toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

利己的な“情報の非対称性の罠”に堕ちた日本のマスメディア

toxandoria2010-03-04



<注記>右上の画像(サラ・ベルナールがモデルのミュシャのポスター)はhttp://plaza.rakuten.co.jp/Swell...3060000/より


(『モナリザ』の視線が意味すること)


【画像】レオナルド・ダ・ヴィンチモナ・リザ・ゲラルディーニ(ラ・ジョコンダ)』




Leonardo da Vinci.(1452-1519)「Mona Lisa Geraldini(La Gioconda)」 1503-1506 Oil on wood 77×53cm Louvre Paris 、France.


ルーブル美術館の解説によれば、あまりにも有名なこの肖像画にはモナ・リザ・ゲラルディーニの容貌を認めるのが適当とされており、この女性は1495年にフィレンツェの貴族フランチェスコ・デル・ジョコンダと結婚したので、そこから『ジョコンダ』とも呼ばれる。


イタリア・ルネサンスを代表する万能の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いただけあって、この絵には様々な仕掛け(謎)が施されているとされてきたが、その一つがその“微笑”の視線の行き先についての謎だ。


我われ鑑賞者は、暫しこの絵の前に佇み、やがて少しづつ移動するうちに何やら落ち着かぬものを感じ始めるはずであるが、その原因は、恐らくこのモナ・リザの視線の行き先の曖昧さにあると考えられる。


つまり、両眼の瞳そのものはただの二つの黒点にすぎない。それにもかかかわらずこの絵が見える範囲で前後左右に色々と移動してみても、我われは彼女の視線から逃れられないことを悟り大いに驚くはずだ。そして、これは肖像画特有の錯視効果によるものである。


両眼の瞳そのものがただ二つの黒点にすぎないことが現実であるにもかかわらず、我われ鑑賞者は表情全体の微細な相貌変化の描方という画家が意図した二次元画面での機序の原理が脳内に作用して「二次元→三次元」の変換作用をもたらすため、我われは無意識のうちに騙されてしまう訳だ。


我われがこの肖像画の錯視効果(呪縛の謎)から逃れるには、肖像画の主人公モナ・リザ・ゲラルディーニが“三次元に生きた人間”である限り実はダ・ヴィンチが描いた“モナ・リザの微笑”の周囲では多方面からの観察者の視線が可能であるはずだという“現実=リアリズムの感覚”を想起すればよい。


また、この“モナ・リザの微笑”が三次元空間に立つ彫像である場合の姿を想像(イマジネール)することも、同様に我われが正気を取り戻すのに役立つはずだ。あるいは、遠景の前に拡がる三次元の現実空間に佇む彼女のリアルな肉体の全身像をあらゆる方面から眺める場面を想像するだけでも同じ効果をもたらすだろう。


心すべきは、そのダ・ヴィンチが仕組んだ二次元空間で微笑む“モナ・リザ”の謎に取り込まれて(マインドコントロールされて)いる限り、我われは決して彼女の視線から逃れられぬということだ。それこそ、絶えず生身の人間として“内側からの批評・批判の眼”を自覚的に持たぬ限り、我われ鑑賞者が「平面的で分かりやすいイメージ」に騙され易いことを見透していた天才レオナルド・ダ・ヴィンチが仕組んだ善意の“情報の非対称性の罠”(一種のエスプリ)に他ならない。


(虚構のミューズならぬ虚構モンスター化した日本のマスメディア)


ここで見た絵画(二次元空間)で微笑む“モナ・リザ”の謎は天才レオナルド・ダ・ヴィンチが仕組んだ“情報の非対称性の罠”(ルネサンス精神に裏打ちされた一種の善意のエスプリ=美術作品としての“虚像のミューズ”)であったが、同じ“情報の非対称性の罠”でも、現代の日本で行われているマスメディア総掛りの“情報の非対称性の罠”の仕掛けは、一種の善意のエスプリどころではなく、超利己的で悪意に満ちた“犯罪行為”に等しいものだ(画像は
http://www.art.com/products/p138...1878.htmより)


<注記>虚像ならぬ虚構のミューズ、サラ・ベルナールについて


サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt/1844-1923,)は、19世紀末フランスでロマン派演劇の最後を飾った舞台女優で世界的にも知られた人物だが、売春婦と女優業が同一視されるような時代での女優業の辛さは並大抵のものでなかったことが想像される。その奔放な交流関係から一般には「聖なる怪物」(montre sacre)などの不名誉な称号も賜った“虚構のミューズ”とされてきたが、最近のカルチュラル・スタディーズ比較文化)の研究などから、彼女の仕事が単なる“大衆メディアの華”の範疇を超えており、それは人権と女性の権利、フェミニズム、批判精神に溢れた社会派演劇の先取り的仕事であったことが理解され始めている。


その意味では、今回のベルリン映画祭出品の映画『キャタピラー』(若松考二監督、http://www.wakamatsukoji.org/)で実に35年ぶりで日本人の最優秀女優賞(銀獅子賞)に輝いた“女優・寺島しのぶ”が目標ともすべき偉大な女優である。なお、サラ・ベルナールとの出会いが結果的にチェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha/1860-1939)をアール・ヌーヴォーの旗手として成功させたことは余りにも有名なエピソードである(画像はhttp://kimono-yamato.co.jp/colle...bu/07-2/より)


ところで、東京新聞「本音のコラム」(3/3朝刊)での精神科医斎藤学氏の論評は、このような意味で、殆ど“利己的な犯罪行為”に等しいと言えるまで悪意に満ちた“情報の非対称性の罠”を仕掛ける主要マスメディアの背景に潜む“虚構のモンスター”の存在を鋭く抉っていると思われるので、以下に転載しておく(情報源:http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-325.htmlより)


・・・小沢氏の問題提起」(斎藤学):小沢一郎について語る際には「私もこの人物を好きではないが」という枕ことばを付けなければならないようだ。 が、それは原稿で食べている人たちに課せられた規定らしいので私は気にしない。この人が図らずも(当人は語らない)提起している二つの問題((1)米国との距離の再検討、(2)戦後天皇制の再検討)は、旧帝国憲法の残滓に注目するという点で回避不能なことだと思う。既に公刊されているように戦後日本は岸信介氏のようなCIAのエージェント(金で雇われたスパイ)によって作られた「米国に貢献する社会」である(『CIA秘録』上巻、百七十一〜百八十 四ページ)。この暫定的体制が、もくろんだ当人たちさえ驚くような長期間の効果を示したのは、日本人の「おかみ(天皇・官僚)信仰」が並々ならぬものだったからだろう。戦後体制作りの埒外にいた田中角栄が市民的嗅覚からこの偏りの修正を試みると、米国は直ちに反応し、その意を受けた検察によってつぶされた。今回の小沢氏の一件も、この流れの中で生じた。彼は生き残らなければならない。今週の『週刊朝日』にある 「知の巨人 立花隆氏に問う」(上杉隆)という記事に共感する。血の臭いに吸い寄せられる鮫のように検察の刃で傷ついた者たちを一方的に批判してきた体制擁護の人は何故、「知の巨人」に祭り上げられたのだろう。・・・


そして、この斎藤学氏の論から想起されるのが、今まさに大阪で公判が進行中の『“冤罪事件”=厚労省村木厚子局長が部下に指示したとされる文書偽造事件』http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201003030174.htmlのおぞましい現実である。


その詳細&顛末については下記★が詳しいので省略するが、この事件の背後には小泉政権下で起こった“清和会による経世会側からの郵政利権の引き剥がし工作(自民党の内部抗争)”が潜む疑いが色濃くなっている。この事件を担当する大阪地検・特捜部がどこまでこの悪しきスキームに絡むのか定かではないが、関連情報から“マル政案件”など聞き馴れぬ不可解なコトバが飛び出すことを思えば、その当時の政権中枢に及ぶかも知れぬ闇の深さに驚愕させられる。


松田光世氏ツイート「村木厚子元局長の冤罪事件」について核心に 迫る!、http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-326.html


ところで、「推定無罪(Presumed Innocent)」なるコトバの裏には“有罪判決を出す立場でもある司法(制度)自身が絶対に法を犯すべきではない(=司法そのものが有罪同然であってはならない、そこでは絶対的に“法の支配”と “憲法による授権規範”の原則に従うべく、民主主義国家に相応しい周到な知恵が創意工夫されていなければならない)”という意味(=推定無罪の逆説)が隠れているのだ。


つまり、“より客観的な民意を代表する検察審査会の権限強化を唄いながら、実は一方的な検察組織の保守・ 強化を意図する<検察審査会関連法>の改正”が行われた如く、まるで“カルト化と見紛うまで超官僚組織化しつつ司法と行政”が密かに裏で癒着・和合している『現代日本における自民党・長期政権下の暴政』の姿は、紛れもなく有罪(guilty)であり、それこそが一 刻も早く政権交代を実現すべき理由となっていたはずなのだ(この詳細は下記◆を参照乞う)


オバマ流の炯眼に到底及ばぬ暴走検察「関係者」とマスゴミの卑劣な政治的狙い、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100128


わが国は三権分立を建て前とする民主主義国家であるはずなのだが、下のブログ記事(▼)を読むと、必ずしもそうではないらしいことが理解できる。それによると、“竹内行夫氏(小泉首相時代に外務事務次官(外務行政庁トップ)として、自ら積極的にブッシュのイラク戦争を支持し自衛隊イラク派兵を決定し、それを先導した外務行政の責任者)が最高裁裁判官に任命されているという現実”がある。


▼『竹内行夫最高裁裁判官から罷免し 日本に三権分立を取り返そう』(村野瀬玲奈の秘書課広報室、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1346.html


ブッシュ元大統領でさえ「間違いであった」と反省し、名古屋高裁違憲判断を出したイラク戦争を積極的に支持・先導した人物を日本行政のトップ(当時の麻生内閣総理大臣)が最高裁の裁判官に任命したということは、明らかに三権分立(法の支配の原則)の否定なので、本来であれば、これは“外形的手続き論では合法だ!”で済まされるべき問題ではない。


また、一連の「小沢vs検察・メディア」を巡る“検察関係者⇔記者クラブ”の癒着に関わる不毛な闘争劇の背後にも小泉政権下での不可解な「“検察=小泉政権自民党)”・癒着構造」の存在が囁かれており、例えば、その一つは「検察裏ガネ」の揉み消し問題を介した<小泉政権自民党)と検察の癒着・談合>の疑いということで、これを元検察官・三井環氏(検察裏ガネ告発の寸前に微罪で逮捕・収監され実刑となった人物)は“検察がケモノ道に堕ちた”と表現している(関連、下記★参照)


三井環事件とは何か?、http://www.geocities.jp/ku_kai2006/4benkyokai.html


もっとも、当ブログでも再三に及び“『米国型新自由主義』と『現代日本の司法改革』の妖しい関係”を論じてきた経緯がある。その詳細は下記▲を参照して頂くとして、ここで指摘しておきたいのは、上で触れてきた冤罪事件にせよ、三権分立の否定にせよ、“小泉政権(自民党)⇔検察”癒着の疑いにせよ、“検察関係者⇔記者クラブ”癒着の疑いにせよ、これらの根っこ部分が、結局は“『米国型新自由主義』と『現代日本の司法改革』の妖しい関係”に行き着くということである。


新自由主義的「司法改革(法科大学院裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207


しかも、このように不可解な“『米国型新自由主義』と『現代日本の司法改革』の妖しい関係”を先導してきたのが、先に取り上げた東京新聞「本音のコラム/斎藤学氏の論評」(3/3朝刊)による『主要マスメディアの背景に潜む“虚構のモンスター”(米CIAエージェントに連なる人物ら)の日本支配』ということである。


百歩譲り、そもそも敗戦国・日本が宗主国アメリカの大きな影響下にあり続けてきたことはある程度までは仕方がないことだとしても、主要なメディアの扇動で国民主権を根こそぎに裏切り、三権分立の原則を踏みにじってまでアメリカに傅(かしず)く日本国の統治手法は余りにも行き過ぎであり、それは買弁政治(=植民地統治そのもの)に他ならない。あの「小泉一派の毒」にかぶれた人々ならいざ知らず、少なくとも我われ一般日本国民の意識として我われは“アメリカ植民地の住人”ではないからである(下記◆関連参考情報を参照乞う)


◆RTseiichitakarabe 2010.03.04 13:39
ロッキード事件を手がけた堀田力さんに尋ねたことがあります。「なぜ特捜検事になったのか?」 自ら犯罪を掘り起こしていく正義にやりがいを感じたという返事。しかし今の特捜は「掘り起こす」ではなく「でっちあげる」だ。無実なら村木局長にはキャリア官僚としての原状回復+αを!


◆hanachancause 2010.03.03 12:58
@hanachancause 【QT】“熱い…そしてかっこいい♪(>_<)何言われようと小泉進次郎さんには頑張ってほしぃですね”?⇒ http://ameblo.jp/ahare4/entry-10471929904.html


◆hanachancause2010.03.03 16:38
@hanachancause 【≒QT】RT @prettynanacat: ジャニfanの心理なのね。私には理解不能だわ。政治は顔でするものじゃない。まあ、私の見解ではとてもJrは「良い顔」とは思えない♪ 子鼠進次郎。ジャニーズファンクラブOBじゃないかなー。


本来、マスメディアは政治権力・行政権力および犯罪等反社会的勢力の動向に対する「妥当性評価」(厳しい諸権力や利害関係の激しい鬩ぎ合いの中で客観的・市民的・国民的目線を確保・維持するための活動)の役割が常に突き付けられているはずで、その要となるのは『取材対象との適切な距離の維持』ということに尽きる。しかし、「記者クラブ制度」に溺れる中で、日本のメディアは取り返しがつかぬまで、おどろおどろしい姿の「虚構のモンスター」の手足と化してしまったようだ。


【エピローグ画像】Lara Fabian - J'y Crois Encore