toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

点描ポーランドの風景/クラクフ編(3)、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)

toxandoria2010-08-06



【参考画像】クラクフの位置図ほか







<注記>これら画像についての説明および当シリーズ記事の「クラクフ編(1)、(2)」については下記を参照のこと。


点描ポーランドの風景・クラクフ編(1)、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100731


点描ポーランドの風景・クラクフ編(2)、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100803


【プロローグ画像】1971 Death in Venice – Trailer


・・・ポーランド南部の都市クラクフポーランドで最長のヴィスワ川の上流に位置する人口約76万人の古都で、その都市の性格は日本での東京に対する京都のイメージでとらえると分かり易い。


・・・18世紀末のオーストリアハプスブルク)、ドイツ(プロイセン)、ロシア3国によるポーランド分割によってクラクフオーストリア領とされる。しかし、クラクフはドイツ(プロイセン)やロシアに併合された他の地域と異なっていた。


・・・クラクフは旧ポーランド内で唯一ポーランド語の使用が許されたため、ここはポーランドの伝統とハプスブルク王朝の二つの文化が融合し独特の魅力ある芸術文化都市(ウイーン、プラハと並び中欧を代表する文化都市)となった。


・・・第二次世界大戦の戦火も奇跡的に免れたため100に近い教会を始めとする美しい中世の建造物が今でも数多く残っており、町全体が博物館のようなクラクフは歴史地区として1978年に世界文化遺産に登録されている。


・・・ところで、クラクフの旧市街辺りを歩くと、この街はどこかオーストリアのウイーンに似ているぞと思わせるような空気が感じられるが、それはクラクフオーストリアハプスブルクの文化的な寛容政策の恩恵を受けたからというだけではないらしい。


・・・皇帝カール1世が1918年に退位して650年も中欧に君臨したハプスブルク家の帝国(オーストリアハンガリー二重帝国)はもろくも崩壊したが、実はその頃まで帝国を縦断してクラクフ~ウイーン~ヴェニス間を急行列車が通っていたという事情があるらしいことが分かった(出典:下記★)。


★池内 紀著『錬金術師通り/五つの都市を巡る短編集』(文芸春秋


・・・そのため、イタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティが映画化した、あの余りにも有名なトーマス・マンヴェニスに死す(1912)』という名作が生まれたことも理解できた。


・・・しかも、驚くべきことに、この本のなかに池内 紀氏(ドイツ文学者)がクラクフを訪れたときに作品の象徴的主人公であるポーランド人の美少年タジュー(タディオ)のモデルとされた人物に邂逅したという話が出てくる。


・・・無論、それは、あの映画のような瑞々しい美少年(映画ではスェーデン人のビョルン・ヨーハン・アンドレセンが演じた)ではなく、もはや老醜をまとった“美少年”であったということらしいが。


・・・ともかく、この逸話からしても、たしかにポーランドが“ヨーロッパの心臓”であることの意味が腑に落ちるような気がする。


3 ポーランド史に学ぶ「民主主義の非効率(民主主義の赤字)回避のための小さな政府(自由原理主義)」なる浅知恵への批判的問題意識


(日本に偏在するキョロキョロの対極にあるポーランド伝統の「シュラフタ民主主義」の意識)


思想家・内田樹は、著書『日本辺境論』(新潮新書)のなかで、丸山眞男の次のコトバを引用している。・・・<日本人はたえず外を向いてキョロキョロして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうキョロキョロしている自分自身は一向に何も変わらない>


これは、欧米からの外来イデオロギーにめっぽう弱く、キョロキョロ、キョロキョロなる振る舞いが、まるでバロック音楽通奏低音のように明治期から今に至るまで繰り返されている日本社会に特有な閉鎖的傾向を指摘したものだ。まるで幕末の攘夷論の如き極右思想が現代日本を跋扈する背景も、この辺りの事情にあるようだ。


つまり、それは“キョロキョロ、キョロキョロ”なる国民的常同性(対外的に同じ反応を繰り返すアスペルガ―症候群の特徴を示す専門用語)に囚われ続ける日本人の特性(=偏在する文化的劣等感またはソノ裏返し)を鋭く抉ったものだといえよう。


そして、このような意味での日本人に偏在する、つまりユビキタス化した文化的劣等感の対極にあるのがポーランド伝統の「シュラフタ民主主義意識の伝統」だと考えられる。シュラフタは所謂「騎士(士族)階層」(彼らの中で領地・財力で傑出した立場がポーランド貴族)であるが、彼らには領地の大小、あるいはその有無の別を問わず対等(国王が召集するセイム議会における対等な1票の権利を持つ者)に扱われるという伝統があった。


現代民主主義と異なり、下層民は別としてもシュラフタ・貴族層の間では全く平等な意識が定着し、この状態には、1918年のポーランド共和国独立まで約300年以上も続いた実績があり、これが「シュラフタ民主主義」と呼ばれる、他国に先駆けたポーランド独特の政治的伝統であった。しかも、この伝統は、1918年にシュラフタ身分制が廃止された後も精神文化としてポーランド社会のなかに残り続けている。


その独特の意識(1票の対等な権利で平等社会実現の先導者たらんとする良い意味でのシュラフタ的なエリート意識)は現代ポーランドでも通奏低音を響かせており、例えば1991年に共産党独裁政権に終止符を打たせたレフ・ワレサ(ヴァウェンサ)の「独立自主管理労働組合・連帯」も、このシュラフタ伝統のなせる技であったとする見方が可能だ。


一方、これは前にも書いたことだが歴史的に見ればポーランドの領土は固定的でなく伸縮する自在な空間であったと言うことができる。無論、ポーランド国家が意志的に伸縮させた要因はむしろ少なく、特に近世における領土の変遷・消滅・復帰はポーランド地政学的な意味での列強諸国との攻防の帰結であったといえるだろう。


(「ポーランド民主主義」を支える多言語国家としての歴史経験と現在)


このシュラフタ民主制は一種の貴族優位主義という条件付きの民主主義であったものの、その徹底した<平等意識と王権に対する厳しい授権規範の要求がフランス革命前に既に確立していたというポーランドの先進性>は、当時の列強諸国の覇権主義に比べ遥かにハイレベルな政治意識であった。つまり、シュラフタ民主制によれば、王権による徴税も戦争も行政経費負担もセイム議会の承認がなければ一切実行できなかったのだ。


このため、18世紀に行われた第一〜第三次ポーランド分割は、ポーランドの進歩的なシュラフタ民主主義(思想)が危険視され、結果的に、それが自国へ飛び火することを恐れたドイツ(プロイセン)、オーストリアハプスブルク)、ロシアの三国が総掛りで侵略的に介入することになったという見方もできるのだ。


ところで、15〜17世紀のポーランドリトアニア連合王国〜連合共和国時代のポーランドの領土について見ると、その最大時期では現在のウクライナベラルーシリトアニアを含みバルト海から黒海にまで及ぶヨーロッパ一の大国であった。


やがて、そのポーランドリトアニア国家の広大な領土は1795年の第三次ポーランド分割で消滅するが、今度は独立を果たしたポーランド第二共和国(1918〜1939)がナチス・ドイツの侵攻で崩壊・縮小(残った東部地域もソビエト軍の侵攻で1941年までに消滅)している。


第二次世界大戦後になると、テヘランポツダム両会談でポーランドの領土は第一次・第二次大戦間期より縮小され西方(ドイツ寄りのシロンスク/ポーランド語系が約7割、ドイツ語系が3割の地域)へやや移動し東部のウクライナベラルーシ西部をソ連に割譲し現在に至っている。


一説によれば16世紀のポーランド・リトアニア共和国でのポーランド語使用率は40%程度に止まり、ポーランド西部ではドイツ語が、北東部のリトアニア辺りではリトアニア語・ラトヴィア語、古プロイセン語エストニア語などが話され、数多いユダヤ人はイディッシュ語を使っていた。


また、ポーランド国王の宮廷ではドイツ語・フランス語・イタリア語などが使われ、この宮廷に仕えるシュラフタの子弟らは各国語習得の為に西欧へ留学するのが常であり、都市の大商人やユダヤ人、あるいは貿易に携わったアルメニア人などは複数の言語を日常的に使っていた。つまり、ポーランドリトアニア国家時代のポーランドは紛れもなく多言語(マルチリンガル)国家であった。


他方、これも前に書いたことだが、18世紀後半に支配身分であったシュラフタ層の中で「ポーランド国民」の自覚と意志(一種のナショナリズムの意志)が芽生え、早くも第一次ポーランド分割(1772)の直後に「国民教育委員会」が創設され、<ポーランド語を教育言語とする学校改革>が行われた。


これが現代の民主国家ポーランド誕生の基盤的意味での布石となるのだが、このことには、ポーランド国家づくりの主柱(国民主権地方分権、弱者救済)を支える必須条件として教育を最重視するよう勧めた仏の啓蒙思想家J.J.ルソーの貢献も大きいと考えられてい
る(参照、下記◆)。


◆[机上の妄想] 点描ポーランドの風景、2010.7、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100724


このような流れを俯瞰すれば、18〜19世紀ウイーン(ハプスブルク支配下において、旧ポーランド領内で唯一ポーランド語の使用が許されていた古都クラクフの歴史的役割が極めて重要であったことが理解できる筈だ。


のみならず、それは過去の歴史レベル(過去形の出来事)であるに止まらず、今もクラクフのヤギエウオ大学、あるいは首都のワルシャワ大学などを中心に、EU加盟を果たしたヴィシェグラード・グループ(ポーランドチェコハンガリースロバキア)の盟主たるポーランドの新しい開かれた歴史を刻みつつあるようだ(ヴィシェグラード・グループおよび古都ヴィシェグラードの現代的意義については下記★を参照乞う)。


★ヴィシェグラード・グループとは、http://hiki.trpg.net/BlueRose/?VisegradGroup


ハンガリーの古都・ヴィシェグラードについて(民主化の象徴的トポス、ドナウ・ベントに共鳴する伸びやかなララ・ファビアンの歌声、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090429


★ヴィシェグラード、http://www.szagami.com/cities/al-visegrad.htm


そして、独立自主管理労働組合「連帯」を中心とする円卓会議(参照⇒http://www.worldlingo.com/ma/enwiki/ja/Polish_Round_Table_Agreement)を経た自由選挙による「共産党独裁政権」崩壊後のポーランド民主共和国の言語事情は、ポーランド語しか話せぬ人の割合が50%程度であったが、2004年のEU加盟辺りから英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロシア語などを学ぶマルチリンガルへの風潮が進み、ポーランド人は、現代グローバリズムの世界で、その<多言語国家としての歴史経験>を再び活かしつつある。


シュラフタ民主主義の歴史的優位性の伝統と現代ポーランドの先進的な批判的問題意識)


これは大雑把な比喩的表現であるが、東欧で共産党一党独裁が崩壊するまでに要した時間を国別に観察すると「ポーランド10年、ハンガリー10カ月、東ドイツ10週間、チェコスロヴァキア10日、ルーマニア10時間」という説があり、ポーランド民主化自由主義経済化への体制転換が最も時間を要したことは事実である。


たしかに、身分制社会という条件下でのシュラフタ民主主義の徹底平等権の主張と権力に対する完璧なまでの授権規範性の要求はポーランドの近代民主主義国家への道程を却って困難化した側面がある。しかし、それにもかかわらず、その政治思想としての先見性(コンセンサス重視という一見では非合理な伝統)はEU加盟(2004)後の現代ポーランドの発展迄のプロセスを見事に条件づけたといえそうだ。


長い歴史的スパンで見ると、ポーランドは経済発展よりも政治思想の方が優越していたといえる。つまり、ポーランドは、コンセンサスを重視するあまり他の東欧諸国に比べると本格的な民主主義が確立するまで非常に長い時間を要した。が、その長い時間をかけた分だけ経済の発展と持続を確かなものにすることができることを証明したといえるのだ。以下に、その姿を具体的に少し検証しておく。


ケインズ主義を批判しつつ、新自由主義の立場から市場原理主義と民営化を擁護するアメリカのJ・M・ブキャナン(1919‐ /公共選択論を提唱、米国の財政学者)は、ポーランドシュラフタ民主主義の如き“厳格すぎる合意形成主義の政治優位の伝統”は民主主義のコストがかかり過ぎる(民主主義の赤字が拡大する)ので「政治力>政府財政力」の状況出現は望ましくないとして「小さな政府」がベストと主張した(出典、http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2004/18.KIMURA.pdf


然るに、今のポーランドではJ・M・ブキャナンの主張に反する事態が起こりつつある。例えば、共産主義から自由主義経済へ体制転換する1990年以前に民間企業がポーランドGDPに占める割合は僅か7%で残りの93%は国有企業であったが、それから約20年を経て、今漸くその民間比率が70%程度に達したところだ(情報源、http://www.jetro.go.jp/jfile/report/05000492/05000492_002_BUP_0.pdf


無論、これは東欧諸国のなかで最も遅い達成率であり、その間コンセンサス重視型のポーランドの政治状況は、外部から見る限り一進一退で停滞し続けているように見えた。にもかかわらず、2009年は経済成長率が1.2%となり、欧州連合EU)の中で唯一成長を達成した国となり、同国の1人当たりGDP国内総生産)が2009年にEU平均の50%から56%に拡大したが、これは過去最高の伸びである。


経済協力開発機構OECD)の発表でも、経済成長率は大方の予想をはるかに上回る1.7%と判明(のちに1.8%へ上方修正)し、2009年の欧州連合EU) 加盟国でプラス成長率を達成した唯一の国となった。OECD加盟国でポーランドの他にプラス成長を達成したのは韓国 (0.2%)とオーストラリア(1.3%)の2カ国のみで、2009年のポーランドOECD加盟国最高の成長率を見せた。


また、ポーランド国立銀行中央銀行)が世界金融危機の前の世界金融バブルの時代の非常に早い時期(2001年頃)に既に深刻なバブル崩壊(世界的金融パニック)の到来を察知し、それ以来市中銀行に対して様々な貸し出し規制策を導入していたことも認識されている。また、物価下落から生じる購買力拡大を調整した1人当たりGDPでは、ポーランドは現在、欧州で6番目に大きな経済規模を誇る国となっているのだ。そのうえ、ポーランド経済の明るい要素として、もう一つ挙げておくべきは国民の間で起業精神が旺盛であること、およびベンチャー企業に対する国の支援体制が非常に充実していることだ。


その他に、ポーランドの農業は共産党政権下でも大規模化・国有化・集団化されなかった点も一種の先見の明があったといえるようだ。このため、今でもポーランドでは約90%が個人農家で、国土面積のうち農地が占める割合は42.1%となっている。これをどう生かすかはこれからの戦略次第だが、若年人口層が厚いことも強みとなるであろう。これらの基盤として、シュラフタ民主主義の伝統から生まれた高度な教育水準を誇る強みもある。


ともかくも、日本人のキョロキョロ癖に取り憑いた単なる外来種の理念モドキ(=浅知恵)、所謂「小さな政府論=新自由主義」なるものが如何にバカげた浅知恵に過ぎぬということがポーランドの歴史・政治・経済を概観すると見えてくるように思われる。しかも、日本ではかなりのインテリ層の人々までもが、この「新自由主義=浅知恵」を高等な理想主義だと思い込んでいるらしいから始末が悪い。


当然ながら、ポーランドの歴史・文化・社会・経済・財政等についての実情把握と今後の発展可能性についての分析・評価が、たったこれしきのデータでできるなどと傲慢な考えを主張するつもりは毛頭ない。


しかし、少なくとも「小さな政府、新自由主義、民営化」の財政理論(公共経済学)的な観点からの擁護者たる“新自由主義公共経済(財政)学の泰斗・ジェームズ・M・ブキャナン先生”によって「民主主義の赤字」をもたらす完璧なコンセンサス主義のシュラフタ民主主義の伝統故に落第点を付けられたポーランドが、今やギリシア発のソブリンリスクとも無縁の形で、OECD29カ国中で唯一の健全な国の姿を見せつつあるという現実は見逃すべきでないであろう。


(身に染みたキョロキョロ故に民主主義の赤字(非効率)回避のための小さな政府必要論なる浅知恵に嵌り続ける日本の悲劇)


そもそも、自由主義にせよ民営化にせよ、俯瞰すれば、出来得る限り多くの人々に幸せを配分するための相対的位置づけが与えられるべき個々の手段に過ぎない筈なのだ。その手段を神の手の如く崇めたてまつる市場原理主義の立場は矢張りカルト化した強欲な原理主義宗教と見なす他はないだろう。


因みに、「OECD、Multilingual Summaries/Govrnment at a Glance 2009・・・OECDが2年に一度発行する報告書で、加盟各国政府の業績となる30以上の要素に関する指標が含まれる、http://www.oecd.org/dataoecd/62/60/44620934.pdf」のなかから『一般政府雇用の対総労働力比』(公共サービスを提供するのが政府職員か、あるいは民間部門かを示す数字、2005年)について主なものを拾ってみると、以下のとおりである(各数字は概数)。


日本5%、ドイツ11%、オランダ13%、ポーランド13%、ギリシア14%、米国14%、イタリア14%、英国14%、ベルギー17%、フランス22%、スウェーデン28%


やはり、ここから一つ言えるのは「市場原理主義と小さな政府」を万能の神の手として使いつつ歴史と個性的な文化と生身の国民を抱える各国財政を一網打尽に処理することの乱暴さと愚かさが透けて見えるということだ。例えば、既に既に政府職員によるサービス比率5%の日本がやみくもに更に福祉・医療・保険・教育などの公共サービスを切り捨てて何がプラスになると言えるのか?


むしろ、日本で重要なのは多様な価値観(difference)を尊重する理念を定着させるとともに非劣等処遇原則的な観点からの<本物の税制改革>と<雇用創出>の二点こそ最優先すべきではないのか。それに、竹中平蔵らの新自由主義者は「市場原理と自由競争」をまるで自らの専売特許であるかの如く自慢げに宣まうことが多いが、言うまでもないことだが、そもそも資本主義は初めから「市場原理と自由競争」がCPU(中央演算処理装置)であり、要はそれを出来得る限り多くの人々の幸せのために、どのように使いこなせるかというソフト・パフォーマンスの違いレベル程度の話に過ぎないのだ。


このような観点からすると、授権規範(国民主権を前提とする民主憲法的な意味での最低限度の諸基本ルール)を監視・評価すべきマスコミの役割が放棄(第4権力の不在、というより機密費授領等でマスゴミ(増塵)まで身を堕しめ超腐敗した故の責任放棄)されたままで、与野党の野合勢力が、一斉に「小さな政府」論に凝り固まる財務省へ平身低頭しつつ単純な議員定数削減(税金の無駄遣いをなくす名目での国会議員の定数削減)を菅総理が主張したり、あるいは同じく菅総理らが、1票格差が拡大するばかりの選挙制度改革を放置しつつ比例区削減などのチンケなアイデアを掲げるのは不埒である。それほど急ぐなら議員歳費の50%大幅カットを直ぐに実行したらどうか。


なぜなら、例えば歳費削減を謳った単純な議員定数削減は間違いなく多様な少数意見(difference)の切り捨てになるし、本来なら選挙制度そのものの見直し論となるべきなのに、1票格差を放置したまま比例区削減を実施すれば現在の欠陥選挙制度の歪みを更に助長するだけである。そもそも、このように日本の民主主義の根幹に関わる問題がブキャナン流の「小さな政府論」に屈服することで日本民主主義の十分なコンセンサスの手段を破壊するのは笑止千万の愚行であり、国民主権を嘲るようなバカ話である。だから、与野党を問わず、もういい加減にキョロキョロするのは止めて、政治家の先生方はポーランド国民の爪の垢でも煎じて飲む必要があるのではないか。


【エピローグ画像】La difference − Lara Fabian