toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

裁判員制度、記者クラブ制度、麻生・国営漫画喫茶/三つの癒着事例に見る、“暴政”日本のおぞましき潜在光景

toxandoria2009-06-01



<注記1>


・・・当記事の内容は、下記▼(既UP)の一部を“派生的にクローズアップ”したものです。


違憲・御用型「裁判員制度」をゴリ押す“非民主化パンデミック政治”の悪辣な潜在光景、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090508


・・・・・・・・・


【画像1】聖イシュトヴァーン(ハンガリー王国)王冠とハンガリー国会議事堂





・・・ハンガリー王国は、1001年(聖イシュトヴァーン1世/位:997 - 1038)から1918年まで、今のハンガリー共和国あたりを中心に存在した王国です。この王冠に付随する宝珠・笏・マントは、12世紀以降のハンガリー王が正統な王権の象徴として代々引き継いできたものです(一枚目、二枚目の画像はウイキメディアより)


・・・1989年に共産党一党独裁を放棄共産党の改革派が主導権を掌握したため)したハンガリーは、平和的に体制転換(独裁化したマルクス主義の放棄)を実現して「ハンガリー共和国」が誕生し一層の民主化が進み、同年5月にはオーストリアとの国境にある「鉄のカーテン」を撤去しました(これらの経緯を含むハンガーリー史の概要については下記◆を参照乞う)


◆ドナウ・ベントにある“南欧の飛び地(センテンドレ)”に見る「グローバリズム」の光と影、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090412


◆ドナウ・ベントからの連想/「偽装捜査 or 捜査ミス」で歪曲され退行する日本の民主主義、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090401


◆2009年春/ドナウの真珠、ハンガリーブダペストの印象(1/2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090505


・・・ソ連の傀儡という意味でゾンビ化した「共産党一党独裁」を平和裏に乗り越えたハンガリーは、その長く誇り高いマジャール人の歴史の象徴として、この聖イシュトヴァーン1世の王冠を国会議事堂内に厳重に封印・保管しています。この見事なまでのマジャール人の聖なる伝統の巧みな象徴化からは、今も偽装右翼なる亡霊が政権中枢で跋扈する日本が学ぶべき点は多いように思われます。


・・・なお、「三、四枚目の“国会議事堂”夜景」のほかにもブダペストのライトアップ風景(総計34枚)が下のギャラリー■にありますので、スライド・ショーで大型画像をご覧ください。


Picasaギャラリー:ブダペストの夜景(ハンガリー)、2009/春、http://picasaweb.google.com/toxandoria/200904#


・・・・・以下、本論・・・・・


ここで言う“おぞましき潜在光景”とは、過半の善良な日本国民がソレと気づかぬよう、さりげなく狡猾に国民の不利益となる悪徳に満ちた政治・行政が進められているということ(=例えば、司法への国民参加を名目に、それとなく裁判員を官僚組織の末端へ位置づける(=下賜する)ことで国民の主権を侵しつつ、巧みに量刑判断の責任の一部を国民へ押しつること)などを意味します。つまり、これは“王国”ならぬ“偽装民主国家”日本の「正統を騙る偽装民主主義の正体」が露呈・露出したことに他なりません。


そのような悪政を国民へ押し付ける原動力となっているのが、かつて『小泉=竹中劇場』王国がホラ貝を吹きまくったものの米国発「金融パニック」の勃発で早くも時代遅れとなってしまった「トリクルダウンネオリベラリズム/新自由主義妄想」と麻生マンガ政権を支える「偽装極右勢力」(=日本の “皇国史観”を誇り高い象徴の下に封印することなく、むしろ、それを偽装民主化で蘇生させんとする野望に疼き悶える一派)との癒着・結託・談合です。


つまり、今まで政権から十分過ぎるほどの恩恵を受けつつネットリと濃密な甘い汁を吸い続けてきた仲間内(政・官・財・暴・マスゴミ&御用学者の癒着コングロマリットの権益を死守するため、今度は狡猾にも御用法曹と御用メディアが結託して一般国民の鼻先へ向けて、国民にとり極めて危険な暴政をもたらす“非民主型悪性ウイルス(感染源)”の飛沫を意図的に散布しているということです。


(関連参考情報)


「西川更迭」を阻む人々が描く「再・郵政政局」を歓迎する(保坂展人のどこどこ日記)・・・旧経営陣が一掃されれば、新経営陣によって、過去の悪事が明らかになるため小泉元首相らが“西川を更迭したら、小泉チルドレンら再議決で造反するぞ!”という対官邸圧力をブチ噛ましたらしい?、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/f272c6beb82fc6462a1b1e9688efbc0c


日本郵政・西川社長の進退問題で・・・)暗躍する中心人物 小泉純一郎の恥部(ゲンダイネット)、http://gendai.net/?m=view&c=010&no=22273


感染症WBCで負け続ける(ウイルス・パフォーマンス国家)日本(木村盛世厚生労働省医系技官)オフィシャルWebサイト)、http://www.kimuramoriyo.com/


(癒着事例1=裁判員制度


裁判員制度の根本的な問題(巨大な官僚組織(政官癒着構造)の末端に国民の司法参加を丸裸のまま嵌め込んだという意味での、その“違憲性と人権無視”の正体)については、下▲で既に記事をUP済みですので、こちらをご参照ください。また、元々はアメリカ合衆国の手続きに由来する“「違法証拠の排除法則」という刑訴法上のダブルバインド”がもたらす「もう一つの裁判員制度の根本問題」については、別途に記事を書く予定です。


▲法(権利保護)の歴史を軽視する酷薄な『裁判員制度』/日本国民の無辜の涙、自滅へ流れ・・・・・、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090521


チェコプラハの春』が透視する非民主的な『裁判員制度』の正体、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090523


が、誤解が生まれるであろうことを承知のうえで結論めいたことだけに少し触れておきます。それは、今回スタートしたばかりの「日本型参審員制度=日本独自の裁判員制度」よりも、西欧型との距離(司法環境レベルの差)が余りにも大きすぎるので、やるならば「量刑判断を除いたアメリカ型の陪審員制度」のほうが余程マシだということです。この「日本独自の裁判員制度」は、お体裁よくコトの核心(真相=人権の根本を無視する非民主的な司法制度)を偽装しつつ初心(ウブ)で善良な日本国民を<政府(政官癒着構造)の好都合な道具>に仕立て上げたことに過ぎぬという意味で大噴飯ものだということです。


(癒着事例2=記者クラブ制度)


そして、今や、その役割を嬉々として率先して担うのが<政・官(法曹)・財・暴・マスゴミ&御用学者>との“利益共同体”コングロマリットの維持を過剰に自覚せざるを得ない(経営上、および自己利益の立場から・・・)マスゴミ化・低俗化・卑俗化したマスメディア(特に民放テレビの劣化は目も当てられぬ惨状!)であり、その典型こそが由々しき「記者クラブの問題」です。


世界に類例を見ない「日本の記者クラブ制度」の本質を抉るならば、それは悪徳政治権力と結託し国民主権を無視した「“官製”癒着談合ジャーナリズム」以外の何物でもないということです。このままでは、必ずや、この腐敗した権力談合のコングロマリットが日本の“民主主義モドキ”の基盤市民社会を確実に崩壊させることになるでしょう。従って、その傾向に歯止めをかけるため、一刻も早く、欧米に先進事例がある「プレス・カウンシル(報道評議会)」によるジャーナリズムのチェック&評価システムを本気で導入すべきです。


因みに、この悪名高い「日本の記者クラブ制度」は、あの「イラク戦争突入」時に「ブッシュ政権による誤った機密情報の秘匿」へ加担した疑いがあるN.Y.Times紙からさえ厳しく非難されています。従って、それは目クソが鼻クソを笑うような構図ですが、このN.Y.Times紙は“小沢前民主党代表の公設秘書が逮捕された件について、検察の政治的意図と検察ベッタリの大手メディアの提灯報道を批判”しています(参照、下記●)


ニューヨーク・タイムズ、検察に媚びる日本の新聞を切る(金融そして時々山)、http://kitanotabibito.blog.ocn.ne.jp/kinyuu/2009/05/post_27ef.html


●Memo From Tokyo/In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening、http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html?_r=1&scp=1&sq=ozawa%20&st=cse


しかし、“不況下で報道機関が大幅に収益を減らす中でジャーナリズムが抱える本質的な問題を議論した”はずの朝日新聞・労組主催「言論の自由を考える5・3集会」(2009.5.3)でも、この記者クラブの問題は一切とり上げていません(参照、下記◆)。これではメディア自身の中から自浄作用と真の危機意識が芽生えることを期待するのは、もはや無理のようです。


◆メディアの課題議論/尼崎で朝日新聞労組「5.3集会」、http://www.asahi.com/national/update/0503/OSK200905030048.html


また、この朝日新聞がN.Y.Times紙の“日本メディアは検察発表の鸚鵡(おうむ)返し報道だ”との指摘に対して、下(原文)のようにムカッ腹を立てて反論してきたことが同紙の記事の中で紹介されています。そして、このような朝日新聞の見苦しい姿にこそ日本ジャーナリズムの本性が如実に現れており、日本の主要メディアの堕落・凋落ぶり、あるいは政治権力との癒着ぶり(対政治権力『番犬化度』)は米国メディアのそれよりひどく亢進し、かつ重篤化していることが分かります。


“The Asahi Shimbun has never run an article based solely on a leak from prosecutors,” the newspaper, one of Japan’s biggest dailies, said in a written reply to questions from The New York Times.


(関連参考情報)


検察と記者クラブの誤謬、http://d.hatena.ne.jp/butch1960/20090327/1238121986


人権・報道・インターネット、http://homepage1.nifty.com/nik/


西松事件、パーティー券は不起訴=自民二階派の830万円−東京地検http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2009060100678


(癒着事例3=国営漫画喫茶)


<注記2>


国営漫画喫茶・・・ここで言う “国営漫画喫茶”(通称)とは、成立したばかりの2009年度補正予算に、その柱として盛り込まれた「国立メディア芸術総合センター」(総事業予算117億円)のことですが、詳しくは下記◆を参照乞う。


文化庁メディア芸術祭ブログ、http://media-arts.cocolog-nifty.com/festival2008/2009/05/post-0cf0.html


この「文化庁メディア芸術祭ブログ」から“まとめ”の部分を転載すると以下◎のとおりです。


・・・・・転載はじまり・・・・・


◎まとめ・・・・・報告書は次の文章で締めくくられています。


『 我が国は、マンガ、アニメ、ゲーム等、欧米中心の芸術観ではとらえ切れなかった分野の作品を「メディア芸術」と宣言した。この「メディア芸術」という我が国発の“芸術の概念”を世界に発信し、浸透させていくことで、“我が国が、新たな芸術の歴史”を作っていくことができる。


また、メディア芸術は、食、ファッション、デザイン等と並び、我が国特有のブランド価値を有するものであり、これを世界に向けて戦略的に発信することで、我が国の国際的な存在感の向上につなげることができる。


我々は、このたび、そのための拠点の整備の在り方について提言した。単に施設を作るのではない。歴史を作るのである。新たな芸術の歴史を作る、この途方もなく大きな挑戦を成功させるための戦略拠点の整備について、国民の皆様の御理解と御協力をお願いしたい。 』


・・・・・転載おわり・・・・・


【画像2】総額117億円「麻生“国立漫画喫茶”(メディア芸術総合センター)」のCMに最適?


わが日本は世界に向かって堂々たる“メディア芸術宣言“(=国際まんが喫茶宣言?)を発したそうです。にもかかわらず、そのメディア芸術なるものの“概念”が、このお粗末な官製作文ではよく分かりません。しかし、それが麻生マンガ総理の“矛盾・混濁”し際限なくブレまくる脳内表象の混迷度ゆえであることは間違いなさそうです。そして、こんな怪しげな“紛(まが)いモノ&ゲテモノ展示館”建設のため“なけなしの巨額国家予算”117億円が浪費され、数多の天下りの椅子が増設されるだけかと思えば“心凍る思い”が込み上げてきます。日本人の将来不安の発信源となっている肝心の雇用・年金・医療・福祉問題等についての政治責任上の課題はどうなったのでしょうか? 冷酷にも、政府(厚生労働省)は、一層の不安を煽るかのように次々と怪しげなシミュレーションを発表して一般国民を恫喝することばかりに血道を上げています(参照 →http://profile.allabout.co.jp/ask/column_detail.php/52471


“我が国が、新たなサブカルチャー芸術の歴史”を作っていくことができる、という件(くだり)もよく分かりません。なぜなら、わが国には、1990年代以降に進められてきた「大学改革路線」(設置基準の大綱化による教養課程の解体)によって、日本の指導層らが半ば強制的に“役立たずの一般教養”を捨てさせられ、「公共」(公徳、社会倫理)意識を高めるよりも直ぐカネになる「私益」優先の社会を構築するよう巧みに誘導されてきたという現実があるからです。そして、このような意味で先進民主主義国家にあるまじき程まで教養・文化を放棄した国が、世界に通用する “未来型の斬新な芸術史”を他国に先駆けて創造・発信することなど到底考えられないことです。


因みに、近年は日本へ海外から里帰りした日本美術展が盛んですが、これらの膨大な江戸・明治期を中心とする展示を鑑賞するたびに思い知らされるのが、何故にこれほど貴重な日本の文化遺産が海外へ易々と流出してしまったのかと、いうことです。その幕末から明治期における日本美術品の海外への移出に拍車をかけたのが「日本=欧米」間の<貨幣価値為替相場の落差と、日本美術品の価格(評価価値)にかかわる相対的読み違い>ということです。


当時、来日した欧米人らが今から見ればタダ同然で日本美術品を買い漁れたのはこの事情によるものであり、その時、競ってわれ先に美術品を彼らに売り捌き投げ売りしたのは他ならぬ当の日本人自身です。また、幕末〜明治期の日本政府には“日本美術と日本文化を冷静かつ理念的に“より奥深くから、あるいは美学的遠謀の高みから思慮する”余裕と能力を欠いていた”(=従って、それはある意味で文化・教養戦略が全く不在に等しい“現代日本における麻生首相の如きマンガ脳状態”であった)という悲しむべき現実があったことを忘れるべきではありません。岡倉天心のように、その悲劇的現実に気づく日本人も少なからず存在しましたが、残念ながら彼らは政治権力の敵ではなかったようです。


従って、たとえ“断片的でトリビアな知識を次々と思いつきで吹きまくる”マンガ脳であっても、それが一国の宰相のモノであれば官司(つかさつかさ)が傅(かしず)くことになるのは当然であり、そこで“殿ご乱心!”の忠言があり得ないのも残念ながら世の常と見なすべきでしょう。だからこそ、仮に文化庁が言う“メディア芸術宣言“なるものの意義を受け入れるとしても、このように中身をろくスッポ考えず、麻生マンガ脳・首相の鶴の一声(というより“教養・文化”不在の野獣の雄叫び?)でムリヤリこじつけさせられた上で、取り巻きのイエスマンらが<117億円もの膨大な予算の無駄遣い構想>を拙速で作文するのは余りにも危険です。というよりも、それは主権者たる一般国民を上から見下した、不届きで、余りにも侮辱的でゴーマンで奢り高ぶった「お上意識の暴走」に他なりません。


日本型サブカルチャーの各境界フィールドとの関わり方と波及効果、その文化・教育効果等についての学問的で厳密な研究・分析・評価など、麻生“国立漫画喫茶施設”建設・着工の前に、より具体的に肌理細かく慎重に解明すべき課題が余りにも多すぎます。従って、ゼネコン&コンサルヘの“伝統的丸投げ方式”に過ぎない今の未熟な構想のままでは、それはまさに国民不在・国家戦略不在の悪徳政治・悪徳行政の極みに他ならず、それが内外のあざといハイエナ・コンサルおよび海千山千の関連業界、あるいは「政官財癒着連合」など面妖なゴロツキたちの餌食(=一過性の特需と持続的な天下り関連人権費の積増し、そして中身は軽薄で陳腐な二束三文のガラクタとゴミのヤマ)と化すのは必定で、それでは余りにも愚かしいことです。


(関連参考情報)


豚インフルエンザの中心で『国営漫画喫茶!』と叫ぶ阿呆太郎(日本の片隅で「バカ!」と叫ぶ)、http://ameblo.jp/nakasan1960/entry-10251129607.html


117億円の「国立マンガセンター」に女性漫画家激怒「最低のギャグ」(ネタりか)、http://netallica.yahoo.co.jp/news/79850


国営マンガ喫茶」に、自民党PTが「不要」を宣告、http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090608/plc0906081652007-n1.htm


【画像3】エピローグ/Lara Fabian / Je t'aime (in "En Toute Intimite" 2003)