toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

KY麻生と無党派の干渉で壊れた「小泉郵政マジック」の先に見据えるべきもの

toxandoria2009-07-26



【画像1】フォンテーヌ・ブロー派(作者不詳)『ガブリエル・デストレとその妹』、16世紀末

Gabrielle d'Estrees and one of her Sisters ca1595 Oil on canvas 96x125cm Musée du Louvre 、Paris


【画像2】ブーグロー『ヴィーナスの誕生』、1897

Bouguereau A.W.1825-1905『Birth of Venus』1879 Oil on canvas 300×218cm Musee d’Orsay 、Paris


(巨乳文化と新自由主義のシンクロ/画像の説明)


・・・フォンテーヌ・ブロー派(Fontainebleau Style)は1528年から約200年にわたり続いたフランス独自の美術全般の様式である。それは、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボワーズ城に招いたことで知られるフランス最初のルネサンス君主・フランソワ1世ヴァロワ朝/ François 1/位1515-1547)が、パリ郊外(南東)に建て始めたフランス・ルネサンス様式のFontainebleau城(この城の増改築史はフランス革命を経て19世紀のナポレオン3世の時代まで続く/参照 → http://dramatic-history.com/schloss/fontainebleau/fontainebleau.htmを装飾するためイタリアの美術家たちを招いたことに始まる。


・・・特に「フランソワ1世のギャラリー」を飾るためイタリアから呼び寄せられた画家たちの多くは、具体的に名の知られぬ者たちが多く、彼らは、マニエリスムに属している。彼らは、幻想的な遠近法の構図の中で自由・自在に捻じ曲げられるか、あるいは異様に細長い人体を描くことが多く、古典神話をテーマとしつつ何らかの暗喩を示唆していることが多い。


・・・この『ガブリエル・デストレとその妹』も、妹が姉の乳房をつまむ仕草と姉ガブリエルが指輪を見せる手の動きがエロチックであるだけでなく何かの寓意とされるが正確な意味は解明されていない。ただ、アンリ4世の寵妾ガブリエル・デストレとその妹が描かれたというのが定説であり、一応は、アンリ4世の庶子の誕生を意味するとされている。


・・・フォンテーヌブロー派の画家たちは、この種のご婦人方の入浴図を好んで描き、特に乳房を最も美しく描いた。が、特に注目すべきはその乳房の描き方で、それは今風の“巨乳”からはほど遠く、どちらかと言えば、むしろ慎ましやかに小ぶりに描かれている。


・・・西洋美術史の流れを少し広く眺めてみると、少なくとも人間らしい姿が描かれるようになる「14・15・16Cルネサンス期〜19世紀末」までの裸体画では殆ど“巨乳”は確認されない。例えば、19世紀・フランスのアカデミズム絵画を代表する画家ブーグロー(William Adolphe Bouguereau/1825−1905/近年、印象派など近代主義との対比で再評価されつつある画家)でも、【画像2】の如く慎ましやかである。


・・・実は、“巨乳”を愛でる感性(当然、その主流は男性諸氏であろう・・・)はごく新しいもので、メジャーな一説によればアメリカでは1970年代イデオロギーとしての「新自由主義」が名付けられた時期)から、日本では1980年代からとされているようだ。例えば、「海舌」氏のブログ記事(下記▲)では、一部の芸能評論家が「新人類の出現」を定義した「1985年革命」がそのエポックであったことを示唆している。


▲巨乳(海舌)、http://blog.kaisetsu.org/?eid=649853


・・・ミルトン・フリードマンらの研究・努力によるイデオロギーとしての「新自由主義」の命名はともかくとして、アメリカ合衆国は、その建国いらい始めから「自由原理主義市場原理主義」の国であった。そして、この二つの原理主義が初めて大暴走(マネー資本主義へ激しく傾斜)して1920年頃から巨大バブルをもたらし、やがて、そのバブルが崩壊して「1929-1939世界大恐慌」の時代を迎えた。


・・・他方、アメリカで初めて豊胸手術が行われたのは1920年代であるという趣旨の映画『Breast Men、豊胸外科医』(いかにも問題を提起をするフリをした“東国原”好みのB級お色気映画?/参照 → http://www.ywad.com/movies/113.htmlが公開されている。この映画は観ていないので、責任ある主張とは言えぬかも知れぬが、女性が豊胸手術を受けるのはナルシズムと自己満足のためだけではなく、当然、その鑑賞になびくユーザー又はディレッタントたる男性諸氏の鑑識眼(社会的価値観?)が巨乳を求め始めたことと符合する。


・・・ということは、どうやらアメリカの「巨乳文化」は20世紀初頭に「市場原理主義(≒新自由主義思想とマネー資本主義への傾斜)的な価値観がアメリカ社会にドップリ定着し始めた時とシンクロして始まったと見なすことができるようだ。一方、日本で新自由主義が本格化するのは小泉劇場からだが、その走りはネオリベ路線を方向づけた「大勲位中曽根康弘」内閣の時であるので、やはり「日本の巨乳文化の始まり=1985年(ポスト・モダン革命)説」が有力だと思われる。


ついでながら、「新自由主義と巨乳」が何故に相性が良いのかは別にジックリ考えねばならない“大きな問題”(大巨乳問題?)だが、そのヒントを与えてくれた出来事がある。それは、大阪府橋下知事日本経団連の御手洗会長が会談し、『道州制についての“政治闘争”を経団連と共に取り組み、その実現に向かって国民の理解を得るため“草の根”政治運動を起こす』(いつから日本経団連極左的なパロールを操るようになったのか?)ということで一致したと報じられたことである(参照、下記▼)。この動きに透けるのは、小泉の「巨乳詐欺のネタバレ」で断末魔の自民党が、メディアを巻き込みつつ「東国原・助平知事」と急接近し、過半の国民から嘲笑を受けるザマとなった、ちょっと前に終わったばかりのアノ三文芝居・猿芝居の大騒ぎ、バカ騒ぎの二番煎じである。


橋下知事道州制経団連会長に協力を要請、http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090725-OYT1T00422.htm


周知のとおり、現在の日本経団連の中枢部は米国型・新自由主義ネオリベ思想に徹底的に被れた輩で占められており、丁度それは、米オバマ大統領の政治体制が「国家経済会議」(NEC/National Economic Council)委員長のローレンス・ヘンリー・サマーズ(首尾一貫してグローバル市場原理主義を強く主張してきた人物)に限らず“国家的ポンジー・ビジネスの考案者”と思しき人物らの多くを政権中枢に呼び込んで構築されている構図に似ており、方や橋下知事新自由主義のイデオローグである。彼らはどんな“草の根チェンジ”をやるつもりなのだろうか。まさか、「巨乳」ならぬ「ネオリベ巨根同盟」を結び再びマスゴミ共演で「無党派層」をたぶらかすつもりなのだろうか(関連参照、下記★)


★漫画・郵政改革で米『ハゲタカ金融の罠』を衆目に曝したKY麻生の逆説的功績の活かし方(チェコ伝統の批判精神に学ぶ)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090723


ともかくも、「8/30総選挙」の動向(結果)しだいで巨額の政治献金と汚染された裏献金の遣り場を失うことを恐れた日本経団連は、今度は橋下らネオリベ地方自治体の首長に照準を定めて、メディアと無党派層を巻き込む『偽装草の根・チェンジ作戦』を考え出したようである。


そんなオチャラケをやる暇があるなら、欧州連合の「マネー金融市場の規制強化への傾斜の実態」などの現状、例えばマクロ・プルーデンスの考え方に基づく中央銀行の機能強化を視野に入れた欧州全域内金融市場のリスク監視に当たる「早期(金融暴走)警戒システム」の創設、「社会的責任投資(SRI)」、「社会的金融」、「ドイツのサハラ砂漠での太陽熱発電所建設計画(欧州の15%(現在のロシアからの供給シェァにほぼ匹敵を)供給)」などの実情を「B層中心の無党派」の人々向きに橋本らと一緒に“草の根”で広報・宣伝することへ取り組んだ方が、よほど「健全な資本主義の実現」と長期視点下での「現実的利益」に直結するのではないか(関連参照、下記▼)


▼漫画・郵政改革で米『ハゲタカ金融の罠』を衆目に曝したKY麻生の逆説的功績の活かし方(チェコ伝統の批判精神に学ぶ)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090723


▼ドイツ、サハラ砂漠に太陽熱発電所を建設http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/090618/37782.html


(政教未分離の日本=古典的な“運命の力”に怯える日本・市民社会の後進性)


喩えるなら、二つのKY「麻生&無党派層(B層が中核)」の波の干渉が今回の『7/21麻生野垂れ死に衆議院解散』の前後で<民主党への追い風>を作ったと言えるかも知れない。それは、複数の波の重ね合わせによって新しい波形が生まれるという物理学用語の「干渉」(interference)を想い出させる現象だからである。おそらく、両者の“概ね漫画好き”と思われる傾向も、その相関性コヒーレンス/Coherenceを助長したと考えられる。


ここでいう「小泉郵政マジック」のタネ明かしとは、2005年8月8日の参議院本会議で「郵政民営化関連法案」が否決されたことを受けた同日・午後の「衆議院解散」いらい延々と繰り返されてきた「小泉〜安倍〜福田〜麻生」の“自民党たらい回し政権=悪魔の輪舞(ロンド)”の舞台裏が、図らずも、分かりやすく明らかになったことである。


そして、その舞台裏とは、小泉と竹中が「ウオール街の強欲ハゲタカの代理人」であり、小泉がいかにも尤もらしく総選挙の大義に掲げた「郵政改革」が実はとんだ食わせ物だったということが、無党派層の人々にも、KY麻生の度重なる“ヘマと不手際”のお陰で、漸く今頃になって見事にバレてしまったことである。特に、小泉が悪質であったのは、「王乳」ならぬ「巨乳」(=新自由主義たるハゲタカの貪欲さ・残忍さ)の象徴として「郵政改革」の只一点を恰も清き一穴主義の如く、巧妙な偽装・整形を施しつつ高々と掲げたことである(この詳細は、下記◆を参照乞う)


◆漫画・郵政改革で米『ハゲタカ金融の罠』を衆目に曝したKY麻生の逆説的功績の活かし方(チェコ伝統の批判精神に学ぶ)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090723


<注記>王乳

・・・王乳とは、ローヤルゼリーのことで、それはミツバチが作る白い乳状分泌物で女王蜂の特別な食餌だ。王乳は、高純度のたんぱく質、果糖やブドウ糖必須アミノ酸、ビタミンB群などを広く含む。王乳には、免疫力の向上、アレルギー抑制、性的衝動の回復、シミ・小ジワを防ぐ作用などの効果がある。王乳を食べる女王蜂は、働き蜂より約2〜3倍大きく、寿命も働き蜂の1ヶ月余りに対して、3〜4年と30〜40倍も長寿である。・・・(出典:サプリメント用語集、http://www.sasa-s.com/supplement-s3/a-gyou-96.html)


ところで、今回の<民主党への追い風>の送り手の中心を占める「無党派層の人々」の特徴を敢えて独断的に、かつ乱暴に定義するならば、それは古典的な意味での『宿命=運命の力』に対して彼らが余りにも従順過ぎるということではないか。本来、現代の民主主義(現代市民社会においては、当然ながら一定の限度内のことではあるとしても、ある範囲までは古典的な意味合いでの『宿命=運命の力』を市民サイドから意志的に軌道修正できるはずであるにもかかわらず・・・。


考えてみれば、『宿命=運命の力fate・・・それは、おそらく、その意味するところが、カルトに染まった連中は論外として、西欧における市民革命啓蒙思想の定着)期の前と後では異なるはずだ。市民革命啓蒙思想の定着)期より前における“宿命”の意味するところでは、“天命”神の摂理、神意/Providence)と“権力者の意志”(Sovereign‐Power)の間に明確な意味上の区別がなかった。


現代以上に、近世以前では政略結婚が非常に重要な意味を帯びたのも、このことと関係する。つまり、“歴史は夜つくられる時代”であったのだ。ここでヘンリー8世テューダー朝イングランド王/Henry 8/位1509-1547)とブーリン家の姉妹の物語(エリザベス1世とアメリカ合衆国誕生に結びつく運命の力の物語)を語るべきなのだろうが、ここではその余裕がない。


市民革命啓蒙思想の定着)期より後の時代には、我われ一般市民が日常を生きる現実の公共社会とは別次元での“天命”の意義が意識(政治権力とは結びつかない純然たる宗教感として)されるようになったはずだ。いわゆる「政教分離」の重要な意味の一つがここにある。しかしながら、近代市民社会といえども、“天命”を甘くみるほど尊大になることは許されないはずなのだ・・・(そして、正統保守主義の感性は、この辺りにこそ錘を沈めるべきなのだろうが・・・)


ともかくも、我が日本では“1985年革命”(ポストモダン革命)によって「巨乳」を愛でる風潮が社会的に定着したと見なしてよさそうだが、残念なことに、我が国が、かくの如き「新人類の出現」と「サブカルチャー革命」(決してマンガ好きの麻生を取り囲んだアキバらだけのことではない!)、そして「市民社会におけるポスト・モダンの画期」を迎えたにもかかわらず、未だに我が国における『宿命=運命の力fate、destny)が意味するところは、西欧における市民革命(啓蒙思想の定着)期より前のレベルに留まったまま、つまり「政教未分離」のまま、別に言えば「公共不在」のまま現在に至ったということのようである。


それが、今から思えば想像を絶するほどの「腐れ自民党の長期政権」を許してきた訳でもある。


チェコプラハ言語学派が現代日本へ示唆すること)


ロマン・ヤコブソンに次ぐ「プラハ言語学派」の大立者であるヴィレーム・マテジウス(Vilem Mathesius/1883‐1945)は、1911年に行った有名なプラハ大学(英文学)教授就任時の講演『言語現象における潜在性について』で次のようなことを語っている。なお、このような言語機能の特性についての考え方は、後になり(およそ1960年代以降)フランスのレヴィ・ストロース(C.Levi‐Strauss/1908- )構造主義ロラン・バルトRoland Barthes/1915‐1980)エクリチュール批判などに大きな影響を与えている。


・・・言語現象には一定の揺れがあり、そこに変化の潜在性を認めるべきである。これは、そもそも我われプラハ言語学派が前提としてきた「言語は構造をなす」というテーゼのアンチ・テーゼであるが・・・[出典:千野栄一著『言語学のたのしみ』(大修館書店)]


これを現在の社会状況に合わせて解釈すると、“プラハ言語学派が前提としてきた「言語は構造をなす」という第一テーゼは「公共意識に目覚めている社会層の人々」には当てはまるが、「小泉・竹中B層戦略」が定義した所謂B層を中核とする無党派層の人々にはそれが当てはまらないとみなせることになる。つまり、後者に当てはまるのは「言語現象には一定の揺れがあり、そこに変化の潜在性を認めるべきだ」という部分的な真理(=第二テーゼ)ということになる。そして、それは“ある意味でフラジャイルで危うく、かつ別の意味で確かな希望が持てる両義的現実が、我われが日常を送る現実世界では絶えず出現し得る”ということである。


いま、米国でオバマ大統領が政権の主要政策課題(自由と市場の二つの原理主義によって崩壊の際に立つアメリカ社会の最も重要な安定・安全装置になるはずのもの)である「ヘルスケア改革」(医療面における国民皆保険制導入)で大いに苦境に立たされつつあるのも、この「無党派層のブレ」の問題が“保険会社等・既得権益陣営の圧力で危うい負の方向”へ傾き(=悪影響を蒙り)支持率が急降下しつつあるからだ(関連参照、下記●)


●漫画・郵政改革で米『ハゲタカ金融の罠』を衆目に曝したKY麻生の逆説的功績の活かし方(チェコ伝統の批判精神に学ぶ)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090723


日本の小泉構造改革が、ブッシュのアメリカをソックリ真似て、日本社会に必要不可欠な市民生活の底を支えてきた「国民皆保険制度」を初めとする社会の安全装置をブチ壊す政策を本気でやり始めて、日本社会を崩壊の危機の真っただ中へ引きずり降ろす役割を果たしたのも、このB層を中心とする無党派層であること(=小泉・郵政選挙衆議院2/3の議席を連立与党へ与えた)を思うと「言語現象の操作に両義的意味があるという現実」がとても空恐ろしいものと見えてくるはずだ。


そして、当然ながらその責任を負うべき立場にあるのは、“過剰ワンフレーズ型で意味(人間)不在の政治、理念の貧困による教育現場の空転、マスメディアの堕落”という、民主主義国家として当然健全であるべき<要諦の不健全性>へ無自覚に妥協してきた日本国民自身である。


ともかくも、今の日本が第二次世界大戦後で初めての「本格的な政権選択」で“剣が峰に立たされている”のは、正に、このような意味での「言語現象の操作の両義性」を甘く見たため放置されてきた「社会意識の未熟さ・低劣さ」のツケがゴッソリと回ってきたということだ。8/30の総選挙で「誕生する新政権」を厳しく、かつ容赦なく批判できるようになるのは、それからのことだ。日本社会は、今にして漸く、義務教育の段階を終わろうとしており、「宿命=運命の力」、「公共」、「国家の主権者たる市民」などを自分自身の身近な問題として、自らがある程度まで力を及ぼすことができるという現実を正に実感しつつあるという訳だ。


それにしても、この段に至っても、以下(◆)の如き軽薄なコトバを吐き続ける「腐れ自民党」の末路は哀れである。軽薄を偽装しつつ、コトバばかり(=貴方は嘘ばっかり)でないメタ言語を駆使した古典的名曲(?)『パローレ、パローレ/貴方はコトバばっかり、ウソばっかり!』を「腐れ自民党」とネオリベ諸氏のために貼って終わりとする。


◆自民・細田氏、政治報道のあり方で「国民の程度」と発言し撤回、http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090724AT3S2402624072009.html


◆首相が配慮欠く発言=「高齢者は働くしか才能がない」首相が発言、鳩山代表「また失言」と街頭で批判、http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200907250246.html


◆「高齢者は才能ない」 恥知らず首相発言の真意=年金もらったら、その分働いて税金を払えということ/「搾取」という言葉があるが、総理大臣が炭鉱の親方なみの思考回路しか持ち合わせていないということ・・・こんなバカを総理大臣にした自民党は、潔く責任をとって、選挙前に下野すべきだ、http://www.data-max.co.jp/2009/07/post_6403.html


パローレ、パローレ/貴方はコトバばっかり、ウソばっかり!(ダリダ/アラン・ドロン