toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

新国家観が欠落する偏狭『AI万能GDP600兆円の未来/アベノミクス教』は日本瓦解のプロセス!一方、啓蒙主義ルネサンスを説く『民主主義の内なる敵』の著者、T.トドロフは『日常礼賛』で未来の可能性を見据える

toxandoria2016-11-07





・・・画像[オランダの光](映画、ピーターリム・デ・クローン『オランダの光』よりhttp://urx.blue/zoq3/ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』については、後述する((2−1)を参照乞う)。


<補記>「瓦解(がかい)」は、“要(かなめ/pivot)の瓦が一枚壊れただけで、その屋根瓦の全体が崩落し破壊される”が原義であることから、ここでは「ワンポイント(閉鎖系一極)主義、排他主義、独善(傲慢一元)主義」(多元主義の反対)の脆弱性の意を強調するため使った。


(プロローグ)政治・文化・経済ニューフロンティア、“啓蒙主義ルネサンス”は1%派の饗宴(ダンテ地獄変の世界)ならぬ、一般国民の『日常礼賛』がもたらす



     
・・・ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』(白水社)の表紙を飾るのはピーテル・デ・ホーホ:『母親と少女』1659-60(一枚目)、フェルメール:「窓辺で手紙を読む女」ca.1659(二枚目)、「牛乳を注ぐ女」ca.1657(三枚目)




   
・・・ピーテル・デ・ホーホ『箪笥の傍の婦人たちのいる室内』1663(上)、レンブラント:「織物商組合の幹部たち』1662(下)


・・・当記事の動機となったツヴェタン・トドロフの両著、『日常礼賛』(17世紀オランダにおける“日常生活”充実への市民のこだわり)、『民主主義の内なる敵』からの学び/それは、何事につけワンポイント主義で全てが解決することはあり得ず、啓蒙主義の精神をハートランドとして絶えざる日常性(生活)の維持と充実を求める市民層の多元的で強い自律意思(共生志向の主権者意識)にこそ、普通一般の人々の日々に新たな民主主義への希望(アナクロニズムの対極)があるということ。・・・




 
 
・・・因みに、ワンポイントで全ての現実が動くという異常情念が支配する思考回路に嵌り出現するのがマッド・サイエンティストだが、それはAI学者、生物化学者(ロードショー公開中の映画『インフェルノ』(ダンテ地獄編)のテーマはコレ!http://ur0.pw/zski)ら自然科学者に限らず、人文系でも日本会議に連なる学者らは、おそらくそれと同類の思考回路の人々(マッド・リテラリー・サイエンティスト)だと見るべきだろう。・・・


・・・


写実主義と寓意的意味という二つの狭い視点だけでしか一般に風俗画とも呼ばれる17世紀オランダ絵画を見ることはできないのだろうか?」というのが、ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』の出発点(同書を書く動機、多元的な眼差し)であった。トドロフはそこに共通する<日常生活のジャンル>のなかに存在する、豊かさへの節度ある願望が持つ尊厳性に気づいたのだ。


つまり、「写実、寓意(道徳、啓蒙)、画家自身の眼という三要素がもつれ格闘(entangle)する過程の中に画家たちは三つの夫々に還元できない、ある種の新しい人間的な美意識を伴うリアルな文化・経済価値を創造する作用を発見した」とトドロフは主張する。もっと言えば、これら三つの要素と中間層市民の『日常生活(の礼賛、へのこだわり)』という個々の異なるエトノス(世界観)の緊張関係の中で彼らは次々と「美意識と多元的な経済価値のフロンティア」を発見し続けたのである。


より大きくとらえるならば現代にもつながる人間の営みの普遍性であり尊厳性でもあると見るべきことで、それは<資本主義経済の持続性(および結果としての成長)を請け負い保証するプラットフォームが普通一般の市民層の日常生活>の中にこそあるという発見であった。


言い換えれば、それまで圧倒的な宗教の支配に従属していた人間の本質的なもの、人間の自由意思と正統な宗教意識の適度な調和と距離感を実現する啓蒙思想(相互の信頼と信用を保全する共同主観性としての政教分離の理想)にこそ馴染む、多数派市民層を中心とする“日常生活”の意義の発見ということだ。無論、この当時のオランダの「政教分離」は未完の発展プロセスの途上ではあったが。


そして、それに必要な一定限度の貨幣「量」およびその多数派層の市民(17世紀オランダの場合は各自治都市の自律意識を持つ市民層)の日常生活を支え得る、過剰(バブル)にならぬ程々の貨幣流通「速度」(経済学的には、同一の貨幣が一定期間内に何回持ち主を変えるかの平均で、貨幣の『所得速度』とも呼ばれる/実は、現代でも忘れられてきたがかのケインズがこれを最重視していた!)の確保の意味(重要性)の再発見にも重なることだ。



ここで観察される現象は、この時代が独立戦争(1568〜1648)を機にオランダの国民国家フレームが完成しつつあったことを考慮すれば、未だし20世紀の福祉国家の観念までは程遠いとはいえ、財政学者・井手英策氏が著書『経済の時代の終焉』(http://ur0.work/zq0I)で、安倍政治の“アナクロ新自由主義”癒着なる逆噴射政策の欠陥を批判しつつ今後の日本の方向性を指摘した「成長は国民の“日常生活”行動の結果なので、あるべき財政学の観点からすれば先ず相互扶助・再分配等で市民生活へ安心感を与えるという国家財政の役割を根本から再考慮すべし」と説く議論の歴史的原点であるとも言える。


かくの如く17世紀オランダの市民生活(イギリス産業革命から100年以上も前の時代)で何よりも重視された価値は多数派中間層の日常生活(日常礼賛)であった。また、この時代のネーデルラント共和国(ほぼ現在のオランダに重なる)辺りの各自治都市住民の『日常生活』ニーズは衣食住の満足だけではなく一定の経済価値を伴う新たに発見され続ける芸術(美)的価値(特に絵画)等がそのジャンルに入っていた。


このため、中産層市民の各家庭では少なくとも1〜2枚以上の絵画作品を所有しており、17世紀のオランダでは既に他国に先駆けて画商の活躍が活発であった。が、この意味での『日常生活』の関わりで、オランダ新教徒内部における神と人間を巡る<自由意思>に関わる論争は現代の<新自由主義>論争(アウグスティヌスVsペラギウス/ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』のテーマの一つ)にも繋がる問題でもあるが、これについては後述する。


無論、この時代のオランダは先駆的なバブル現象(チューリップ・バブル1634〜1637頃)も経験しているが、この時の普通一般の市民層の日常生活の持続が、英国のアダムスミス「国富論」(1776)と中央銀行の誕生(1694/イングランド銀行設立)を遥か100年以上も前に遡ることも注目すべきだ。なお、オランダでは17世紀初頭にオランダ東インド会社(史上初の株式会社)、アムステルダム銀行(紙幣発行権を持つルーツ中央銀行)、アムステルダム証券取引所などが成立していた。


また、この時代のオランダは<国際法の父とも呼ばれるグロティウスが巻き込まれたオランダ新教徒内部での苛烈な「自由意思」論争(闘争)>という過酷な政治・宗教環境ではあったものの、事実上、そのオランダ庶民層の日常を“萌芽期の啓蒙思想と幼少期の資本主義経済”が支えたのは確かである。因みに、先駆的なフランスでさえ政教分離の確立までには大革命(1789)から政教分離法制定(1905)まで約120年もの時間を要した。


表面的に見れば、このようなことは何の変哲もなく他愛もないエピソードかもしれない。しかし、今や「新自由主義に感染した資本主義の変容と暴走」に否応なく日本が巻き込まれつつあることを思えば、重要な歴史経験からの学びとして17世紀オランダ市民層の身の丈に合った『日常礼賛』を再発見する意義は十分にあると思われる。


新自由主義に取り憑かれ過激にグローバル市場主義化したことで、今の我々が資本主義そのものと、その胎盤である立憲民主主義の近未来に大きな不安を抱くことを思えば其処には計り知れぬ重要な意味のあることが分かる。なお、17世紀頃の欧州のオランダ・イギリス等で萌芽した啓蒙思想第一次世界大戦でほぼ壊滅し、我々は第二次世界大戦後に復活したそれに支えられてきたのである。


特に、今や「宗教・カルト諸派らと癒着するその不可解な正体に加え、自らが日本会議神社本庁ら極右の別動隊であること」を前提に「政教一致への回帰」(追憶のカルト)と「壊憲」(国民主権・削除、象徴天皇制・廃止)の意志があることを堂々と主張し始めた、しかも自らのその強権的・暴政的「特異性」でマスメディアと一般国民を恫喝するという異常な政治手法を採り始めた安倍政権の一強支配に粛々と従わされる日本国民が、ツヴェタン・トドロフが指摘する<啓蒙主義と資本主義の揺籃期=17世紀オランダ『日常礼賛』の時代>を再発見することは重要だと考えられる。


1 ヒューバート・ドレイファス&チャールズテイラーのAI(シンギュラリティ)批判


1−1 IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題(情報社会哲学の視点から)


(“情報社会”哲学・倫理の視点)


これは、情報社会論( メディア、情報社会の哲学・倫理・思想的研究)に携わる大黒岳彦氏(明治大学教授)が著書(↓◆1)で提唱した、IOT、AIが席巻しつつある本格的な情報社会化の時代を原理的に検証・批判するために提唱する新たな視点である。



◆1 大黒岳彦著『情報社会の<哲学>、グーグル・ビッグデータ人工知能』−勁草書房


例えば、既に一部の特に過酷な“前線”で実装配備されているとされる「AI・IOT軍装備&ロボット兵器」で派生する軍事技術暴走の問題(AI技術のマッド・サイエンス化)がある。


具体的には、戦闘ロボット(仮想アンドロイド型ウエアラブル武装、あるいは文字通りのロボット兵器)、あるいはAI「自動制御兵器」である。特に、後者は“Go and Forget!”の大リスクに襲われる可能性もある。それは、AI制御のコンマ以下秒の猛スピードに人間が付いて行けぬため尖閣ウクライナら事実上の前線で人的統制不能の状況が出現し予期せぬ開戦へ突入、の恐れがあるからだ。その意味で、安倍政権の積極(偽装)平和主義なる政治理念の劣化、および同関連防衛政策の混迷化と外交力の衰弱は日本を大国難のパニックへ叩き込みかねない。


ともかくも、大黒岳彦氏によれば、IOT・AI技術の独占化(新たなAI装備型グローバルマネー・パワー構造に取り込まれる)による更なる経済格差拡大とそれによる暗黒時代到来(絶望的なまで下部構造が拡大する)の予想も含め、このような「AIによる人間支配の恐るべき近未来図」が懸念される原因は、我々が「情報社会の哲学あるいは情報倫理」の視点を無視し、ひたすら目先(自由原理主義に因る今だけor短期の)利益にのみ目が奪われてきたことにあるといえる。


(IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題を凝視する/特に安倍政権はこの理解が欠落!)


コンピュータ自身が自分の自由意思で外部から知識を取り込むことは、事実上できないが(遠い将来に人間そのもののアンドロイド(android)またはヒューマノイド(humanoid)が実現すれば別だろうが!)、与えられた膨大なビッグデータ(情報)の注入で自ら学習(深層学習/ディープラーニング)することは出来るようになった。


なお、後述のE.O.ウイルソンが「AIの核心技術である回帰分析は「相加条件」(リアル環境下での多様な後天的・双方的影響)を無視する一種の“情念的・観念的”設計原理主義(設計=あくまでも一つの観念、リアル=宿命的に多元)なので、それによるリアル100%の予測は不可能だ!」と警告を発していることは十分に傾聴すべきだ(だから、AI活用は積極かつ抑制的(冷静)であるべき!)。また、AIには宿命的カルマン・フィルターの問題(多変量・特徴量の統計処理によるリーマンショック・自動運転車事故等の原因となったパニック・リスク発生が見過ごせないhttp://urx.blue/zoqH)もある。



つまり、問題はE.O.ウイルソン『ヒトはどこまで進化するのか』-亜紀書房-、小林雅一『AIの衝撃』-講談社-らの指摘どおりで、ディープラーニングの正体が“意外にも”旧来からある回帰分析等の統計処理であることだ。一方、最先端の進化心理学(関連参照↓◆2)等では、同列技法である確率統計を利用しつつ、その限界をも絶えず十分意識して取り組むのが常識化している。


◆2 進化心理学
・・・社会心理学・発生生物学・進化生物学・ネオラマルキズム等との関係が深く、また進化経済学らAIを抑制的に活用する先端知のルーツでもあり、身体の自然エトノスへの適応と同様に、人間の心も生物学的な進化の産物であると理解する心理学。
・・・21世紀に入り、特にAI研究の深化等と共振しつつ急速に発展する「文化進化論」のルーツの一つになった(委細は、コチラを参照 ⇒2016-08-22toxandoriaの日記/『記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追憶のカルト!新鮮な生命が持続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160822)。


・・・


その意味では、例えば「人間がAIと違うのは高度な読解力があること」という理解を前提に国立情報学研究所が教育関連企業らと共同で新たな研究所設立の準備を始めたのは評価できる(読解力伸ばせ、産学連携 国立情報学研究所・教育企業、新研究所設立へ20161008朝日http://urx.blue/zoqX)。但し、日本企業が世界で勝つためだけでなく、日本国民の人間性と内発的で多義的な価値観(価値感覚)が豊かになる『日常礼賛』(当記事のテーマ)に資することを第一の目的(理念)と位置付けるべきである(構造化データベースの、確定した、ある意味で死んだ過去の文脈である“構造”と、今から未来へのプロセスを生きる人間の持続・深化する普遍的な意思から生まれる“文脈”は異なることに気付くべし!/関連参照⇒http://ur0.biz/zyUHhttp://ur0.biz/zyUI)。


なぜなら、根本的にAIと異種能力である「“環境・文章フレーム”の積極的読解力」(自らの生命維持条件である内外エトノスへの高度な感受性を持続させ得る能力、意志と感情が混然一体化した自然・生命意識とでも言うべき生きた情念/関連参照→http://urx.blue/zoqZ)こそがAIならぬ人間の「節度ある自由意思」のバックボーンと考えられるからだ。


(“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)による啓蒙主義ルネサンス!)


ところで、注意すべきはその自然・生命意識としての「情念」自体には、いわゆる倫理的ないしは社会契約論的な意味での善と悪の区別は未だなく(ルネ・デカルトと共に17世紀・近世哲学の創始者の一人で、社会契約論による政治哲学の嚆矢でもあるトマス・ホッブスの“万人の万人に対する闘争”状態に相当)、それが一定の社会意識の下で「理念」へ昇華されたレベルで、その新たな「善と悪を区別する明確なエトノス的意識(冷静・客観的な自然観)と社会的意識」が“生まれ”た(歴史的に見れば“啓蒙思想の誕生”!)と考えられることだ。


そして、ヒューバート・ドレイファス(人工知能に対して鋭い哲学的批判を続ける米国の哲学者、チャールズテイラー(同じ立場、カナダの政治・分析哲学者)、ツヴェタン・トドロフ(仏の文芸批評家・記号学者・社会思想家)、E.O.ウイルソン(米国の昆虫学者、社会生物学者)、あるいは『文化進化論/ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか』の著者アレックス・メス−ディ(英国の文化進化論学者)、ハーバート・ギンタス(米国の行動心理・経済学者)らが共有する最も重要な認識は、人間の意識の特徴である「因果(連続するリアル)と論理(法則抽象化の能力)」を峻別(自覚的区別)するということだ。


「人間の意識の主軸は自由意思(感情と表裏一体の)であるが、それは絶えず“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬリアル現象の連鎖である現実の流れ)”と“理由の空間(神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える論理)”を区別して観察している、ということだ。但し、この両者は対立するもの、との理解で止まるのも決定的な誤りと思われる。それは、この両者が合わせ鏡の如く密接に結びつき、もつれた(entangleした)状態であることが人間の意識の正体(それが、生きる意味でもある!)と見るべきだからである。


因みに、E.O.ウイルソンは『ヒトはどこまで進化するのか』で、前者(原因の空間)について「連続性の視点で究極的説明が理解できる能力/なぜ、その機能(例えば、手・足・指など)があるのか?」、後者(理由の空間)について「機能的視点で至近的説明ができる能力/その機能をどのように使うのか?」であると述べている。そして、その先に見据えるのが両能力を更に生かせる“より高度で多元的な意識”の誕生、つまり新たな人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス)による啓蒙主義ルネサンスである。


1−2 ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラーによるIOT、AI万能論(シンギュラリティ)批判(実在論の視点から)


(現代的な意味での実在論の視点)



ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラー著『実在論を立て直す』(法政大学出版)で、彼らは現代の新たな時代の実在論古代ギリシャ哲学に淵源する物的実在の根本を遡及して考える懐疑論/近代科学の基礎である物的還元主義に繋がる“素朴実在論→科学実在論”の流れ)の立場からIOT、AI技術が自らの深層に抱え込む根本的問題への批判に挑戦している。


つまり、両者は古典的「実在論」を新たな量子物理学の知見の時代(シュレジンガー波動方程式が表現する、物質・波動の両性質を併せ持つ(確率分布する)量子もつれ(quantum entanglement/量子コンピュータの基礎を支える客観的物理現象)などが常識化した)にも照らしリフレッシュさせつつ、IOT、AI技術の深層を批判していることになる。


因みに、コンピュータで人間と同じ知能を人工的に実現する技術、人工知能(artificial intelligence/AI)の研究は1990年代から本格化したが、今や自動車の自動運転が確実視されるほど急速に関連研究が進みつつある。が、AIを巡っては現在も楽観論と悲観論が同時並行的にしのぎを削っている。


楽観論の代表者は、早ければ10年後にも訪れるとされるシンギュラリティ(技術的特異点/technological singularity/人工知能の完成で人間が生命を完全?に支配する時代w)の到来を主張する、米国の人工知能研究者、レイ・カーツワイルである。ただ、カーツワイルは優れた研究者であると同時にベンチャー系実業家(野心家!)でもあるという二足の草鞋を履くことに留意すべきだ。


一方、悲観論、つまりAIがAGI(Artificial General Intelligence/人間レベルの知能、つまり汎用知能が実現する)の段階に入ると、そのAI故の機械的暴走を人間が制御不能になると主張する一派の代表者には、ビル・ジョイ(元サン・マイクロシステムズ社 チーフサイエンティスト)、スティーブン・ホーキングブラックホール特異点などで著名な英国の理論物理学者)らがいる。


また、ヒューマニストの一人であるスティーブン・ジェイ・グールド(米国の古生物学者、進化生物学者)が、AIの『物事の意味や価値(シニフィエ/意味、記号内容、所記)を判断し、納得し理解することの限界』を指摘しているのも注目すべきだ。つまり、あくまでもAIはシニフィアン(道具、記号表現、能記)で、宿命的にそれは地球エトノスと共鳴・共感するシニフィエ(意味論)的な存在の人間に成り代わることは不可能、との主張である。


(今も我々の深部意識に大きな影響を与える17世紀デカルトの「方法的懐疑」/その二元論の描像を支える「4本の織り糸」の摘出)


ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、最終的に現在のコンピュータ技術にまで繋がる“現代科学の萌芽期において、その基礎となるべく、そして未だにれっきとした影響力を我々の思考に与え続ける”の意味で重要な17世紀ルネ・デカルトの「方法的懐疑」が我々にもたらす描像(“われ思う=人間の意識、存在=外界世界の物的実在”という二つの明確な客観的イメージ構造)を批判するため、この著書『実在論を立て直す』の中でデカルト二元論の思弁を支える「4本の織り糸」を摘出する。


a 媒介説(mediational theory)/基本的観念(カテゴリーファイル)の媒介がなければ人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた!


・・・外界から人間精神の中に投影(抽象化)され、その時々に固定される心象(個々の心的イメージと、その基礎づけとなる諸感覚情報)を受け止める基本的観念(カテゴリーファイル)を指す。この「基本的観念」の媒介がなければ人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた。


・・・なお、同時代のジョン・ロック(イギリス経験論の祖、『統治二論』でその自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化し社会契約や抵抗権を着想)も、17世紀の「啓蒙思想」の萌芽期に<単純観念(デカルトのカテゴリーに相当)と複合観念(単純観念に精神の諸機能が加わり成立する複合的内容)>なる独創的な考え方を提起した。


・・・余談だが、バベッジ(19世紀英国の計算機科学者、殆ど設計・試作レベルで終わったが、現代コンピュータの祖型である階差機関、解析機関、あるいはプログラミングを着想・設計・試作した)の影響を受けたエイダ・ラブレス伯爵夫人(ロマン派を代表する詩人バイロンの一人娘)が人類初のコンピュータ・プログラマーである(出典:竹内薫量子コンピューターが本当にすごい』-PHP-))こと、またそのバベッジが彼に先立つ18世紀カントから何らかの影響を受けた節があるのも興味深い。なお、カントは『純粋理性批判』で認識構造の基本である感性、悟性、理性を定義し、図式・カテゴリー・構想のアーキテクチャーでの分析方法を着想した。


b 明示的「信念」の在庫目録リスト(量子物理学の進化で“ゆらぐ”伝統科学、ニュートン物理学世界)をどう再解釈するか?の問題


・・・リアル世界に在る人間の意識(文脈的意思)はエトノス環境との連鎖・往還交流の渦に宿命的に巻き込まれており、個々の生命体が終末を迎える時までの制限内で潜在的に無限であるはずなのだが、しかしながら媒介説的な意味で“理性的”な我々(人間)は一定の限られた明示的で科学・客観的な「信念」、つまり一定の表出的「情報」の在庫目録リストの範囲で、(1)の媒介的カテゴリーに頼りつつデカルト・バージョンないしはジョン・ロック・バージョンの知識内容(ロック定義の単純観念/コンピュータのデジタルバイト情報との類似概念であることに注目!)から収集した合理的な「観念」(実は表層的観念!?)で満足すべきとの明示的「信念」の自覚が当然視されている。


・・・そして、科学実験・検証、数学論理(ゲーデル不完全性定理の問題は残る!)、あるいは司法判断・犯罪捜査らは此のプロセスに基づくのも事実ではある。しかし、絶えずそこから漏れ出るリアルの可能性を凝視する謙虚で懐疑的で多元(人文科学、基礎科学)的な視点を有害、非効率と見て排除する傾向が強まっているが、それら残余を強引に切り捨てて本当に大丈夫なのか?特に、<AI活用・新自由主義アナクロが偏狭な意識の中で癒着する安倍内閣の暴走権力化>が、この悪しき人文科学(および基礎科学)排除の意味での非科学化(カルト化)傾向を強めていることが懸念される。


・・・一方で、例えば量子物理学で言えば、量子効果の性質であるトンネル効果、あるいは“量子もつれ”で発見された“光より速い伝達媒介性”を応用する量子テレポーションhttp://urx.blue/zotC)らの如き現象が科学的事実として認知されている。なお、トンネル効果は波動性をも持つ量子が一定の確率(数学論理)で通常は不可能な領域や壁を通り抜ける物理現象(シュレジンガーの猫、のリアル化)で、換言すれば量子の波動関数がポテンシャル障壁の反対へ染出すことだが、微細な集積回路でのリーク電流の原因であり、かつこれは宇宙の生成にも関わると見られている。


c 懐疑的な社会意識の希薄化を助長する、外界投影である内的「直接所与のカテゴリー」以前への非遡行性の問題/これこそAI・IOT時代の落とし穴!


・・・これは「(2)明示的「信念」の在庫目録」との関りが強いのだが、デカルトの「直接所与」では、外界の投影である「直接所与」の認識が「基本的観念(カテゴリーファイル)以前へ遡及することはあり得ないのが大前提である。同じことをJ.ロック・バージョンで言えば、17世紀の「啓蒙主義」萌芽期の考え方の基礎ともなった「単純観念」以前への共同主観性(常識化した共通認識)レベルでの遡及はあり得ないという思考パターンである。


・・・ところが、ここで奇妙なパラドクスが出現する。それは、“実在を疑わぬ超素朴な時代(ホモ・ハビリスホモ・サピエンス初期)→古典的素朴実在論の時代→17世紀に始まる科学実在論と啓蒙・民主主義のプロセス→現代”という長大な歴史時間を辿った結果、漸く、素朴で蒙昧な古典的実在論から科学的実在論(媒介説)の極致と見るべき非常に冷静かつ客観合理的なAI時代の入口まで人間は到達した訳なのだが、肝心の政治権力およびメディア&アカデミズム意識の劣化、およびポピュリズム深化などによって、ふと気付くと我々は<一切の実在を疑わぬ超素朴な時代/啓蒙思想が始まるより遥かに前の蒙昧・無知の時代>へ、再び、一気に引き戻されつつあるのではないか?という懸念が生まれているのだ。


・・・この論点は、一定の意図(目的)の下で集約される構造化データベースと非構造化データベース(日常のメール・FNSらに溢れている断片化し、ミクロ化した意識情報の集成であるビッグデータ)の差異に気づかぬことがもたらす、非常に深刻な文化的、社会的、国民的、国家的な超リスクの問題と関わるが、具体的には後の(1−1/IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題を凝視する)で触れる。


・・・そして、特に既得権益化した権力側からのアカデミズムと教育環境の操作やメディア・ポピュリズム扇動での国民意識の分断化(ミクロ化)などに因る無関心層(より根源的なエトノス観を求めて往還的に自ら遡及しようとする懐疑的な社会意識の希薄化)の拡大が、この悪しき傾向がより深化するための触媒作用となっている。


・・・特に量子コンピュータ(深層学習とアニーリング(量子トンネル効果を応用する非常に効率的な超ビッグ多変量回帰分析/量子コンピュータ駆使)で最適解を求める手法、http://urx.blue/zoz7)等による超高速計算(天文学的スケールの)が実現しつつあること、つまり<1%派と癒着し易いIOT、AI技術がより強靭な社会プラットフォームとして他の凡ゆるものを根幹部分から支配する時代>に入りつつあるということは、即ち、我々がそのような意味でのパラドクスに見事に嵌まったことになるのではないか?


・・それは、些かの正しい根拠(エトノス交流によるリアル遡及的な根拠)も意識されぬままに、“超科学的(実際には1%派との癒着で“名ばかり科学合理”と化している!)”な目前のエセ現実(1%派ご用達グローバル資本主義がうそぶく“今だけ目先だけ利益”)を、スッカリ騙されたままひたすら信じて生きざるを得ないという意味である。


d 「心的←→物的」の二元論で分類・分断されミクロ化する社会へ如何にすれば歯止めがかかるか?


・・・そこから浮上する、節度ある自由意思と政治倫理の深い関係性の問題!・・・


・・・これは、殆どが「c 内的な直接所与のカテゴリー以前への非遡行性の問題」と重なることだが、17世紀以降の近世〜現代という歴史の流れから俯瞰すると、今も我々の心の中で作用しているデカルト的な概念の主柱である<「心的←→物的」二元論的分類>が、深く人間社会に浸透しつつ現在に至ったことの影響は非常に大きく重い。従って、これまで見た「AI化による社会の更なるミクロ化・分断化・分裂化トレンド」に如何なる歯止め策を講じるべきかが民主主義国家に共通する喫緊の課題である。


・・・量子力学の知見によれば、「量子レベルまでミクロ(還元・遡及)化した物質(つまり量子)は物質であると同時に波動性(確率論的分布)を持ち、それが自由意思を前提とする「リアル観測」によって一つの結果として帰結(量子もつれが壊れて現実化)すること(デコヒーレンス/decoherence)」が科学的にほぼ理解されている。これを比喩的・象徴的に考えてみると、例えば政治的な政策課題の役割はこの場合の「リアル観測」に似ていると思われる。そして、そこから「宿命論ならぬ節度ある自由意思と政治倫理の間の強い関係性」が推測される。逆に言えば、それは悲観的な宿命論に囚われた途端に我われ普通の人間は不道徳な生き方を選択する衝動に誘惑されるはずだからである。


・・・因みに、「マクスウエル電磁方程式→シュレジンガー波動方程式ディラック方程式アインシュタイン相対性理論)→ハイゼンベルグ運動方程式(電磁・波動両方程式と相対理論を統一)」の研究プロセスによって、この物的実在の根本が物性であると同時に波動性であるという矛盾(ニュートン力学上の)は統一・理解されている(主流たるコペンハーゲン学派の立場)。


・・・


(「4本の織り糸」のなかの枢軸、a媒介説(mediational theory)に対する真っ向からの批判となる接触説(contact theory)の底知れぬパワー!)


共著『実在論を立て直す』の中で、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは本格的なAI時代へ確実に近づきつつある今だからこそ、未だに意識の深奥で我々へ大きな影響を与え続ける「17世紀デカルト二元論の描像」なる呪縛(これがAIの魔術師?wレイ・カーツワイルが唱える呪文、シンギュラリティの根拠!)、つまりその「4本の織り糸」の媒介説を批判するため接触説を提示している。


それは、この接触説こそが既述の(1−1/IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題)の“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬ全エトノス交流下の連鎖現象であるリアル)”と“理由の空間(論理/神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える)”の違いの問題に深く関わっており、人間の意識の持続性はこれら両者の統合感覚であると考えられるからだ(余談!w ←コレで日々にとても疲れるので、人間はその他の動物とは異なる意味で、十分な良質の睡眠が必要になる?)。


別に言えば、“原因の空間”と“理由の空間”の脳を含む体内エトノス環境における「進行形の現実」、つまり「その斉合(混合)状態」(関連参照↓◆3)こそが人間(Homo sapiens)の意識・生命の根拠(生きていることの意味)であり、それが「AIフレーム問題」の原因と考えられるからだ。なお、フレーム問題とは考慮すべき空間が有限でない限り無限の可能性を考えざるを得ないというパラドクス(簡単に言えば、AIは空気が絶対に読めないこと!)であり、如何に高度化してもAIが人間に取って代われない根拠がそこにある。


◆3 認知的斉合性理論(cognitive consistency theory)
・・・人々は自らの認知内容(自分や他人が知っていること、感じていること、やっていること、欲していること、又は社会や自然界に生じていること、などについて自らがもつ認識内容のいくばくかが相互に無関係と思えないとき、それらの関係の辻褄が合うように行動するという仮定を置き、それに基づき人々の社会行動を説明する理論。(http://urx.mobi/ze8A


・・・


ところで、媒介説(17世紀デカルト二元論の描像/その核心が(a)媒介説)が近代(およそ17世紀)以降に大きなパワーを勝ち得たのは、主に近代科学(及びそれを基盤とする啓蒙主義、立憲議会制民主主義、資本主義)の成立と拡がりで伝統的な常識を批判しつつ世界の理解の仕方を客観視できる知的態度が獲得された(世界が脱呪術化した)ためと考えられる。


一方、このような一種の離脱化した人間観に対し、接触説は「我々は常に一定の社会、文化、そしてエトノス自然環境(個々の体内にも膨大なエトノス自然環境がある)に深く関与していること、および無意識レベルも含め奥深く内外のエトノス環境に巻き込まれつつ我々が今を生きているリアルを、そしてその果てしない因果関係の連鎖と拡がりを特に強調」する立場である。従って、この接触説の立場に立てば、必然的に異文化や外国人も含む異なる考え方の人々と如何なる相互理解の方法が可能かを常に考えつつ、絶えざる共存の方向である「多元主義」の模索こそが<世界中で個々の人間が生きていることの重要な意味>だということが理解できることになる(余談!w←ココからも安倍・トランプら極右の閉鎖系思考の誤謬が理解できる!)。


無論、このような立場があることを確認しただけで、そこから市民社会が格差や排外主義で一層の「離脱化」を強める現代世界の悪しきトレンドに対する抑止効果が生まれるとは考えられないし、同じくモノカルチャー化(人間意識の同質的ミクロ化)へのスピードを益々加速するコンピュータ、IOT、AI万能論(シンギュラリティ)社会を簡単に批判できる訳でもない。あるいは、更なる『新自由主義』の暴走で資本主義と民主主義(啓蒙思想)が激しく劣化し、ますます排外主義が広がり、多くの人々が孤立化するという近未来の悪夢の一掃ができるとも思われない。



そこで、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、「自己理解の変化」(過去と現在との出会いという観念、つまり個々の我々は歴史性と地球エトノス環境に内外で巻き込まれているという認識を前提とする/補足、toxandoria)があれば、身体的次元→言語的次元→全感性的次元のプロセスで、他者への理解が必ず生まれ、かつ深まるという、H.G.ガダマー(ドイツの哲学者/解釈学(Hermeneutik)、言語テクストの歴史性に立脚する独自の哲学的アプローチで知られる)の原理「地平の融合」を引用する(関連参照⇒『ガダマー思想の核心』
http://ur2.link/zlCG/画像はhttp://urx.blue/zoLXより)。



ガダマーの“テクスト(言説・言語記述)の意味の多義性と常なる新しさ(啓蒙主義ルネサンスが持続することへの自信!)、およびトマス・カスリス(リトアニア系米国人で哲学者、東洋学者/日本伝統文化の核心と見なす神道についての研究が専門)のインティマシー(intemacy/親近的文化)とインテグリティー(integrity/契約的文化)なる二種類の文化についての考察”もIOT、AI万能論に対する強力な批判になると思われるが此処では触れる余裕がない。接触説は「啓蒙主義ルネサンスの可能性」にも関わりツヴェタン・トドロフとも共鳴するので、これについては後述する。


2 “AIと新自由主義”癒着で資本主義が新たな暴走フェーズへ突入


・・・「AIが保証する絶対“客観性”」の大義名分(名ばかり科学主義)が大暴走する懸念!・・・


2−1 ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』が示唆する、“AIと新自由主義”の癒着で更に資本主義が過激暴走する懸念


(米国民の8割が世界の民主主義の深化に無関心なので、今やアメリカの掲げる民主主義の理念が世界の人々の憧れや模倣の対象となっていないという惨状)


「米国民の8割が世界の民主主義の深化に関心がなくなっているため、今やアメリカの掲げる理念が世界の人々の憧れや模倣の対象となっていない」という悲惨な現実を、20160823毎日「時論フォーラム/資本主義の行方、空洞化する民主主義」で水野和夫・法政大教授が紹介している(http://urx.blue/zp2m)。また、この記事の中で水野氏は「この道しかない!そのアベノミクスを批判するなら対案を出せ!と野党を罵倒・恫喝し、野党も、国民も、メディアもそれに対抗し得る声を失っている(orこれも米国のマネで国民が無関心?)」という日本の大いに悲しむべき現実を懸念している。


それは、この米国の悲惨な動向が見せつける「空洞化する資本主義と民主主義の行方」に対し、安倍内閣は「気合が足りないだけだ!」と如何にも偽装極右(決して正統保守ならぬ!w)らしい体育会系の檄を飛ばし、「今こそ、戦前〜戦中期型“神懸り”(“伝統神道の精神”ならぬ!w)の日本精神(アナクロ・イデオローグ、日本会議=偽装極右)の出番だ!」と絶叫しているに過ぎないからだ。


しかも、「日銀「物価2%目標」先送り検討 黒田総裁下で成長目標のブースター押し上げ(リフレ&ネオリベファイナンス・マネーばら撒きの効果)が絶望的であること(アベノミクス失敗宣言!)20161022毎日http://ur0.work/zq0g」を物ともせず、「IOT活用で名目GDP600兆円の未来像/焼き直しアベノミクス❓」下における新「三本の矢」の大黒柱として、臆面もなく未だ“海千山千”のAI“シンギュラリティ”を『新国家観ことアナクロ政策』の額縁として掲げる大迷走ぶリには驚かされる。しかし、多数派の国民は殆どこのアベノミクスの惨状には無批判・無関心に見える(それでも支持率は上昇するばかり?苦w)!


そこには、例えばツヴェタン・トドロフ、ポール・メイソン(Paul Mason/英ジャーナリスト、『ポスト資本主義(Postcapitalism 、A Guide to Our Future/未邦訳↓◆4)』の著者)、エマニュエル・トッド中央公論・9月号/世界は『新自由主義』をもう我慢できない、http://urx.blue/zp2J)らの如き、日本と世界の未来に対する危機感が、言い換えれば、単なる「体育系の気合い入れ」を超えたネオ“コペルニクス転換”級の理念創造へ挑戦しようとする気概が全く存在せず、そこから滲み出すのは反知性主義的な「追憶のカルト」(“権利の章典”部分を破壊する壊憲なる蛮行)式で「国民主権の削除、象徴天皇制の廃止、戦前型軍事大国への回帰」を謀る奇怪なアナクロ・ゾンビの情念だけだ。



◆4 Goods and services that no longer respond to the dictates of neoliberalism are appearing, ・・・In this groundbreaking book Mason shows how, from the ashes of the recent financial crisis, we have the chance to create a more socially just and sustainable global economy. Moving beyond capitalism, he shows, is no longer a utopian dream. This is the first time in human history ・・・http://urx.blue/zp2U



ところで、ツヴェタン・トドロフは新著『民主主義の内なる敵』(大谷尚文訳/みすず書房)で、フランス革命急進派(特にジャコバン派?)、旧ソ連共産主義政権と米国新保守主義に共通するのが「人間は人為の設計で抑圧から100%解放されるという強靭なメシア信仰」という、本質的に<啓蒙主義>と全く相容れない<情念型の固着設計主義>であることを指摘する。因みに、日本ではこれが、日本会議が代表する戦前型「偽装極右」(追憶のカルト)とネオリベラリズム新自由主義)の野合・癒着という特異な形で現れている。


つまり、それは彼らが<内外エトノス環境と無限因果の連鎖で繋がり、多面的に交流し、そして多様に変幻自在に変遷し続けるリアルな現実世界を、自らの情念に因る人為の観念的設計(狂信の設計図)で如何様にも変えること(凡ゆる現実因果の改造)が可能だ、とする<傲慢の極み>で凝り固まった超閉鎖的な“ゾンビ(似非)人間中心主義”>の虜(囚人)であることを意味する。


(現代にまで深い影を落とす、アウグスティヌスVsペラギウスの人間の自由意思に関わる論争)


心の奥深くで、それは殆ど無意識の中でのことであるが、今も我々に大きな影響を与えるのが、この「アウグスティヌスVsペラギウスの人間の自由意思に関わる論争」の問題である。それは、我々が今まで馴染んできた立憲民主主義が、キリスト教を共有する欧米諸国の啓蒙思想の発展史(市民革命の歴史)から学び得たものであるからに他ならない。


因みに、アウグスティヌスローマ帝国末期の4世紀後半〜5世紀初頭頃に北アフリカカルタゴを中心に活動したキリスト教の教父で、中世ヨーロッパの最も根幹となるキリスト教思想を作った人物である。ペラギウスはそれとほぼ同時代人であるが、ペラギウス主義(派)と呼ばれる教義を広く展開したが418年のカルタゴ会議で異端宣告されている。


ツヴェタン・トドロフによれば、アウグスティヌスが「人々は神の意思(それを代理するカトリック教会のヒエラルキー)に服従し、全て(特に、人間が無知ゆえに犯す罪を意味する原罪)を見透す神の恩寵に従順に従うべき」とするのに対し、ペラギウスは「人間は自律的にその責任の範囲において、先ず自らの自由意思に従って行動することに宗教的な意味がある」と考えた。


端的に言えば、ペラギウスの「先ず自らの自由意思に従って行動すべき」の部分が、「異端」宣告を受けた後も人間の自由原理主義的な思潮のルーツとなり続け、やがてそれが西欧思想史の中で密かに独り歩きして(又は誤解されて?)きたと言える訳だ。そして、ツヴェタン・トドロフは、その意味でのペラギウス主義が米国の新保守主義(宗教右派)にも流れ込み、結果的にそれが全世界の経済フィールドで新自由主義が暴走する推進力になったと見ている。


因みに、このツヴェタン・トドロフの議論から些か離れてしまうが、人間の自由意思の問題で忘れてならない人物に13世紀スコットランド神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウス(その思想の徹底的な緻密さから精妙博士(Doctor Subtilis)と呼ばれた)がおり、彼はフランチェスコ派スコラ神学者で、後にパリ大学教授となった人物である。


スコトウスは、先ず「絶対的に正しい自由意思」を持つのは神のみであるから神は先ず純粋にその自由意思で世界を創造したと理解し、アウグスティヌスの「自由と理性の両者に対する神の絶対的先行性」を留保して、神だけが持つ「正しい自由意思」が神自身の「理性(知)性」の判断とは無関係に先ず世界を創った、と考えた。


更に、スコトウスは、神に劣後する人間の「自由意思」が常に善悪について「絶対的な善」を選ぶことはあり得ないながらも、偉大なる神の見守りの下にある人間には一定の判断力が、つまり善か悪かの道が選べる最小限の「理(知)性」は与えられており、同時にその人間が正しい判断を下すことができるよう一定の自律的な「自由意思」も与えられていると考えた(中庸の宗教観)。


また、15〜16世紀頃までの中世ヨーロッパ社会の伝統では「古代ギリシア奴隷制時代に比定され、特に自治都市の自由市民の立場(その余韻はプロローグで触れた16〜17世紀オランダ自治都市の市民に見られる)については、その古代ギリシアのポリス市民と同等と見るべき」とするのが一般的な常識であったので、「自由」であるためには先ず正しい「理性」判断が必要であるが下部構造に属する奴隷などの人々は正しい理性を持っていないと考えられていた。


しかし、驚くべきことにそれを遥かに遡る13世紀スコットランドにおいて、このヨハネス・ドウンス・スコトウスはこれら自由市民の立場でない下部構造の人間の「自由意思」をも認める考えを採った。即ち、この時に初めて近・現代の「啓蒙思想」に繋がる「人間の普遍的な自由意思」の種となる理念が誕生していたと考えられる。


ともかくも、この啓蒙思想の種と見るべき<スコトウスの中庸(適度)な自由意思>の対極にある<ペラギウス派の自由原理主義的な考え方>(尤も、おそらくそれは“ペラギウスの自由”を人々が過剰に誤解したためであるだろうが)の影響は、トドロフによれば今でもなおキリスト教思想の深部において、自由原理主義の形で「資本主義」暴走の肩を押し続けていることになる。


(“AIと新自由主義の癒着”が主に世襲“1%既得利権派”らの新たなプラットフォーム(権力基盤)となりポピュリズムを煽る恐れ)


・・・そのため、社会「中間〜下部構造」の人々の盲目化・ミクロ化・分断化のリスクが一層拡大する懸念がある!・・・



かくして、トドロフ『民主主義の内なる敵』が指摘する如く社会「下部構造」の盲目化が加速して「進歩の精神が十字軍のメシア思想(排外主義)へ、自由が暴政の培養地へ、中間〜下部構造の市民が操作可能な群衆へ」という具合で、民主主義の各部位が激烈な化学変化に見舞われており、その「個々の人々がミクロ&分断化」へ雪崩れ込む危機拡大のリスクが日本をはじめ全世界を覆っている。


特に、ツヴェタン・トドロフの懸念は、1%派の権力構造を利する“AIと新自由主義”の癒着型プラットフォーム(権力基盤)が、つまり<ポピュリズムを更に煽り立てる暴走回路が新たに定着して社会の下部構造が一層盲目化するというリスク>が拡大している点にある。


例えば、世界人口の半分近い30億人以上が1日150円以下で生活しており(http://ur2.link/zlXc)、トップ62人の総資産が下位層36億(世界人口、約80億中の)人のそれと同じという巨大格差が世界で拡大するなか、特に米国ではヤングホームレス(16〜25歳)の急増(8万人を突破/2015)が大きな社会問題と化している(後者2件のデータ出典:20161016NHKスペシャル/マネー・ワールド 資本主義の未来 「第1集」 世界の成長は続くのか、http://ur0.work/zpXu)。


そして、これはヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラー『実在論を立て直す』が懸念すること、すなわち<「新自由主義のツール化で1%派と癒着しがちなIOT、AI技術が広く深く社会を潜在的に支配する時代=技術革新やグローバル競争で負の影響を受ける人々の更なる加速度的増加に歯止めがかからなくなる時代」に入りつつある、という指摘にも重なる。


つまり、それは啓蒙主義の萌芽期以前の奴隷身分に相当する、主権から除外され社会の下部構造に組み込まれる人々が急増する苛烈な時代へ突入するということだ。AIシンギュラリティ信仰の深まりと共に、そのような意味での悪しきパラドクス(マイナス・スパイラルの蟻地獄)に我々は益々深く嵌りつつあるのではないか?>という懸念をツヴェタン・トドロフも強調する。特に、そもそものボタンの掛け違いを無視して、つまり立憲民主主義の放棄を謀りつつ<「新国家ヴィジョン」が欠落する「AI万能GDP600兆円の未来=アベノミクス教」>を新たに掲げた安倍政権下の日本は、その超リスクが一足飛びに顕在化する危うい時期に直面しているのではないか、と思われる。



それは、後で取り上げる日経記事<↓◆7 安倍政権にバカの壁(←コレは日経記事(参考/添付画像)の表現!w(http://ur0.link/ztna) つまり、「安倍政権=日本会議」の脳ミソにバカの壁?がある!w /20161025日経の「政府批判」記事(大機小機)は正鵠!>が指摘するとおり、我々が、「自民党改憲草案で権利の章典国民主権)と“象徴”天皇制を日本国憲法から削除する」という、安倍政権(世襲1%派)が仕込んだ<情念的・超観念的でアナクロな固着設計主義の罠/その1%派の利権のためだけに仕込まれたAI活型の文脈“構造”の中>にスッポリ嵌る一方で、肝心の「日本の立憲民主主義と資本主義を安定的に持続させるためのリアル政策が放置されたままだ!」であるからだ。


3 再び襲来した啓蒙主義の危機、そしてポスト新自由主義時代における「啓蒙主義ルネサンス」への希望


3−1 第一次世界大戦で、いったん潰えた啓蒙主義のプロセス



●【早瀬晋三の書評/国家主義と結びついた「戦争の記憶の再形成」は平和主義へ向かわず人々を第二次大戦へ導いた!『英霊−創られた世界大戦の記憶』G・L・モッセ著、宮武実知子訳/柏書房
・・・G・L・モッセはドイツ出身の歴史学者で、米ウィスコンシン大学名誉教授。ポスト第一次世界大戦の世界(特に欧州と日本)は、今の「アナクロ安倍政権」が一強支配する日本と同じく、右傾化と暴力的「愛国」の感情が常態化していた!・・・以下、その要点の抄録・・・
http://ur0.work/zq0h 


・・・



第一次大戦の戦争体験「神話」が、戦争に参加した各国の国民に対し<国民的・個人的再生の手段>という新たな側面をもたらしたが、それは人命に対する無関心を高じさせることにも繋がるため、必然的に各国の「政治の野蛮化」を促進し、結局、それが「啓蒙主義」の中庸の意義を忘れさせることに結びついた。これが「第一次世界大戦啓蒙主義は死んだ」ということの意味である(関連情報/再び日本ではこのアナクロ二ズム現象が起きつつある!⇒『明治の日を求め“維新精神”を取り戻す!与野党を超えて自民議員らが集会』20161102朝日http://ur0.work/zpXH)。


第一次大戦より前の戦争の時代でも、友の死と仇敵の死への態度の違いは理解しやすく、同じような野蛮化の効果をもたらし続けてきた。しかし、例えば1870〜1871年普仏戦争の前後には、時として独軍と仏軍の兵士は共同墓地に葬られることが多かったが、第一次大戦以降になると、もはやそうした事態(時には、敵と味方の戦死者を同等に追悼する風景が見られること)は起こらなかった。


ヴェルダンの戦場(第一次世界大戦西部戦線・独仏戦)に散逸した遺骨を納めるためドゥオモンに建立された霊廟は砦の上に仏の三色旗だけが掲げられたためドイツから糾弾を受けた。このように<戦争の結果としての死を扱う態度が野蛮化(仇敵の死を無視し、味方の死を愛国英霊視する)へ変化した>ことを、特にドイツでは極右がプロパガンダで巧みに政治利用した。


これが英霊(靖国英霊)の誕生で、一旦そうなれば多くの人々は、自分に累が及ばぬよう自己の未来のために内外の敵に対する無慈悲な戦争を支持する覚悟を持つようになる。日本の靖国「英霊」に対する「愛国」信仰(総国民玉砕の←補足、toxandoria)も、この世界的な流れの中で生まれた(安倍政権下でコレが復活中!)。


3−2 アナクロニズムと癒着する『暴走資本主義(自由原理主義)』に組み敷かれた日本の惨状、事例アラカルト


・・・世界が極右化する今こそ、我々は第一次世界大戦啓蒙主義が一度死んだことを想起すべきである!・・・


 
●現代に直結する陰謀と愛国心の病(悪意で創作された陰謀論異常な愛国心を権力が利用し、広く一般大衆が受け入れるナチス型リスクの拡大)沼野充義・評 『プラハの墓地』=ウンベルト・エーコ著、20160327毎日 http://ur0.pw/zsCL  
・・・「ある意味で陰謀論は悪徳権力への批判力の源泉ともなるが、留意すべきは“悪意で創作された陰謀論偽書プロパガンダ等による)と異常化した愛国心を権力が巧みに利用”し、広く一般大衆がそれを受け入れてナチス型リスクが拡大する危険性がある!
・・・また、『プラハの墓地』は、ナチス感情的なモノが国境と歴史時間を超えて世界へ伝染し拡散する現象)もあり得ることへの警告でもある。つまり、ゲーデル不完全性定理の意味である「同一次元の論理で完全なアンチテーゼは成立し得ない!」が理解できれば、陰謀論の罠のリスクはリアルに理解できるはずだ。
・・・Cf. 「秋元康氏=東京五輪・大会組織委員会理事」なので「安倍内閣ナチス・シンパ」の傍証“情報”が世界へ発信されたことになり、あるいはコレは<怪我の功名>鴨神社?w ⇒欅坂46、炎上!ナチス制服酷似のハロウィン衣装―各国メディアも報道、ドイツでは処罰対象 20161031只のオッサンがツイート http://ur0.link/ztnZ


●【『論壇時評/世襲化と格差、社会ビジョンはあるのか? 歴史社会学者・小熊英二氏20161027朝日』)は、自民党政治国民意識の<野蛮(好戦、英霊愛国志向)化>を抉っており、重要!!】 同感!⇒ >この自民党の変質が日本右傾化の一因 / ∵当選可能(日本のポピュリズム社会化を背景に)なのは地域の世襲議員2・3世or芸能・スポ系立候補者ばかリ!故に、彼らの脳内にあるのは<日本会議、安倍らと同じ古色蒼然たる追憶のカルト>か<喫緊の社会・経済ニーズ(社会保障と税の一体改革)>と真逆の「対社会・家族重圧型」又は「ネオリベ・リフレ型」の<タコ(脚)自食>政策ばかり!・・・只のオッサンRT @ま @MKT_ULTRA 敗戦から1954年までの首相は元外交官だ。占領軍と交渉するのが首相の重要な仕事だったからだ。55年から80年代までの首相は元官僚か地方のボスで、自民党の黄金時代を築いた。90年代以降の首相は多くが2世か3世で、日本は長期低落している。(小熊英二氏) 20161027http://ur0.pw/zsD6


【ISDS条項(投資家対国家の紛争解決“特権裁判”:自民・公明・日本維新が20161104強行採決のTPP付帯)のリスク(日本の医療等“皆保健制度”および福祉制度全般を根底から破壊する恐れが遂に巨大化!)について/20161027衆院TPP特別委 笠井亮議員の質問】

・・・このISDS(グローバル企業(株主)利益最優先)条項の問題については、下記◆6(特に第2集)でも取り上げているが、日本国民の多くが未だに殆ど理解していない(自分とは無関係だと思っている?)かに見えるのは何故か?ソレ解散だ〜!何たらかんたらの政局報道で、一強・暴政化した安倍政権へ過剰に気遣いするばかりでなく、もっと主要メディアは国民一般の現実と近未来に対する警鐘・啓蒙に力を入れるべき。日本の医療等に関わる“皆保健制度”と“福祉制度”全般が根底から破壊された(事実上の憲法破壊・国民主権破壊!)後では幾らワーワー大騒ぎしても“後の祭り”だ!


◆6 NHKスペシャル/マネー・ワールド 資本主義の未来(第1〜3集)http://ur0.pw/zsDf


3−2 独裁・強権的な「右傾権力」化へと進みつつある世界での希望の光/アンジェイ・ワイダポーランド)の遺産


・・・第一次世界大戦で、いったん潰えた啓蒙主義第二次世界大戦後に蘇生したが、戦後70年超を経てその理想の生命は今や再び死に瀕しつつある。従って、我々は今こそ<第二次世界大戦後に蘇生した啓蒙主義の象徴的存在であるA・ワイダ>の芸術作品(映画)の意義を想起すべきである・・・



アンジェイ・ワイダが映像化した権力暴走への抵抗は本物の愛国心!「その個性的な文化と政治的意味の多義性、および過酷さの縮図の如き悲惨な歴史経験」からポーランドは欧州の心臓と呼ばれることもある。ワイダはそのような祖国への深い愛と民主主義への期待を描いた!残念ながら今のポーランドは、EUが抱える難民問題の極端なジレンマに襲われ極右化中?だが、やがてワイダの偉大な遺産が必ずや若者らを覚醒させるであろう!Cf.@只のオッサンRT to @sugiura taisuke ⇒ 日本文化とも関わり A・ワイダ監督死去20161012朝日(ワイダの画像はポーランド広報文化センターよりhttp://instytut-polski.org/wajda/http://ur0.work/zq0k


・・・イェジ・アンジェイェフスキが1948年に発表した小説の映画化、「灰とダイアモンド/1957」はワイダの代表作の一つ(http://urx.red/zn0O)で、それは1945年当時の独裁化したポーランド労働者党(PPR)の病巣を描いた。


・・・この作品の含意は、「強大化した権力は自らに都合の良い見方(情報)だけを偏愛しそれを他者へ強制するようになる。結果、権力側はリアリティーを正しく解釈出来なくなり、重要な事実を示されても真実が一切見えなくなる。右であれ左であれ、強大な力を誇った為政者がその座から滑り落ちる原因の多くは客観的情報が入って来なかったか、それが入っても正しい解釈が全く出来なかった」ことにあるという、時代を超えた普遍的な警鐘である。


・・・【作品の背景】ナチス・ドイツ軍の攻撃でワルシャワは徹底的に破壊され、レジスタンス参加者はテロリストと見なされ市民約22万人が戦死あるいは処刑された。1945年1月に入り漸く進撃を再開したソ連軍は1月17日に廃墟と化したワルシャワに入るが、レジスタンス幹部を逮捕したため自由主義の芽は完全に摘み取られた。生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、彼らが進駐後のソ連を攻撃目標としたため共産主義(PPR)政府の樹立後も、要人暗殺未遂などの混乱が続いた(http://urx.red/zn1H )。


3−3 「暴走資本主義の制御」と「節度ある自由主義」再生への希望/カギは「科学知と人文知の融合」(コンシリエンス)による啓蒙主義ルネサンス


(『日本会議なるボタンの掛け違い』と『AIドラえもん“なんでもポケット”GDP600兆円の未来像』の不可解)


・・・「アベノミクス教(狂)」で益々混迷を深める一強「安倍複合カルト権力」なる、底なしの怪奇アナクロニズム現象に包まれ、原発に続き<先端科学技術AI>もカルトの小道具化の恐れ!?・・・


《根本理念のボタン》の掛け違い(アンチ啓蒙主義、反立憲民主主義、反知性主義)の奥底に潜む「“追憶のカルト” 安倍政権の“日本会議”病」については、フェルナン・デュモン「記憶の未来」(翻訳叛−白水社−/Fernand Dumon/1927−1997/カナダ・ケベック州ラヴァル大学などで活躍した社会学者)の序文を書いたセルジュ・カンタン(ケベック研究専門のケベック大学教授/政治哲学)が、“日本のナショナル・アイデンティティー(記憶の未来なる希望のエトノスとしての国家日本の未来像/toxandoria補足)をリアル政治の小道具だと軽視してはならない”と批判している。





だから、日本会議一色で超復古的な政治的価値観(明治の日の制定を求め国会内で開かれた集会で自民議員ら出た発言=五箇条の御誓文こそ本来の憲法!20161102朝日http://ur0.work/zqgP)が支配する「シンギュラリティ時代の新しい日本」に備えて、<アベノミクスの目標GDP600兆円達成のため、愈々、AIを『ドラえもん“なんでもポケット”』型プラットフォーム(新しい社会基盤)としてフル活用するという、国家政策に関わる余りにも軽佻浮薄な発想!/20161026日経ほかで発表の【政府広告】>は笑止千万であり、国民益を根こそぎにする有害な倒錯以外の何物でもない!AIは、決して<打ち出の小槌(づち)>ではない!(関連参照↓◆7)



◆7【永遠の結果先送り(or 永遠のゼロ?)、アベノミクスは「名ばかり科学・客観主義」の典型!】安倍政権にバカの壁(#日本会議 の脳ミソ?w)がある!20161025日経の「政府批判」記事(大機小機)は正鵠!同掲「名目GDP600兆円の未来像/AIがアベノミクス新・三本の矢?」(政府広告)はバカバカしい傑作か? w苦w http://ur0.pw/zsDZ



◆8 「朴支持5%↓!崔順実ゲート」の暗部で蠢く、日韓両政権に跨る「世界平和統一家庭連合」(旧称・統一協会/日本でも安倍政権下で2015年8月に改称)の影!両権力が共有する歴史(特に朴=岸(安倍)関係)と確執!1104・TPP採決強行も強ち無関係ではない?深部で日本へ飛び火かも? 2016116只のオッサン@hanachancauseRT@金子勝 
http://ur0.link/zt72【隣国の民主主義】隣国韓国には光化門広場に集まる10万人もの人々がいる。その背景を知るために一読すべき、パククネ政権の「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」の詳しい経緯が書かれた記事です⇒http://ur0.link/zt7t 20161105@金子勝http://ur0.link/zt73
・・・Cf.1 朴槿恵大統領と統一教会 チェ・スンシルゲート事件
http://n-seikei.jp/2016/11/post-40524.html
・・・Cf.2 日・韓両「国家主義」政権が共有する(20世紀以降)歴史的 “カルト超然権力の病巣”、それは恰もフィルム画像のネガ=ポジの如き同一カルト遺伝子の共有関係!/戦中〜現代に渡り日韓両国家権力層が共有する関東軍仕込の軍事国家主義史観(但し、その内実は既得権益死守の“いいとこ取り”なる守銭奴式、超強欲の価値観で一致しているだけ!w)なる特異歴史観念!当座、日韓両国の支配層(安倍・朴両政権)が米国傀儡として共有すべきことは《国民主権の制限、朴槿恵:朴正煕と安倍:岸の偶像化、両軍事愛国極右政権の国内支持固め(韓=国定教科書、日=改憲強行、等)。http://ur0.link/zt74


・・・


そこでは、本格的な情報社会哲学の視点(1−1)、現代的な意味での実在論の視点からのAIシンギュラリティ批判(1−2)、“AIと新自由主義”の癒着による資本主義の新たな暴走への懸念(2−1)などの、日本国民の近未来のため有意義な<新しい国家理念(日本の民主主義と資本主義の持続性を些かでも高める努力に取り組むという決意)と国民への思いやりの視点>が全く欠落している。


しかも、いわば子供騙しの『ドラえもん“なんでもポケット”』型プラットフォームとして、近未来の万能神器と見立てたAI&IOTを一般国民に対する更なる気合入れの小道具として全く野放図にフル活用するという無責任さとノー天気ぶりからは、安倍内閣に深く憑りつくアナクロ二ズム教の不気味さが滲み出ている。特に、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーが抉った「17世紀デカルト二元論の描像/AIに潜む媒介説のリスク(病理)」(1−2)なる呪縛について、愈々、AI&IOTをフル活用しようとする、安倍政権を取り巻く御用専門家・御用経済学者らが全く無知である(あるいは、御身大事でその場限りのヒラメ(平伏)主義を通している?)かに見えるのは心もとない限りだ(関連参照↓◆9)。



◆9 アベが私物化する原子力寄生委員会や何ちゃって政策委員会に、まともな批判すらできない主流派経済学者や原子力ムラの専門家。今や、圧力に屈するマスコミが右往左往する内に<心ある市民や市場>だけがノーを散発的に発している構図。まともな制度運営(のための国家ヴィジョン)を取り戻さぬとバブル崩壊と過酷事故が待つ日本の自爆です。20161026日@金子勝 http://ur0.work/zql0
・・・Cf. 今や、<主流派経済学(M.フリードマンら)が前提としてきた合理的経済主体(ホモエコノミカス)仮説>が強欲(不合理)という人間の正体に振り回されている。従って、それと真逆へ発想を変え、<不合理(強欲)を前提としつつ、その強欲の制御が可能な「啓蒙主義の再生(ルネサンス)」を図り、新たな知見である進化心理学等の活用が可能な方向へ我々自身の「価値観」を転換すること>が必須である!】「契約理論を企業統治などに応用、貢献」は良いが、新自由主義者サッチャーの「社会は存在しない」が象徴する如く、「法」の「一部である契約」を拡大(その情念的な固着設計主義で)させ「法全体の役割」を後退させたため国民主権の砦である「法」自体から、ゲーム化した資本主義が逃げ始めたという恐るべき現実も直視すべき!20161019只のオッサンRT to もったく@mottakuro ノーベル経済学賞のハート氏ら 契約理論、経済分析に新視点:日経http://ur0.work/zqly


(抑制的なAI活用を視野に文化進化論・進化経済学らによる新しい知の総合、コンシリエンスの視点で21世紀の多元的『啓蒙主義ルネサンス』を目指すべき)


・・・【日本の対教育支出の実態から今の日本が『日常礼賛』から程遠い名ばかり先進国であることが分かる!】何よりも絶対に最優先すべきは“教育への十分な先行投資”!・・・Cf.『日本はGDP対比で見た公的支出の割合が、比較31カ国中で最下位。また、日本の対教育支出で家計負担が占める割合33.6%はOECD平均16.5%の約2倍!その割合が加盟国中ではチリ、韓国に次ぐ3番目の大きさであることを恥じるべき!』情報源:http://urx.mobi/ztUJ・・・


E.O.ウイルソンは著書『ヒトはどこまで進化するのか』の中で、「科学知の限界」を「人文科学知が切り拓く」というエトノス的発想(または、エトノス環境を重視する進化心理学の視点とも言える)でコンシリエンス(知の総合/これはウィリアム・ヒューウェルの造語)の重要性を再発見している。つまり、ウイルソンは「コンシリエンス(consilience)による啓蒙主義の再定義が可能であり、人類はそれを目指すべきだ」と考えている。しかも、同じことはウイルソンに限らず、後述する「文化進化論」のアレックス・メス−ディも主張する。


また、ツヴェタン・トドロフ、ヒューバート・ドレイファス、チャールズテイラー、E.O.ウイルソンらは、「民主主義と資本主義が持続する未来」を保証するのは「地球環境エトノスに基づく多元主義」だという考え方を共有している。尤も、これらの人々は「地球環境エトノス」(身体内外の自然・文化に関わる全環境の自覚)という言葉は使っていないが、彼らの主張は正にこのことを意味していると考えられる。


それは、「今はそれができない人々や、今は使い道が全く分からないモノやコト、あるいは無用に見える資源や異文化等でも何時かは、自分も含めたより多くの世界中の人々や地球そのもののため役立つと考えるべきだ!」という身体内外の全環境を視野に入れた「多元主義」が彼らの共有思想であるからだ。


つまり、今や量子物理学の知見を得た時代であるからこそ<エトノス生命体である“人間の中庸で適度な自由意思を尊重する意識(2−1/ヨハネス・ドウンス・スコトウス)”>が、これからも人間社会を持続させるためのプラットフォームであり、AIロボットやITネットワークらがそれに取って代わることは不可能だ(無論、合理主義を騙りムリヤリAIに取って代わらせるべきではない)という共通認識である。


言い換えれば、「民主主義と資本主義がこれからも持続する未来を“保障”するのは、「内外エトノス観に基づく多元主義」であり、その社会的作用の品質を“保証”するプラットフォームは決してAIやITネットワークではなくリアルを『日常礼賛』しつつ生きる人間、およびその人間どおしの相互扶助と信頼関係」だという、人間の尊厳性を前提とする自律意識の構築(歴史・哲学・数学・生命科学など普遍知の教育とAI・IOT等リテラシーのバランス維持)こそが、21世紀における「啓蒙主義ルネサンス」の可能性を拓くということである。


そして、この可能性について脚光を浴びつつあるのがAIやITネットワークの利点を“積極的に、かつ同時に抑制的”に活用しようとする進化心理学社会心理学進化経済学・文化進化論らの新しい発想と視点である。例えば、“文化は生物進化の延長“と考える立場から、より高次なレベルで文化を研究しようとする「文化進化論」が世界的に注目を集めている。


また、進化心理学の培養土から誕生した「文化進化論」には、「(1)ソリッドな数理的基礎が存在すること、(2)生物学・人類学規模の長大な時間軸を視野に入れるという意味で決定的に動学的であること」という二つの特徴があり、その点で旧来の社会進化論ヘーゲル、コントらの社会の進歩に関わる議論をベースに、主にダーウィン進化論を取り込みつつ作られた、やや静学に傾斜する社会理論)とは異なることになる。



その最先端を担う研究者アレックス・メス―ディ(Alex Mesoudi/英エクセター大学准教授https://goo.gl/PjE2LH)の著書「文化進化論/ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか」が、漸く日本でも2016年2月に出版(NTT出版)された。なお、(1−1)で触れたE.O.ウイルソンと同じく、メス−ディも究極的には科学知と人文知の融合(コンシリエンス)が望ましいと主張している。


メス−ディによると、現実世界で起きる文化進化は「ラマルクの遺伝的適応」(後天的な獲得形質の遺伝)や数理モデルが仮定するより以上に強く作用しており、同じく予想以上の短い時間にその文化進化上の変化が起こることが分かってきた。なお、「ラマルクの遺伝的適応」は、事実上、ダーウイニズム(突然変異説)が否定したラマルキズム(ラマルク論)復活の意味なので、厳密に言えば、それは「ネオラマルキズムの遺伝的適応」と呼ぶべきであろう。


21世紀に入りAI研究の進化等と共鳴しつつ急速に研究が進んできた「文化進化論」のルーツである「進化心理学」(身体の自然環境への適応と同様に、また人間の心も生物学的な進化の産物と理解する心理学、http://ur0.work/zqmQ)は、文化進化論と共有する二つの方向性、「(1)伝達される文化」と「(2)誘発される文化」を見据えている。


考えてみれば、(1)は盛期イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの「ミメーシス」に、(2)はAI研究におけるニューラル・ネットワーク技術に、それぞれ通じるものがある(関連参照⇒2016-08-22toxandoriaの日記http://ur0.link/zt5o)。なお、古代ギリシアで「模倣」を意味したミメーシス(mimesis)の現代の定義は、<内外自然環境であるエトノスとの交流・交歓のプロセスで自然に内在する本質部分を視覚的・感覚的に強化しつつ抽出・再現し、それを造形的に再提示する芸術上の模倣技術>ということになる。


また、(1)は旧来の伝統文化にほぼ重なることが理解できるが、これからは(2)が<教育の意義の再発見>が必須となる教育現場で特に重要視されるだろう。なぜなら、「人の心、つまり意識の培養地である脳」(AIのニューラル・ネットワーク技術はその外装的模倣)はこれからもエトノス環境との交流と接触を重視する限り、無限にその人間性を深めて行く可能性があり、だからこそ、それは経済面で「エトノス環境の下での節度ある生産性向上とその持続を図ること」にも資すると思われるからだ。





この観点は「2016-08-22toxandoriaの日記(第3章)http://ur0.pw/zsJH」で触れた井手英策氏(財政学、慶応大教授)が財政・経済学上の観点から<義務教育〜大学教育までの完全無償化>の実現を非常に重視していること、および(1−2−d、で触れた“節度ある自由意思と政治倫理”の問題にも重なると思われる。しかし、今の日本の安倍内閣が取り組む教育政策は、非常に残念ながら、これと全くアベコベである(参照、添付画像)。(完)