toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

国民主権(三権分立)を無視し核・放射能拡散ゾンビ「国策原発」の保証人を務める“お白洲型” 日本司法官僚の犯罪(1/2、国内編)

toxandoria2011-10-16



【参考動画1】ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」 (原発植民地型化した日本偽資本主義の象徴)



【参考動画2】Lara Fabian‐Voir un ami pleurer (泣く友を見る) 

This song is performed by Jacques Brel and appears on the album Les Marquises (1977) and on the compilation album Volume 7 – Les Marquises 1977 (1988)・・・以下に翻訳歌詞ほかを転載しておく(出典:村野瀬玲奈の秘書課広報室http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-913.html)。


この歌の作者、ジャック・ブレル(Jacques Brel、1929-1978)はフランスポピュラー音楽界の巨匠だった人。自分の死を強く予感しながら作った最後のアルバムに収められていたこの歌(フランス文化の基本のひとつ)について何かインターネット上に説明がないかと検索したら、ありました。歌の内容に興味を持たれた方は読んで損はありません(村野瀬玲奈)。
http://www.asahi-net.or.jp/~PB6M-OGR/ans031.htm


【プロローグ画像】アンブロジオ・ロレンツェッ ティ『悪政のアレゴリー

Ambrogio Lorenzetti/(? -ca1348)『Allegoria del Gattivo Gererno(particolare/善政の寓意)』ca1338-1340 affresco、Palazzo Pubblico 、Siena より


・・・アンブロジオ・ロレンツェッティは、14世紀シエーナ派の代表者の一人とされるピエトロ・ロレンツェッティ(ca1280-1348)の弟で、ジョット−(Giotto di Bondone/ca1266−1337/イタリア・ルネサンス美術の先駆者)、シモーネ・マルティーニ(Simone Martini/ca1284 – 1344/国際ゴシックの先駆けを作った)らの影響を受けたとされる。


・・・13世紀後半から14世紀初頭の北部イタリアは、ローマ教皇庁の勢力と神聖ローマ帝国の勢力が激しく対立し、各自治都市はグェルフィ教皇派(市民派)とギベリーニ皇帝派(貴族派)に分かれ反目していた。


・・・そして、アンブロジオ・ロレンツェッティが生きたのは、更に、黒グエルフィ教皇派(裕福市民派)が白グエルフィ(一般市民派)を威圧してトスカーナ教皇政治(ローマ教皇の威を借りる実効権力派が官僚統制的に実効支配する政治)と一握りの特権市民層による閥族(閨房閥・門閥世襲閥)支配の持ち込みを画策した時代であった。


・・・ところで、同じトスカーナ地方ながらフィレンツェと激しく反目していた、この頃のシエーナの美術の特徴は、フィレンツェが表現豊かなルネッサンス風の美を築いたのに対し、より中世的、神秘的な世界を求めるギリシャビザンチン風の敬虔さを引き継ぐ繊細な国際ゴシック様式の美ということであった。


・・・この全体はシエナ市庁舎の「平和の間」の壁画として描かれたもので、この部分像は「暴政」(恣意的権力を実効支配する暴君、つまり官僚制の頂点に居座る者が司る悪政の構図)の寓意を描いたものだ。つまり、これは「悪政の寓意」(全体像としては善政の寓意)と呼ばれる部分で、その中心に居座るのが悪徳官僚(実効権力傀儡)的な「暴君」の図像である。


・・・「暴君」の周辺には、政治権力と高級悪徳官僚にへつらう御用学者(及び、今で言うマスゴミもここに入るであろう)、強欲で官僚化した聖職者、現代日本のヒラメ裁判官のような目遣いで巧みに昇進と高給を食むことのみに熱中する法務官僚、隠微かつ慇懃無礼で窃盗犯的徴税官など小心のクセに極めて保身術に長けた人物図像が配置されている。


・・・「暴君」の足元には白装束の人物が拘束・抑圧された哀れな姿で寝転がされている。これは布と紐でグルグル巻きにされた「平和と自由の擬人像」(弾圧・抑圧 された一派市民派の象徴)であるが、これを操る長い紐を手にしたノッペリ面の人物像は、何故か<現代日本の実効権力たる放射能拡散ゾンビ型の国策原発に仕える冷血な司法官僚組織>に見事に被って見えてくる。


(関連ツイッター情報)


Madmanjapman 2011.10.11 13:20 最高裁長官の業務の大半は司法行政事務で、全国3200人裁判官、2万人の職員を3300億円の予算と253の裁判所の人事と管理だ。そして最高裁事務総局が予算と人事を握る。これがヒラメ人事の手綱であり、国民・市民へ気を配る良心的な判事はそこから外される。


hanachancause 2011.10.13 07:46:35【日本を実効支配する巨額原発マネー指標】最高裁長官が所管する司法行政の内訳は3.2千人の裁判官、2万人職員&3.3千億円の予算、これは国策原発1基分の建設費以下の存在。電事連が握る広報&政界工作費の総額=3〜4千億円/年(電力10社総売上×2%+α)


1 日本司法が国民主権の保障たる三権分立を履き違え“アナクロお白洲化”した背景


日本司法が国民主権の保障たる三権分立を履き違えて“アナクロお白洲化”した背景は、戦後ドイツの司法改革の歴史と対照すると分かりやすく理解できる。


ドイツと日本の司法の根本的違いは、「立法と行政に対するチェック機能をドイツの司法が十分に果たしている」という点にある。例えば、ドイツでは日本とは比較にならぬほど多くの違憲判決(累計で500件以上)が出ており、その背景にはドイツ連邦憲法裁判所が年間で約5千件(平均)の違憲判断裁判を処理してきたという実績がある(http://itc.cit.nihon-u.ac.jp/kenkyu/kouennkai/reference/No_41/8_kyouyou/8-003.pdf


これに対し日本の最高裁判所(司法官僚組織のトップ構造部分)は違憲判断のケースを極力避けるという方針を基本としているため、ドイツに比べ違憲判断裁判の件数が極端に少ない(というか、それは殆ど無いに等しい!⇒違憲判決の累計20件/法令違憲8件、適用違憲12件)。それどころか、国民一般の意識の中には、「最高裁判所違憲判断」に対する一種の鈍感さあるいは不感症の空気が定着してしまっている。


また、ドイツと日本では“司法文化”の基盤となる法学教育についての考え方が大きく違っている。ドイツでは充実した内容の法学教育が高校で行われており、中学でも法廷見学等が積極的に行われている。裁判官も、これらの子供たちへの法学教育に強い関心を向けており、裁判官によるボランティア授業も行われる。つまり、裁判所の堅牢な宮殿で威圧的にデンと構える日本の裁判官に比べドイツの裁判官のフットワークは遥かに軽快なのだ。


ドイツの参審制(国民の義務であり名誉でもある“名誉職裁判官制度”)では、その参審員(名誉職裁判官)は市民の諸階層(労働団体経営者団体・教育関連団体など)からの推薦で登録名簿が作られ、その中から選任される。ドイツの“名誉職裁判官制度”は刑事裁判だけでなく、社会保険・医療分野などを管掌する社会裁判所が取り扱う裁判でも行われており、この場合の参審員は専門知識分野での経験が重視される“専門裁判員”の役割を負うこととなり、一般国民の司法参加の意義とは少し異なる。


このような点を垣間見るだけでも、緻密な予審の仕組みを工夫して人権へ配慮するフランスの司法・裁判制度とは些か異なる形で、ドイツの司法・裁判のあり方の根本にも“ドイツの司法は凡ゆる側面で市民の人権と結びつく”という、「持続的に民主主義を保全する強い意志」が存在していることが分かる。


これに比べると、日本の司法には凡ゆる面で“市民の人権と切れた”、あるいは“それを切れさせようとする、あるいは上から押さえつけようとする”「司法官僚組織至上主義の原則」による、実効政治権力側にとって最も使い勝手が良い「上位下達型の司法を押し付ける強い意志が存在している」ことが分かる。


現代ドイツの「司法・裁判制度」が、このような形で「持続的に民主主義を保全する強い意志」を持つことになったプロセスでは「1960年代におけるドイツ司法改革」が画期的な役割を果たしており、第二次世界大戦後のドイツで、まだ司法分野にナチス協力者が残存していることへの危機感(ナチス時代に“自分は何もしなかった”と主張する、民主主義保全について消極的意識の裁判官の排除と、司法の民主化を持続的に凡ゆる形で改善しようとするドイツ国民の自覚)がその直接的な契機となった。


まずドイツが着手した司法改革は「司法と市民の垣根を取り払う」ことで、その具体策として実行されたのが裁判所建造物の内部構造と内装の手直しであり、例えばそれは裁判長席を頂点とする雛壇型構造(日本で言えば“お白洲”型構造の配置)を廃しフラットにするため傍聴席との間にある柵を廃止することだった。のみならず、ドイツの裁判所には、鉄道駅・スーパーマーケット・商店街などの傍に立地することで、できる限り市民生活の日常の近くに隣接するという配慮が施された。


一方、日本の裁判所は、“裁判員制度の時代に入った”(2009.5.21〜)と喧伝するにもかかわらず、事実上は、相変わらず裁判長・裁判官が序列上の高い場所に座っており、そのヒエラルキーの最上段には最高裁判所法務省(法務官僚)がデンと威圧的に鎮座している。特に、最高裁判所大法廷は、配下の地方最高裁判所地方裁判所等のヒラメ判事と一般国民に対する絶対優越的な大殿堂の威容を誇っている(画像はhttp://www.city.yokohama.lg.jp/keizai/koyo/kinpuku/meister/member/031osawa.htmlより)。


また、現代ドイツの裁判官は、“裁判という典型的な動的・選択的統合(dynamo-objective coupling/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090516)の審理のトポスでこそ確保し得る新たな真実・真理(民主主義の未知の地平の開拓で新たに発見される公共知)の保全・維持にこそ自らの地位と才能を全力投入すべきと意識しており、彼らは<自らが公務員中の公務員であること>を自覚していると言えるのだ。


実は、日本の1960年代における司法でもドイツと似た国民主権重視の状況が生まれるかに見えたのだが、最高裁判所による青年法律家協会所属の裁判官の再任拒否などが切欠となり時の空気が一変した。つまり、それ以降の日本はドイツとは全く反対の上意下達式“お白洲”型司法への道、つまりアンブロジオ・ロレンツェッティがシエナ庁舎の壁に描いた『悪政の寓意』を現代日本で現実化することとなったのだ。


一方、ドイツではシュレーダー前首相の如く学生運動のリーダーであった逸材を「新たなドイツ社会の建設」のためにドイツの政治・社会に包摂する道を選んだ。そして、凡よそこの頃のドイツでは「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という、あの余りにも名高いリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von von Weizsaecker/1920− /参照 → 
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/good-luck/book/kakoni.html)の演説が評価されていたのである(否、今も評価されている!)。


このような訳で、日本とドイツの司法に違いをもたらした原因を大きく括るならば、それは「憲法の役割」(政治権力に対する授権規範性)についての根本的な認識の違いということになる。すでに触れたとおり日本国憲法の定めにより最高裁判所には違憲立法審査権が与えられているが、残念ながら、現代日本では、その機能が全く形骸化しており、そのことについての国民一般の危機感もまことに希薄である。


ドイツ基本法・第20条3項」(参照→Grundgesetz feur die Bundesrepublik Deutschland、http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/)には『行政権と裁判権は制定法(Gesets)とRecht(人権・正義)に服する』と規定されており、政治権力と官僚機構から全く独立した立場にあるドイツの司法・裁判所・裁判官は、この立場で市民の権利の保護のため自由に仕事をしており、しかも、このような自国司法の現実についての理解がドイツ社会(全ドイツ国民)の共通認識となっている。


ここでは、内閣官房法務省最高裁判所財務省総務省など霞が関を頂点とする堅牢な官僚機構の重い蓋を被せられた日本社会における裁判官の立場(認証官を頂点とする官僚機構なる将棋盤上の持ち駒の一つに過ぎず、出世・昇進・転勤など身分処遇への懸念から絶えず最高裁判所の顔色を窺わざるをえないヒラメ判事らの立場)と、ドイツの裁判官の立ち位置との決定的な違いが明瞭に確認される。


これに対し、1960年代以降の日本で起こったことを具体的にいえば、それは反動司法化、司法・検察官僚を頂点とする官僚機構の強化、偽装民主主義化、右傾政治化、教育管理の強化ということであった。そして、これら悪しき動向を後押ししたのが、記者クラブ制度などで飼いならされつつ御用機関化してきメディア一般の堕落と退廃ということであった。


因みに、現代におけるドイツと日本の決定的な社会認識の差異を結果としてもたらした原因の一つは、やはり<ベルリンの壁崩壊(1989.11.9)の経験>であり、もう一つは、この時期を挟みドイツで活躍した社会哲学者ハバーマス(Juergen Habermas/1929‐)の存在である。ハバーマスは大著『コミュニケーション的行為の理論(1981)』で“近代啓蒙思想の正の遺産を軌道修正しながら引き継ぐことが、現代の袋小路からの脱出に繋がると主張した。


ハバーマスは、1980年代の英国サッチャー政権と米国レーガン政権に始まる新自由主義ネオリベラリズムケインズ主義を米国流(ハイエク的)に独善解釈した経済学の極みである偽ケインズ主義(Bastard−Keynsianism)の典型、供給サイドの重視と意図的格差拡大による経済成長を信奉する立場、格差拡大を放置した儘の一律減税or一律増税(いずれにせよ割を食うのは大多数の中間・貧困層)、グローバル市場原理主義)は、「司法・行政等のシステムによる世界経済の植民地化」を謀っているので、必然的にそれが市民・庶民層の生活世界を侵食することになると厳しく批判した。


このように大多数の中間〜貧困層が割を食う特権階層による「司法・行政・金融・市場・電力等インフラのシステム強化&操作を活かしつつ世界経済の植民地化」を謀る戦略、言い換えれば“実効権力・特権階層を優遇するための偽装的・名目的な自由化・民営化政策”(常識で考えれば当然のことだが、現実には良い自由化と誤った自由化、あるいは良い民営化と誤った民営化があり得る)を批判し、これと闘うために有効なのが「一般市民のコミュニケーション力と弱者層への共感力の強化による合意形成」だと、ハバーマスは主張した。


然しながら、1970・1980年代以降の日本では、このようなハバーマス流の社会的コミュニケーションと共感を重視する批判的社会哲学が深化せず、ひたすら軽薄短小で恰好が良いファッションとしてのポストモダニズムが持て囃される陰で、余りにも閉鎖的な知的ユニラテラリズム(左右交尾型のアナクロ一国主義、右傾化というよりも余りにも安易な、戦争体験への自己批判的姿勢の否定)が、米国流の狭隘な愛国主義ユニラテラリズム(バックグラウンドは米国流の独善的コミュニタリアニズム)と呼応する形で、特に2001.9.11以降において急激に深化することとなった(その具体的姿は日本政府、自民党小泉政権によるブッシュのイラク・アフガン戦争支持関連の一連の言動)。


奇しくも、その閉鎖的でアナクロな知的ユニラテラリズムが深化する2001年以降は、東北電力女川原発3号機、東通原発1号機など新しい原発の運転が次々と始まり、我が国の電力供給に占める原子力の比率が急速に高まった時に重なる。やがて、2009年9月に300議席超の絶対安定多数を獲得して政権交代を実現した民主党政権は2020年までに9基、2030年までに計14基の原発を新設する新エネルギー政策を打ち出したのであった。


フクシマ2011.3.11過酷原発事故を経験したにも拘らず、今の日本で目立つことといえば、それは、この過酷な原発事故を日本国民のみならず世界市民と地球全体の問題と見なしその根底から深く反省しつつマジョリティの国民意思を尊重するというよりも、相変わらず原発推進派(実効既得権益側)への過剰な配慮を感じさせる日本政府の煮え切らぬ対処ばかりだ。そして、おそらくその陰に潜む病巣は、社会変革の実現が社会的アブダクション(連帯型精神革命)で実現可能だと見るドイツ・ハバーマス流の如き強靭なリアリズム精神の欠落ということである。


今や日本の政治・司法・科学技術などは、恰もストレステスト(机上シミュレーション)で原発基盤(ローテク構造部分)の絶対安全確保ができる(劣化・脆化リスクの絶対排除が可能)とする日本政府の異様な見解の如く、論理(計算・推論)と因果(自然・人間実存)を混同し、おぞましくも貪欲で狡猾な実効権力と、その代理・実践機関である官僚機構そのものが、果てしなく机上の空論化しつつ空高く舞い上がっていることが問題なのだ。早く、地に足をつけよ!


(関連ツイッター情報)


hanachancause 2011.10.08 22:45【原発植民地型資本主義国ニッポン
http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA地震津波で破滅的状況になった福島第一原発について「千年に1度の津波に耐えたのは素晴らしい」、「日本の原子力行政が曲がり角に来たとは一切思はぬ」「一刻も早く原発再稼働を!」と、まるでスターうウオーズのジャバ・ザ・ハットの如く語り続けるのは日本財界のトップ経団連米倉会長だ。⇒
http://twitter.com/#!/hanachancause/status/124237581817884672


hanachancause 2011.10.09 14:16まさに一般国民を搾取の対象としか見ない原発ゾンビ(植民地型日本資本主義)の所業だ!⇒<フクシマ3.11後の原発推進>のため国民分断とメディア懐柔、これが世論対策マニュアル(日本原子力文化振興財団)http://vogelgarten.blogspot.com/2011/07/blog-post.html


hanachancause 2011.10.11 11:56:56ノダ政権が踏み込もうとする電力自由化(良い規制緩和)が未達の儘でのストレステスト(ハイテク型ソフトツールでの机上のシミュレーション)による<ローテク部分故の脆弱性を伴う格納容器&複雑配管構造を抱える原発の再稼働>と<一切のリスクへ無頓着なTPP参加(悪い規制緩和)>は表裏一体の悪政だ。それは、260兆円もの内部留保金を溜め込む一方の中央集権型の電力会社・ゼネコン・大企業らによる集権・垂直型の内国植民地式の地方搾取経済が従来以上に更に強化されるからだ。


hanachancause 2011.10.13 10:03 御意 RT @untitled_skz: 原発は徹底的なローテク。原子力ムラは必死にそのことを隠蔽 RT <運転時に制御棒2本が挿入できない不具合>は命取り、容器・配管構造等の脆化・劣化のみならずストレステストなどは原発のローテク部分の不具合にhttp://www.jiji.com/jc/zc?k=201110/2011101100699&g=soc


2 日本の司法が原発推進へ加担した事例、一連の小沢関連裁判との“その推論過剰型裁判”のおぞましき相似形


これは前回の記事でも書いたことだが、<美浜原発(福井)で稼働いらい28年間に一度も修理や超音波検査が行われず延性割れの見落としがあったhttp://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/sample/keyword/040812.html>こと、<特に、福島1号機が地震起因の重要配管破断の可能性が非常に高いと指摘されている>こと、<その福島1号機の年齢が法定償却16年超の40年であった>こと、及びシュラウド・ヒビ割れ、延性ヒビ割れ、脆性遷移温度関連の照射脆化など予測不能な材料劣化問題が全国の原子炉に拡がっている可能性の指摘http://www.kisnet.or.jp/net/memo.htmが公的に取り上げられていない>ことetc・・・など、きわめて情念的・情緒的な<日本原発安全神話>が、相変わらず放置されていることを見過ごすことはできない。


これら真に不可解かつ恐るべき程の危機的不安が不測の事態に繋がる可能性が高いという指摘は、それが原発関係以外の事象であるとした場合を考えれば分かりやすくなる。フクシマ3.11の如き過酷事故を引き起こし、しかもその未解決の問題点と放射能関連被害の如くリスク規模的にも、将来に向けての時系列的被害拡大の可能性についても、あるいは特に幼児・子供など若年層を中心とする被害拡大の可能性についての人道的観点からしても、それは絶対見過ごせぬ問題だと衆目が一致したとき、果たして司法あるいは検察等捜査機関が何時までも見て見ぬ振りを決め込むことは出来るだろうか?この点が甚だ疑問である。


そのうえ、まことに驚くべきことだが、本来であれば客観的で公正なジャーナリズムの立場からすれば、主要新聞等のマスメディアは司法・捜査機関などが正当な捜査活動に一向に着手せぬことを厳しく批判・指弾して当然であるにも関わらず、その問題はアッサリとスルーしている。


そして、3.11フクシマ直後は流石に原発推進への反省一色であるかに見えた主要新聞の論調が、ここにきて「脱原発」派と「原発推進で経済復活」派に二分されてきており、前者は朝日・毎日・東京、後者が読売・日経・産経となっている(出典、http://www.magazine9.jp/shibata/110803/)。そして、忘れてならないのは、やはり<電力会社⇒日本メディア各社への影響力>が未だに大きいということだ。まさに、これは日本司法も原発マネー効果の影響を受けてきており、今も受けているということに他ならない。


電事連電気事業連合会/10電力各社の連合体)は約3千億円/年(2010)という驚くべきほど巨額の「メディア広報&政界工作資金」を計上(総売上15兆円×2%ルール=3千億円+α←青天井=総括原価方式で電気料金値上へ転嫁⇔総計約4千億円!)しており、新聞・TV等メディア各社へは主に広告料などとしてmax2千億円が提供されているようだ(出典:志村嘉一郎著『東電帝国その失敗の本質』、別冊宝島原発の深い闇』ほか)。


また、フジテレビ(フジ・ホールディングズ)、TBS、テレビ朝日、地方テレビ局(地方の民放テレビ各社)などが、矢張り、巨額スポンサー料等によって東電ほか電力各社の大きな影響力を受けていることは周知のとおりである(なお、この詳細については下記▼を参照乞う)。


▼海外からの日本原発批判のとどめとなったシュピーゲルの批判(フクシマが象徴する「原子力政策=国家スキャンダル(国家犯罪)」についての論考、「放射能を必要以上に怖れる母親らは真正カルトなのか?)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110903


これら<原発マネーとメディア各社の関係>と<東電等⇔メディア各社への天下り受け入れの関係>を概観するだけでも、我が国の主要メディア各社(記者クラブ・メディア)が如何に電力業界から多大な影響力を受けてきたかが、そして今も相変わらず受け続けているかが容易に理解できる。


これに輪を掛けて驚かされるのは、国民主権を守るため日本国憲法の番人であるべき司法が、これらの、いわゆる電事連及び電力各社が主要メディア等へばら撒いた<巨額の原発マネー効果>とも言うべき「世間の空気」を深読みしつつ、過去における数少ない原発関連裁判について司法判断を行ってきたという事実があることだ。


例えば、それには、金沢地裁で「もんじゅ原発差し止め判決」を下した元裁判官・井戸謙一氏の、次のような生々しいき証言(下記、・・・〜〜〜・・・の部分)がある(出典:2011.6.2朝日)」この事例を見ただけでも、ドイツ司法と日本司法の質的な意味での決定的な落差が歴然としている。つまり、日本司法のヒエラルキーの頂点に君臨する最高裁判所長官および法務省事務総長は、日本全国に展開する下級裁判所のヒラメ判事らに対して<国民主権へ配慮した国策・原発の推進を止めたり邪魔したりする司法判断(判決)は絶対に許さぬぞ!>と恐ろしい睨みを利かせていると言う訳だ。残念ながら、これこそが、いやしくも民主主義国家を世界に向けて標榜してきた日本の実像なのだ。


・・・志賀原発訴訟でも北陸電力が危険性を小さく見積もろうとしたことを感じた。それは、うるさい!、国(安全保安院など)のいう通りやってるのに何が問題か!という感じだった。尤も、原子力に限らず、国策に反する判決は日本では多くない。国への配慮に止まらず、多くの裁判官は真面目だが、世論(メディアが創った!)も意識している。だから、国民の大多数が「原発を受け入れている段階(仮に原子村に騙されていたとしても)」で、危険だから止めろという判決を出すにはかなりの勇気が必要だった(つまり、原子村の息がかかった権力と世相一般の流れに身を任せる他なかったというコトなのだ!)。・・・


(関連ツイッター情報/再録)


Madmanjapman 2011.10.11 13:20 最高裁長官の業務の大半は司法行政事務で、全国3200人裁判官、2万人の職員を3300億円の予算と253の裁判所の人事と管理だ。そして最高裁事務総局が予算と人事を握る。これがヒラメ人事の手綱であり、国民・市民へ気を配る良心的な判事は外される。


・・・


また、新しいところでは、毎日新聞(2011.9.16)が下記(・・・〜〜〜・・・の部分)のような驚くべき原発裁判の真相を報じている。


・・・東京電力福島第1原発事故の発生後、各地で原発の運転差し止めなどを求める提訴が相次ぐ中、原発の安全性を巡る過去の訴訟を担当した元裁判官10人が毎日新聞の取材に応じた。ほぼ一様に原発の問題を司法の場で扱うことの難しさを吐露。住民勝訴が確定した訴訟はないが、事故を受け認識の甘さを認めた元裁判官もいる。今後の司法判断について「裁判所の目は国や電力会社側に厳しくなる」との予測もあった。・・・92年に確定した福島第2原発1号機訴訟の2審を担当した木原幹郎弁護士は「理系のスタッフがいるわけでもなく、(審理は)とにかく難しかった」と述べた。00年に確定した同3号機訴訟の2審に関わった鬼頭季郎弁護士は「一度原発を止めればすごくコストがかかるので、簡単に止めろなどと言えない。原発推進の社会的・政治的要請の中で、司法が足を引っ張るような判断ができるのか」と漏らした。・・・一方、93年確定の高浜原発福井県)訴訟の1審を担当した海保寛弁護士は「今度のような事故を目の当たりにすると認識は甘かったと感じる」と語った。・・・http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110917k0000m040061000c.html


ところで、表面的には、やや次元が異なるように見えながらも、日本の裁判が机上の想定(論理、推論、あるいは様々な政治的バイアスへの配慮など)へ過剰傾斜して<現実の固着論理>を直視せずに司法判断を下す傾向は他の事件でも観察することができる。そして、その典型事例が、直近の9月26日午後に東京地裁で開かれた<民主党小沢一郎元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽記入事件で政治資金規正法違反罪に問われた元秘書3人へ下された有罪判決
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3883.html>である。


このように日本の司法が事実や証拠の固着論理的検証よりも<机上の論理と推論、あるいは様々な政治的バイアスへの配慮など>の影響を大きく受け易いという傾向の背景には、ドイツと比較した場合に見えてくる<日本司法の精神的&構造的堕落>の問題の他に、おそらく現代裁判の根幹を支えているリアリズム法学についての曲解という問題があることを論じるべきかも知れぬが、ここではその余裕がないので又の機会としたい。なお、リアリズム法学については下記◆で少し触れたことがあるので関心がある向きは参照願いたい。


◆2009-12-19toxandoriaの日記/北欧型福祉社会と米国型市場原理の共通起源、「制度経済学派&リアリズム法学」についての試論(日本は何処へ向かうべきか?)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091219

 

(関連ツイッター情報)


hanachancause 2011.10.13 15:10【QT】東京地裁の登石判事(民主党小沢一郎元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽記入事件で政治資金規正法違反罪に問われた元秘書3人へ下された有罪判決を下した)は93年から3年間、法務省刑事局付検事を務めた。4年前に東京地検検事の不祥事起訴の裁判で大甘判決を下し話題に。今回、検察が描いたストーリー丸写のような推認に次ぐ推認の判決を書いたのは検察との浅からぬ関係故ではといわれている。http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3980.html


hanachancause 2011.10.13 15:08【QT】ミスター推認こと登石判事の02年に北大で開催された裁判員制度シンホでの発言=裁判官の判断の特質として経験しない事実の推論がある/必要なのは個々の経験ではなく類推する力だ/判決を出したらけろっと忘れる、これは才能だと自画自賛している。 http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3980.html


・・・<原発についての判断>に限らず、例えば<一連の小沢の政治とカネ>に関する類の裁判でも、日本の司法判断が机上の想定(論理、推論、あるいは様々な政治的バイアスへの配慮など)へ過剰傾斜していることについて論じたコメント&レスを、[2011-09-03toxandoriaの日記/フクシマが象徴する「原子力政策=国家スキャンダル(国家犯罪)」についての論考、「放射能を必要以上に怖れる母親らは真正カルトなのか?]から下へ転載しておく。・・・


もえおじ 2011/09/24 21:38


勿論、将来の脱原発は重要ですが、当面は現下の問題である(1)福島第一の放射能の封じ込め ⇒ もはやチェルノブイリと同様の石棺建設で対応するしかないのでは?、(2)放射能疎開を強いられている人達の資産買い上げと放射能被害全般に対する補償、(3)稼動中停止中の原発に対する公正なストレス検査実施と安全対策、が最優先課題であると考えます。


ところで…、人間の本質を全て見通す高い慧眼と最高の技術を持つ偉大な画家フランシスコ・デ・ゴヤの作品には、強い共感と畏怖の念を覚えますね。 「わが子を食らうサトゥルヌス」について言えば、人間の狂気と愚かさ、悲しみを、これだけの表現力で魂を込めて描いた作品はまれです。 スペイン王室の宮廷画家まで上りつめたゴヤですが、晩年は聴力を失い、暗く悲しい絵を多く描くようになりました。 愛する故郷で起こったスペイン独立戦争で、混乱していく故郷を音のない世界から見つめて描いたのが版画集『戦争の惨禍』、そして、「理性の眠りは怪物を生む」。 80歳を過ぎても、「それでもわしは学ぶ」、見事です。


toxandoria 2011/09/30 05:03


“もえおじ”さま コメントありがとうございます。(パソコンが壊れてしまい、レスが遅くなりました)


喫緊の課題が(1)〜(3)であることは同感です。ただ(1)(2)についてはメディアも国民も否応なしに継続して関心を持たざるを得ないと思いますが、<(3)稼動中停止中の原発に対する公正なストレス検査実施と安全対策>については特に要注意だと思います。


それは、少しでも気を抜くと<再び、専門性の壁に阻まれ>て誤魔化されそうな気がするからです。このため、国民のすべてが(3)に対し特に強い関心を持ち続けるべく、広く、持続的に一般国民が関心を向け続けるように喚起する必要があると思います。


また、それはこの<専門性の壁>こそが、フクシマ3.11(原発過酷事故)の第一次的原因(最も根源的な意味での原因)であったと思われるからでもあります。そして、その<専門性の壁>の問題は、下記の伊方原発訴訟を巡る一連の流れ◆(過酷事故による深刻な放射能漏れの可能性が争点となった、地元住民を原告とする伊方発電所1号機の原子炉設置許可取り消しを求めた約20年近くに及ぶ訴訟、日本で最初にして最後となった・・・これ以降、同種の原発訴訟は一件も起こされていない!・・・原発をめぐる科学裁判)の中でリアルに観察することができます。


◆『電事連の対マスメディア広報活発化(電事連広報関連巨額マネー(max2千億円/年、他に政界工作費を2千億円計上)で新聞社ほか主要メディアが取り込まれた)→伊方原発訴訟の最高裁上告棄却/日本初の原発をめぐる科学裁判→これ以降<原発安全神話>が日本社会に定着し、事実上、原発訴訟が不可となった→それが3.11フクシマへ繋がった』⇔<異常司法判決:国策原発へ国民が黙従するのは違憲ならずとの最高裁判断は国民主権が過酷化する現実を見ていない=司法・裁判の異常・非リアリズム化=裁判の過剰想定化、対推論過剰傾斜>、結果として、これ以降は原発事故が放任されたり事故隠しが多発するようになった(結局、1992.10以降に安全神話が定着して、今回のフクシマ原発事故への道程が加速したと見なすことができる、http://tweet.next-nex.info/detail.php?s=145157


この裁判の上告・結審(1992.10.26、最高裁)の判決文(一部)を採録すると次のとおりです(出典、http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65765962.html)。


・・・原子炉設置許可は各専門分野の学識経験者などを擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。(従って)周辺住民が原子炉設置を告知されたり、意見を述べる機会がなかったことは、法による適正手続きを定めた憲法違反とはいえない。・・・


この結審の直前に原告弁護団側から出された<チェルノブイリ事故で起きたメルトダウンと同等の事故の日本における可能性>についての質問に対し、国側が「専門家の知見によれば日本ではチェルノブイリ型のメルトダウン事故は想定外だ」と述べるに留まった。にも関わらず、なぜか、十分に審議は尽くされたとして裁判長が結審を急いだことが明らかにされており、この点が非常に不可解です。


詰まるところ、科学的知見を持つ専門家が想定外とする内容はそもそも裁判に馴染まぬので、その是非は棚上げとして、ともかくも原子力の専門家がお墨付きを与えた国策たる日本の原発建設に国民は須らく黙従すべきであり、そのことは憲法違反にならぬとする、民主主義国家の名にあるまじき恐るべきほど前近代的な裁判(結審)であったと思われます。


一方で、現実的にはシュラウドや各種配管の劣化やヒビ割れが全原発において拡大しているという一部専門家らの厳しい指摘もある中で、<公正なストレス検査実施>は非常に困難を極めるのではないかと思われます(関連参照、下記ツイッター情報)。また、これは素人の立場であればこその見解ですが、それがどれほど科学的であると雖も、あくまでも机上の想定(論理、推論)であるシミュレーションで現実に物的劣化が進行中の全原発の<リアルな安全とリスク>につての検証が完璧にできるとは思えません。


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hanachancause 2011.9.16 21:49:33そうですか?RT@miakiza20100906 違います。あの発言は「原子炉が発明された当初にはSCCという現象は知られていなかった」という意味ですRT甘かった野田!何しろ斑目原子力委員長は原発の応力劣化破壊の可能性を知らなかった
http://twitter.com/#!/hanachancause/status/110645093312110592?らしい


hanahancause 2011.9.16 01:00:30 @miakiza20100906 ならば、「最憂慮事故のシナリオは主蒸気管破断,再循環系破断そして地震」との米NRCのシュラウド分離可能性指摘(1994)
http://www.kisnet.or.jp/net/memo.htmが日本の安全評価で無視されてる事実を我々国民は常識と照らしどう理解すべきなでしょうか?

hanahancause 2011.9.16 06:42:00 @miakiza20100906 としても、地震動破断の可が高い福島1号機の年齢が法定償却16年超の40年であったこと、及びシュラウドひび割問題が全原子炉に拡がっている可能性指摘http://www.kisnet.or.jp/net/memo.htmを公的に問題視してないように見えるのが素人の頭では理解不能


hanahancause 2011.9.16 18:30:20@miakiza20100906 素人故コノ種の判断は不能ですが必要なら躊躇なく即刻全て交換すべきです。脆性遷移温度関連の照射脆化(予測不能な材料劣化)、或いは福島1号機では地震起因の重要配管破断の可があるとも聞き及び普通の国民の頭では此れら原子炉劣化問題の説明では安心できません。posted at toxandoria 2011/09/30 04:49


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toxandoria 2011/09/30 05:03


“もえおじ”さま レスの追記です。


表面的には、やや次元が異なるように見えますが、日本の裁判が机上の想定(論理、推論)へ過剰傾斜して<現実の固着論理>を直視せずに司法判断を下す傾向は他の事件でも観察することができます。そして、その典型事例が、直近の9月26日午後に東京地裁で開かれた<民主党小沢一郎元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽記入事件で政治資金規正法違反罪に問われた元秘書3人へ下された有罪判決http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3883.html>です。


この裁判の<異常さの核心>は、ジャーナリスト鳥越 俊太郎氏の下のツイートが端的に現しています。


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shuntorigoe 鳥越 俊太郎 陸山会関係の裁判について。判決の最大の問題は水谷建設からの五千万円2件をなんの証拠調べもせずに断定していること。カネは必ずどこから持ち出したかと、渡したカネはどこに行ったか、入りと出が証拠で確認しなければならない。これは捜査の常識。とんでもない作文判決だ!2011年9月27日


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また、ツイートで当有罪判決の問題と思しき点を小生自身が纏めたものがありますので、参考まで下に転載しておきます。


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1【QT/不可解裁判】登石郁朗裁判長は、元公設第1秘書の大久保被告の勾留中に取調べを担当した大阪地検特捜部の前田元検事(郵便不正事件を巡る証拠改竄事件で実刑確定)が作った供述調書を職権で証拠採用した(毎日新聞6.1)。2011.09.26 21:09


2【QT/不可解裁判】そして、実は、この調書は検察側が初公判直前に証拠請求を撤回していたものだった(毎日新聞2011.6.1)。2011.09.26 21:09


3【QT/不可解裁判】前田検事の取調べた証拠なので証拠にならないと言うことで、検察側が証拠請求を撤回していたものを、なぜ証拠採用したのか?2011.09.26 21:09


4【QT/不可解裁判】この調書は虚偽記入を大筋で認めた内容だが、弁護側が任意性や信用性を争い、検察側が初公判の前に証拠請求を撤回していた。2011.09.26 21:10


5【QT/不可解裁判】登石裁判長は「調書の作成経緯を知るため」と採用の理由を述べ、供述の内容自体は調べない意向を示した。大久保元秘書は、続く被告人質問で「調書は前田元検事がいろいろな資料を見ながら作ったと述べた。2011.09.26 21:10


6【QT/不可解裁判】また、大久保元秘書は、前田元検事に『小沢先生の逮捕に向かう』と言われ、これ以上事件が広がらないようにと思って署名に応じた」と述べた。2011.09.26 21:11


7【QT/不可解裁判】謂わば、登石裁判長は調書の作成経緯を知るため調書を採用したことになり、その調書の任意性が争点になった訳だ。つまり検察が一番出したくなかったものが<裁判長の良識的決定で争点になった>ことになる。2011.09.26 21:11


8【QT/不可解裁判】だから、ごく普通に、客観的に、公正に、当たり前に考えれば、これで無罪の可能性が高くなったはずだ。2011.09.26 21:11


9【QT/不可解裁判】然るに秘書3人は有罪となった。一体どうなってるのだ日本の司法は!http://t.co/F1jpC1Fx←状況証拠による想定だけで判決を下すのでは、まさに魔女裁判だ!しかも、「調書の作成経緯を知るため」に調書を採用したという登石裁判長の言質にはフェイク(形式の違法性を判断するとしつつ、実際は、その内容を被告側が不利となるように意図的に利用した?)が臭う! 2011.09.26 21:13


10【QT/不可解裁判】本来であれば、検察側と弁護側が、両者で最も客観的な証拠を提出し、それらを採用することで公平な裁判が行われるのに、その一方へ有利に加担するような調書の取り扱いによる裁判は余りに恣意的であり、そのようなものは裁判とは言えない。2011.09.26 21:13


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また、科学的問題点を争うのではない一般の原発裁判については、該当裁判を担当した元裁判官自身による次のような驚くべき証言もあります。これは、金沢地裁で「もんじゅ原発差し止め判決(最終的には最高裁で国が勝訴)」を下した元裁判官・井戸謙一氏の、志賀原発1号機訴訟についての次のような驚くべき証言(・・・)です(出典:2011.6.2朝日)」


・・・志賀原発訴訟でも北陸電力が危険性を小さく見積もろうとしたことを感じた。それは、うるさいゾ、国(安全保安院など)のいう通り進めてるのに何が問題か!という感じだった。原子力に限らず、国策に反する判決は日本では多くない。国への配慮に止まらず、多くの裁判官は真面目だが、世論も意識している。だから、国民の大多数が「原発を受け入れている段階(仮に原子村に騙されていたとしても?)」で、危険だから止めろという判決を出すにはかなりの勇気が必要だった(つまり、原子村の息がかかった実効権力と世相一般が押す流れに身を任せる他なかったというコトなのだ!)。・・・


つまり、このことは、電事連(10電力会社の総体であるが、事実上、東電が代表窓口)が巨額・広報工作費(max2千億円/年)で主要メディアのプロパガンダを動員しつつ<原発支持の世論の風>を吹かせれば、裁判所はその世論の風に靡くしかないのだということを正直に証言していることになります。これが民主主義国家を標榜する日本の裁判の実態であることには只々あきれ返るばかりです。


これらのことからすれば、<民主党小沢一郎元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽記入事件で政治資金規正法違反罪に問われた元秘書3人へ下された有罪判決>について、下記▼のような厳しい見方が出るのは当然であり、そのような意味で<日本司法の腐敗>、つまり<裁判所⇔検察の判検交流(裁判官、検察官の人事交流)と原発関連企業など関連業界への天下り常態化による<司法と実効権力の癒着>が日本国民の主権を著しく踏み躙り、一般国民に対し生命・財産の危機をもたらしつつあるという日本司法自身の由々しき犯罪性>が問われても仕方がないことです。


▼日本の裁判は、特定利権階層を守るためならば、何でもありなのだ/約300兆円の特別会計利権の最後の砦として裁判所は存在しているのだから、私達にとっては不当な裁判が彼らにとっては通常の仕事なのだと理解するべきだ。<民主党小沢一郎元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽記入事件で政治資金規正法違反罪に問われた元秘書3人へ下された有罪判決>も想定内の不当判決であり、驚くに値しない。http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-ab99.html


喩えていうならば、今の日本司法の姿は<大方の世論(実は実効支配権力側のヤラセ!)が光より早い物質の存在を支持するようだから、やはりアインシュタイン相対性理論は間違っており、結果的に、過去へ遡るタイムマシンの可能性もあり得る>と判断するようなマンガ的存在と化しています。しかし、司法が国民主権の最後の砦であることを考えれば、このように異常な日本司法の現状(強い力に流されて如何様な推論判断でも下すというオゾマシさ)を笑いごとで済ます訳には行かぬと思っています。


もえおじ 2011/10/13 01:22


> 日本の裁判は、特定利権階層を守るためならば、何でもあり


その特定階層には、司法に属する「裁判官」自身も含まれますね。 日本では、国策を問う判決で被告が国の場合に、国の責任が認められることは例外的に少なく、刑事裁判も99.9%は有罪です。 始めから判決が決っているのであれば、裁判は「茶番」であり、裁判官は「権力の犬」と言わざるを得ません。 先進国を自負している日本としては、本当に恥ずかしい。

小沢一郎が官僚つぶしを目指しているとか、売国奴的朝鮮帰化人だとか、日本の安全保障を「普通の国家並み」にしよう考えているとか、色々あるでしょうが、特定利権階層を敵にまわせば政治的に抹殺されかねないという良い見本です。 どうすれば日本の官僚独裁を止められるのか。 国民が問われている。


toxandoria 2011/10/13 07:37


もえおじ さま コメントありがとうございます。


「先進国を自負している日本としては、本当に恥ずかしい」は全く同感です。この視点を具体的に指摘した、下のようなツイートがあります。


hanachancause 2011.10.13 06:55:33結局、財務省法務省らも<広義の国策原発利権ジャバ・マフィアの領袖>!⇒公務員宿舎は財務省のOB利権か/週刊ポストがゼネコンへの「天下り」指摘


hanachancause 2011.10.12 08:23公務員給与2割引下げで年間1兆1千億円の財源捻出が可RT @kosumosu0906ay8: @hanachancause 腐った公務員が高級取りすぎ!?ファシズム加担した公務員の名前をさらして欲しい!


hanachancause 2011.10.12 05:27 返信杜撰シミュレーション(大雑把推論)の点が小沢関連事件の推認判決とソックリRT @abe_yoshihiro: 「原発を再稼動すれば大丈夫」という杜撰シミュレーションで破綻リスクを隠し、国民負担を強要する「東電第3者委報告」の国家的詐欺


madmanjapman 2011.10.11 13:20最高裁長官の業務の大半が司法行政事務。全国3200人裁判官、2万人の職員を3300億円の予算と253の裁判所の人事と管理。最高裁事務総局が予算と人事を握る。これがヒラメ人事で良心的な判事ははずされる。東大法学部卒の若い官僚には青田狩りで将来の幹部を最初からマーク。司法官僚を育てる


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「小沢関連裁判が特定利権階層を敵にまわせば政治的に抹殺されかねないことを示す良い見本だということ」は、日本支配する権力構造そのものの炙り出しでもある。特に、裁判官も含めた日本の司法・司法官僚組織そのものが、三権分立保全の立場から国民主権へ尽くすという民主主義の根本を完璧に履き違えた<悪魔の殿堂>と化しているのが、残念ではあるが現代日本の司法の実像であるようだ。


しかし、冒頭の【参考動画1】で取り上げた<ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」 (原発植民地型化した日本偽資本主義の象徴)http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA>は、見事に日本原発の恐るべき実像を暴いた。また、直近の下記情報▲1が突き付けるのは、愈々、<六ヶ所と高速増殖炉もんじゅに見通しが立たぬ中で、日本の核燃料サイクル計画(溜まる一方の日本の核廃棄物処理問題)が出口なしのデッドロックへ乗り上げてしまったこと>、同じく▲2は<万一にもフクシマ型の過酷な原発事故が起こった場合には老朽原発廃炉作業自体が事実上不可能>になるという恐怖の現実を我々へ突き付けている。


▲1 <モンゴル政府>核処分場建設計画を断念 日本に伝達(毎日)、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111015-00000007-mai-pol

・・・モンゴル政府は、日米両国とともに進めてきたモンゴルに原子力発電所の使用済み核燃料の一時保管・処分場を建設する計画(事実上の闇交渉)を断念することを決め、9月下旬に日本政府など関係者(細野豪志内閣府特命担当大臣原子力行政担当)ら)に伝えたことが14日、わかった。モンゴル国内で反対運動が高まり、計画継続は不可能と判断したとみられる。同様の計画は、02年にオーストラリアでも世論の反発で失敗に終わっており、改めて国際的な処分場建設の難しさが浮き彫りになった。(以下、省略)


▲2 福島第1原発:東海原発廃炉遅れ 放射性廃棄物増加で(毎日)、http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111009k0000e040007000c.html
・・・東京電力福島第1原発事故の影響で、日本原子力発電東海原発茨城県、出力16.6万キロワット)の廃炉工程がずれ込む見通しとなった。周辺の放射線量が上昇したため、想定を上回る放射性廃棄物が生じる恐れがあるためだ。原電は放射性廃棄物かどうかを測定・分別する作業を中断し、測定方法を見直しており、作業再開は年明け以降になる見通しだ。廃炉で出た金属やコンクリートは、国が定めた「クリアランスレベル」(年10マイクロシーベルト)以下かどうかを測定し、再利用可能か判断する。事故後、周辺の放射線量が増加し、クリアランスレベルを上回る廃棄物が続出。さらに、事故前なら数値以下で再利用予定だった廃棄物も、外部に搬出できない状況が続いている。(以下、省略)


また、具体的計算は省略するが、日本大学教授・円居総一氏(著書:原発に頼らなくても日本は成長できる)らによれば、日本の原発はもはや経済システムとしての意義が失われている。言い換えれば、発電単価の比較において最も採算性が悪くてコスト高な原子力の安全性を強化すること自体が、ますます経済効率性を削ぎ、経済負担増加の悪循環を招いている。にも拘わらず、原子力安全委員会は、下記の関連ツイッター情報の如く、発電単価の比較において未だそれほど原発が他の電源に比べて劣るものでないと必死の詭弁・強弁を試みようとしている。


(関連ツイッター情報)


hanachancause 2011.10.14 06:56:06 原発コストの上下だけに意識集中させる詐欺原子力委員会で信用ならぬ!現行でもLNG火力の稼働率86%にすれば、原発ゼロでもやれるし、工夫次第でお釣りが来るノダ!⇒原発コスト、事故頻度めぐり議論 内閣府原子力
http://www.asahi.com/national/update/1013/TKY201110130504.html


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以上のように概観するだけでも、日本の原発は、それ自体の採算性と安全性上の欠陥、万一過酷事故が起こった場合に巨大化する放射能汚染問題、莫大なバックエンド費用問題と核燃料サイクルの破綻など、製造物責任的な意味で深刻な数多の課題・難題・アポリアを抱えているにも拘らず、これらを第三者的・客観的・科学的あるいは司法判断的に誰も診断と評価を下すことなく逃げ続けてきたことは明らかだ。


一方では、そのような意味で<明らかな欠陥商品である日本製原発>を、日本政府自身が、関連メーカーと殆ど一体化する形で、特にフィンランドポーランドリトアニア・トルコ・UAE・インド・ベトナム中欧・東欧・東西アジア地域など発展途上国または中進国向けの輸出工作(当該地域のみならず全世界へ甚大な被害をもたらす可能性がある重篤欠陥商品を政府のトップセールスで輸出しようとする国家犯罪行為?)に熱中しているという驚くべき現実がある。


そして、その背中を無言で押し続けているのは、日本原発を巡る犯罪性の直視から、国策追認の大義で逃げまくってきた日本司法自身の犯罪性(国策原発の保証人を務める“お白洲型”日本司法)の問題があるのは明らかだ。


この論点については、更に深める必要があるが、当記事のスペース上の制約もあるので、以下の第二部へ続くという形で、一旦ここで筆を置くことにする。


(2/2海外編、予告/放射能拡散ゾンビ、国策原発の保証人を務める“お白洲型”日本司法の犯罪)


3 フクシマ3.11後に初めて原発新設を決めたフィンランド原発輸出を謀る日本、この不可解な構図の深層を読み解く(日本司法の国際犯罪加担の疑い)