toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

ある“強い意志”に従い益々“疑似自民党化”する民主党に安堵し偏差値教育の呪縛に無頓着な赤心の日本臣民

toxandoria2010-09-16



<注記>


●当内容は[9.15/続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめている意味、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100915]の[本題]と[副題](下記★)を逆転させるつもりでいたものを更に[改題]し、<関連情報を二つ>付記したものである。


★[9.15本題] 続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめている意味


★[9.15副題] 民主党代表選を巡る多様な雑音で観察されたのは我々が「教育=受験勉強」なる作為の偏差値信仰に体よく騙されていること


●なぜなら、この<二つの関連情報(下の“付記情報1&2”)>を高みから併せて俯瞰すると、[明治20年前後に日本の国制に巧妙に仕込まれた非公式実効権力システム(主犯:伊藤博文)たる司法をプロイセン憲法型の王権神授説の司祭と位置づけつつ、超時代的にかつ未来永劫にわたり、それを世襲させようとする“日本超支配への意志”を共有するグループ、及びその最有効手段としての偏差値教育(=認証官を頂点とする中央官僚システム)原理主義の悪意に満ちた非民主主義的な意味]がリアルにイメージ化できるからだ。


●この特異な日本の[国制と司法の馴れ合いの構図]を一言でいえば、それは[そもそも日本の国制が明治期以降から今に至るまでアノ北朝鮮型であった]ということだ。それに気がつかず、その原点回帰(=改革政党である筈の民主党自民党化すること)への動向に大いに安堵する日本国民の多くは、まさに“赤心の日本臣民”という他はない。


●従って、この[司法(裁判・検察・法務官僚ら)と、この“非民主主義的な日本支配の意志”の馴れ合いが仕組んだ巧妙な洗脳システム]をリセットし、そのマインドコントロールから日本国民を真に解放するために有効なのが、ポーランド伝統の[シュラフタ民主主義という歴史的に見ると非常にユニークな知見]だと思われる。


●無論、シュラフタ民主主義の始まりはシュラフタら特権階層(エリート層)のためのものであった。しかし、これがユニークなのは、その後の過酷なポーランド史(ポーランド分割による国家の消滅、それどころかポーランド民族とポーランド語が消滅する危機さえあった)の過程でエリート階層の優れた「観念同時」的精神作用が、その民主主義の理念自体を現代民主主義の方向(全ての国民主権を確保できる方向)へ着実に深化させてきたという歴史的事実があること、そして、それだけでなく今もそれが進化中だという点にあるのだ。


●それは、<日本国憲法が下賜型『偽装民主主義』の司祭たる“偏差値的意味で優秀”な官僚組織・官憲・官房らを正統化する唯の安証文と化した日本(最高裁判所違憲審査を忌避し続けていることを意味する)、いわば多剤耐性菌化した悪性『偽装民主主義病』に侵された現代日本>の治療には、日本の教科書的な意味での<英仏米型の市民革命のプロセスが育んだ現代民主主義>なる学校優等生型の精神環境(理想)が、もはや有効性を失ってしまった状況と余りにも対照的である。


●このように歴史を大きく俯瞰する意義が理解できぬ向きには、もう一度「近世から近代へのターニングポイントとされるフランス革命の歴史」をお浚いすることをお勧めしておく。ともかくも、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃は、そのあと約90年もの非常に長い時間を経たうえ、「第三共和制」(憲法制定/1875/二院制での普通選挙実施)下で一つの区切りを迎え、更にそれから約30年後の「政教分離の原則」(1905/Loi de separation des Eglises et de l'Etat)が確立することで漸く現代民主主後の形となったのだ。


●更にそれよりも、バスティーユ牢獄襲撃の主役とされた、赤いフリジア帽が象徴するサンキュロット(sans-culotte)、つまり最下層の労働者階層の人々が、1793年のジロンド派の粛清と1794年のジャコバン派ロベスピエールのギロチン処刑とともに失墜してしまった(フランス革命の主役から消去された)という厳しい現実があることを凝視すべきだ。結局、更なる紆余曲折はあるものの、この後のフランス革命史の立役者はブルジョアジー労働貴族たちということになる訳だ。


[付記情報1]


『菅氏再選「評価」81%、内閣支持率71% 本社世論調査菅首相続投は国民の大多数が支持しているのです!)』http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/193.htmlより転載


日本経済新聞社テレビ東京が14、15両日に実施した緊急世論調査で、菅直人首相が民主党代表に再選されたことについて81%が「よかった」と答えた。


理由(複数回答)では「首相が頻繁に代わるべきでない」の72%が最多で「小沢一郎氏に首相になってほしくない」の46%が続き、消極的支持が多いことも浮き彫りになった。


菅内閣の支持率は71%と8月の前回調査から17ポイント上昇した。


内閣支持率は菅政権発足を受け6月上旬に実施した調査の68%をも上回り、昨年9月の政権交代直後の鳩山内閣の75%に迫る高さ。不支持率は前回調査を13ポイント下回る24%だった。


菅氏の再選を「よくなかった」と答えたのは16%。理由を複数回答で聞くと「指導力がない」(52%)が1位。
「政策が悪い」(35%)、「小沢氏が首相になってほしい」(31%)と続いた。


小沢氏の政府や党の重要な役職への起用については「起用すべきでない」が61%に達し、「起用すべきだ」の29%を大きく引き離した。「政治とカネ」問題を抱える小沢氏への拒否感が依然、強いことがうかがえる。


首相が消費税率の引き上げなどについて超党派で議論する意向を示していることには「賛成」が46%。「反対」の44%をやや上回った。


民主党の支持率は46%と前回から6ポイント上昇し、菅政権発足直後に次ぐ水準まで回復した。


自民党は横ばいの23%だった。みんなの党は7%と2ポイント低下した。


調査は日経リサーチが全国の成人男女を対象に、乱数番号(RDD)方式により電話で実施。有権者のいる1553世帯から952件の回答を得た。回答率は61.3%。


日経新聞 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E3E7E2E18B8DE3E7E2EBE0E2E3E29F9FEAE2E2E2


[付記情報2]


小沢氏敗退の意味するもの(永田町異聞、2010.09.15))http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10649096051.htmlより転載


菅直人氏は3ヶ月ちょっとで総理交代というぶざまな事態を免れた。


「総理がコロコロ変わったら外国に信用されない」と本気で信じている人たちも納得できる結果になった。


小沢総理の誕生を恐れた官僚たちや、「政治とカネ」のウソをつくりあげた検察、マスメディアもひと息ついた。


その代わり、この国の人々はひょっとしたら、大きなチャンスを逃したかもしれない。


小沢一郎氏の言う政治主導が、巨大な霞ヶ関を自在に動かすことができるかどうかという、歴史的な実験を見るチャンスを、である。


アムステルダム大学教授で、ジャーナリストとしても著名なカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が中央公論に寄稿した論文を思い出してみたい。


「小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりである。ヨーロッパには彼に比肩し得るリーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」


外国の識者がこれほど絶賛する政治家が、日本においては、ダーティなイメージを塗りたくられて不当に貶められている。


その首謀者はウォルフレン氏が言う「非公式な権力システム」である。


「あらゆる国々は公式の政治システムに内在する実質的な権力システムというべきものを有している。軍産複合体や巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この10年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう」


日本における「非公式な権力システム」とは、政治家の力を骨抜きにして、官僚が国家を支配する仕組みだ。


その起源をたどれば明治20年前後にまで、さかのぼらねばならない。


大久保利通藩閥の大物が亡くなったあと、政府の実権を握るようになったのは伊藤博文山県有朋だった。
「非公式な権力システム」の構築者は山県有朋だ。


富農層の政治参加要求がもたらした自由民権運動は、憲法制定と議会開催を求めて盛り上がり、各地の演説会場はあふれるほど聴衆がつめかけた。


山県はそれまでの支配構造を脅かすこの運動に危機感をおぼえ、運動を弾圧し、憲兵を設け、警官にサーベルをもたした。オモテに立つ伊藤は立憲君主制を唱えたが、ウラで山県は統制、規制、刑罰を強めた。


政府は明治23年の憲法施行、帝国議会開催を約束したが、それまでの間に、山県有朋は周到に、自分たちが握ってきた太政官の権力を温存する仕組みをつくりあげた。


天皇の軍隊」「天皇の官僚」。軍隊や官僚は神聖なる天皇のために動く。政治の支配は受けない。そんな魔法をかける杖を制度の中に埋め込んだ。


天皇の神格化を進めるためにつくられたのが「軍人勅諭」や「教育勅語」だった。


昭和になって、統帥権の名のもとに軍部の暴走を許したのも、その魔法の杖が働いたからである。


戦後、新憲法が制定され、国民主権が謳われても、天皇の官僚は、国民の官僚とはならなかった。


天皇」に代わって「国家」という概念を掲げた官僚は、いぜんとして、支配者であり続けた。


国民は主権者ではなく、国民に選ばれた政治家は、官僚に操られる存在であり、大臣は省庁のお飾り的な代弁者に過ぎなかった。


記者クラブを通じて、官僚機構はメディアも掌中にした。国民主権の議会制民主主義は名ばかりのものであった。


ウォルフレン氏は言う。「日本の官僚機構に備わった防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用する」。


免疫システムが働くと、動き出す暴力装置が「検察」であり、その宣伝機関が「マスメディア」である。


「検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す」(ウォルフレン氏)


そのターゲットになったのが、いうまでもなく小沢一郎である。


マスメディアは軽々しく「二重権力」という言葉を使うが、「公式」な政治システムを闇で動かす「非公式」な権力システムの一翼を担っているのがメディアそのものであるという認識が、まったく欠落している。


さて、この「非公式権力システム」を解体し、権力の真の一元化をはかるためにこの20年近く奮闘してきた小沢氏は、まさにこの非公式権力機構に洗脳された移り気の世論によって排除された。


菅直人氏に、恐るべき「非公式権力システム」に立ち向かう勇気があるだろうか。少なくともこの3ヶ月を見る限り、悲観的にならざるを得ない。


「中央官僚が握る権限と予算を、地方へ移さなければ、根本的な改革はできない」という小沢氏の主張を、菅首相は代表選の期間中、繰り返し聞いたはずである。


官僚が嫌がることでも果敢に実行しなければ、この国のかたちはいつまでも変わらない。官僚にほめられることは心地よいが、それでは政治を快楽主義に陥らせ、小手先の戦術を弄するもととなる。


頭脳集団としての官僚組織をいかに生かすべきかを菅首相には今一度、よく考えてもらいたい。


最後に、メディアに対するウォルフレン氏の警鐘を引用し、締めくくりとしたい。


「日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主 主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治 の良識ある観察者とならなければならない」


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■[ウロボロス的妄想] 民主党代表選を巡る多様な雑音で観察されたのは我々が「教育=受験勉強」なる作為の偏差値信仰に体よく騙されていること


[副 題]続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめている意味


<注記>ウロボロスuroboros


http://uroboros-web.hp.infoseek.co.jp/より


・・・自分で自分の尾を咬み食らいつつ円形を成す蛇または竜で表される宇宙・森羅万象・人間社会・人間心理などについての象徴的図像である。


・・・ギリシア語に由来するが東西諸文明のア―キタイプ(原風景)の象徴的イメージであると考えられる。


・・・特に、世界創造が全にして一であることを示す象徴として天地創成神話やグノーシス派で用いられた。


・・・蛇または竜の身体に巣食い重篤化した悪(例えば人間社会で傲慢の塊と化した中央官僚組織など)を自らが食らって消化し、一旦、この世界が<滅亡⇒再生>に至るようなフィードバックまたはフィードフォワードの原像が直観される。


・・・このように終末が発端または原初に帰る円運動、たとえば永劫回帰や陰と陽の反対物の一致など、その意味する範囲は広い。


・・・西欧錬金術では宇宙の万物が不純な全一(原物質)から出て変容を重ねた後に純粋な<全一(賢者の石)>に回帰する創造・展開・完成と救済の円環(輪)を示すのに使用された。


(プロローグ)民主党代表選を制した菅直人・新代表が心すべきこと=当記事における官僚機構批判の立ち位置について


・・・当記事は、太平洋戦争を遥かに遡る余りにもアナクロな遺伝情報を過剰にコーディングしたDNAの“悪さ”故に硬直化したと見るべき我が国の中央官僚機構を批判している。


・・・しかし、今回の[「冤罪・村木元厚労局長が無罪判決」 関連参照 → 『<郵便不正事件>村木元局長無罪判決 検察の構図、完全否定』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100910-00000109-mai-soci]なる事件の主人公、厚生労働省村木厚子元局長のように優秀で真面目な官僚が多数派であるのは当然と思っている。


・・・ただ、特に司法(裁判・検察)・財務・外務あるいは内閣官房など、日本の中枢を預かる高級官僚らの中には非常に傲慢化した組織運営や驕り高ぶる人物が過剰に目立ち過ぎることも事実だ。


・・・国民意識の向上とメディア批判力の復帰・強化により、一刻も早くこの<アナクロDNAによる多剤耐性菌に感染した巨大な患部を抱える官僚機構>への過剰依存から立ち直ることを願っている。


・・・そのためには、我々一般国民が<偏差値が高い受験教育の秀才(高級官僚の供給源)が必ずしも「国民主権」重視派とは限らぬ>という当然の現実に早く気付き、それを多くの人々が受け入れるべきなのだ。無論、この心構えが真っ先に求められるのは民主党代表選を制した菅直人・新代表その人だ。


・・・なぜなら、民主党の新代表が菅であれ小沢であれ、司法(裁判・検察)の“病巣”を頂上とする日本の中央官僚組織に取り憑いた「悪性壊疽化シンドローム」への進行プロセスは、もはや殆ど自力回復可能な時期を逸しているからだ。


・・・それは、このような民主党政権を巡る状況は、恰も(その根本原因が船体の設計ミスであったにせよ、あるいは致命的な情報伝達ミスであったにせよ・・・)「タイタニック号の悲劇」が近づく風景と同じだといえるからだ。


・・・また、万一些かでも接触すれば、必ずタイタニック号を沈没させるだけの巨大な物理的破壊エネルギーを持つ大氷山の近辺をタイタニック号が航行していたという事実は否定できないからでもある。


・・・この現実を受け入れることがなければ、菅直人・新代表をトップに担ぐ民主党政権は、おそらく、これから数カ月〜六カ月位のうちにその“大氷山の壁”に激しく衝突することになるだろう。


<注記2>関連記事について・・・当記事内容に関連する下記◆も併せて参照乞う。


◆竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめている意味=日本司法と行政官僚の癒着、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100908


◆点描ポーランドの風景/トルン・マルボルク編、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100912


【画像0】ドイツ騎士団の拠点、マルボルク城の遠景


ウイキメディアより


【画像1】ドイツ騎士団・拠点、マルボルク城の風景(撮影、2010.7.18)







【画像2】当記事に登場する、または関連する主な人物


ドイツ騎士団創始者ヘルマン・フォン・ザルツァ像(マルボルク城内)


ウイキメディアより


初代プロイセン公アルブレヒトプロイセンにおける最後のドイツ騎士団総長にして最初に世俗化した初代プロイセン公/ルーカス・クラナハによる肖像画


http://www.archiv.staatpreussen.com/html/albrecht_von_brandenburg-ansba.htmlより


時代錯誤の中世的王権に憧れたプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、仇名は魚の“ヒラメ”


ウイキメディアより


フリードリヒ・ヴィルヘルム4世を支えたプロイセン王国・立法改革相にして、日本等で現代法曹界へも大きな影響を与え続ける法学・法史学者(事実上のプロイセン王国宰相)サヴィニー(F. K. von Savigny)


ウイキメディアより


鉄血政策のドイツ帝国宰相ビスマルク


http://pfadfinder24.com/deutsche/002.htmlより


武断派のドイツ皇帝(初代)ヴィルヘルム1世


http://pfadfinder24.com/deutsche/002.htmlより


伊藤博文(初代、第5・7・10代内閣総理大臣


http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/2007_01/hirobumi_ito/より


平成の名宰相?小泉純一郎内閣総理大臣/第87・88・89代…一枚目は左端の踊り狂う人物)



一枚目はhttp://exodus.exblog.jp/3754825/より、二枚目はhttp://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/16920511.htmlより


竹中平蔵(第1次小泉内閣第1次改造内閣で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣を兼任、かつて小泉政権のブレーン的存在で“バカは何人寄ってもバカ”を信条とする現代日本が誇る偉大な?新自由主義経済学者にして年俸1億円の人材派遣会社パソナ会長)


http://rakubei1.hamazo.tv/e1978565.htmlより


木村剛(昵懇にしている金融庁竹中平蔵・担当大臣から異例の速さで銀行免許が交付され船出(2004.4)したが、惜しくも?遂に破綻した日本振興銀行(公認闇金融?or公認超貧困ビジネス?)の元会長)


http://www.ciojp.com/contents/?id=00005181%3Bt=0より


日本における違憲審判と真実の番人?or正義の味方?最高裁判所、現裁判官15人揃い踏み


http://www.courts.go.jp/about/sihonomado/saibankan62.htmlより


 【参考動画1】最高裁国民審査を審査する



【参考動画2】最高裁国民審査続報 「国民審査公報」は自画自賛だった



日本混迷の原因が何処にあるかを理解するには歴史を正しく知る必要がある。歴史の知識は入試の難関を突破する道具の一つではない。もし貴方がそう思っているとするなら、それは「教育は受験勉強だ」という、ある“魔物”が仕組んだ偏差値信仰に無反省に従っているだけだ。


日本の司法・検察を頂点とする官僚機構が崇めるのは未だに19世紀のプロイセン憲法が謳う三つの原理だ。そんなアホなと思うなら矢張り貴方は周囲の多数意見(仕組まれた偏差値信仰)に無反省に隷属しているに過ぎない。


奇しくも民主党の代表選を目前とする、ある意味で不可解なほど絶妙のタイミングで<竹内行夫元外務次官が最高裁判事、村木元厚労局長が無罪判決、小泉・竹中肝煎りの日本振興銀行破綻>の問題が噴出したことには共通の原因が潜む。


それは日本国憲法の授権規範性と三権分立の原則を無視して《暴政の無数の子だね》を撒き散らした《小泉クーデター劇場》と言うケバくてキモい出来事の奥底に潜む魔物と同じだ。


それは遡ること13世紀ドイツ騎士団の古プロイセン人らへの過酷なジェノサイドに始まり19世紀プロイセン帝国憲法で集約・大成され、伊藤博文らの手で「大日本帝国憲法」へ移り、更に「日本国憲法」周辺へ仕込まれた下賜型の神権政治への信仰だ。


また、それは王権神授説型の官僚制(と軍制)の伝統ということで、その官僚制伝統(実効的な出番に絶えず備えつつ日本の政治と国制の奥底にヒッソリと潜む魔物)の強かさは恰も「多剤耐性菌」のDNAに似ているとも言えそうだ。


例えば、日本国憲法を無視して《暴政の無数の子だね》を撒き散らした《小泉クーデター劇場》」に日本政治の実効権力たる中枢官僚機構(特に司法・検察、財務省金融庁、外務省ほか)が絡んでいたことは周知のとおりだ。


彼らが一般国民に知られぬよう密かに阿吽で協力した(例えば検察と裁判所の裏金問題について同じ実効権力側に身を置き自らも機密費で汚染する新聞・TV等が気付きつつ知らぬふりを決め込んだ)ことも周知のとおりだ。


つまり彼ら日本のエリート層の人々が国難に襲われた時に真っ先に意識するのは国民主権ではなく“神格天皇”の存在だというのが日本政治のDNAに潜む“プロイセン帝国憲法流・王権神授説型・国制の遺伝子”なのだ。


それを実効的・独占的にに差配するのが、下々が手を触れると祟りが襲うと暗黙に恐れられる「認証官」を頂点とする、やんごとなき高級(高給)官僚制度であると言う訳だ。


しかし、見方しだいだが、これは市民革命→民主国家建設のプロセスを踏まず、神格天皇からの<下賜型民主主義に甘んじてしまった日本エリート層>の文化的劣等意識の逆説的現れと見なすこともできる。


一方、この<日本エリート層の文化的劣等感>の対極にあるのがポーランド伝統の「シュラフタ民主主義の伝統」(一種のノブレス・オブリージュ)だ。シュラフタは所謂「騎士(士族)階層」(彼らの中で領地・財力で傑出した者がポーランド貴族)であった。


彼らシュラフタには領地の大小あるいは資産の有無などを問わず全く対等(国王が召集するセイム議会における対等な1票の権利を持つ者として)に扱われるという伝統があった。


今の民主主義と異なり下層民は別だが、シュラフタ・貴族層では全く現代民主主義的な意味での平等が定着し、この状態(フランス革命に比べ少なくとも200年以上先行する)には、1918年の共和国独立とシュラフタ制廃止まで約300年以上も続いた実績がある。


これが「シュラフタ民主主義」と呼ばれる、他国に先駆けたポーランド独特の政治的伝統であった。しかも、この伝統は1918年にシュラフタ身分制が廃止された後も精神文化としてポーランドのエリート層の意識のなかに残り続けている。


この「民主主義の形=シュラフタ民主主義」が我々一般日本人にとって分かりにくいのは、ポーランドが現代民主主義を実現するまでの過程が英米仏に代表される「絶対王政啓蒙思想→市民革命→」とは全く異質なプロセスを踏んだことに原因がある。無論、日本の教科書では一切こんなことは説明していない。


しかし、<シュラフタ民主主義の歴史とその現代的意義>についての詳細については、もはや当記事のスペースがなくなったので稿を改めて書くことにするが、最もその特徴的な直近の現象を以下に付記しておく。


それは次のプロセスで観察される⇒「社会主義崩壊→円卓会議→自由選挙実施→共産党独裁崩壊→非共産党政権誕生→急激自由化と財政改革(格差拡大)→中道左派回帰(社会的弱者へ配慮)→中道政権回帰→EU加盟と現代民主主義確立→現在」


この過酷なプロセスにも拘わらず、ポーランドは今や「欧州でトップクラスの経済成長を確保」し続けており、そこで活かされたものこそが現代的意味のシュラフタ民主主義の伝統(国民主権へ十分に配慮した)ということだ。


別に言えば、それは一部特権階層の民主主義であったシュラフタ民主主義そのものがポーランド・エリート層の観念同時レベルで今も進化しつつあるということだ(ポーランドの欧州でトップクラスの経済成長等については以下★を参照乞う)。


★点描ポーランドの風景/ポズナン編、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100901http://bit.ly/cF1YhZ 


ともかく、ここで観察されるのはシュラフタ民主主義の伝統を誇るポーランド・エリート層の卓越した「観念同時」的な精神環境が今も重要な役割を果たしているというポーランド政治の個性的な姿だ。


それは、<下賜された民主主義を下々へ伝達する仕事に未だに甘んじる中央高級(高給)官僚に代表され、偏差値教育で洗脳された日本エリート層の政治文化的な劣等意識の惨めさ>とは大違いだ。


なお、このようなポーランドの政治・経済の現実は高く評価され、一つの「プラトー」に到達したともいえる今のEU欧州連合)自身が、東欧における地政学的役割をも含めて今後のポーランドに大きな期待をかけていることが指摘されている。


ところで、日本官僚制度と日本国憲法周辺に密かに仕込まれ、日本エリート層と国民一般が今なお無意識に共有する<プロイセン憲法の三原理>とは次のことだ。そこでは仮に国王を天皇に読み替えれば、そのまま大日本帝国憲法の原理となる。


(その一)国王の権力は神の恩寵によって授与されたもの(神権政治としての最高権力)と規定されている。


(その二)立法権は国王と両議院(衆議院貴族院)が共同でつくるものである。(見かけだけの立憲君主制


(その三)しかし、行政権は国王のみにあり、国王は法案の拒否権を持つ。また、国王は緊急勅令を出すことができ、大臣を任免する大権を持つ。(国王の権力はすべての政治的権力の頂点にある)


そして、1882年に伊藤博文らは「大日本帝国憲法」(1889)起草の参考とすべく憲法事情及び諸制度(軍制、法制、官僚制、機密事務を扱う官房など)の調査のため“異様な政治的空気”に満ちたプロイセン王国ドイツ帝国)を訪ねた。


その頃は丁度プロイセン王国を中心とする「プロイセンドイツ帝国」が成立して10年ほど経過したばかりの時代で、初代皇帝ヴィルヘルム1世の治世であった。


それ以前のドイツでは、とにかく<ドイツを統一すること>がベルリンとウイーンの「三月革命」(1848/同年のフランス「二月革命」の影響)以来のドイツ市民層の悲願となっていた。


しかし「プロイセン憲法」が出来た後の1860年プロイセン政府(国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、宰相サヴィニー)は、憲法に基づき軍事力強化のため軍制(及び官僚制)の改革案を議会へ提示した。


因みに、プロイセン王国の前身プロイセン公国ルター派に改宗して世俗公となった、プロイセンにおける最後のドイツ騎士団総裁、ホーレンツォレルン家のアルブレヒトが創った国(1525〜)である。


ところが、下院で多数派の自由主義者が反対し、之が「政府」対「下院」の激しい対立を齎した。問題の本質は議会の統制下に軍隊(及び官僚)を置くか否か(軍事予算の決定権に関わる議会と軍隊(及び官僚)の主導権争い)ということであった。


やがて、ユンカー出身のビスマルクが宰相に就任すると対立は一層激化したが「プロイセン・オーストリア戦争」の勝利で軍備(及び官僚制)強化の成果が実証されたためビスマルクの与党・自由党指導力を掌握する。


プロイセン憲法」をめぐる、この紛争の経緯が、憲法起草関連の調査・研究のため遥々と遠い日本からプロイセンを訪ねた伊藤博文らに大きな影響を与えたことは間違いがない。


つまり、「大日本帝国憲法」の下で天皇大権を帯びた軍部(及び官僚制・官憲、機密事務を扱う官房)が暴走し始めたとき、もはや国会も政府も止めることができなかった(事実上、国会は軍事予算の統制能力を失った)。


しかも、このことが日本の太平洋戦争突入を運命づけたことは明らかだ。


そして、それを実際に可能にしたのは他ならず「万世一系の神格天皇の非常大権」と「優秀な単一民族である大和民族の純粋な民族精神」及び「優秀な軍隊」と「優秀な官僚組織・官憲・官房」であった。


この「大日本帝国(プロイセン)憲法」型の官僚組織の背骨は、例えば認証官などの姿あるいは慣習等の形で現代日本の官僚組織と官房等に巧妙に引き継がれており、上位権力への授権規範を謳う日本国憲法は外形的民主主義の安証文と化している。


この近代史への無関心こそが、あの異様な《小泉クーデター劇場》と民主代表選・最中の「竹内行夫元外務次官が最高裁判事、村木元厚労局長が無罪判決、日本振興銀行が破綻」なる妖しげな事案と検察暴走の肩を押してきたことに気づくべきだ。


だから、『米国知日家が言う通り日本司法は民主主義国の司法とは異なる。又、『政治家(と国民)が幼稚であれば官僚(天皇大権信仰下の)に好都合だ。かくの如く民主党代表選は図らずも日本の様々な実像(旧憲法下にある)を見せてくれた。』
(この部分は右より転載⇒参照、http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/09/post_232.html


従って、『今以てその対立軸は「官僚支配」(天皇大権信仰下の司法支配)を続けさせたい勢力と昨年の選挙で初めて国民が実感した「国民主権」を守る勢力との戦い(19世紀プロイセン憲法紛争のそのまま)である事を認識すべきだ。つまり、未だに日本政治はそんなお子チャまレベルなのだ。』(この部分は右より転載⇒参照、http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/09/post_232.html


日本の改革を自負する民主党も、菅直人・新代表も、このことについて謙虚に自覚すべきだ。さもなければ、おそらく、これから数カ月〜六カ月位のうちに、その“大氷塊の壁”(司法・検察を頂上とする日本官僚組織に取り憑いた大病巣の塊)に激しく衝突することになるだろう。


(エピローグ動画)Celine Dion My Heart Will Go On