わせたロー・スクール型の法実務教育に適した「より効率的な商法改革を実現したい」という意図が隠れていたのではないか、とさえ思われます。


もしそうであるならば、それは、厳正・中立・公正であるべき法的ルールや諸規制に対して市場原理主義を最優先させて、シミュレーション思考型の典型とも言える金融工学を駆使して野放図なデリバティブ証券類の暴走を許してしまい、遂には取り返しがつかぬ「大金融パニック」(前代未聞の資本主義の大失敗、市場原理主義に被れた資本主義の大醜態)を招来してしまったブッシュ政権の政治・経済政策の二の舞に過ぎません。まことに不思議なことですが、これほど「市場原理主義型・アメリカ資本主義の暴走」の失敗が明らかとなったこの段に至っても、未だに我が日本政府とメディア一般には、その根本の誤りを認めることに躊躇する様子が窺われることです。肝心のアメリカでは、「ウオールストリート型の市場原理主義経済」の旗振り役的な存在であった、あのグリーンスパンFRB議長自身が“新自由主義思想に基づく政策は誤りであった”と認めているにもかかわらずです。また、現役のバーナンキFRB議長も「サブプライムローン問題に関して、金融セクターに与える影響を当初過小評価していたことを認めた」ことが報じられています(下記▲、参照乞う)。


市場原理主義と過剰な規制緩和は間違いだった・・・崩壊…目に見えていた 米金融危機グリーンスパン氏、持論の敗北認める、http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200810250062a.nwc


FRB議長、サブプライム問題で判断ミス認める=米誌、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081124-00000637-reu-bus_all


レーガン政権以降のネオリベ政治」、いわゆる新自由主義思想に基づく市場原理主義規制緩和政策が追い求めた「アメリカの理想」は見事に実現したとでも言うのでしょうか? 「大金融パニック」と「それに連鎖した経済大不況」については日々に金融・経済フィールドの大パニックの波及として報じられているので、ここでは少々異なる次元から、この「アメリカの理想」の実現具合(実際には大失敗ではないか!)を概観しておきます。


『 アメリカでは金持ちトップ1%で、全金融資産の6割、トップ10%で9割をおさえている・・・ 』、http://61027317.at.webry.info/200702/article_4.html


『 2006年度におけるフォーチュン誌認定上位500社CEOの平均年収は1,080万ドル(約12億5,020万円)で、一般労働者の年収に比較して364倍だった。・・・米国で活躍するトップクラスのヘッジファンドマネージャー20人の2006年度平均年収は6億5,750万ドル(約761億1,220万円)で、一般労働者の平均年収2万9,544ドル(約342万円)に比較して2万2,255倍多く稼いでいた。・・・医療保険に加入していないアメリカ人は前年比で5%増加し、4,700万人になった。貧困層に属するアメリカ人は現在3,650万人で、ブッシュ政権がスタートしてから490万人も増加した。そして、緊急食糧支援に頼るアメリカ人は毎年2,300万人にものぼるという。・・・ 』、http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=162324


『 2006年11月放送にNHK衛星第1テレビ放映されたBS世界のドキュメンタリー『貧困へのスパイラル〜アメリ格差社会の実態〜の動画 』、http://blog.goo.ne.jp/momotaro-1941/e/f1ae43dcc8f8c33cb2b7b13417aac847 ←このURLに下記の動画の入口があります。


貧困へのスパイラル〜アメリ格差社会の実態〜その1 22 min - Nov 2, 2007
貧困へのスパイラル〜アメリ格差社会の実態〜その2 22 min - Nov 2, 2007
貧困へのスパイラル〜アメリ格差社会の実態〜その3 22 min - Nov 2, 2007
貧困へのスパイラル〜アメリ格差社会の実態〜その4 22 min - Nov 2, 2007


表面的に見れば、日本の「裁判員制度」の問題とこの「アメリカの貧困の余りにも凄まじい現実」は無関係のようですが、必ずしもそうとは言えないところが不気味です。それは、既に見たとおりのことですが、この「裁判員制度」の導入を日本政府(小泉政権)へ急がせた(司法改革の一環として)勢力に属する人々(財界団体トップ及び経済財政諮問会議などの政府関係の諮問機関に積極的に関わった経済学者ら)は、このように惨(むご)い現実(これが大成果?)をアメリカ社会にもたらした「米国(ウオールストリート)型市場原理主義」への信仰を未だに捨て去るどころか、まるでカルト信仰の如くに、その傾倒ぶりに凄みさえもが加わってきた節があるからです。例えば、最近、某民放TVに出た竹中平蔵先生は“もし規制緩和で非正規雇用が解放されていなければ、もっと日本の失業率は高くなった”という主旨の発言をしていたようです。


深刻な経済不況の接近を理由に、過剰とも言えるスピードで「大量の非正規雇用切り」が始まった背景には、このような事情もあることを見逃すべきではないようです。直近のNHKニュースが報じた(小さく!)ところでは、アメリカの「極貧層に属しキリスト教関係等の慈善団体から日々の食糧供給を受けなければ生活できない人々」が既に全人口の1割(5人に1人の割合/約3,000万人)を超えており、その割合が最も高いニューヨークではそれが4人に1人(約206万人)を超えたということのようです。オバマ新大統領の「インフラ投資による250万人の新雇用創出プラン」(参照 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081206-00000043-yom-bus_all)がこの悲惨な事実を見据えたものであることは間違いがなく(それでも焼け石に水ではあるが・・・)、既述の「建国当時の健全なアメリカ民主主義の原点への回帰」と共に、これがオバマのもう一つの「CHANGE」が意図することに相違ありません。


一方、我がマンガ麻生総理は、どこかの演説会場で「特別交付金2兆円が欲しくない人は受け取らなければよい、それは矜持(きょうじ)の問題だ!」という主旨の発言をしたようです。この文脈で「矜持」を使うセンスはまさにマンガチックであり、もはやそんなことには驚きませんが、相変わらず「札ビラを蒔くから欲しい国民は拾え!」という時代錯誤の御大尽ぶりには驚嘆します。否、むしろ、これしきのKY(又は3K)な人物が日本国の総理大臣であることに一種の恐怖をすら感じてしまいます。仮に、この2兆円を緊急の雇用対策や極貧層・弱者らの新救済策(新たなセーフティネット創りなど)へ回すならば、どれほど意味のある仕事ができることでしょうか?


(関連参考情報)


<毎日世論調査>内閣支持21%に激減/「首相に」も小沢氏、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081207-00000065-mai-pol


12月6日付の「琉球新報」が、裁判員制度について県内の弁護士に対して行ったアンケート調査・結果を発表しています。それによると、制度の「廃止」や「延期」を求める意見が回答者の55%で、制度の開始時期や制度自体に抵抗感を持っていることが分かったようです。廃止や延期を求める理由として「準備不足」など国民への周知不足を指摘する声が大きく、そのほかに「感情で裁判される」と厳罰化が進むという懸念の声もあったようです(参照、下記◆)。やはり、法曹のプロの目から見ても、<時期尚早だ、なぜ急ぐのだ?>、<裁判が裁判員個人の鬱憤晴らし・報復・意趣返しなど「恩讐による葛藤」の捌け口と化す恐れもある>などの懸念が拭いきれないようです。従って、我われ日本国民は政府・政権の言いなりになるだけでなく、絶えず、この問題の推移を上で指摘した「新自由主義思想(市場原理主義)を信奉する勢力」との関係と照らし合わせつつ、その根本部分を厳しく見守り、厳しく批判し、厳しく質問と異議申し立てを行ってゆくべきです。


裁判員制度 県内弁護士「廃止」「延期」55%、http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-138734-storytopic-1.html


(関連参考情報)


裁判員制度の「ねらい」はこれ?(ブログ「Afternoon Cafe」から)((裁判員制度、大丈夫とは言えない気がします(村野瀬玲奈の秘書課広報室)、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-997.html


疑問多く理解得られず奇怪な裁判員制度、一刻も早い修正か廃止を、http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812012638/1.php

通知届き照会相次ぐ 戸惑い改めて浮き彫り、http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/news/20081201-OYT8T00825.htm


裁判員制度の問題点とは、http://judge.law-act.com/entrance/p4.html


だれのための制度か―「裁判員制度」について語るシンポジウム〜自由人権協会、http://www.news.janjan.jp/living/0806/0806028550/1.php


司法制度改革の流れ(首相官邸/司法制度改革推進本部)、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/index.html


Lara Fabian - Je suis Malade