toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(2/5)

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Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 
啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(2/5)

 

2 初期啓蒙思想期には周知だった[「情念のマグマ」の超リスク(死への誘惑タナトス/-)と可能性(生への希望デュナミス/+) ]の問題

・・・あるいは、この「初期啓蒙思想期には周知だった『情念のマグマ』から更に一歩踏み込み、<目下の“露プーチンウクライナ侵攻”が象徴する「タナトスの闇」>とは『人類共有のエルゴン』(普段は休眠状態にある±または善・悪、真・偽などそもそも両義的な性質の情念を準備する、“身体知”に基づくデュナミス表象)のリアル形象化(インカーネーション)と見るべきかも知れない!・・・

・・・エルゴンは、前稼働態・抽象的死生態(この段階では善悪の判断を伴わない)とも呼ばれる、潜性イノヴェーションの在処の一つ。ヒトの『日常』(i.e.日々のリアル生命活動であるエネルゲイア(energeia)=現勢態・稼働態)は、「エルゴン(ergon/前“稼働態・抽象的死生態”(もう一つの潜性イノヴェーションの在処はエネルゲイア))⇒デュナミス(dunamis/プレ・エネルゲイア/可動態)⇒ リアル・イノヴェーションたるエネルゲイア(現勢態・稼働体)⇒ 新たに展相(ポテンツ)したエンテレケイア(entelecheia/未生態/理念・理想 or 純粋抽象観念のフェーズ)」のプロセスに支えられている。・・・https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

(AI‐DX展相どころか靖国“愛国”国体論、i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に相変わらず取り憑かれたままの不思議の国、ニッポン!)

「米 問われるバランス」というより、<露プ侵攻=人類共有タナトスの闇!>覚醒の有無の問題!min.此の点が欧米Vs日本(今も露プ仲間の背後霊アベが取仕切る!)の差異かも神社! →米の支援戦略、外交解決視野 露領に届かぬ兵器提供/プーチン追放しない」明言 602朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1532135082869555202

[関連」安倍氏、防衛費7兆円視野:23年度当初予算で主張  et「米バイデン大統領が台湾有事で軍事的関与の発言を歓迎したい!」と表明0526日経https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26BRG0W2A520C2000000/

[関連]ホントのコト批判した相手の何が悪い?プーチンタナトス流、口封じの異常論理に酷似!只、自戒すべきはタナトスが各国民も含めた全人類共有の根深い前意識の闇であること! →「QT/君はアベノミクスを批判するのか!」安倍氏怒りの電話で何が起きたか602朝日 <注>ホントのコト=<アベ・タナトス自画像>の政治権力的“投影”で<極貧相化>したJPN、i.e. 「旗艦モスクワ」ならぬ「旗艦アナ黒アベ」の旗印がアベノミクスということ。https://www.asahi.com/articles/ASQ615RM1Q5VUTFK013.html

[関連]とすれば、これは「アベ有事」であろう!?オール日本人を巻き込んで無理心中を図るつもり?(関連↓♨)or パックス・シニカ(中華治世)への徒な恐怖心?Cf.必読書=李懐印(テキサス大学歴史系教授)著「現代中国的形成」605朝日Globe 

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・・・以下は、[20220605朝日GLOBE・記事]より北京大学教員・馬場公彦氏の[李懐印(テキサス大学歴史系教授)著『現代中国的形成』↑]に係わる、主な注釈のポイント」の部分転載。末尾の(  )内の記述は、toxandoria の所見。・・・

清朝[その領土はモンゴル帝国を除けば歴代最大を誇るが、西洋植民帝国のように対外拡戦争で獲得したものではない]では、藩部からの進貢のほかは自主権に委ね、その巨大版図は中央派遣の官僚組織での統治が行われ、軽微な田賦により財政が末端村落まで浸透し平和と安定が維持された。←(所見/比較史の視点でみれば、ほぼ清朝前期に当たる西欧近世の時代は、現在の市場原理主義のルーツとも見える重商主義政策の時期に相当する。また、この時期は、ほぼ西欧啓蒙思想・発展史の前半にも重なる!)

●平安が破られたのは、内陸危機から海上危機への地政学的変局への対応を誤り、日清戦争に敗北したことによる。清朝は東アジアの宗主権を失い、ウエストファリア条約システム(その本質=重商主義の権益保全?」)に組み込まれた。   ←(所見/ウェストファリア条約の段階は、主権国家が成立していたが、それは各国の君主が絶対的な国家主権を行使する「絶対主義」(絶対王政)であり、明確な国民意識や国境線で区切られた領土、傭兵ではない国民軍、さらに国民主権という概念やその政治機構などを特質とする「国民国家」が形成されるのは18世紀後半のフランス革命に代表される市民革命の時期を待たなければならない。@木畑洋一『国際体制の展開』世界史リブレット54 1997 山川出版社 p.5-7

●その後の軍閥混戦、国民党の北伐、国共合作(一致抗日)は統一を回復するための集権化の模索でもあった。内戦を勝ち抜いた共産党は、ソ連式の統治国家システムと強権支配による統一国家を建設した。が、近代化以降に導入された試用型の代議制民主主義は持続せず、集権独裁に置き換わっていった。このような中国の形成過程により、「現代中国像」はパックス・シニカ(中華治世)と強肩国家のヤヌスの顔となっている。  ←(所見/Pax Sinicaは中国主導による東アジアにおける平和な時代を意味する史学上の用語。パックス・シニカの複数の時期を合計すると、仮に漢王朝の頃を起点とすれば、それは凡そ2000年超もの長さとなる。)

南シナ海の九段線(Nine-dash Line、https://artsandculture.google.com/entity/m0gmh4mv?hl=ja)における領土観、自治区での治安政策にみえる辺防意識などには、清朝辺境国家像の残存がある。大陸の学者と少数民族問題を話していると、貧しい辺境住民の生活を都市部のわれわれが支えているという論法があり、そこには伝統的国家観と近代主権国家意識が同居しているように感じる。西側諸国からの批判が高まっているのは領土問題だけではなく、貿易摩擦労働市場知財保護などをめぐっての経済安全保障論議もかまびすしい。当書には、産業開発や企業融資において中央と地方政府が介入し、官僚と企業と社会が一体となって経済建設を推進するメカニズムが書かれており、経済発展の「中国的特色」を知るうえで、有効な事例と示唆を与えてくれる。     ←(所見/当書には、内需や格差の問題などにふれる個所もあり、特に『AI‐DLアルゴリズム時代』の『格差』は、今や世界共通の課題として意識されつつあるのではないか?と思われる。また、中国国務院「中国的民主白書」(2021、年末に発表)の『内在論理』は容易に腑に落ちない点もある。しかし、プーチン・ウクライナ侵攻の余波で、凡ゆる国家を民主主義と権威主義にスパッと分断し、そのパワーポリテクスの顛末を武力戦争で解決し得ると思考するのは感心できない。それでは、何のための歴史経験・戦争経験だったのか?ということになる。例えば、かつて東アジア文化圏の中で飛びぬけた存在感を示したともいえる日本「法学」アカデミズムの伝統(美濃部達吉(戦前)、横田喜三郎(戦後)ら)が、近世から現在までにおよぶ中国の発展(凡そ中華民国政府の成立前後から中国共産党政権が成立する頃までの)に対し、良い意味で大いに貢献した、ごく直近の歴史があることを、明確に意識している現代の日本人は少ないのではなかろうか?/Cf.↓◆

◆世界との関連性を十分に意識しつつ「共和国たる20世紀中国」の憲政をめぐる歴史を俯瞰すると、「“日⇔中憲政”交流史」に透ける日本「法学」の影響力の大きさ(否、かつてはその影響力が大きかったこと!)が浮上する、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180107/p1

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[関連]忖度?高揚中?の日本国は[QT:断固、中国以外の選択肢も提示可の胆力と柔軟性Cf.↓♨“アジア安保会議の注目点”]を示せ! →侵攻で高揚するナショナリズムウクライナの未来 民族の分離独立超える知恵は?地域単位自治主権国家連合らの知恵を! 中井和夫・東大名誉教授/ウクライナ史609朝日、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1535089660162379776

[関連]♨ アジア安保会議の注目点/中国以外の選択肢になれるか?:東大教授・川島真氏(アジア政治外交史)、米中国防会議の実現に期待:ビラハリ・カウシカン氏(シンガポール国立大中東研究所長)、https://www.asahi.com/articles/DA3S15320470.html

♨【QT/露とウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!】は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかもその動因は彼我が諸共に共有する闇の系譜の情念と見える!「先端AIデジ&核戦力」頼りでなく生のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

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[専断権力”忖度”社会ならぬ視点、ステークホルダー・デモクラシーが必須!+比較表象文化(欧米Vs東亜漢字文化圏)]から、非「ウクライナ型」マクロ分断“共存”のリアル多様性を日本が堂々提示可では?→首相「国際秩序維持を」 力による変更、批判 アジア安保会議611朝日https://www.asahi.com/articles/DA3S15321558.html

(初期啓蒙思想期(17C)は第一次科学革命の時に重なる、又それは近代自由主義の始祖、ピエール・ベールとモラリストの時代)

・・・その後者の視点は、ユク・ホイらの「シンギュラリティ幻想」批判に重なる。・・・

・・・17世紀(初期啓蒙思想期)の欧州、特にネーデルラント辺り(英国、フランスを含む)はモラリストらが活躍し“オランダの光”が栄光を手に入れていた「レンブラントの世紀」(ホイジンガttps://bit.ly/38W4Yv6)とも呼ばる先進地であった。・・・

・・・ただ、それは科学革命の時代でもあるため、感情と論理の泥試合的な綱引きの場と化した宗教権力への批判の嵐が、その上空で吹き荒れていたことも忘れてはならない。・・・

・・・また、科学知の深化とモラリストの出現は感情と論理の泥仕合の場と化したキリスト教への冷静な批判だが、この視点は「現代の“AI‐DLアルゴリズムこそが唯一の神になるという、あのコンピュータ・システム幻想(ユク・ホイが批判するシンギュラリティ幻想)に対する批判とピタリ重なることに驚かされる!・・・

(ピエール・ベール、モラリストの時代には自由の条件たる“両義性・多義性の視点、i.e.自由には一定の節度が必須!”との自覚があった)

・・・ピエール・ベール、モラリストら“自由故の両義性・多義性の自覚”と“『AI‐DLアルゴリズム時代の自由原理主義』の根本的な差異。・・・

英国の歴史学者ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield/1900 - 1979)は、1949年の著書『近代科学の誕生』の中で近代の画期として、17世紀を「科学革命の時代」と名付けている。具体的に見ると、それはN.コペルニクス、J.ケプラー、G.ガリレイ、A.ニュートンらによる科学研究上の大きな変革のことを指すが、その影響を受けた哲学上の変化も含め、この時代は「17世紀科学革命の時代」呼ばれることもある。

しかし、この時期の科学者が宗教の頸木、または羅針盤から完全に解き放たれていたと見るのは大きな誤解を生む。例えば、フランスの思想家で「宗教的自由主義」を主張したピエール・ベールはデカルト(René Descartes/1956 - 1650/数学者、合理主義哲学と、近世哲学の祖)の物理学に従って、処女作『1680年の彗星に関する随想』を書いたが、そのデカルトの物理学には“神によって保証された法則”との注釈が付いていた(@平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)。

それは17世紀後半~18世紀にかけての欧州「啓蒙思想」期の前半(初期啓蒙思想期)にほぼ重なり、この時代の主な思想家では英国のホッブス、J.ロック、スコットランドのD.ヒューム、フランスのヴォルテールディドロモンテスキュー、J.=J.ルソーらが先ず想起される。また、それは「聖書・教会、神学、王権」ら諸権威のドグマ(固定観念)から脱し、理性により人間の意思(意識)と権利の「普遍性」を定義し、その保全のための政治体制(民主主義社会)を創造する思想活動であった

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             ピエール・ベール

そこで、マンデヴィル『蜂の寓話(意)』(1714)↑へ大きな影響を与えたという意味で、17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベール(Pierre Bayle/1647 - 1706/↑画像はウイキより)について少し触れておく。フランスの思想家ではあったが、そもそも「宗教的自由主義」を主張していたピエール・ベールはカトリックの国であるフランスから、リベラルの空気が濃厚だったオランダのロッテルダムへ移住している。

丁度その頃にロッテルダムエラスムス学校にマンデヴィルが在籍していた。そもそもベールは、1675年からフランスのセダンにあるプロテスタント系アカデミーの教授を努めていたが、1681年のルイ14世の勅令によって同校が廃止され、フランスにおけるプロテスタ ント迫害が過酷となってきたためフランスを逃れ、オランダへ移りロッテルダムでの教授職を得 て、オランダにおいて著作活動に専念していた

そして、ピエール・ベールがフランスで活躍していた時にほぼ重なる頃からフランスにモラリストたちが現れる

モラリスト(moraliste)は、いわゆる道徳家(moralisateur)と異なる概念(というか、紋切型で厳格な道徳家とは真逆で自由な発想を持つ人々)で彼らの自由な思考は主にエッセイや文学・箴言などの形で表現される感情・感性の要素を重視しつつ一方で大局的・客観的で冷静な視座で論ずるモラリストの思考は人間の日常における意識活動の多面性・多様性を様々な角度から深く思考するという、フランス文化に特有な知的伝統の一つの柱となっている

特に大きな特徴と見るべきことは、それが宗教や道徳の厳正主義(厳格主義/rigorism)から解き放たれた自由であるが故に各人に対して「両義性・多義性」の尊重を求めるという点にある。しかも、そのことから必然的に「その自由には一定の節度が求められる」のでそれは「自由原理主義」ではあり得ない。因みに、モラリストの発祥については諸説があるようだが「フロンドの乱/1648 - 1653」~「アンリ4世/フランス絶対王政の確立期」の間において「既存の政治体制と既成の価値観」(アンシャンレジーム)が崩壊する過程に入ったという点に求めるのが妥当と考えられる

(特に日本で忘れられている、『啓蒙思想初期』の“倫理”に基づく“法の精神”に潜む現代でこそ必須のリアリズムに係わる先進性)

しかし、現代の「宗教的自由主義」は「宗教原理主義」(キリスト教の場合は主にプロテスタント聖書原理主義(聖書(福音)主義))と正反対の立場で宗教的リベラリズムと呼ばれることもあり、それは現在にも繋がる中々デリケートで難しいテーマである。なぜなら、今では「キリスト宗教原理主義」と言えば主に米国のプロテスタント系「エヴァンジェリカルズ(福音主義派)」を指すが、聖書原理主義カトリック系にも、又は神の唯一性(三位一体否定)を主張するユニタリアンでもあり得るからだ。

例えば、今の米国で「エヴァンジェリカルズ(プロテスタントキリスト教福音主義派/聖書原理主義派)Vs(宗教的)リベラリズム」の対立の形で現れており、今のところトランプ岩盤支持(約30~40%?)の中核を未だにプロテスタントエヴァンジェリカルズ(推定総数ca1億人/米全人口の約1/3)が占めている。だから、これはトランプ再選へも相変わらず大きな影響を与える可能性がある

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    第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー

平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によると、ベールは第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー/Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of Shaftesbury/1671–1713/哲学者、道徳研究者/↑画像はウイキより)と同じく、「宗教、理性、人間性一般」の三者は決して対等に適合し得るものではないと考えていたようである。それは、いわば現代的なコンシリエンスの概念の如きであり、強いて言えば「恰も異なる系が部分的に相転移する」ような関係性ということであると思われる。

このことを人文・社会・科学・AI関連知などが深化したと言う意味での“現代的”な理解で更に読み直すと、「宗教、理性、人間性一般」の三者は、夫々が何らかの表象・概念の統合であるから、三者を優劣の比較で認知できるものではなく、これは一般の生物ならぬヒトの意識だけに対する、ある種の特別な賜物、i.e. それは批判実在論(Critical Realism)的な認識の問題であるということになるかもしれない。だから、それはエトノス観念に置き換えることも可能となるはずである。

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           Bernard de Mandeville

同じく同論文によれば、「啓蒙思想初期において特に重要な人物を挙げれば、それはオランダ人でありながらロンドンへ移住(定住)したマンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733/オランダ生まれ、英国の精神科医、思想家(風刺、散文):主著『蜂の寓話――私悪すなわち公益』で名高い/マンデヴィルの↑画像は、https://www.philognosie.net/wissen-technik/bernard-mandeville-die-bienenfabelより)と、それとほぼ同時期にオランダへ短期滞在した経験をもつシャフツベリーであるが、両者は共に上でふれたピエール・ベールから大きな思想上の影響を受けていたらしい。

ところで、ピエール・ベールの思想で絶対に押さえるべきと思われる枢要なポイントは先ず宗教についての個所であろう平井俊彦/論文(『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)によれば、ユグノー(改革派)のベールが実は無神論者だったと見るのは短絡である。

そうではなくベールは「宗教、理性、人間性三者は何らかの表象の統合であるから三者を優劣の比較で認知はできない」と考える宗教的自由主義リベラリズム)であったと思われる。又べールは人間性の自然」という表現で自然の一部である関係性(現代風に言えば、因果の空間)の「個体における一回性の現れ」が人間性の正体だとも説明する

おそらく、ピエール・ベールの「自然の一部としての人間性」という観念は、<政教分離>(政治と宗教の分離の謂いに止まらず、科学(等)と宗教の分離も意識していた!?)への長い道程の端緒であったはずだし、その「個体における人間性の一回性の現れというリアリズム倫理的な観念」は同じく、現代的な意味での<基本権>のルーツになったと考えられる。

だからこそ、ピエール・ベールは「これら種々の人間性の多くを占め、かつこれら人間性の諸相が浮かぶ海の如く流動的なプラットフォームである個々人の感情の作用」を最も重視したと考えられるのだ。そして、オランダでの生活と研究の経験によって、かつ何らかの交流の実績すら窺われるマンデヴィルとシャフツベリー(既述のとおり、両者は啓蒙思想初期へ重要な影響を与えた人物である!)がピエール・ベールの「感情の作用を最も重視する」考え方を深く共有していた可能性は高いと思われる。

しかし、同じピエール・ベールの人間性(自然の一部としての)の要とでも言うべき「感情の海」を共有しつつ、<マンデヴィルは自然の一部である人間性の「悪」の成分の分析へ、シャフツベリーは「善」の分析へ>と、何かを契機として、夫々の関心が異なる方向へ傾斜することになったようだ。

おそらく、その契機となったのは、シャフツベリーの貴族の系譜ゆえの「上からの美学」的な抽象論的・概念論的な視座であり、マンデヴィルの場合は生粋のオランダ人としての(それはそろそろ黄昏の時ではあったにしても)、あの栄光に輝いた時代(17世紀、レンブラントの時代)の残照の中で『日常のエルゴン=±を併せ持つプレデュナミス潜在性・潜勢態』という<活気の土壌=内需と外需へ共に対等に係る新しい生産性の培地>を経験したことではなかったか?と思われる。

啓蒙思想の先駆けと見なされるピエール・ベールがフランスで活躍したのは17世紀の後半であるが、それはフランスのアンシャンレジームに初めて動揺を与えることとなった「フロンドの乱/1648 - 1653」を契機に台頭した初期モラリストの時期と重なる

モラリストたちの思考の特性は「定型化した論証や規範的な言説」を否定する点にあるが、それはベールの中世的・神学的な歴史観(神の意思や神の恩寵に偏るドグマ)を否定する立場とほぼ同じである。

そして、地球自然環境に包摂されている現実の世界は「キリスト教の定型化した論証や規範的な言説」で全て説明がつくほど単純でないことが、アンシャンレジームの動揺や第一次科学革命による「知」の深化と多様化によって理解されるようになってきた。同時に、神の視座から解放されることで、新たに歴史的・政治的に共通した普遍的な構造があり得ることにも気付く人々が次第に増えていった

しかし、これら歴史に裏付けられた普遍的な概念(理想)と、今は普遍的と思しき国家制度(政体)であっても永久に完全無欠ではあり得ないので、絶えず、個々の現実的な、より厳しいリアル事象とエトノス観念の深化に照らし続け、持続的に展相(ポテンツ)する必要がある。従って、啓蒙思想初期の思想家たちが、現代の「オミクス生命論に基づくリアリズム倫理」にほぼ匹敵する「一定の節度ある自由」という考え方に到達していたとしても、それは何ら不思議でも何でもないことになる。

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         Charles-Louis de Montesquieu

また、このことに逸早く気づいたのが英国政治の動向に関心を向けアンシャンレジームを批判して均衡・抑制を重視する「権力分立制」を提唱したのがモンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu/1689 - 1755/↑画像はウイキより)である。そのためモンテスキューは普遍理念の次元を積極的に高精度化することに努め、ピエール・ベールの死から約40年後に「法の精神」(1748))を発表したことになる。

従って、そもそも啓蒙思想の「自由原理」とモンテスキュのー「三権分立」は只のお飾りではなく、喩えれば絶えず酷使されるべき車のエンジンの如き存在であった。因みに、モンテスキュー三権分立」(特に司法権の独立を強調する)の根本である「法の精神」の論点は、政治学、法学、社会学、人類学など多岐にわたるだけでなく、それには気候風土(自然環境)と社会や法との関係性にまで踏み込んでいるため、現代的に言えばモンテスキューは地球環境や生命倫理・リアリズム倫理的なものまでをもその視座に入れていたことになる。

しかし、アカデミズムも、国民も、主要ジャーナリズムも、肝心の政治権力者らも、果ては国民へ奉仕すべき公僕たる官僚機構(司法・官憲もろとも)までもが、ことごとく此の「自由原理とモンテスキューの根本(法の精神に基づく)三権分立」についての根本を忘れ去ってきたようだ

これこそが、「相変わらず靖国“愛国”国体論、i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に取り憑かれたままの不可思議の国、ニッポン!=アナクロニズム権力独裁の「“自由原理”の政治利用」なる、現代日本における悲惨な「政治的病理」の原因ではないのか?

啓蒙思想初期には周知だったプーチンタナトス、i.e.『悪の情念』の系譜は、人類共有のエルゴンでもある)

・・・ 現代に繋がる“(プーチン型)の「悪徳のタナトス欲動」(悪の情念)”たる「エス(前意識)の系譜」の問題・・・

[再録]/【QT/ロシアとウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!/@無数の橋をかけなおす──ロシアから届く反戦の声/奈倉有里20220526「新潮」編集部は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかも、その動因は彼我(ひが)が諸共に共有する「闇の系譜の情念」と見える!先端AIデジ悪用 or 核戦力トレードオフらの小賢しいキャリートレード型小細工でなく、生命力に満ちた未来志向のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

・・・エス(前意識の系譜)、i.e.エルゴンのタナトス型特異性は「真の科学時代」に必然の展相(Potenz)に[相応しいエビデンス」を嫌う!それは、科学および神秘・心霊主義(オカルティズム)とも親和性を持つ両義的な「エスのエルゴン(潜勢態)」が、例えばヒトラープーチン戦争、アベノミクス、トランピズムらの如く“新時代に相応しいリアリズム倫理の証言(民主的裁判)の見守り”による、科学的・客観的な「真/儀」判断とは全く無縁な“新生児の初の泣き声”同然であるから(“新生児の初の泣き声”は、『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』の著者・互 盛央氏の“闇の系譜”に係わると思しき表現の借用)。・・・Cf.↓★

【注記】タナトス(thanatos)とは、もともと精神分析の用語でエロスと対になる「人間の欲動を説明する」ためつかわれる言葉で、死への欲動と訳される。JUST | 特定非営利活動法人 日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン | 理事長 斉藤学(医師)、https://www.just.or.jp/?terminology=000853

★1 互 盛央著『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062923859

★2 松村一志著『エビデンス社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774326

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1531631542271102976

≪注/誤記訂正≫・・・上Twの中で[「第一のエス(闇)」の系譜」、としているのは、[「第二のエス(闇)」の系譜]の誤り(誤記)なので、訂正します。委細は、下の(1)と(2)の記述を参照乞う。


表記のエスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社著者・互 盛央(講談社勤務、元岩波書店『思想』編集長、言語論・思想史研究者)「二つのエス(das Es)」という注目すべき視点(↓1,2)を指摘している。それは、重要な思想論の系譜、すなわち相互主観性の拡がりの系譜であるとともに、特に(2)の系譜は、アナザーファクト(ポストトゥルース/リアル証拠の隠蔽・隠滅、フェイクなど)を煽る内なる病巣とも見える。 https://note.com/toxandoria2/n/n817dde72962e

(1)第一のエス[開放的で持続生命論的な光の系譜]:リヒテンベルク→フォイエルバッハニーチェフロイト→(フロイト左派/i.e. 新フロイト派)・・・、という『エトノス環境と繋がり共鳴する無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される。この空間にある限り、それは未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、toxandoria が追記したもの。

(2)第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]:リヒテンベルク→フィヒテシェリングビスマルク→(ニーチェフロイトヒトラー→(自由原理主義リバタリアニズム、トランピズム、プーチンアベノミクスらポストトウルース派)・・・、という『これも矢張りエトノス環境と繋がり共鳴するが、(1)より深い無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される、と考えられる。しかし、この空間にある限り、それは矢張り未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、同上の補記。

従って、同じく表記の[松村一志著『エビデンス社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社)]が指摘するとおり、このような視点から見ても[抽象デジタル・モード:巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”社会化]する現代社会においては、ますます「そのような“証言の消滅”orフェイクをアオル如き不埒な傾向に対抗し得る新しいエビデンス」の問題が重要になると思われるが、この論点については第4章へ譲る。

ホッブスリヴァイアサン』は“政治権力の正体=双頭の怪獣リバイアタン”の発見に止まらず“遍くヒトの深層に潜むタナトスの闇”の気付き)

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             トマス・ホッブズ

ところで、論文/平井俊彦『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によるとトマス・ホッブズ(T. Hobbes/1588 - 1679/英国の哲学者、社会契約説で近代的な政治哲学を基礎づけた/↑画像はウイキより)は、マキャベリの「運命に抗うべき変異性必須論/マキャベリズム」(君主論/君主に限定された役割)を抜け出し、そのマキャベリズムの変異性必須論を近代自然法思想の中核(国民主権を前提にする政治権力の正体に関わる解釈論的な視座)に密かに忍び込ませた、とされる

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その具体的なイメージ表象が上掲(当画像は、2022年4月7日・朝日新聞『(明日へのLesson)第1週』https://bit.ly/3tfAUBQ より)、リヴァイアサンである。ホッブスは、デカルトらと共に(というかデカルトの影響を受けて)機械論的世界観(結果から原因へと還元・構造的に考える自然発生的世界観への対概念)の先駆的哲学者の一人でもあり、スピノザ(Baruch De Spinoza/1632 - 1677/オランダの哲学者/デカルトライプニッツと並ぶ17世紀近世合理主義哲学者らと共に唯物論の先駆的思索者とされる)らと共に「人工的国家論」(“可死の神”を登場させることでキリスト教神学下での王権の定義から距離を置く考え方このためホッブス現代でも王党派・共和派的な相異なる立場から両義的(良識専断権力 Vs 国民主権普遍権力)に都合よく解釈される傾向がある「社会契約説」の提唱で近代的な政治哲学理論を基礎づけた

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                    ギュスターヴ・ドレ製作の版画/レヴィアタン

17世紀の半ばにピューリタン革命(1642~1649)で国王チャールズ1世が処刑(王政⇒共和政への急激な転換が実現)されたとき、ホッブズがこの動乱を逃れた亡命先のフランスで書かれたのが著書『リヴァイアサン』(1651)である。リヴァイアサンは、この著書の巻頭で国家の原理を象徴するものとして掲げられた銅版画である。その原型イメージは旧約聖書ヨブ記で現れる、そもそもは「海の怪獣」(まさに、ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの象徴イメージと見える!)とされるレヴィアタン(リバイアタン)である。

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             カール・シュミット
カール・シュミット(Carl Schmitt/1888- 1985/ドイツの思想家、法学者、政治学者、哲学者/ナチス政権下でベルリン大学教授となったが、その後に共産主義者国家社会主義者(ナチス)を内部の敵として批判したことで失脚している/↑画像はウイキ(英語版)より)が指摘したとおりこれは国家神話(善と悪の両義性)の表象である

また、このイメージを王権神授説の表象だと誤解する向きがあるようだが基本的な誤りである(そもそもレヴィヤタンは巨人、巨獣、人工機械(オートマタ)、可死の神という4つのイメージの融合であるので、死すべき寿命のある神が永遠の王権を授けるのには無理がある!w)。むしろ、ホッブズの真意はマンデヴィルと同じく「善と悪が併存する自然・人間社会のリアル/というか、遍くヒトの深層に潜む両義的エトノス」の直視!と見るべきで、そこには「対称性バイアス」の問題(参照↓★)すらが潜むと思われる。

★対称性バイアス(無意識の思考/潜在的・無意識的推論形式に含意されている対称性原理)の必然性と可能性: 無意識の思考をどうモデル化するか/中野 昌宏, 篠原 修二、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_428/_pdf

ところで、田中純一『政治の美学―権力と表象―』(東大出版会によれば、「王権神授説」の物語は「ローマ教会の教皇権の連続性」の借用であるので、カール・シュミット『政治神学』https://bit.ly/3xdx26Jが指摘するとおり、近代国家論の重要概念はすべて世俗化された神学概念であると見てよさそうだ。

だから、例えば教皇権の連続性を仲介するのは完全な空位状態を回避するために行われる象徴的「儀式」であり、これによって「権力の三つの身体」(前教皇→象徴的儀式→新教皇)の永遠の連続性が確保される。つまり、その象徴的儀式こそが教皇権の永遠の連続生命を保証していることになる。

「王権神授説」でもこれと同様の象徴的儀式を介在させる、いわゆる「権力の三つの身体」のプロセスで王権の永遠の連続性(連続生命としての王権)が保証されてきた訳だが、ホッブスのリバイアタン(レヴィアタン)が「可死の神」であるのは、初期啓蒙思想の「社会契約」に関係すると考えられる。やはり、初期啓蒙思想の「社会契約」も旧来の王権の連続性に倣って王権を保証したことになる。

しかし、この点については異論も多々あるようだが、第一義的な市民の「生存する権利」、つまり自然権」を重視したホッブズには矢張り「抵抗権」の考え方は存在したと見るのが妥当である。また、当然ながら「可死の神」には第一次科学革命の影響もあると思われる

そして、ホッブズ政治学で何よりも絶対に見逃すべきでない“急所”を一つ挙げるとすれば、矢張り、それはリヴァイアサン(その原型イメージ=レヴィアタン)が象徴する「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇」であろう。それは、この「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇/暴力性、好戦性、猟奇性、倒錯性、自由原理主義的性向ら」こそが、最も現代的な課題である「オミクス生命論、リアリズム倫理、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論の身体知」などと深く関わることになるからだ

・・・ “曲解”された“逆説の風刺”?マンデヴィル『蜂の寓話(寓意)』の真意を探る・・・

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303

(1)『蜂の寓話』が出版された18世紀初頭、英国(啓蒙思想初期)の空気と、マンデヴィルのプロフィール

既に述べたとおり17世紀半ばの「フロンドの乱」を契機にアンシャンレジーム(“横暴専断権力”の支配を押しなべて忖度する社会構成意識)に根底から亀裂が入りつつあるのと呼応するかのように、やがてフランスでは政治ジャーナリズム文学的ジャーナリズム『学者新聞(Journal des Savants)』ら多くの小プレスが活発化していた

また、フランスのモラリストたちがイギリスの影響を受け開始していた18世紀のフランス啓蒙思想(J.J.ルソーら)を更に深化させていたイギリスでマンデヴィル『蜂の寓話』(1714)が出版された18世紀の前半は、そのようにしてイギリスとフランスの啓蒙思想が、互いに、ジャーナリズム意識の台頭につれ往還的に影響し合う最中であった。

オランダ・ロッテルダム生まれの脳神経系統を専門とする医師マンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733)は、そのような時代の空気が流れる18世紀初頭のロンドンヘオランダから移住し(そもそもは英語を学ぶのが目的であったとされる)、開業医(今で言えば心療内科医?/ライデン大学で哲学の学位と医学博士の学位を取得していた)となり英国で結婚し、遂にはそこで永住することになった。また、マンデヴィルは17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベールと仏モラリストらの影響を受けていたと考えられる。尤も、そもそもは17世紀末頃~18世紀初頭における英仏相互の思想・文化交流の一環のなかで、マンデヴィルは英国啓蒙思想初期の影響を受けたことになるから、渡英したことでマンデヴィルは英仏の双方から回帰的に仏モラリストらの影響を受け得たということになる。

・・・このような17世紀半ばから18世紀前半のイギリスの時代の空気を補足するため、以下で歴史的な出来事について少し触れておく。

・・・

三回におよぶ海戦中心の英蘭戦争(17世紀後半)で、英国が勝利しオランダは海洋権益を失いその黄金時代(レンブラントの時代)が終わる。しかし、名誉革命(1688)の後には、英国が縁戚関係からオランダ総督ウィレム3世をイングランドウィリアム3世として迎えた。

産業革命をめぐる状況・・・1709:ダービーがコークスによる製鉄法を発明、1710:ニューコメンが炭鉱での排水用の気圧機関を発明、1733:ジョン・ケイが飛び杼を発明、ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明、アークライトが水力紡績機を発明、ジェームズ ・ワットが蒸気機関を改良、etc

・・・

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White's Coffee House formed part of William Hogarth's series The Rake's Progress CREDIT: 2005 GETTY IMAGES/HULTON ARCHIVE https://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/united-kingdom/england/london/articles/surprising-history-of-london-chocolate-houses/

17世紀の半ば以降のロンドンでは、18世紀がコーヒーハウス(新聞など現代的マスメディア活動の揺籃の場)のピークとなり、広く庶民へ行き渡る「新聞」情報の普及が見られるようになっていたが、その反面で言論の矛先になる権力者側からの反動もあって、印紙税(言論規制のツール)などをめぐり激しい攻防が繰り返されていた。
https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/65/65-ch10.pdf

●新聞の刊行をめぐる状況・・・日刊新聞「London Daily Courant」が1702~発行/政党新聞、政党機関紙の登場(政論新聞時代の幕開け)/エッセーペーパー:文学的刊行物(literary periodicals)が刊行/1712~印紙税:Tax on Knowledge(知識に対する課税)が導入、1725~捺印税:Stamp Actが導入、1731~月刊雑誌 Gentleman's magazineが刊行、1738~議会での討論内容の掲載が禁止、1771年~今度は、議会報道が許される、etc

・・・

【参考】(上の時代に続く)19世紀前半における「英国議会」Vs「新聞ジャーナリズム」という、激烈な“国民主権、国家に次ぐ第三権力(対“立法・司法・行政”の意味では第四権力)たる新聞の批判力を巡る覇権闘争史”の一コマ

・・・1819年、議会は聖ピーター教会広場で開かれた政治集会を弾圧し(ピータールーの虐殺)、言論弾圧六法(Six Act)で統制を強化、数年のあいだに125のラディカル・プレスが罪に問われ、無害な新聞には補助金が与えられた。これによって「品のよい」新聞『タイムズ』の成長と「20年代の政治的平穏」が訪れる。

・・・だがラディカル・プレスは1830年代によみがえる。その象徴となった1ペニーの『プアマンズ・ガーディアン』(1831-1835)をはじめ、違法な新聞は5年あまりで500種以上、1日7万部以上にのぼった。これは合法な新聞を上回る数字であった。スタンプ税法反対、労働闘争、選挙法改正を掲げた運動は、1830年代以降の改革を先導する。第1回選挙法改正(1832)、工場法制定(1833)、救貧法改正(1834)、都市自治体法制定(1835)、そしてスタンプ税法下の広告税引き下げ(1833)、スタンプ税と用紙税の引き下げ(1836)と、労働福祉政策が相次ぐが、その改革の不十分さは逆に労働者階級の意識を高め、その後のチャーティスト運動の盛り上がりにつながっていくことになる」(伊藤[2014:95-96]) [種村 剛:社会情報学の基本資料、新聞、http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_newspaper.html]より部分転載。

・・・以上で、[補足的な歴史的出来事の記述]は終わり・・・

(2)マンデヴィル流マキャベリズム・アイロニーの慧眼

・・・英国のリーダー層に対する「両義的エルゴン/“光(潜性イノヴェーション)と闇(タナトス)”の潜勢態」への覚醒を促す“逆説の風刺”と理解すべきマンデヴィル『蜂の寓話』・・・

・・・ここでは『蜂の寓話』の解釈で主流となっている考え方に対し、敢えてアンチ・テーゼのスタンスを採る。・・・

◆アナログモーダル理論の視野に潜性イノヴェーション、日常デュナミス生産性が疾うに入り始めた時代のデジ信仰一本槍では余りの周回遅れ? 一掃すべきはアベノミクスの残滓だろうに!w →目視や対面…「アナログ規制」一掃 4千条項見直し、デジ臨が公表604朝日604朝日

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1532907221881073664  https://www.asahi.com/articles/DA3S15314646.html

◆【櫻井・安倍両氏は「台湾-中国」マターを穴クロ言論のため只管利用するバカり?】AI‐DLアルゴリズムならぬ、ヒト・アナログモーダル意識から見ても健全なポテンツ統合とは思えぬ。遅くはない!日本人と全人類の安保のため、慈愛が溢れるマンデヴィル流マキャベリズム・アイロニーの真理でも再学習せよ!w 

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533168593697144832

・・・関連/アナログモーダル理論の視野に潜性イノヴェーション、日常デュナミス生産性が疾うに入り始めた時代のデジ信仰一本槍では余りの周回遅れ?一掃すべきはアベノミクスの残滓だろうに! →目視や対面…「アナログ規制」一掃 4千条項見直し、デジ臨が公表604朝日

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533177792808243200

アホ安保論2_R

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・・・一般的に、マンデヴィル『蜂の寓話』のアイロニー(風刺)の意味は、おおよそ下のように理解されているようだ。・・・

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・・・徹底した国家保護主義経済、いわば「自己(自国)益第一主義」なる強欲な『情念』の湧出源である「悪徳」こそが17~18世紀絶対王制の「管理経済/マーカンティリズム(重商主義mercantilism)」の原動力である。そして、結果的にそれが国益のみならず貧困(格差)を救済する慈善(社会厚生)のためにすら十分役立っている、という事実を人々はもっと率直に理解すべきだ。が、現実的に世間の人々の多くが、特に英国では第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー」流の哲学思想に倣うリーダー(指導者)達が、大層ご立派な名目だけの道徳的「倫理観」に対し、これも大層上品な上流サロンや社交術とかいうハイレベルな文化交流テクニックを駆使して、歯が疼くような綺麗ごとで傲慢な権威・権力に対する浮ついた「おべっか」と「忖度」の御愛嬌をせっせと周囲に振りまきながら呑気な日々を送るばかりだ。そして、彼らは一向に社会的な真実、つまりそのように「有益な悪徳」が格差の解消に役立つという現実を直視しようとせず、しかも、それに付随して起こる凡ゆる問題点(不条理)の一切を他人事として傍観しつつ、マイペースで呑気な日々を送っている。だから、このような「おべっか」と「忖度」の文化を広く大衆層に作為で浸透させてきた現下「英国のリーダー(指導者)達」(の上っ面だけの政治スタイル)こそが、真の意味での「無益な悪徳」の率先者なのである。・・・

たしかに、このマンデヴィル『蜂の寓話』の見事なアイロニー(風刺)には苦笑させられる。しかし、そこには「巨大AI・DL‐Web情報&データベース型の汎“知”(AI・DLアルゴリズム)」が時々刻々と更新し続ける新たな、絶対抽象的なクラウド世界の出現」Vs「リアルに生きるヒトのためのアナログモーダル理論」という、人類の持続的な存在そのものをすら脅かしかねぬ深刻なテーマ、「絶対的な格差拡大トレンドの放置」の問題が超リアルに浮上し始めた現代であるからこそ、我われは、そのアイロニー(風刺)の解釈問題の奥に潜む、マンデヴィルの真の先見性とその奥深いオミクス生命論的な慈愛の眼差しにこそ気付くべきであろう

そして、それは「有益な悪徳」と「無益な悪徳」という、マンデヴィルによる「エルゴン空間の発見」ということであったと言えるだろう。

驚くべきは、このマンデヴィルの「悪徳に関わる先験的な両義性の発見」が実に見事に「情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴン」の問題(第1章―自然計算は情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴンーで、既にふれた)を先取りしていたことである。

“既にふれた第1章の内容”を繰り返すことになるが、つまり、エルゴンとはW.フンボルトの<普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念 or 表象の潜勢態(デュナミス(潜在性)の可動態)のことだが、リアルに活性化するとそれら両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる>ということであった無論、「(W.フンボルトの)エルゴンの善の成分→マンデヴィルの『有益な悪徳』へ、(同)エルゴンの悪の成分→マンデヴィルの『無益な悪徳』へ」と、夫々を読み替える必要がある

しかし、これは矛盾でも何でもない。むしろ興味深いのは、このような日常言語上の些かの論理的な矛盾を解決(解消)し、人間社会にとって有益な現実「解」(展相/Potenz)となり得るヒント(これは決して安倍晋三・元首相、トランプ、プーチンらが重宝する、i.e.あのポストトウルース派が大好きな“へ理屈”のことではない!苦w)が、AI‐DLアルゴリズム(物理的シンボルシステム=非感性的シンボルシステム仮説/ PSSH )ならぬ「ヒトのアナログ・デフォルトモードフラッシュの作用(アナログモーダル・シンボル理論の原点!)」によるものだ、ということである

また、この点については第1章でも述べたことだが、英国(クイーン・メアリー・センター)の感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士も「コンピューターとは異なり、ヒトの感情(情念)は動的なもの」なので、AI‐DLならぬ人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている」と語っていたことが想起される。

因みに、18世紀の英国で経済の発展が政治思想や法思想に影響を与えたことについて纏めた論文「徳と利益道徳と経済をめぐる 18世紀イギリス思想の変容/柘植尚則:倫理学者、慶応大学教授、https://bit.ly/3Q0JxKkがあるので、末尾↓の<スミスは(も)『私益の追求が公益をもたらすと唱えた』<の部分について、toxandoriaとしては?を感じるが、当記事のテーマと関連すると思われる(はじめに)の一部分を以下に転載しておく。

・・・18世紀のイギリスにおいて経済の発展が政治思想や法思想に影響を与えたことは,従来の研究がすでに明らかにしているが,経済発展が道徳思想に与えた影響については,いまだ詳細には論じられていない。ここでは,モラリストたちの言説を検討して,経済発展に伴う道徳思想の変容についていくらか明らかにしてみたい。18世紀イギリスのモラリストたちはつねに「自己愛(利己心)」や「利益(利害)」の問題について論じていた。これらの問題を提起したのは 17世紀中葉のホッブズであるが,ホッブズはそれらを政治哲学の中で扱っていた。だが,17世紀末のロックを契機として,自己愛や利益はしだいに経済的な意味を持つようになる。明らかに,その背景にはイギリスにおける経済発展があった。それゆえ,経済発展は 18世紀イギリス道徳思想を形成させた一つの要因であったといえる。モラリストの間では,経済の問題,とくに経済と道徳の関係という問題は,「徳と利益」をめぐる問題として取り上げられた。それを主題にしたのはまずシャフツベリ(Anthony AshleyCooper,Third EarlofShaftesbury,1671-1713)であり,シャフツベリは「徳と利益」が一致することを証明しようとした。そして,この議論に反対して「私人の悪徳」が「公共の利得」を生むと主張したのがマンデヴィル(Bernard de Mandeville, 1670-1733)である。また,バトラー(Joseph Butler,1692-1752)はシャフツベリの議論に示唆を得て「良心と自己愛」の一致を説いた。さらに,これら 18世紀初頭の議論を踏まえたうえで新たな議論を示したのが 18世紀中葉のヒューム(David Hume,1711-1776)とスミス(Adam Smith,1723-1790)である。ヒュームは,自己利益を端緒として「黙約」に基づく社会が形成され,正義の徳が確立されると論じた(性善説?/補記、toxandoria)他方,スミスは「徳への道と財産への道」が同じであると語り,また,私益の追求が公益をもたらすと唱えた(このスミスに係わる解釈の部分については、toxandoriaとしては?を感じるが/補記、toxandoria)。・・・

[関連/参考資料]啓蒙思想の遺産に背を向けた現代人を痛烈に批判し近代精神の原点への再考を促す名著!   →ジャン=クロード・ギボー著、
菊地昌実・白井成雄 訳『啓蒙思想の背任』(叢書ウニベルシタス)

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