toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

法(権利保護)の歴史を軽視する酷薄な『裁判員制度』/日本国民の無辜の涙、自滅へ流れ・・・・・

toxandoria2009-05-21



<注記>この内容は、下記(◆)の問題意識の一部をクローズアップしたものです。


◆[反授権規範政治の真相] “政府御用達型”民主主義・日本の対極にあるハンガリーの飽くなき「民主化への意志」の歴史、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090516


本日(5/21〜)裁判員制度が本格開始したことを受けて、森法務大臣が“必要なのは、国民が日常で培った感覚や視点なので、肩の力を抜いて安心して参加してほしい”と記者会見で述べ、国民の協力を呼びかけたよしの“大本営発表”を彷彿とさせるニュースが報じられました(参照 → http://www3.nhk.or.jp/news/t10013116761000.html#が、何かシックリしないというのが大方の日本国民の正直な心情ではないでしょうか? そこで、大きく二つの切り口を設定して、何故に、この土壇場に至ってもこのような一種の疑念のようなものが心に浮き沈みするのかを考えてみました。その切り口から朧げながら見えてきたのは下記の二点(◆)です。


◆「権利保護の歴史」から見える、ネオリベ型“偽装裁判員制度”の日本司法への闖入(小泉構造改革の偽善的本性ゆえ!)・・・因みに、この「権利保護の歴史」の存在すら日本では殆ど意識されていない。


◆日本における「人権」ならびに「憲法の授権規範性」意識の不在または希薄さ(司法についての独・仏vs日本の対比から見えたこと)・・・ハンガリーを初めとする拡大EU加盟諸国(EU15+EU10)の視野でも、明らかに、持続的な「民主化(権利保護)への意志」が重要であることが理解されているのに・・・。


(エピローグ/“状態原理の強化現象”としてのハンガリー映画の復活)


・・・1956年の「ハンガリー動乱ハンガリーでは“1956年革命”と呼ぶ)とは、ソ連支配に対する全国規模の民衆蜂起をさす。これはソ連軍の二度に及ぶ出動で鎮圧された。この動乱で数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が難民となり国外へ逃亡した。オーストリアが、この内の約20万人を受け入れた。


・・・この動乱の意義については、立場によって様々な見解があり、民衆蜂起前後の経緯の見極めも、なかなか困難なところがある。しかし、近年になりハンガリー国民自身が冷静かつ客観的にこの事件を凝視する機運が生まれており、例えば、下記(◆)のような映画が製作・公開されるようになった。これも、見方次第ではあるが、ハンガリー伝統の“状態原理の強化現象”の一環と見なすことができる。


ブダペスト市街戦1956―ソビエト軍侵攻―(制作2007)/公式HP、http://www.anaputcaifiuk.hu/


◆君の涙ドナウに流れ―ハンガリー1956―(制作2006)/関連HP、http://d.hatena.ne.jp/madogiwa2/20071120・・・画像はhttp://blog.goo.ne.jp/du-rhum/e/c01212d9c4520e1ef2428cfff4b692b3より


●この「ベルリンの壁崩壊」までの過程で特筆すべきことは、ハンガリー民主化へ向けた国内改革への取り組みが他の中東欧諸国の先頭を走ったということである。先ず、1985年に「ソ連型の形式選挙」が廃止され、民主・改革派と保守派のいずれかを選ぶ選挙体制となった。更に、1988年には、民主・改革派を支える「社会主義労働者党」(旧ハンガリー共産党一党独裁体制を放棄する決定を行い、1989年には「ハンガリー民共和国」から「ハンガリー共和国」へと国名変更を行った(これも一種の“無血革命”)。そのうえ、非共産主義勢力の政治活動の自由も許すことにしたため、ハンガリーでは他の中東欧州諸国に先駆ける形で民主化勢力の動きが活発となった。そのプロセスで「民主フォーラム」など更なる民主化への流れが生まれ、「社会主義労働者党」(改革派)は、マルクス主義を放棄して「社会党」となった。


■欧州法制史(=権利保護の歴史)から見えるネオリベ型“裁判員制度”の闖入


一般的に動物の世界では見られぬことという意味で「法の発展史」は紛れもなく高度な文明現象の一つです。例えば、現代における「新しい人権」の一つとされる「環境権」(参照/『環境権とは?』、http://eco.goo.ne.jp/word/ecoword/E00328.htmlは、その典型的な意味での事例になると思われます。つまり、「法の発展史」という観点からすれば、我われ人類の「権利」(権利保護)のコンセプト(概念)は、多様な人間社会の変化・発展に伴いながら様々な意味で“状態原理の強化現象”的な再検証暗黙知と動的・選択的客観統合の絶えざる学習=新たな公共意識の獲得と共有 /参照→http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090516を繰り返しつつ「基本的人権」を創発・発見してきたと見なすことができるのです。


陪審裁判所と陪審員制の起こりも共和制ローマの時代まで遡り、この時代には最高権威を誇る「元老院決定」(senatus consultum)に対する拒否権(intercessio)を持つ「護民官(tribuni prebis)の制度が機能していました。更に、その起こりを「探ると王政古代ローマ(建国伝承BC753〜BC27)時代の「貴族・豪族vs平民」の闘争史まで遡ります(以上、市民保護官、査察官、護民官の記述にかかわる出典:クヌート.W.ネル著、村上純一訳『ヨーロッパ法史入門』(東大出版会))


従って、欧州における啓蒙主義が明確な画期であったとしても、突然、そこから“現代的意味の人権保護の観念”が出現した訳ではありません。しかも、近世以前の様々な国制下で全く「人権保護の観念」が存在しなかった訳でもなく、ギリシア・ローマ古典古代〜中世〜近世の非常にロング・スパンな人類文明史に跨る法制史上の意味は別の所にあります。つまり、その長い歴史時代には紛れもなく「身分制」と「市民保護の意識」が並存し“誰もそれを不自然とは思わなかった”という現実があったということです。


故に、宗教的ないし哲学的なトマス・モア(Thomas More/1478-1535/イギリス・ルネッサンス期の法律家・思想家)スピノザSpinoza/1632-1677/オランダの哲学者・神学者らの寛容(tolerance)が存在したとしても、それが「身分平等の概念」と直結していた訳ではありません。しかし、そこに芽生えたばかりの「身分平等の概念」は、近代啓蒙主義の時代から現代へと向かう歴史のプロセスで、次第に「国民主権」と「政治権力に対する授権規範」の理解が深まる方向へ向かってソフスティケイトされ、純度が高まってきた訳です。


ところで、歴史的観点から、わが国の「裁判員制度」にスポットを当てるため、『“ローマ法の継授”の二つの流れプラス・ワン英米のコモンロー)』を概観すると凡そ以下のように纏めることができます。因みに、このような観点から司法のあり方を概観することは非常に重要なことです。なぜなら、我々自身の自覚の有無を問わず、ある意味で現代社会もローマ法の掌の上で生かされていることは明らかな事実だからです。


短く言うなら、それはA[大陸法(北イタリアなどのコムーネ(市民自治)の伝統との融合→啓蒙思想→近代市民社会の形成)]、B「係争処理技術としての詭弁を駆使する卑俗法」、C「英米流コモンロー」の三つの流れです。元来、ローマ法は極めて現実的な性格のものですが、Aの流れの中で洗練され、理念型憲法による権力への授権の意義(権力暴走への監視)が理解されるようになり近現代の市民・民主主義社会が成立します。Cも英米流の民主主義社会のベースを提供しましたが、より自由主義的であるため、リバタリアニズム(自由原理主義、あるいはランディアン・カルト(アインランドの客観哲学=超利己主義哲学)のような一種のエポケー(epokhe/無責任な思考停止状態 or 超シミュレーション型思考)ヘ向かう傾向があります。


A型=大陸法の流れ
・・・正義・信義・信用の重視(狭義のローマ市民法の伝統) → 12世紀ルネサンス(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全から再発見/ボローニア大学) → 市民自治都市法(ユス・コムーネとの融合(北イタリア経由) → オランダ典雅学派 → ドイツ法・フランス法 →啓蒙思想(理念型民主主義の熟成) →近代市民社会の発達を支援(=理念型憲法の授権規範的意義を重視)


B型=卑俗法の流れビザンツ=バルカン型)
・・・網羅的現実の中から、とにかく一つの結果を効率的に選択する技術としての法、言い換えれば決議論的性格(カイズイスティッシュ/Caisuistish)の重視 → 卑俗法(Vulgarrecht/詭弁の道具)化したローマ法(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全) → ビザンツからバルカン諸国へ伝播


C型プラス・ワン=英米法におけるコモンロー・衡平法の流れ ≒ 現代の米国でB型の流れへ接近(コモンロー伝統のリバタリアニズム化、強欲で成果主義的な “契約の束化&超訴訟”社会の出現)
・・・「イングランド国王裁判所vs大法官 (Lord Chancellor) の個別救済」による大陸法との均衡 → 後者の判例集積がコモンロー化 → 英米実定法の形成(←間接的ローマ法の影響) → 個別網羅的・決議論的(カイズイスティッシュ/Caisuistish)なコモンローの成立 → 英米市民社会の成熟 → 米国法(Ex.契約最重視の詭弁型・シミュレーション思考型の“衡平法(Equity)”)の成立 → 理想・理念型民主主義よりも現実的な“契約の束”と効率を最優先する米国型資本主義社会(超利己的なネオリベ詭弁型社会)の成熟 → Caisuistish(強欲資本の論理)に堕し[資本主義社会の信用]が溶解 → 人類未経験の極めて深刻な米国発グローバル金融危機の発生 → オバマのチェンジが成るか?(米国社会の原理をA型へChange! or オバマが立ち往生?)


さて、いよいよ今月からスタートする「裁判員制度」について、漸くここに至り様々な角度から、その余りにも酷すぎる欠陥憲法違反の疑義=その反授権規範性、倒錯した主権意識によるお上のごり押し、量刑判断にかかわる責任転嫁の疑いetc)が指摘されつつあります(下記▲、参照)。また、特にメディアで、しばしば取り上げられるのは「裁判員の重罰が付いた厳しい守秘義務」と「公判前整理手続きの非公開」の問題です。が、ことはそれだけではなく、より根本的な日本の<裁判制度>全体と<国民の権利保護>という根本的な原理レベルに深刻な欠陥が隠れています。


▲「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」(裁判員制度を問い直す議員連盟/保坂展人のどこどこ日記より)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb


しかも、この問題の発端は、やはり現行の「日本国憲法」への違反を承知の上で、ブッシュ流・ネオリベの圧力(年次・対日改革要望書ら)に基づき「A型に近い日本の刑事裁判」を市場原理主義時代の「小さな政府」に相応しくなるよう「詭弁型・決議論型・成果主義(=C型)の刑事裁判」へ“急ぎ衣替えして、「超シミュレーション型のビジネス的な観点」から<日本司法の効率化>を図ろう”とした<小泉ネオリベ構造改革>の一環であったと見なすべきです。例えば、わずか3〜5日程度で決着することを狙う効率的判決の実現を目指し、しかも死刑も含む重罪について量刑判断が求められることもある日本の裁判員制度は、後述するフランスあるいはドイツの「人権に十分配慮した参審制度の運用実態」と比較するならば、いかにそれが異様なほど乱暴で「超シミュレーション型のビジネス的観点」に立つものであるか、また、いかにそれが甚だしく人権を無視する裁判制度であるかが理解できるはずです。


従って、「裁判員制度」の領域に限らず、急拵えでドタバタとなった余りにもお粗末な法科大学院の問題など、日本の司法・法曹界全体がこの<国策としてのC型司法への転換戦略>のターゲットに入っているはずです。いずれにせよ、大久保太郎・元裁判官も指摘するとおり、この「裁判員制度」が『裁判官の任命方法』憲法80条1項)などでも憲法違反の疑いがあることは間違いないと思われます(下記▼、参照)


新自由主義的「司法改革(法科大学院裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2/toxandoriaの日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207


裁判員制度違憲の疑い」…大久保、池内が吠える!、http://www.zakzak.co.jp/gei/200905/g2009050126_all.html


■フランスの予審制度および1960年代・ドイツ司法改革と照らし、人権保護上の欠陥が目立つ裁判員制度


欧州における権利保護の歴史のエポックとして見逃せないのは、やはり「フランス革命」と「ナチス・ドイツ国家社会主義ドイツ労働者党による一党独裁への反省」の第二次大戦後における両国への大きな影響ということです。この二つのエポックと、それぞれ結びつく形でできた「フランス予審制度」と「1960年代・ドイツ司法改革」のポイントを纏めると以下のとおりです。


(フランスにおける予審制度と重罪院・陪審の要点)


フランス法(司法・裁判制度)の特色を短く言うなら、それは「人権国民主権保護への配慮」からきめ細かく非常に複雑な制度となっていることです。ここでは、その一端を垣間見るという意味で、「重罪裁判の予審」について要点を見ておきます。この二段階に及ぶ予審は、手数がかかり過ぎのように見えるが、事件内容(事実)の確認に客観性・中立性を凡ゆる角度から保証するという、国民主権保護への強烈な意志の存在が窺われます。


なお、目下、サルコジ大統領がこの予審制度を廃止する意向を表明したため活発な議論が行われているようです。しかし、政治権力や検察(官僚組織)から独立した客観性・中立性を確保しつつ「十分な人権保護」を配慮する優れた制度とされる「予審の役割」(訴追された事件についての証拠を収集し、その事件の重さを冷静かつ客観的に審判する手続き)は、フランス革命いらいの『フランスの民主主義の根幹』に繋がる伝統だけに、サルコジ大統領の“ネオリベ嗜好型”の司法効率化(=司法に必須の固着型論理をビジネス・市場型シミュレーション論理へ置き換えようとする政治的意志)の思惑どおりに運ぶかどうかは疑問です。


フランス革命いらい、犯罪は違警罪(contravention)、軽罪(de’lit)、重罪(crime)の三範疇に分けられ、それに呼応して管轄裁判機関も違警罪裁判所、軽罪裁判所、重罪院の三つが存在する。


●重罪院では陪審裁判が行われるが、その前提として「二重の予審」が前提されており、「第一段階の予審」は予審判事が担当し、そこで重罪が嫌疑された事件については「控訴院弾劾部」で更に「第二段階の予審」が行われる。この二重の予審プロセスを経ても、なお重罪の嫌疑ありとされた事件だけが重罪院で審理される。


●予審判事は裁判官の中から選任されるが、予審を任務とする裁判官は、自分が予審判事の資格で取り調べた刑事事件の判決に関与できない。予審判事による予審の実質は被疑者の取り調べであるが、被疑者の尋問に際しては弁護人の立会が必要である。また、検事正も尋問への立会が認められている。


●予審の結果、事実が重罪を構成すると判断されたときには、控訴院弾劾部で「第二段階の予審」手続きが取られるが、弾劾部における予審の特徴は非公開、書面主義、非対審(当事者を直接尋問しないこと)である。


●弾劾部における予審の結果、事実がいずれの犯罪も構成しないと判断されたときは、免訴が言い渡される。また、第一段階の予審と同様に事実が軽罪または違軽罪を構成するときは、事件をそれぞれ管轄裁判所へ移送することが言い渡される。重罪を構成すると判断したときは、重罪院での公判に付することが言い渡される。


●以上の二段階の予審を経て「重罪の嫌疑ありとされた事件」は、重罪院で「陪審制による公開の裁判」を受けることになり、この段階から裁判を受ける者の呼称が「被疑者」から「被告人」に変わる。この段階の裁判の特徴は「第二段階の予審」と対立的であり、それは口頭主義・公開主義・対審主義ということである。


●重罪院の陪審は、事件ごとに9名の陪審員で構成されるが、その選任方法はかなり複雑な仕組みとなっている。大筋の流れは、毎年、各重罪院の管轄区域ごとに「重罪陪審名簿」が作成されることから始まり、それに基づき各コミューン(フランスの各自治体)で「年度予備名簿」が作られ、更に、それに基づいて「年度名簿作成委員会」が「年度名簿」を作り、更に公開の法廷で抽選が行われ「開廷期名簿」が作られる。ともかくも、この9名の陪審に選ばれた市民は『フランスにおける人民主権の現れ』であるとされている(以上●で纏めた部分の出典:立命館大学教授・中村義孝『フランスの重罪裁判における陪審制』、http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/95-56/nakamura.htm))


(ドイツの裁判制度の現況/1960年代・司法改革の成果としての・・・)


●ドイツと日本の司法の根本的違いは、「立法と行政に対するチェック機能をドイツの司法が十分に果たしている」という点にある。例えば、ドイツでは日本とは比較にならぬほど多くの違憲判決が出ており、その背景にはドイツ連邦憲法裁判所が年間で約5千件(平均)違憲判断裁判を処理しているという実績がある。


●これに対して、日本の最高裁判所(司法官僚組織のトップ構造部分)違憲判断のケースを極力避けるという方針を基本としているため、ドイツに比べ違憲判断裁判の件数が極端に少ない。(というか、それは殆ど無いに等しい!)それどころか、国民一般の意識の中には、「違憲判断」に対する一種の鈍感さのような空気が定着してしまっている。


●また、ドイツと日本では、このような言わば“司法文化”の基盤を支える法学教育についての考え方が大きく違っている。ドイツでは充実した内容の法学教育が高校で行われており、中学でも法廷見学等が積極的に行われている。裁判官も、これらの子供たちへの法学教育に関心を向けており、裁判官によるボランティア授業も行われている。


●ドイツの参審制(国民の義務であり名誉でもある“名誉職裁判官制度”)では、その参審員(名誉職裁判官)は市民の諸階層労働団体経営者団体・教育関連団体など)からの推薦で登録名簿が作られ、その中から選任される。ドイツの“名誉職裁判官制度”は刑事裁判だけでなく、社会保険・医療分野などを管掌する社会裁判所が取り扱う裁判でも行われており、この場合の参審員は専門知識分野での経験が重視される“専門裁判員”の役割を負うこととなり、一般国民の司法参加の意義とは少し異なるものとなる。


●ともかくも、このような部分を垣間見ただけでも、フランスの司法・裁判制度とは異なる形で、ドイツの司法・裁判のあり方の根本にも“ドイツの司法は凡ゆる側面で市民の人権と結びつくべきだ”という「持続的に民主主義を保全する強い意志」が存在していることが分かる。一方、日本の司法には、凡ゆる側面で“市民の人権と切れた”、あるいは“それを切れさせようとする”「司法官僚組織至上主義の原則」による、政治権力にとって最も使い勝手が良い「上位下達型の司法のあり方を押し付けるという強い意志が存在している」ことが分かる。


●一方、現代ドイツの「司法・裁判制度」が、このような形で「持続的に民主主義を保全する強い意志」を持つことになったプロセスには、「1960年代におけるドイツ司法改革」が画期的な役割を果たしており、第二次世界大戦後のドイツで、まだ司法分野にナチス協力者が残存していることへの危機感(=ナチス時代に“自分は何もしなかった”と主張する、民主主義の保全について消極的な裁判官の排除と、凡ゆる形で司法民主化を状況原理的で持続的に改善することの必要性についてのドイツ国民の自覚)がその直接的な契機となった。


●まずドイツが着手した司法改革は「司法と市民の垣根を取り払う」ことであり、その具体策として「裁判所建造物の内部・内装構造の手直し=裁判長席を頂点とする雛壇型構造を廃してフラットにし、傍聴席との間にある柵を廃止した」ということである。それだけでなく、ドイツの裁判所は、鉄道駅・スーパーマーケット・商店街など、つまり、できる限り市民生活の日常の近くに隣接するという配慮が施された。一方、日本の裁判所は、この“裁判員制度の時代に入った”(2009.5.21〜)と喧伝するにもかかわらず、相変わらず裁判長・裁判官が序列上の高い場所に座っており、そのヒエラルキーの最上段には最高裁判所法務省(法務官僚)がデンと居座っている。


●また、現代ドイツの裁判官は、“裁判という典型的な動的・選択的統合dynamo-objective coupling/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090516のトポスで漸く確保でき得る新たな真実・真理・事実(=民主主義の未知の地平という意味で、新たに発見される公共についての知見)保全と維持に自らの地位と才能を全力投入すべきいう意味でこそ、彼らは“公務員中の公務員であること”を自覚している”と言える。


●実は、日本の1960年代における司法でもドイツに似た状況が生まれるかに見えたが、最高裁判所による青年法律家協会所属の裁判官の再任拒否などが切欠となり状況が変わった。つまり、それ以降の日本はドイツと全く反対の道を歩んでしまった。それどころか、ドイツはシュレーダー前首相のような学生運動の委員長であったような逸材を「新たなドイツ社会の建設」のためにドイツに包摂する道を選択した。そして、おおよそ、この頃のドイツでは「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という、あの余りにも名高いリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizs醇Bcker/1920− /参照 → http://www.bea.hi-ho.ne.jp/good-luck/book/kakoni.htmlの演説が評価されていた(現在も、評価されている!)


●このような意味で、日本とドイツに違いをもたらした原因を大きく括るならば、それは「憲法の役割」(政治権力に対する授権規範性の問題)についての認識の違いということがある。すでに触れたとおり、日本国憲法の定めにより最高裁判所には違憲立法審査権が与えられているが、残念ながら、現代の日本では、その機能が全く形骸化しており、そのことについての国民一般の危機感もまことに希薄である。


●一方、「ドイツ基本法・第20条3項」(参照 → Grundgesetz feur die Bundesrepublik Deutschland、http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/には『行政権と裁判権は制定法(Gesets)とRecht(人権・正義)に服する』と規定されており、政治権力と官僚機構から全く独立した立場にあるドイツの司法・裁判所・裁判官は、この立場で市民の権利の保護のため自由に仕事をしており、しかも、このような現実(事実)についての理解がドイツ社会(=全ドイツ国民)の共通認識となっている。ここでは、内閣官房法務省最高裁判所財務省総務省等、霞が関を頂点とする堅牢な官僚機構の重い蓋を被る日本社会における裁判官の立場(それは官僚組織の中での持ち駒の一つに過ぎず、出世・昇進・転勤など身分処遇上への懸念から絶えず最高裁判所の顔色を窺わざるをえない立場)と、ドイツの裁判官の立ち位置との決定的な違いが明瞭に確認される。


●更に敷衍するなら、1960年代以降の日本は、ドイツを初めとする欧州諸国と全く逆の方向を歩んでしまったことが、上で見た<ドイツと日本の司法のあり方にみられるような典型的な民主主義の質の違い>をもたらした。具体的にいえば、それは民主主義の偽装化、政治の右傾化、司法の反動化、司法・検察官僚を頂点とする官僚組織の強化、教育管理の強化ということであり、そして、これらの悪しき動向を後押ししたのが、記者クラブ制度などで飼いならされ御用機関化したメディア一般の堕落と退廃ということである。


(注記)


以上のドイツ司法・裁判制度の現状について、下記を資料として参照した。


▼1960年代ドイツの司法改革の行方、http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v6/tokusyu2/03c.html


▼日本法哲学会公開シンポジウム:司法改革の理念的基礎、http://wwwsoc.nii.ac.jp/jalp/j/JudiciaryReform.pdf


▼各国の参審制度、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/saibanin/dai13/13siryou2-2.pdf


▼日本とドイツにおける違憲審査制度の比較、http://www.cit.nihon-u.ac.jp/kenkyu/kouennkai/41kai/step4/8_kyouyou/8-003.pdf


(エピローグ)


●司法・検察官僚を頂点とする官僚組織のトップに立つ漆間官房副長官(=この“裁判員制度”推進プロジェクトの内閣における事実上のトップでもある)が息のかかった関係記者クラブ・メンバーへ“今回の捜査は自民党へは及ばぬ”と発言した問題が「小沢・西松建設政治資金事件の紛れもない裏シナリオ」であった可能性について、このような日本民主主義の劣化の流れと照らして再検討されるべきかも知れない。なぜなら、あの“余りにも不可解な漆間発言”が、実は新たなドナウならぬ、新たな民主化への流れの中から、その流れを推す“一本の厄介な太い骨を抜く作業”であったと思われるからである。


Smile - Chaplin by Nat King Cole