toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

腐れ自民党にたかる“お笑い東国春とマスゴミ(=ねじまき住血吸虫クロニクル)の強欲劇”が意味するアフォリズム

toxandoria2009-07-08



Smetana Ma Vlast Moldau Kubelik 、Czech


<注記>


「お笑い東国春」とは、目下、地方分権をネタに「腐れ自民党」と売国交渉中(=売国民交渉中?)の東国原・宮崎県知事へのアフォリズム的オマージュ。「マスゴミ(=ねじまき住血吸虫クロニクル)」は、これも寄生・売国民的な意味で記者クラブ制度(国民騙し目的のメディア官製談合制度)に甘んじつつ醜悪なまで堕落したマスコミと村上春樹の傑作「ねじまき鳥クロニクル」を繋いでパロったもの。


(関連参考情報)


●ようやくKY自民党も気が付いた? 自民党にとって想定外だったのは、東国原氏の国政転身に対する民意の反発? 
→ 東国原知事:効果に疑問も 自民内で擁立慎重論拡大、
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090708k0000m010143000c.html


●再び、民主党党首の交代か(鳩山→管or 岡田)? が、それでも自民党の凋落傾向に歯止めはかからない? 
→民主反発、鳩山代表の政倫審出席は拒否、http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090708-OYT1T00883.htm
→自民、鳩山代表追及に躍起=防戦強いられる民主−献金問題、http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009070800914


●口利き目的の献金疑惑/林国家公安委員長“業者から寄付”・・・羽田空港工事 吉井議員追及に認める、http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-07-09/2009070901_02_1.html


●自民中川元幹事長 公設秘書の新疑惑/株売買で破格利益得て“口利き”/金融庁幹部を紹介、http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10296618597.html


●自民が敗れて民主党内のヒトラー流・極右分子が台頭する懸念が高まる?・・・自民は敗れて極右が台頭する、http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/7d6a8c7becdda2f9406096192b2ffab1


●東国原、橋下両知事の志の余りの低さを悲しむ(改革者を装い旧体制に色目を使う姿勢のさもしさよ、正宗一郎−JANJAN) 、
http://www.news.janjan.jp/government/0906/0906275948/1.php


【参考画像】チェコ、チェスキー・クルムロフの風景(2009.3.22、撮影・・・一枚目はウイキメディアより/全画像は、下記URL◆のギャラリー・スライドショーでご覧ください)


Picasaギャラリー『チェスキー・クルムロフの風景』、http://picasaweb.google.com/toxandoria/2009322#














(ヨーロッパにおけるチェコ史の特異性/チェスキー・クルムロフの説明に代えて)


・・・チェスキー・クルムロフ(Cesky Krumlov/南ボヘミアのヴァルタヴァ(モルダウ)河畔の都市、オーストリア・ウイーンの北西約200km)の歴史は13世紀後半まで遡り、それは、まさにチェコ(10世紀後半のプシェミスル朝、つまり神聖ローマ帝国ベーメン地方史に始まる)そのものと同様にドイツ(ズデーデン地方)史とほぼ重なっている。


・・・その殆どの歴史はドイツ人とチェコ人の共存の歴史であったが、1945年のナチス・ドイツからの解放後、ズデーデン地方で今度は少数民族の立場に置かれたチェスキー・クルムロフのドイツ系住民(7千人強)は当時のベネシュ大統領の布告によって国外追放され、チェスキー・クルムロフには千人強のチェコ人だけが残った。


・・・このため、1945年以降のこの街は殆ど無人同然と化し、それに1948年以降の共産主義時代の歴史文化価値の否定が輪をかけたためチェスキー・クルムロフは荒廃した。1969年以降に「プラハの春」が訪れた頃から、漸く歴史的建造物が修復されるようになり現在に至っている。


・・・1992年にはユネスコ世界文化遺産に指定され、今は特にドイツ・オーストリア系の観光客に人気がある場所となっている。なお、オーストリアの画家エゴン・シーレ(Egon Schiele/1890-1918)の母マリエ(Marie Soukup)はチェスキー・クルムロフ出身である。


・・・中心にある「塔の城(Hradek)」は元々ゴシックの塔がシンボルであったがルネサンス様式で再建されている。その他の見所としては「聖ヴィトウス教会(Kostel sv. Vita)(15世紀〜)、既述のシーレの母親の縁からできた「エゴン・シーレ美術館(Egon Schiele Art Centrum、http://www.ckrumlov.info/docs/en/atr5.xml」などがある。


・・・因みに、ハンガリーポーランドではハンガリー人やポーランド人が、言い換えれば土着の貴族や名望家たちが啓蒙活動と近代独立国家を建設する担い手となることが多かったが、チェコ諸領邦の貴族たちはドイツ系貴族が多かったため、彼らがチェコ民族主義の担い手や啓蒙活動家となることはできなかった(少数の例外はあるが・・・)


・・・このため、チェコ語(土着語、チェコ人の口語)の復興を試みたヤン・フスの時代(14世紀後半)〜19世紀チェコナショナリズム時代の民族主義運動では、もっぱら、この約500年に及ぶ時代には、その時々に台頭した市民層がその役割を担うことになった。


・・・更に翻れば、チェコの建国時代(10世紀後半)から約1000年にわたり神聖ローマ帝国(ドイツ)の一部に飲み込まれるチェコ史、及び「18〜19世紀・民族主義勃興時代〜第二次世界大戦ソ連支配下共産主義独裁〜プラハの春ビロード革命」という非常に過酷な近・現代史の経験から、チェコ人たちは、その特徴的な「単なる折衷主義や野合とは異なる経路依存的視点で重み付けを加えた独特のアンビバレンスな合理思考」と「対政治権力者への強烈な批判(アンチ・カルト)精神」(関連参照、下記▲)を併せて身につけたと見なすことができる(更に、チェコEU議長国を務める現代におけるその意味については、シリーズ記事『チェコプラハの印象(3)』で書く予定)


▲2009年春/チェコプラハの印象(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090621


▲2009年春/チェコプラハの印象(1)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090620


(日本における対政治権力アンチ・カルト精神の不在)


・・・一方わが日本では、例えば「自民党の凋落傾向」と「民主党の地方首長選における勢い」による東京都議会選挙へのマイナス影響が観測される中で行われた朝日新聞世論調査の結果(7/7発表)を見ると、「新東京銀行について・・・清算すべき71%で、経営再建を図るべき16%を大幅に上回る」、「築地移転について・・・反対が61%、賛成が22%」と石原都政への圧倒的に大きな不満があるにも関わらず、その悪政の張本人である石原都知事カリスマへの支持は55%、不支持は34%であり、石原カルト知事と東京都民のカルト信仰が見事なまで一体化していることが観察される。ここまでくると、これは残酷で残忍極まりない異端審問のエネギー源となった中世〜近世スペイン・ハプスブルク帝国時代の殆どカルト化し、狂信へ走ったカトリック信仰の熱病的絶頂感(≒ヒトラーが仕掛けたコレクティブ・オルガスムス)に酷似しているとさえ言えよう(関連参照、下記◆)


◆アンシャンレジーム、流血革命、利己主義・・・「驕れる心の物象化」を凝視するゴヤの視点(映画『宮廷画家ゴヤは見た』について)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081031


・・・つまり、チェコ史で概観したような意味での「民主主義国家の主権者としての市民パワー or 国民パワーを秘めた強力な批判精神」は、大方の現代日本人に最も欠落したものとなっている。そのため、小泉政権以降に行われてきた日本の司法改革は、国家行政権力と司法権力が癒着し一体化しているという意味で三権分立が機能していないばかりでなく、一見、表面的にはいかにも妥当そうに見えるその司法改革自体が、実は、国民主権を根底から裏切るものとなってしまっている。そして、例えば裁判員制度を含む司法制度改革裁判員制度検察審査会法改正、法科大学院改革など)の欠陥、あるいは露骨な国策捜査が疑われる検察の捜査手法に対する根本的批判の広がりが極めて薄弱であることが、その「市民パワー or 国民パワーの不在」を明らかに証明している(関連参照、下記★)


検察審査会・関連“法改正”に漂う「小泉⇔検察」蜜月が漏らしたスカシ屁の名残、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090623


裁判員制度記者クラブ制度、麻生・国営漫画喫茶/三つの癒着事例に見る、“暴政”日本のおぞましき潜在光景、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090601


★林・国家公安委員長のスキャンダル、http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/07/post_87.html


また、2009.6.2・日本経済新聞及び2009.7.2付・朝日新聞によると、“厚労省天下り組織GPIF年金積立金管理運用独立行政法人が実に9.6兆円もの『巨額運用損』を発生させた”ことが報じられており、この損失を取り戻すため“よりハイリスクなファンド運用に10〜15兆円の積立金を更に積極的に投じるべきだ”と“国民的人気(?)”の枡添厚生労働大臣が宣ったとか報じられている。マスゴミが常套手段として使ってきた、この“国民的人気”という軽佻浮薄で下劣極まりないポピュリズムマスゴミ用語はとうの昔に聴き飽きたはずなので、日本国民は一刻も早くそれを捨て去るべきである。


おそらく欧米諸国であれば、このような政府機関による“大ヘマ、大ポカ”が起これば、国会周辺へ向けた市民による大規模なデモ行進が発生し、ジャーナリズムも鋭い批判の矛先を日本政府へ集中させるところであろうが、わが日本国の「記者クラブ制度で飼いならされ、権力へ従順なマスゴミ(特に民放テレビ)と余りにも善良過ぎる日本国民」は、こんなちっちゃな問題は気にも留めぬ風情であり、それより大きな問題は「お笑い東国春助平と橋下ペラペラ知事の今後の動向や如何?」といったところのようである。


(関連参考情報)


▼年金積立金「9・6兆円の評価損」、新バクチを提案する舛添大臣(保坂展人のどこどこ日記)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/a907b7bb3e4a37d232b5f83ea9161e72


・・・・・以下は、当記事内容と関連する[2009-07-03・toxandoriaの日記/テケテケ助平劇で恥をかきつつ “腐っても鯛”のつもりの『腐れ自民党』へのレクイエム(from“3DIVA”s)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090703]へのコメント&レスの転載である・・・・・


もえおじ 2009/07/07 00:36


哲学者プラトンの国家論は、「国家の最重大事業は教育である」としています。 日本の教育の、結果的に従順な労働者を作り出すだけの成果しか生まない状況が続くのであれば、政治風土の変革は難しいと考えられます。


北欧の成熟した民主主義と福祉国家政策は、あくまで自己責任と自主独立の精神に基づく教育によって培われているのあって、制度だけを輸入しても精神が根付かないことは明らかです。


“もえおじ”さま、コメントありがとうございます。


まったく同感ですが、ここで言う自己責任はマクロな意味での自己責任であり、その前提は17世紀チェコのコメニウス(参照、下記◆)が発見(発想?)した基礎(義務教育レベル)ならびに一般教養(大学教育、社会人教育=生涯学習によって持続的に涵養・補強されるべきものだと思います。


◆2009年春/チェコプラハの印象(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090621


しかしながら、このコトバを作為的にミクロの次元へ押し込めたのが市場原理主義カルトとも言うべき「小泉=竹中構造改革」であり、その背後に潜むのがミルトン・フリードマン、アインランドの客観哲学、レーガノミックスサッチャリズムらであると思います。


2009.7.17 号・週刊朝日の目次には“麻生死に体政権を動かすゾンビたち”(=森・安倍ら元(元祖?)KY首相たち、ネオリベ怪人・小泉純一郎および大慌てのソノ番頭 格手下・管選対副委員長、典型的利権ヅラ古賀選対委員長、西松マネー汚染の林・国家公安委員長世襲神通力が消滅し大慌てで“駅立ち”する小泉進次郎、云 々・・・)の大きな文字が躍っています。


が、このようなゾンビ(=“腐れ自民党”の魑魅魍魎たち)を再生産する役割を率先して担ってきたのが“悪魔に魂を売り払った、そして竹中平蔵と同じく『バカの作り方B層戦略』で一儲けを企んだマスゴミ自身”であることを先ず反省すべきではないかと思います。


そのうえ、早くも“東国原、橋下”らがポスト総選挙を睨みつつ“今や国民的人気?の民主党”へ色目を使い始めたとかの情報も流れ始めています。これこそ“政界寄生虫化したお笑い芸人=古風に言えば河原乞食流さもしさ”の面目躍如というところなのでしょう・・・。しかし、これら政界寄生虫のご都合主義に日本国民の多くが体よく騙されるとするなら、やはり日本の政治風土の変革は並大抵で実現できそうにありませんね。しかも、このように見ると、大方のマスゴミ化したマスコミ(=特に民放テレビ)は“河原乞食以下の余りにも卑し過ぎる存在”ということになります。


グローバリズムに相性がよいファーストフードの食感に似た村上春樹・流アフォリズムは、それが何となくオーム真理教か統一教会あるいは幸福の科学などを感じさせるので好みでありませんが、ここまで堕落したマスゴミをこの村上春樹・流アフォリズムを敢えて剽窃して表現するなら、やはりそれは「ねじまき住血吸虫クロニクル」(=金で買えるものは、得とか損とかあまり考えずに、金で買ってしまうのがいちばんなんだ。・・・)ということになるでしょうか?


もえおじ 2009/07/07 17:48


自分がマスメディアによる大衆迎合腐敗政治に関連して思い浮かべるのは、ドイツの文化評論家ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)が 1935年に著した評論「複製技術時代の芸術」 Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit です。 : 芸術作品の機械的な複製可能性の到来と、実質的な「オリジナル」の存在しない芸術形式の発達によって、芸術の体験は場と儀式から解放され、代 わりに大衆の視線と制御の下に置かれ、アウラ(本物による現場のオーラ)の粉砕に繋がり得る。


「世界史において初めて、機械的な複製は芸 術作品を儀式への寄生的な依存から解き放った」とベンヤミンは書きましたが、後のフランクフルト学派によって、むしろアウラの喪失によって結果的に大衆消 費に典型的な「散漫な」芸術に貶められることで、革新的な省察や想像たり得るものの余地が失われる可能性の方が高いとされました。 これと同じ問題が、 TVを中心とするメディア時代の政治でまさに起きていると言えます。 すなわち、本来の正確で豊かな現場情報の提供よりも、現場のアウラ(実態)が失われ 脚色された複製が一人歩きする危険の方が勝ってしまっています。 これを打ち破るのは、原理的には、良識(教育?生涯学習?)ある市民による健全な批判精 神以外にはないのですが…。


(DISINFECTION)

Lara Fabian - Meu Grande Amor