toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

何もしたくない閣総理大臣コト、菅直人首相へ贈るパロール

toxandoria2010-11-18



[副 題]続、ディアローグ的論考、米国型自由原理(連帯分解)を一気にコペルニクス的転回させ得るポーランド型自由原理(連帯深化型)のユニークな意義


[晩秋の風景、仙台1] …2010.11.18




【参考動画】Lara Fabian A Gottingen -Les annees bonheur


<注記>

(1)この記事は[ディアローグ的論考、米国型自由原理(連帯分解)を一気にコペルニクス的転回させ得るポーランド型自由原理(連帯深化型)のユニークな意義、] のコメント&レスを転載したものである。


(2)なお、当記事も(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さま(これも、おそらくポーランド在住の方)との対話(ディアローグ)型のコメント&レスの形となった。


(プロローグ)P.ブリューゲル『狂女フリート』が示唆するもの


【資料画像】P.ブリューゲル『狂女フリート』


Pieter Brueghel the Elder(ca1528-1569)「Dull Griet(Mad Meg)」c. 1562 Oil on panel  117.4 x 162 cm  Museum Mayer van den Bergh Antwerp


【中野考次著「ブリューゲルへの旅」(河出文庫版)、“狂女”の章より抜粋(部分)】


狂女フリート、あの力強い魔女も全体の一部にすぎず、彼女も関わりの相対化に犯されずにいない。ともかくたしかなことは、とわたしは打ち切るように呟く。


この画家は主観対客観、自己対社会、自然対人生というような一筋縄の対比で割り切れる人物ではないということだ、と。
そういう近代人的二元論の発生する元まで彼の目はとどいてしまっているかのようだ。彼の目は同時にすべての層を見る。その言葉にまず耳を傾けねばならぬ、と。


【中野考次著「ブリューゲルへの旅」(河出文庫版)、“傲慢”の章より抜粋(部分)】


近代世界は、自然的な世界を改造して歴史的な世界をつくり出す。そして歴史的世界のみが、始めと終わりをもつのである。


自然はくりかえす。しかし『自由』はそこから脱却して目的をめざす。科学技術の進歩にしたがって世界が自然状態から文明社会へ改造されていくに従って、歴史的性格は深まっていき、そしてその内面構造を観察すれば、世界は自然のまま横たわっているのではなく、『自由』の上にもち上げられているように見えてくるにちがいないのである。


世界が人間のかたちに似せて改造されてくる。そこに人間の知性には深い崩壊の予感があらわれてくるのである。この状況が、現代人をして終末論に直覚的に親しましめるものを生み出したと思われる。近代世界が古めかしい聖書的終末論になじむのは、近代社会の構造が終末論的になってきているということにほかならない。


【晩秋の風景、仙台2】 …2010.11.18




(本 論) 


ポーランドの現状。(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さまのコメントより転載


ポーランド人はポーランド当局の経済統計を全く信用していません。しかしその統計に於いても失業率は10%を超えて高止まりしたままです。特に本年の第一四半期には、失業率が13%近く増えると言う異常な動きを見せました。
http://www.stat.gov.pl/cps/rde/xbcr/gus/PUBL_ls_registered_unemployment_2q_2010.pdf


期待した外国からの投資はなく、給料は凍結されたままで、ローンに頼った結果、現在200万人以上のポーランド人が、債務超過状態にあると言われています。仕事と言えば低賃金の「1ズルチ・ジョブ」と言われるものしかありません。


そのために政府の税収も上がらず、今年だけで580億ズルチの不足が見込まれています。すでに政府はIMFから204億ドルの融資を受けていて、緊縮財政措置を取っています。年金は凍結され、消費税はさらに上げられる予定です。所得税も値上げされました。


水道、電気、ガス代は10%値上げされましたが、果たしてそれで済むかどうか分かりません。法人税だけが変わらず19%のままです。このままでは、ドイツの労働市場が開放されれば、多くのポーランド人が移住するだろうと考えられています。


民営化という国営会社の切り売りも続いています。電力会社の75%は外国の資本の手に渡りました。銅鉱山会社の株は来年までにすべて売られる予定です。


ポーランドの銀行の第2位と3位を占めるBank PekaoとBPH Bankも身売りされました。EU加入推進者が語った夢のような話の片鱗さえどこにもありません。http://www.youtube.com/watch?v=brotY-aMCBE


【晩秋の風景、仙台3】 …2010.11.18




1 全般的な感想


(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さま、大変に貴重な現地、ポーランド情報をありがとうございます。


ご多分に漏れず、あまり日本人に馴染みがない国を紹介する機会に恵まれたため、ひょっとするとtoxandoria は、客観的な冷静さを忘れ自分の波長に合う部分だけを贔屓目で紹介するというお決まりの罠に嵌っているかも知れません。が、そこはそれ“机上の妄想”ということで、ご容赦ください。


ところで、些か古いものですが、いま手元に一冊の本があります(⇒アダム・ミフ二ク著『民主主義の天使、ポーランド・自由の苦き味』1995刊‐同文館‐)。ご周知のとおり、アダム・ミフ二ク(1946− )は“ワレサの連帯”を支えた理論家の一人であり、“円卓会議”(1989)で体制転換を実現した重要人物らの一人でもあります。


一党独裁共産党政権が消え去った後のポーランドは、「大きな敵(外圧となる暴力的権力=ソ連)」が消滅したため社会の中の求心力が弱まり、排外的な面なども目につくようになり、あの東欧革命を指導したポーランド市民意識の熱気が消えたように見えるのも事実だと思います。


自由経済への解放(1989)から20年を経過した今のポーランドが、一定年齢以上の高齢者層のなかに些かは残るノスタルジーに応えて旧共産主義体制へ回帰することなどはあり得ず、愈々、これからEU加盟後の本格的な自由経済の果実を刈り取る正念場に差し掛かったというのが今のポーランドではないかと思います。


しかも、改めてミフ二クの著書を開くと、そのページからは、新しい漸進主義(19世紀後半のポーリッシュ・ポジヴィティズムのアナロジー)、連帯の夢(共産主義政権、ヤルゼルスキの暴力的戒厳令で覚醒させられたシュラフタ的な意味での市民意識)、民主主義の実践など、今でも新鮮に見える躍動するようなコトバが目に飛び込んできます。


およそ森羅万象の何事にも光と影があり、英雄的人物と裏切り者がいます。そして日本では余り知られていない、例えばポーランドのような国の歴史・社会事情などを少しばかり齧り、少しばかり現地体験した者にとっては、その生々しい歴史と独特の市民意識の名残を今も身に纏うポーランドは大変に魅力的な国と目に映るようです。


美しい自然環境と歴史景観(第二次世界大戦で悉く破壊され、その殆どが再現された!)、ショパンのピアノ、リーズナブルでオーガニックな食体験、そして想像を絶するほど複雑で過酷な政治状況、これらは、いずれも無責任な一人のエトランゼの勘違いに過ぎないのかも知れませんが・・・。


ポーランドには現代の日本が捨て去った何かが、別にいえば、とても魅力的で個性的なスピリット(古城の幽霊と対話ができたハムレット体験を想起させるような空気!)が感じられました。実は、それこそが日本からは消え去ってしまった(というよりも、特に第二次世界大戦後の日本には存在し得なかった)、シュラフタ民主主義の伝統を引き継ぐポーリッシュ・ポジティヴィズムシュラフタ民主主義の伝統=ポーランド的自由原理)の空気です。


そして、そのポーリッシュ・ポジティヴィズムが、あの共産主義一党独裁政権時代に幅を利かせた「覇権国ソ連の軍事・暴力機構」に取って代わる新たな「軍事・暴力的大権力=米国型ネオリベ戦争・災害資本主義=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス)」の核心的な部分に対し、再び、その優れたセンサーを向け始めたようだと感じました。


それに比べ我が国の政治・経済状況は惨憺たるものです。例えば、常日頃から日本の経済動向の先導役を自負する日経新聞は『清富の時代』なる記事(11/16、“更なる高度IT技術と特に医療介護・環境・教育等を中核とする産業振興、更なる法人税引下げ、TPP等によるグローバル開放通商政策”の主張)を書いています。


地域社会の存在意義、農林業の自然・文化的価値、必然的なプレカリアートの発生、専業主婦等の家庭内労働価値など、いわゆる広義の外部経済の問題に無関心のまま、TPPらによるグローバル開放通商政策を強行し、大企業優遇税制を更に推し進め、かつ広義の外部経済に関わる分野への無定見な高度IT技術関連市場拡大へ突入するのは、日本を本格的にシミュラクール化することを意味します。


<注記>


シミュラクール(simulacre)・・・、「現実社会」と「ITユビキタス化による仮想空間」が相互浸透し、それらが互に強く影響を与え合いながら次第に日常生活のリアリズム(=生命体のリズムと精神活動の因果が司る現実世界)が見えにくくなるため、悪意のある政治権力(中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))によって操られ易い方へ向かい我われの社会が仮装化・厚化粧化して行くこと。ニセモノ・擬装などの意味もあり、シミュラクール社会化とも言う(詳しくは下記の記事★を参照)。


★映画『マトリックス』が暗示するわが国のアーカイブ脆弱性http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070319


日経新聞のこの記事は、明らかに中野考次著『清貧の思想』(1992)のパロディのつもりだろうが、その悪意に満ちた揶揄の意図は完全にしくじっており、却って同新聞社の軽薄かつ表層的な“たかり経済”新聞の本性を自ら暴露しています。中野考次の『清貧』の意味は、不幸にして仮に収入が少ない境遇の人がいたとしても彼を含めた国民一人ひとりの心が正しいことを為す気になるような社会環境であるべきということのはずです。


ところが、あれから18年を経たというのに、日本の政治家・官僚・ジャーナリズム・経済学者らエリート層に属する人々は、中野考次の『清貧』は“貧乏と貧困を礼賛することだ”としてこの著書を激しく非難した、当時の多くのエリート層の人々と同様に、未だに中野の『清貧』の意味が彼ら日本のエリート(つまり偏差値秀才の成れの果て)たちは理解できないようです。


“たかり経済”とは筆者toxandoriaの造語で、例えば労組と経営側が癒着しつつ、高度成長期以降の長きにわたり、働きバチ化した善良なその他の社員層(つまり、国民一般に繋がる人々)を誑かしてきた<日本型経営の醜悪さ>の類のことを意味します(ただ、筆者は日本型経営の全てが悪とは思っておりません)。


ところが、ポーランドの伝統であるシュラフタ民主主義の精神(ポーリッシュ・ポジティヴィズムなどに引き継がれ現代ポーランドでも生きているポーランド型自由原理)は、この新種の恐るべき危機をポーランド社会へ持ち込もうとする「米国型ネオリベ暴力資本主義」の本性(中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))を見破っており、既にそれとの闘いへ突入したと思っています。


以下は、ポーランドと異なり、この日本にも本格的に迫りつつある同種の真の危機の意味が一向に理解できず、それどころか相変わらず、日本の“たかり経済”資本主義の上に安住しようとする「菅カラ内閣」の<何もしたくない閣総理大臣>コト、菅直人首相へ語りかける仮想パロールの形式で、「01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw」さまからコメント頂いた内容へのレスということでtoxandoriaなりに連想したことを書かせていただきます。


【参考動画】Dalida & Alain Delon - Paroles 、paroles


【晩秋の風景、仙台4】 …2010.11.18



2 <何もしたくない閣総理大臣>コト、菅直人首相へ贈るパロール


■<何もしたくない閣総理大臣>と揶揄された(11/17朝日・やくみつる政治漫画)菅直人総理大臣に是非ともご理解頂きたい<ポーランド型自由原理=シュラフタ民主主義>の存在


ミクロ局面では、ポーランドミルトン・フリードマン仕立「米型自由原理(ネオリベ戦争・災害資本主義/その典型が元祖9.11とされる、チリ・ピノチェト軍事政権下で成功が謳われた“チリの奇跡”の欺瞞・虚偽)」の飛火(=米国型ネオリベ戦争・災害資本主義の火の粉)が燎原の炎となり燃え広がり、それが拡大中だ(参照⇒冒頭に掲げた(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さまのコメント)。


因みに、そのチリから米国へ脱出し1976年8月に発表した論文「チリのシカゴボーイズ」で、フリードマンネオリベピノチェトらの癒着を厳しく批判した元チリ外相O.レテリエルは、その論文発表のワシントンで、自分の自動車に密かに仕掛けられた爆弾が爆発して吹き飛び爆死した。が、その後もO.レテリエルが批判したチリ政治における暴力的ネオリベと経済政策の癒着は深まり、レテリエルの暗殺から3週間後にミルトン・フリードマンノーベル賞を受賞している


<注記>


シカゴボーイズhttp://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/2004/09/post.htmlより部分的に転載)
・・・世界の学者たちのなかでももっとも頭の切れる集団、すなわちミルトン・フリードマンの弟子「シカゴ・ボーイズ」たちが九年間も努力を重ねてチリを破綻させた。彼らの理論の魔法にかけられた将軍は、最低賃金制度を廃し、組合交渉権を違法とし、年金制度を民営化し、財産や営業利益に対する税金をすべて撤廃し、公職を削減し、212の国営産業と66の銀行を民営化し、財政黒字を実現した。将軍は国を率いてネオリベラル(自由市場)の道を行進させ、後にサッチャーレーガン、ブッシュ、クリントンIMFそして全世界がその後を追うこととなった。


ところで、辛うじてながらも国民の過半超が支持する与党・市民プラットフォームがポーリッシュ・ポジヴィティズム(シュラフタ民主主義)の伝統理念の下で、その「米型自由原理(米国型ネオリベ戦争・災害資本主義=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))」と果敢に格闘中だ。そのため、マクロ局面で見たポーランドは世界不況に見舞われた2009年の経済成長率1.2%は、ポーランド欧州連合EU)の中で唯一成長を達成した国であることを明確に示した。


ポーランドの1人当たりGDP国内総生産)も2009年の「EU平均の50%相当額」から56%レベルへ拡大しており、これは過去最高の伸びとなった。経済協力開発機構OECD)の発表でも、ポーランドの経済成長率は大方の予想をはるかに上回る1.8%と判明し、ポーランドは2009年の欧州連合EU) 加盟国でプラス成長率を達成した唯一の国となった。


また、OECD加盟国でポーランドの他にプラス成長を達成したのは韓国(0.2%)とオーストラリア(1.3%)の2カ国のみで、2009年のポーランドOECD加盟国の中で最高の成長率を見せた。いま、このマクロ実績下で、ポーランドは2011年後半のEU議長国就任を控えており、EU盟主国の筆頭たる独・仏両国はシュラフタの伝統を引き継ぐポーランド指導層の人材的貢献に期待をかけていると伝えられている。


このため、いまポーランドの与党・市民プラットフォームは、は「ポーランド型自由原理」と「シュラフタ民主主義」の伝統に基づきポーランドポジティヴィズム政策に取りかかり中だ。


ここで見逃せないのは「市民プラットフォーム」の政治パワーの源泉が次のような点にあるということだ。ある意味でこれは、ポーランド版「シカゴボーイズ(フリードマン製ミュータント)とその仲間たち」を相手取った<壮絶なポーランドシュラフタの闘い>とも言えるだろう。


それは『原則的に徹底的に暴力的大権力(=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))と争うが、戦術としては常に“国民の主権と生命を守る”という、その一点のためにだけ妥協する』ということだ。ここに見られるのはシュラフタ精神を生かしつつ国民のために全力を傾注する現代ポーランド型の伝統保守(アダム・ミフ二クが言うポーランド的漸進主義)の姿だ。


一方、我が国における「実効権力」(現行政権の中枢を占める労組・市民活動系左派および野党・自民党らも含む政・官(司法)・学・財・マスメディアの癒着・談合私益増連合体)は、高度経済成長期いらい<もっぱら実効権力側が自ら行ってきた悪業(=日本経済発展の代償に政・労・使・マスメディアの癒着・談合戦術を採り、高度成長期以降の長きにわたり無辜の社員・市民・国民層の『連帯』を崩壊させ続けてきたこと)>の罪を偽装するため、一見では理想主義風(つまり、国民側にとっては中身が空っぽ)の米型ネオリベラリズム(新自由主義)を日本再生の偽装イデオロギーとして掲げた挙句に、今や日本社会を根底から疲弊させ国民・市民の『連帯』の絆を解体しつつあると理解することができる。


つまり、<何もしたくない閣総理大臣>と揶揄された菅首相!貴殿が「日本版シカゴボーイズ」たる実効権力の癒着・談合の中枢に深く浸かり国民を欺き<米国型、ポーランド型という二つの自由原理の存在と、その二つの決定的な違いに無頓着・無関心だったこと>が全ての元凶なのだ(なお、米型・ポーランド型自由原理の詳細はコチラ⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101115)。


だから、せめて<何もしたくない閣総理大臣・菅直人殿>におかれては、非常に苛烈な「シカゴボーイズ(フリードマン製ミュータント)」との壮絶な闘いに入ったポーランド型自由原理(シュラフタ民主主義)の今後の動向(政治動向)を注視して頂きたい。


仮に成功すれば、それはアメリカ式ケインズ主義とマネタリズムらの設計主義が蔓延る現在の世界の経済学の臨床分野における画期的な大業績、あるいは政治経済学におけるコペルニクス転回的なパラダイムシフトとなる可能性があるからだ。


また、不幸にして、それが仮に失敗するとしても。<ポーランド型自由原理=一般国民に対し責任を負うべきシュラフタ(中間エリート層)には必然的に戦争型の暴力性(ファスケス)を潜ませる覇権的大政治権力に対し民主憲法が定める授権規範を厳守させ得るという意味での徹底した自由があるとの考え方>と<米国型自由原理=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜むリバタリアン型の暴力的存在(ファスケス)>の闘いという<苛烈なポーランドシュラフタの生の闘い>ぶりの目撃から、必ずや日本再生の貴重なヒントが発見できるという期待が持てるからだ。


ひょっとすると、これから我われは、アダム・ミフ二クが言う<民主主義の天使=ポーランド型自由原理>と<民主主義を騙る悪魔=米国型自由原理(ネオリベラリズム、無政府資本主義型リバタりアニズム)>の壮絶な闘いを目撃することになるのかも知れぬ。


ところで、いまデカルトの「我思う、ゆえに我あり」を無謬とする設計主義(その極致が米国型自由原理主義=無政府型リバタリアニズムランディアン・カルトetc)の基盤そのものが揺らぎ始めている。それはデカルトが、敢えて「それ(エス/das es)」(比喩的に言えば広義の外部経済の如きetwas)の存在を無視して「我(自我)」を捏造した疑いがあるからだ。


設計主義の祖とされるデカルトの「我(自我)」に「それ(エス/das es)」が影のように付き纏うことを明確に指摘したのは18世紀ドイツの科学者G.C.リヒテンベルク(1742−99)だ。その「エス」にはフォイエルバッハニーチェフロイトへの流れ(無意識)と、フィヒテシェリングビスマルクヒトラーリバタリアニズムへの流れ(前意識)の二つがある。我われは、この新たな知見から『自由』について更に深く考えるべき時代に入ったのではないか.