toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

衆院「小選挙区比例代表並立制」の過剰代表(欠陥)に慢心する民主党のファスケス

toxandoria2009-09-07



レーゲンスブルクの風景(Souvenir Ser.2007年4月)








Celine Dion Pour que tu m'aimes encore


この記事の内容は次回の記事で書く予定の「政治における逆選択現象(Adverse Selection=情報の非対称性=一般国民によって良質の社会的価値(良貨)が捨てられ、劣悪な同価値(悪貨)が選択されること)の問題とも深く関わる。


そして、この「逆選択現象」の代表的事例が「小泉・竹中劇場」による『買弁資本主義』(参照、下記<注>)への無反省と「8.30総選挙」における『民主党衆院小選挙区比例代表並立制の過剰代表』への無関心である。このため、現代日本における『買弁資本主義』による格差拡大の責任者たる竹中平蔵の人材派遣会社大手「パソナ」会長への就任(推定年俸1億円?)の如き不埒なニュースが全く無批判のままセレブ情報扱いで流れている。


<注>買弁資本主義


・・・買弁とは、中国の清朝末期〜人民共和国成立期までに活躍した、外国の商社・銀行などの仲介者となった中国人商人のこと。これが転じ、外国政府あるいは外国金融資本等に隷属して中間利益を得たり、自国と自国民の利益を抑圧する売国ビジネスが跋扈する資本主義。市場原理主義下における<格差発生否定論>など、堕落した<ご都合主義アカデミズムの詭弁/関連参照、下記★>を弄しつつ『小泉劇場』で米国型市場原理主義の旗を振り、郵政民営化を煽った竹中平蔵は、まさに現代日本の“買弁資本主義”と“奴隷労働産業”の頭目である。


竹中平蔵:日本経済がアメリカ以上に低迷する理由(混迷経済の処方箋)、
http://president.jp.reuters.com/article/2009/09/03/EF86AE1A-8B00-11DE-B6F7-60F73E99CD51.php


竹中平蔵:日本経済を再生する方法とは(混迷経済の処方箋)、
http://president.jp.reuters.com/article/2009/09/04/B0571632-8B03-11DE-B405-0EC03E99CD51.php


「8.30総選挙」における『民主党衆院小選挙区比例代表並立制の過剰代表』がもたらした「逆選択現象」で目立つのは、保坂展人社民党戸倉多香子民主党ら本物の民主主義政治の実現を真剣に願いつつ地道な努力を積み重ねてきた現役の国会議員(ないしは候補者)たち、つまり日本民主主義の更なる進化(深化)のため今後の大なる貢献が可能な有為の人材を落選させてしまったことである。


“腐れ自民党”に限らず、今や“期待の民主党”といえども、日本の政党史がその黎明期いらい任侠・暴力・ヤクザ・ゴロツキ・徒党集団と深い関わりを保持してきた事実と全く無縁とは言い切れぬことを忘れるべきではない。無論、今の民主党がその悪辣な徒党フィクサー集団らの大きな影響下にあると主張するつもりはない。ただ、一般国民が些かでも権力に対する警戒心を緩めると、<期待の民主党が、これまでの自民党と全く同じ暴政に堕す可能性=ファスケス暴走の可能性>が芽生える恐れがあるということだ。それこそが、冷厳な「政治のリアリズム」である(関連参照、下記◆)


<注>ファスケス(fasces)


・・・ファシズムの語源とされるラテン語で、それは共和制ローマの統一シンボルである「複数の鋭利な刃を束ねた杖」のこと。つまり、専制か民主制かの体制の如何を問わず、必ず政治権力の深奥に根を張ることになる暴力性のこと。その一般制度化が軍事・検察・警察等の殺傷・拘束・拘留・逮捕等の実行・強制・執行権力である。


2009-08-19 続、「日本核武装論と日本政府」の背後に潜むヤクザ・暴力団(ゴロツキ徒党政治)の伝統、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090819


◆2009-08-16 「日本核武装論と日本政府」の背後に潜むヤクザ・暴力団(ゴロツキ徒党政治)の伝統、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090816


このような観点からすると、民主党岡田克也幹事長が9月6日・夜のNHK番組で、民主党マニフェスト政権公約に掲げた衆院議員の比例代表定数80削減について“比例中心だと第3党が主導権を持ち、かえって民意がゆがめられるので、若干の比例を残し、ダイナミックに政権が代わる小選挙区を中心にした制度がいいと述べ、あくまで削減を目指す考えを示したこと”については、その誤りを厳しく批判すべきである(参照、下記★)が、この“誤り”について多くの国民は気づいていない節がある(9/7、NHKテレビ・PM7時ニュース/世論調査、必実行マニフェスト・期待項目の上位に、この議員定数削減がランク!)


★比例削減方針変えず=岡田民主幹事長、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090907-00000003-jij-pol


仮に、下記ブログ▲の数字を基に現行の衆院小選挙区比例代表並立制民主党マニフェストのとおり比例部分を「180人→100人へ削減」した場合の議席占有率(全体)を試算すると次のとおりになる(概数計算、誤差無視)


自民党24.8%→22.8% 公明党4.4%→2.8% 民主党64.2%→65.8% 共産党7.0%→0.17%
社民党4.2%→0.17% みんなの党4.2%→0.15% 国民新党1.7%→0.125% 


▲上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場・・・民意を歪める小選挙区制はやはり廃止するしかない!、http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51238905.html


無論のこと、この形で総選挙が実際に行われた場合には、国民の投票行動と各政党の戦略変更があるので、このような試算が十分に有為なものとは言えないが、少なくとも民主党マニフェストどおり比例部分が「180人→100人へ削減」されると、一人勝ちした政党以外で、特に弱小政党は、風で飛ぶような軽い存在となるので、議会制民主主義の根本たる健全な批判力が機能せず「数の論理」の下で少数各派の多様な批判力が封印される恐れがある。つまり、様々な国民一般の意思が抑圧されるファシズムへの道が、そこから浮かび上がってくる。


マニフェスト政治を礼賛する空気が過剰に蔓延り過ぎるのも考えものである。誰が言いだしっぺか知らないが、いかにもアカデミックでエラソーな人物がマニフェストなどと外来語をかかげると聞こえは良いが、所詮、それは見積書であり、企画コンペであり、飲み屋のリップサービスの類と大して変りがないと見ておいた方がよい。その本質は“絵に描いた餅”であり、言い換えれば“スマートな偽装看板”である。


もちろん、何も看板を掲げぬよりはマシなのだから、問題はそのマニフェストが国民一般の目線でよく考えてみたら明らかに奇ッ怪なものであるということになれば、やみくもに実行せず修正すればよいだけのことだ。それにもかかわらず、それに拘るならば不埒な助平心を疑われて仕方あるまい。「外部経済論」ではないが、少数各派の多様な批判力や一般国民の様々な日々の思いの中にこそ政権政党自身の発展のタネが隠れていることを忘れるべきではない。


特に、人口比で見たときの国会議員数については、必ずしも日本が世界の先進国の中でずば抜けて多いわけではないことも指摘されている(参照、下記グラフ&ブログ記事▼)。ともかくも、民主党にせよ、自民党にせよ、近未来の日本型「民主主義の赤字」がファスケスを剥き出しにしたファシズムと化すことだけは、御免を被(こうむ)りたい。


各国の人口10万人当たりの国会議員数(下記ブログ▼より転載)


▼「議員定数」の罠、http://takashichan.seesaa.net/article/120440203.html


・・・以下は[2009-09-05toxandoriaの日記/ 民主党衆院小選挙区比例代表並立制」の欠陥(過剰代表)に慢心すべきでない、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090905]に対するコメント&レスの転載・・・


pfaelzerwein ← http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/431539e8a05173f0c99e9fac4e38f6b4


『「良識ある正統保守の立場を代弁」 ― この正統保守というのがくせもので何処の国でも益々問題となる議論かと思います。現時点では日本の場合は戦後の 復興を支えた社会構造となるのでしょうが、そこには民意がもはや集まらない事を示したのが前回と今回の総選挙なのでしょう。


なるほど地滑 り的な勝敗は選挙制度の悪戯でしょうが、これによって参議院の存在意義が再認識される面もありますね。例えば上の比例配分を、実際には全く単純ではないドイツのそれに合わせて見れば、社民党以下は5%に至らない政党として議会進出は不可能となり、二つの国民政党と二つの小さな政党となります。共産党と他党 との連立は難しいとすれば、公明党がキャスティングヴォートを握り続ける事になりますね。日本の政治が所謂B層を含めて、まだまだ十分に社会各層の声を反 映していない証拠でしょう。』(2009/09/05 18:00)


toxandoria


『Pfaelzerweinさま、ありがとうございます。


仰るとおりだと思います。つまり、日本の政治が所謂B層を含め、まだまだ十分に社会各層の声を反映できていないということだと思います。戦後における自民党 一党支配の補完メカニズムとしての社会党(裏自民党)の経験はありますが、本物の国民目線での批判システムが育たなかったツケが、いま回ってきたと思います。


そして、これは政治家とB層主体の一般国民層だけが負って済む問題ではなく、日和見に徹しプラグマティックに生きてきたアカデミズム と法曹の責任が特に大きいと思います。また、政治教育(=適切な公教育)が日本に不在であることも、この不幸の背景となっています。無論、その根元には政 治があるわけで、堂々巡りの「クレタ人のパラドックス」に嵌っています。


このため、左右を問わず、自民党が腐敗→崩壊のプロセスを辿った 必然についての議論は盛り上がっているものの、例えば「“自民崩壊の原因=公共意識の不在” → “国民目線の公共精神の定着の必要性”→“中山成彬(元国交相)あるいは田母神俊雄(元航空幕僚長)ら(=極右)を再評価すべし」の如き不可解な主張が現れます(参照、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090905-00000546-san-pol)。


他方、日本政治の健全化のために必要な、国民の目線で真剣に政治の在り方を考えてきた有為の人材が数多く落選し、小泉チルドレンならぬ小沢チルドレンの中に は“かなりの不可解な人材?”が紛れ込んでいます。従って、かくの如きパラドックス・ループを脱出するためには、いまこそ「メタ次元の言説」に責を負うべ きジャーナリズムの奮起がますます望まれるところです。』(2009/09/06 06:09)