toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

“桜は花に顕るを知る”の心で K.V.ウオルフレン『日本政治再生を巡る権力闘争の謎(1)』を読み解く

toxandoria2010-03-31


【画像1】中島みゆき『歌姫』


【画像2】京都の風景 四月、桜(この画像は『祇園白川宵桜ライトアップ、http://www.gion-nawate.com/yozakura/』より)





【プロローグ】ある日のツイッターより・・・


hanachancause 2010.03.31 16:53・・・画像はゴリラ似の筆者toxandoria の自画像(実はウソ、これはマスゴミが好むアノ妖しげな関係者の実像!)


ゴリラならぬ一定の知能がある者であればウォルフレン論文の分析は簡単に理解出来る筈だが、要は日本政治の真相(真実=問題の在り処)を如何に分かりやすくx層(=無党派層、無関心層、どうでも良い層、無責任層、我関せず層、B層etc)向けに説明できるかが今や民主党の<剣が峰>、ユメユメ自民ネオリベの別働隊たる「みんなの党」とは合流なさるな!http://bit.ly/9dRxX0


(K.V.ウオルフレン『日本政治再生を巡る権力闘争の謎(1)』を補足・解釈した内容)


<注記1>K.V.ウオルフレン『日本政治再生を巡る権力闘争の謎(その1)』のオリジナル(原文)はコチラ ⇒ 
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html


<注記2>カレル・ヴァン・ウオルフレン氏(K. van Wolfren/1941− )は、一時期、オランダ高級紙「NRC Handelsblad」(http://www.nrc.nl/) の極東特派員を務めた人物で、1962年以来約30年近く日本滞在の経歴を持つ優れた国際ジャーナリスト(ウオルフレン氏の主著『日本/権力構造の謎』については下記の★参照)。


★カレル・ヴァン・ウオルフレン『日本/権力構造の謎』(『大原社会問題研究所雑誌』No.386、1991年1月号)、http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/nazo.htm


・・・・・


平戸へ使節団が足跡を残す1609年以降オランダと日本の関係には長い歴史があり、ペリー来航の前年1852に商館長D.クルティウスが米艦隊派遣情報を幕府へ伝え、条約への準備を忠告したという事実がある(出典:日蘭関係の四世紀、TijdStroom出版)。


『日蘭四世紀の交流』という歴史的事実を前提とするオランダ伝統の原典・原資料主義の手法で日本の宗教・文化・社会・政治を凝視するライデン大学・日本学センターの真摯な研究の成果には驚くべきものがある。


例えば、「小泉構造改革」と「安倍の対NHK政治圧力問題」について既にオランダの日本研究者らは「日本の変調=右傾化を潜ませた小泉・竹中ネオリベ擬装構造改革=官僚による実質的権力システムの強化」に気付いていた(参照、下記◆)。


◆ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』(国学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/pdfman/get.php?id=30#search=%22%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%22


このように、逸早く“日本の変調”(近年日本の宗教・文化・社会・政治を巡る動向が内向化=“国粋・極右傾・歴史修正主義”化への懸念)を客観・冷静に指摘したのはライデン大学の日本学研究者たちである。K.V.ウオルフレンの視点には、このような前史があることを銘記すべきだ。


・・・以下は、このような日蘭関係の前史を視野に入れつつK.V.ウオルフレン論文を解釈した内容・・・


陸軍の基礎を確立(徴兵制・参謀本部軍人勅諭等の設置)し軍閥巨頭とされる山縣有朋(元帥陸軍大将・従一位大勲位ほか)は、政党政治(立法)を統制でき る「“官僚・司法・軍”構造=政権の別を問わぬ非公式な実質的権力システム」を権力中枢に密かに仕込んだ。


山縣が仕込んだ日本官僚機構(実質的権力システム)は一種の免疫力(権力中枢から異分子を排除する攻撃力という特殊な能力)を持つ。それは、そのような日本の官僚機構が “政治的に過剰なものに脆弱だ”という弱点があるからだ。それ故にこそ田中角栄小沢一郎らは激しく攻撃されたのだ。そして、例えば立花隆の如きは見事に「非公式な実質的権力システム」の先陣的な意味での片棒を担ぐ結果となった。


無論、この「実質的権力システム」なるものは多様な形で各国にも存在する。例えば米国のオバマ政権は“軍事利権と金融・保険に加担しつつ彼らの利益を優先した超法規実質権力 (憲法違反の権力構造)”と対決中なのだ。だから、日本国民はメディアと目交(まぐわ)う検察等が総掛りで仕掛ける民主党潰しが、その日本版であることに早く気づくべきだ。


日本では、この免疫システムの実行部隊が検察なのだ。だから彼らは“政治的に過剰な存在”についての、ごく些細な犯罪を嗅ぎ回り、それが立証困難であれば架空事件を創作してしまう。いわば山縣有朋が密かに仕込んだ「実質的権力システム」にとり本格的政治改革を目指す政治家は必ず排除すべき悪性ウイルスという訳なのだ。


ところで、この検察の実質的機能を整備したのは平沼騏一郎法曹界の権力者、右翼勢力拡大に尽力、自民を離党した平沼赳夫は養子)で、平沼騏一郎こそが神聖な国体(カルト国家観念)を守る<超法規的司法制>を確立した人物だ。このため、オランダの日本学者ウイムポートは“日本検察は秦の焚書坑儒に匹敵する”と述べている。


いやしくも“一応の民主主義”下の日本で国体(カルト国家観念)に必須の<伝統的実質的権力システム>を機能させるには検察の焚書坑儒力だけでは不十分だ。そこに “検察=関係者=メディア報道”という“目交(まぐわ)い的“な異常報道スタイルが記者クラブを介して生まれたのだ。


即ち、ナチズム・スターリニズム北朝鮮を極地とする“無思考、画一化、歴史修正主義”(H.アレント)は一種の「極右カルト国体化」であり、そのような傾向は程度の差こそあれ各国に潜在するものだ、しかし現代日本のそれは極限状態へ接近中で、しかも米オバマ大統領が米国のそれ(ファシズム的な実質的権力構造)と必死で闘っていることが「極右カルト国体化」の奴隷と化したマスゴミのせいで日本国民には見えないという訳なのだ。


(日本のマスコミが汚辱のドロ沼と餓鬼道に堕ちた乞食ジャーナリズムと化した理由)


リーマン・ショック後、世界の経済・金融学会では人間の行動と道徳的判断が果たす役割が再認識され、人間(国民主権)に役立つ経済・金融についての議論が活発化した。しかし、日本では飽きられることもなく竹中平蔵ネオリベ派がデカイ顔をし続けており、各マスゴミも折に触れて彼らを囃したてる。


それは、与野党を問わずネオリベ派が広く蔓延っている故だが、加えてソ連崩壊後の日本経済学が基本的に回帰分析型思考に洗脳されたことが考えられる。高度な数学・統計学を駆使する超優秀な頭脳が集ったことは同慶の至りだが、所詮それは「情念的政治権力」(=実質的政治権力)の道具に過ぎない。


従って、正統を自認する経済学分野の先生方へお願いしたいのは、回帰分析思考型(一定のモデル思考で結論を出すこと)を好むマスゴミの雑音(邪悪な意志)が本来道徳的である筈の日本国民の頭脳を実質的権力向けにメディア・コントロールで改造できぬよう、少なくとも一定期間は新聞・TV情報等を遮断し、十分に客観的な思考を深めて頂くことだ。


主流派経済学は、市場の需給は常に均衡するように働き、その前提として経済主体が現在のみならず将来についても完全な情報を持つ(情報の対称性がある)と仮説するが、どうもこの考え方は「ファスケス(下記・注記3参照)=情念的政治権力」(V.ウオルフレンが言う実質的権力システム)への媚びへつらいに見える。


<注記3>ファスケス(fasces)
・・・ファシズ ムの語源とされるラテン語で、 それは共和制ローマの統一シンボルであ る「複数の鋭利な刃を束ねた杖」のこと。つまり、専制か民主制 かの体制の如何を問わず、必ず政治権力の深奥に根を張ることになる暴力性のこと。その一般制度化が軍事・検察・警察等 の殺傷・拘束・拘留・逮捕等の実行・強制・執行権力である。


結局、情報の対称性を前提するR.ルーカス的経済思想(新古典派新自由主義)に拘ったネオリベ派(小泉・竹中ら)の意に反しリーマン・ショックでは恐るべき情報不足の状況に嵌り、主流派経済学が想定した賃金・金利等についての円滑な調整が作用せず市場原理主義から政府(ケインズ政策)へ交代せざるを得なくなった。


が、自民党の小泉等ネオリベ派と極右および竹中ら御用学者らと深く目交(まぐわ)ってきたマスゴミ・検察官僚組織はレーガンサッチャーに始まる市場原理主義(一種のカルト)に未練たらたらで、それが実質的権力組織(巨大利権&巨悪)として民主党を総攻撃している。


市場原理暴走の原因は経済理論と応用の未熟さだと竹中平蔵ら学界関係者、政界関係者、金融・財界関係者、マスコミは謙虚に反省すべきだし、少なくとも金融自由化の正しさを主張・推進したのはあなた方で国民期待の民主党政権ではなかったのだ。あなた方がやった仕事は国民の現在と未来に責任があり、その失敗の痕跡は絶対に消えないことを忘れるな!と言いたい。


ところで、市場原理主義(断じて市場機能ではない!)が一種のカルトである証拠は、市場参加者が未来の永遠に至るまでの価格の動きについて正しい見方を持つという命題(何と横柄で無責任な!)にある。これはアノ不可解な「情報の対称性」仮説と共鳴し、邪悪な「情念的政治権力」(剥き出しのファスケス)とも共鳴し易い。


一方、市場原理主義より謙虚なケインズ理論は将来の不確実性は避け難いものであることを前提とする。故に一定の政府の役割(政府の大きさならぬ!)を認めるので一般国民が理解し得る民主的経済学の発展可能性(第三の道、資本主義の絶えざる修正の道)を持つといえる。片や、「ケインズ主義=社会主義」を煽る米ティー・パーティ型のアジテータはファシスズムヘ接近する。


つまり、市場原理暴走の原因は経済理論と応用の未熟さだと竹中平蔵ら学界関係者、政界関係者、金融・財界関係者、マスコミは謙虚に反省すべきなのだ、しかも、少なくとも無限定なまでの金融自由化の正しさを主張し推進したのは彼らであり国民期待の民主党政権ではなかった。そして、彼らがやった仕事は国民の現在と未来に責任があり、その痕跡は絶対に消えないことを忘れるべきではない。


そして、その市場原理主義のカルト性を最も分かり易く現すのが「現在価値基準革命」(情報源:2008.10.7 付・日本経済新聞)の考え方だ。つまり、それは、資産価値を過去の費用や利益の積み上げではなく、将来収益の割引現在価値で認識し、それを全ての金融取引に適用する金融文化を指す。


これによって、会計上の資本概念は「資本金(払込資本)に内部留保を加えたもの」から、「時価評価後の資産から負債を引いたもの」の方向へコ ペルニクス的転換を遂げた。そして、このように実測できないもの(数字=時価評価後の資産から負債を引いたもの)を計測し、時価を徹底的に利用し尽くそうとする欲求は、1980年代以降の「金融工学」に由来するのだ。


ストックオプション(株式購入権)で賃金を支払い、自社株買いで現金配当に代え、株式交換のM&A(合併・買収)を活用すれば、株は通貨の代替手段になる。そして、株の交換価値は時価、つまり企業の予想収益の割引現在価値だということになり、それは高いほど歓迎されるようになった。これは、まさに価値基準のヴァーチャル・ゲーム化であり、これこそが現代日本の低劣な労働環境問題(=失業・自殺・過労死・非定期雇用・名ばかり管理職etc)の大本の発信源である。


西部劇スタイルのペイリン女史を広告塔とする米ティー・パーティ型アジテータは「ケインズ主義=社会主義」を煽り(オバマ政治経済政策と漸く成立したばかりの国民皆保険制を批判し、超過激化した一部の者が同法案に賛成した民主党議員の殺害を予告する類の大騒ぎとなっている)自民党一派はケインズ主義を図に乗って悪用した、その象徴が“国債1000兆円へ接近の借金”問題、米国でも巨額財政赤字を齎したのは市場原理を唱道した共和党大統領たちで、例外は民主党ビル・クリントンだけ。


ケインズは、失業の原因が全て総需要不足に起因するとは考えておらず、むしろケインズは、M.フリードマンと同様に失業の原因の大方は賃金・物価の硬直性、言い換えれば分配構造の硬直性にあると見なす。ここに適切な労働環境政策と課税政策改編の役割、つまりもう一つの適切な政府の役割がある。ただ、フリードマンはその役割を市場へ一切任せるべきとしたが、その市場原理主義リーマン・ショックで反証された。


「一般理論」のケインズは永遠に回避不能な“根源的不確実性”(情報の非対称性)が経済の不安定さを齎し恐慌後の回復を遅延させることを論じた、故に「信用」を最高価値として掲げる謙虚な政府の役割が重要だということになり、この視点の破壊を狙うのがカルト化(学界・政財界・マスコミが癒着)したファシスト連合(=V.ウオルフレンが言う日本の実質的権力システム)だ。


故に、新聞紙上や中吊り広告で「小沢一郎は害悪である」の如く、まるで化石のようにドグマ化したワンパタンの狂気じみた大きな文字で民主党攻撃を執拗に煽り続ける「“週刊現代”の類の四流クソメディア」と主要な「マスゴミ」(新聞・TV等)こそが、日本国民と日本の未来の厚生と幸福を意地汚く食い物にする、汚辱のドロ沼(餓鬼道)に堕ちた乞食ジャーナリズムで無用の長物だと言えるのだ。


【エピローグ】中島みゆ き『歌姫』… 春 四月、京都の桜