toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

隷米「ご都合主義改憲」を謀る石原・維新ら偽装極右と原子村の野合を「第三極」と騙る主要マスコミの無責任

toxandoria2012-11-03




武士の一分 / 藤原道山×冨田勲 (剣法(剣法型正統保守 ← toxandoria補足)の神髄は戦わずして勝つことである、宮本武蔵/出典:井上ひさし樋口陽一日本国憲法を読み直す』)


(プロローグ)ブリューゲルイカロスの墜落』が問いかけること(本来あるべきジャーナリズムの役割)


【参考画像】ブリューゲルイカロスの墜落』
Pieter d. A. Brueghel(the Elder/ca1528-1569):Landscape with the Fall of Icarus、c. 1558 Oil on canvas, mounted on wood, 73.5 x 112 cm; Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique, Brussels


・・・以下は『2011-08-08toxandoriaの日記/モンゴル核廃棄物系暗部とつるむ擬装安全型「原発ファシズム国」ニッポン、その技術神話を批判する「緑の党」の役割(技術神話の限界についての論考)http://urx.nu/2mrJ』より部分再録(一部、加除修正)・・・


ピーテル・ブリューゲル(父)の絵画『イカロスの墜落』について、実に興味深い研究成果が明らかとなっている。ただ、このアカデミック研究の”落ち”は些か“尾篭な落ち(墜落)”だ。しかし、ここで紹介する“尾篭な墜落”は、フクシマ3.11原発過酷事故を引き起こした日本原発安全神話とは異なり、決してヤラセではなく客観的な学術研究の「誠実な成果」である。だから我々は其の墜落を勇気を出し直視しなければならない。それこそが民主主義社会の維持のために必須の「クソ・リアリズム」の眼である。


主にアントワープブリュッセルで活躍したピーテル・ブリューゲル(父)が当時としては格段の知識人であり、彼の絵には社会的な矛盾や時の暴政の真相 (スペイン帝国によるフランドルへの過酷極まりない圧政など)を暴き、それをリアルに伝えようとした強い意志の存在が潜むことが知られている。しかし、今回、改めてこの『イカロスの墜落』を観て再認識させられたことがある。


一般に、ピーテル・ブリューゲル(父)の初期の作品、例えば『狂女フリート』(参照⇒http://bit.ly/rdVC79 )などは明らか にヒエロニムス・ボッスの影響を受けており、幻想的かつ悪魔的で「奇怪な世界の風景」を描いている。そして、その絵の地平で赤々と燃え盛る血のような空の色はフェリペ2世による「スペイン帝国の圧政がもたらす残酷な戦争」を象徴していると考えられる。


15世紀後半からフランドル地方の支配者はブルゴーニュ公家からハプスブルグ家へ代わるが、特に、16世紀前半に父カール5世から当フランドル地方の統治を引き継いだスペイン王フェリペ2世の強権的な中央集権支配と新教徒への弾圧は過酷で阿鼻叫喚を極めた。一方、そもそも13世紀頃から自治都市の伝統が根付いてきたフランドル地方は、欧州における二大交易圏(フランドル、北イタリア)の一つとして近代資本主義的な経済発展の土壌を準備しつつあった。


中でも、16世紀前半のアントウエルペン(現代ベルギーのアントワープ )にはヨーロッパ中から貿易商人たちが集まっており、南ドイツのフッガー家、ウエルザー家らの大商人や金融業者たち、あるいはメディチ家など北イタリア諸都市の金融業者らの支店や代理店が立地し、ヨーロッパはもとよりアフリカや中東方面からやってきたムーアやアラビアの商人たちも加わり大変な賑わいぶりを見せていた。


ピーテル・ブリューゲル(父)が生きた時代は、このように「圧政・抵抗・戦争・内乱」と「広域グローバリズム経済の急速な進展」という二つの異なる顔を見せる激しく、過酷でありながらも非常に多様なダイナミズムに満ち溢れた、まことに激しい時代であった。


ところで、『イカロスの墜落』の上半分の左奥には繁栄する自治都市(おそらくアントウエルペン)が見えており、右手の中央には活発な交易経済(グローバル化した市場・貿易経済活動)を象徴する大帆船が描かれている。他方、画面は右下がりの対角線によって上下にハッキリと分かれており、画面の左半分(下)を占めるのは牧歌的な田園風景だ。


そして、画面の右下の海面では、<糸と蝋で鳥の羽根を繋ぎ固めて作った翼>で太陽へ向かおうとして、無謀にも太陽へ接近し過ぎたため、その蝋で出来た羽が溶けて墜落したイカロス(ギリシア神話で“科学技術知の祖とされるダエダルス”の子)が溺れかかっている。それにしても、この傲慢で愚かなイカロスのエピソードは、なんと現代日本の<原発絶対安全神話の失敗>に酷似する出来事ではないか!


画面の左半分(下)には、そもそも殆どグローバリズム経済とは無縁と思われる農夫の日常生活、つまり農夫の仕事の日常風景が描かれている。彼は、この絵の主役(普通の人々、庶民の象徴)であるらしく、そのため一番大きく描かれた人物像であるが、彼は、日常の農作業に夢中であるためか、イカロスが海中に落ちた時の水音(傲慢と化したグローバル市場・貿易経済の暴走がもたらす悲劇・悲惨・過酷事故の叫び声)などは全く聞こえず、まるで我関せずの印象がある。


また、中央に小さく描かれた羊飼いも墜落して海に堕ちたイカロスと反対側の空をポカーンとした表情で見上げているが、彼は何をノンビリ見ているのだろうか?このピーテル・ブリューゲル(父)イカロスの墜落』でもう一つの大きな謎は、肝心のダエダルス(自分の息子イカロスに蝋で作った人工の羽を付け、それで飛翔することを勧めた“科学技術安全神話”の責任者である父親)が画中の何処にも描かれていないことだ。真犯人は何処かに隠れているのだろうか?


しかも、この絵の全体には奥深い静寂と共に一種独特の清澄な空気に包まれた不思議な美しさが、言い換えれば、<何か分らぬが殊更めき必要以上にクリーンで清潔な空気>さえもが漂っているように感じられる。また、解像度の関係からネット画像ではハッキリ見えないが、実際の絵では「大きな農夫」が進む道の先の木陰(両側から木で挟まれた奥の部分)には、上向きに横たわる人間(それも、死体らしい?)の恰も頭部のように丸い感じのものが描いてある。


そのため、このピーテル・ブリューゲル(父)イカロスの墜落』のモチーフについては中世的<メメント・モリ/Memento mori、死を想え>の教訓、つまり<常に死と地獄を忘れず日々に善行を積み重ねて生きよ!>という、如何にも<大上段に構える脅迫宗教の婢(はしため)たる御用神学者らが語りそうな倫理的教訓>を示唆する絵画だという、いわば<オーソドックスで上品な伝統アカデミズム的解釈>がほぼ定着してきたのである。


ところが、驚くべきことに、近年の赤外線写真を使った十分に中立的な科学調査と客観的で綿密な学術的検証の結果、その人間の頭部のように見えたモノが実は死体の頭部などではなく、なんと<今まさに不潔で汚い野糞を垂れている男の尻(悪徳まみれで強欲な実効権力者のボッス的象徴)>であることが分かったのだ(出典:ベルギー王立美術館発行の図録解説、p10記載)。


どうやら、この絵の修復時に、その草藪の中でムカつくように汚い野糞を排泄する毛むくじゃらでグロテスクな男の尻が死体(人間)の頭部に描き変えられていたようなのだ。つまり、その大変な苦労を伴う緻密な描き変えの作業は、このピーテル・ブリューゲル(父)の絵を修復した職人による余計な配慮であった訳なのだが、お陰で、近年の美術史研究者の間では、この絵の不可解な謎が却って益々深まるばかりとなっているようだ。


美術史上の専門的解釈はともかくとして、より自由な視点で、もう一度、このピーテル・ブリューゲル(父)の絵を眺めてみる・・・と、どうやら<殊更に美しく立派で無謬性を主張する価値観、もっともらしい科学知的や大義名分の標榜(例えば、日米原子村発の絶対安全神話脱原発不可能論など)』には十分気をつけるべし、決して騙されぬよう注意せよ!>という非常に重い教訓が、そこに隠れていると思われるのだ。


つまり、我われは、無責任な立場で超法規的特権を弄ぶ原子村の御用学者や電力マネーにたかってきた政治家と政府高官、あるいは独占の立場で超高給を食む電力会社の経営者らが、原発は最先端科学知と技術知の成果であり絶対安全でクリ―ンで最廉価な電力供給源だと、その無謬性と完璧さを声高に叫んだとしても、原発は<まったく糞も垂れず、小便もせず、屁も放(ひ)らずなので安全>である訳がなく、それどころか<原発の実像はトイレのないマンション>ではないかと初めから強く疑うべきだったのだ。


(関連情報)


BB45_Colorado@bilderberg54 @hirosetetsuo 再処理しないと、バックエンド問題に火がついて、日本中の原子炉が止まり、使用済み核燃料があふれ返り、青森から返品されて日本をさまよう。再処理をすると、余剰プルトニウムが溜まり続けてNPT(核拡散防止条約)リスクhttp://urx.nu/2mTY は増大するし金が膨大にかかる。via web2012.11.0112:06hanachancauseがリツイート


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それどころか、ポスト3.11の今に生きる我われが、安全でクリーンなはずの原発が全世界に向けてハイレベル放射性物質(原子炉が垂れる野糞、これに放射性廃棄物も加わる)を凡ゆる方面(大気中、海中、土壌の中、河川、地下水系、動植物の体内環境から食物連鎖系、そして我われ日本国民の体内環境系)へ撒き散らすという恐るべき惨劇の目撃者となっていることは、もはや繰り返すまでもなく明らかなことだ。


だが、ポスト3.11の日本の現状に照らすと、このピーテル・ブリューゲル(父)イカロスの墜落』には未だ十分な救いがある。それは、仮にその<草藪の中で野糞を垂れるムカつくほど汚い毛むくじゃらの男の尻>が<実効権力者らの極悪の象徴(図像)>であったとしても、そこから<排泄されたオーガニックな汚い野糞>は微生物により分解処理されて自然界の物質循環系の中へ取り込まれるか、あるいは“運”よく其れを拾った別の農夫が滋味豊かな肥料として再利用し得る余地があるからだ。


しかし、恐るべきことにハイレベル放射性廃棄物の捨て場所はこの地球上で未だに見つからないのである。だから、少しでも早く、この現実に気づいて、其の恐るべき事実を正しく客観的に報じるのが日本の主要メディアの責務ではなかったのか?


1 メディア仕立て「第三極」の狙いは隷米型「改憲」による原発ファシズム国家(国体維新)の実現


石原新党の危険性、それは其の時点における歴史的“事実/現実”の成果物である憲法樋口陽一氏)を改正することが前提だから】同感、<原発は些細なことと抜かす石原の妄想=国体維新(真姿顕現)、http://urx.nu/2mFm >の内実は「極右やテロリストが嵌りがちな虚無」同然のカルト神秘体観念≒高濃度汚染放射性廃棄物スカトロジーの世界!kRT @doi_doi1787: 石原新党の危険性 〜問われるこの国の“民度”〜HUNTER(ハンター)http://urx.nu/2lj0
hanachancause2012.10.30 14:53


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ここで言う<原発は些細なことだと抜かす石原の妄想=国体維新(真姿顕現)>が意味することは、表面的にはあの<2.26事件のテロリズムの心性>に近い非常に特異な精神環境と同じに見える。別に言えば、それは、自律的主権者たる国民の意思ならぬ<偽装極右と原子村の野合勢力>が宗主国アメリカの実効権力(米国原子村・産軍複合体の野合・癒着勢力)側の要求に応じる形で、特に九条(戦争の惨禍に対する防御装置)の放棄に照準を当てた「改憲」を謀り、日本の国体を“戦争ができる普通の国集団的自衛権の行使ができる、つまり自衛隊が米軍の軍事力行使に共同で参加できる国”へ維新・改革するということだ。


ただ、石原あるいは大阪維新・橋本らの偽装極右的(決して正統保守本流に非ず!)な精神環境は、2.26事件に関わった青年将校らと決定的に異なる点がある。それは、石原らの国体維新が<惨事便乗型資本主義(過剰な市場原理主義http://urx.nu/2mEN )へ傾斜しすぎて政治・外交・財政・経済的に困窮化し、しかも未だに原子村・産軍複合体マネーに牛耳られているため、まことにご都合主義的なことであるが今度は手のひらを返し石原ら改憲勢力を日本の脱原発運動の封じ込めに利用しようとする宗主国アメリカの実効権力側の思惑>へ徹底的に阿(おもね)ているということだ。


この点は、日米産軍複合体に徹底的に阿(おもね)る安倍・自民党(甘利政調会長の実像は恐るべき原発マネーの支配人/参照、http://urx.nu/2mE1 )も似たようなものである。現下の外交的窮状を奇貨として自衛隊の本格傭兵化(海兵隊創設、http://urx.nu/2mE8 )を掲げた安倍・自民党が目論むのは、石原・維新らの偽装極右勢力と野合した形での「国民の生命を人質とする、生政治(国民の生命そのものを政治・経済の道具と見なす政治)型の原発ファシズム国家」の実現ということである。


(関連情報1)マスコミが煽る偽装極右型「第三極」(決して正統な保守本流に非ず!)による国民騙しのお粗末、アラカルト


(1)リーマンは終らずの現実を無視し自ら肥えるだけを願うマスメディア、野田ブタ、石原ら偽装極右、経団連は出口なし原発推進の糞(放射能)塗れ(原発スカトロジー)で同衾する変態貉 ← ∵ 18日の読売に「軽減税率〈新聞の税率だけを低く抑える軽減税率を導入せよと〉の議論を再開したい」との驚きの社説が掲載された。それは(特に、読売が率先主張する原発推進と)増税がなければ日本はギリシャになるが新聞社は軽減税にすべきだという身勝手な論理だ!Cf. http://urx.nu/2iCl hanachancause012.10.25 10:21


(2)金子 勝 石原慎太郎都知事を辞めた。引退でないのが残念。まだまだ平沼赳夫らと「老人」党を作って日本を壊すつもりらしい。尖閣で挑発し、オスプレイには口を閉ざし、原発推進で、これに時代遅れの思想を持つ維新の会も一緒に加わる?若い世代は老人達の犠牲? http://goo.gl/Bl69q  via web2012.10.25 22:03hanachancauseがリツイート


(3)金子 勝 石原都知事辞任で「満足感と開放感」を感じているそうだ。それはそうでしょう。新銀行東京で大赤字(約1千億円)、築地移転先が有害物質汚染、五輪誘致失敗で都税無駄使い(約100億円)、尖閣問題を仕掛けて対中貿易を悪化(9月単月の日中貿易は前年同月比4・5%減と、4カ月連続のマイナスhttp://urx.nu/2mUY )させても、メディアはまともに責任も追及しないんだから。 http://goo.gl/KYcYe  via web2012.11.01 13:25hanachancauseがリツイート


(4)<石原新党絡み第三極騒ぎ>に隠された意図は<小沢・生活潰し>を恰もダミーであるかに見せる一般国民騙しのマスメディア共犯による<石原⇔電通癒着型の巨額公金横領大疑獄事件>の恐るべき真相隠しではないのか?http://urx.nu/2mU6 (画像は、http://urx.nu/2k39 より)


(5)<第三極は小異(石原に言わせれば原発問題?)を捨てて大同について(穴クロを掲げて)選挙で協力しないといけない>?←アホか!⇒「第三極、大同団結を」たちやがれ日本・園田氏が訴え(朝日) http://t.asahi.com/8jf0 hanachancause2012.10.27 17:14



(6)「たちあがらずに、くたばれ〜!」へ衣替えか?www⇒たちやがれを衣替えへ=「石原新党WSJ日本版 - hanachancause2012.10.30 20:48 http://urx.nu/2mU0
・・・戦後60年余、何も学ばずひたすら年老いた男たち、だから奴らは結社的な集団性と仮想の複数性に頼るしかない・・・それはあの大戦の悲劇とヒロシマナガサキの悲劇を引き起こした恐るべき亡霊に取り憑かれた・・・、つまりヒタスラ年老いただけの男たちの<仮想の結社>ではないのか、そして今またフクシマ3.11の過酷な放射線被害と、いつ収束するかもわからぬ原発過酷事故という日本国民のリアリズムを些細なことと見なす錯誤に取り憑かれ・・・だから其れは「たちあがらずに、只くたばる」だけの悲喜劇・・・(画像は、http://urx.nu/2mU0 より)・・・関連コメント/大塚 建一/郵政民営化(過剰な市場原理主義)に反対して自民党を出た平沼氏と<竹中平蔵がバックにいる維新>と組めるわけもない。それを「小異」と言い募る石原の政治センスのなさには呆れるばかり。そりゃあ、亀井静香氏に袖にされても仕方ないですね。第三極の要などなりようもない。2012.10.31水曜日 19:28


(7)石原と連携のみんなの脱原発も偽装だった!⇒維新は核燃サイクルも容認?野田の原子村密約型「偽装ゼロ原発」と同じ!⇒脱原発政党と自称の維新が抜穴付き公約「(既存原発ならぬ)新技術を盛り込んだ新型原発なら日本国内の新設可で原発輸出も促進する」http://urx.nu/2idg  hanachancause2012.10.28 21:32


(8)橋下・維新八策の内容は酷い、無年金老人層の大増加で犯罪、生活保護、警察官、公務員、刑務所、弁護士ら必増で役人天国化し、議員半減愚策で独裁政権化する。尻抜け脱原発も単なる人気取りで豹変の可がある。これに石原穴クロ国家主義が結び付く第三極を煽り立てるメディアは何考えてんだ!ドアホか!hanachancauseposted at 07:54:19 2012年10月27日



(9)まさに仮面ライダー並みの変身!www⇒石原新党との連携、感覚も世代も違うので難しい、石原氏個人とはやりたいが、新党の母体となるたちやがれ日本のメンバーとは感覚的にも世代的にも違うと述べた…橋下市長(読売)(其の後、橋下は再び元に戻り石原と連携へ ヘンシ〜ン!アホか〜!)http://urx.nu/2lXz  via ついっぷる/twipple2012.10.31 17:07


(関連情報2)日本国民に生命の危機を顧みぬ原発推進型の特攻精神(日本国民の完全なホモ・サケル化/←詳細、後述)を強要する米国原子村&産軍複合体の恫喝


(1)【第一義的な意味で生命が脅かされているのは日本国民なのだから、決め手は明快な全国民による脱原発の意思表示!】日経も同衾しての脱原発派への露骨な恫喝、余計なお世話だ!アーミテージもナイもフクシマ4号基の傍に住んでみればよいのだ!⇒「日本の原発ゼロ容認できぬ」アーミテージ・ナイ両氏  本社・CSISシンポで米知日派の元政府高官(日経)http://urx.nu/2mFP (画像は、http://urx.nu/2jst より。)


(2)第三極・新保守&原発推進の神輿を担がせる米CSIS(ネオコンの牙城とされる保守系シンクタンク)/主要メディアが必死で脱原発の小沢を矮小化する背景?/朝日http://urx.nu/2j7O に続く日本国民騙しプロパガンダ、日経の提灯記事!⇒原発ゼロ方針で日本に再考促す 米CSISジョン・ハムレ所長(クリントン大統領政権下、元国防副長官)、講演で:日経http://urx.nu/2jNt (画像『米CSISジョン・ハムレ所長』は、http://urx.nu/2j8p  より)http://urx.nu/2mUa


2 大本営発表報道と原発報道の相似性、原発推進へ回帰する主要マスコミの超無責任体質


2−1 「2.26事件」なる国体維新(真姿顕現)の企て/「虚無のオーラ」なる国民主権不在のファシズム権力の前に平伏した戦前・戦中のマスコミ


昨今の我が国における「戦争と平和、そして原発問題を巡る余りにも異様な社会的雰囲気の広がり」を近代史の中で探ってみると、我が国を取り巻く諸条件や環境が当時とは全く異なるとはいいながらも、それは我が国でも愈々ファシズム思想が強まりつつあった1930年代の空気に非常に良く似ていることが分かる。


そして、この二つの時代に共通する現象の一つは新聞等の主要メディアが時の実効権力側(現在でいえば、石原・維新らの偽装極右、原子村、電力&原発メーカー系財労等の交尾・野合勢力)へまるで進んで這いつくばり傅(かしず)くかのように、その殆んどが自ら飲み込まれ、嬉々として実効権力側からの統制を受け始めたように見えることだ。


特に、最も影響力が大きい現代メディアの代表であるテレビは傅くどころか率先し(ごく一部の例外はあるが・・・)、しかも喜び勇んで時の実効権力の広告塔の役目を担っているようにさえ見える。その結果、ごく少数の人々の“客観的で冷静な眼”を除けば、一般の普通の日本国民にとってはとても分かりづらく理解しがたい、そして異様に閉塞的な原発推進へのリバウンドの空気が日本国中にジワジワと滲み出し充満しつつある。


ところで、1930年代の日本では、軍部が中心となってファシズム思想が強まり、彼らは「昭和維新」(昭和の改革)を合言葉にファシズム的な国家改造を夢見ていた。彼らは、ワシントン体制(1921年ワシントン会議と四カ国条約を前提として日本の独占的な中国進出が抑えられた/1930年代の東アジアを巡る国際協調体制)を前提としつつ英米と協調しながら日本の国際外交の展開を構想する国際派の政治勢力を「現状維持ないしは守旧派」として蔑み、自らを「改革派・革新派」と位置づけて胸を張った。


そして、彼らは、対外的には軍備強化による東アジアでの強圧的、制圧的、支配的な軍事力の形成を目指し、国内的には神格化された天皇を前面に押し出して立憲主義的な政党政治(議会制民主主義)を掲げる一派を押さえ込もうとした。


一方、このファシズム体制の中核となった日本陸軍の内部では「皇道派」(天皇直結の昭和維新を実現しようとする、やや観念的・直情的な青年将校らが中心の勢力)と「統制派」(日本の伝統神学的な意味で観念的な皇道派に対し、ファシズムへの現実的プログラムを持つ一派/その中心は東条英機、片倉衷、永田鉄山らで、いわばこちらこそが確信犯的な「明治維新の流れを汲む本流ファシズム」であった)の対立が深刻化していた。


そして、遂に1936年2月26日(昭和11年)、右翼(北一輝西田税ら)と結び皇道派の軍事政権樹立を目指した青年将校たちが、歩兵第1・第3連連隊及び近衛歩兵第3連隊ら千数百名の兵士を率いて、クーデタ「2・26事件」を引き起こした。彼らは、内大臣・斉藤実、大蔵大臣・高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎らを殺害し、首相官邸・東京朝日新聞社などを占拠した。


結局、これら青年将校らの反乱は鎮圧されるが、クーデタの勃発当初に反乱を容認するかのような態度と措置を取った陸軍首脳部は、自らの失態を隠蔽し、事件に対する国民からの非難を逸らすために、決起した青年将校らを速やかに極刑に処す決定を下した。このため、クーデタにかかわった青年将校らは“一審制・非公開・弁護人なし(一種のホモ・サケル状態/法の対象から外された状態)”の「特設軍法会議」で死刑の判決を受け処刑された。


<注記>ホモ・サケルラテン語Homo sacer/ "the sacred man(聖なる人間)"の意味)
・・・イタリアのジョルジュ・アガンベン(Giorgio Agamben/1942‐ /哲学者・美学者・政治学者・思想家)が提唱した概念で、元々は古代ローマにおいてある種の犯罪者を指して使われた言葉。その者を殺害しても誰も罪には問われず、なおかつ生贄にすることは禁じられていた。つまり、犠牲化が不可能(当時の神政社会にとって役に立つ生贄とすることは許されない)であるにも関わらず、彼らを殺害することは許されるという真にフラジャイルな一種の非情な飼い主の支配下に置かれてマゾヒズムを享受する異様なペット状態のような<生>を宿命づけられた人間、それがホモ・サケルである。すなわち、ホモ・サケルとは、例えばフクシマ3.11過酷原発事故で過酷な生命の危機に曝された過半の日本国民のような存在であるともいえる。いわば其れは<法の限界、法の境界、法の不在>において立ち現れる極限的な生の限界概念、生の例外状態をさすものである。


・・・


また、一連の粛清人事によって皇道派系の分子は悉く排除され、寺内寿一・陸相らの「統制派」が実権を掌握し、次いで成立した広田弘毅・内閣のときには「軍部大臣現役武官制」(1900年(明治33)に山県有朋・内閣で制定されたが、1913年(大正2)の山本権兵衛・内閣で廃止されていた)が復活し、これ以降、軍部は内閣の死命をその一存で制することになる。その後、広田弘毅・内閣は「国策の基準」(軍事力による北方進出と南方進出という国策の基本構想)を決定し、そのための大規模な軍事拡張政策を推進することになった。


この「2・26事件」の経緯から透けて見えるのは、一枚上手であった「統制派」が観念的・直情的な「皇道派」のクーデタを狡猾に利用して“殆んど国民から批判を浴びることなく、権力闘争におけるカウンター・クーデタ”を首尾よく“合法的に成し遂げた”ということである。


この辺りは、ヒトラーが一般国民(ヒトラーの魔術的政治により殆どの国民は一種の夢遊病的エクスタシー状態と化していた!)の圧倒的な支持の下で“合法的にナチス政権を樹立した”プロセスと酷似していると見ることも可能だ。ともかくも、統制派は此れによって「皇道派」を抹殺・粛清するとともに英米と協調する形での日本の国際外交の展開を構想するリベラルな政治勢力であった「現状維持派」に対して圧倒的に優位な地位を獲得するとともに、国民一般から大きな支持を得ることに成功したのである。


このことは、“本物”の「偽装極右(追憶のカルト/明治維新期に創設された国体真姿顕現の観念で靖国信仰と重なる/但し、此れが後に皇道派、統制派に分裂した)」(日本の歴史の中で培養されてきた武断的・国家主義的・ファシズム的な思想の系譜、但し此れは正統保守ではありない!)が非常に強(したた)かであることを示唆している。また、これら「偽装極右(追憶のカルト)」には想定される一定時間内で結果を急ぐという短絡的傾向、及び一種のエリート主義・貴族主義的な特権意識(=大半の一般国民を蔑視するという特異なアリストクラシー意識)を持つという傾向が見られ、これは「イラク戦争への突入」を急ぎ過ぎたアメリカのネオコン一派の先制攻撃論的な傾向とも共通する精神環境である。


いずれにせよ、戦前・戦中の日本のマスコミは、この統制派の流れを汲む軍部が掲げた「国策の基準」(軍事力による北方進出と南方進出という国策の基本構想)に基づく大規模な軍事拡張政策(実効権力側が仕掛けた圧倒的な“国策の基準”という聖なる軍旗が発するオーラ)の前に平伏し、遂には、彼らマスコミ自身が率先して開戦論を主張するようになり、やがては軍部の広報機関と化して、継続的な「大本営発表報道」で一般の日本国民を戦争遂行から玉砕戦争の流れへと煽り立て始めたのであった。


2−2 「日本国憲法並びに主権者」についての基本を軽視し、今度は原発ファシズムを国民へ押し付けようとする日本マスコミの罪深さ


橋川文三政治学・政治思想史研究者/1922−1983)によると、そもそも日本固有の伝統的信仰には基本的人権思想に馴染むような感性が備わっていないとされる。それは、本居宣長らの国学の「幽顕思想(顕幽論)http://urx.nu/2nuQ 」や土着的な祖霊信仰の考えによれば、人間は死して初めて独立の自律的主体として行動し得るのであり、生きているあいだは神々のロボット(あるいは低次元の精神環境的存在)に過ぎないからだ。


つまり、日本人の宗教的感性の深奥には「幽事の世界である霊魂共同体に帰属することによってのみ、人間はロボット(あるいは低次元の精神環境的存在)ではなく、人間そのものになる」という考え方が沈潜していることになる。だから、現世で生きている個人の人権や責任などは成り立ちようがないということになり、ここにこそ日本の伝統的神学があることになる。


そして、「2.26事件」を頂点とする軍部内権力闘争で敗者となった「皇道派」の悲劇は、政治的テロリズムの原理を此の<日本伝統の死の神学/幽事(実は、虚無!)の世界における主権の回復>へ向けて過剰に純化させたため現世(実は、統制派的なテロないしはファシズムが支配しがちな!)における神格の主権者たる天皇により粛清された結果と見なすことも可能であるようだ(以上、其の凡その出典は、田中順一著『政治の美学』‐東大出版会‐)。


しかしながら、だからといって日本国民が欧米流の国民主権的・授権規範的な人権思想を受け入れ難いのだということにはならない。それどころか、<明治維新から太平洋戦争、そしてヒロシマナガサキに至る過酷な戦争経験>と、言い換えれば<日本国民自身の血と汗の成果である歴史経験的な意味で代替不能な厳然たる事実の積み重ね>と<欧米型人権思想のエッセンスの継承>を融合させる形で国家の基本構造(Constitutions)を構築し、漸く、日本国民は自らの手で最も先進的な民主主義国家としての、そして自らこそが国家の主権者である日本国憲法(The Constitution)を手に入れたのである。


余談ながら、この意味での日本の伝統神学的な感性の流れの中から、例えば東山魁夷平山郁夫あるいは大江健三郎らのように日本人を超えた東洋人一般ないしは欧米人らも理解ができて広く世界的にも感動を与える可能性が高い美(文)学と心象風景が成立しているので、日本伝統神学的な意味での保守本流の政治が広く世界中の人々の共感を得る可能性は十分にあると思われる。従って、<原発は些細なことと抜かす石原慎太郎の「追憶のカルト的虚無信仰」は、決して文(美)学などではあり得ず、その先に表象し得るのは、精々のところ殺人的に超過密立地する原発がとめどなく排泄する高濃度汚染放射性廃棄物に塗れて歓喜の雄叫びをあげる変態スカトロジーの世界である(画像『東山魁夷のイメージ』は、http://urx.nu/2nuI より転載)。


(関連情報)


マスメディア<待望(太陽?)の季節>で更に原発を屹立させるのか?/放射能垂れ流す原発54基の超過密立地でなにが美しい国土を守るだ!ならば石原はグンニャリして超危機的な4号機の傍に住んで国土保守と自らの一物保全の手本を見せればよかろう!⇒石原80歳で大望(号外まで出したメディアの待望では?)の季節、原発の雄々しき屹立(勃起)で国土を守る・・・で、何か文句ありますか?朝日新聞・全面扱10/26 http://urx.nu/2nuP


・・・


一方、明治維新政府が誕生した頃とほぼ時を同じくして創作された「国体論(真姿顕現思想による)と靖国神社信仰(明治政府は1879年(明治12年6月4日)に国家神道の中枢として日本の伝統的神学ならぬ、主権者たる天皇を神と奉じる靖国神社を創設)」を継承する統制派の合法的カウンター・クーデタ(ファッショ・テロリズム)こそが、日本を爾後の悲惨な太平洋戦争へ引きずり込んだ 犯人との見たてが可能である。


因みに、「国体論」(または国体思想、真姿顕現思想)とは「開闢以来の日本の国のあり方が世界の中でも特殊な存在であり、しかも、その国家としての優秀性は他に比類がなく、万世一系天皇の統治こそがその正統性を保証する」という、まことに強固ながらもナチスゲルマン民族意識に匹敵するエキセントリックで偏狭な信念を主張するものである。


些か脇道へ逸れるが、1850年(国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、宰相サヴィニーのとき)に、王権に対する「授権規範性」が意図的に排除され、「ゲルマンの純血と民族・伝統精神」への憧れと「神聖ローマ帝国の栄光」の復権という二つの根本原理をアウフヘーベンした「新しいプロイセンナショナリズムの熱気」(ナチズムへ向かう予兆のような空気)が仕込まれる形で「プロイセン憲法」が制定されている。


この「プロイセン憲法」の大きな特徴は次の3点(★)にあるが、やがて、この独特の「プロイセン憲法に潜むナチズムへ向かう予兆のような空気」が、当時のプロイセンを訪ねた伊藤博文らを介して「大日本帝国憲法」のなかに流れ込むことになる。因みに、下記の三項(★)の中で<国王(皇帝)>を<天皇>に読み替えれば、そのままで「大日本帝国憲法」の根本理念となることにも驚かされるはずだ。例えば<国王(皇帝)の大権>は<天皇の大権>と同義になる。


★国王(皇帝)の権力は神の恩寵によって授与されたもの(神権政治としての最高権力)と規定されている。
立法権は国王(皇帝)と両議院(衆議院貴族院)が共同でつくるものである。(見かけだけの立憲君主制
★しかし、行政権は国王(皇帝)のみにあり、国王(皇帝)は法案の拒否権を持つ。また、国王(皇帝)は緊急勅令を出すことができ、大臣を任免する大権を持つ。(国王(皇帝)の権力はすべての政治的権力の頂点にある)


ともかくも、1882年(明治15)に伊藤博文らは、「大日本帝国憲法」(1889年公布)起草の参考とすべく、憲法事情及び西欧各国の諸制度(軍制、法制、官僚制、機密事務を扱う官房など)の調査を目的に、ある意味で、このように異様な政治的空気が満ちた時代のプロイセン王国(その国王がプロイセン・ドイツ第二帝国の皇帝)を訪ねたのであった(プロイセン憲法を巡る問題についての詳細は下記◆を参照乞う)。


◆toxandoriaの日記/点描ポーランドの風景/トルン・マルボルク編、2010.7 
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100912


閑話休題 ともかくも、このような「国体論」の考え方が国家経営のための理念として明確に姿を現したのは明治維新政府が誕生した頃だ。そして、この「国体論」が国家の柱として重視するのが次の3つの内容で、ここから「忠君愛国」という、かつて太平洋戦争を戦った時の日本国民の絶対的な義務を当然視する特殊観念が導出された。結局、この「忠君愛国」の精神によって天皇を頂点とする日本国の「国体」を守るために軍事力を行使し須らく日本国民は一兵卒として「国体」のために戦う義務があるという考え方が「軍事的国体論」ということになる。


(1)絶対的な天皇主権は永劫不滅である
(2)日本国統治の基盤は、天皇を頂(いただき)とする温情豊かな情誼に基づく君臣関係(お上の寵愛を拝受することに感謝しつつ低い身分の者が上の者に盲従する関係)である
(3)日本文化史の頂点を飾るのは、大和民族という優秀な単一民族万系一世の皇室の下で築き上げた、他に類を見ぬほどの優れた伝統を誇る国風文化である


そして、この「国体論」が頂点を極めたのが、1931年(昭和6年)の「満州事変」勃発以降に明確となった「日本軍国主義」体制(軍事的国体論の実践体制)であり、それに続く出来事が「太平洋戦争」への突入であり、結局それは「第二次世界大戦」の敗戦、ヒロシマナガサキという近代人類史の悲劇的エポックにつながったのである。


従って、いまマスメディアが総掛かりでポスト野田政権の受け皿と見立てる<明らかに偽装極右(追憶のカルト)型の発想で石原らが掲げる国体維新並びに原発推進を謳う第三極>を煽り立てるのは異常である。そこには、第三極なるものの理念と具体的な諸政策についての検証・批判がスッポリ欠落している。つまり、現代日本の主要マスコミは、現行の「日本国憲法並びに主権者」についての基本理解を完全に無視ないしは軽視していることになる。


それどころか、どんなに少なく見ても、国民の過半以上が脱原発の意思を持つことが明らかであるにも拘らず、ここにきて主要マスコミが<明らかに偽装極右(追憶のカルト)型の発想で石原らが掲げる国体維新並びに原発推進を謳う第三極=原発ファシズム国家(国体維新)の実現>を煽り立てるのは余りにも異様であり、無責任の極みである。このオゾマシイ光景が日本の現実だとすれば、それは、<大本営発表報道>と<原発安全神話報道>の失敗の飽きもせぬ繰り返しということに他ならない。


また、これは些か穿った見方となるかも知れぬが、いまや主要メディアが「第三極」の中核として必死で煽り立てる石原慎太郎大阪維新の「偽装極右(追憶のカルト)的精神環境の不可解な側面/ご御都合主義にも、彼らの場合は米国型の過剰な市場原理主義とも共存している?」は、あの「統制派」に近い一種の打算と道具主義的な狡猾さが感じられ、少なくとも三島由紀夫の美学(皇道派の国体維新に近い精神環境)とは無縁であるようだ。


(関連情報)


都議会新会派「東京維新の会」(民主・自民を離党した3人プラス、)は4日都議会第3回定例会最終本会議で戦前の<大日本帝国憲法の復活を求める請願>に賛成。請願は日本共産、民主、自民、公明、生活者ネット・みらいなどの反対で不採択。http://t.co/XxPbx8H3  hanachancause


posted at 11:44:14 2012年10月05日/維新、自民の本性は時代錯誤穴クロ!⇒@tokaiama<大日本帝国憲法復活請願>に「東京維新の会」が賛成http://t.co/p2iAjJIP 占領憲法と占領典範の無効確認を東京都議会に求める請願集会(ここに自民党西田昌司参院議員の名が・・・)http://t.co/pYPYSriV  hanachancauseposted at 04:43:47 2012年10月09日


・・・


ともかくも、今や此の無責任でオゾマシイ光景は単なるマスコミや原子村の失敗の繰り返しということでは済まされぬ非常に深刻な状態となっていることを指摘しておかなければならない。それは、<野田総理のフクシマ収束宣言>にも拘らず、現実には、日本列島に立地する50数基の原発並びに原発関連施設がもたらしつつある現実の脅威によって、<日本国民の殆どが一種のホモ・サケル状態=法の限界、法の境界、法の不在において立ち現れる極限的な生命の危機へ確実に陥れられている(一種の棄民状態になっている)>ことになるからだ。


・・・以下は、<日本国民の殆どが一種のホモ・サケル状態=法の限界、法の境界、法の不在において立ち現れる極限的な生命の危機へ確実に陥れられている>ことを示す事例である。


(1)『日本は事実上の原発戦場=日本列島の殆どは原発から100km圏内に収まる』


添付画像は、http://urx.nu/2krG より転載。・・・原発の緊急防護措置準備区域(UPZ)が30キロ圏内に拡大されたが、福島原発事故では200キロ離れた所まで高濃度放射能汚染が広がった。仮に、日本の各原発から100キロ圏の円を描くと、北海道の一部を除き、日本列島では50数基の原発が立地する限り安全な場所はほとんどないことが分かる。つまり、日本列島は<全国民の命が人質に取られた形での事実上の原発戦場>なのだ。


つまり、メディアがポスト野田政権を見据えるかの振りをして、その中身を一切語らず、ひたすら外形的に第三極を煽り立てるという今の日本の異様な空気の中で<原発ファシズム国家>が現実化する可能性が高まっているといえるだろう。尤も、それも此れも全ては全国民自らの覚醒しだいなのであるが・・・。ともかくも、ここにきて、急転直下で主要マスメディアが<『石原・橋下維新・安倍自民・立ちやがれ・みんな』ら偽装極右型・第三極の勇ましさ>を喧伝し始めたことには、明らかに隠された意図があると見るべきだ。


結局、それは真に残念なことではあるが、我われ一般国民自身が敗戦(太平洋戦争経験)、ヒロシマナガサキ、フクシマ3.11という真に過酷な現実経験をすら他人事視するばかりで、それが買弁(隷米)型支配の賜物であれ何であれ、只管、お上に縋り付く親方日の丸方式へ頼るしか能がない非自律的な性(さが)を背負う民族であることの証左なのかも知れない。


従って、<惨事便乗型資本主義(過剰な市場原理主義http://urx.nu/2mEN )へ傾斜しすぎたため政治・外交・財政・経済的に困窮化した、そして未だに原子村・産軍複合体マネーに政治が牛耳られる宗主国・米国>が、まことに御都合主義的に手のひらを返して日本の改憲勢力脱原発運動の封じ込めに利用しようとし始めたことにすら殆どの日本国民は気がつかないのだ。


例えば、<UPZ(緊急防護措置準備区域)設定による原発事故想定の住民避難訓練>は、それ自体の必要性はあるというものの、根本から考えれば、先ず<其れ自体=UPZ設定による原発事故想定の住民避難訓練>が真に不可解なことに見えなければウソの筈だ。フクシマ3.11原発過酷事故にも拘らずという観点から見れば・・・。


つまり、何故に日本の全国民(いつ収束するかも分からず(野田の収束宣言は真っ赤なウソ!)、今も続くフクシマでの過酷な放射能汚染の現実を考えれば30km圏の設定など子供騙し程度の意味しかないというのに!)が此のような一種の非常事態(臨戦状態)下に置かれているかを考えれば、先ず、慌てず冷静に<脱原発の目標をシッカリ決めることが肝心であること>は火を見るより明らかだ。そして、先ず脱原発を決めてからの<原発事故想定の住民避難訓練>は十分に有意義なこととなる筈だ。


だから、<此の大きな矛盾点の明らかな放置>の中にこそ<安倍自民党ら偽装極右型・第三極の憲法改正案の核心=憲法から授権規範を消去して首相への全権委任を規定する/非常時における与党以外の非合法化、同じく選挙の無期限停止、立法権司法権を含めた完全な首相独裁制の制定=日本原発ファシズム国家の完成>という内外(日米)原子村勢力と深く野合した実効権力側の野望(隠された狙い)がハッキリ見えていることになる。


(2)【菅さんへの好悪の感情は脇へ置くとして、あの時(フクシマ3.11直後)の宮城県住民としての個人的に追い詰められた逃げ場ナシの恐怖感を振り返れば(同条件でも無関心な人々が意外と多いことにも驚く!これでは御用メディアと原子村&電力会社の餌食だ!)、客観的に傾聴すべき内容だ!しかも、4号基問題は其の儘だし!】たしかに、殆どの国民が電力会社・原子村によるアンチ脱原発の空気拡大策略にメディア総ぐるみで嵌められた可能性が大きい!RT @umeko23: モーニングバード、菅さんに、ぎりぎりのインタビューしたな。たかじんの番組でもそこまで突っ込めたか?http://urx.nu/2mF1(参照、下記◆)
◆最高責任者が直面した原発事故の恐怖とは?(そもそも総研、たまペディア)
http://urx.nu/2mAR ← お手数ですが、ここをクリックして動画(Daily Motion)をご覧ください!!


(3)原発立地に纏わりつく「二つの距離の問題」http://urx.nu/2mGK


原発立地に纏わりつく「二つの距離の問題」とは「原発立地の物理的距離」と「時間的距離」の問題である。まず「原発立地の物理的距離」についてだが、これは更に「文字どおりの物理的距離」と「意識距離」の二つに分けられる。前者の典型は、先に述べたフクシマの過酷化による首都圏3千万人の避難の問題であり、直接的な原発立地地域に限れば、その典型は此の章の冒頭で取り上げた、東日本大震災による津波で外部電源を喪失し冷温停止まで3日以上かかった東海第2原発に関わる緊急防護措置区域(UPZ)と予防防護措置区域(PAZ)のような問題である。


この「原発の物理的距離」とは、原発立地によって<日本国民全員が、表面的な平和状態の日常生活にもかかわらず、いつ何時にそれが現れるか見当もつかぬうちに、突然、原発に由来する局地戦の状態が出現・拡大し、それに否王なしに我われ自身が巻き込まれることになるという国内から勃発する核戦争への臨戦状態が常在する異常環境に曝されている>ことを意味する。しかも、いったん、この原発による局地核戦争が勃発・拡大すれば、国民主権は言うまでもなく、地方自治主権も、国家主権も瞬時にして失われてしまうことは明らかである。


そして、その物理的距離がもたらす脅威から逃れることが如何に困難を極めることになるか、あるいは瞬時にしてそれが国際規模の避難問題に発展する可能性があるということについては、先に見た東海第2原発の危機に起因する茨城県の避難計画の恐ろしいほどの困惑・混乱ぶりと、フクシマ3.11に起因して今も続くと見なすべき首都圏3千万人以上の避難可能性についての危機的状況が、その典型事例を提供している。


もう一つの「時間的距離の問題」とは、原発問題では、放射性物質半減期などについて我われの日常性と非常にかけ離れた数字が出てくるということだ。しかも、このことは、原発労働者や原発立地近隣の住民らにとっては周知の事実であった訳だが、東京などの大都会に住む人々にとっては日常感覚的に縁遠い問題であったという意味で、「心理的な距離、心理的な地域落差」の問題にも重なる。しかし、これらの問題が常在するという恐るべき現実(つまり、原発立地イコール核戦争の臨戦状態であること)をフクシマ3.11は一気に切り裂き抉り出したということになる。


ところで、野田政権の<新エネ・原発ゼロ政策(閣議決定ナシ)>に対して、米国が、中国などが日本に比べ核技術拡散防止に取り組まなくなる可能性があるなどの理由で反対しているということが盛んに報じられているが、この一連の報道には、なにやらとても居心地が悪い一種のヤラセ的な空気が漂っており、遂には、ヤラセどころかアーミテージが露骨に恫喝の姿勢を見せ始めている。そして、それこそが生政治権力が牛耳るメタ日米安全保障条約とでもいうべき<暗黙の相互補完的意志が仕掛ける、そして米日中に跨る原発安全保障(潜在核保有戦術)型のマクロ・エンクロージャー戦略>の証だと見なすべきだろう。
・・・米・産軍複合体が日本国民の命を質に取る「生政治」戦略型の冷酷な強迫!←<唯一の有効撃退法はフクシマ3.11の現実を直視し続けるぞという明快な国民意思>の表明!⇒「日本は原発を放棄するな」“アーミテージ報告書”驚愕の内容 | ビジネスJ. http://urx.nu/22t3


(エピローグ)「国民の生活が第一」の「脱原発」関連の動きに見える希望のトポス


(1)白ネコでも黒ネコでも脱原発法支持は良いネコ/小沢一郎氏と河合弘之弁護士のドイツ視察・その1(明日うらしま/在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎の反核覚え書き)http://urx.nu/2my8 (添付画像『メルケル首相「新しい地平です」9月17日ベルリン』は、http://urx.nu/2my8 より転載)


・・・以下、http://urx.nu/2my8 より内容の部分転載・・・


その1:ドイツの最近の再生エネルギー促進状況


メルケル首相の連邦記者会議での恒例の夏休み明け会見は、今年はギリシャ金融危機などへの対応で大幅に遅れ、ようやく9月17日になって行われました。
内外の記者数百人が押し掛ける会見では首相は、ほぼ二時間にわたり、ありとあらゆる質問にとみに貫禄を示して丁々発止と答えたものです。最近では彼女の辣腕ぶりに「メルキャリズム」(シュピーゲル誌)というマキャベリズムへの掛詞まで現れています。


さてこの日、 最近のドイツでの再生エネルギー過剰促進に関する質問がありました。昨年のフクシマ事故を契機にした22年までの脱原発政策によって、ドイツでは再生エネルギー発電部門の成長に拍車がかかり、特に太陽光発電が連邦環境省の予測を大幅に越えて急成長。太陽光の強い夏の正午前後には電力の供給過剰で自由取引市場で値崩れが起きて、火力発電などが競争できない市況にまでなる事態が出現しています。それに加えて再生エネルギー発電への促進法での固定買い取り価格の付加金が増大し、一般家庭の電気料金が大幅に上昇しつつあります。


これについて首相は「この状況は予想できませんでした。私たちが行っている脱原発による持続可能社会への過程は全く新しい地平です。解決の方法を検討しなければなりません」と答えています。首相はここでは触れませんでしたが、事実この夏前には、環境省関係で実績のある専門化などを中心に、独立した民間シンクタンクが新設され、再生エネルギー促進のマーケットデザインの研究が始められています。


家庭用電気料金の負担に関しては、一世帯あたりの電気料金が最近では年間で6000円 ほど、値上がりすると予測されており、国民が脱原発実現のためには「一月に一杯のカプチーノ代金ぐらいの値上がりを受け入れる用意がある」(南ドイツ新聞)との、これまでの意見もそろそろ限界に近づきつつあるようです。


そこで最近、アルトマイヤー環境相は、再生エネルギー促進法を大幅に修正し、付加金を下げる提案を表明しました。これに対して野党は猛反発。先週の金曜日には緑の党の首脳が記者会見しました。


緑の党のトリティン共同党首 (元環境相)は、アルトマイヤー大臣の考えは間違いであるとし、再生エネルギー促進のための付加金を削るのではなく、電力の大量消費するアルミ産業なのどへの低料金特例に便乗している部門の特権を見直すべきであると主張しました。大手銀行のコンピューターセンター、大手の屠殺場など食肉産業などは、一般家庭と同様の料金を負担すべきであるとの意見です。


ドイツでは来年9月の総選挙まで一年を切り、そろそろ政党間の論戦も選挙がらみになりつつあり、この問題も選挙戦のテーマの一つとなりそうです。


ホェーン議員「日本の皆さんへよろしく」
この会見にはこの夏、日本の緑の党結成に駆けつけた緑の党連邦議会会派代表のホェーン議員と、彼女の後継者であるウエストファーレン州の環境相女性も地方の再生エネルギー促進の現状を説明するために参加していました。


会見後に、日本訪問へのお礼を述べますと「日本では新たに政党を結成するのは大変困難であることもわかりましたが、日本市民の反原発の意思は固いことも体験したので嬉しくおもっています。私たちも継続的にその思いに寄り添うことが大切です。日本の皆さんへよろしくと伝えて下さい」との返事がありました。訪問中にかつて彼女を訪問した弁護士のどなたかと合って会談したとものべていました。日本は非常に近くなったようです。


さてこのようなドイツに、一昨日から「国民の生活が第一」の小沢一郎党首以下国会議員団が視察に訪問しています。昨日10月17日にはアルトマイヤー環境大臣と会談し、冒頭の写真の太陽光発電施設を視察して→日本でも早速多く報道されています。


実は、この視察には脱原発基本法を練り上げて国会提案し、継続審議に持ち込んだ河合弘之弁護士も同行しており、久しぶりにベルリンでお会いしました。河合弁護士については→以前紹介しましたのでお読み下さい。


この訪問について一般メディアが報道しない視点から続けて明日報告します。


(2)白ネコでも黒ネコでも脱原発法支持は良いネコ/小沢一郎氏と河合弘之弁護士のドイツ視察・その2/追加・「一郎くんを見直した」関連記事紹介(明日うらしま/在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎の反核覚え書き)http://urx.nu/2myi (添付画像『ドイツ国会議員と会談を終えた小沢氏と河合氏の満足感が見えます』は、http://urx.nu/2myi より転載)


・・・以下は、http://urx.nu/2myiより内容の部分転載・・・


その2:脱原発法の鈴をつけた国会議員のベルリン視察訪問


独国会議員会談の日、国会前広場の紅葉。奥はポツダム広場の遠望。10月18日。
さて、昨日の続きですが、まずは二枚の写真をご覧ください。今週明けのベルリンの天気は、気温も下がり悪天候でしたが、「国民の生活が第一」の小沢一郎氏らのドイツ脱原発視察団が到着した日から好転し、二日目の昨日はご覧のように、ドイツ語で「黄金の10月」と呼ばれるにふさわしい紅葉が政府中枢の広場でも堪能できました。このような好天には、ほんの数日しか恵まれません。


ドイツ国会議員と会談を終えた小沢氏と河合氏の満足感が見えます。
10月18日の午後、連邦議会環境委員会の委員長らと議員会館で会談を終えた5名の訪独団のみなさんには、ドイツでは脱原発促進政策だけではなく、文字どおり天も味方したかのようです。気温も18度まで上がり、コートも不要なほどでした。


小沢一郎氏の紹介は必要ないでしょうが、訪問団に参加している河合弁護士は、フクシマ事故後に脱原発弁護団全国連絡会を呼びかけ代表となり→脱原発全国ネットワークでは、先月、会期末の国会に提案され継続審議となっている脱原発基本法案を海渡雄一弁護士らとともに超党派の国会議員を巻き込んで市民議員立法として作り上げた、日本の筋金入りの反原発弁護士の代表格であることを、あらためて強調しておきます。


以下10月17日、18日のベルリンでの様子を、多くの日程の中から拾って、重点的に写真で紹介します。


17日の太陽光発電施設の視察
視察第一日目のこの日は、正午、アルトマイヤー環境大臣との会談(これは日本からの随行記者皆さんがすでに報告している通りです。ケチくさく、けしからんことに会談本体には日本大使館関係者だけが傍聴し、記者団は会談前後のぶらさがりの取材しか出来ませんでした。今度アルトマイヤー大臣に合う機会に苦情を言っておきます)を終えた午後、ベルリン近郊の昨年末に完成したばかりの太陽光発電施設を視察しています(前項のその1の冒頭の写真がそれです)。


施設に着いた両氏。
ここの施設は、ベルリンのシュパンダウ地区の郊外にある有限会社→Saferay社が、昨年末に約2ヶ月の工期で建設しています。同社は2010年から世界中に太陽光発電施設を建設している新しいベンチャー企業のひとつです。


会社の目的としては、ドイツではエネルギー促進法(EEG)で再生エネルギー施設の建設営業には国からの援助特典があるが、それが消失するのを待つ前に、援助なしで自社投資だけで採算が取れる施設を実現しようとすることにあるとのことです。つい最近にはこの部門の商敵である中国にも進出しているとの説明がありました。


さてここの施設は、1930年代には、世界一周した気球船ツェッペリンの飛行場であり、戦後はベルリンの壁に沿った旧東ドイツ軍事境界線緩衝地帯となったため、壁崩壊後も空き地であったところを利用して建設されています。今でも滑走路跡が残っているとのことです。そこは雑草が生えにくいのでありがたいとのことでした。


日本大使館の広報担当官もメディアの多さにびっくりしていました
この発電施設の発電能力は21メガワットで、太陽光モジュールはドイツのキューセルズ社のものです。小沢氏と河合氏の発電能力に関する質問への答えでは、このモジュールは太陽光の強い例えば南米のチリでは北国のドイツの2.5倍ほどとなり、日本ではそのおよそ中間ほどでしょうとの説明がありましたが、ここでは正確に通訳されていませんでしたので補完しておきます。


広大な施設を見学したあと、記者団のインタッヴューが始まったとたんに、薄曇りの間から陽が射し始めました。

小沢氏はどうやら陽のあたる人物のようです。質問に答えて「日本では太陽光発電も良いですが、 わたしの地元の岩手でも温泉地の地熱発電がドイツよりもはるかに有望だと思います」などと良いご機嫌で答えていました。


わたしはこの人物に初めて合ったのですが、タフです。日本との7時間の時差など無かったように昨夕に到着したばかりのこの日も、早朝からベルリンの中心を一時間ほど散歩したとのことです。


消費税が原因とはいえ、脱原発でももたつく民主党を割って新党を結成 し、脱原発の旗を揚げて、河合弁護士らの能力に注目して脱原発基本法案の国会提案に飛びついた政治感覚はなかなかのものです。ドイツを視察して、脱原発構想が夢想ではないことを実感すれば、間違いなく増々タフになるでしょう。


ついに陽の当たる河合弘之弁護士
河合弁護士といえば、このブログでも早くから紹介しましたが、何度も日弁連環境部会のドイツ視察でお会いしています。ずいぶん前からわたしは通訳もかねてドイツの初期の太陽光発電や、最新の原発の視察につきあったものです。


今回の訪問の連絡が事務所から あったので取材に出向きましたが、この日も施設の入り口を小沢氏と並んで入って来たとたんに、わたしを見つけてカメラの放列の前で「やーやー、梶村さん」と走って来て握手されたり、国民の生活が第一の副幹事長の松崎哲久衆議院議員には「この人はドイツの脱原発の生き字引だから」などと大げさに紹介されたりして、何度も面食らわせられました。これには、お互いに何十年も前からの高木仁三郎学校の生徒であったことが背景にあります。


高木氏から学んで、何十年も原発差し止め訴訟で敗北に敗北を重ねて来た苦労と怒りが、この人物の今日のものすごいエネルギー源です。この日久しぶりに合って、請われて撮った写真は、ドイツの脱原発の「陽の当たる河合弘之」のポートレイトとなっています。このような河合氏の表情は滅多に観られないのではないかとおもいます。


この日、彼がわたしにぶつけた最初の質問は「ドイツ人はどうして反原発意識が強いのか理由がどうもわからない」でした。歴史的背景を説明して「それは二度と故郷を失いたくない。もう一つは二度と加害者にはなりたくないという歴史認識が根本にあるからです」というのがわたしの回答です。これについては→「フクシマが日本社会に問いかけるもの」を参照して下さい。

8日のドイツ連邦議会環境委員会の与野党議員との懇談。
二日目はドイツの商工会議所などとの懇談がありましたが、ここでは議員会館で行われた、ドイツ連邦議会環境委員会の与野党議員との懇談を取り上げます。


この模様は一時間足らずの短いものでしたが、記者にも公開で、ありがたいことにIWJで 平山茂樹さんが実況中継されており、録画も観ることができます。二つにわかれていますが録画は→ここと、→ここです。 長いものではないので是非ご覧くださり、ネットで拡散して下さい。平山氏は残りの南ドイツでの視察も中継録画されるようです。感謝します。


ここには緑の党の代表委員としては、もちろん前項でも紹介しましたようにバーベル・ホェーンさんが話しています。この会談での彼女の特に大切な発言は、ドイツでは再生エネルギー促進で、発電主が大企業の独占体制から、発電の民主化の実現として地方自治体と市民の手に徐々に移行しつつあるとの指摘です。今では風力や太陽光発電の普及で、発電主が全国で100万人ほどになっており、その11%が農民である。このようにして地方経済の活性化に有効である、との指摘でしょう。


この日の通訳の女性は非常に優秀な方ですが、朝からの疲れもあってか、日本を良く知っているホェーンさんが「Atomdorf=原子力村」という日本語のドイツ語直訳を使った時にとまどっておられました。原子力村はいまや日本の原子力ロビーの代名詞として世界中に知られているのです。


議員懇談を終えて。国民の生活が第一訪問団4名のみなさん。右が松崎哲久議員。背景は国会議事堂。


さて、懇談を終えた小沢氏に、感想を聞くと「日本では期限を決めた脱原発政策を持っているのが我が党一つだけであることにドイツの議員さんは驚いていたようだ」との感想でした。議員会館前でのインタヴューでは、会談で出された日本の増加するプルトニウムの問題に関しての質問に対し「原発を維持してプルトニウムを保持することが日本の抑止力となるとの主張があるが、内外に余計な誤解を生むだけであるから、そんなこことは発言すべきではない」との旨の返事がありました。


これは正論であり、わたしも全くその通りであるとおもいます。最近のこの手の発言は、ドイツのメディアでも極右政治家の本音として報道されています。日本を危険視しているのは決して中国、韓国などアジア諸国だけではないのです。


このような小沢氏の表情は珍しいでしょう。
終わりにドイツの日本人記者の長老である永井潤子記者が、ベルリンの印象を尋ねますと、「緑が多くて本当に奇麗ですね」と破顔一笑され、翌日から南ドイツへでの視察のため空港へと一行は向かいました。


そこでは、廃炉が決定し稼働中止したの原発と、再生エネルギーで電力の自給自足を実現している自治体を視察する予定です。


この訪独団は日本の圧倒的多数の願いである河合弁護士らの苦心による 脱原発基本法という希望の鈴を進んで身につけて実現しようとする日本の政治家の方々です。


80%の市民が脱原発を支持し、再生エネルギーで持続可能な社会を実現しつつあるドイツの現場を訪れて、この構想の実現こそが危機にある日本が立ち直る、最善で最短の道であることを小沢氏らは確信されるでしょう。


また、ドイツでは、大飯の再稼働にもかかわらず、日本がドイツを追い越してもっと早期に脱原発を実現するのではないかとの見通しもあることを皆さんに伝えておきました。知日派のドイツ人は日本人には思いがけない能力があることもよく知っているのです。


日本の皆さん、白ネコでも黒ネコでも脱原発法を支持するネコは日本を救う良いネコです。近いうちに、おそくとも来春あたりには総選挙があるでしょう。市民の力で政治家たちに脱原発基本法という鈴をつけて回りましょう。国会議員の過半数が鈴をつけるか否かに日本社会の将来はかかっています。


Lara Fabian - Lou - Concert Moscou 2010