toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

“郵政改革”でヤヌス化した『麻生KY総理』を照らす「日蘭交流の四世紀、オランダの光」

toxandoria2009-02-11



<注記>ヤヌス(Janus
・・・ローマ神話に登場する「入口=賛成」と「出口=反対」の二つの矛盾した顔を併せもつ奇怪な神。


【画像1】ライスダール『風景、降り注ぐ陽の光』「The Ray of Sunlight」 ・・・Jacob van Ruisdael(ca1628-1682) ?(year) Oil on canvas 83×99cm Rouvre 、Paris(右上の画像は ピーターリム・デ・クローン監督(Pieter-Rim de Kroon/1955〜 )の実験的なドキュメンタリー映画『オランダの光』より、参照→http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/newpage5.html) 

・・・映画『オランダの光』のビデオ・クリップが、当記事の末尾に置いてあります。


・・・ドイツ語のLandschaft(陸地、ある地域の住民、国家などの意味/オランダ語でLandschap)という言葉を、初めて“風景”という意味の絵画用語として使ったのは15〜16世紀のネーデルラントの画家たちであったとされています。それに先立ち、1400年代のネーデルラントオランダ、フランドル/ブルゴーニュ公国)のミニアチュア絵画(写本装飾画)には既に風景描写がしばしば現れていたという事実もあります。


・・・自然地理的に見ると、ネーデルラントにはドイツのシュバルツヴァルトのように鬱蒼たる暗黒の森があるわけではなく、そこにあるのはウオータ・フロント、つまり様々な形の「水面」だけでした。しかし、この水面(内海、河川、湖沼、湿地など)は、悪天候では大いに荒れることがあるため暗黒の森林に劣らず恐ろしい存在であったはずです。ネーデルラントの人々は、この恐ろしい「多様な水面の脅威」と700年以上にわたり干拓の形で闘い続けてきたのです。


・・・14〜15世紀のネーデルラントでは、既にその干拓地づくりが始まっており、併行して、そのわずかな土地に植林さ れた木々を中心とする稀少な新しい“人工の自然空間”が創られていったのです。従って、この時代以降のネーデルラント住民たちの目にとり、これらの自らが創り 出した客観的「景観」は、近代を先取りした“合理的に意識された特別の自然環境”であったはずです。


・・・やがて、その「景観」には、次第にネーデルラントに存在しない山や丘陵地が画家たちの奔放な想像力によって付け加えられるようになります。美術史家ケネス・クラークは、風景画を「象徴としての風景、事実の風景、幻想の風景、理想の風景」の四つに分類していますが、17世紀のオランダでは、このようにして“想像上の山や丘陵地を加えた事実の風景”を描く「風景画」が制作されるようになりました。


・・・そして、実景に即しつつ(とはいえ、想像上の山や丘陵が加わった“実景”だが)抑制的な単色に近い色調で、恰も写真のようなリアルさで 描く「単色様式(単色色調様式)の風景画」を1630年代に確立したサロモン・ファン・ライスダールSalomon van Ruisdael/ca1600−1670)とヤン・ファン・ホイエン(Jan van Goyen/1596-1656)の二人は、17世紀前半のオランダにおける最も重要な風景画家です。


・・・「オランダ最大の風景画家」と呼ばれるのが サロモンの甥ヤコブ・ファン・ライスダールJacob van Ruisdael/ca1628-1682)で、彼の風景画はホイエンやサロモンよりドラマチックであり、光と影が力強く相克する風景画様式を完成させました。彼の構図の雄大さと光の効果は、レンブラントの影響を受けたものと考えられています。


・・・ヤコブ・ファン・ライスダールは、その弟子ホッベマ(Meindert Hobbema/1638-1709/自然に対する、しなやかな感受性の表現に優れている)とともに18〜19世紀のイギリス、フランス、ドイツの風景画 に極めて大きな影響を与えました。しかし、ヤン・ファン・ホイエンとサロモン・ファン・ライスダールの風景画の方は、19世紀中葉になり、バルビゾン派の画家たちが注目するまでは不当にも低い評価を受けてきたのです。


【画像2】Lara Fabian Aime (Love)


・・・・・


(本 論)


今や、アメリカの不道徳な輩(オバマ大統領の言葉を借りれば“強欲と無責任”に絡め取られた一部の人々)がバラ蒔いた「CDS金融時限爆弾」(全世界の対GNP比で約1.7〜2.7倍に相当する2600〜4000兆円規模と推定される巨額CDS(Credit Default Swap)の存在)がいつ暴発するかも知れぬという、世界を巡る非常に不安定な金融・経済状況(参照、下記関連情報◆)であるにもかかわらず、わが日本では、未だに、その“日本における強欲と無責任”に絡め取られた一部の人々の代表たる小泉・竹中・八代らが強引に押し進めた「右傾化を潜ませたJap.ネオリベ擬装構造改革」(“国家詐欺”疑惑)を直視し、その過ちをまともに反省しようとする動きが出ておりません。しかも、郵政民営化を巡る解釈(賛成or反対)の自己矛盾を突かれたため、恰もヤヌス神(二重人格神)と化したかのような断末魔の「麻生KY内閣」は、珍妙でマンガチックな窮鼠のごときジタバタ劇ばかりか、恥ずかしげもなく、ゲにおぞましい“失禁劇”(意味不明な失言の垂れ流し)を演じ始めています。


◆「金融時限爆弾」(巨額CDS爆弾)を仕掛けた米国型金融ビジネス・モデルの巨額ポンジー詐欺、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090102


G7財務相が電話で緊急協議 金融健全化へ迅速な行動を確認、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090209AT3S0902509022009.html


<注記>


CDS金融時限爆弾の危険性が意味すること(関連参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090102


・・・「企業の信用リスク」を取引するクレジット・デフォルト・スワップCDS/信用リスクに対する一種の保険機能を持たせるため、大きなデリバティヴを効かせた金融派生商品)の残高がじわりと増加に転じた。それは、景気(実体経済)悪化の波が世界的に広がっているため資源価格の急落や信用収縮の影響を受けやすい銘柄などを対象とするCDSの取引が再び活発化しているためである。この「グローバル詐欺システム」が何より恐ろしいのは「CDS増加→金融危機実体経済悪化→CDS増加→金融危機実体経済悪化→CDS増加・・・」という、デフレ・スパイラルならぬ<悪魔のCDS膨張スパイラルの罠>へ世界経済全体がスッポリ嵌ってしまったように見えることである(情報源:2008.12.26付・日本経済新聞)。


・・・もう一つ、CDSについて見逃せないデータがある。それは、破綻したリーマンブラザースの債務リスクを保証するCDS決済のオークションを実施したところ、市場がその回収率を9%と異常に低く評価したという事実があることだ。因みに、日本の金融機関の破綻の回収率の場合は、最悪の木津信用組合23%、長銀88%、日債銀71%、山一證券97%である。無論、これは単純に比較できるものではなく、リーマンの回収率(見込み)9%が総てのCDSのそれを代表するものではない。しかし、リーマンが米発金融信用不安の強力な発信源の一つであることから、全世界の対GNP比で約1.7〜2.7倍に相当するCDSへの信用が今以上にグラついた時のショックには十分用心するに越したことはない。この異常な信用不安を如何にクールダウンして信用回復を図れるかが全世界の未来を左右することになると思われる(情報源:2009.2.10付・日本経済新聞)。


(参考関連情報)


『株式日記と経済展望』・・・小泉以降の諮問委員会の業績と利権の関係が白日の下にさらされた場合、戦後最大の疑獄事件になる可能性がある、http://blog.goo.ne.jp/2005tora/


かんぽの宿」、民営化5年後の譲渡は「竹中平蔵氏の指示」だった、http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090205AT3S0500E05022009.html


麻生首相、郵政4分社体制「見直すべき」 小泉改革路線と決別、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090205AT3S0501E05022009.html


が、首相「最終的に民営化賛成」/郵政めぐる答弁を修正、http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009020901000005.html


政府紙幣論の高橋洋一竹中平蔵大臣の補佐官だった?・・・政府紙幣論議も、「一院制」と同じく「郵政民営化利権」に群がった学者、官僚、ジャーナリスト、マスコミ等による総反撃(追い詰められたゆえの)の一種と見ていい、http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090208


麻生首相景気対策期待せず77%/内閣支持また下落18%、http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009020901000381.html


朝日世論調査/麻生内閣支持率14%、http://www.asahi.com/special/08003/TKY200902090263.html


やはり、麻生首相発言巡り小泉・中川(秀)・小池氏ら会合へ(愈々、詐欺師的ネオリベ御本尊の反撃?・・・ここまでメディアと民意は舐められている!)、http://www3.nhk.or.jp/news/k10014072531000.html#


「笑っちゃうくらいあきれた」=郵政見直し発言、首相を批判−自民・小泉氏、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090212-00000112-jij-pol


しかし、そうは問屋が卸さぬようだ! → 各政党も独自に情報収集・・・「かんぽの宿」売却問題 /当局が捜査着手、立件を視野に…、http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009021041_all.html


ナゼか、むなしく空々しい記者会見ではないか!→友人・大賀容疑者の逮捕、御手洗・キャノン&経団連会長“残念で悔しい”===その訳は「コイズミ=タケナカ・ネオリベ規制緩和政策の黄昏」と共振か?・・・、http://www.nhk.or.jp/news/t10014096761000.html#http://critic6.blog63.fc2.com/http://www3.nhk.or.jp/news/t10014118101000.html#


いささか視点を変えてみると、この「右傾化を潜ませた小泉・竹中ネオリベ擬装構造改革」にかかわる“国家詐欺”疑惑の問題を先ずメディアが正確に直視し、その上で中立・公正な視座からその疑惑と問題(矛盾点)の核心を民意(日本国民)へ直接的に訴えかけることができないという情けない現実の裏側にあるのが、政治権力に阿(おもね)る「ジャーナリズム(メディア)の自己規制」と「アカデミズムの政治権力への隷属」ということです。


一方、イタリアの「ベルルスコーニ化現象」(政治・経営権力による露骨なメディア支配)に似た事情(過半の新聞社・出版社・書店がダッソー、ラガティールら軍需産業の経営支配下にある/参照 →  http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080309)にもかかわらず、フランスのジャーナリズムは、今もなお、民意へ直接訴える活発な活動が可能です。例えば、かつての「株主の編集介入問題」で厳しい綱引き状態に嵌ったフランスのル・モンド紙のケースでは、『ル・モンド新社長にフォトリノ編集局長、決定』のニュースが伝えられたとおり、結局は編集権側の勝利に終わったこと(参照 → http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080126/erp0801260958002-n1.htm)などジャーナリズム現場の踏ん張りが、「“1月29日、大規模250万人スト”によるフランス市民意識(“政治&財界の癒着・堕落”に対する批判)の存在証明」の支えとなったことは周知のとおりです(参照、下記★)。


★1月29日の大規模ストに見る、フランス市民意識の底力、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090207


思うに、日本の場合、メディア(ジャーナリズム)とアカデミズムが政治権力に媚びるという意味での“自主規制”(反民意活動=政府・官庁御用達の<記者クラブの囚人>と化した“風見鶏”報道化)に走り出したのは、小泉構造改革ネオリベ政策が本格化し始めた頃に重なるようです。そして、その動きが露骨になったのは、内閣官房副長官2001年に成立した小泉純一郎首相の第1次小泉内閣)であった世襲政治屋安倍晋三NHKへの圧力を強め始めた2001年頃からではなかったかと思われます。しかし、問題はそれに先立ち既にメディア側の“自主規制”が始まっていたように見えることです。


この伏線の役目を果たしたのが(これは欧米には見られないことですが・・・)、「政治に奉仕するジャーナリズム」の育成(=世論誘導)を目的とする<記者クラブ>の存在です。それに更なる輪を掛けたのが、Web2.0および経済不況などの影響による、ここに来て本格化し始めた「メディア不況」です。そして、終には、103億円の赤字決算に転落した朝日新聞H20年中間決算/前年同期は47億円の黒字)の<経営改革を名目とするネオリベ御用達型・提灯記事マスゴミ化=竹中平蔵と連れ添う船橋洋一主筆体制>と相成った訳です。


因みに、この経営赤字の問題は他の新聞社・出版社等のメディア業界を襲いつつあり、民放テレビ各社もその例外ではなく、全国の民放55社(総計114社中)が赤字決算に転落したようです。ともかくも、日本特有の事情であるアーキビズム(中立・公正な公文書館体制の不備(=市民のため公正な行政・業務を確保する最低基本条件の不備 ← その実情は先進諸国で最低のレベル!/関連参照、下記◆))とともに、経営赤字問題もさることながら、このような意味でジャーナリズムの劣化傾向が進むことは、健全な民主主義社会の基である「市民意識」の保全のためにも由々しきことです。従って、例えば、ヨーロッパにおける「プレス・カウンシル(Press Council/第三機関としての報道評議会)」(参照 → http://homepage1.nifty.com/nik/houdoutop.htm#hyougi)のような工夫が必要ではないかと思われます。


◆2008-03-04付toxandoriaの日記/『心眼、アーキビズム、市民意識、ジャーナリズムの役割』についての考察、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080304


また、ここで言う「アカデミズムの堕落」の象徴が「竹中平蔵・問題」(狡猾かつ合法的に“住民税の不払い”(これは本人にとっては“極上の趣味”だとでも言うのだろうか?/参照 → http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2011819.html)を実行する“まことに見識高い学者”が率先して“経済学”を政治の道具と化してしまった!)だと思われます。このような日本のアカデミズムの体たらくも、これから日本中の私立大学がますます深刻化する経営危機に襲われるであろうことを思うと、とても心配なことです。


ところで、たまたま頂いた『オランダ人の見た日蘭関係の四世紀』(De Tijdstroom BV 出版)にかかわるコメント&レスから、このような日本の「メディアとアカデミズムの怠慢」の根本にあるのが、<“思想の自由”、“寛容”そして“事実の価値”を軽視しつつ「片務契約的な輸入超過の翻訳文化」に甘んじてきた日本のアカデミズム>の問題であることが浮上してきました。そして、そのことを傍証するのが「市民への裏切り、政治権力の濫用、強者による弱者からの搾取、悲惨な戦争のカムフラージュ等の問題」をテーマとする本格的ジャーナリズムまたは外国文化研究のための大学が日本には存在しないということです。


それに比べ、『日蘭四世紀の交流』という歴史的事実を前提としつつ、その伝統の「原典・原資料主義」の手法で日本の宗教・文化・社会・政治を凝視し続ける「ライデン大学・日本学センター」の研究姿勢の成果には驚くべきものがあります。例えば、表記の「小泉構造改革」と「安倍の対NHK政治圧力問題」が見られるようになっていたころ、すでにオランダの日本研究者らが「日本の変調=右傾化を潜ませた小泉・竹中ネオリベ擬装構造改革」に気付いていた節があるのです。


すなわち、逸早く、その“日本の変調”(近年における日本の宗教・文化・社会・政治を巡る研究姿勢が内向化=極右傾向化・国粋化・歴史修正主義化していることへの懸念)を客観的かつ冷静に指摘したのはライデン大学の日本学研究者たちであったという事実があるのです(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070901 及び下記◆)。


ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』(国学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/pdfman/get.php?id=30#search=%22%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%22


人文・社会系と言えども、アカデミズムの原点が「原典・原資料主義=事実の重視」であることは言うまでもありません。が、今の日本では、このことがスッカリ忘れ去られ、政治権力者のお気に召す良い結果を出すための“国益名目の御用研究”に勤しむのが当然視されるような異常事態(ネオリベ型の悪しき産学協同?)となっています。しかも、その“国益”なるものの中枢にデンと鎮座するのが小泉・安倍・福田・麻生らの世襲議員であり、彼らは迂回寄付などの手法で合法的に巨額の相続税を免れているというギャグ漫画のようなふざけたオマケまで付いています(情報源:2009.2.12号・週刊文春『上杉 隆/二世議員の“世襲”猛批判・・・世襲利権の実態を暴く』)。


それはともかく、日本伝統の歴史文化の中には、米発金融・経済パニックの下で混迷の度合いを深刻化させつつあるEU統合(参照、下記▼)にとっても役立ち得るような「光」が必ず存在するはずです。因果と論理が錯綜する現実世界が矛盾に満ちたものであることは当然であり、その「事実」の中から「真実の光」を発見するのが「原典・原資料主義」に基づく人文・社会研究のベースであったはずです。そして、ジャーナリズムの原点も同じことだと思われます。このような観点からすれば、経済学の中に政治権力を強引に誘い込んだ竹中平蔵や、権力と癒着することに経営の活路(新天地)を求める某新聞社の如きジャーナリズムのあり方が自滅・自虐・自殺行為であることは当然です。そして、そのような行為は何よりも、民主主義社会における『主権者たる市民(市民社会)への重大な裏切り』であることを肝に銘じるべきです。


▼2009年2月9日(月)放送、NHKクローズアップ現代:ユーロ試練の時、http://www.nhk.or.jp/gendai/



・・・以下は、[2006-10-14付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/オランダ編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061014]へのコメント&レスの転載・・・・


・・・・・


石山みずか


拝見いたしました(→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061014)。


疑問点をお聞きできれば幸いです。フランドル絵画に唐の漆板絵はどのような影響を与えたでしょうか。また、水墨画はどうでしょうか。


スピノザは「神学政治論」で出島のオランダ人には幸福に暮らしているとの記述がありますが、天台宗の思想はスピノザに影響しているのでしょうか。ピエール・ベールは「日本の哲学」という項目を書いていますので、同時代として考えられると思うのですが。


toxandoria


“石山みずか” さま、コメント有難うございます。


残念ながら、ご質問の内容について詳しい知識がありませんので、的を得たご返事はできかねます。


ので、些か異なる視点からレスを書かせていただきます。


・・・


一般的に、東西間の意図的な交易・交流が始まるのは15世紀後半の大航海時代あたりからとされています。


しかし、それ以前の時代においても「オアシスの道〜シルクロード交易」あるいは「5世紀・フン族、7世紀・アヴァール族、9世紀・マジャール族などユーラシ ア中央部の民族移動」などもあったので、例えば唐の漆板絵や水墨画が何らかの形で西へ伝わった可能性もあり得ると思います。ただ、その伝播の実際の姿には “ストレートに影響を与える”というような意味での“速さ”はなかったのではないでしょうか。


また、フランドル絵画やイタリアルネサンス 絵画に、それら東洋絵画の影響らしきものが観察されるとしても、たまたま別々に似たような理念や技法が生まれたということもあり得ると思われます。それか ら、芸術には風土の問題が付きまとうと思われるので、仮に技法が伝播したとしても、おそらく異なる土地では、それぞれ似て非なるような個性が生まれるので はないでしょうか。


天台宗の思想がスピノザ1632-1677)に影響しているかどうか」の問題についても、絵画技法の問題と同様の 可能性が色々と考えられると思われます。ただ、宗教や哲学分野では文物の交流を遥かに遡る、とても古い時代からの東西間の長い歴史と時間を介した共鳴現象 が考えられます。


例えば、法華経天台宗日蓮宗の根本経典)の根本解釈を巡り、最澄と僧・徳一(仏教と中央政治権力との結びつきを忌避 し、遠く奥州の会津に慧日寺(現在の恵日寺)を開山し、一生涯そこに留まった人物)の間で約五年に及び繰り広げられた「三一権実論争」での徳一の立場であ る「三乗」(仏法には、三つの異なった人間の立場に応じた教えがあると説く/片や、最澄は絶対化された理想主義的な視点を重視する「一乗」を説いた)はス ピノザの「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)=認識のみが我々を自由にする/multiculturalismの寛容」を想起させてくれます。


たしかにピエール・ベール(1647−1706)はスピノザとほぼ歴史時間を共有する部分がありますが、両者について、日本または天台宗について共鳴するものがあるかどうかも知識は持っておりません。


ただ、17世紀前半頃の日蘭関係で重要な役目を果たした「連合東インド会社(VOC)」(Vereenigde Oostindische Compagnie/1602年オランダで設立された世界初の株式会社/商業活動・条約締結権・軍事交戦権・植民地経営権などの特権を持つ)の最初の訪日使節パイク(Puyck)とファン・デン・ブルック(van den Broek)の二人が、それ以前から“日本に完全に同化してしまった”オランダ人、 メルヒオール・ファン・サントフォールト(Melchior van Santvoort)を頼ったということが『オランダ人の見た日蘭関係の四世紀』(De Tijdstroom BV 出版)に書かれています。


つまり、正式な使節が日本を訪れる以前から日本に住み着き日本文化に 詳しい(溶け込んだ)オランダ人がかなり存在したことが窺われます。彼らを初め、この頃から日蘭交流に関わったオランダ人たちは詳細な記録を残しており、 それらはオランダの多くの公文書館、博物館などに厳重に保管されており、最も重要な文書類はハーグの国立中央古文書舘に集められています。従って、既にス ピノザの時代において、広範囲の日本文化に関する高度な情報がオランダへ伝えられていたことは十分に考えられます。現代のオランダには、この辺りに詳しい 研究者が存在すると思われます。


時代は下りますが、ファン・シーボルトvan Siebold)が1830年頃にオランダへ持ち帰った収集品を基にしてライデン国立民俗学博物館が創られ、現在のライデン大学には文献学(日本語の原資料で日本の歴史・文化・社会を研究する手法)を伝統とする非常に高レベルの「日本学センター」があることは周知のとおりです。なお、これら文書・文献類の 一部はマイクロフィルム化されており、東京でも利用することが可能なようです(参照 → 日蘭学界、http://www.jni.or.jp/)。


蛇足ですが、「思想の自由」と「宗教的寛容」の思想家ピエール・ベールの『事実の価値』に魅かれていま す。この概念は、今やポストWeb2.0の時代に入り、「アンバンドリングとデューデリジェンス」(ネオリベラリズム普及のための基本的なツール概念/参 照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090207)の暴走が、その「市民社会の基盤である公共のイメージ」 を解体しつつある現代社会の再生にとって非常に重要なものとなるような気がしています。


石山みずか


『返信ありがとうございました。様々な方に問い合わせていましたが、このような対応をいただけました方は、ほとんど初めてでした。「日本の哲学」には大変詳しく書かれていると思います。


連合東インド会社の商館長、フランシス・カロンは1600年代はじめから、25年間も日本におったようです。当時、国内を自由に移動できていたので、三井寺比叡山の再建などの勧進が盛んな時代なので、天台宗の関係が知られていたのではないかと考えたのですが。カロンは後にフランスに移りフランスインド会社を起こしています。寛容論・・・から、ヴォルテール中川信訳:富山房百科文庫)では当時の日本は寛容の手本であったようです。オランダの寛容のもとは日本にあったのではないでしょうか。


時代は下りますが、カントも「永遠平和について」の中で、日本について、書いています。モーツァルトの「魔笛」は主人公がタミーノ 日本の着物を着て登場します。というようなことがありますので、知らされないようなことが大変多いように感じています。忘れていました、スピノザ時代のフェルメールレンブラントも日本の着物の人物像を描いていると聞きます。


toxandoria


“石山みずか”さま、こちらこそです。


レンブラント→春の女神フローラに扮したサスキア)とフェルメール→地理学者?)らの“着物の描写”は、おそらく19世紀半ば以降にヨーロッパで開花したジャポニスムの魁のような位置づけか?、あるいは15〜16世紀ルネサンスに対する12世紀ルネサンスかも知れませんね。それほどに日本における『オランダの窓』はヨーロッパにとって重要な役割を担ったと評価できると思われます。


近世初頭の日本における天台宗などの宗教活動がスピノザの寛容、あるいはピエール・ベールの“宗教的寛容”と“事実の価値”に良い意味での影響を与えていたとするならば、それは大変に重要な意味があると見なすべきです。おそらく、当時のオランダ(欧州)も日本も「革新←→反動」が繰り返された、まさに大動乱の時代でした。だからこそ、日本の伝統文化に潜む本物の「日本の光」が評価されたのかも知れません。


その後にヨーロッパで開花したフランス発のジャポニスムはややスノビズム的な傾向へ走り、近世〜現代における日本側からのヨーロッパ研究は「輸入超過」、つまり「片務契約的な翻訳文化」へ堕してきたようです。しかし、特にオランダでは、ライデン大学の「日本学センター」の事例に見られるとおり、約400年に及ぶ日蘭交流の事実(実績)の「窓」を介しつつ古文書等の原資料で日本の歴史・文化・社会を直接的に研究する手法での高度な研究が続けられています。


おそらく、このようなオランダ・アカデミズムの原典主義のベースには、ご指摘のフランシス・カロンあるいはメルヒオール・ファン・サントフォールトらの「歴史的・文化的・社会的な意味で日本に完全に同化したオランダ人の存在」の実績ということがあるのかも知れません。それだけに、現代においても「海外から見た日本の変調」についてはとても敏感であるようです。


例えば、今や“国家詐欺”の疑いすら持たれるようになった「小泉構造改革」(右傾化を潜ませた擬装ネオリベ構造改革/参照 →http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090207)、あるいは「安倍の美しい国」のような誤った過去の歴史への回帰傾向が見え始めたときに、逸早く、その“日本の変調”(近年における日本の宗教・文化・社会・政治を巡る研究姿勢が内向化=極右傾向化・国粋化・歴史修正主義化していることへの懸念)を冷静に指摘したのはライデン大学の日本学研究者たちであったという事実があります(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070901 及び下記◆)。


ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』(国学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/pdfman/get.php?id=30#search=%22%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%22


しかし、そのような彼らの声は、日本の関連アカデミズム関係者はおろかジャーナリズムからも無視されてしまったようです。その挙句の果てが、今の日本の混迷ということを思うと暗澹たる思いがします。


【エピローグ】Dutch Light/オランダの光