toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

点描ポーランドの風景、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)

toxandoria2010-07-24



ポーランド主要都市一覧

…この画像はウイキペディアより


【プロローグ画像】Chopin - Valentina Igoshina - Fantasie Impromptu




【画像】点描ポーランドの風景、2010.7(撮影、7/15〜7/22)


クラクフ郊外の風景


トルン、コペルニクスの家


トルン、チュートン騎士団


ポーランド平原の風景1


ポーランド平原の風景2 機中より


ポーランド平原の風景3


アウシュヴィッツ、物的証拠展示室


アウシュヴィッツ、第二収容所跡地ビルケナウ


第二次大戦勃発の地、グダニスク港の風景1(バルト海


グダニスク(ドイツ名ダンツイヒ)の風景2


ワルシャワの風景1


ワルシャワの風景2


風景、ショパンの生家1(ワルシャワ郊外)


風景、ショパンの生家2


風景、ショパンの生家(周辺)




ポーランドについての概観と感想(妄想))


残念ながら、日本人にとってポーランド関連の情報が日常のニュースとして耳目に届くことは非常に稀であり、それは、対実効権力の暴動が起こったり、不遇な飛行機事故が起こったり(参照、http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/201004120000/)、あるいはポーランドを出汁にした疑いが濃い怪しげなニュース(例えば下記◆の如き)が流される時くらいのことだ。


ポーランドの「乱交ゲーム」というデマと日本の青少年厳罰論に共通する悪意、http://2xxx.jugem.jp/?eid=71


しかし、この類のニュースは、次期首相の候補として小泉進次郎自民党のイケメン看板)への期待が高まりつつあるとかのようなB層受け(衆愚政治)を狙った、主要メディアによる財務省検察庁を筆頭とする官僚機構による『国家的ネコババ』の悪巧み(“特別会計+一般会計”を巡るダークマター/cf. 石井紘基・事件の闇、http://aruite5.blog.shinobi.jp/Entry/1111/等をカムフラージュするための下心を潜ませたデマゴギーに過ぎない。


ところで、慧眼にも19世紀ポーランド・ロマン派の詩人ユリウシュ・スウォヴァツキ(Juliusz S遵gowacki/参照→http://hektor.umcs.lublin.pl/~mikosmul/slowacki/が「ヨーロッパの心臓」と名付けた(出典:沼野充義・監修『読んで旅する世界の歴史と文化、中欧』‐新潮社‐)ポーランド(首都ワルシャワは、ヨーロッパの中で最も複雑で熾烈な歴史(ドイツ・フランス・ハプスブルク(オーストリア)・プロイセンソビエト・現代ロシア・現代米国など複数の歴史的覇権国・宗主国との複雑な関係)を今も持ち続ける国だ。


現代のポーランド共和国(人口、約3800万人)の約97%(3700万人)ポーランド(西スラブ人)の国であるが、歴史を紐解けば、それは幾度かの国境線の変更、周辺列強諸国との攻防など(列強諸国・多民族・多宗教間の鬩ぎ合い)の中での凡ゆる過酷で限界的な政治・戦争・殺戮・ホロコーストらの繰り返しという真に苛烈な歩みであった。また、この様に複雑極まりない歴史のプロセスで漸くカトリック教徒国としての体制が確立したのは第二次世界大戦終結してからである。


このように余りにも過酷な千年以上に及ぶ“歴史的意味での多民族国家ポーランド”が、そのプロセスで二回も国家消滅の経験を経ていることは周知のとおりだ。一回目は10世紀に勃興したポーランド(勃興期(10世紀)〜1384ポーランド王国、1385〜1569ポーランドリトアニア連合王国、1569〜1795ポーランド・リトアニア共和国が1795年の第三次ポーランド分割で消滅し、二回目は独立を果たしたポーランド第二共和国(1918〜1939)ナチス・ドイツの侵攻で崩壊(残った東部地域もソビエト軍の侵攻で1941年までに消滅)した。


ところで、第三次ポーランド分割の前に、フランスのJ.J.ルソー(1712-78/仏の啓蒙思想家) は、著書『ポーランド政府論(1771)』の中で、“混沌・アナルシ(an-archie /列強諸国の介在・介入・浸食による中枢権力の不在)”として非難されていた当時のポーランドの政治・社会制度(選挙王制、連盟主義、国会、その国会にお ける自由拒否権など)をむしろ以下のように積極的に評価していたことが分かる(出典:阪東宏・編『ポーランド入門』-三省堂書店-)


ポーランドにとって善い制度であり得るのはポーランド人自身が創造し たものである…できるなら制度の改善に努めるのもよろしい。けれども貴方たちを今あるものにしたポーランド人自身が創った制度を軽蔑などしませんように』・・・その上でルソーが描くポーランドの未来像には三つの特徴がある。


(その一)被支配民族としての立場の解放(国民主権の獲得)


国民教育の重要性…教師の出自は職業的身分等に固定されてはならず(被支配民族としての立場の解放)、生徒についても初等・中等教育を受ける者と高等教育を受ける者を差別してはならず、中等教育は出来得る限り学費免除にすることが望ましい。


(その二)本格的地方分権の実現


国制については、ポーランドのようなかつての大国が専制国家に堕することなく、むしろアナルシ(既述のan-archie)に傾いている現状は驚嘆に値する積極的な例外現象だ。これからのポーランドの目標は先ず領土の均衡的縮小(16〜17世紀の黄金期(ポーランドリトアニア連合共和国)の如き近隣支配的な大国を目指すべきでない)、次に縮小された国家の内部を独自の権限を持つ県の連合体(本格的地方分権に改造することだ。


(その三)社会的解放(弱者救済)


士族シュラフタ/Szlachta…日本の武士階級に近似、大士族≒貴族)・町人・農民の三身分を改革し、特に士族の偏見と利己心を克服すること、永く隷従の民であった人々を自由人へ解放する事業は、ただ倫理的であるというだけでなく大胆さと思慮を必要とする難事業だ。が、それ(社会的解放)を実現しなければポーランドの再生はない。


このようにポーランド史を概観すると、日本人の一般常識からは思いもつかぬことかも知れぬが、自民党の長期独裁から漸く政権交代を果たしたとはいえ、<宗主国・米国の傀儡組織たる官僚機構>を始めとする実効権力の支配下で混迷を極めつつ衆愚政治の泥沼(菅民主党政権自民党化への溶解、メディアが操る進次郎型イケメン首相待望論の拡がり、あるいはホロコースト(アウシュヴィッツ)否定論等の歴史修正主義や単純陰謀論の跋扈など)へ引きづり込まれつつあるからこそ、今の日本が手本とすべきは、現在も苛烈な歴史経験の荒波に抗う“ヨーロッパの心臓”たるポーランドであると思われる。


【エピローグ画像】


01 Nocturne No. 1 in B Flat Minor, Op. 9-1 by: Peter Schmalfauss


Chopin Nocturne


【Premium画像】ショパン生家の近くで見つけたコウノトリの巣


…下の記事◆によると欧州で生育してるコウノトリの三分の一位がポーランドで過ごすらしい、とのこと。


◆todomundoの日記/ポーランド ワルシャワhttp://d.hatena.ne.jp/todomundo/comment?date=20100724#c