toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「ヒエラルキー分業」から対等共食へ転換を急げ!“リアル循環の変異の閾値”の調整弁たる不均衡動学(社会的共通資本のヒュレー)の基本ツール、「数学の本来性と言語性」の適切な活用は日本に必須の「リアリズム倫理」の良循環をもたらす!  

 

 

■「ヒエラルキー分業」から対等共食へ転換を急げ!“リアル循環の変異の閾値”の調整弁たる不均衡動学(社会的共通資本のヒュレー)の基本ツール、「数学の本来性と言語性」の適切な活用は日本に必須の「リアリズム倫理」の良循環をもたらす!

 

イシス・ペルセポネ像(古代ローマ 180-190年頃)イラクリオンの考古学博物館蔵

ク―ラ(イシス・ペルセポネ)像(古代ローマ 180-190年頃)イラクリオン(クレタ島)の考古学博物館蔵(ウイキより)


f:id:toxandoria:20210302074606j:plain

<注>ヒエラルキー分業

・・・-数学の「本来性と言語性」(ヒューマンな“人間の平等”の保障に貢献し得る、そもそも数学が持つ本質的な特徴/委細後述)と正反対に、現実的には数学が入試・入社試験などで選抜ツール化される傾向があるため、社会一般や企業の生産体制らにおいて差別社会型のヒエラルキー構築、いわば作為的な社会選択(政治・経済・産業・経営の差別化推進)の手段となりがちであること(@ボウルズ(宇沢の弟子)&ギンダス(米国の経済学者)のゲーム理論“研究”に因る/出典:小島寛之宇沢弘文の数学』-青土社-)。

・・・その最大の弊害は、アダムスミス以来の生産性(イノヴェーション)の意義に反することであり、最大の損失はその異常に近視眼( 近親相姦orネポティズム )的な差別化戦略(オミクス生命論&アフォーダンス理論の軽視)による潜性イノヴェーション(持続的な“ヒトの無限の可能性”)の放棄ということ。(補、toxandoria)

・・・又、それは数学の本来性(委細後述)であることに因る、ヒトの認知能力の最深部を分担する故の両義性とも言えるだろう。従って、数学を操作的に応用する時には特に心配りが必須になると考えられる。(補、toxandoria)

・・・因みに、米国の知覚心理学ジェームズ・ギブソンの「アフォーダンス」とは、「あらゆる情報は生命個体も含めた事物・事象の「存在」自身に内在しており、それをヒトも含むあらゆる生物が知覚的に抽出(情報処理)して、それらの多様な情報を常在的に受けとりつつ活動している」という考え方。見方によるが、これは傲慢化(独善的に抽象観念化)しがちな自由原理主義(Ex.Ⅿ.フリードマン:重力力学援用の市場原理主義、カント―ル:素朴集合論の自由“原理主義”的な数学(直感主義?主観内的実在性(intrasubjektive oder immanente Realitat)の自由?)、など)の天敵となり得るオミクス生命論(環境生命論)的 orフレーゲ『概念記法』的な着眼点である。https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/100228affordance.html http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Murata/cantor-math-utf.pdf

・・・[関連資料1/書評論文@佐藤雅彦(メディア・クリエーター、東京芸術大学教授)]野本和幸著『フレーゲ哲学の全貌を読む』…<数学研究の意義=「言語>プログラミング言語」=「プログラマーの仕事の“重要性と責任”」の訳(∵『AI・コンピューター人のための万能の神器』!)>を知る!Cf.バートランド・ラッセルのパラドクス、ゲーデル完全定理 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/49/1/49_67/_pdf

・・・[関連資料2タイプ理論は、論理主義プログラムの実現への歩みのなかで、ラッセル・パラドクスをブロックする論理体系としてラッセルにより考案された。/京都大学学術情報リポジトリ―、https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/151121/1/ronso38_S49_type.pdf

Cfラッセルのパラドクスから派生した二つの流れ。(1)ラッセル自身のタイプ理論、(2)フレーゲ論理の制御­­=述語論理記号(命題論理記号 et 量化記号):一階述語論理、二階述語論理 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E8%BF%B0%E8%AA%9E%E8%AB%96%E7%90%86

 

<注>社会的共通資本(エイドス)と不均衡動学(ヒュレー)の関係について

・・・宇沢弘文の「社会的共通資本と不均衡動学」はエイドスとヒュレー、つまり表裏一体で引き離せない関係にある。生命個体(個々の生命のリアル循環)にせよ、機械構造物にせよ、社会制度にせよ、それらに共通する、最も核心と見るべき基本要素も、エイドス(形相/eidos)とヒュレー(質料/hylē)である。これは、すべての存在(者)は〈エイドスeidos〉と〈質料=素材hylē〉の結合体と見る、古代ギリシアプラトンに由来する考え方である。つまり、常に漸進すべき宿命にあるリアル循環、いわばオープン・エコノミーと健全なマクロ経済・財政運営を着実に支え続ける土壌と基盤が社会的共通資本(エイドス)であるとすれば、そのために必須の円滑な機能を日々に担うのが不均衡動学(ヒュレー)の役割りだということになる。更なる、両者の具体的な関係については、下記★を参照乞う。

 

★日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035

 

<注>リアリズム倫理(Fiduciary)が充実する良循環

・・・委細は後述するが、数学には机上の空論どころか表題にも掲げたとおり「リアリズム倫理(Fiduciary)自体を弛まず育む(・・・リアリズム倫理→原因の空間(数学・言語空間での選択)→理由の空間(日常で生起する凡ゆるリアル事象についての再解釈の連鎖の中での理由の選択)→リアリズム倫理の再生(展相(Potenz化)して、より充実した倫理の選択)→原因の空間(の選択)→理由の空間(での選択)・・・)」というサイクルをもたらす重要な役割があること。つまり、それがリアル日常世界での良循環の意味である。

 

・・・更に、リアリズム倫理(Fiduciary)の意義については」下記★を参照乞う。

★日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民! 

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035

 

<参考>リアリズム倫理(Fiduciary)が欠落する日本の悲惨な現状

 

◆日本政府は今や米Qアノン系共和党も驚く!?「#日本会議国家神道)系一派の既得権を巡る内ゲバ状態?∵安倍復活の胎動すらアリとか?w → 一人10万円超も NTTが山田前広報官と谷脇総務審議官に高額接待#菅正剛 #菅義偉 #スクープ速報 #週刊文春 311週刊文春編集部https://twitter.com/tadanoossan2/status/1367755556245577728

 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1367755556245577728

f:id:toxandoria:20210306023226j:plain

 
 
 
水のイマージュ2
 
@tadanoossan2
 
返信先: さん
<先端&新時代の政治利用>の広義のゲートウエイとも見える「総務省利権」の闇は、我われ凡人の想像以上に、非常に(異常に?)広く、底なしに深いのでは?
 

 

 (プロローグ)「共食」の社会史 原田信男著 藤原書店/「書評」の転載と所見

 

f:id:toxandoria:20210302162257g:plain

 

(書評/部分転載)評・佐藤 信(古代史学者・東大名誉教授/読売オンライン)https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20210206-OYT8T50137/

 

 共食(きょうしょく)とは、同時に同じ場で同じものを食べることで、仲間の絆を確認する行為をいう。食文化研究で名高い著者が、共食からみた社会関係の通史を展望した本書は、研究を集大成した渾身(こんしん)の仕事といえる。

 

 まず、人間のみが料理を作り共食する動物であるという石毛直道説を紹介する。共食の宗教的基層には、神祭りの神饌しんせん料理を直会なおらいで食べる神人共食や、盂蘭盆会(うらぼんえ)での祖霊との共食がある。中世の集団誓約儀礼として神水を共飲する「一味神水(いちみしんすい)」もある。また労働の節目には、農耕の予祝や収穫の祭りに共食が行われた。古代中世には、こうした村の共食の場で法令が告知されたという。

 

 古代には、大嘗祭(だいじょうさい)で天皇が神と共食するとともに、直会で臣下と共食して官人秩序が確認された。平安時代には、大臣も大臣大饗だいきょうの共食で太政官の官人秩序を確認した。 古代に地方官が赴任する際に在地が行った三日厨みっかくりやという共食の饗応は、中世後期になると饗宴費用を一献料(いっこんりょう)として在地が提供した。

 

 中世には鎌倉将軍が主従制を確認する共食として、公家を模した武家の共食儀礼である「●飯おうばん」が成立する。室町将軍の権威を誇示する御成おなりでの豪勢な本膳料理は、のち和食の料理体系となっていく。(●は、つちへんに「完」)

 

 近世に幕府が安定化すると、倹約のため本膳料理は簡略な袱紗(ふくさ)料理にかわり、茶の湯とともに和食をきわめた懐石料理が発達して、近世後期に料理屋の会席料理となる。・・・以下、省略・・・

 

所見/toxandoria)

 

◆対等共食社会への転換のカギは「社会的共通資本」(『不均衡動学=変異の閾値の調整』発動のベース)

 

文化人類学の定義では「動物と人間を区別するのが共食」であり、それは基本的に「動物には人間と同じ意味でのコミュニケーションを図るための共食はない」と理解されているからのようだ。 

また、洋の東西を問わず古代社会では権力者側が共食のための費用を負担することが多かったようだが(当然、例外はある)、

それは権力者側が共食というコミュニケーションの場で自らの権威・権力を示しつつ、それを絶えず維持し続けるため「巧みに権力的に演出された共食」であったからだと考えられる。

その延長線上で現代の民主主義と資本主義社会(一定の支配的な権力構造の下にある)が成立していることになる。

 だから、いったん「オミクス的な生命論」(生命・生物個体の内外のミクロ・マクロ環境を視野に入れた最広義の生命論/関連参照→ https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801)の視座に切り替えれば、その光景が一変する。

つまり、現代の民主主義と資本主義社会とは言っても。それはまさに「共食い」の場面に見えてくることになる。

 

ゴヤ『わが子を食らうサチュルヌス』

 画像7

Francisco Jose de Goya y Lucientes(1746-1823)『Saturn Devouring One of His Chirdren』 c. 1820-23  Oil on canvas  146 x 83 cm  Museo del Prado Madrid

 

そもそも自らの生命維持のための栄養摂取(野生動物の場合の捕食などの生存競争の動因)とそのための安定的な環境の維持と保守、および新たなフロンティア開拓ということが動・植物の別を問わぬ大前提であるのは論を俟(ま)たぬことであろう。

従って、人間といえども、そのオミクス生命論的な意味での本来性の観点から見れば、別に言えば「ゼロサムの赤の女王」(関連参照 → https://note.com/toxandoria2/n/n2e652a01bf65)の支配下で、辛うじて生命を繋ぐ危うい存在であるという意味では、今でもヒトは他の動・植物と何ら変わりがないことになる。

 ただ、人間の場合は、その意味での危うさの回避を少しでも長く安定させ、それを持続させるための文化(普通の意味での観念的・プラトン的な倫理、又はリアリズム倫理観(Fiduciary)などを含む)を必死に培ってきたという点で他の生物種とは異なっていることが分かる。

ところで、文化の定義には色々とあるようだが最もシンプルなものは「衣食足りて礼節を知る」(中国「管子牧民の言葉に由来/古代中国の管仲に仮託して書かれた、法家または道家・雑家の書物。管仲は中国春秋時代における斉の政治家。)の観念を持つことではなかろうか?

別に言えば、これは「ゼロサムの赤の女王」との壮絶な生存競争を辛うじて凌いできた人類の「希少な知恵」とも見える。

そして、現代民主主義のグローバル世界における、その「希少な知恵の最後のフロンティア」が対等な衣食の保障と環境の保全が可能な「社会的共通資本」で、

更にそれを経済動学で実践、いわばヒトの日常の変異の閾値の調整をするのが宇沢弘文「不均衡動学」であり、最低限の「衣食」の持続的「共有」を保証するのが、

ひたすらハイグラウンドな精神世界に遊ぶ只の観念的な「プラトニズム道徳」ならぬ「リアリズム倫理」(Fiduciary)ということではないか?その意味で「オミクス環境論」(関連参照 →https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801 )という、全く新しい<生命環境論(オミクス)的なコミュニケーションを構築する>ための自然・文化両環境に関わる気付き(参照 →後述:ハイデガーゾルゲ」(思い遣り))から、「共食の歴史」を見直せば、非常に興味深いことが見えてくるはずだ。

 つまり、「共食の歴史」を再び過酷極まりない只の「共食いの歴史」(又は偽装された『共食民主主義の歴史=片務共喰い(権力側が仕掛ける一方的な共食い)の歴史』へ回帰させるかどうか?は、我われ人間の考え方(心得)しだいだ!ということになる。

 

歴史的にも、ハイデガー哲学的にも理解できる「数学の本来性と言語性」(宇沢弘文)の意味

 

(数学史で注目すべきこと)

 

無限のパラドクス―数学から見た無限論の系譜 (ブルーバックス) | 足立 恒雄 |本 | 通販 | Amazon

足立恒雄著『無限のパラドクス』(講談社ブルーバックス)によると、時間の数学的把握と実数体系の把握は関連が深いと思われるが、西欧で少数法(小数点以下の表示方法)を発明したのは17世紀のフランドル人、シモン・ステヴィン(Simon Stevin、1548 – 1620/数学者、物理学者、会計学者/現在で言えばブリュージュ生まれベルギー人)である。因みに 、ステヴィンは17世紀のガリレオ・ガリレイよりも早く落下の法則を発見した人物であり、また、ベクトル加算の法則に従う「力の平行四辺形の法則」の発見者としても名高い。

 

f:id:toxandoria:20210302163320p:plainところが、中国ではBC3世紀・秦の時代において、既に根の展開法(関数の求根アルゴリズム)が知られていたと推測されており(原典等の相当部分は焚書坑儒で消滅?)、またAD1世紀には中国古代の数学的知識の集大成とされる『九章算術』(円周率、平方根・立方根、連立一次方程式等を含む)が成立していることから、少なくとも後漢AD 25 – 220/日本:弥生時代)前半頃には円周率等の計算と共に小数点法が発明されていたと考えられる(参考資料=論文『中国古代の周率 () 』/杉本敏夫:心理学・数学史学者、明治学院大学名誉教授、http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1739-09.pdf /画像『九章算術の1頁、劉徽の註釈本』はウイキより)

 

このように歴史上の観点から俯瞰すると、驚くべきことに中国では、既にBC3世紀・秦の時代迄には「まさに我われ人類が新たな世界への展望を絶えず実現し続けるために必須のツールが数学であること、換言すれば“数学こそが、時間・空間およびリアルな出来事につき日々コミュニケーションしつつ新たに理解し直し(現実の世界を再解釈し)それを多くの人々と共に再認識しつつ絶えず新たに世界を展望する(これは、ハイデガー『現存在』」(Dasein)の意味、つまり『我われがヒトである条件』(個々人の、一回性のヒトとしての時間の意識を持っているということ!)と考えられる、http://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC19101018&elmid=Body&fname=N04_019_015.pdf)ため必須と見るべき本来的で中立的な道具”であること」が、少なくとも社会の指導層の間では広く理解されていたと思われる。

 

 Fiduciary(リアリズム倫理)の土壌&環境と見るべきハイデガーゾルゲ」(思い遣り)の源流、クーラ(ペルセポネー)寓話)

  

◆【権力的会食(共食い)レベルの偽装民主主義に縋るスガ・ニッポン!】そもそも、アベ・サクラ、スガ・ガースーら「権力的会食(共食い)レベル」の権力者には公金(政治資金・機密費等)横領の腐臭(疑惑)がつき纏う!公金横領(授受結託式?)の贈収賄の疑いで市民団体が告発 山田広報官や菅氏長男ら226朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1365372823829581824

関連/NHK「ニュース7」冒頭突然…不機嫌な菅首相が映り、キレる、開き直る中継続く226デイリー https://twitter.com/tadanoossan2/status/1365385405109997569

f:id:toxandoria:20210304021344p:plainf:id:toxandoria:20210304021419p:plain

f:id:toxandoria:20210304024910p:plain
ハイデガー存在と時間、1927』—「気づかう人(homo curans)」としての人間」/京都大学吉田南総合図書館、http://ur0.pw/GIZZ (画像は、イシス・ペルセポネー像 (クレタイラクリオンにある考古学博物館蔵、ウイキより))

・・・ドイツの哲学者ハイデガーは、その主著『存在と時間』で、人間存在を「気づかい」(ラテン語でcura/ケア(care)の語源)という語で特徴づけた。標語的に言えば人間はホモ・クーランス(気づかう人)となる。この点を把握するとき私たちは人間を深く理解できると同時に「思考がそこで運動せざるをえない根本的な場」と呼べるものを捉えることができる。by limitlesslife http://ur0.pw/GIZX

・・・が、近年はハイデガーの「気づかう人」(およびハイデガー哲学そのもの)には人間相互の気づかいに留まらず、魔術的・悪魔的・ロマン主義的な成分の“強者側の一方的勝利も当然と見なすエトノス(『赤の女王』の棲み処)としての絶対的・宇宙的・多(両?)義的な「自然と生命」そのものの宿命”が視野に入っていたと理解されている。

そのため?ナチスを歴史的好機(必然の歴史的瞬間=カイロス)と見たハイデガーは、一時期、フライブルグ大学総長“拝命”後の同年(1933)にナチスに入党した。が、その後は「現存在(Dasein)」的な覚醒(人間としての『本来性』、つまりリアリズム倫理への覚醒?)から、ナチス批判へ転じている(個々人の「現存在」の意味の現われと理解できる?)

・・・「ゼウスとデーメテールとの間に生まれた娘ペルセポネー(Persephone/源流は古代エジプト の女神イシス(アセト)神/“権力と支配”の神)」(添付、画像(彫像)はギリシアに登場する女神で冥界の女王であるが、コレー(乙女)、クーラ(気づかい)とも呼ばれる。

 

[クーラ(ペルセポネー)寓話/まさにオミクス生命(環境)論のエセンス!]

 

レンブラント『ペルセポネー(クーラ)の略奪』

File:Rembrandt - The Rape of Proserpine - Google Art Project.jpg -  Wikimedia Commons
…Rembrandt「The Rape of Proserpine1631」oil on oak panel 84.8 cm× 79.7 cm . Gemäldegalerie der Staatlichen Museen zu Berlin /Persephone=Cura、http://urx.red/GFBR 

ハイデガーの著書『存在と時間』では、その第42節「現存在の前存在論的自己説明に関わる“気遣い、思い遣り、関心(Sorge)”としての現存在の実存論的解釈の確証」のためとして、古代ローマ人・ヒュギヌスが伝える『クーラ寓話』(そもそもはギリシア神話)が示されている。なお、ハイデガーゾルゲ“気遣い、思い遣り、関心Sorge)”は、この物語の主人公クーラをも連想させるドイツ語である。以下に、その物語の概要を『関本洋司のブログ、http://urx.red/GFBR』より転載させて頂く。

・・・昔、クーラ(ペルセポネー、豊穣の女神デーメテールの娘/気遣い、思い遣り、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。すでに作り終えて、それに思いをめぐらしているとユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。

・・・クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前であるユピテルがあたえられるべきだ、と言った。

・・・クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前テルスこそそれにあたえられるべきだ、と求めた。

・・・かれらはクロノス(時間/ローマ神話では農耕神サトゥルヌスと同一視される)最高裁定(審級)者に選んだそしてクロノスはこう判決した。ユピテルよ、お前は精神(収穫の精華)をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだ(死せる肉体)を受け取りなさい。さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このもの(生きている肉体)を所有していなさい。

・・・ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、このものは明らかに土(humus)から作られているのだから、人間(homoホモサピエンス)と呼ばれてしかるべきであろう

 

AIディープラーニング時代の数学の役割/宇沢理論(不均衡動学)を支える数学の考え方

 

(数学は不均衡動学、つまり"社会的共通資本『変異の閾値』調整の必須ツール)

 

  宇沢弘文の数学』(青土社)の著者・小島寛之氏(宇沢弘文と同じく東京大学理学部数学科・卒業の経済学者)は、「数学は、人間社会にとって最も基本と見るべき社会的共通資本の要である」との主旨を述べられている。また、このことを宇沢弘文が「インネイト」(innnate)と呼んでいたことを紹介している。Innateは、「人間には、先天的な生まれつきの能力(本来性/そもそもはハイデガーの用語)として、言語能力とともに数認識・図形認識・論理操作の能力が備わっていることを意味する。

 

ところで、『無限のパラドクス』(講談社ブルーバックス)の著者・足立恒雄氏によれば、現代における「無限」論では、無限を数学的無限(空間)、物理的無限(空間)、哲学的無限(空間)の三つに分け、これらは異質なものと考えるのが一般的である(数理論理学(記号論理学)は曖昧な点があり、これらの区別をつけ難いが)。

 

また、現代の数学は非常に厳密で誤りのない学問だが、物理学などの科学(理論と技術)は絶対的に正しいとまでは主張できず、絶えず演繹的な論証、又は実証によって修正されたり、場合によっては否定されたりすることもある得る。そのため、『宇沢弘文の数学』(青土社)の著者・小島寛之氏が指摘するとおり、まず数学は、そもそも「その本来性」によって社会的共通資本の活用にとり特に重要と見るべきツールである。

 

しかし、それと同時に数学には「その本来性のもう一つの重要な特性である言語性」故に、逆に人間を「カテゴライズ(分類・区別・差別)」するためのツールとして利用されるリスクも抱えている。特に、そのような傾向はデータサイエンス、AI深層機械学習ディープラーニング)、統計などで利用される場合にそのリスクが大きくなる。また、小島寛之氏はシナリング(signaling/ゲーム理論の用語)と呼ばれる「テスター」(TESTER/数学の能力でヒトを一面的に評価する選抜主義)のリスクが数学の「技術性と言語性」の中に潜むことを指摘している。

 

因みに、経済動学論など数理経済学の場面で活用される「関数」について、ごく大まかに概観しておくと、以下のとおりとなる。関数は、まず<例えば「外延性の公理(全く同じ要素からなる2つの集合は等しい/https://unaguna.jp/article/archives/11)=集合はそれに属する全ての数学的対象を指定することで特徴づけられる」などの諸「公理」を前提としている。

 

そのうえで、関数は「数の集合で値をとる写像」、つまり世に存在する限りの凡ゆる集合を“フレーゲ流の1対1対応(直感的に集合と集合を対応させる集合算)”(“ペアノ流の指折りで数えることを基本とする数え主義”の対概念)で類別して生ずる新たな集合(属性)の抽象化(分析哲学で言う個々のトークンに対する、新たなタイプの創造に相当する?)の写像である、と定義される。

 

そして、その単純な事例は一次関数(y=ax+b)、二次関数(y=ax2+bx+c)などである>ということになる。なお、集合の公理系(公理体系)には多数のものがあるうえ、更に微分積分らのファクターが加わることで非常に複雑な多次元関数の形となる(https://www.komazawa-u.ac.jp/~takai/kougi/AxiomaticSetTheory.pdf)。

 

<補足>

フレーゲ流の集合算(例えば、3+4=7)の方は、より自然数の本質を直感させるため数学の“本来性”および“言語性”と親和力が大きい。一方、“ペアノ流の数え主義”は、やや数学の“技術性”と深く関わる傾向があるため数学的帰納法を介しアルゴリズムやプログラム言語の基礎となっており、現代のコンピューター・テクノロジーを支えている(関連参照 →後述の『3‐ 宇沢理論(不均衡動学)と古澤理論(不均衡進化)が共有する『変異の閾値』の問題/数学の本質と社会的共通資本が共有する五つの特性)』)。なお、数学的帰納法は一般的な意味での帰納法ではなく純粋に自然数の構造に依存した演繹論理の一種つまりその意味で直感主義的、演繹論的である)で、例えばドミノ理論の如く次々と命題の正しさが"伝播"され、任意の自然数に対し命題が証明される過程が"帰納"の様に見えるため、この名称がつけられた/具体的な説明はコチラ → https://mathtrain.jp/kinouhou

 

(関数の写像イメージの事例)

 

一次関数(ユークリッド平面空間)のイメージ(事例)ウイキより

f:id:toxandoria:20210304061847p:plain


 

二次関数(ユークリッド平面空間)のイメージ(事例

https://rikeilabo.com/graph-of-quadratic-function

f:id:toxandoria:20210304062103p:plain


 

二次関数/極小曲面(石鹸膜の数学的抽象化):三次元空間で観察される二次元イメージ(特殊な事例/石鹸幕)

https://www.math.kyushu-u.ac.jp/Ext-Course/Open-Lect/zi_liao_files/koiso2011.pdf

・・・自然界で観察(実験を含む)される物理法則の多くは,「なんらかのエネルギーが最小または極小となる状態」として表現することができる。これを「変分原理」と呼び、このような最小値や極小値に関する問題を「変分問題」と呼ぶ。変分問題は、数学の理論としても、また自然現象を記述し解明する方法としても重要であり、物理学、工学その他さまざまな分野へも応用されている。

 

f:id:toxandoria:20210304062336p:plain

f:id:toxandoria:20210304062427p:plain

二次元平面に表示した三次元関数のイメージ(写像の事例)

https://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/neichi/javaAnalysisTools/manuals/helpFunction3DDraw.html

 f:id:toxandoria:20210304062527p:plain

https://jp.mathworks.com/help/matlab/ref/fimplicit3.html

 

f:id:toxandoria:20210304062636p:plain
https://jp.mathworks.com/help/matlab/ref/fimplicit3.html

 

(補足)トポロジー位相幾何学)世界の拡がり(n次元超球体、結び目理論、クラインの壺など) 

f:id:toxandoria:20210304063647p:plain


・・・極小曲面は、古典的な三次元ユークリッド空間 R3 内の立体の境界として得られる曲面である。例えば、球体の境界としての球面はそのようなものの例になっている。ユークリッド平面(二次元平面)の円周が三次元球体の表面(三次元球面)であるのと同じことで、三次元球面は四次元球体の表面、四次元球面は五次元球体の表面…ということになり、「n次元超球体の表面=(n-1)次元表面」の関係となる。

 

・・・このような入子構造の関係は、立方体・錐体・直方体・正多面体など無数に存在することになるが、各n次元多面体と二次元平面との関係、および半径rの場合の各表面積ないしは体積などは数学的に表現できる。また、このことから空間そのものも多次元の入子構造(あるいは結び目による結びつきの構造)、つまり結び目理論で無限に拡がっていることが推測される。

[関連資料3/結び目理論の科学への応用-プリオン分子モデルとこころのモデルを中心として-河内明夫・名誉教授(大阪市立大学大学院理学研究科/<注>著名な結び目理論の研究家)]:数学の結び目理論とは, 結び目, 絡み目, あるいは空間グラフの、モノとしては同じだが、 配置が異なる場合のその差異を数学を使って研究する学問であるといえる。

https://mathsoc.jp/publication/tushin/1404/1404kawauchi.pdf

 

f:id:toxandoria:20210304065607p:plainf:id:toxandoria:20210304065801p:plain

f:id:toxandoria:20210304070646p:plain

f:id:toxandoria:20210304065945p:plain

f:id:toxandoria:20210304070230p:plain

f:id:toxandoria:20210304065431p:plain

f:id:toxandoria:20210304070815p:plain

f:id:toxandoria:20210304070340p:plain

・・・

・・・ところで、『クラインの壷』など、特異点や自己交叉を持つことなしに三次元ユークリッド空間に埋め込み不可能な曲面というものも存在する。曲面が「二次元」であるということは、それが二次元の座標系を入れた「座標付きのきれはし」の貼り合せになっている(リーマン多様体(いわば“変異の閾値https://www.chitose-bio.com/furusawa_column/column28.html”的な空間?(@toxandoria))

http://ogyahogya.hatenablog.com/entry/2015/01/31/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%A4%9A%E6%A7%98%E4%BD%93

 

但し、地球の表面にいる我われの目が平面しか意識できないのと同様に、その超ミクロの二次元の抽象化である極小曲面にR3側から接して立つことができる者の目には平面しか見えない筈だ。

 

しかも、仮にその極小曲面の薄膜層(数学理論上は抽象化された実体のないものの筈だが、例えば石鹸膜(シャボン玉などの)の実在する極小面の実体は超ミクロと雖もリアルな一定の厚さを持つ実在(三次元の存在)の筈だ!)の内部に入ることができた者がいるとしたとき、その者の目はどの様な外界の光景を見るのであろうか?それは地球上と同じくユークリッド平面の地平なのだろうか?残念ながら、このことに触れる文献は今のところ見当たらない!(苦w)。

 

上に掲げた『クラインの壺』(画像はウイキより)をユークリッド空間に埋め込むには4次元、曲率0とすると5次元が必要である。だから、3次元空間には通常の方法では埋め込み不可能だが、射影して強引に埋め込むと、自己交差する3次元空間内の曲面になる。その形を壺になぞらえたものが当イメージである

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%BA)。

 

・・・また、四次元空間以上の多次元空間はイメージできないとされてきたが、極小曲面の数学的な研究が進むにつれて、共連続構造(Ex. ABブロック共重合体の共連続構造を与える三重周期極小曲面/結び目による空間の連続が可能?)等の研究によって、例えばブラックホールなど未知の空間の多次元構造が推測されるようになってきている。

https://www.jst.go.jp/crest/math/ja/caravan/20141129_Mito/1-Koiso.pdf 

 f:id:toxandoria:20210304071808p:plain


f:id:toxandoria:20210304071607p:plain

 f:id:toxandoria:20210304071925p:plain

 <参考>複雑経済の見方、先人(高橋亀吉)に学ぶ2021.2.13日本経済新聞

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1361938788348358656

f:id:toxandoria:20210305153628p:plain

(注)高橋亀吉(1891 – 1977/経済評論家・経済史研究者、石橋湛山と並ぶ日本の民間エコノミストの草分け的存在。元・東洋経済新報社編集長など歴任。https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E4%BA%80%E5%90%89-92705                      

◆「高橋亀吉の眼差し=ヒト(日常の多様性でこそ生きられる)のための経済、およびロイ・ハロッド(シュンペーターに先行する経済動学化の祖)&ケインズ重視」との理解は慧眼!

・・・例えば、ミルトン.フリードマン市場原理主義(非ユークリッド重力理論の援用)も、or 流行りのAIディープラーニングと雖も、その実態は殆どが「高次元数学空間」の写像であり、それは「リアル自然&ヒトの日常」とは異次元!又、人間の思考と断絶するディープラーニングが人間社会&自然の多様性と対極の閉鎖性(分断・排他・差別別主義)の罠に落ち易い性向を持つ危険性のあることがAI研究者自身により自覚されつつある(Ex.↓★)。

 

アルゴリズムデータサイエンス機械学習ディープラーニングの限界、POSTD 

https://postd.cc/the-limitations-of-deep-learning/

★深層計算(多層計算)“ブラックボックス”問題(深層計算ではベイズ統計の帰納論理(多層機械処理の不分明さ」だけでなく、そもそも所定の母集団の概念がなく、得られたデータから確率を何回も更新する)が思想ベースとなっていることも当問題の一因!)に関するエトセトラ、

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003

 

 ・・・故に、同じ経済動学の手法であるとしても、例えば宇沢弘文「不均衡動学」の如く、「経済成長=リーマン幾何学的な多次元空間における巡航速度(必須のベクトル成分)と理解しつつも、同時に、特に日本政府は、格差の是正&抑制への真剣な努力で、それが実際に「日常でリアルに生きるヒト」のため役立つよう、つまり、「Fiduciary/リアリズム倫理」(ベースは社会的共通資本)を最重視することで、たとえば非ユークリッド(リーマン)曲面における接成分0の“曲線”あるいは曲面の測地的曲率ら、3次元空間で生活する一般の人々には中々実感し難い「抽象論理の成果」(or AI機械高度生産性)を、いわば我われが日常的に理解しやすい「“ユークリッド直線”(同測地線)等に相当するリアル分配所得(生命論的、つまりエネルギー通貨的な経済価値)」へ読み替え、翻訳できるようにする具体策(ベーシックインカムはそのための基本である!)へ取り組むことで、経済学あるいはAIディープラーニング(膨大な数の高次元関数が連鎖する深層学習による特徴点の算出)など先端科学技術の成果を普通一般の人々が日々の幸福のため本格的に、かつ安心して日々に利用できるような方向へ大急ぎで社会的選択(政治経済)の軌道修正を図るべきである。 → 複雑経済の見方、先人(高橋亀吉)に学ぶ2.13日本経済新聞

https://nikkei.com/article/DGKKZO69080710S1A210C2EN2000/

 

宇沢弘文『社会的共通資本』について)

 

<注>(1)「不均衡動学の内容」および(2)「社会的共通資本と不均衡動学の関係」については、下記◆を参照乞う。

 

宇沢弘文「経済学の考え方」-岩波新書-(1)

◆大塚信一「宇沢弘文のメッセージ」-集英社新書-(1)

◆「環境」を分析できる理論に挑み続けた経済学者の遺言=佐々木実 2020224エコノミスト https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200303/se1/00m/020/044000c (1)

市場原理主義ミルトン・フリードマンら)の天敵!宇沢論文「不均衡動学」の理論 

 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035 (1)

f:id:toxandoria:20210304142933p:plain

宇沢弘文、傑作論文全ファイル-東洋経済新報社-(2)

宇沢弘文「経済動学の理論」:1986 -東大出版会-(2)

宇沢弘文作習5「経済動学の理論」-岩波書店-(2)

 

・・・下記★より、部分転載/なお、『社会的共通資本』と一体、いわばそれと表裏の関係にあると見るべき宇沢弘文『不均衡動学』(動学経済理論)の委細については、同じく下記記事★を参照乞う。・・・

 

★日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035

 

宇沢弘文は、次のように説明している。まず概念的には、以下の三つに纏めることができるが、数学と言語は、「(3) 制度資本 教育,医療,金融,司法,文化」のカテゴリーに入る。

 

ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.

 

社会全体にとっての共通の財産であり、それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理、運営される.

 

一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を保ち,市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し,真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する.

 

具体的には、以下のように類型化できる。

 

(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気

 

(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス

 

(3) 制度資本 : 教育,医療,金融,司法,文化

 

・ この分類は必ずしも網羅的ではなく排他的でもないあくまで社会的共通資本の意味を明確にするための類型化である

・ それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観(フィデューシャリー(fiduciary))にもとづき管理、運営される。

 

宇沢理論(不均衡動学)と古澤理論(不均衡進化)が共有する『変異の閾値』の問題)

 

(数学の本質と社会的共通資本が共有する五つの特性)

 

 

先ず、ここでは上で取り上げた『宇沢弘文の数学』(青土社)の著者・小島寛之氏に従いつつ数学についての概括的な説明を試みる。それによれば、まず数学とは「人間の数認識、図形認識、論理操作が一体になったもの」である(ハイデガーの画像(1960、ノーベル賞授賞式典)はウイキより)

 

一方で、人間は生まれつき(それが非常に意識的であるか、あるいは無意識的であるかはともかく)、ハイデガーM. Heidegger1889 - 1976)の「現存在/Dasein」を含む世界の全体を捉えることを、絶えず数に置き換えたり、図形に置きかえることなどの工夫で実現しようとするし、また関数を使って客観的な時間の変化(同時に、それに伴う量的・質的な変化など)を理解したり、論理を使って因果を推論しようとしたりする、更にはそのうえで、絶えず新たな世界を展望しようとする特性を持っている」ことになる

 

このような視座から数学を見直すことで我われは、数学が「それは人間の認識力や生存(オミクス生命論的な意味での生命そのもの)と不可分なもの(言語の人称的表現を超えた、強いて言えば三人称(共有)術語的で根源・土壌的な存在)であり、それゆえ必然的に数学は様々な社会的な機能をも備えていることになり、決してそれは世間離れした、しばしば酔狂な(唯我独尊の)生き方を好むとされることさえある数学者のための机上の空論ではない」ことが理解できる

 

つまり、「机上の空論」どころか当記事の表題にも掲げたとおり、数学には「リアリズム倫理(Fiduciary)を育むというリアル良循環(いわば、・・・リアリズム倫理→原因の空間(数学・言語空間での選択)→理由の空間(リアル日常で事象が連鎖する空間での皮膚感覚的な理由の選択/Cf.↓★)→リアリズム倫理(Potenz(展相)した新たな倫理観の選択)→原因の空間→理由の空間・・・という)をもたらす土壌またはそのためのツール」としての重要な役割があると」見るべきなのだ。そして、上掲の著書の中で小島寛之氏は「宇沢弘文が、社会的共通資本と数学が共有する五つの特性」を不均衡動学(宇沢動学理論による原因の空間の選択)に関連する重要なポイントとして指摘している

 

★皮膚は「露出した脳」、あるいは「第 3 の脳」といわれる 。生理学からみると、皮膚と脳の間には共通点が見つかっている。脳は発生の過程で、皮膚と同じ外胚葉から形成されている。また最近の研究では、皮膚にも脳にあるものと同じ物質さえも見つかっている。:「皮膚感覚と脳」山口創 桜美林大学教授(日本東洋医学系物理療法学会誌 第 42 巻 2 号)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsop/42/2/42_9/_pdf/-char/ja

 

・・・

 

原因の空間と理由の空間は米国の「心の哲学」の哲学者、Ⅾ.ディヴィドソンの用語であるが(関連参照 →D.デイヴィッドソン「トークン同一説」/非法則的一元論、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035)、それは、先ず「原因の空間(エトノス環境1/厳然たる客観としての環境(気付いていないか、或いは気付いた瞬間に既に其処に存在していた自己を含む諸個体と諸事象の射影の集合とも言える)=数学と言語をベースとする、おもに自然科学の対象となる分野/つまり論理性の対象の射影の集合」と「理由の空間(エトノス環境2/リアル日常での因果的な連鎖・関係性の拡がり)=おもに人文科学の対象となる、皮膚感覚的に理解する分野」という、異相の二つのエトノス環境についての気付きが非常に重要となる、ということだ。

 

又、時間の流れに沿った両者(1と2)の交点(あるいは断層空間と見るのが適切かも?)が我われが生きる「一回性のリアル日常空間」ということになる。一方、オミクスとエトノスについては、とりあえず「オミクス=ヒトの内外に拡がる生命環境」、「エトノス=ヒトの内外に拡がる自然・文化両環境」と置き換えても良いだろう。

 

そして、このような理解があって初めて「・・・原因の空間(の選択)→理由の空間→リアリズム倫理→原因の空間(の選択)→理由の空間・・・」という良循環のサイクルが「一回性のリアル日常空間で生まれる」ことの意味が容易に理解できるようになるはずだ。そのような意味で良循環のサイクルが生まれる「一回性のリアル日常空間」とは、まさにハイデガーの「気づかう人間存在」が生きる、つまり我われが今生きている此の現実世界(人間の思考がそこで運動せざるをえない根本的な場、今現在のリアル時間の場)のことに他ならない

 

そして、くり返しになるが、それはハイデガーが、その主著『存在と時間』の中で、人間存在について「それは共存の中で互いに相手を気づかう人」(cura/ケア(care)の語源)のことだと指摘していたことに重なる。また、我われはハイデガーが人間を「ホモ・クーランス(気づかう人)という語で特徴づけていたことも忘れるべきではないだろう。

 

ともかくも、このような「一回性のリアル日常空間」について“それが非常に動的でフラジャイル(Fragil/デリケートで壊れやすい)ものであり、しかも新自由主義の如く、それを無責任に市場原理主義(完全合理を謳う偽装合理主義のジャンル、更に言えば魔術的な偽装合理主義)へ丸投げする儘に放置すれば、必ずや大きく不均衡化する(原因・理由両空間の負の相互作用に因る大格差の出現もその一端の表れ)ことになるのは、もはや論を待たぬことである(関連後述 それは「不均衡変異モデルにおける変異の閾値❞」(古澤理論)での<ゼロサムの赤の女王に抗う鬩ぎ合い>こそが生命持続の正体だという気付き!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035)。

 

だからこそ、Fiduciary(リアリズム倫理に裏付けられた職業倫理)の観念の重要性を十分に理解したプロフェッショナルの専門的知見(数学、統計、経済、財政、医学・AIおよび他の自然・人文・社会諸科学)に基づき社会的共通資本が管理・運営されてこそ、上のような意味での良循環サイクルがリアル化する!”との信念で、宇沢弘文「不均衡化を矯正し得る数学(数学論理)の本質と社会的共通資本が必然的に共有する五つの特性」を指摘していたことになる。

 

・・・小島寛之宇沢弘文の数学』(青土社)より、「数学の本質と社会的共通資本」が共有する五つのポイントを箇条書(要約&所見付記)にしておく。・・・

 

[本来性]

 

・・・数学(および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)は、決して、人間が内外の自然(オミクス生命論的な意味での内外のマクロ・ミクロの自然を想定している)を「ただ、ありのままの自然」として受け止めるためのものではなく、かくもか弱い(ゼロサムの赤の女王(既述)のパワーと比べれば!)人間性の負の部分を補完するための矯正ツールとして利用が可能なものだと理解できる。つまり、これらは「人間のそもそもの本来的なあり方(敢えて言えば環境生命論の謂いでの唯識的or Dasein的な人間性のネオ・エナクティヴィズム(enactivism))」を実現するためのツールである、という意味で、本来性の意味(本来的な実存的な役割)」を持っていることになる。

・・・この視点は既述のハイデガー「現存在(Dasein)」の時間の意味にも重なる、つまり、人間はその個々人の本来性を発揮するため生きるのであり、そうすることで客観的(物理的)な時間とは異質で、かつ代替不能な“一人ひとりの自分なりの、つまり一回性の個性的な時間”を創出しながら生きていることになる。(toxandoria)

 

[言語性]

ヒトの言葉 機械の言葉 「人工知能と話す」以前の言語学 (角川新書) | 川添 愛 |本 | 通販 | Amazon

・・・数学(および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)は、たとえAI(深層学習(ディープラーニング)といえども敵わぬほどの「コミュニケーション装置」としての役割(Cf.川添 愛『ヒトの言葉、機械の言葉/人工知能と話す以前の言語学』(角川新書))、つまり言語性(コトバの論理的なパワー)を担っている。

画像3

・・・特に、社会的共通資本が持つ技術性の側面は、例えば悪しき権力(暴政/@将基面 貴巳著『政治診断学への招待』-講談社選書メチエー)の「私利私欲の追求」や「国家権力による特権的私物化」の道具として乱用されると、市場原理、競争原理、官僚専横、恣意的な国家権力的運用などによって、その社会的共通資本の存在そのものが棄損される恐れがある。

・・・民主主義社会である限り、そのような暴政型の被害とは言論(言葉)によるコミュニケ―ション(議論等の場面)で闘う以外に術はない。一方、言語の論理の典型は「記号論理」で、数学の論理の典型は「関数」(既述)ということになるから、宇沢弘文「不均衡動学」がそうであるように、数学(記号論理)を適切にコミュニケ―ションの素材として取り込むことによる人間社会への恩恵が非常に多大なものであることも間違いはない(toxandoria)

・・・また、記号論理と数学論理は歴史的に一体化しつつ記号論理に回収されたかにも見える現状だが、依然として数学論理の空間(幾何学的性質・数的性質、あるいは物理数学的な性質を含む領域)は、例えばメルセンヌ合成数複素数空間、タイヒミュラー空間etc.と拡大しつつある。このため、現代の記号論理の論理体系の分野では‘’直観主義、構成的、様相、時制、内包、二・三階、高階述語”論理etc.という具合で、様々な量化・質化・制限化などの工夫が行われている(toxandoria)。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~hagino/logic18/14.pdf

・・・ところで、一般的な意味でのコミュニケーション(議論等の場面)において相手の「意図」を理解するには、状況や関係性を瞬時に判断しつつ、言外の意味まで考慮に入れなければならないのだが、ヒトはそれを無意識のうちに行っている。一方、そのブラックボックス化の問題(関連後述)、フレーム問題(https://ledge.ai/frame-problem/)等が主な原因となって、AI(深層学習/ディープラーニング)が、このようなヒト・レベルのコミュニケーション能力を持つのは簡単に実現しそうもない(toxandoria)。

・・・つまり、「オミクス生命(環境)論」的に見ればそもそも自然環境とミクロ・マクロの両面で繋がりを持たない、というか断絶した存在(非生命・非人間=非『Dasein/既述:@ハイデガー』)であるAIツール(ロボット等)がヒト同然の「意識」(言葉等)を持つとは思われない。もし、そうではないとするAI学者らがいるとすれば、彼(or彼女)は18~19世紀心理学とフランケンシュタインの亡霊を引きずっている可能性が高いと思われる。(toxandoria)

 ・・・結局、ヒトは賢く、適切に、例えばFiduciary(リアリズム倫理)の最重視を前提とする宇沢弘文「不均衡動学」の如く、数学とAIを 「個々人のヒトの一回生の意識と時間の充実」に十分貢献できるように活かす努力について、最善を尽くすべきだということになるだろう。(toxandoria)

 

[歴史的伝承性]

 

・・・意外と思われるかも知れぬが数学(および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)は、歴史的伝承性を持っている。既に見たとおり、教育も社会的共通資本であることから社会的共通資本の歴史的伝承性は容易に理解できるだろう。しかし、数学もれっきとした歴史的伝承性を持っているたとえば、当記事の冒頭で書いたことだが中国では西欧における小数法に関わる記述の仕方や関数(関数の求根アルゴリズム)、一次・二次連立方程式、あるいは円周率の発見などが、17世紀西欧(科学革命の時代)を少なくとも約2千年以上も遡ることが歴史的に知られている。これら歴史的事実(古代の自然哲学等も含め)についての往還的な比肩・分析・論考のプロセスから数学そのものについての新たな視点の発見などがあり得ることを否定することは傲慢!というべきであろう

・・・それどころか、もし「数学は凡ゆる人知を超越しそれらを超然と凌駕する唯一の絶対“真理”知ワールドである!」とする、いわゆる原理主義的な数学プラトニズムの立場があるとすれば、それはリアル日常の生命にとって非常に危険なことであろう

・・・そして、これと異なる視点から「数学(不均衡動学のヒュレー)」の歴史的伝承性を説明することができる。その委細は、次節の[不均衡動学と不均衡進化が共有する『変異の閾値』の問題]へ譲るが、『不均衡進化』論の提唱者である古沢 満氏の言葉<生物を支配する法則は「複製、そして保守(歴史性/補、toxandoria)と革新のカップリング」である。:古沢 満コラム( thtps://www.chitose-bio.com/furusawa_column/column06.html が、そのヒントを与えてくれる。(toxandoria)

 

[地域文化性]

 

・・・数学(数学および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)が地域文化性を持つことは殆ど論を待たないであろう。例えば、地域の個性的な自然環境を重視しつつ、同時にその自然環境と調和する経済活動のための「コモンズ(共有地)」https://home.hiroshima-u.ac.jp/~yamao/lecture2/seisankanri3.pdf)は明らかに、この地域文化性と歴史的伝承性を併せ持っている。

・・・「第1章-(数学史で注目すべきこと)」で触れた「中国ではBC3世紀・秦の時代において、既に根の展開法(関数の求根アルゴリズム)が知られていたと推測される」ということだけに止まらず、東西の数学史についての多様な側面からの比較で、東西の両思想や文化に関わる根本的な差異の発見があり、異文化についての理解が、より一層深まる可能性が絶えずあり得る。その事例となる文献の一部を下に引用・転載しておく。(toxandoria)

 

『負数は算法の汎通 (いつでも引き算ができるようにしたいという願望) のために創造されたのではない.たとえば、a − b = a + (−b)という公式は東洋では紀元前から知られているが、西洋数学では 20 世紀になって登場したのではなかろうか。(−a 、−bという概念がなかったからである!)感情的な側面ばかりではなく、学問レベルでも負数が自由に使える時代になっても、負数と負数の積が正数になることの合理的な説明ができなかった(今は実数の性質を公理と見立てる数学的帰納法の考え方で説明できる

https://atarimae.biz/archives/4201/補、toxandoria)。19 世紀の代数学書の中には、負数とその演算を駆逐することによって基礎付けの厳密性を維持しようというものまであったという。(『カッツ:数学の歴史』p.767 参照)』/出典;高木貞治に見る数学思想の変遷/足立恒雄 (早稲田大学理工学部・教授)https://mathsoc.jp/publication/tushin/1502/1502adachi.pdf

 

(補足1)「負の数の歴史」より部分転載/・・・西洋にはもともと負の数の概念がなく、17世紀頃まで負の数の概念に抵抗を見せていた。2次方程式に「負の根」が存在することは見つかっていたが、「無意味な数」・「かりの数」・「不合理な数」として扱われていた。これは負の数を実世界で見つけることができなかったためで(たとえば、負の数のリンゴを持つことはできない)。しかし、その後、実社会での負の数の必要性に迫られて、「与えられた方向と反対方向を表すもの」という解釈があたえられ、数学界で数として認められた。・・・https://ameblo.jp/matterhorn33/entry-10725509844.html

 

(補足2)「虚数の発見」/1545年にイタリアのカルダーノが、同じくイタリアのボンベリが三次方程式の二つの解に「不可解なもの」(虚数に相当するもの)が現れるのを知ったが、彼らは虚数との概念を持たず、それら(複素数虚数部分に相当する)を「不可解な数字」とした。ルネ・デカルトもそれを否定的にとらえ、1637年に著書『La Géométrie(幾何学)』で初めて "nombre imaginaire"(想像上の数)と名付けた。これがその後の英語 "imaginary number"、日本語「虚数」の語源となった。・・・出典:ウイキ

 

・・・また、世界最古の本とされる古代エジプトの「リンド・パピルス数学書で、これも歴史的伝承性と地域文化性を併せ持つ存在だと見るべきであろう。

・・・このリンド・パピルス(Rhind Mathematical Papyrus)には、単独方程式や連立方程式、等差級数や等比級数が見られるが、幾何では、長方形、直角三角形、二等辺三角形の面積のほか、円の面積の近似値を求める方法などが書かれている。https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA10058)(リンド・パピルスの画像はウイキより)。

 

[技術性]

 

・・・数学(および社会的共通資本)の技術性との関りは容易に連想できるのではないだろうか?しかし、単純にマクロ・ミクロの「工業的な技術」(そのベースが数学)と考えるのであれば、それは短絡である。

 

・・・それは、そもそも社会的共通資本は、人間がその本来的な人間としてのあり方、つまり絶えずより良いあり方を求め、より尊厳ある暮らしを実現するために利用する財やサービスを創造する機械的ないしは科・化学的な手段等の技術が相当な部分を占めるものではあるが、同時にその裏面では必ず地球環境問題や資源・エネルギー、あるいはオミクス生命論的な視座との関りなど、非常に重く多様な課題とも繋がることになるからだ

 

・・・つまり、それはヒトのみならず地球上の全ての生命(諸自然環境)等とも関わる可能性があり、場合によっては一気にベクトル方向性が反転し、その技術自体が環境や我われ自身の存在をすら脅かす大きなリスクと化す可能性も考えられる

・・・また、社会インフラや学校教育、医療、福祉などの制度資本もシステマティックな技術と見ることが可能であり、その視点からすればこれらの分野も数学との関りが特に深いものとなるだろう。そして、このような視点については、この後すぐに述べることになる「DNAオーダーのミクロ・オミクス生命論の領域における『変異の閾値』のジャンルの問題との関りについて、想像力を十分に働かせつつ、より深く考えることが特に重要となるのではないだろうか?

 

(不均衡動学と不均衡進化が共有する『変異の閾値』の問題)

 

・・・それは、二本のDNAがほつれて複製されるときに生ずる「二本の鎖」についてのことである。・・・

 

f:id:toxandoria:20210308031904p:plain

分子生物・進化学者である古澤 満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)の『不均衡進化論』-筑摩選書-)によれば、『元本保証の多様性創出の法則』が生物界の底に流れていると推測(仮説)されるが、DNAから社会に至るまで、生命現象のあらゆる場面では“保守”と“革新”の間の葛藤(ゼロサムの赤の女王との闘い)が起こっていると考えられる。

 

<注>ゼロサム「赤の女王」・・・「赤の女王」は、ホッブスリヴァイアサンを「自然(おそらく宇宙スケールも含む意味での?)、政治、経済、社会、文化」の全般にわたり作用する不可避の共通原理と見なす考え方(『自由の命運 上、下: 国家、社会、そして狭い回廊』(早川書房)の著者、ダロン・アセモグルと ジェイムズ ・A. ロビンソンによる)。それを放置すればゼロサム化するのが必然なので、これに薄皮一枚で必死に抗いつつ生き続ける全生命の一環たるヒト(の社会)でも、必然的に永続的な薄皮一枚の「この意味での努力」の持続が厳しく求められている。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

 

ビッグクランチ&ワイル曲率仮説によるマクロに見た宇宙の生成と未来)

 

f:id:toxandoria:20210308032306p:plain

ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房)は ホーキングが「ビッグバンとビッグクランチ(無次元の特異点)の相違は前者がワイル曲率の極小で後者は極大であり、その差こそが重力場エントロピーの大小を決める決定的要因で宇宙論的な時間の矢は宇宙の両端の境界条件(恣意・操作・演繹的な謂いでの物理パラメーターが不在化の状態?@ホーキング

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/21/4/21_4_183/_article/-char/ja/

/補、toxandoria/Dasein?)で定まる」と説いたことを紹介している。 

・・・ペンローズによれば、ワイル曲率はリーマン曲率テンソルtensor)の一部で、それは「閉じたフリードマン宇宙」(現時点における宇宙の時空の実態を記述する有力な仮説モデルの1つhttps://astro-dic.jp/friedmann-universe

)のイメージとして、ペンローズの著書『心は量子で語れるか』(ブルーバックス)の中で解説が加えられている。なお、量子力学ニュートン力学(伝統物理学)の統一理論の存在を探るR.ペンローズの視座は、このフリードマン宇宙仮説の妥当性の保証に接近しつつある。

 

・・・言い換えれば、ワイル曲率は一般相対性理論における数学的な宇宙の時空世界であるが、テンソルとは線形的な幾何概念を一般化したイメージ概念であり、これで多次元の配列が表現できる.。また、ライプニッツに由来するとされる、ベクトル束線形代数で言う、一定の方向性を持つ独立な線列の束)の原点である基底を決めれば、そのテンソルのイメージは作図できる。なお、数学的な意味でのテンソル自身は、特定の座標系によらないで定まる対象である(下、数学的なテンソルのイメージはwikiより)。

 

f:id:toxandoria:20210308033814p:plainf:id:toxandoria:20210308033941p:plain

 

・・・当「閉じたフリードマン宇宙」のイメージ画像は『ブログ:科学と技術の諸相/第3章.膨張する宇宙~動的世界観の復活~』

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L1_03.htmより転載した。

 

・・・ラグビーボール状のイメージの上端をビッグバン(エントロピー極大/ワイル曲率0)とすれば下端がビッグクランチエントロピー極小/ワイル曲率∞)となる。また、ラグビーボール状イメージの中間の下端に近い領域にホワイトホール(white hole)が存在し、真逆に上端に近い領域にブラックホールが存在することになる。

 

・・・これらは、ブラックホール解を時間反転させたアインシュタイン方程式の解として、一般相対性理論で理論上で議論される天体である。ブラックホールが事象の地平を越えて飛び込む物質を再び外部へ逃さずにすべてを呑み込む領域であるのに対し、ホワイトホールは事象の地平線から物質を放出すると考えられる。

 

・・・興味深いのは、このラグビーボールの全体から、更に「輪廻」(・・・→誕生→生成→消滅(死?)~再生・・・)という象徴的な意味での円環のイメージが想像的に理解できることである(Cf.↓▼)。言い換えれば、それは、このことから「ヒトと世界」のリアリズムについて、更に、新たな「認識論的解釈(epistemological interpretation)」の可能性が拡がるのではないか、と思われることである。

 

▼「維摩経」の良循環と真逆の「靖国原発ダブルス顕幽論カルト」、それは「超格差拡大・原発推進・武器輸出・戦時体制強化」なるアベ・スガ一派・反知性主義(意識&生命論理の政治利用!国家神道リバイバル派ことJPNトランプ(誇大妄想のエコーチェンバー)派?w/20210310 補、toxandoria)の賜物 https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20140502/p1

・・・(関連)中嶋 哲史@J_J_Kantf:id:toxandoria:20210308034303p:plain

https://twitter.com/J_J_Kant/status/1367575153509470208

島薗進国家神道と日本人』(岩波新書)を読むと、日本近代劈頭のボタンの掛け違いは「国家神道」(反知性主義/補、toxandoria捕、toxandoria)だったのだと思う。立憲君主制を採ったことはまあいいだろう。しかしその原理になぜ古代王朝の神話を持ち出さねばならなかったのか。他の選択肢はなかったのか。この時のツケが今も回っている気がする。午前5:38 · 2021年3月5日·Twitter for Android

 

 【参考動画】DNA replication - 3D


DNA replication - 3D

 

一般に、生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストン(DNA を核内に収納する役割を担う塩基性蛋白質)に巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成し、これは「不連続鎖」と呼ばれる

 

 そして、岡崎フラグメント(DNA複製の時に形成される比較的短いDNA断片、

https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88-762595がある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説木村資生:中立進化説/機能を持たない偽遺伝子の役割り=サバイバル・オブ・ザ・ラッキイスト(平等主義)

https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000003.php)、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが形態に影響する総合説(多様なDNA修飾レベルの諸影響が視野に入る、http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0070.htm

)の作用と細胞へ影響を与える多様な外部環境(ミクロ or エトノス、別に言えばエピジェネティクスまたはオミクス)との共鳴・協調・競合が窺われるhttp://goo.gl/tQGcAY +補記@toxandoria )。

 

ともかくも、このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(進化心理学上での伝達される文化、を連想させる!)。一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(進化心理学上での誘発される文化、を連想させる!)。

  

そして、「連続鎖」での変異の発生が比較的大きいときでも(とはいえ、それは相対的に小さいものであるので)、諸環境の変動がない場合には、やはり変異発生の比較的小さい「連続鎖」側により現状がほぼ維持(保守)・継承される。

  

他方、もし大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きい「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せた全体の進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる。「変異の閾値とは遺伝情報に関わる一定数値の範囲のこと(それには限界があるということ!)で、変異がこの「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの海>に沈むことになる。

 

恐ろしいことだが、これはアダムスミス(そもそも、それは誤解されたアダムスミスと言うべきだが!)、あるいはネオリベラリズム新自由主義)に因る、市場原理主義への十把一絡げの愚かな丸投げ行為の如き自然選択、つまり神(or赤の女王)の手に委ねられることとなる。言い換えれば、この状況はブラックエレフアントの発生による、一種のシャッフルに委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか、我われ生命個体の死を意味することも連想させられる!

  

しかし、古澤満氏は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの海>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説)、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が重要だとする。そして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?)と名付けた訳だ。

  

<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?

 ・・・J.ラマルク(ブルボン朝~王政復古期のフランスで活躍した博物学者)の考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるが、より根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味する。 

https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150 )。

  

このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要があるが、余りにも煩瑣になるので、ここでは説明を省かざるを得ない。

  

ところで、古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態・生命環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように常時スタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵と制度をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承するためのリアル経済制度(エネルギー通貨をモデルにする)と教育こそが肝要」だということになる。

  

また、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス、あるいはオミクス環境と見立てることも可能な訳であり、そのように考えれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの伝統文化の進化、あるいはネオ資本主義論」などの新たな展望が、AI研究、宇宙物理、自然哲学ら諸科学の進化・深化と相俟って実現することになるだろう(否、そうならねばならない!)。

 

 4  リアリズム倫理に関連する宇沢弘文の「社会的共通資本と不均衡動学」は、これからも一層探求すべき重要テーマとなる!

 

結局、上で見てきたとおりであるが、不均衡動学理論と不均衡進化論は、それぞれのフィールドは全く異なるが、両者は『変異の閾値』の問題を共有していることが理解できる。

 

無論、<不均衡進化『変異の閾値』に学び不均衡動学(経済)でも、投資効率を高めるため"積極操作的"にリアル経済へ諸政策を総動員せよ!>などと戯けたことを主張している訳ではない。当然、"操作・実践"のための処方(数学・統計を駆使する数理経済学、つまり動学経済論)である前者と、分子生物学の"観測"知である後者は全く対象となる次元が異なる問題である

 

しかし、例えばこの両分野に共通する問題として特に注目すべきことがある。それは発生学の応用分野であるゲノム編集技術が実践面で暴走しっつある現況に関する恐るべき問題である。なぜなら、市場原理主義一色に染まる現代の政治経済の下においては、方や「リアリズム倫理と人道」の両面の観点からすれば、此の問題が両者に深く関わる典型的な『変異の閾値』マターとして立ち上がってくるからだ(↓★/関連後述)。

 

 

f:id:toxandoria:20210308073952p:plain

★【2019ノーベル賞解説】「”人格、知能、芸術・運動能力など理想のヒトのデザインのため遺伝子を自由自在に改変できるゲノム編集技術”:クリスパー・キャス9」って何?新型コロナにも有効?/安全性確保に課題 標的とは異なる突然変異 標的近くで欠損・再編成20201008日刊工業新聞https://www.mitsubishielectric.co.jp/business/biz-t/contents/newswitch-column/column018.html 

 

以下に、これら両者の『変異の閾値』の在処を具体的に押さえ、それを有効に活かすためのポイントを纏めておく。

 

不均衡動学(宇沢弘文/経済動学)

・・・ゼロサム「赤の女王」へ対峙が可能な『変異の閾値』の同定&操作(数理経済的、リアリズム倫理的な政治・経済の選択)=一強ヒエラルキー分業、ネポティズムならぬ多数派層との対等な「共食」の基盤となる生命エネルギー通貨(ベーシックインカム)を『変異の閾値』(上下限の限界判定と選択)の範囲と見なすことに関わる動学的な判定と操作が必然/故に「数学の本来性と言語性」の適切な活用が最重要!

 

不均衡進化論(古沢 満/分子生物学

・・・ゼロサム「赤の女王」へ対峙が可能な『変異の閾値』の研究(オミクス論的な探求)のみならずDNAの98%を占める「偽遺伝子/Pseudogene

https://bookpass.auone.jp/review/?iid=LT000086115000709392 

」(DNAのみならず、一見では"ただ存在するためだけで全く不要に見える"対等な共食or寄生的な個体内の存在がウイルスでも発見されている!/↓)に関わる「発現制御・持続性安全保障」等の更なる研究からリアリズム倫理的な政治・経済の選択の方向性を探り「ゲノム編集技術」等の暴走へ歯止めをかけることも必然と見え始めている!

 

哺乳類の胎盤形成には内在性("共食or共存or寄生"関係?)のレトロ・ウイルスが関与していた!/今川和彦(東大大学院農学生命科学研究科・教授)

https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/2015/20151005-1.html

・・・(関連動画)NHKヒューマニエンス:ウイルスは進化の原動力-哺乳類(の胎盤)はウイルスの力で誕生した

 

(エピローグ) カズオ・イシグロの新作、『クララとお日様』(早川書房)が示唆する<社会的共通資本の認識不分離性>の問題(クララは未読なので、殆どが妄想レベル!/苦w)

 

クララとお日さま

ノーベル文学賞受賞第一作!  カズオ・イシグロ最新長篇 『クララとお日さま』2021年3月刊! (2020/06/16)

・・・実に6年ぶりとなる新作の主人公はクララという人工フレンド(Artificial Friend)、つまり子供の遊び相手として製造された人工知能搭載ロボットです。ある少女の家に買われていったクララは、献身的に少女に尽くしますが、一家には大きな秘密が……。2021年秋に著者の来日を予定しています。/子供の愛玩用に開発された人工フレンドのクララ。好奇心旺盛で店のウィンドウから外の世界を観察するのが大好きだ。ある少女の家庭に買われていったクララは、やがて一家の大きな秘密を知ることに……愛とは、知性とは、家族とは? 根源的な問いに迫る感動作:以上、早川書房HPより部分転載。https://www.hayakawa-online.co.jp/new/2020-06-16-220515.html

・・・(関連)水のイマージュ2/正確には市場原理に呑み込まれた技術革新の不安と未来では?それは、そもそもヒトにとっては市場の「外側」で作用するものこそが<損得>風味の「向上処理」などより遥かに大切だから! →イシグロさん新作、技術革新の不安と未来 ノーベル賞後初、6年ぶり303朝日 

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1368818627273662466

f:id:toxandoria:20210308160244p:plain

 「宇沢弘文の数学」の著者・小島寛之氏によれば、社会的共通資本には「認識不分離性」という重要な問題意識がある。

 

認識不分離性とは、社会的共通資本が民主主義のベースである倫理、教育、選好、嗜好など何らかの重要な価値観の認識と深く結びついているという意味で「不分離性」があるということだ。

 

だから、その弊害として、例えばそれは「経済的な負け組の家庭で育ったため、そもそもの教育の意味自体が理解できなくなってしまう」ようなことが起こる。

 

科学技術にせよ、芸術にせよ、それら凡ゆるものが市場原理主義に呑み込まれれば、そもそも市場の外にあるべきものの(教育はおろか、愛、家族、知性などの)意味が分からなくなる恐るべき事態となる訳だ。

 

つまり、社会的共通資本と不均衡動学はそうならないための最後の砦とも言えることになる。Fiduciary(リアリズム倫理)が伴う所以でもある。

 

だから、科学者や科学技術者らも例えば「アインシュタイン一般相対性理論GPSの誤差測定の微調整で技術的に役立っている」からといって、ゆめゆめ「 一般相対性理論絡みで市場原理主義に回収されぬよう」に注意して欲しい。

 

f:id:toxandoria:20210308173301p:plain因みに、一般相対性理論の時空と重力が融合した演繹的な描像は、たしかにその一部がリアル観測で科学的に検証されてはいるものの、未だまだそれがファンタジーであるかも?ということが全否定された訳ではないようだ(要参照 →末尾添付資料『<現在>という謎』)。

 

<注>「特殊相対性理論一般相対性理論」について

特殊相対性理論は、操作的な実験観測である「マクスウェル電磁気理論の対称性に依拠した、アインシュタインの『光の交信による現在時間”』の測定(1905)」に基づく理論なので、「光の速さに近づくと時間が遅れる(速さは高速を超えることができない)」ことは、科学的事実として無視できない。一方、「リーマン幾何(測地線の方程式)+(古典)力学+重力(重力場アインシュタイン方程式)」に基づく一般相対性理論(発表/19151916)は演繹的な理論なので、それが科学的事実であることを確定するため様々な観測が続けられている(関連参照↓◆)。

 

アインシュタインはどこまで正しい? 検証が進む相対性理論/真貝寿明(大阪工業大学情報科学部教授)https://www.oit.ac.jp/is/shinkai/nishinomiya/2020nishinomiya.pdf

 

・・・ 

一方、全宇宙の謎(その根源にあるもの)については、下記資料(↓◆)のような興味深い展望も見えつつあるようだ。しかし、繰り返すことになるが科学者、科学技術者、あるいはAI研究者らは、ハイデガーの「Dasein」(か弱きリアル日常の現存在)を想起しつつ、ゆめゆめも権力(Ex.国家神道カルト("日本会議系:安倍・菅"らのネポティズム一派)、日米"マイファースト原理主義"トランピズム支持派等)と癒着した市場原理主義(者)らに丸裸にされ、宇宙ごとゴッソリ回収されぬようにして欲しい。

 

ペンローズの“忘れられた考案”が超ひも理論と結びついて新展開日経サイエンス20108月号 https://www.nikkei-science.com/?p=16197

・・・ 物理学者・数学者として名高い英オックスフォード大学のペンローズRoger Penrose)は1960年代後半,物理学の統一理論を打ち立てるための斬新な方法を考えついた。空間と時間のなかで粒子がどう運動し相互作用するかを説明しようとするのではなく,空間と時間そのものが,もっと深いレベルの実在から生まれてくる派生的なものなのだと,ペンローズは提唱した。だが,この「ツイスター理論」が広まることはなく,数少ない支持者も概念的な問題で身動きが取れなくなった。他の多くの統一理論の試みと同様,ツイスターは見捨てられた。

・・・その数カ月後,ウィッテンhttps://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Witten )はツイスター理論とひも理論を結びつけた97ページに及ぶ論文を発表してツイスターを復活させ,ひも理論を厳しく批判する人々にも強い印象を与えた。これをきっかけに,理論家たちは空間と時間とは何かを考え直している。そうした研究から,通常の素粒子物理学では非常に難しい問題を簡単に解く計算手法がすでに生まれた。「人生でこれほど物理学にワクワクしたことはない」というのは,この新分野に集中するためハーバード大学からプリンストン高等研究所に最近移ったひも理論研究者のアルカーニ=ハメッド(Nima Arkani-Hamed、https://en.wikipedia.org/wiki/Nima_Arkani-Hamed )だ。「世界で15人ほどのグループが日夜研究を続けており,この分野はいま猛烈なスピードで進展している」。

f:id:toxandoria:20210308211035p:plain・・・ペンローズのもともとの狙いは,量子力学の原理を空間と時間にどのように適用するかを再検討することだった。従来の考え方では,極微の量子スケールでは時空の幾何構造が揺らぎ,事象どうしの関係が変わってくる。だとすると,ある事象を引き起こしたはずの事象がもはや原因ではなくなるなど,タイムトラベル物語に出てくるようなパラドックスが生じる。これに対しツイスター理論では因果の順序が第一の基本で,揺らぐことはない(「ひねり回転」を意味するツイスターという名は,前ページの図のように,自転する粒子の周りの因果関係がどのように見えるかにちなむ)。因果関係が揺らぐのではなく,事象が起こった場所と時間が揺らぐ(画像『ツイスター理論の可視化(を試みたもの)』は、http://bspline.web.fc2.com/cctl/tuistor.html 

より転載)。

・・・[素粒子物理にも恩恵]空間と時間をうまく再構築できるかどうかは別としても,ツイスター理論とひも理論はすでに素粒子物理学者たちから大いに慕われている。単純な粒子衝突を記述する場合でも,何万もの項を含む一連の方程式が必要で,それらの項はかの物理学者ファインマンRichard Feynman)が1940年代に考案した方法に基づいて書かれている。ほとんどすべての項は最終的には相殺されて消えるのだが,どれが消えるかを前もって知ることはできないので,すべての項をゴリゴリ計算しなくてはならない

・・・これに対しツイスター理論とひも理論にヒントを得た新方法は,ファインマンの方法が考慮していなかった「対称性」に着目し,計算の重荷となる項を最初から減らすかつて数学の天才たちもお手上げだった計算が,たったの23週間で可能だ。「ファインマンがこれを見たら大喜びするに違いない」とカリフォルニア大学ロサンゼルス校のバーン(Zvi Bern)はいう。

・・・いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的(リアル日常での意味!)に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。(完)

 

 (補足情報)

 

f:id:toxandoria:20210309121443p:plain

自然を通底する重力とプランク定数から超ミクロのドブロイ波長・円運動・粒子質量と超マクロ暗黒物質の連結は面白い。が、更に言えば「"対等共食"人類史の視座でもあるオミクス生命論(≒リアリズム倫理、Fiduciary)」へ誘導するヒントも欲しい! →クエスチョン/ミクロ世界と宇宙の関係を考える 暗黒物質に挑む 人類史の視点から 東大入試問題から120朝日

https://www.asahi.com/articles/DA3S14769616.html https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035

 

 

[当記事関連/要参照資料]

〈現在〉という謎: 時間の空間化批判 | 邦久, 森田 |本 | 通販 | Amazon