toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

政権交代の原点を捨て『巨大企業のレセプター』化した菅総理の蒙昧な冷酷(2/2)

toxandoria2011-02-05





[副 題]「菅総理大臣レセプター(受容体)説」の検証


<注記>「菅総理大臣レセプター(受容体)説」そのものについての解説は、下記記事◆を参照乞う。


政権交代の原点を捨て『巨大企業のレセプター』化した菅総理の蒙昧な冷酷(1/2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110123


【エピローグ動画】Zucchero + Luciano Pavarotti - Miserere




(2)『財務省の論理』にスッポリ飲み込まれたレセプター菅・民主党政権


2−1 「財務省の論理」の出発点


シャウプ勧告と米国型法人擬制説的解釈による法人税の導入)


現在の法人税制は1949〜50年のシャウプ勧告(参照⇒http://bit.ly/g4zC4I)に始まるが、戦前の日本の法人税制は、法人実在説の立場(法人の法的主体性にかかわる規定上の)であった。一方、アメリカやイギリスは、新古典派経済学の考え方に準じつつフランス革命モデルを極限化した自然権重視型の法人擬制説(法人名目説)的な法理解釈に基づく法人税制の立場を採っていた。


なお、法人擬制説(法人名目説)の法理の創始者は、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の懇請を受け「立法改革相」(実質的な宰相)に就任してプロイセンドイツ王国のナショナリズムに新たな熱気を吹き込んだとされる歴史法学の創始者F.K.サヴィニー(F.K.von Savigny/1779−1861)だとされている。


しかし、現代のドイツ連邦共和国基本法憲法)は「基本権(実在論的な意味での)は、基本権の本質に従う意味で、その内国法人に適用可能な限りにおいて、内国の法人にも妥当する」と規定している(Art. 19 Abs. 3 G)が、日本国憲法には、このような法人の法的主体性にかかわる規定は存在せず、曖昧な立場のままとなっている。


ともかくも、法人擬制説は、法人を出資者である個人株主の集合体と見なす(擬制する)立場であり、法人実在説は、法人を個人から独立した、むしろ個々人より強固で確固たる課税主体である(法人は実在する)と見る考え方である。国によって、どちらの法理解釈へ傾斜するかは様々であるが、いずれにせよ、「法人税徴収では法人実在説の立場に立っている」ことになる。なお、わが国の民法上の法理解釈では法人実在説が採られることが多い。


ところで、法人擬制説の立場へ傾斜しつつ法人実在説の立場で法人税を徴収する日本の法人税制では、出来得る限り二重課税(法人所得税と個人所得税の徴収は、厳密な法人擬制説の立場からすれば二重課税となる)を排除するという強い徴税上の意志が働くことになる。このため、「法人間配当無税による法人優遇制度」のような由々しき事例が、つまり、今となって見れば巨大企業(明らかに巨大な権力意志としての自然基本権を持つ確固たる実在人格に等しいと見なすべき法人)に対する余りにも過大な特別優遇制度ではないかと指摘されるような問題が露呈しつつある(この詳細は後述する)。


ともかくも、このような経緯から理解できるように、法人税徴収の立場を別とすれば、戦後60年以上に及ぶわが国の法人についての解釈は米国型の法人擬制説に従う傾向が強かった訳なのだが、2005年の商法改正(関連条項が統合・再編成された)で会社法(平成17年法律第86号)が制定されるとともに、更に、従前より一層<米国型の自由原理主義的な会社経営の手法>が取り入れられることになったのは周知のとおりだ。


なお、これは些か余談になるかも知れぬが、特に約6年間続いた小泉政権下における現代日本の司法改革も、米国型司法(自然権リバタリアニズム的、自由原理主義的な法理)への改革要求(対日年次改革要望書に従ったもの)であり、ここで行われた「法曹人口倍増計画に基づく法科大学院(ロースクール)の乱立、商法改正と新会社法制定、検察審査会法改正、裁判員制度導入、公判前整理手続、司法試験改革etc」の悉くは失敗であったと思われる(この論については下記★を参照乞う)。


★“妖しい動機による司法改革”と“歴史の必然としての司法改革”の峻別こそが肝要、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207


閑話休題、その最も特徴となる点を挙げるならば、それは<株主利益を最重視する>ということだ。これは、本質的な意味で法人擬制説的な法理解釈が主流となってきたアメリカの<法と経済学のフィールド>で練り上げられた<契約の束>理論に依るものである。特に、小泉構造改革以降の日本社会が新自由主義的、あるいは自然権リバタリアニズム的な過激競争社会と化し、かつ、その結果として特に地域社会や企業内の人間関係の絆が崩壊し、総じて殺伐とした無縁社会化の傾向が強まった背景には、このような条件があることを改めて見据えておく必要があるだろう。


また、<契約の束>理論とは、「企業を株主・経営者・従業員・取引先・債権者らのステイクホルダー(Stakeholder/機会利益に関する利害関係者)が個別に締結する多くの契約が束になった存在」と見なす考え方で、基本的に会社が自然の人間に準ずる特別な人格を持つ存在とは見なさぬという考え方だ。それ故、例えばアメリカの企業犯罪の多くでは企業自身が裁かれるというよりもステイクホルダーとしての個人型犯罪として裁かれることが多くなる訳だ。


このような意味での、アメリカ型の<契約の束>化した社会の特徴を短く言うならば、それは一種の捕食動物化した個々人と言う、契約を口実とする強欲ステークホルダーによる弱肉強食型の過酷な競争社会であり、それが過熱した典型事例こそ、あの2008年のリーマンショックで世界に大パニックをもたらした金融市場原理主義の暴走ということであったのだ。


また、このようなアメリカ型社会では、法人擬制説と特に親和性が高いもう一つの<トリクルダウン理論>の役割が期待されてきた。<トリクルダウン理論>とは、税制面・雇用政策面などから分配上の格差拡大を作為的に拡大しつつ、市場機能と雇用の超流動化を介して連鎖的にもたらされる巨額の付加価値創造の一部が少数派の川上(勝ち組)から過半以上の多数派の川下(負け組)へ向け滴り落ちる結果として、社会全体の経済水準がエンドレスに底上げしつつ向上するという考え方である。


しかしながら、わが日本では、米国シンパの小泉純一郎竹中平蔵らが言いふらしたほど、<トリクルダウン理論>が、いわゆる新自由主義的な考え方が、決して優れたイデオロギーではなく、実はこれこそが現代世界における政治・経済の混迷を深める原因となってきたのではないかという疑いが、皮肉なことに、彼らを厳しく批判し政権交代で政治の表舞台に登場したはずの民主党・菅政権の無能(レセプター)ぶりと、つまりミイラ取りがミイラになった(菅政権が隷米型の劣化小泉政権と化した)お陰で、漸く多くの人々によって気づかれ始めたような気配が漂うことには、遅きに失したとはいえ、同慶の至りの思いではある。


しかしながら、シャウプ勧告以降の法人税を巡る法解釈上のご都合主義(擬制説と実在説の苦し紛れのようなアドホックな使い分け)から小泉政権時代に特に目立ち始めた新自由主義政策の導入に至るまでの経緯を垣間見て改めて認識させられるのは、やはり既に約60年前の戦後から一貫してわが国は<法人を巡る法的環境>が、<契約の束>型社会であるアメリカの大きな影響下に置かれ続けているということだ。そして、ここに財務省の論理の原点があることは、もはや言うまでもないことだ。


2−2 日本財政危機の実像


財務省の論理と“税制の空洞化=中間所得層の劣化&貧困層拡大”が乖離する危うい現実)


既に見たとおり、「財務省の論理」の出発点は、<米国の自然権リバタリアニズム的な法と経済学のフィールド>で練り上げられた<契約の束>理論を下地とする米国型「司法の論理」と「トリクルダウン型社会」(市場機能と雇用の超流動化を介して連鎖的にもたらされる巨額の付加価値創造の一部が少数派の川上(勝ち組)から過半以上の多数派の川下(負け組)へ向け滴り落ちる結果として、社会全体の経済水準がエンドレスに底上げしつつ向上するという、真に奇怪でバカゲタ考え方)を日本に根付かせようとするシャウプ勧告の狙いそのものであった。


去る1月31日、政府・与党社会保障改革検討本部(本部長・菅首相)は首相官邸で会合を開き「社会保障と税の一体改革」を議論する「社会保障改革に関する集中検討会議」の幹事委員20人を決めた。そして、この委員会の最大の特徴は、自公政権時代に税や社会保障改革で中核を担った経験があり与謝野氏とも関係が深い有識者らをメンバーに引き入れたことだ。が、その幹事委員には前自民党衆院議員で厚生労働相も務めた柳沢伯夫城西国際大学長のほか自公政権時代に社会保障関係の会議で座長を務めた成田豊電通名誉相談役と吉川洋・東大教授らが入っており、柳沢氏らの参加は<首相が目指す超党派協議の呼び水>にする狙いがあると見られている。


そこで、幹事委員の柳沢伯夫氏は、2月3日の朝日新聞とのインタビューで「税収が50兆円台から37兆円まで落ち込んだ今の経済状況では、消費税10%では恐らく間に合わない、社会保障制度を埋蔵金ではなく、10%以上(max20%程度?)の消費税を視野に入れてしっかりした財源で安定させる必要がある」と語っている。かつての自民党政権時代の財政再建派の重鎮二人、与謝野・柳沢の両氏を政権内に引き寄せたことを、ここまでハッキリさせた以上、もはや菅内閣が「財務省の論理」で動いていることは明らかだ。


しかしながら年金制度移行(社会保険方式⇒税方式)の際にこれまで積み立てた基礎年金相当分をどう扱うかの詳細が決まっていないので、新たな制度の導入時には大混乱となる可能性がある。このため、与謝野氏は社会保険方式にこだわっているようだが、仮に民主党案のとおり税方式へ移行する場合には、財界・経団連スジの圧力で法人減税に加え社会保険料企業負担分(例えば現行は殆ど企業負担へ傾斜している労働保険料・約2~3兆円?)の消費税上げ部分への繰り入れを画策との観測(参照⇒http://p.tl/-BgW)もあるので、一般国民はくれぐれも騙されぬよう要注意だ。


些か古いデータではあるが、「企業の税・社会保険料負担の国際比較(対GDP比)」(参照、下記グラフA、出典:http://bit.ly/bJ0OZP ← 大きなグラフAはコチラをクリック!)を見れば分かるとおり、日本企業の<税・社会保険料負担の合計>は、やはりヨーロッパ諸国(英国は除く)に比べると小さいことが分る。


[A]


また、同じく下記グラフBから分かるのは、ヨーロッパ諸国(米英は除く)における法人税の表面税率は確かに日本より低いが、これらヨーロッパ諸国の<社会保険料事業主負担>が日本と比べて圧倒的に大きいことが分る。これらの比較から、日本経団連・財界が更なる<法人減税>と<現行の労働保険料・約2~3兆円?部分の負担>を年金制度移行のドサクサ紛れに忌避してしまおうとする魂胆は真に怪しからぬ強欲以外の何物でもなかろう(グラフBの出典:http://bit.ly/9rPM2A ← 大きなグラフBはコチラをクリック!)。


[B]


ところで、政府・メディアが一体となって盛んに喧伝するのは、今の一般会計予算の中で構成比率がもっとも大きいのは、2011年の予算案で約31%を占める社会保障関係費(生活保護費、社会福祉費、社会保険費、保健衛生対策費、失業対策費)だということである。が、だからと言って、社会保障費が財政危機の原因であり元凶だと判断するのは短絡的だ。


国民の生存権を保障する憲法を掲げる現代の民主主義国家のトップ歳出項目が社会保障費であることは何ら不思議ではないのだ。むしろ、米国を除きヨーロッパ先進諸国と比べれば、日本における社会保障費の割合は対GDP比で見る限り少ない方である(参照、下記グラフ『社会保障給付の部門別の国際的な比較(対国民所得比)』http://bit.ly/hPHlUy ← 大きなグラフCはコチラのURLをクリック!)。


[C]


それどころか、むしろ日本の財政危機の真の原因は1990年代まで続いた自民党政権時代における無駄な公共事業のための乱開発(つまり利益誘導政策型のバラマキ&無駄遣い)であったと見なすべきだ。無論、この背後にはヒックス以来の流れを汲むバスタード・ケインジアニズム(Bastard Keynesianism/擬ケインズ主義/参照⇒http://bit.ly/f3KzvJ)で理論武装した宗主国アメリカ側からの要求(日本の景気拡大が、最終的に米国国債購入に直結し結果的に米側への資金環流となることへの期待)が、日本政府に対して国債増発を促す外圧となったということもあったと考えられる。


2000年代に入ると公共事業のバラマキは止まるが、低成長と不景気の長期化による歳入不足が深刻化し、今度はその歳入不足を補う赤字国債の増発が続くこととなり、財政危機がますます進行した。2000年代に入ってからの財政悪化の大きな原因は、従来型の利益誘導のバラマキに新たな要素が加わったためと考えられる。


つまり、米側から押しつけられた「対日年次改革要望書」に従った政府の新自由主義政策と一体となり、多国籍化しつつある巨大輸出型企業がリストラや不定期雇用への切り替えなどで分配構造が劣化したことによる内需不足型の不景気が進行する中での巨額銀行支援などに依るものだ。


そして、ズバリ言えば、この悲惨な日本社会の構図を象徴するのが<中間層の没落>と<貧困層の拡大>という悪しき二つの傾向が日増しに進みつつあるという現実だ。このタイミングで、菅政権は、民主党への政権交代大義であったはずの「国民の生活が第一」という本物の目玉看板をかなぐり捨て、愚かにも「第三の開国」なる超時代錯誤の偽装看板を高々と掲げてしまったのだ。


また、これも真に愚かなことなのだが、内需不足が続くこのデフレ経済の環境下で法人税5%の引下げを早々と宣言し、それでは物足りぬと財界から遠慮会釈もない更なる法人減税の追加要求を受けタジタジとなる一方で、菅内閣は一般国民向けに消費税の増税を宣言してしまったと言う訳だ(ただ、ここ数日で菅総理自身は消費税上げの方針をトーンダウンさせたようだが、それはそれで益々信用ならぬと多くの人々を酷く怒らせてしまったと思われる)。


他方、なぜかは知らぬが(分配された官房機密費の甘い汁効果か?)、相も変わらず記者クラブメディア各社の報道姿勢は妙に薄気味が悪いほど菅政権の無定見とドタバタ&右往左往劇場に寛容な態度を採り続けている。


ところで、我われは、このような菅政権のドタバタ劇の背後で巧みに調教の手綱を引く「財務省の論理」の核心部分を冷静に観察しておく必要があると思われる。しかし、最早、そのためには多言を弄する必要はない。以下のグラフ[D]~[G]を眺めて頂ければ、自ずと、その「財務省の論理」の核心が見えてくるはずだ(ただし、表面的に高く見えるわが国の法人税率(F)については既述のグラフCと併せて見る必要があり、加えて若干の解説が必要となるが、その詳細は後述する)。なお、此処で、これらのグラフを活用するというアイデアは下記ブログ記事▼より頂いたものなので、併せて以下にそれをご紹介しておく(グラフD〜Gの出典:http://bit.ly/9rPM2A ← 大きなグラフD〜GはコチラのURLをクリック!)。


▼税収・社会保険負担の国際比較資料 (財務省ホームページより/村野瀬玲奈の秘書課広報室)、http://bit.ly/9k89Ja


[D]所得税の税率の推移(イメージ図)


[E]申告納税者の所得税負担率(平成19年分)


[F]法人所得課税の実効税率の国際比較(2009年1月現在)


[G]法人所得課税及び社会保険料の法人負担の国際比較に関する調査(平成18年3月)


要するに、これら[D]〜[G]四つのグラフを一瞥して分かるのは、日本が戦後60年という長い時間をかけて手に入れたのは、まさに「シャウプ勧告」以来のアメリカの思惑どおりに「日本の税制と経済構造がトリクルダウン型」の理想形(アメリカ型の経済・税制・社会構造=自然権リバタリアニズム型の市場原理主義、つまりトリクルダウン理論で日本国民全体の厚生水準がレベルアップしつつ個々の人々が結果的に豊かになると言う小泉・竹中らの耳触りが良い喧伝とは全く異なる悲惨な現実=ごく一部の富裕層が圧倒的多数の貧困・中間層から搾取し続けるとともに肝心の中間層を限りなく棄損して貧困層へ追いやるという過酷な現実!を見事に実現する税収・経済構造=税制の空洞化=貧困層に税負担が過重傾斜する税制)へ強制的に限りなく漸近させられてきたということだ。これは何とバカゲタ、そして何と一般国民を小馬鹿にした「財務省の論理」ではないか!


更に、これに追い打ちをかけるのが、日本経団連・財界の強欲ぶりだ。既に述べたことだが、グラフ[B]を見て驚くのは、好き好んで積極的にトリクルダウン社会を追い求めてきた米英を別とすれば、ドイツ・フランス・スウェーデンなどの欧州諸国の企業が日本企業の約1.5〜2.0倍ほどの大きな「社会保険料事業主負担」を支払って(分担して)いるのが窺われることに瞠目すべきだ。


これに比べると、財政危機の回避を口実とする年金制度移行(社会保険方式⇒税方式)を奇禍として、更なる社会保険料事業主負担から出来れば逃げよう(消費税増にソノ事業主負担分の2〜3兆円?を転嫁しよう(潜り込ませよう)とするが如き、余りにもセコイ、まるでコソ泥のような日本財界人の強欲ぶりには呆れかえるばかりだし、あわよくば、その無様な悪事を見て見ぬふりにしたそうにさえ見える菅民主党政権の底なしの不見識ぶりにも呆れ果てるばかりだ。


要するに、戦後60年の時間をかけて<長期自民党政権財務省の論理>なるものが手を携えて、国民を騙しだまし築いてきたのは米国・トリクルダウン仕様の“税制の空洞化”なるもの、言い換えれば、それは“中間所得層の劣化と貧困層拡大”を同時進行させる、まるでタイタニック号の進路の如き恐るべき代物であったのだ。


その先に見えてきたのは、いよいよ日本が『僅か人口の1%を占めるに過ぎないトップの金持ちが全金融資産の6割を押さえ、同じトップ10%が全金融資産の9割を押さえる』という、アノ余りにも素晴らしい?、理想の自由民主主義国家であるアメリカ型社会へ向かって、この日本が完全移行しつつある(http://bit.ly/huc44O)という驚くべき現実だ。


だから、少子高齢化や人口の波(参照⇒http://bit.ly/f07gKg)が日本財政危機の真因だとする向きもあるようだが、必ずしもそれだけではなく<長期自民党政権財務省の論理>が米国の言いなりになり過ぎて、与野党を問わず政治世界に連なる人々、ならびに財界・記者クラブメディア・アカデミズムなど日本の指導層に連なる凡ゆる人々が、もろともに<日本の経済と税制に関わる、あるべき姿>についての見識を失ってきたか、あるいは騙されて、それを捨ててしまったというのが実態ではないか。


従って、政権交代後の本格的な内閣を引き継いだ菅内閣は、真っ先にやるべき根本政策の優先順位を完全に誤ったことが致命傷となったのではないか。


つまり、本来であれば、オランダ・モデル(1982年11月、オランダでは「ワッセナー合意」(オランダモデルと呼ばれる政・財・労間の合意契約)が結ばれた/ワッセナーに首相、経営代表、労働団体らの幹部が集まりオランダ・モデル(三者による付加価値と労働権についての分かち合いの理念に基づく協約)による三者合意を締結した/参照⇒http://bit.ly/dYqcLP)とまでは行かずとも、全国民向けの事前説明と政・財・労による何らかの事前合意で全国民から大きな信頼を得る場を忌憚なく、かつ果敢に設定すべきであったのだ。


そのうえで、社会保障・税制の一体改革を検討する段階へ進めば、現在の混迷とは全く違った、それこそ、戦後60年をかけて構築された自民党政治の悪政の名残を一掃する可能性を十分に備えた、全く新たな日本再生のためのステージを我われは見ることになったかも知れない。しかし、現実は違った。


それどころか、菅政権は民主党支持母体の主要労組である連合と財界側へ“ヒタスラ気を使う”ばかりで、生産労働人口の凡そ9割以上を占める中小企業で働く一般勤労者層(約432.6万社の中小企業の対全企業占有率は99.7%であるhttp://p.tl/56y5)への配慮が全く欠けていた。やはり、菅ら市民派を自称(詐称?)する左翼政治家は“労働貴族意識”(内実は、労使の密室談合がもたらしたタカリ意識)を捨て切れなかったのだろう。無論、これは相手方の使用者側も同じで、彼ら金ぴか人種もタカリ意識に塗れてきたという訳だ。


連合時代の悪い癖が出たのかどうかは知らぬが、コレでは“八百長政治だ!”あるいは“たかり政治だ”との誹りを受けても仕方がなかろう。国の政治は「馴れ合いの労使交渉」とは訳が違うのである。このため、今や、自らの意志表出語を見失い単なる<無脳のレセプター(受容体)>と化した菅民主党政権は、そのマンマ<国民に痛みを押し付ける小泉構造改革>と同じことをしようとする、極言すれば小泉構造改革を上書きするだけの<劣化した疑似小泉政権>だと溜息交じりで国民から揶揄される存在にまで身を眨めてしまった。


また、余談ながら、上に示したグラフ[B]及び[D]〜[G]は全て財務省が作成したもので、別に秘匿されている訳でもなく、全てオープンにされているものばかりだ。しかし、筆者が不勉強なのかも知れぬが、新聞・テレビなどの主要メディアがこれらのデータを取り上げ、当記事で書いたような視点から批判的に分析を行ったケースは寡聞にして見たことがない。あるとするなら、それは上で示したブログ記事だけである。このことからしても、わが国の主要メディアの超劣化傾向が窺われるようで心寒い気がするばかりだ。


(関連参考情報)


許すな!消費税10% 一般家庭は年間34万6000円の負担 大企業は6兆円の丸もうけ、http://bit.ly/fMo32s


何だコレは!八百長だ!⇒民主改革あとかたなし、菅総理年金一元化」撤回も示唆、http://bit.ly/i8t4tI


2−3 現行法人税制の盲点(法人税制の空洞化)、その実例


民主主義社会における<徴税の公平性>とは、納税義務がある人々から平等に税金を徴収する<応能負担>と、所得水準が高い人と低い人の経済格差を一定範囲内で縮小する<所得の再分配機能>ということにある。このため、貧富の格差を一切配慮せず一律に税率をかける、わが国のような消費税の不合理なありかたについて、富岡幸雄氏(大蔵事務官、国税査察官を経た租税学者、中央大学名誉教授)は次のようなことを語っている(出典:背信の税制-講談社文庫-)


・・・人間は生きるため常に物やサービスを消費する。これに税金をかける消費税は、いわば人間それ自体に税金をかける人頭税の如きものだ。だから、旧来の政・官・財の癒着構造による利益誘導型政治がもたらした矛盾とツケを温存するため導入された日本型の一律消費税(食料品などについてキメ細かく例外措置を講ずる欧州型付加価値税とは別もの)の税率は最低限に抑えるべきだ。そして、やはり徴税の基本は累進型の所得税とすべきである。・・・


だから、消費税の値上げを論じる前に現行法人税制の盲点(消費税上げの代替財源)をもう一度点検することを富岡幸雄氏は提案する。そして、その一例として富岡氏は「法人間配当無税」を取り上げる(出典:http://bit.ly/dJBbDT)。富岡氏によれば、わが国には、冒頭で書いた法人擬制説の法理(つまり、大企業を個人株主の集合体と見なす)に従うという理由で、二重課税を排除するという観点から「法人間配当無税」という優遇税制が存在する。


具体的に言えば、この「法人間配当無税」とは、大企業が他企業の株式を所有することで得る配当金を、その大企業は個人株主の集合体と見なす(米国流の<契約の束>理論による)ことで、個人からの二重課税を避けるため無税として扱うという優遇制度である。富岡氏の試算では、この「法人間配当無税」による課税除外分が過去6年間で31.7兆円あり、このうち巨大企業分が9割で、27.9兆円も存在する。このため、現行では国ベースの法人税だけで8.37兆円、年間ベースで約2兆円の財源を失っていることになる。


同じく、富岡氏によれば、この他にも様々な優遇措置が存在するうえに、意外なところにも「法人税の盲点」が存在するという。例えば、「課税ベース×税率=税額で、特に輸出型巨大企業では各種優遇措置等による対課税基準浸食(エロージョン)と税金の隠れ場(シェルター)などにかかわる意図的操作が可能となる」ので、課税ベースの空洞化という問題が起こっている。それ故、法人税では表面税率の上下だけでは税収の実態は見えにくいのが現実だとされる。


従って、全体の約98%が資本金百万未満の中小企業であるという日本の産業・経済の実態からすると、このような構図でエロージョンとシェルターを持つ大企業の真の法人税率は現実的には、かなり低い(企業によってバラつくが、総じて30%程度以下になるらしい?)ことになる。故に、これは相対比較の視点になるが、日本では、大企業の表面(名目)上の法人税の一部が、真面目に納税する中小企業へ転嫁される形となっている。これでは奴隷型産業構造ではないか?


因みに、これも富岡氏の試算によるが、このような観点からメスを入れてみると、メインタックスである所得税法人税の不公正(税金逃れ)の是正だけで、平成4年データですら消費税額の約2倍に相当する約12.3兆円もの税金の取り漏れがあることが分っている。今、同じことを試算した場合でも、ほぼ同様の結果となることが予想される。


また、消費税には、輸入戻し税の問題がある。輸入戻し税の全額が輸出企業のまる儲けになるというのは消費税における「消費税負担⇒転嫁の構造」にかかわる誤解だが、問題は、この戻し税の受け手が巨大企業に集中している点にある。仮に、悪しき慣行として、これら輸出型大企業が、ほぼ消費税率に相当する程度の値引き要求を下請けに課すことが多いと見なせば(これも奴隷型産業構造?)、その値引き要求額に相当する金額は大企業側のまる儲けになるという訳だ。


(エピローグ)


・・・以下は、[2011-01-06 toxandoriaの日記/“民主主義進化論”の象徴「オヴァートンの窓」を偽装する記者クラブ・メディア「買弁ジャーナリズム化」の犯罪、http://bit.ly/f4ZRQR]に対するコメント&レスを主体に構成した内容である・・・


これまで見てきたことから言えるのは、現代日本の混迷を深めた直接の原因(犯人?)は、やはり旧来の利権構造に繋がってきた、そして60年以上の長きにわたり政権を握ってきた自民党にあることは明らかだ。が、国民から大いに期待され実現した政権交代後の民主党政権でも、特に無脳レセプター(受容体)化してしまった菅政権がボタンの掛け違いをした責任は大きい。


今からではもう遅いかも知れぬが、「社会保障改革に関する集中検討会議」で再びウソの上塗りの議論に入る前に、そして「法人税の再引き下げ」と「消費税の大幅増」を決める前に、せめてもう一度だけ、上で指摘した現行法人税制の盲点(法人税制の空洞化)などに再点検のスポットを当てて頂きたい。


また、ポーランド在住の“ぴっちゃん”さまから、シュラフタ民主主義(ポーランド・モディラティズム)の伝統を引き継ぐポーランド政界の関係者やエスタブリッシュメント層に属する人々が、、中央銀行の役割の再検討、TPP型外圧への対抗策の工夫、あるいはアメリカン・ケインジアニズム(自然権リバタリアニズムに汚染した擬ケインズ主義)とのアカデミックな経済政策論争などを通して、あくまでも国民主権を視野に入れながら、ポーランド政治の一層の改革と進歩に取り組む姿についてのドキュメント・レポートが届いているので、以下にそのままの形で転載しておく。


・・・・・・・・・・


柴田 2011/01/07 17:46


はじめまして。貴殿とぴっちゃん氏とのやりとりを興味深く拝見ささせていただきました。一点疑問なのですが、オーストリア学派的経済政策を採用するポーランドネオリベラリズムではないというところについてです。アメリカンオーストリアンの旗手であるロスバードはガチガチのリバタリアンで無政府資本主義者であったと記憶しています。この決定的な断絶はどこにあるのでしょうか?


toxandoria 2011/01/07 20:36


柴田 様、コメントありがとうございます。


ポーランド在住のぴっちゃん様も“ポーランド系米国人の中の学者らの中にはガチガチの市場原理主義者が多い”とかの類のことを何処かでおっしゃっていたと思いますので、それは断絶ではなくオヴァートンの窓の中での熾烈な鬩ぎ合いの一角とみなすべきではないか、というのが感想ですが・・・、実際はよく分からないというのが正直なところです。


これから、更に「ご指摘の問題点」については色々と学びつつ考えてゆきたいと思っています。今回の柴田様とtoxandoriaの遣り取りをご覧になれば、ぴっちゃん様から何か参考になる情報が寄せられる可能性もあると思いますので、朗報を期待しつつ、それを待つことにいたしましょうか。


なお、良きにつけ悪しきにつけポーランド系住民が米国社会の知的部分に大きな影響を与えていることは予想以上のものがあるようです。今回の記事で、たまたまポーランド系の学者・作家らの引用が集まってしまいましたが、これは意識してポーランド系の人々を集めたのではなく全くの偶然であり、結果的にそうなってしまっただけです。


さらに、記事では書きませんでしたが、民主主義進化論とオヴァートンの窓との絡みで取り上げた20世紀アメリカを代表する哲学者・論理学者の一人とされるウィラード・ヴァン・オーマン・クワインも、ウイーン学派のカルナップらとともにポーランド論理学のアルフレト・タルスキなどの影響も受けているようです(クワイン自身はオランダ系のようですが・・・)。


柴田 2011/01/09 13:41


レスポンスありがとうございました。私は選択の自由から始まり、デヴィッドフリードマンのアナルコキャピタリズムやロスバードなどのネオオーストリアンに興味を持ちつつ一方で自然権を至上のものとするリバタリアンは結局は経済厚生を害する単なる金持ちの方便に過ぎないのではないかと思い至るようになりました。また、ポーランドの経済政策は帰結主義リバタリアンでありそれはハイエクとロスバードの断絶にも通じると思います。ポーランド系に知的人口が多いというのは何か示唆的ですね。私もぴっちゃん氏の説明を教授願えることを期待しています。他の記事も大変興味深いのでまた覗かせていただきます。ありがとうございました。


あきつ 2011/01/15 04:04


サラ・バレツキー、さっそく注文しました。教えてくださいまして、ありがとうございました。


toxandoria 2011/01/15 06:09 あきつ さま


いえ、いえコチラこそです。


ブログhttp://p.tl/324gで秋津さまが書かれていた内容と、小生がツイートした『自称市民派(左派)の限界、F.フクヤマ(歴史の終わり=実は現実誤認)を気取りホンワカ労働貴族段階で民主主義の進化を停滞させようとの画策に傾注、彼らは歌(コジューヴ流の承認を求める闘争(人間発生的批判精神))を忘れたカナリヤだ!』http://p.tl/5Ovqが共鳴したようです。


また、同じく秋津さまのブログで書かれていた(自民党某幹部の感想らしいですが・・・)『江田法相が【参院】議長経験者として初めて入閣したことへの批判も相次いだ。国会関係者は「参院の存在意義の低下につながるばかげたことだ」とあきれ顔(自民党某幹部は)だ』も、表記のツイート内容に関わると同時に、日本の議会民主主義を形骸化させつつ、菅政権がスターリン主義ないしはヒトラー政権なみに独裁化した現実を思い知らされます。


<菅政権がスターリン主義ないしはヒトラー政権なみに独裁化した>が言い過ぎだとするなら、菅民主党政権は米ブッシュ政権並みにネオコン化したと見なしても良いと思います。なぜなら、下のような現実(toxandoriaらがツイートした内容の転載)があるからです。


RT @carlkazu: うーんRT@hana 菅が隠すTPP米のホンネ⇔農業、郵政(郵貯簡保)、金融・保険、医療・介護・福祉、公共事業、日本語(廃止→英語化)など日本の財産が丸ごと欲しい!http://p.tl/ceH5 http://yfrog.com/hs88nej posted at 21:10:28 1.14


magosaki_ukeru 前原・ゲーツ会談、13日朝日:ゲーツ氏は「日米同盟はとても健全な状態。次のステップを話し合いたい」。ゲーツ氏昨年普天間で危機感煽る。今”とても健全”。普天間全く変わらず。何故こんな変化、誰か次の答以外あれば提供して。答え簡単、鳩山ー小沢自立志向(対米対中)。菅ー前原隷属姿勢鮮明。http://p.tl/A-hC


@carlkazu 追いうちをかけるように、1/14 付・日経は、TPP推進に備えて「原子力等輸出の企画と価格勝負への準備、武器輸出を含む軍事的存在感の強化、外向き志向のための英語力強化、一層の社会保障予算抑制」など、つまり新自由主義政策傾斜への一層の努力を菅政権に求めてます。 posted at 21:13:08 1.14


@carlkazu 付記:13日、日米両政府は米国とTPPに関する初の正式協議をワシントンで開始(日本から外務・経産・農水代表が参加)した。米国は11月APECでの成果を目論む。 posted at 21:24:27 1.14


つまり、ここで詳説する余裕はありませんが、菅民主党政権は、toxandoriaが注目する『ポーランド・モデラティズム=シュラフタ民主主義の伝統的政治手法≒ヘーゲル&コジューヴ的な意味での民主主義進化論的柔軟さ』をスッカリ見失ったという意味で、また自民党政権時代の一部の冷静な部分からさえも何も学ばぬ、<バカ化であると同時に、全身が総毛立ち、気が動転した一種の狂気的で、国民主権を簡単に弄ぶという意味で非常に危ない政権>と化したようです。


そして、何よりも危ないのは、記者クラブメディア、官僚・司法組織の過半、アカデミズム及び財界人らの多くが健全な批判精神を発揮するどころか、その菅政権の<バカ化と総毛立ちぶり>に便乗しつつあるようにしか見えないことです。


ぴっちゃん 2011/01/25 20:36 こんにちは。おひさしぶりです。


柴田様がされたご質問はじつは予期しておりました。私ももっと説明が必要かなと思っていたのですが、話がどんどん拡大してtoxandoria様の主題から逸脱してしまうことを心配しまして、オーストリア学派の言及までで止めさせていただきました。


ポーランドの現政権の経済政策の担当者とオーストリア学派との関係は特にバブルの発生メカニズムの認識にみられます。私のあのときの投稿の主旨はこの点にありました。しかし彼らがオーストリア学派とは異なり「ポーランド学派」と呼んでもよいような政策を採っている所以は、その先にあります。


彼らが実際に採用する政策がハイエクの唱えたネオ自由主義ネオリベラリズム)とかなり異なる点です。たしかに市民プラットフォームは2005年と2007年の総選挙の際に所得税の税率のフラット化などといった、ネオ自由主義的な政策を打ち出しましたが、その後はこれに拘泥する気配がありません。


たしかに付加価値税は今年1%だけ基本税率を上げましたが、付加価値税率の引き上げはそこで打ち止めにするようです。


バブル発生のメカニズムに関して彼らポーランドの現政権の人々の認識がオーストリア学派的であるとして、では実際の彼らの採る経済政策は何に近いのでしょうか?そこでふと思うのは、もしかしたらこれはケインズをはじめ、ジョーン・ロビンソンやリチャード・カーンの取り組んでいたケンブリッジケインズ・サーカスの「幻の第二理論」ではないかと思うのです。


ケインズは生前、「一般理論」はその考え方は正しいけれども扱う事象が限られている(注:それでも完全雇用の状態のみを扱う新古典派理論よりは広い)ので現実とそぐわないからそのうち第二理論に相当するものを書くつもりだと言っていました。ケインズは、ハイエクとの会話ななかでももはや一般理論は現実に通用しないとはっきり言っています。


そうこうしているうちにケインズは実際の経済政策の現場での仕事に駆り出され忙しくて理論家としての研究活動の時間が取れなくなり、そのうちに健康を損ねて亡くなってしまったのですが、この「幻の第二理論」は、先述のロビンソンなどのケインズ以後の人々が取り組んでいたように、「一般理論の動学化」であると思うのです。


ポーランドの政策担当者はこの方針(第二理論は完成しておらず、当然ながら第二理論そのものではない)にかなり近いところで政策を考えているように思います。ヤン・ヴィンツェント=ロストフスキ財務相ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス出身の経済学者で、LSEの学風からオーストリア学派ケインズ経済学、古典派経済学のすべてに精通しています。


動学化されたケインズ理論は未だ完成しておらずとも、その神髄にあたる勘どころ(ケンブリッジなどではマクロ経済学というものは口伝えおよび直の問答でないとその「勘どころ」は掴めず、論文を読んでも決してその本質は理解できないという、一見神秘主義的のようではあるけれど、仏教思想に慣れ親しんだ日本人には割とすんなり納得できそうな、じつに合理的な考え方があるそうです:それはマクロ経済学も仏教哲学も重層的な弁証法を用いるからでしょうか)はかなり確実につかんでいてもおかしくありません。


そういうことで、私個人の推測としましては、ポーランドの現政権の政策担当者たちは、この手のやり方をとっているのではないかと思います。


ところで、先述の「勘どころ」に関して、ヒックスのIS-LM分析に始まる、均衡分析に極端に偏った、俗にアメリカン・ケインジアニズム(アメリカ式ケインズ経済学)ないしバスタード・ケインジアニズムと揶揄されるケインズ経済学の理解の仕方が、理論としてまったく通用しないどころか、1970年代のケインズ経済学の政治の場における衰退期にケインズ経済学批判のネタとして使われたのは、当然の帰結でしょう。


アメリカ人て、じつに単純な馬鹿ですね。ようするにドンキホーテが風車を敵と勘違いして突撃したのと同じです。そのアメリカ人からもろに影響を受けた日本の政策担当者(昔の自民党アメリカ式ケインズ経済学、小泉時代ごろの自民党=ネオクラシック経済学、民主党=ニュー・クラシック経済学)たちも、なわけですが。


3つ前と2つ前の段落における、ポーランドの政策担当者の考えに関する部分は全くわたしの推測ですから、書くのをためらっていた(ので、説明が大変なので「オーストリア学派に近い」あたりまでで止めておいた)部分なのですが、もしこの推測が正しいとすれば、ポーランドの現在の政策担当者たちが、(1)ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス的なマネーサプライ観をちゃんと持っており、(2)銀行による人工的な信用拡大と景気循環に関してもハイエクの考えを踏襲していながらも、(3)中央銀行を不要とみなす結論を下したハイエクの考えからは乖離しており、(4)さらにはロスバード等とのもっと過激なレッセフェール論を唱えるオーストリア学派系の人々と明らかに断絶している理由が、明快に説明できそうです。


「私は選択の自由から始まり、デヴィッドフリードマンのアナルコキャピタリズムやロスバードなどのネオオーストリアンに興味を持ちつつ一方で自然権を至上のものとするリバタリアンは結局は経済厚生を害する単なる金持ちの方便に過ぎないのではないかと思い至るようになりました。」という柴田様のお言葉に、全面的に同意いたします。


これは、ポーランド史において17-18世紀に頻発した事件とおもしろいほど共通します。ポーランドの大資産家(マグナート)たちのけっこうな数の人々が、最後は1791年5月3日憲法として結実することになるポーランド・リトアニア共和国晩期から末期にかけての一連の改革に反対し、何度も反乱を起こしたのですが、その大資産家たちがこの時代に資産を形成するに至ったのは、


(1)17世紀初頭から本格化した新大陸からの穀物輸入の増加でポーランド・リトアニア共和国の国内経済の投資の限界効率が大幅に低下してきたこと、(2)(1)により国内の産業(工業)が衰退したこと、(3)さらに(1)により中小零細の自作農たちが借金を重ねた末に土地を二束三文で大地主に売り払い彼らに安い賃金で雇われる小作人となったこと、(4)イエズス会の野心によって後ろ盾をうけたジグムント3世王の無謀な対外戦争(スウェーデンにおけるジグムントへの反乱、モスクワ大公国の内乱「スムータ」への介入)などで国家財政が厳しくなったこと、


(5)自作農だったザポロージェ・コサック(ウクライナ・コサック)たちも(3)の経緯で多くが土地を失いシーチに集まって共同生活をする羽目になっていたが当時の彼らに残された唯一の収入源と言ってもよいクリミア略奪が(オスマントルコとの休戦条約を交わしていた)ワルシャワポーランド中央政府に禁止されたことで彼らコサックたちがロシアと結んでポーランドの東部で大反乱を起こしそれにつけこんだスウェーデンポーランド西部に侵攻してポーランド全体が「大洪水時代」と呼ばれる大混乱に陥り多くの農民が戦乱で焼け出されてしまったこと、


(6)そしてここが一番大事ですが財政収支の悪化を食い止めようとクラウン銀貨(ボラティーニ・クラウン銀貨というあだ名がある)を大量鋳造・発行するといういわゆる「量的緩和」に相当する金融政策を(ジグムント3世から2代後のヤン2世のときに)大規模に行ったこと(これによりポーランドのクラウン銀貨の価値は1ズウォティ=90クラウンから1ズウォティ=800クラウンまで切り下がりました)、にあります。


これで、大資産家がポーランド国内の富(農地)を独占し、彼らが増税には反乱(たとえば「ルボミルスキの乱」)まで起こすほど猛烈に反対したものですから(ボラティーニ・クラウンなどを通じて国内のマネーサプライを大幅に増やしたのにかかわらず)ワルシャワ中央政府の債務は拡大して国庫がどんどん逼迫し、大貴族は資産を拡大して個人的にホクホクないっぽう、国は国家破産が目前に迫るという不幸な状況に至ったのです。


これ、内戦の有無の違いはありますが、まるでベトナム戦争とその後のアメリカの経済政策に似ていませんか?当時の大資産家は土地が信用の中心の時代ですから大貴族(マグナート)たちですが、いまのマネーが信用の中心である時代なら、現代の世界で彼らに相当するのは大銀行家や大投資家の、いわゆるfinanciersと呼ばれる人々でしょう。


ニクソンショックのあと、アメリカは金兌換をやめてフィアット・マネーの増刷に踏み切り、景気が後退するごとにドルをたくさん発行し、2007年のリーマンショックにはじまる金融危機からベン・バーナンキが2度のQE量的緩和)により膨大なドルを市場に供給しています。これ、ボラティーニ・クラウン銀貨とまったく同じ発想と言わざるを得ません。


ポーランド・リトアニア共和国は衰退しながらその後も136年間存続しました。それでもポーランドは「シュラフタ民主主義」を発展させようとする勢力が必死で国内改革に取り組み、最後の数年間で5月3日憲法という、人類全体への未来の民主主義にとっての最大の贈り物を残し、(民主主義を危険視したロシア、プロイセンオーストリアの三国に同時に侵略されて)消滅しました。


いっぽう、シュラフタ民主主義の啓蒙思想とは程遠いヘーゲル哲学のアメリカ合衆国は人類の未来のために何かを残してくれるというのでしょうか?アメリカは他罰的な社会ですから自分の間違った社会経済政策は棚に上げて中国でもなんでも敵にするでしょうが、彼らが未来に残すのが核戦争の放射性物質とか核の冬だけなんてのは御免蒙りたいものです。


toxandoria 2011/01/30 08:36 ぴっちゃん さま


今回も、大変に有意義な情報と知見をご教示頂きありがとうございます。


おそらく(?)真面目に取り組んでいるであろうと見なすべき、日本国家の最高指導層に属すエリート政治家たる菅総理や与謝野大臣らが不見識な人物と思いたくはないのですが、余りにもピントが外れているとしか思えぬ言動が続くことに腹立たしい思いがする今日この頃です。


彼らのピンボケぶりが何故なのかが、今回のコメントで良く理解できた気がしております。いずれ、ご教示頂いた内容を参照しつつ、toxandoriaの感想は新しい記事として書かせて頂きます。


関連で、ご質問を頂いた柴田さまも、ご納得されていると思います。ありがとうございました。


ぴっちゃん 2011/02/02 01:46 toxandoriaさま、ありがとうございます。


ところでいま、ポーランドで経済政策を巡って大騒動が始まっています。


民主化直後のポーランド経済を大改革し長期成長軌道に乗せたバルツェロヴィチ・プランの立役者で、ブリュッセルにあるEU最強のシンクタンクブリューゲル」会長を務め、ポーランドシンクタンク「FOR」を主宰するレシェック・バルツェロヴィチ博士と、先述のヤン・ヴィンツェント=ロストフスキ財務相の間で大激論となっているのです。


とくに当面の年金政策に関して意見が完全に異なっていて、特にバルツェロヴィチ博士がカンカンに怒ってるんです。


ちなみにバルツェロヴィチ博士はハイエクに近い考え方の持ち主で、ヴィンツェント=ロストフスキ博士は先述のごとく「真のケインズ経済学」的な立場を採っています。


したがって私はバルツェロヴィチ博士よりもヴィンツェント=ロストフスキ博士を支持しますが、バルツェロヴィチ博士も決して間違った理論に基づいているわけではありません。


両者の違いは、「真のケインズ経済学」がより広い社会経済的要素を包含していることで、理論としていまだボヤけた状態ではあるが、政策となるとオーストリア学派新古典派に比べるとより現実的なことです。


というのも、同じオーストリア学派理論にもとづき、政策としては新古典派に近いことをやったバルツェロヴィチ・プランとマギー・サッチャーの改革を比較すると、前者が成功し後者が失敗したのは政策導入時のポーランドとイギリスの条件の違いによるものだからです。


バルツェロヴィチ・プラン直後のポーランド民主化直後の体制転換期にあり国家は事実上の破産状態でハイパーインフレが起きていました。したがってバルツェロヴィチ・プランの導入しかポーランドが生き残る道はなかったのです。


いっぽうイギリスの場合、国民がサッチャー改革に同意したところ、資産を持っていた民間セクターが一斉に投資と消費を控えてしまったので、これで労働市場が崩壊し、大量の長期失業者が生まれ製造業が崩壊し、サービス業だらけの国になってしまったのです。


したがって、イギリスのあの怪しい「金融立国」とは、単に製造業やその労働そして技術が崩壊し、その分野での社会資本が消滅して、しかたないから資本形成の代替措置として金融セクターでのバクチの胴元になることに転換しただけなのです。


その点、バルツェロヴィチは当時財務相兼副首相としてキッチリと実体のある方法での社会資本形成を促しました。とくに、のちにこんどはポーランド国立銀行中央銀行)総裁として米国発の金融・不動産バブルには断固たる措置を持って対処し、投機資本流入を防いだのです。


ここがイギリスのやったのと決定的に異なるところでした。世界金融危機ポーランドがヨーロッパでただ一国、プラス成長を続けられたのは、現政権でなくバルツェロヴィチ博士の功績です。これは、バルツェロヴィチ博士の政策の方向性に、ポーランド体制転換期当時の非常に特殊な社会経済条件が幸運にも適合していたからなのです。


いまのポーランドはそういう条件下にありませんので、現在の財政改革には、より一般的な条件を包含した、真のケインズ的な視点が必要なのです。それを持っているのがヴィンツェント=ロストフスキ財務相、そして元ポーランド首相・元ポーランド貯蓄銀行頭取で現在は内閣直属の経済委員会会長を務めるポーランド経済学会の重鎮のクシシュトフ・ビェレツキ博士を中心とした現政権グループです。


したがって両者の違いは理論の前提となる条件の取り方の問題だけであって、その条件に限って言えば理論の組み立てにおいてバルツェロヴィチ博士は間違っていないのです。


ですがバルツェロヴィチ博士の理論は前提条件がかなり限定されているので、当然のことながら結果として現実にそぐわない政策が提案されてくるのです。今回がそれ。


今回バルツェロヴィチ博士は、財政健全化を大幅な歳出カットで行うことを主張していますが、私から見ると、それをやると労働市場が崩壊してしまうと思うのです。つまり80年代イギリスのサッチャー改革と同じ結果になる。長期失業が増加し、ポーランドの産業はせっかく形成した純資産が崩壊するほどの大打撃を受けるでしょう。


いっぽう、ヴィンツェント=ロストフスキ博士を中心とする現政権はもっと穏健な措置を考えています。秋に総選挙があるのですが、彼らが恐れているのは有権者ではなく(注:ロストフスキ博士もビェレツキ博士も財務相ではあるが国会議員ではないので本人たちは選挙を気にする必要は全くなく、万が一トゥスク首相と対立しても自説を押し通せる立場にあります)、金融市場の反応です。


サッチャー政権の失敗同様、大幅な歳出カットを行う場合、金融市場はそれを支持しても、実際の投資行動では、歳出カットに伴う事態を恐れてオーバーリアクションを起こすでしょう。たとえばポーランド通貨ズウォティが大幅に上昇したのちに高止まりしてポーランドの輸出競争力が削がれてしまう、あるいは企業の資金調達が困難さを増して企業が(そんなに激しい歳出カットをしなければ、やらなくてもよかったほどの規模の)大リストラを行ってしまったり、などです。これらは実際にイギリスで80年代におきました。


イギリスはもともと巨大な準資産(自己資本)が民間セクター(銀行家、大貿易商、大地主などの人々)にある国ですのでその後は「金融立国」という、バクチの胴元になることで成長の埋め合わせができました(これ自体はかなりいかがわしいですが)。でもポーランドの民間にはそんなイギリスほどの純資産はありません。したがっていまのポーランドでバルツェロヴィチ博士の言うとおりの政策を採ると当面の国債の利息は縮小しますが、成長が削がれたままになってしまう危険があるのです。


年金政策では現在は公的年金の掛け金の総額の7.3%を政府の承認をうけたプライベートファンドによる運用に任せていますが、ヴィンツェント=ロストフスキ博士はこのプライベートファンドの運用分を7.3%から2.3%に、正味5%分を減額してその分は公的年金のほうのファンドに留め置いて運用すると決めたのです。


この政府の措置に文字通りカンカンに怒っているのが、民間ファンドのほうが効率よく運用するはずだと言っているバルツェロヴィチ博士です(博士は短気な性格で有名な人で、つまり江戸っ子です)。博士はおそらくコーポレートガバナンスのことを考えているのでしょう。民間のほうがより市場原理が働くから国営事業よりもガバナンスがマシなはずだ、という考えです。


ちなみに私はそう思いません。民間ファンドのほうが攻撃的な運用をやると思いますが、投資リスクがより大きいだけでなく、民間ファンド内部の人々の給与や中間業者のマージンがかさんでお金が漏れるので、年金の全体としてはたいして儲からないどころか、こんなことやってると最近のスウェーデンの年金のプライベートファンド運用分の金融危機での大損の実例をポーランドで繰り返す可能性もあると思うからです。


そして公的年金ファンドのような国営事業のガバナンスは、まずは監査の厳格化である程度対処すべきだからです。それをやらずに公的事業の民営化をおこなうのは拙速だと思います(日本の郵政民営化も同じこと)。その両者を天秤にかけてみると、ヴィンツェント=ロストフスキ博士の穏健主義・漸進主義的な改革案(7.3%を2.3%にするだけであって、プライベートファンド運用の政策全体をガラガラポンしてしまうわけではない、たんなる内部調整)のほうがより合理的だと思います。


そんなかんじで、今のポーランドの経済政策に関する大騒動は、とても激しいのですが、内容はじつに知的かつ生産的で、すごくおもしろいです。こういう、ほんものの天才たちの論争は、ヘビー級のボクシングの試合のように迫力満点です。


日本の国会中継は見る暇がありませんが、きっと与謝野さんのいまの立場の正当性を巡って大騒動なのでしょう。年金や財政に関して与謝野さんはバルツェロヴィチ博士に近い考えだと思うのですが、ほんらい与謝野さんの対手となるべき政策が上げ潮派やリフレ派のものでないことは、これまで読んでいただければ簡単にご納得いただけると思います。


しかし日本ではポーランドのような重量級の学識者たちによる経済学の壮大な議論はでてこないかもしれないですね。先の投稿で述べたとおりアメリカの後追いというか押しつけというか、そういう経済政策ばっかりですから。これじゃいまの日本はデフォルトしかねないですよ。ほんと危ないです。


toxandoria 2011/02/05 06:16 “ぴっちゃん”さま、コメントありがとうございます。


ご指摘のとおり、与謝野氏の菅内閣への参加を巡って、ますます日本の政治・経済の方向性は混迷の度合いを日々に増すばかりとなっています。マスメディア一般の意識も低く、旧来型の与野党間の事前協議の仕掛け役に甘んじています。


今度は、「社会保障改革に関する集中検討会議」の設置が決まり、自公政権時代に税や社会保障改革で中核を担った経験があり与謝野氏とも関係が深い有識者(前自民党衆院議員で厚生労働相も務めた柳沢伯夫氏ほか)らをメンバーに引き入れました。


一方で、菅民主党政権の政策は、殆どのマニフェストが放棄される中で、益々「小泉構造改革」時代のネオリベ路線へそのまま後ずさりし始めています。このため管民主党政権は<小泉内閣劣化コピー>あるいは<小泉内閣の上書き内閣>、あるいは時宜を得たように出現した大相撲・八百長事件に結び付けて<菅・八百長内閣>などの罵声を一部から浴びる始末です。


現在のポーランドのように民主主義政治と経済・金融政策が進化する姿(高度で真剣なアカデミズム論争が直接的に今の政治に反映する姿)が、ここ日本では些かも見られず、ただ忸怩たる思いが深まるばかりです。なお、ここで頂いたコメントも含めて、新しい記事へそのまま転載させていただきます。


【エピローグ動画】Lara Fabian - Otro Amor Vendrá