toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

■【日本を除く世界の若者が覚醒した環境正義の共和】ファルスパターナリズムはJPNフェルキッシュ(美的感性不調和)ie 政治哲学の病理!それヘの有効処方は新実在論と数学洗浄(AI万能批判)で見える新たな普遍性(潜性イノヴェーションの培地)とリベラル共和への希望(2/4)

■【日本を除く世界の若者が覚醒した環境正義の共和】ファルスパターナリズムはJPNフェルキッシュ(美的感性不調和)ie 政治哲学の病理!それヘの有効処方は新実在論と数学洗浄(AI万能批判)で見える新たな普遍性(潜性イノヴェーションの培地)とリベラル共和への希望(2/4)

 

f:id:toxandoria:20211122113418j:plain

 

3 新実在論、 数学洗浄(AI万能批判等)等の視点で見える新たな「普遍性」の契機

・・・経済動学理論(宇沢)とオミクス生命論(古澤)の視点で実在論」を先取りしていたと見える、宇沢理論(不均衡動学)と古澤理論(不均衡進化)が共有する『変異の閾値』の問題・・・

(宇沢の『数学の本質と社会的共通資本が共有すると見るべき五つの特性こそがフィデュ―シャリー(リアリズム倫理)の基盤)

画像80

先ず、ここでは『宇沢弘文の数学』(青土社/画像↓は同社HPより)の著者・小島寛之氏に従いつつ数学についての概括的な説明を試みる。それによれば、まず数学とは「人間の数認識、図形認識、論理操作が一体になったもの」であるハイデガーの画像(1960、ノーベル賞授賞式典)はwikipedia より)。

画像81

一方で、人間は生まれつき(それが非常に意識的であるか、あるいは無意識的であるかはともかく)、ハイデガー(M. Heidegger/1889 - 1976)の「現存在/Dasein」を含む世界の全体を捉えることを、絶えず数に置き換えたり、図形に置きかえることなどの工夫で実現しようとするし、また関数を使って客観的な時間の変化(同時に、それに伴う量的・質的な変化など)を理解したり、論理を使って因果を推論しようとしたりする、更にはそのうえで、絶えず新たな世界を展望しようとする特性を持っている」ことになる。

このような視座から数学を見直すことで我われは、数学が「それは人間の認識力や生存(オミクス生命論的な意味での生命そのもの)と不可分なもの(言語の人称的表現を超えた、強いて言えば三人称(共有)術語的で根源・土壌的な存在)であり、それゆえ必然的に数学は様々な社会的な機能をも備えていることになる(この点は、既述の数学は物体の知覚において表れる二次性質ではなく一次性質そのものに達することができるという、カンタン・メイヤスーの興味深い主張に重なる!)。つまり、決してそれは世間離れした、しばしば酔狂な(唯我独尊の)生き方を好むとされることさえある数学者のための机上の空論ではない」ことが理解できる。

「机上の空論」どころか当記事の表題にも掲げたとおり、数学には「リアリズム倫理(Fiduciary)を育むというリアル良循環(いわば、・・・リアリズム倫理→原因の空間(数学・言語の空間での選択)→理由の空間(リアル事象の連鎖の中での理由の選択)→リアリズム倫理(Potenz化(展相)した新たな倫理観のステージ)→原因の空間→理由の空間・・・という)をもたらす土壌またはそのためのツールとしての重要な役割があると」見るべきなのだ。そして、上掲の著書の中で小島寛之氏は「宇沢弘文が、社会的共通資本と数学が共有する五つの特性」を不均衡動学(宇沢動学理論による一次性質たる原因の空間の選択)に関連する重要なポイントとして指摘している

「原因の空間」と「理由の空間」は米国の「心の哲学」の哲学者、Ⅾ.ディヴィドソンの用語であるが(Cf.→「トークン同一説」/非法則的一元論、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035)、それは、先ず「原因の空間(エトノス環境1/厳然たる客観としての環境(気付いていないか、或いは気付いた瞬間に既に其処に存在していた自己を含む諸個体と諸事象の射影の集合とも言える)=数学と言語をベースとして理解する、おもに自然科学の対象となる分野/つまり論理性の対象の集合」と「理由の空間(エトノス環境2/因果的な連鎖・関係性の拡がり)=おもに人文科学の対象となる、皮膚感覚的に理解する分野/Cf.↓★」という、異相の二つのエトノス環境についての気付きが非常に重要となる、ということだ。なお、この両空間についても「新実在論」との絡みで、改めて捉えなおす必要があると思われる。

★皮膚は「露出した脳」、あるいは「第 3 の脳」といわれる 。生理学からみると、皮膚と脳の間には共通点が見つかっている。脳は発生の過程で、皮膚と同じ外胚葉から形成されている。また最近の研究では、皮膚にも脳にあるものと同じ物質さえも見つかっている。:「皮膚感覚と脳山口創 桜美林大学教授(日本東洋医学系物理療法学会誌 第 42 巻 2 号)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsop/42/2/42_9/_pdf/-char/ja

・・・

ところで、「Fiduciary(リアリズム倫理/より広く捉えれば、解釈的エトノス論、オミクス生命論を意識のベースとする職業倫理)の重要性を十分に理解した専門家の知見(数学、統計、経済、財政、医学・AIおよび人文・社会諸科学)に基づいて“社会的共通資本”は管理・運営されるべき!」と考えていた宇沢弘文は、「経済社会の不均衡化の矯正が可能である“数学(広義の文化“環境”としての数学、換言すれば“潜性イノヴェーション”の在処たる数学)と社会的共通資本は必然的に五つの特性を共有すると指摘している

・・・以下に、小島寛之宇沢弘文の数学』(青土社)より、「数学と社会的共通資本」が共有する五つの本質を纏めておく(一部、toxandoriaが補記)。なお、それらの中で[歴史的伝承性」と[地域文化性]の具体例(殆どは両者の共有関係にある)について当記事では省略するので、委細は下記★を参照乞う。・・・

★「ヒエラルキー分業」から対等共食へ転換を急げ!“リアル循環の変異の閾値”の調整弁たる不均衡動学(社会的共通資本のヒュレー)の基本ツール、数学の「本来性と言語性」の活用は「リアリズム倫理」の良循環をもたらす!(3/4) https://note.com/toxandoria2/n/nfc58c11fea2d

[本来性]

・・・数学は人間が内外の自然を「ただ、ありのままの自然」として受け止めるためのものではなく、かくもか弱い(ゼロサムの赤の女王のパワーと比べれば!)[人間性]の負の部分を補完する、その矯正のための視座の一つであること、および潜性イノヴェーション“探索”のベースでもあると理解できる。つまり、これらは「人間のそもそもの本来的なあり方(敢えて言えば環境生命論の謂いでの唯識的 or ハイデガーDasein的な人間性のネオ・エナクティヴィズム(enactivism/身体化された心≒マルクス・ガブリエルの”外界の思考”)」を実現するため最も基本になるものだ、という意味で、本来性の意味(本来的、実存的な役割)」を持っていることになる。

・・・この視点は既述のハイデガーの「現存在(Dasein)」の時間の意味にも重なる。つまり、人間はその個々人の本来性を発揮するため生きるのであり、そうすることで客観的(物理的)な時間とは異質で、かつ代替不能な“一人ひとりの自分なりの、つまり一回性の個性的な時間(換言すればenactivismなる“個性的に身体化された心”)”を創出しながら生きていることになる。


[言語性]

・・・数学(および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)は、たとえAI(深層学習(ディープラーニング)といえども敵わぬほどの「コミュニケーション装置」としての役割(Cf.川添 愛『ヒトの言葉、機械の言葉/人工知能と話す以前の言語学』(角川新書))、つまり言語性(コトバの論理的なパワー)を担っている。

・・・特に、社会的共通資本が持つ技術性の側面は、例えば悪しき権力(暴政/@将基面 貴巳著『政治診断学への招待』-講談社選書メチエー)の「私利私欲の追求」や「国家権力による特権的私物化」の道具として乱用されると、市場原理、競争原理、官僚専横、恣意的な国家権力的運用などによって、その社会的共通資本の存在そのものが棄損される恐れがある

・・・民主主義社会である限り、そのような暴政型の被害とは言論(言葉)によるコミュニケ―ション(議論等の場面)で闘う以外に術はない。一方、言語の論理の典型は「記号論理」で、数学の論理の典型は「関数」ということになるから、宇沢弘文「不均衡動学」がそうであるように、数学(記号論理の側面)を適切にコミュニケ―ションの素材として取り込むことによる人間社会への恩恵が非常に多大なものであることも間違いはない

・・・また、記号論理と数学論理は歴史的に一体化しつつ記号論理に回収されたかにも見える現状だが、依然として数学論理の空間(幾何学的性質・数的性質、あるいは物理数学的な性質を含む領域)は、例えばメルセンヌ合成数、複素数空間、タイヒミュラー空間etc.と拡大しつつある。このため、現代の記号論理の論理体系の分野では‘’直観主義、構成的、様相、時制、内包、二・三階高階述語”論理etc.という具合で、様々な量化・質化・制限化などの工夫が行われているhttp://web.sfc.keio.ac.jp/~hagino/logic18/14.pdf

・・・ところで、一般的な意味でのコミュニケーション(議論等の場面)において相手の「意図」を理解するには、状況や関係性を瞬時に判断しつつ、言外の意味まで考慮に入れなければならないのだが、ヒトはそれを無意識のうちに行っている(最広義のブラウジング?)一方、そのブラックボックス化の問題、フレーム問題(https://ledge.ai/frame-problem/)等が主な原因となって、AI(深層学習/ディープラーニング)が、このようなヒト・レベルのコミュニケーション能力を持つのは簡単に実現しそうもない

・・・つまり、「オミクス生命(環境)論」的に見ればそもそも自然環境とミクロ・マクロの両面で繋がりを持たない、というか断絶した存在(非生命・非人間=非『Dasein/既述:@ハイデガー』)であるAIツール(ロボット等)がヒト同然の「意識」(言葉等)を持つとは思われない。もし、そうではないとするAI学者らがいるとすれば、彼(or彼女)は18~19世紀心理学とフランケンシュタインの亡霊を引きずっている可能性が高いと思われる(toxandoria)

・・・結局、ヒトは賢く、適切に、例えばリアリズム倫理(Fiduciary)の最重視を前提とする宇沢弘文「不均衡動学」の如く、数学とAIを 「個々人のヒトの一回生の意識と時間の充実」に十分貢献できるように活かす努力について、最善を尽くすべきだということになるだろう。

[歴史的伝承性]

・・・意外と思われるかも知れぬが、数学(および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)は、歴史的伝承性を持っている。教育も社会的共通資本であることから社会的共通資本の歴史的伝承性は容易に理解できるだろう。しかし、数学もれっきとした歴史的伝承性を持っている。たとえば、中国では西欧における小数法に関わる記述の仕方や関数(関数の求根アルゴリズム)、一次・二次連立方程式、あるいは円周率の発見などが、17世紀西欧(科学革命の時代)を少なくとも約2千年以上も遡ることが歴史的に知られている。これら歴史的事実(古代の自然哲学等も含め)についての往還的な比肩・分析・論考のプロセスから数学そのものについての新たな視点の発見などがあり得ることを否定するのは傲慢!というべきであろう

・・・これと異なる視点からも「数学(不均衡動学のヒュレー)」の歴史的伝承性は理解できる。つまり、数学との多様な関りの側面から解釈し、理解し、そして誰でもが分かるように説明することもできる。その委細は、[不均衡動学と不均衡進化が共有する『変異の閾値』の問題]へ譲るが、『不均衡進化』論の提唱者である古沢 満氏の言葉[生物を支配する法則は「複製、そして保守(歴史性)と革新のカップリング」である。:古沢 満コラム]https://www.chitose-bio.com/furusawa_column/column06.html) が、そのヒントを与えてくれる

[地域文化性]

・・・数学(数学および不均衡動学/社会的共通資本のヒュレー)が地域文化性を持つことは殆ど論を待たないであろう。例えば、地域の個性的な自然環境を重視しつつ、その自然環境と調和する経済活動のための「コモンズ(共有地)」https://home.hiroshima-u.ac.jp/~yamao/lecture2/seisankanri3.pdf明らかに、先の地域文化性と共に歴史的伝承性を併せ持っている。

・・・「中国ではBC3世紀・秦の時代において、既に根の展開法(関数の求根アルゴリズム)が知られていたと推測される」ということだけに止まらず、東西の数学史についての多様な側面からの比較で、東西の両思想や文化に関わる根本的な差異の発見があり、異文化についての理解が、より一層深まる可能性が絶えずあり得る。・・・以下、具体例は省略する・・・

[技術性]

・・・数学(および社会的共通資本)の技術性との関りは容易に理解できる。しかし、単純にマクロ・ミクロの「工業的な技術」(社会的共通資本を含め、そのベースは数学である!)と考えるのであれば、それは短絡ということになる。

・・・それは、そもそも社会的共通資本は、人間がその本来的な人間としてのあり方、つまり絶えずより良いあり方を求め、より尊厳ある暮らしを実現するために利用する財やサービスを創造する機械的ないしは科学的、又は化学的な手段等の技術が相当な部分を占めるものではあるが、同時にその裏面では必ず地球環境問題や資源・エネルギー、あるいはオミクス生命論的な視座との関りなど、非常に重く多様な課題、言い換えればヒトを含めた生命そのものの問題とも深く繋がることになるからだ

・・・それはヒトのみならず地球上の全ての生命(諸自然環境)等とも関わる可能性があり、場合によっては一気に方向性が反転し、その技術自体が環境や我われ自身の存在をすら脅かす大きなリスクと化す可能性も考えられる

・・・また、社会インフラや学校教育、医療、福祉などの制度資本もシステマティックな技術と見ることが可能なので、その視点からすればこれらの分野も数学との関りが特に深いものとなる。なおこのような視点については、この後に述べる「DNAオーダーのミクロ・オミクス生命論の領域における『変異の閾値』のジャンルとの関りについて、想像力を十分に働かせつつ、より深く考えることが特に重要となるはずだ

(不均衡動学と不均衡進化が共有する『変異の閾値』の根本問題)

分子生物・進化学者である古澤 満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)の『不均衡進化論』-筑摩選書-)によれば、『元本保証の多様性創出の法則』が生物界の底に流れていると推測(仮説)されるが、DNAから社会に至るまで、生命現象のあらゆる場面では“保守”と“革新”の間の葛藤(ゼロサムの赤の女王との闘い)が起こっていると考えられる

つまり、非常に雑駁な比喩で言えば、そこでは恰も≪パウリの排他原理/↓★≫から派生する“半導体のフェルミレベル(電子の化学ポテンシャル)をめぐる絶縁体(価電子バンド帯)と導体(金属/伝導バンド帯)の抗争”の如き)現象が起こっていると考えられる


★パウリの排他原理・・・1つの原子内では、2個以上の電子が量子数で表されるエネルギーやスピンなどが同じ状態を同時にとることはないという原理のこと。https://www.syero-chem.com/entry/2019/06/14/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%8E%92%E4%BB%96%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%81%A8%E3%81%AF

委細は省略せざるを得ないが/Cf.→https://toxandoria.hatenablog.com/)、「変異の閾値」とは、遺伝情報に関わる、変異が許される一定数値の範囲のことである古澤 満氏によると一般に生物が進化する途上での変異の大部分はDNA複製(情報伝達)の過程で生じるが、その時の情報の保存(保守)と創造(革新)の割り当て値と配分量などには一定の限界(変異の閾値)があるということである。

そして、その時の変異の大きさが「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの縁(orカオスの海)>に沈む

恐ろしいことだが、その時(変異の閾値を超えた場合)には、これはアダムスミスが言うところの、又はネオリベラリズム(新自由主義)に因る自由原理への十把一絡げの丸投げ行為の如く自然選択へ委ねられ、言い換えれば、後は其の一切が神 or 赤の女王(魔女?)の手に委ねられることとなる

この状況は、ブラックエレフアント(自然災害に因る予知不能な超リスク)に伴って、一種のシャッフルに委ねられる異常事態にも酷似する。その時に生命個体はDNA複製(情報伝達)プロセスでの制御不能で甚大なダメージを被るか、あるいはそれが我われ生命個体への死の宣告となることが連想させられる!

しかし、古澤氏はそう簡単に遺伝情報がカオスの縁(orカオスの海)に沈む訳ではないと論じる。つまり、古澤氏はその時には<自然選択(神の手)の役割が発動されるに留まらず、中立的な自由原理(木村資生氏の中立進化説/Cf.↓◆)が作動するか、又は複製フォーク(DNA replication forkhttps://bsw3.naist.jp/maki/?page=554が進行する時の「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が“より高まる”のでは?と見ている

そして、古澤氏は、この「不連続鎖」側での変異の閾値の粘り強い作用を『不均衡進化:Disparity Evolution仮説 』(細胞エトノス or オミクス生命環境内でのネオ・ラマルキズム?/Cf.↓注)と名付けた。

<参考1>進化の歴史ー時間と空間が織りなす生き物のタペストリー:第8話 子系統学の登場 長谷川政美 [「中立説」以前と以後、◎分子レベルの収斂進化、他・・・分子進化の中立説は多くの論争を生んだが、最終的には受け入れられるようになる。その際の最も重要な証拠は、「機能的に重要な遺伝子の進化速度(塩基の置換速度)が低く(つまり、保守的/補記、toxandoria)、逆に重要でない遺伝子の進化速度が高い(つまり、革新的/補記、toxandoria)」ということであった。…余談だが、この真逆(役に立たないもの(ドロボー権力者らのお仲間や忖度高級官僚ら)を保守し、有意な革新と見るべき潜性イノヴェーションの未生たちをセッセと切り捨てている!)をやっているのが今の「≪Abe≫Phallus Paternalism(アベ茶色の“フェルキッシュ”権力)一色と化した自公政権」ではないだろうか?whttps://kagakubar.com/evolution/08.html

<参考2>【パラダイムシフト:宮田 隆の進化の話/分子進化の中立説https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000003.php

<参考3>パラダイムシフト:分子進化の中立説と収斂進化収斂進化(又は収束進化/convergent evolution:複数の異なるグループの生物が同様の生態的地位についたとき系統に関わらず類似した形質を独立に獲得する現象)の中で最も有名な例は哺乳類の2つの大きなグループ、すなわち、育児用の袋を持つ有袋類胎盤を持つ有胎盤類である。 www.brh.co.jp

<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?・・・J.ラマルク(ブルボン朝~王政復古期のフランスで活躍した博物学者)の考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるが、より根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味す、と考えられよう。(https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150)。

<参考4>【不均衡進化理論とカオスの縁 - 京都大学学術情報リポジトリ:古沢 満】

・・・変異率が上がると"カオスの縁 "に至り、生物は最大限適応進化する。 「変異の閾値」を越すと情報は "融解 "し、死に至る。生物は非常に際どい存在だと言 うことになる。一方、図 3(b)(↓)に示す不均衡変異の世界では、変異の閥値が大きく上昇するので、高い変異率においても、生物は遺伝情報を失うことなく高速に進化できる。過激な表現をすれば、平衡状態において、熱湯の中に浮かぶ氷が消えたり現れたりしているのである。生物は自ら変異率を調節 して、秩序とカオスの世界を自由に移動できるしたたかな存在であると言える。生物はカオスを乗り越えて進化するのである。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/97847/1/KJ00004705863.pdf

(地球の“自然・生命環境”、いわばリアル“in vivo”空間における不均衡変異の世界の拡がり)

 

画像84

・・・ 上で述べたDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した下の二つのモデルの根本的な違いを知る必要がある

A:[均衡変異モデル(Parity Evolution]従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマによる均衡変異:近年までの分子遺伝学では専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す。

B:[不均衡変異モデル(Disparity Evolution]ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活したが、その説の中の“獲得形質の遺伝を主張する立場が代表的(Disparity Evolutionの根幹)である。

◆水のイマージュ2@tadanoossan2/【デジタル空間の“False(Phallus?w)Paternalism“化なる倒錯?】今や何でもアリで益々新自由(市場原理)主義との相性が高まるバカりと予想される仮想空間“事業”強化のため社名変更?  →米フェイスブック 社名を「メタ」に変更 仮想空間の開発強化へ 1029NHKニュース nhk.or.jp 米フェイスブック 社名を「メタ」に変更 仮想空間の開発強化へ | NHKニュース

画像89

・・・【NHKアメリカのIT大手、フェイスブックSNSの運営だけでなくメタバースと呼ばれる仮想空間の開発を強化するため社名を「メタ」…
午前2:46 · 2021年11月7日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1457041722538483718

<補足>"カオスの縁 (edge of chaos)"についてのトリビア

・・・そもそも"カオスの縁 "という用語は、クリストファー・ラングトンが発見し、ノーマン・パッカードが名付けた「セルオートマトン」( cellular automaton/ 格子状のセルと単純な規則による、抽象的な離散的計算モデル)において「振る舞いが秩序からカオスへ移るようなシステムで秩序とカオスの境界に位置する領域のことを指す

・・・この問題は、複雑系や人工生命、生命の進化などの研究分野でも注目されてきた。また、理論生物学においてはスチュアート・カウフマンによる、生命の発生と進化には自然淘汰の他に自己組織化が必要であり、進化の結果、生命は「カオスの縁」で自生(Grow naturally/先ず固有種が継続)するという仮説が知られている。https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%B8%81

・・・ただし、「セルオートマトン」と「リアル微小構造モデリングでの生命創生」の間には、「リアル3次元空間での生命活動/≒ in vivo」←→「位相抽象空間での自生的な振る舞い/≒ in vitro】」の絶対的な断絶(リアリズムの意味での)があるのではなかろうか?(↓画像はリアル微小構造モデリングでの生命創生(ここでは各種の細胞創生)の事例サンプル、http://www.nibb.ac.jp/potentia/nucleosome/content.html

画像90

<注>クロマチンは、真核生物の細胞核にあるDNAとタンパク質(ヒストン)の複合体で染色質とも呼ばれる。動物細胞では約1~2mに及ぶ長さのDNAが10-5m程度の大きさの細胞核の中に押し込められているが、DNAの配列と構造を保持して効率的に核に詰め込むのがクロマチンの役割。その基本単位がヌクレオソームクロマチン構造はDNAをコンパクトに収納するのみならず遺伝子の発現制御にも関与する。クロマチン構造が動的に固まったり一部がほどけて開いたりすると、遺伝子の塩基配列の発現スイッチがオンになったりオフになったりする。

(新たな『普遍性』への更新が必須となるAI-DXリーン時代にこそ重視すべき、宇沢弘文『不均衡動学』の先見的な意義)

さて、我々はあの古澤満『不均衡進化』論、つまり「元本保証された多様性の創出」が、まさに宇沢弘文『不均衡動学』の含意とほぼ重なることに気付くべきであろう。

それは、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス(解釈的エトノス論)、あるいはオミクス環境と見立てる観点からすれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの伝統文化の進化、あるいは“ 展相(Potenz)”資本主義論」などの新たな展望が、AI研究、物性物理、宇宙物理、自然哲学ら諸科学の進化(深化)と相まって実現することになるのは必然だと思われるからだ。

独立行政法人日本貿易振興機構・アジア経済研究所」レポート(↓★)によると、経済活動の地理的分布を分析するための理論として1990年代以降において、空間経済学(spatial economics/新経済地理学とも呼ばれる)が急速に発展し、経済学の新たなフロンティアとして注目を集めてきた。

「空間経済学は、従来の経済学の中で必ずしも上手く扱われてこなかった経済活動の地理的な側面に注目した経済学の新しい分野であり、そこでは経済活動が特定地域に集まろうとする「集積力」と周辺地域に分散しようとする「分散力」の相互作用で経済活動の地理的分布が決定されると考える。代表的な空間経済学のモデルは、スタンダードなミクロ経済学に「輸送費」「規模の経済」「多様性選好」の3つの要素を取り込んだもの」と、定義されている

◆空間経済学 Spatial Economics(アジア経済研究所) - アジア経済研究所は、日本における開発途上国研究の拠点として、世界への知的貢献をなすことを目指しています。www.ide.go.jp

そこで、この[空間経済学という考え方が発生するまでの経済史の流れ](特に、アダムスミス、シュンペーター、ロイ・ハロッド、ジョーン・ロビンソンそして宇沢弘文の不均衡動学へと至る、日々に作動する国民の日常を適格に視野に入れた)を遡って見れば、敢えてそのように再定義せずとも、そもそも従来の「スタンダード経済学」それ自体が「経済空間」なる仮説的空間であったとも考えられるだろう

つまり、そのような視点で見ればシュンペーターの静学・動学経済学(イノヴェーション論の前提となる画期的な発想で、その思考の嚆矢はロイ・ハロッドに遡る)も、あるいはミルトン・フリードマン(重力理論援用の科学的?経済理論)ないしはハイエクの市場原理主義(カタラクシー/自生的秩序論)にしても、それらは何れも「経済空間」についての仮説を述べたものと理解できる

ところが、一方で現代に至るまで「主流経済学」の面舵と推進力を握るミルトン・フリードマンないしはハイエクの市場原理主義は、何れもが極端な、そして“その過激さのあまり、ある意味では殆ど「暴力」的とさえ”見える自由原理主義(新自由主義、i.e.リバタリアニズム)である

このため、益々、DX=IOTとAI=Web機械システムが創生する"人間の壁"はぶ厚くなるが、その「AI高度リーン生産性Vs伝統労働価値」の構造に起因する<大格差>は只の"AI構造災"に非ず!であり、 それは、重力理論・変分原理ら科学知の根本の理解に関わる社会工学的な作為(Pseudo)の人災である!という、実に恐るべき体たらくとなっている。

そして、最も広い意味では、その「経済空間」といえども、それは地球環境そのもの、換言すれば、紛れもなくそれは「自然・生命・文化エトノス環境」の一部であると理解すべきであろう

(ジョーン・ロビンソンの先見性と、それを継承し深化させた宇沢弘文の偉大な功績)

画像116

ところで、宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想であった動学論を更に深化させ、より客観的に経済空間を観察し、数理論的に緻密に描写・説明した)ものである。・・・<ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903 - 1983/英国の経済学者、ケインズサーカスのメンバー)>の委細については下記◆を参照乞う・・・

◆日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035

(平沢 満の不均衡進化と宇沢弘文の不均衡動学が共有する『変異の閾値の調整』)

・・・そして、そこから更に理解を深化させるべき『道徳的実在論』の問題・・・

・・・「科学とリアリズム倫理」の距離は近い! et 「科学がもたらす不均衡を調整するリアリズム倫理」の役割への期待!・・・

<参考>「自然計算 Vs AI‐DLシミュレーション(AI‐DL計算)」のアポリアie「新たな課題:AI‐DL時代の原始契約とは」?

◆【倫理観が伴う第二の自然たる人間の自由意思は第一の自然Natureと同値!】なるリアリズム倫理の視座↓♨で見れば極めて危険な行為! →【自然計算をAI‐DLシミュレーションで完全制御が可能?】野外実験、太陽光遮断による温暖化対策が一歩前進、ハーバード大諮問委員会の狙い
https://www.technologyreview.jp/s/162480/geoengineering-is-very-controversial-how-can-you-do-experiments-harvard-has-some-ideas/

♨ 科学と倫理の距離は近い!/大格差、人間の壁がDX肥大症化!「リーン高度生産性Vs伝統労働力」はAI構造災に非ず重力・変分原理ら科学「知」に関わる根本的な誤謬 or 作為(Pseudo)の人災!https://note.com/toxandoria2/n/n7f729d5bf46c

関連/ 「危険すぎて使えない」太陽地球工学をハーバードはなぜ研究するのか?(<補、水のイマージュ>しかも、それをバイデン政権が採用とか?これではトランプの科学政策と、どっこいどっこいではないか!?) 20210704 MITテクノロジーレビュー https://www.technologyreview.jp/s/249164/a-first-of-its-kind-geoengineering-experiment-is-about-to-take-its-first-step/

ここで我われは、『<普遍性>をつくる哲学―「幸福」と「自由」をいかに守るか―』(NHK出版)の著者、岩内 章太郎が「善の原始契約」について、それは『善のイデアが「認識」と「存在」の根拠だとすれば、<善の原始契約>は「生成の根拠」である。人間と社会の本質学の中心には、“暴“力のゲームに対抗しつつ、全員でよりよいアイデアを出し合うことに関する最初の約束(これこそが、人間の社会である限り絶対に避け得ないリアリズム倫理の根源!/補記、toxandoria)がある。 この最初の約束が、現象学の普遍動機となり、本質直観の努力を持続させることを可能にする。力のゲームの発現と脅威を自覚すること、現象学言語ゲームを起動(@グレアム・ハーマン)して、それを維持すること―これが初めの、そして最も肝要な善さなのである』・・・と、述べていたことを再びリアルに想起すべきである。・・・

(関連参照→第4章:「普遍性」の真の条件と見るべき「潜性イノヴェーション」、そして「アイデア資本主義」の問題・・普遍性の条件と見るべき潜性イノヴェーション・・・(1)普遍性と潜性イノヴェーションの関係について)

宇沢弘文の『不均衡動学』が研究対象とする領域

非常に先験的な「ジョーン・ロビンソンの動学論」を更に深化させ、より客観的に「経済空間」を観察し、数理論的に緻密に描写・説明した宇沢弘文の『不均衡動学』が研究対象とする領域は、以下のとおりである。

(イー1)金融「物価・賃金水準の上昇」不安定な「失業」との必然的な共存関係を担う

・・・金融市場および市場周辺の外部(厳密に言えば内外)環境である「広大な“オミクス自然・生命・文化環境”」(広義の社会的共通資本とも言える)と絶えず深く共鳴し、かつそれらと常に相互浸透する領域で生起することだ

(イー2)政治・行政一国の政府が、特に公共選択に関わる「リアリズム倫理」上の重い責任を負うべき分野(これも最広義の社会的共通資本の分野)

(ロ)自然環境・公害・福祉・厚生・文化などに関わる諸現象も含めた、その全ての受け皿としての「社会的共通資本(Social Common Capital)」

これら(イー1,イー2)と(ロ)は、その殆どが個々人の“血肉&生命”の一部として同化しているか、あるいはそのためリアル日常において日々に消耗し、又は劣化(エントロピーが増大)し続ける“広義の資源環境”的な存在である。

その意味で、(イー1,ー2)と(ロ)の三つは最優先の調整対象と見なすべき分野である。又、一国の政府は理念・政策およびリアリズム倫理の三方面から、これらに関わる公共選択(政治・経済)上の『変異の閾値』の調整について最大限の責任が問われることとなる。

宇沢弘文は、社会的共通資本の具体的な内容として、以下のとおり類型化した

(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気
(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス
(3) 制度資本(制度インフラ) : 教育,医療,金融,司法,政治権力&行政機構、文化ほか

因みに、「リアリズム倫理」の概念を最初に提示したのはジョン・マクダウエルだが、萩原 理著『マクダウエルの倫理学、“徳と理性”を読む』(勁草書房)などによれば、そこではマクダウエルのリアリズム倫理の概念について、「リアリズム倫理は『道徳的実在論』(岩内 章太郎が言う“最初の約束、最初の原始契約”と同意!であり、それはいわゆる自然(普通に言うところの自然/これは、敢えて第一の自然と呼ばれる)とは対比的に、マクダウエルは後者(リアリズム倫理)を第二の自然と位置付ける」と説明されている。

つまり、「マクダウエルのリアリズム倫理」はれっきとした自然の一部たる<道徳的な実在>なのである。

他方、大塚信一氏「宇沢弘文のリアリズム倫理」について、それは<いわば、社会的共通資本なる最広義のインフラストラクチャ―領域の充実と、その管理・運営のために必須となる「フィデューシャリー(fiduciary)の理念」である、と説明する。

換言すれば、「宇沢弘文のリアリズム倫理」は、<いわば、社会的共通資本なる最広義のインフラストラクチャ―領域の充実と、その管理・運営のために必須となるフィデューシャリー(fiduciary)の理念だということである

因みに「元、岩波書店編集長・同社長」である大塚信一氏は、同社の編集長として最も多く宇沢弘文の著書を手掛けた人物である。

宇沢弘文は「社会的共通資本」なる最広義のインフラストラクチャ―の充実と、その管理・運営のため、一国の治世者たる政治権力者・官僚らはフィデューシャリー(fiduciary)、つまり「リアリズム倫理」の遵守が最大の責務(最重要な任務)だと考えていたことになる。

因みに、「フィデューシャリー(fiduciary)」の日本語訳は【受託者・信用上の倫理義務、又は福祉国家(又はそれをを志向する政府・行政府)の負託義務型倫理】であるが、duciaryの類語である「デューティー(duty)」は【必然の義務・務め】である。

つまり、受託者として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め、ということになる。従って、英米法上では「他者の信頼を得て行動する義務」、「他者からの信頼を受け止め、その人のための利益を念頭に置いて行動・活動するか、あるいはそのため助言をする義務」との意味になる。

いずれにせよ、一国の治世者たる政治権力者・官僚らはフィデューシャリー、いわば解釈的エトノス、あるいはオミクス生命論にも近い「リアリズム倫理」の遵守(マクダウエルに従えば第一の自然と第二の自然を対等に遵守すること)が最大の責務だと考えることは、(一部の例外はあるものの…苦w)先進諸国のリーダーらにとってはほぼ常識化していると言える。

従って、この点に関わる「海外諸国と日本の落差」は余りにも大きすぎることにも気付かされて愕然とする

 

・・・(3/4)/↓URLへ続く・・・

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/11/23/042347