toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「秋の風景、仙台 2010.11」、カルーソ&アダージョの競演をどうぞ

toxandoria2010-11-07



(プロローグ)



秋の風景、そして記憶のエコノミーについての断章




『人間の政治・経済学の可能性を零れ落ちる秋の錦繍美の豊かさのなかに感じる・・・』



・・・・・・・



・・・(前、略)・・・もちろん私たちはあらゆる出来事を記憶することはできない。



そこには不可避的に「記憶のエコノミー」が働かざるをえない。



この「記憶のエコノミー」は、現実のエコノミー(市場原理)と同様に、きわめて残酷な側面をあわせもつ。



ある種の有効性の原理、ほかでもない、その出来事をいっそう忠実に記憶してゆくうえでの有効性という原理のもとで、零れ落ちてゆくもの、あるいは意図的に排除されてゆくものが無数にあるのだ。



が、我われは、その零れ落ちてゆく錦繍の美にこそ癒されるのではないか・・・



・・・後、略・・・表題および末尾の一行以外は、[笠原一人・寺田匡宏=編:記憶表現論(昭和堂)]より部分転載



Caruso - Lucio Dalla & Luciano Pavarotti





Lara Fabian - Adagio





Lara Fabian Caruso (Live)









Zizi Possi-Caruso