toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

ラッセル・クロウ、映画『ロビン・フッド』が現代日本へ贈る啓示

toxandoria2010-12-20



[副 題][坂の上の陥穽]菅・鈍感政権、唯一の成果は日本の「米型詐欺資本主義&国民総ゾンビ」化の促進か?


<注記>当記事は、いったん[菅・鈍感政権、唯一の成果は日本の「米型詐欺資本主義&国民総ゾンビ」化の促進か?、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101215]としてUp済みですが、表題が難解だったので、改題し再Upするものです。


【スーベニール画像】ポーランドの風景・クラクフ、ア・ラ・カルト













【参考動画】ラッセル・クロウ主演、映画『ロビン・フッド』予告編



・・・この画像はhttp://suzukiri.exblog.jp/12506649/より。映画の公式HPはコチラ⇒http://robinhood-movie.jp/、監督リドリー・スコット、出演:ラッセル・クロウケイト・ブランシェットほか


(映画『ロビン・フッド』のレポート)
・・・http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id336827/より転載


・・・「グラディエーター」「キングダム・オブ・へヴン」を撮ったリドリー・スコットが、なぜまた同じジャンルの「ロビン・フッド」を撮らなくてはならなかったのか。  その理由は本作を見れば分かる。


・・・この3作は、ローマ帝政崩壊の萌芽に始まり、十字軍遠征の功罪を経て、最終的に立憲民主主義の誕生に収束する、壮大なヨーロッパ史3部作になっているのだ。10年前の「グラディエーター」でローマ帝政に反逆する男を演じたラッセル・クロウが、本作で演じるのは中世封建制度に反旗を翻す男。クロウの役柄はきれいに「対」になっている。


・・・「グラディエーター」公開直後から続編の噂はあったが、それがこうした壮大な形で実現したとも見えるのだ。  もうひとつの動機は、“オレなら英国をこう描く”という英国人監督によるお国自慢ではなかろうか。まず、いい役を演じるのは、いかにも英国風な偏屈で味のある老人たちばかり。主要登場人物はみな壮年以上で若者はいない。


・・・そして色調は、英国の曇天と冷気だけが生み出す独特のもの。村の建造物や古い剣の造形にはケルト文化の名残がある。こうした細部まで行き渡る監督の美意識が、骨子は単純なこの物語に、深い奥行きを与えている。  クライマックスに海辺の攻防戦を持ってきたのも“海の覇者”英国の誇り故だろう。


・・・そして、「プライベート・ライアン」の上陸場面のリドリー・スコット版ともいうべきこの場面では、跳ね上がる水しぶきの形状までが、物理法則ではなく、監督の美学に沿って変貌するのだ。(平沢薫)(eiga.com)


(toxandoriaの感想)


・・・監督リドリースコットは『ブレードランナー』(1982/ゾンビならぬ本格的なレプリカント(人造人間)が登場する未来SF映画の傑作、参照⇒http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN8/kato-br.html)いらいのファンであり、期待に違わず、久しぶりに、その映像美(特にシャーウッドの森など自然描写が美しい)を堪能した。ストーリーの詳細は省くが、今までのロビン・フッドとは異なり、ロビン・フッド誕生史、つまりロビン・フッド立憲君主制の先見的な啓蒙活動家となったため、結果的にアウトローの烙印を押されるまでの物語ということになっている。


・・・ロビン・フッドの実像は殆ど伝説的なものだが、ジョン欠地王(John/位:1199年 - 1216/プランタジネット朝第3代国王/悪政・無能・暴君のラベルを貼られた気の毒な王であるが、最終的には諸侯の反乱で、マグナ・カルタ(大憲章)への署名を余儀なくされた)の時代に設定し、まるでポーランドシュラフタ的なサムライであると同時に立憲君主国民主権思想の啓蒙者でもあったというロビン・フッドの新しい人物像解釈が面白かった。


・・・この類の人物像(悪徳権力へ命を賭して対決する役柄)はラッセル・クロウに嵌り役で(というより積極的に自分からやりたいらしいが・・・)、その姿は『消されたヘッドライン』(参照⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100111)の米国の政治スキャンダルの闇(=上院・院内総務と米国最大の戦争請負会社(悪徳に嵌った軍事ケインジアニズムの象徴)の癒着構造)に激しく迫る敏腕記者カル・マカフリーの人物像に重なる。なお、個性的で古典的な美貌のケイト・ブランシェットも、なかなか良い演技を見せてくれる(画像はhttp://www.ehills.co.jp/rp/dfw/EHILLS/event/cinema/101126/index.phpより)。


【参考画像】映画『消されたヘッドライン』(State Of Play)





(プロローグ)


日本経団連米倉弘昌会長(住友化学代表取締役会長)は12月13日に、法人税率引き下げ(2011年度税制改正の焦点)に関連し<減税と引き換えに経済界が雇用・国内投資の拡大を約束するべきだとの意見が出ていることについて「資本主義でない考え方を導入されては困る」>と述べ、個別企業が将来の雇用・投資規模を確約することは株主への責任などから無理だとして「約束」を明確に拒否した(http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-101213X885.html)。


また、経済同友会の桜井代表幹事(リコー会長)は、12月14日の記者会見で、来年度の税制改正で政府(菅首相)が法人税の税率を5%引き下げる方針を決めたことについて、<国際競争力を強化するには、さらに税率を引き下げる必要がある>という認識を示した(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101214/k10015840831000.html)。


清水の舞台から飛び降りる覚悟で管首相が「法人税5%」を決断したかどうかは知らぬが、ある意味でこれら日本財界の表面的には伸士然とした大物代表者の発言は、弱り目に祟り眼でボコボコ状態の菅総理の足元を見透かしたゾンビ(非人間)企業的な発言で怪しからん、と言えるかも知れない。


一方、これら大物財界人らの、かくの如き<大盗人(ぬすっと)が追い銭(ゼニ)を要求するが如き発言>は至極当然と見なすこともできる。つまり、現在の超グローバル化した資本主義世界(どちらかといえば人間の労働力よりも労働ゾンビを求める熾烈な世界)で生き馬の目を抜く激しい競争に勝ち抜き生き残るには、そのことに責任ある彼らの立場としてこのような発言となるのは当たり前だからである。


問題は、菅首相が、自らの決断と呼応するかのように財界人らに<大盗人の追い銭発言>を安易に許してしまったという、その最悪のシチュエーション(政治的な意味での)をもたらしたことにあるのだ。つまり、菅首相の失敗と責任は、このように自らの足元を揺さぶられる形で、みすみす日本国民の主権と労働権を棄損することに手を貸してしまったことにあるのだ。決して、法人減税5%が大きいか小さいかの問題ではない。


しかも、その忌まわしくも恐るべき事態に少しも気づかぬ菅首相の“超鈍感ぶり”は、もはや救い難いとしか言いようがない。これは、一国の未来と全国民の生命を預かる責任者としての宰相の仕事ではなく、単なる気弱な小役人レベルの無責任に徹した仕事でしかない。だから、そのことを菅首相は大いに恥ずべきである。


本来であれば、オランダ・モデル(1982年11月、オランダでは「ワッセナー合意」(オランダモデルと呼ばれる労使間合意)が結ばれた。ワッセナーに首相、経営代表、労働団体らの幹部が集まりオランダ・モデル(三者による分かち合いの理念に基づく協約)による三者合意を締結した/参照⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070723)とまでは言わずとも、全国民向けの事前説明と政・財・労による何らかの事前談合の場を設定すべきであった。そして、この種の談合は積極的かつ大いにやるべきである。


因みに、日本経団連米倉弘昌会長が「資本主義でない考え方を導入されては困る」と述べた意味を少し説明すれば、その“資本主義”とは、現在は、もはや往年の牧歌的な(菅首相社会民主連合時代の如き労組側と経営側が裏で交尾(つる)むことが許されたような)、いわゆる日本的“たかり&馴れ合い”経営の時代ではないということだ。どうやら、菅首相の政治センスは、その日本的“たかり&馴れ合い”経営の時代のままのようだ。だから、日本資本主義のポンジー化傾向の中でゾンビ労働力の管理人と化した財界人から大いに舐められる訳だ。


そして、現代日本が否応なく巻き込まれつつあるのが、弱肉強食どころか詐欺(ポンジー)すれすれ、否、殆ど詐欺同然の「人間ならぬ使い捨てが可能なゾンビ労働力を求めるポンジー・資本主義(ペテン師的・詐欺師的資本主義)」なのだ。だから、米倉弘昌会長は「今さら“ポンジー”資本主義でない考え方を“政治的圧力”で導入されては困る」とホンネを述べたつもりなのであり、だからこそ国家を預かる宰相たる菅首相は一次元も二次元も上の観点から、人間たる国民の主権を守るために政・財・労による何らかの事前談合の場を設定すべきであったのだ。


いわば、今の菅首相は見事に、あの<嘘吐きクレタ人のパラドックスによる堂々巡りの地獄/参照⇒http://www.onyx.dti.ne.jp/sultan/colum073.html>に嵌っているのだ。しかも、菅首相とその仲間たちが好きでゾンビ地獄の世界に嵌るのは勝手だが、このままでは日本国民の全てがゾンビ地獄化した経済社会に嵌ることは間違いがない。


菅首相は、先ずこのような意味での政・財・労による何らかの談合の場を設定してから、国民主権と経済活力のバランスを図ることを宣言した上で、規制緩和と減税、あるいは必要な規制強化と増税などを上手く組み合わせた日本トータルの未来像をしっかりレイアウトして全国民へ説明すべきだったのだ。それに、この法人減税にしても、単にアナウンス効果を狙った外形的な名目の数字だけでなく、各種の特別優遇措置等を勘案した実効税率等についても、全国民向けに正直に詳しく説明すべきであったのだ。


なお、米国の資本主義が、何故、特にポンジー(詐欺)化し、我が国がその大波に否応なく飲み込まれることになったかについては、些か長くなり恐縮だとは思うが、以下の<“ぴっちゃん”さま(ポーランド在住)とtoxandoriaの間で交換されたコメント&レス>をご参照願いたい。なお、下記記事◆も併せて読んで頂ければ、現代のポーランドが「人間のための経済」を回復するために米型ポンジー資本主義と如何に闘いつつあるかと、ポンジー資本主義の誕生までの経緯が広義の政治・経済学史的な観点からご理解いただける筈だ。


ポーランド型「多様性創出経済」の苦闘に無関心なノーテンキ日本の深層、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101212


(関連参考ツイッター情報)


hanachancause 2010.12.16 06:23
【菅政権、ゾンビ大盗人へ追銭の発言】法人税率:更に引き下げ?…仙谷氏、同友会代表幹事に言及-毎日jp(毎日新聞) http://t.co/3O3uNmE via @mainichijpnews


hanachancause 2010.12.14 20:55
ホラここでも盗人に追い銭、菅は経営者の本音が分かっていなかった、その訳は労使とも相合傘で“国民へたかる、たかり経済”にどっぷり浸かってきたから!RT @hanayuu: 経団連会長「法人税率引き下げても雇用や投資の拡大は約束できない」 http://bit.ly/e0REPQ


hanachancause 2010.12.14 17:3
RT @tetsumura 政権維持だけ考え政治すると国民の利益からどんどん遠ざかるという解りやすい例RT@hanachancause: ホラほらみたことかライオン盗人が追い銭を要求してきたゾ!Reading:NHK法人税さらに引き下げをhttp://bit.ly/gSX0U1


hanachancause 2010.12.14 21:18
図★ RT @himurotakasi 日本は数々の法人税優遇策あり、特に輸出企業は税金天国。しかも先進国の殆どが15%前後の消費税かけられてるのに日本は5%、これで不満なら海外でも宇宙でも出て行けばよいわけでどの企業も出て行かないところみると日本にいる方が甘味があるからだ。


hanachancause 2010.12.16 18:12
【QT】大企業に甘く国民の暮らしに厳しい「税制改正大綱を閣議決定」 法人減税、暮らし増税でニコやかな菅総理http://twitvideo.jp/04BGP


ichimuann 2010.12.15 13:07
これまたそのとおり。RT @nikkan_gendai 日刊ゲンダイ 【政治】 もう民主党には二度と投票しない 菅直人はサラリーマンの大敵 給与所得控除をドンドン廃止。こんなデタラメ税制改革は絶対に許されない 不公平税制はひどくなるばかり やるべきは自民政治の負の一掃


HEAT2009 2010.12.15 07:22
原口一博総務相⇒「昨日の税調。去年だったら考えられない法人税を減税して国民に増税。それって生活が第一と逆。法人税を減税しても殆どが外資が株を持っているから、外に行っちゃう。これで雇用を増やすなんてやったら彼らは株主の権利を行使されてクビになっちゃう」と法人税率の引き下げを批判。


masaru_kaneko 2010.12.14 21:13
アダム・スミスはむき出しの利己愛じゃないんですね。同感シンパシーに基づくコモンセンスの形成が前提になっている「道徳感情論」のロジックです。とくに新古典派(あるいは非協力ゲームも)は、利己心と利他心の2分法からなかなか抜け出られず、むき出しの利己心の追求になってしまうのですね。


kouken_saaki 2010.12.16 05:47
主導権争いは政治の世界に限らず、大きな組織なら、古今東西問わずよくある話。政界に飛び交う言葉は、その裏側を読み、重さを量ってから、評すべし #seiji #DPJ #kokkai #kotoba


hosakanobuto 2010.12.15 14:52
ついに心が凍りつくようなニュースが流れてきた。「都知事と自公の暴走」ではなくて、「民自公の賛成多数で」というのが深刻。民意不在の政治を覆すか智恵と勇気を研ぎ澄まそう。→都育成条例改正案、成立 本会議で可決 - ITmedia News http://p.tl/FxiC


prismatic_i 2010.12.15 22:32
都育成条例改正 「過激な性行為って言うけど、過激じゃない性行為なんてあるの?」(永六輔


hanachancause 2010.12.14 17:33
御意! RT @yuuzarmei: ウィキリークスの次は「都政リークス」が必要ですね。


hosakanobuto 2010.12.14 21
@dzaemonn おそらく、この先に 待つのは<政界野合型偽装市民プラットフォーム新党>でしょうネ⇒http://bit.ly/dIIfTZ


ilderberg54 2010.12.15 22:40
『日米地獄へ道連れ経済』で重要なのは、読者(金融マン)のメール情報。NY邦銀トレーダーからのメール。「今回も私たち邦銀の現地支店を使って、日銀経由で財務省のお金がタダ同然でアメリカに移されました。一応、NYの債券市場での売買のふりをしています。が、帳簿の付け替えです」という情報。


tokunagamichio 2010.12.16 06:04
菅直人小沢一郎離党勧告への腹を決めた。参院選直前に消費税増税を言い出したのと同じ愚行をまたやろうとしている。


hanachancause 2010.12.14 21:06
生物共生社会のルールでは裏切者の退路は必ず断たれるRT@kitamurakoumei 市川房枝菅直人に気をつけろ!と警告。その意味が明白にRT @Asagaokunn 菅直人は史上最低、最悪、最大の裏切り政治家である: 誰も通らない裏道 http://goo.gl/hYol9


fujifuji_filter 2010.12.15 14:4@tutinoue
小規模農家を守らない菅政権→【マスコミが伝えない農家戸別保障制度】by ばぜどん さん(2010/12/14) http://bit.ly/hhUMSv


hanachancause 2010.12.16 09:25
【QT】「豪政府独立機関 FTA神話を打ち砕く 米国等との既存協定に利益なし 政府は貿易政策見直しを」…日本のマスコミが海老蔵小沢一郎をめぐる政府・与党のゴタゴタははいやと言うほど伝えても、こんなニューズを伝えることありそうにない。この報告の意味さえ理解できないかもしれない。神話は無傷でまかり通るのだろう  農業問題/晴耕雨読http://bit.ly/gNVBGf


(本 論)


・・・・・以下は[『ゾンビ(新自由主義)vs幽霊(人間のための自由原理)』間に横たわるバカの壁http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101210]に対するコメント&レスからの転載・・・・・


ぴっちゃん 2010/12/11 16:35


「・・・たしかに、「ポーランド型自由原理」には一種のアリストクラシー的・エリート主義的な側面があるので、一部の方々からは“ソレは民主主義ではなく保守・反動だ、toxandoria は守旧派か保守反動派へ退行・退化したのではないか”との御指摘があるようだ。」とありますが、そういう的外れの解釈をする人々はきっとポーランドの啓蒙期の歴史を知らないのではないかと思います。


ポーランド啓蒙期(1791年5月3日憲法を成立させた共和国末期)では、まずなによりも大切なこととして「国民教育委員会」が設立されました。これは国民に対して基礎教育を国家が責任をもっておこなうために作られた役所で、じつは「世界初の教育省」です。


その真意はどこにあるかというと、「国民全体をシュラフタにする」ということです。シュラフタとはサムライです。彼らは(国政・地方政治の)参政権者、国家の防衛者、(ポーランド式の)自由主義社会の構成員、国の経済の発展の基礎単位、ということです。そのために一番必要なのは何を差し置いても「基礎教育」だと考えたのが当時のポーランド人たちでした。


ルソーもポーランドに対して、国民基礎教育の制度をつくるべきだと助言しています(自分のところのフランスではまだ行われていなかった)。明治維新前後の人たちが「富国強兵」のために最も肝要なのは「基礎教育」だと考えたのとまったく同じことです。


要するにデカルト→ルソー的なフランス革命と違って「アリストクラシー」「エリート」を社会から排除するのではなく、「アリストクラシー」「エリート」の社会の中に、それまでそうでなかった農民や平民やユダヤ人などを全部取り込んで、「みんながシュラフタ(アリストクラシー)」「みんながきちんと読み書きそろばんができる人(つまり当時の感覚でエリート)」という社会を作ってしまおうとしたのが、当時のポーランド人の発想でした。


まさにコペルニクス転換だったわけです。どうも国民性としてポーランド人は「発想の転換」というものが好きというか得意というか、ポーランド史を知れば知るほど感じる今日この頃です。おそらく彼らはヘーゲル弁証法ヘーゲル本人よりもよく理解して、思考において正しく使っているのではないでしょうか。


ポーランドは民族のるつぼで、彼らは古代西スラブ人の末裔であると同時にヨーロッパ各地の民族の混血でもあり、また国民の9割は先祖にユダヤ人がいるということです。ということはユダヤ人を含めたヨーロッパの各民族の思考法、それを導く子供のころからの家庭教育の伝統のような面でかなり「良いとこ取り」をしながら近代に形成された民族がポーランド人なのではないかと思います。


ポーランド人はユダヤ人と同様、子供のころからたくさんの本を読ませる民族で、書籍の消費税率だけは0%だというユニークな制度を持っています。ユダヤ人の子供たちは聖書を読みこんでさまざまな「多数の思考パターン」を習得することで有名ですが、ポーランド人の子供たちは小説や論説を乱読して「多面的思考態度」を身に着けます。


そして、ポーランド人の大半は家系が非ユダヤ系であると同時にユダヤ系でもあるといえることから、彼らは「多数の思考パターン」と「多面的思考態度」の両方を同時に身に着けている可能性があります。(たとえば、イェドヴァブネ事件の研究で有名となったプリンストン大のヤン・グロス教授はポーランド出身で、非ユダヤ系とユダヤ系の混血で、彼の説明を聞いていると反ポーランド主義者どころか明らかに筋金入りのポーランド愛国者でもあります、私はだいぶ最近になってこのことが理解できました)。


彼らの独特の自由主義の感覚はこの2つの思考法によってヘーゲル弁証法を正しく用いて発見した「正義」なのでしょう。「ハーバード熱血教室」で日本でも人気となったマイケル・サンデル教授の、あの意味の「正義」です。


ぴっちゃん 2010/12/11 17:42


追伸ですが、貴殿が上のエントリで挙げられたドイツ帝国憲法の三点の特徴について、ポーランド1791年憲法(以後は「第一共和国憲法」と表記)と比較してみました:


ドイツ帝国憲法では国王(皇帝)の権力は神の恩寵によって授与されたもの(神権政治としての最高権力)と規定されている。


第一共和国憲法では国王の権力は国民が付与するもの(国民主権)と規定されている。憲法条文にははっきりと、「王は戴冠の際に神と国民の両方に誓う」、「国民の幸福でいられるかどうかは法、つまり法が運用される際の影響次第である。われわれの経験が教えることは、ポーランドがこれまで様々な災禍に遭ったのはこの事実を見過ごしたため、ということである。したがって、ポーランドでは(王でなく)自由な国民が立法権を持ち、かつこの自由な国民自身が当局のすべての機能を監視するための権限を持ち、かつこの自由な国民自身が自らの手で行政官(大臣や国王)を選出する。そして王の(主催する)評議会(内閣)における王の法的権限は、我々自由な国民が王に付託するのである。この評議会を我々は『法の守護者たち』と呼ぶことにする。」と書かれている。


ドイツ帝国憲法では立法権は国王(皇帝)と両議院(衆議院貴族院)が共同でつくるものである。(見かけだけの立憲君主制


第一共和国憲法では立法権は上下両院制のセイム(共和国国会)のみにある。(完全な立憲君主制


★しかしドイツ帝国憲法では行政権は国王(皇帝)のみにあり、国王(皇帝)は法案の拒否権を持つ。また、国王(皇帝)は緊急勅令を出すことができ、大臣を任免する大権を持つ。(国王(皇帝)の権力はすべての政治的権力の頂点にある)


第一共和国憲法では行政権は国王評議会(内閣)にあり、内閣の名目的主催者は国王であるが、事実上の主催者は大法官(首相)。国王が提案した内閣決議にも、関係書類に担当大臣の連署がなければその決議はまったく効力を持たない。憲法条文には、国王に対する規定として「王の特権は、法とその正しい運用を守ることである。」「王は(議会の裁可なく)勝手な立法や法解釈をしたり、勝手に税を取り立てたり、勝手に債務を負ったり、勝手に歳出の内容を変えたり、勝手に戦争を起こしたり、勝手に和平を結んだりしてはならない。王ができる行政行為は外国との仮交渉と、国の安全保障への仮対応だけであり、これら仮措置を行った際には必ず国会に報告すること。」「王1人では何もしてはならない。王は独裁者でなく、国民の父かつ長としてふるまうこと。」と明文化されている(あくまで国民主権)。


かなりエレガントな対比ができたと思います。つくづく対照的だと実感します。


toxandoria 2010/12/14 08:12


“ぴっちゃん”さま、コメントありがとうございます。


>書籍の消費税だけは0%だというユニークな制度を持っています。


流石ポーランドですね、「世界初の教育省」(ポーランド啓蒙期の国民教育委員会)の良き伝統が現代でもリアルに生きていることは驚きです。以前にも何処かで話題に出ましたが、国民教育委員会の伝統とは、言い換えれば“教育の独立性”の重視ということでもあるのではないでしょうか。


ところで、教育といえば、かつて記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100901)で書いたことがありますがポーランド歴史教育の充実ぶりと、そのレベルの高さにも感動を覚えました。


アンジェイ・ガルリツキ著、渡辺克義・他監訳『ポーランドの高校歴史教科書/現代史』(明石書店、2005年・刊)が、現代史だけで886ページ(翻訳版)という大著であることにも圧倒されたことを今もリアルに覚えています。


ポーランド人が「多数思考パターン」と「多面的思考態度」の両面を同時に身につけている可能性があります。


この観点は自分なりに納得したことがあります。それは、近世の「ポーランド・リトアニア共和国」が、ポーランド以外の言語を母語とする住民6割、カトリック以外の信仰を持つ住民が5割を占める多民族、多言語、多宗教国家であったことを知り得たことによります(出典:渡辺克義編『ポーランド学を学ぶ人のために』(世界思想社))。


従って、かつてポーランドと呼ばれたロケーションでは様々な民族・宗教・言語が出会い交錯する開かれた歴史としての「ポーランドの歴史」を紡いできたということも、ごく自然に納得できました。それから、そのような意味でのポーランドの歴史が、ドイツ、リトアニアベラルーシウクライナチェコハンガリーなど周辺諸国の歴史と重なることにも興味を覚えております。


関連することで、もうひとつ印象深かったのは、ポーランド宗教改革期に「多様な諸改革派教会」と「カトリック教会」らとの間で<ワルシャワ連盟協約(1573)>が結ばれたため、ポーランドでは他のヨーロッパ諸国で多くの血が流された宗教改革戦争が起こらなかったという歴史があることです(出典:同上)。


この辺りでも、ご指摘の「多数思考パターン」と「多面的思考態度」の両面を大事にするポーランド人の伝統のようなものが見事に生きていると思います。


ドイツ帝国憲法の三点の特徴について、ポーランド1791年憲法(以後は「第一共和国憲法」と表記)と比較してみました。


この<ポーランド第一共和国憲法>の先進的な内容には非常に驚きました。1871年に制定されたドイツ帝国憲法神権政治、外形的立憲君主制、国王(皇帝)主権)より80年も前に、このように先進的な内容の近代民主憲法国民主権、対国王授権規範意識立憲君主制)がポーランドで実際に「憲法」化されていたのは、矢張り驚嘆すべきことです。


フランス革命の流れを汲む米国流自由原理の民主主義とは異なる意味での、もう一つの自由を起点とするシュラフタ民主主義の原理的な部分がここにもシッカリ根を下ろしていると思います。


片や、現代日本には、未だにドイツ帝国憲法の亜流たる大日本帝国憲法神権政治的意識を頂点と崇め奉る官僚機構と実効権力(司法、政官財、主要マスメディア、アカデミズムらの社会指導層)が無辜の国民層を威圧・睥睨しており、国民自身もその立場に甘んじています。だから、なかなか日本でシュラフタ民主主義が理解されないのは当然かも知れません。


ここからはtoxandoria流の妄想的感想ですが・・・


前にも書いたことがある分子生物学者・古澤満著『不均衡進化論』で特に印象に残ったことがあります。


それは、ゲノム情報(DNA)と表現形質の関係について<どれほどその理解が深まっても、先ず<種>ごとの複雑な形態を決定する基本共通原理は、これからも分らないだろう。従って異種生物の間の、例えばヒトと犬の間の形態の違いを決定する基本原理も分らないだろう>という一種のアポリアが存在することです。


別の見方からすれば、それは<DNAの断片が入るタイミング(時間)と場所によって現れる形質が変わる>という現実があるということです。更に、それを言い換えれば、例えばゲノムの遺伝情報とヒトの容姿・体型・性格・体質などはピタリと正確に一対一の対応関係になっていないということです。


従って、仮にヒトを見たことがない生物学者がいるとすれば(SF的な話になりますが・・・)、彼はいくらコンピュータを駆使してもヒトが一体どんな形をした生物であるかは想像できないということになります。そこで、古澤氏は個体の形質は自己言及的な「変異の歴史性」が決めるのだろうと言っております。


このことは、デカルト的設計主義の“有効活用”研究の必要性、異質な歴史を互いに尊重し合うことの重要な意義、宗教・民族間対立等の問題回避の可能性、生命現象(意識・スピリトウスと外界生態空間の共鳴)の問題、ゾンビと幽霊(文化的・スピリトウス的フェノメナ)の違いの問題ほか、色々なことを考えさせてくれる、とても刺激的な発見だと思い始めています。


そして、おそらくポーランドシュラフタ民主主義は、このような観点からの理解を深めるためにも必要な存在ではないかと思っています。


・・・・・以下は[ディアローグ的論考、米国型自由原理(連帯分解・孤立型)を一気にコペルニクス的転回させ得るポーランド型自由原理(連帯持続・深化型)のユニークな意義、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101115]に対するコメント&レスからの転載・・・・・


ぴっちゃん 2010/12/12 23:05


最後の民間軍事会社のお話ですが、実は軍事も含めた公共サービスの外注の構造というのはどこも同じなのですね。英国では労働党への政権交代を阻止しようと労働党的な政策を採りいれた(ノリがドイツ帝国時代のビスマルク国民皆保険導入のときと同じですね)メージャー政権からさまざまな公共サービスが政府のバランスシートから次々に外れて、民間企業、非政府組織、非営利法人などへと移りました。


この流れは当然のことながら「ニュー・レイバー」を標榜した労働党のブレア政権で急加速しました。働き手も、労働条件が良いことから公務員よりもそういった以前は公共サービスだった各事業を引き継いだ組織に移って行ったのです。現代の英国でNGONPOがやたらと多い理由がこれです。当然のことながらこれらの組織の資金源は税収でなく、寄付だったり、作った統計資料をメディアに売ったり、といった様々な工夫です。


この「ビジネスモデル」は冷戦後の世界の急激な信用拡大が可能としたのです。そしてどうなったかというと、2007-2008年の世界金融危機で彼らの資金繰りが一気に悪化に向かいました。彼らのやってるのは公共サービスに相当する事業ですからやめるわけにはいきません。そして彼らは政府に泣きついて、国庫からの直接・間接の資金援助を受けることになりました。これが2008年以来英国の財政が急速に悪化している一因です。


アメリカにも同じ状況があり、たとえば教師を公務員として雇うのではなく、「ティーチ・フォー・アメリカ」という非政府の非営利団体が多くの教師を雇って各地に派遣しているのです。そして公務員だったときよりも給料その他の労働条件が良い。ファイナンスの事情を知らなければこんなことは奇跡に思えるでしょう。トリックは英国と同じです。そしていまそういった組織は次々と資金繰りが悪化しているのです。


この政府のバランスシートから外して見かけだけの「民営化」を行うことは、マクロ経済においては私の上のコメントで書いた2、つまりニュー・クラシカル派の政策に相当します。クラシカル派一般の「小さな政府」を実現しつつ、社会民主主義の理想である「公共サービスの質と量の拡大」も同時に実現する。つまり「税負担はより少なく、公共サービスはより気前よく」という、虫のよい話を実現しようとして行った金融トリックなのです。


マクロ経済ではネオクラシカル(いわゆる「新古典派」)とは異なるニュー・クラシカル(いわゆる「新しい古典派」)と呼ばれますが、政治思想としてはネオリベラリズム(いわゆる「新自由主義」)とは異なるニュー・リベラリズム(この言葉の日本語訳で定着したものは見当たりませんが、「新しい古典派」に対応させて、このコメントではさしずめ「新しい自由主義」とでもしましょうか)に相当します。これを英国のブレア時代の労働党が選挙用スローガンにしたとき、「ニュー・レイバー(新しい労働党)」という言葉が生まれたのです。


そしてこの「ニュー・レイバー」の一連の政策を「真似」しようとしている(していたけどする前に別の問題で破たん?)のが、ほかでもない、日本の民主党の一連の経済・社会政策です。


ただ、自民党内部の人たちの間でもこの「ニュー・レイバー」(あるいは「ニュー・ソックデム(新しい社民主義)」とでも呼べましょうが、実はその際そういう呼び方は公共サービスの供給面だけを見た一面的なもので、そのファイナンス面を見たらこれは「ニュー・リブデム(新しい自由民主主義)」とも言えてしまうんですね、つまり以前の社会主義保守主義との都合の良いところだけを折衷した、破たん確実の無理政策)の政策に食指を動かしている人たちがまだいるのが問題なところです。誰某と名前は挙げませんが。


「偽装市民プラットフォーム新党」、十分ありえますね。だって、政策そのものがパンとサーカスのノリですから、ファイナンスについて説明をごまかしていられる限りは、国民が嫌がるはずはありません。民主党の分裂とともにそういう流れが始まるのではないでしょうか。なんだかうんざりしますね。そのうちまた預金封鎖かな。


ぴっちゃん 2010/12/12 23:30


<カオスの海>と<不均衡変異モデル>は大変興味深く拝読いたしました。これは経済ではマクロレベルでなく、ミクロ経済の動き、たとえば個々の企業の投資や技術革新の行動に当てはめるとわたし的にはすっきりと理解できます。


そして個体は他の個体(同種でも多種でも)との間で戦い、生き抜いて自分の子孫を残そうとします。ところが生態系全体としはそれ自体が完全に破たんするということはなく、「なるようになる」のエヴォリューションだけが起きていくのです。


経済でもそう。資本は企業、個人、家計、国家などといった個々の経済体の形をとって他者と競争し戦い、存続と増殖を目指します。そして何十年かごとに大きな戦い、つまり戦争や飢饉などが起きて、弱小資本が食われていくのですが、経済全体というのはそれが真の意味で破たんしてしまうということはなく人間の営みとして、過去何千年もの間存続し、人類が種として破滅しない限り延々と存続していくのです。


ただし、個々人としては戦争や飢饉なんて嫌だ。だからこそそれを避ける方策としてどういう風にしたらよいかと日々考えているのがマクロ経済政策の研究者なのでしょうが、どうも中には(自分が犠牲者になる危険性がほとんど感じられない限り)戦争や飢饉を積極的に肯定することに結果的につながりそうな論調を提起する連中が現れます。


それが1と2の連中です、つまりヒックス以来のアメリカン・ケインジアンの連中と、アダム・スミス以来の古典派の連中です。彼らはさらにそれらを折衷してDSGEというモデルまで作りました。しかし彼らの言い分通りにやると、債務が拡大し、それぞれの論に応じて一定の場所に偏る傾向が強まるのです。これが戦争や飢饉を生むのです。


ジョン・M・ケインズ本人は実は、「ルーレット的でないほうの(つまり計算が不可能な)不確実性」を提起し、それこそが経済の真のダイナミズムを生む原動力と考え、そこにかかわるのが人間のもつ「アニマル・スピリッツ」だと言ったのです。


ところが、ヒックスがケインズの一般理論を解釈したとき、この点が軽視されました。この点はケインズの一般理論の中核部分を構成していたのに。以来(ヒックスはイギリス人ですが)、この解釈はアメリカの経済学者たちの間で発展して、ニュー・ケインジアニズムや、(この流れとを古典派が取り入れて)DSGEモデルになっていったのです。


つまりアメリカン・ケインジアニズムと呼ばれるものは、水源のところでケインズの言いたいことの解釈が間違ってるんです。アメリカが1970年代に激しいインフレに悩まされたとき、過去にケインズと激しい論争をしたはずのハイエクは、これはアメリカン・ケインジアンの連中によるケインズの理論の根本的な誤解から起こったものだと考え、「彼(ケインズ)がもしいま(1970年代)生きていたら、もっとも強力なインフレファイターになっていただろう。」と言っています。


ケインズハイエクの2人は実は根本的なところで同じ考えだったんですね。アメリカン・ケインジアニズムが同時に「バスタード・ケインジアニズム(疑似ケインジアニズム)」と呼ばれるのは、そういう意味です。あれは本当のケインジアニズムじゃないのです。


それでは。


toxandoria 2010/12/15 12:59


>この政府のバランスシートから外して見かけだけの「民営化」を行うことは、マクロ経済においては私の「前のコメント」で書いた2、つまりニュー・クラシカル派の政策に相当します。


この金融トリックで最も大きな弊害を世界へばら蒔いたのが冷戦初期から存在したとされる軍事ケインズ主義(実際の戦争が起きるか否かはともかく一種の「Credit Default Swap(クレジット・デフォルト・スワップ)」似の“先物保険”的発想で軍需関連産業の振興を公共政策の代替と見なす考え方)ではないかと思います。


その奇異な発想のフロンティアはアメリカ国民の医療保険制度への不可解な理解(国民皆保険の否定)に繋がり、この<軍事ケインズ主義的な保険思想>を熱烈に信仰するのがティーパーティらの米保守層ではないでしょうか。それ故か、民間保険会社利用へ妥協したオバマ医療保険改革までもが共和党(下院)によって廃案へ持ち込まれようとしています(中間選挙で“政府の保険支配の阻止”を唱えた共和党が圧勝し、法案に賛成した民主党現職の多くが落選した。また、改革医療保険への米国民の加入義務化は共和党が妥協したはずの“民間保険重視の方法”でも「違憲」だとする判決が州連邦地裁で出された)。


そして、色々な低次元の諸問題を外して眺めてみれば、今の民主党が日本中にバラマキつつある大混乱の原因の一つは、矢張りご指摘のとおりで、「見かけだけの民営化に潜在する問題の先送り構造」に気づかぬまま(あるいは狡猾に立ち回ろうとする浅知恵で意図的に知らぬ振りをしたまま?←コレは国民主権への甚だしい裏切りですが)イギリスの「ニュー・レイバー政策」をサル真似していることにあると思います。


そして、この「見かけだけの民営化に潜在する問題の先送り構造」が、実は、米国の軍事ケインズ主義あるいはティー・パーティーらの“狂信的保守主義”(伝統保守とは異質なアメリカ型の異常な保守思想と言う意味)と共振するものであることに殆どの人々どころか、主要メディアも気づいていない(というより、これも狡猾に立ち回ろうとする浅知恵で意図的に知らぬ振りをしたまま?←この傾向は特に近年の朝日新聞に強く現れている!)ことこそが問題だと思います。


アメリカン・ケインジアンケインズの誤解に基づく>という問題は、薄々と気づいておりましたが、ご説明いただいた流れでスッキリと理解できました。「計算が不可能な不確実性」を高等数学と数理経済学を駆使して計算できるように理解させるために工夫したDSGE(動学的確率的一般均衡/Dynamic Stochastic General Equiliblium)モデルは、極論すれば「バスタード・ケインジアニズム(疑似ケインジアニズム/Bastard Keynesianism)」どころか、肝心の設計図の根本部分がルネ・デカルトもビックリの偽装理念であるため、もはや現実のアメリカン・ケインジアンは「ポンジーケインジアン」あるいは「人間ならぬ使い捨てのゾンビ労働力を求めるポンジー・資本主義(ペテン師的・詐欺師的資本主義)」と言っても過言ではないと思っています。


因みに、ケインズが言う「人間のアニマルスピリットが挑戦する計算不可能な不確実性」から連想されるのは、矢張り、発生生物学者・木村資生氏の「中立進化説」あるいは分子生物学者・古澤満氏の「不均衡変異モデル」です。そして、特に、古澤満氏の「ゲノム情報(DNA)と表現形質との関係の不確定性についての理解=進化における“変異の自己言及的な歴史性”の問題」が重要ではないかと思い始めています。


いずれにしても、一国の政治家たる地位の人々は、一般聴衆(一般国民)を娯楽的に(パンとサーカスを与えて上っ面で)楽しませるスーパー・タレントであるべきではなく、彼らへ知恵を授ける役割のアカデミズム集団は詐欺師的学者らによって構成されるべきではないと思います。しかしながら、功利主義に毒された日本政治と学界事情の現実は、ますますコノような意味でアベコベ世界へ嵌りつつあるような気がします。


そして、欧米では、少なくとも、ポーランドにその典型が見られるとおり正統な政治とアカデミズムを、そして健全な国民層を持続させようとする強い意志が根強く息づいていると思います。


【エピローグ動画】Lara Fabian - Tout