toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

市場原理型「司法改革」の呪縛で検察審査会の欠陥(分り易さを演ずる情報の非対称性の罠)に国民主権を売却した司法の病理

toxandoria2010-10-09



1 『モナリザ』の視線が意味するのは分り易さを演ずる情報の非対称性の罠
…この部分は既存記事http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100304からの部分的な修正・転載


【画像】レオナルド・ダ・ヴィンチモナ・リザ・ゲラルディーニ(ラ・ジョコンダ)』




Leonardo da Vinci.(1452-1519)「Mona Lisa Geraldini(La Gioconda)」 1503-1506 Oil on wood 77×53cm Louvre Paris 、France.


ルーブル美術館の解説によれば、あまりにも有名なこの肖像画にはモナ・リザ・ゲラルディーニの容貌を認めるのが適当とされており、この女性は1495年にフィレンツェの貴族フランチェスコ・デル・ジョコンダと結婚したので、そこから『ジョコンダ』とも呼ばれる。


イタリア・ルネサンスを代表する万能の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いただけあって、この絵には様々な仕掛け(謎)が施されているとされてきたが、その一つがその“微笑”の視線の行き先についての謎だ。


我われ鑑賞者は、暫しこの絵の前に佇み、やがて少しづつ移動するうちに何やら落ち着かぬものを感じ始めるはずであるが、その原因は、恐らくこのモナ・リザの視線の行き先の曖昧さにあると考えられる。


つまり、両眼の瞳そのものはただの二つの黒点にすぎない。それにもかかかわらずこの絵が見える範囲で前後左右に色々と移動してみても、我われは彼女の視線から逃れられないことを悟り大いに驚くはずだ。そして、これは肖像画特有の錯視効果によるものである。


両眼の瞳そのものがただ二つの黒点にすぎないことが現実であるにもかかわらず、我われ鑑賞者は表情全体の微細な相貌変化の描方という画家が意図した二次元画面での機序の原理が脳内に作用して「二次元→三次元」の変換作用をもたらすため、我われは無意識のうちに騙されてしまう訳だ。


我われがこの肖像画の錯視効果(呪縛の謎)から逃れるには、肖像画の主人公モナ・リザ・ゲラルディーニが“三次元に生きた人間”である限り実はダ・ヴィンチが描いた“モナ・リザの微笑”の周囲では多方面からの観察者の視線が可能であるはずだという“現実(リアリズム)についてのメタ感覚”を想起・回復すればよい。


言い換えれば、その現実(リアリズム)についてのメタ感覚”を想起・回復するまで、この絵の鑑賞者である我々はかの有名な《嘘つきのクレタ人のパラドクス》の罠に嵌っていると言う訳だ(嘘つきのクレタ人のパラドクスについて/参照⇒http://king2010.blog89.fc2.com/blog-entry-140.html)。


また、この“モナ・リザの微笑”が三次元空間に立つ彫像である場合の姿を想像(イマジネール)することも、同様に我われが正気を取り戻すのに役立つはずだ。あるいは、遠景の前に拡がる三次元の現実空間に佇む彼女のリアルな肉体の全身像をあらゆる方面から眺める場面を想像するだけでも同じ効果をもたらすだろう。


心すべきは、そのダ・ヴィンチが仕組んだ二次元空間で微笑む“モナ・リザ”の謎に取り込まれて(マインドコントロールされて)いる限り、我われは決して彼女の視線から逃れられぬということだ(『Leonardo da Vinci. Self-Portrait1512 Red chalk on paper. Biblioteka Reale, Turin, Italy』の画像はウイキメディアより)


それこそ、絶えず生身の人間として“内外両面からの批評・批判の眼”を自覚的に持たぬ限り、我われ鑑賞者が「平面的で分かりやすいイメージ」に騙され易いことを見透していた天才レオナルド・ダ・ヴィンチが仕組んだ善意の“情報の非対称性の罠”(一種のエスプリ)に他ならない。


2 検察審査会による小沢・強制起訴議決が誤謬(虚構)であることの核心


我々は、「検察審査会制度」についても“可視化”の条件が求められることを理解しなければならない。例えば、11人の検察審査員が、建前上は各地域の選管委員会が選挙人名簿から籤で対象者名簿を作成し、最終的にも籤で選任されることになっているにもかかわらず、実際はその選管委員会が自民党地方議員の天下り先となっており、籤選定も実態は前任・検察審査員の推薦で引き継ぎが行われているとの情報が飛び交っており、そこでは、とても公正な人選が行われているとは思われぬ疑義がある。


まして、今回の「小沢・強制起訴議決」では11人の検察審査員の平均年齢については、<確率を見ると20歳以上〜70歳未満から無作為に選んだとき「31歳未満になる確率≒0.064%」なので意図的に年齢の低い人を選んだのは明白で余りに理不尽だ>という客観的な分析・検証の結果が、ネット上で複数の人々によって明らかにされている。これは、今回の<小沢・強制起訴議決の起訴理由の一つに挙げた状況証拠(参照⇒下記参考資料◆)>以上に「非常に強力な状況証拠」となっている余りにも皮肉な有様だ。


◆東京第5検察審査会 議決文(PDF)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/newsspiral101005.pdf


これは正に資本主義の欠陥をおちょくり、20世紀前半分に活躍したドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲「三文オペラ(Die Dreigroschennoper)」の主人公たち、マッキー・メッサー(マック・ザ・ナイフ)らの強欲なギャグ(gag)とでもいう他はなく、余りにも<お粗末なボロ仕掛けの虚構>の露呈である<このブザマな虚構の尻尾>を評価するには只々笑うしかない、ということになる。因みに、ギャグ(gag)には言論弾圧(原義は猿ぐつわ)の意味があることも申し添えておく。


更に見逃せないのは、<今回の小沢強制起訴>には<別紙犯罪事実が間違いだった、のお粗末コント>が付いているということだ。このことは、小沢氏の代理人弁護士が10月7日に「議決内容が告発容疑と違っており違法だ」として起訴前にも訴訟手続きを取る意向を明らかにした」と報じられたこと(参照⇒http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100701000325.html)で漸く、その問題の片鱗が一般にも知られつつあるようだ。


しかし、今のところ、主要メディアは、この<今回の小沢強制起訴>の根本的な誤謬・欠陥(お粗末コント!)を詳細かつ具体的に伝えようとはしていない。それは何故なのか? 新聞紙上などに見られるのは<東京第5検察審査会・議決文の内容を読まずに、ひたすら小沢辞めろコールを感情的に書きなぐったような情報ばかりだ(例えば、10/5朝日社説《小沢氏起訴へ―自ら議員辞職の決断を》、10/6同・天声人語…お白州の前に赤じゅうたんの上で説明責任を果たしてはどうか…)。 なお、下記ニコニコ動画が配信したネット公開番組(★)で郷原弁護士が詳しく、かつ分かり易く<その誤謬・欠陥=お粗末コント!>の意味を説明しているので参照されたい。


★10/5緊急特番「徹底討論!民主党小沢氏強制起訴を問う」、司会:角谷浩一氏 パネラー 民主党原口一博総務大臣 自民党柴山昌彦 党副幹事長 社民党保坂展人衆議院議員 弁護士:郷原信郎http://live.nicovideo.jp/watch/lv28656293


なお、下記ブログ記事も、ニコニコ動画が配信したネット公開番組とは些か異なる、より広範な視点から<今回の小沢強制起訴>の根本的な誤謬・欠陥について、詳しく分かり易く説明しているので併せて参照されたい。


▲検察審の欠陥をさらした小沢強制起訴議決(永田町異聞)、http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10667949908.html


また、関連して<今回の小沢強制起訴>を決議した東京第五検察審査会の補佐弁護人・吉田繁實(城山タワー法律事務所所属の弁護士)なる人物の選任についても見逃せぬ問題があることが窺える。それは、この吉田弁護士が、過去に置いて、脅しやねつ造をやって、国選弁護人を解任されていたという驚くべき情報があるからだ。


<関連参考情報>


ツイッター)ひどい!RT @kamitori 吉田弁護士が過去に脅しや捏造をやって、解任されていたことがわかりました「吉田繁實弁護士。国選弁護人を解任される」、https://twitter.com/aobadai3/status/26379135453#
解任請求をされた経験を持つ吉田繁實弁護士、http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-788.html


ツイッター)hanachancause 2010.10.07 14:41続【これで検審会は中立公正な市民を代表してるのか?】検審会の実質的リーダたる審査補助員の吉田弁護士が特捜部の政治家案件なのでプレッシャーがあり起訴方針は早く決まっていたと発言、http://twitter.com/#


脅しや捏造といえば「郵便不正事件関連の証拠FD改竄」で逮捕されたばかりの大阪地検特捜部(元東京地検特捜部)の前田主任検事の存在も忘れる訳には行かない。実は、改竄・捏造の常習犯と思しき、この前田検事が<小沢の政治とカネ>の発端に関わりがあるのだ。しかも、このことは主要メディアが<今回の小沢強制起訴>の根本的な誤謬・欠陥を未だに詳細かつ具体的に伝えようとはしない理由と繋がっているというのだ(以下は、『週刊・上杉隆:離党・辞職を否定した小沢氏の”無実”はほぼ確実、それでもやはり自ら離党すべきだった』からの転載。・・・toxandoriaは、“自ら離党すべきだった”の部分には疑問を感ずるが、http://diamond.jp/articles/-/9645から関連する論点だけ転載しておく)。


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<今回の小沢強制起訴>で検察審査会の小沢・起訴相当議決の根拠とされた「調書」は、検察自身がその意義について自ら否定(これに基づく起訴を断念)しただけでなく、それを作成した人物(大阪地検特捜部の前田元主任検事、東京地検特捜部では「陸山会」事件を担当した)に大いなる問題があるのだ。しかし、このことを新聞・TVは殆ど報じていない。というよりも、記者クラブメディアにはそれが出来ない事情があるのだ。


それは、この「調書」の作成者が実は他でもない、あの前田元検事だという驚くべき事実があるからだ。つまり、一連の「小沢の政治とカネ」問題の前段にある「陸山会」事件で、大久保公設秘書の取調べ主任検事が今回逮捕された“証拠改竄の常習者”と思しき前田容疑者その人であったという訳だ。


仮に「陸山会」事件関連の「調書」が「郵政不正事件」と同じく捏造されたものだったとしたら、その途端に小沢一郎の一連の「政治とカネの問題」に決着がつくことになり、そうすると記者クラブメディアは1年以上に及んで「誤報の山」を垂れ流し一般国民を誤誘導してきたことが悉くバレてしまう。従って、主要な新聞・TVは前田検事が作成した「調書」と「小沢の政治とカネの問題」の関係をなかなか報じることができないという訳だ。


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3 検察審査会など日本司法虚構化の淵源は「市場原理型司法改革・戦前型実効権力・無責任メディア」の野合


検察審査会の不透明で妖しげな密室審議(1人の補佐員弁護士とメンバーの平均年齢以外は審議内容等も一切非公開のブラックボックス化した検察審査会の制度そのものに違憲の疑義がある/人格不詳者が告訴・告発できるのか?)のみならず、日本の司法全体が、かくの如く虚構モンスター化したことの意味を理解するキーワードは「憲法の授権規範性についての啓蒙」と「情報の非対称性化へ抗いつつ対称性を回復し得るメディアの役割の復活」ということだ。


因みに、もし人格不詳者が告訴・告発できるとするならば合法的暗殺すら可能となるので、これはもはや巧妙なリンチ・システム(合法化を偽装した私刑制度)だと言ってよかろう。国家の主権者たる一般国民は、仮に検察審査会の審査員メンバーの如くその人格不詳者たちを国家が保証するのだと幾ら主張されても、そのような<国家権力の暴走可能性>までを国家の主権者たる我々は容認していない。


つまり、それは近世までの王権神授国家ならいざ知らず日本が現代の民主主義国家であることを標榜する限りにおいては、国家権力と雖も日本国憲法の授権規範性を尊重すべきだという原則がある筈だし、仮に、この日本国憲法の歯止めがなくなれば、それでは日本が民主主義国家だとは最早いえなくなるからだ。それでは、日本が北朝鮮や中国の如き余りにも理不尽な共産党独裁政権下にあるのと同義になってしまう。それとも、今の日本には共産党独裁政権に匹敵する実効権力が存在するか、あるいは国家を超越した神様が君臨しておられるとでもいうのだろうか?


だからこそ、今回の「検察審査会・小沢強制起訴議決」の問題は、我々が小沢さんを好きか嫌いかとは無関係なことなのだ。つまり、これは我われ日本国民一般の人権・生命・名誉に関わる問題なのだ。しかしながら、今の日本人の多くから、このような感覚が殆ど失われつつある中で、主要メディアが市民感覚なる言葉でルサンチマン感情だけを煽りたてる風潮にはファシズムの臭いが漂い始めたようで不気味なものを感じる。


そして、今さら“啓蒙”などは古いという向きが増えているようだが、“啓蒙”を無視しつつ日々に劣化メディア(ジャーナリズム精神を捨て去った新聞・TV・俗悪週刊誌など)に身を晒すばかりでは類型パターン・イメージに毒された“衆愚社会=国民総意劣化社会”に走るだけになる可能性が高いという歴史的現実を、特に近現代におけるドイツ・日本等のファシズム化の失敗、あるいはポーランドなど中・東欧における暴力的外国権力との血みどろの葛藤の歴史から多くを学ぶべきだ。それとも、いまや大方の日本人は北朝鮮型のファシズム国家を理想とし始めたのだろうか?


ともかくも、この二つのキーワード、「憲法の授権規範性についての啓蒙」と「情報の非対称性化へ抗いつつ対称性を回復し得るメディアの役割の復活」は、健全な民主主義社会を実現し、修正し、あるべき方向性を維持するために必須のバランサー(balancer/平衡改善・維持装置)でもある。なお、「憲法の授権規範性」についての国民総意での理解が非常に重要であることは、既に下の記事◆で書いたので、そちらを参照頂きたい。ドイツにおける“継続は力なり”による自前の社会づくりの重要な意義が概観できる筈だ。


◆ドイツ・日本司法の比較論考、「日本司法の失われた50年」の成果こそが(検察庁大阪地検)特捜部崩壊の原因、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101002


つまり、そこでは戦後60年の司法改革への日独両国の歩む方向が余りにも対照的(日本=持続した非民主化への退行、独=持続的な民主化への進化)であったことが理解できる筈だ。ドイツにはドイツ連邦共和国憲法である「ドイツ連邦共和国基本法」に関わる審査事案を分担する「連邦憲法裁判所」があり、年間で約5千件(平均)の違憲審査の実績がある。片や我が日本では、ごく一部の例外を除き違憲審査権を持つはずの最高裁が、基本的には違憲審査を忌避する消極姿勢を貫いてきたのである。


このような司法の根幹に対する国民総意の甘さと主要メディア及び日本エリート層の無責任(役割放棄)が延いては「検察による証拠改竄・捏造」、「検察&裁判所の裏ガネ問題隠蔽」の如き民主国家にあるまじき非常に低劣でお粗末な司法自身の犯罪をまで齎したといえるのだ。特に、検察における取調現場の暴走は前田検事の事件で漸く氷山の一角が出たに過ぎないと覚悟すべきも知れない。


例えば、それは障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で郵便法違反罪などに問われた広告会社「新生企業」社長らの公判で、大阪地裁の横田信之裁判長が<10月7日に行われた元役員・阿部徹被告が自白した供述調書のうち大阪地検特捜部(当時)の検事が作成した12通すべてについて「脅迫的な取調べによるもので任意性なし」として、再び証拠採用しなかった>ことが報じられたからだ(参照⇒http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2010100700864)。


漸く、この段に至り何やら裁判官の良識が目立ち始めたように見えるが、裁判官と検事には人事交流がある上に、公判までの流れが「調書主義裁判」の原則(検察官等が取調べで作成する被告・証人らの供述調書を証拠として最重視する裁判)で行われていることを忘れてはならない。


ところが、その調書を作成・量産する現場では、検事による証拠改竄あるいは“椅子を蹴飛ばして、このクソ野郎必ず15年刑務所へ入れてやる!”の、まるで暴力団まがいの脅迫行為が横行していたという訳だ。そして、裁判所における公判が「調書主義裁判」の原則に従って行われるということは、一見、裁判所の立場が検察より上に見えるかも知れぬが、公判に欠くべからざる調書を“作成して下さる”検察の方が実質的には上位であったというのが実態なのだ。


そして、政治家が被疑者となる<政治家案件>では、そのような傾向が特に強くなることが考えられる。このため、大阪地裁の一連の検察調書不採用は裁判所側による、「検察・司法の癒着」を急遽否定するための緊急アリバイ作りのパフォーマンスにすら見えても不思議ではない。


なぜなら、政治家に絡む贈収賄等の案件、つまり<政治家案件>については「検察・警察・国税公取」らの官庁間で絶えず情報交換が行われているのが実情であるが、この段階で裁判所が情報交換に関わることは先ず基本的にはあり得ない。次に、無数ともいえる<政治家案件>の中から、それこそ<氷山の一角として逮捕・起訴の血祭りにあげるに値するだけの大物か、あるいは十分に筋が良い案件だけに絞り込む作業に入る>ということになる。そして、この様な案件の絞り込みプロセスは捜査効率上から或る程度は仕方がないことともいえよう。


しかし、この絞り込みの過程を逆に眺めれば「国会vs行政・検察の闇取引」の可能性が放置されてきたということだ。しかも、検察に関わる闇はそれだけではなく、検察OB(つまりヤメ検弁護士と捜査担当検事の癒着までが明るみ出たことがある(参照⇒下記▼)。これに検察関係者と記者クラブメディアあるいは暴力団との美味しい癒着関係(関係者重宝メディアの検察下部機関化)が加われば、「人脈・血脈癒着の世襲型漆黒の闇による日本国民支配体制」は盤石という訳だ(参照⇒下記▲)。


▼hanachancause 2010.10.05 15:08(ツイッター情報)
RT@hosakanobuto「検事が組長と取引」の記事はさいたま地検検事が麻薬事件で逮捕の暴力団組長から「自分が拳銃を差出す、拘置中長男から出た事にしてほしい」と頼まれ自分の拳銃として警察に出せと言い含めた。この検事も大阪地検特捜部調書捏造に加わった (07年9月18日・東京新聞


▲hanachancause 2010.10.06 10:54(ツイッター情報)
続、【QT天声人語】もう一つ朝日新聞で腑に落ちぬのが検察信用を失墜させたスクープ記事(前田主任検事・逮捕)が9/21だったことだ。実は「もっと早く(今春頃?)から掴んでいたが掲載する日を意図的に遅らせた(=タイミングを見計らった)」との見方がある。これに朝日はどう答えるのか?


因みに、かつて東京新聞「本音のコラム」(2010.3.3・朝刊)で精神科医斎藤学氏の論評が、このような意味で殆ど“利己的な犯罪行為”に等しいと言える まで悪質化した“情報の非対称性の罠”を仕掛ける主要マスメディアの背景に潜む“虚構のモンスター”(人脈・血脈癒着の世襲型漆黒の闇による日本国民支配体制)の存在を鋭く抉っている文章があるので、以下に転載 しておく(情報源:http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-325.htmlより)。


・・・・・小沢氏の問題提起」(斎藤学):小沢一郎について語る際には「私もこの人物を好きではないが」という枕ことばを付けなければならないようだ。 が、それは原稿で食べている人たちに課せられた規定らしいので私は気にしない。この人が図らずも(当人は語らない)提起している二つの問題((1)米国との距離の再検討、(2)戦後天皇制の再検討)は、旧帝国憲法の残滓に注目するという点で回避不能なことだと思う。既に公刊されているように戦後日本は岸信介氏のようなCIAのエージェント(金で雇われたスパイ)によって作られた「米国に貢献する社会」である(『CIA秘録』上巻、百七十一〜百八十 四ページ)。この暫定的体制が、もくろんだ当人たちさえ驚くような長期間の効果を示したのは、日本人の「おかみ(天皇・官僚)信仰」が並々ならぬものだったからだろう。戦後体制作りの埒外にいた田中角栄が市民的嗅覚からこの偏りの修正を試みると、米国は直ちに反応し、その意を受けた検察によってつぶされた。今回の小沢氏の一件も、この流れの中で生じた。彼は生き残らなければならない。今週の『週刊朝日』にある 「知の巨人・立花隆氏に問う」という記事に共感する。血の臭いに吸い寄せられる鮫のように検察の刃で傷ついた者たちを一方的に批判してきた体制擁護の人は何故、「知の巨人」に祭り上げられたのだろう。・・・・・


問題は、その大物政治家等の絞り込みの段階では特捜部の現場や地検レベルでゴーサイン(検察審査会強制起訴の議決直前でも同じことが想定される、何しろソレはブラックボックスの延長だから、可視化は不可能なのだから!)が決まるのではなく、必ず「検察庁上層部⇒法務大臣・・・官房長官(総理大臣)」レベルの頂上会談(権力構造ループの危うい接触認証官たる検察高級官僚の権力行使の場面)が何らかの形で行われる筈だということだ。そして、この流れの最高位に位置する検察上層部には“天皇との距離の近さを競う”のが唯一の存在理由となる、日本型・偏差値秀才の到達点たる認証官(戦前と寸分違わぬ天皇直属の官僚)たちが占めている。


今この権力構造ループの危うい接点で何らかの操作的ショ―トが起こったのではないかと疑われていることに関して、「東京第五検察審査会における小沢強制起訴の議決」の日が9月14日、つまり民主党代表選挙の当日で、その発表が10月6日までなぜか大幅に遅れたのは何故か?という疑問である。それは、当初、国会議員票は小沢陣営が優勢だったが投票日(14日)直前になり民社協会を始め国会議員が雪崩打って菅陣営に寝返ったからだ。だから、9月14日の直前に操作的ショ―トが起こったとしても不思議はないことになる。


それに加えて下級裁判所が多数を占める裁判所(これも最高裁判事と高裁長官は認証官だが・・・)は、現場情報量の豊富さ、天皇との相対的な距離の近さ、現場で公判用一次資料たる調書を独占的に作成し捜査現場と証拠類の取捨選択を預かる権限などの総体(総量)で権力の強さを斟酌すれば、外見上はともかく、裁判所よりも検察の実質権力が遥かに強く大きいことは想像に難くない。そして、そこに実現してきたのが「裁判所の検察下請機関化=検察の検挙有罪率99.85%」という、おぞましいばかりの<冤罪量産可能性>の現実だ。日本国民の多くは、この恐るべき現実に何も感じていないのだろうか?


つまり、この「検挙有罪率99.85%」という世界的に見ても驚くべき高さの実績パーセンテージの中にこそ、冤罪の可能性が数多く紛れ込む余地が十分あったことになり、このような角度から司法全体を俯瞰すれば、我が国で起こっている司法を巡る現実は「三権分立」どころか、「認証官を頂点とする司法・行政の癒着」と「国会vs行政・検察(司法)の利権対立と闇取引のバーター」という二大闇取引関係のおぞましい構図である。何故か、此処にはナチス・ドイツポーランドに設置した絶滅収容所アウシュビッツの恐ろしいイメージすらが重なってくるではないか?


4 虚構モンスター化した日本司法・軌道修正の基本は「取調の可視化・推定無罪」についての国民啓蒙(人間への気遣いを喪失した司法の回復が目的)


今や「小沢とカネの問題」の捜査プロセス上の一つの到達点である「東京第五検察審査会の小沢強制起訴議決」から見えてきたのは、もはや小沢さんが好きだ嫌いだの次元を超えて、それが遍く我々一般日本人の人権侵害に直結する問題だということである。


言い換えれば、それは我々が、日本の司法制度が西欧中世の魔女裁判のように文盲層の多数派(現代で言えば無関心層の多数派)の意思を思うように操作・誘導するための実効権力の道具たる「虚構モンスター」と化したことを意味するのだ。そして、その「虚構モンスター」と化した司法制度を補佐するのがイメージ戦力と印象操作を得意とする日本のマスメディアだということになる。


そして、ここのところ報道の歪み(メディア・スクラム型報道への過剰傾斜と談合的、横並び的な情報取捨選択の姿勢)が酷くなる一方だが、そこには、もはや実効支配権力の下部機関の立場に甘んずるメディア犯罪の匂いすらが漂っているのだ。


下の記事◆によれば、戦後60年超に及ぶ日本司法の歴史は、外形はともかくも<事実上の退行史>であったと見なしても良い訳なのだが、特にこの退行度が亢進し始めたのは、新自由主義思想的な観点からの「司法改革」への取り組みが加速した第一次小泉内閣以降のことである。


◆ドイツ・日本司法の比較論考、「日本司法の失われた50年」の成果こそが(検察庁大阪地検)特捜部崩壊の原因、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101002


ところで、下で部分的に引用・転載(1)するのは【2001年10月14日付、対日規制改革要望書/(概要)法制度および法律サービスのインフラ改革】の一部分である(参照→http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0025.html)。


(1)−1『 日本の経済回復と経済構造の再編を促進するには、日本が、国際ビジネスと国際投資に資する、また規制改革や構造改革を支援する法的環境を整備することが極めて重要である。日本の法制度は、商取引を促進し紛争を迅速に解決し、日本における国際的法律サービスの需要に応えられるものでなければならない。 こうした課題に対処するため、日本は、法制度が容易に利用でき、また迅速かつ効率的に機能するよう、抜本的な改革を行う必要がある。


(1)−2 米国政府は、日本がすでに多くの重要な法制度の改革に着手していることを認識している。司法制度改革審議会は、「司法制度改革審議会意見書‐21 世紀の日本を支える司法制度」と題する意見書の中で、司法制度の改善に向けて多くの重要な提言を行っている。日本政府にとって重要なことは、効果的な法律案を迅速に準備し成立させることで、こうした提言内容を実行するための断固たる措置を取ることである。米国政府は、日本政府が、この目的のために「司法制度改革本部」を設置し、司法制度の見直しを規制改革の優先課題の1つとして取り上げることで、そうしたプロセスを開始したことを認識する。 』


次に、同じく下で部分的に引用・転載(2)するのは【2001年10月14日付、米国の規制改革及び競争政策に関する日本国政府の要望事項(冒頭)】の一部分である。これは、日本からアメリカへの要望という形になっており、外形的には日米相互の要望が対等でパラレルな補完関係にあるように見える。しかし、各項目を具に読めば分かることだが、明らかに宗主国アメリカから属国・日本への国家改造計画の押し付けに偏っていることが分かる。


(2)『 小泉総理とブッシュ大統領は、2001年6月30日のキャンプデービッドにおける日米首脳会談において、両国及び世界の持続可能な成長を促進することを目的として、「成長に関する日米経済パートナーシップ」の設立を発表し、その中で、「規制改革及び競争政策イニシアティブ」(「改革イニシアティブ」)の立ち上げに合意した。この改革イニシアティブは、97年以降4年間にわたり行われてきた「規制緩和及び競争政策に関する強化されたイニシアティブ」(「強化されたイニシアティブ」)の成功裡の終了を受け、重要な改革が行われつつある主要な分野及び分野横断的な問題に引き続き焦点をあてることを狙いとして新たに設置されたものである。』


その後、(1)の中の「司法制度改革本部」は、当時の小泉首相がリーダーシップを発揮した「経済財政諮問会議」などの影響を受けることとなる。つまり、“諸外国と比べて、当時の日本の裁判は余りにも時間がかかりすぎ、こんな手法はビジネス界では殆んど通用しないので、財界にとって利用しやすい司法が必要だ”という経済同友会らの財界首脳、あるいは米国型市場原理主義を信奉する「経済財政諮問会議」メンバーの経済学者(竹中平蔵本間正明八代尚宏)らから影響を受けることになった。


一方、法曹の仕事の基本は言うまでもなく「論理」を駆使することだが、そもそも「法曹の論理」は一般の「行政またはビジネスの論理」とは異なるものである。つまり、法的思考が規範的・個別的・回顧的・固着的な論理であるのに対し、一般の行政またはビジネスにおける思考は、ある一定の目標・目的を達成するために最も効率的な手段とプロセスを探求するというシミュレーション的論理を駆使する訳だ。そして、シミュレーション型思考の特徴はといえば、結果又は目的への到達に役立たぬデータ(事実を支える断片としてのドキュメント・証拠)を取捨選択するという価値観が最優先されることだ。このような、いわばマキャべリスティックとも言えるプロセス思考が真理の同定を目的とする法曹の思考(論理)と根本的に乖離することは論を待たないのではないかと思われる。


ところが、「司法制度改革審議会」(第二次小泉内閣下における司法制度改革推進計画(平成14年3月19日付・閣議決定)に基づく)/同審議会の詳細は下記▲を参照乞う)が内閣に設置された時から、法曹界においても、目的(又は結果/例えば国民への適切な<司法サービス>の提供など)へ効率的に辿りつくためにはビジネス型の論理が必要だという考え方(=アメリカのロー・スクールをモデルとする規制緩和型司法改革論)が濃厚な空気となった。そして、そのことが日本の法曹界へ様々な悪影響を与えてしまったのではないかと思われる。しかも、この関連の動きの中には、非常に巧妙な形での<行政権(政治権力)の司法への介入ルート構築の問題>が潜伏して来る可能性もあったと思われる。


▲司法制度改革審議会(平成13年7月26日をもって2年の設置期限が満了)、http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html


翻れば、以上のようなここ10年来の前提条件(米国からの外圧)下でこそ、新自由主義思想(市場原理主義)的な観点からの「司法改革」への取り組み、つまり米国からの「年次・対日改革要望書」に基づき「もともとはA型に近い日本の刑事裁判」(A型については下の<注記>を参照)を市場原理主義と「小さな政府」の時代に相応しい「詭弁型・決議論型・成果主義型(C型/下の<注記>を参照)の刑事裁判」へ急ぎ改変することが求められ、その方向へ強化されてきたといえる。そして、その実現の道具として司法効率化の観点から、検察→裁判へ至る一定のシナリオ下で実施される「調書主義の原則の効率化」が“より一層強化されてきた”と見なすことが可能である。


<注記>世界における法体系の流れ=“ローマ法継授”の二つの流れ(A、B)プラス・ワン(C/英米のコモンローの流れ)


A型=大陸法の流れ


・・・正義・信義・信用の重視(狭義のローマ市民法の伝統) → 12世紀ルネサンス(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全から再発見/ボローニア大学) → 市民自治都市法(ユス・コムーネ)との融合(北イタリア経由) → オランダ典雅学派 → ドイツ法・フランス法 →啓蒙思想(理念型民主主義の熟成) →近代市民社会の発達を支援(=理念型憲法の授権規範的意義を重視)


B型=卑俗法の流れ(ビザンツ=バルカン型


・・・網羅的現実の中から、とにかく一つの結果を効率的に選択する技術としての法、言い換えれば決議論的性格(カイズイスティッシュ/Caisuistish)の重視 → 卑俗法(Vulgarrecht/詭弁の道具)化したローマ法(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全) → ビザンツからバルカン諸国へ伝播


C型プラス・ワン=英米法におけるコモンロー・衡平法の流れ ≒ 現代の米国でB型の流れへ接近(コモンロー伝統のリバタリアニズム化、強欲で成果主義的な “契約の束化&超訴訟”社会の出現)


無論、刑事裁判の効率化から直接的な経済効果が生まれる訳ではないが、司法全体を新自由主義型の発想で効率化することが延いては日本の司法全体を米国型訴訟社会へ変質させ得ると考えれば、米国型ビジネ社会と日本をリンクさせるための条件整備の一環と位置付けられたと考えても不思議ではない。それは、確かに、検察キャリアにおいて、このようなシナリオ型の論理思考に基づく調書作成技術を徹底的に仕込まれたヤメ検が弁護士に転身すれば、そのビジネス型の司法技術が新たな職場でも大いに生かされることになるからだ。


ところで、今回の「東京第五検察審査会の小沢強制起訴議決」が非常にお粗末極まりない内容であることが明らかになり(未だに主要メディアは、その事実を報じようとしていないが・・・)、しかも同審査会法(改正法)の内容と審査会の秘密主義(ブラックボックス)的な運営方法等について多くの欠陥が指摘され始めている。そして、特に危惧されるのは、既に書いたことであるが、この欠陥を抱えたままの検察審査会は、例えば政敵を社会的に葬るためのリンチ・システム(究極の人権棄損装置、私刑システム)として機能する恐れすらあることが明らかとなっている。


検察審査会を下級審と見なすか上級審とみなすかは難しいところであるが、フランス共和国憲法上において「人権(国民主権)保護への配慮」から非常にきめ細かく複雑な制度となっているフランスの裁判制度、特に重罪院で見られる予審制度を導入したうえで検察審査会を完全公開にするというような改善・改革方法も考えられるのではないか。


いずれにせよ、重大な種々の欠陥が明らかとなった以上は、この検察審査会制度そのものの早急の見直しが必要である。その意味でも、前例がなく法制の不備もあるので、強制起訴を議決された小沢氏側が「検審の議決は違法」だとして訴訟手続きを検討し始めたことは当然と考えるべきであろう。もし、これが許されぬなら、今のままの検察審査会たるリンチシステムの牙は全ての日本国民へ向けられることとなり、それは明らかに違憲と見なすべきことになるからだ。


更に敷衍すれば、第一次小泉政権以降のこの10年来の新自由主義思想(市場原理主義)的な観点で取り組みが行われてきた「司法改革」の成果は、実際に機能してみると、それらが悉く惨憺たる結果となっていることが分り、何といっても、その悲惨な結果の筆頭が過剰となってしまった法科大学院ロースクール)であることは多言を必要としないだろう(あと数年経たなければ評価不能との論もあるが、それはどうだろうか?)。


外形的に順調かに見える裁判員制度にしても公判前整理に関わる問題点などを抱えたままであり、司法修習生の質的低下、過剰法曹人口(過剰弁護士問題)、規制緩和と司法による事後統制主義のバランス崩壊傾向、燻ぶり続ける共謀罪問題、そして実は違憲の疑義があり欠陥だらけだった検察審査会、お飾り的な適格検察審査会、不祥事のデパート化した検察庁改革、検察裏金問題、裁判所裏金問題、検察・ヤメ検癒着問題、検察高級OBの天下りetc・・・これらに加え司法関係者の不祥事などを暴き始めると切りがなくなることに改めて驚かされる。


いずれにしても、ここ10年来の日本司法への“外圧”又は“その外圧支援のための内圧”として大きな影響を与えてきたのは、先ずは、やはりアメリカ政府からの要望たる「対日規制改革要望書」であり、米型グローバル市場経済・金融環境であり、その新自由主義的・市場原理主義的な改革要望を学問的にフォローするアメリカンスクールの日本財界人と日本アカデミズムのメンバーたちであり、同じ流れに乗る高級官僚たちであり、朝日新聞船橋洋一主筆(CIAエージェント)に代表されるアメリカ・シンパの主要マスメディア(新聞・TV等)である。


視点を変えれば、いうまでもなく司法は三権分立の要であるが、先に挙げた「世界における三つの“ローマ法継授”の流れ」を概観すれば理解できるように司法は地域的、地政学的な領域とほぼ重なるという意味で、例えば生活慣習などの文化現象とも深く浸透し合っている。従って、いかにグローバル市場原理主義が蔓延る時代になったとしても、世界中の司法が全く同じ米国型デファクトスタンダードの基板上に統一されるようなことはあり得ないと思われる。


例えば、欧州での地域統合を目指すEU欧州連合)ではEU地域内でのEU全体と各地域の法的整合性を図るために、EU指令(方向性としてある目的を達成することを先ず求めつつも、その方法までは定めない法の形態で、加盟国内で適切な法令が採択されることに関しては加盟国に一定の方法的な裁量権を与えている)を絶えず出し続けている。この指令の発想は、先ずEU全体の立場をオープンにして見せてから各国(地域)の個性的方法で目的達成のルールを作るという意味でユニークなものであり単なる下位ルールづくりとは別物だ。


それは謂わばEU全体の可視化(オープン化)を前提にして各国の個性を活かしつつ全体目的を達成させるという意味で、一方的にブラックボックスの中央に回収するフィード・バックと全く逆のフィード・フォワード的発想である。注目すべきは、EUがこのEU指令によってEU全体とEU各国の個性化を実現して、米国型グローバルスタンダードにEU加盟国が飲み込まれるのを防いでいるということだ。


課題山積の日本の次なる司法改革でも重要なのは、全体の混乱を収拾するためのコア(核心となる基本型)を先ず押さえ、その基本となる<良き文化風土のコア>を司法全体へ及ぼすといような発想の転嫁が必要なのではないか?無論、それにはEU指令のような発想で非常に困難な「権限=権限問題」をクリアする方法もあるだろう。米国型グローバルスタンダードに酷く侵され虚構モンスター化した日本司法の軌道修正を急ぐには、このように革新的な視点が肝要ではないかと思われる。もはや、この段に至っては、規制緩和と司法による事後統制主義のバランス崩壊傾向にブレーキを掛けるためと称して、今以上の弥縫策で屋上屋を重ねるのでは効果が期待できないだろう。むしろ、それは更なる司法のモンスター化を招くことになるだろう。


従って、今こそ、全ての基本として、先ず「取調べの可視化」を実現し、そのうえで「調書主義の原則」への国民からの信用を回復すべきである。当然ながら、これに準ずるオープン化(可視化)の原則は検察審査会(法)にも取り入れるべきだ。これらが実現できれば、検察、公判、裁判への信頼回復も、延いては司法全体への信頼回復も自ずと視野に入ることになるだろう。そのうえで、中長期的には「最高裁判所違憲審査」のあり方をも根底(改憲論議に関わる部分)から再検討すべきである。


もし、このような意味での最も基本となる部分についての「再司法改革」が実行されなければ、一般国民がこのことに相変わらず無頓着であり続ければ、アノおぞましい限りの<小泉純一郎による市場原理型改革劇場>が偽装的に仕込んだ“情報の非対称性の妖しい罠”に嵌った日本司法、日本国民、日本民主主義はいずれ共倒れの運命を辿り、日本国民の基本的人権は蹂躙されるばかりとなるであろう。そして、日本国民と日本のメディアが「推定無罪(Presumed Innocent)」の意味を欧米先進諸国並みに正しく理解できる日も永遠にやって来ることはないであろう。


【エピローグ動画】Lara Fabian − Je suis Malade